2025-08-07 18:02

【第166回】死ぬということ。②〜意思?自然?コントロール?〜

☘️前回の放送👇の続きになります🙇
📻【第165回】死ぬということ。〜映画PLAN75から考える〜👇
https://stand.fm/episodes/6893024fbfe43b2eb4b4597c

☘️意思があるかどうか?それは誰の、どの時点での意思なのか?自然?何をもって自然と言うのか?生まれてくることをコントロールしているのなら、死ぬこともコントロールしていいのか??・・・考えれば考えるほど、分からなくなりました😣

📺NHK番組「人体」シリーズ👇
https://www.nhk.jp/p/jintai/ts/MX3M2RV87M/

📖和田心臓移植事件👇
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E5%BF%83%E8%87%93%E7%A7%BB%E6%A4%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6

📻【第164回】「死」について哲学対話しました。👇
https://stand.fm/episodes/68915cc40a817670d4cc1f0b

📻【第79回】母との別れで考えたこと①死ぬってどういうこと?👇 https://stand.fm/episodes/6622214b1fc40ec62a976188

📻【第99回】重度の多品目食物アレルギーを持つ次女の話。👇
https://stand.fm/episodes/66c54bc655a7592a4b7c3c82

🎬映画PLAN75🎬
https://happinet-phantom.com/plan75/



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こんにちは、おあです。第166回目の今日も、死ぬということ。②ということで、前回の放送からの続きの話になります。
ちょっと前回ですね、長層の話から最後は北海道でヒグマの餌になりたいみたいな、ちょっと意味不明な展開で終わってしまったんですけれども
とにかく私はですね、自分の中にものすごい矛盾する気持ちがあるんだなってことに気づいたわけなんですよね。
一つは、前回もお話しした通り、自分の祖母とか母が亡くなっていく姿を見て意思表示ができない。周囲の世話にならないと生きていけない状態になってしまったら、自分もぽっくりあっさり痛みもなく苦しまずに死ねるんだったら、それが理想だと思っていたわけで。
でも、プラン75という映画を見て、やっぱりわからなくなってしまったわけなんですよ。だって自分の我が子がね、同じように何らかの事故などなりなりで意思表示ができなくて、周囲の家族の世話がないと生きていけない状態になってしまったとしてもですね、私はおそらくもう少しでも長く生きてほしいと、生かしてもらえる限りお願いしたいと思うんですよね。
要はですね、意思表示ができないとか、周囲の世話がないと生きていけない状態になってしまっているという状況としては同じはずなのに、自分の祖母や母に対しては、それはちょっと、だったらもう生きている意味がないというかね、それで亡くなったということに関しては私は安堵したにも関わらず、それが我が子となったらですね、途端に真逆なわけですよ。
少しでも意識を回復する可能性がゼロじゃない限り、息もしていて心臓も動いている、ただ眠っているだけのように見える我が子をね、やっぱりとてもじゃないけれども、死んだとは見なせないと思ってしまうわけですよ。
実際ね、我が家の事情は過去2回命を落としかけているんですよね。柔道の食物アレルギーがありまして、間違えて口に入れてしまうということがあったりしましたので、その時の本当に意識がない状態を思い出すたびにですね、もしあのまま意識が戻らなくて、今も植物状態だったとしても、
私は10年20年でももう1回、事情が目を開ける可能性がある、そういうことを願ってずっと待ち続けるし、背負うし続けると思うんですよ。そんな私をね、世間がね、いくら英語だとか社会のお荷物だとかね、時間とお金と労力の無駄だって責めたとしても、私はとてもあの状態の娘をもう諦めましょうとは思えません。
天敵を外す決断は絶対に下せないと思います。
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おそらくね、自分がどうにも動けなくなるまでは、娘を生かしたいと思ってしまうと思うんですよね。でもそこには子供自身の意思っていうのはないわけじゃないですか。だって確認のしようがないわけですから。だから目の前のこの子を生かすも殺すも、私のもしくは遺族の意思によるというわけですよね。
だってもしかしたらですよ、本人は私はこの状態ではもう生きていたくないと、早くあちらの世界に行かせてほしいと思っているかもしれないわけじゃないですか。
だから死の扱いというか判断というのが難しいのは、その意思と言うけれども、誰のどの時点でのということによっても全然変わってくるわけですよね。
私今回ね、その死をの定義っていうんですか、それが国によって違うということでね、ちょっと調べたんですよね。
ただその国によってどの時点で何をもって死と判断するかっていうのが違うわけなんですよ。
日本はその心臓が止まって呼吸もしなくなったら死であって、脳の脳死は死とは基本的には判断されないわけなんですよ。
ところが欧米では脳死も死と判断されるわけなんですよね。
日本が欧米と違って脳死を死と基本的には判断しないという理由には、文化的、宗教的な背景があるということが今回わかったんですけど、
そこにもですね、1968年に起きた和田移植事件っていうね、大きな医療事件があったということなんですよ。
この事件のせいでと言いますかね、その後約30年以上日本では臓器移植ということも、脳死という議論に関してももう完全に封印されてしまって、
もう話し合う議論も抑制されてしまって、こんなにもね、死に関してタブー死されている背景にはどうもこの事件が大きくあるということがわかったんですよ。
要はですね、医師が勝手に人の命を決めるというような医療不審につながっているということで、詳しくはですね、ちょっとリンクを貼っておきますのでそちらを読んでいただければと思いますが、
あと欧米での宗教観みたいなのがやっぱりあるみたいなんですよね。
精神と肉体は別って考えられているので、
欧米では脳の機能が止まったら意識がなくなるんだと、そうしたらもうそれは存在自体が消失したというふうに欧米では捉えるということなんですが、日本はですね、
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魂と肉体は一体だというような考え方が根強くて、
だから脳死でね、心臓は動いているであれば魂もまだそこにあるというような捉え方をするので、心臓が動いている限り死んでいないというふうに捉えるということがあるそうなんですね。
私もやっぱり心臓が動いているんであればまだ生きているってやっぱり思ってしまうなと思いますね。
だからね、自分の夫や子供たちが脳死状態だったとして、じゃあそこでね、もう脳死だからこの人工呼吸器を外すっていう行為をね、自分が率先してできるかって、
あーちょっとこれはできないと思いますね。
もう一つですね、私が自分の中にやっぱりこれはもう相反する、どうにもこの矛盾を収めきれないなと思っていることがありまして、
前回の放送で星野道夫さんの話をしてますが、やはりね、ああいう大自然に向き合って魅了されて生きたカメラマンの星野道夫さんがね、
ひぐまに襲われて亡くなったということに関して、私は赤の他人ですから、さすがだなと、星野道夫さんらしい死に方だなんて思ったわけじゃないですか。
そうやってね、死は当たり前だと、もっと身近なもので自然なものだと思う反面ですね。
じゃあいざですね、自分の家族にそのことが降りかかったらどうかっていうと、やっぱり怖いし、避けたいし、遠ざけたいと思ってしまう自分がいるわけです。
実際ですね、私の夫はですね、よく山奥に入る仕事があるんですね。この前も北海道にちょっと出張で行っていて、
ひぐまが出るわけなんです、あそこは。なんで私はそうやって出張に遠くに行くたび、結構本気でですね、万が一ということはあるとかなり覚悟して見送るんですね。
でも無事帰ってくるのを祈るような気持ちで待っているわけです。ひぐも襲われて帰ってこない可能性も全然あると思ってるんですよ。
事情のこともそうなんです。何回も言ってますけど、柔道の食物アレルギーがあるわけですので、食べ物を間違えて口にしてしまって、また命を落としかける可能性はいつでもあるわけです。
自分の大切な家族の死となると、もう途端にですね、一気に生まれたんだから死んで当たり前とかね、死は自然なものなんてね、とっても思えなくなっちゃうんですよ。
頭ではね、分かってるのに、他人のことならどうとでも思えるのに、自分の夫や子供のこととなったら訳が違うわけですね。
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我ながらなんと矛盾肌々しいんだと思うわけです。
人間の命なんてね、この大自然、この地球、宇宙から見たら虫キラだよと、虫キラにむしろ失礼でしょうと、虫キラ以下だろうと、
ほんの塵にも満たない軽い存在だと、全くもって大したことない、たまたま一瞬生まれてきただけ、だから死んでいくだけの存在、ちっぽけな存在だと思う反面ですね。
自分の目の前にいるこの大事な家族だけは、誰に何と言われていようと生きてほしいし、ものすごく重い存在だし、虫キラなんかと一緒に住んだと思っちゃうわけです。
虫キラにね、これまた大変失礼な言い方ですけれども、いやー本当勝手ですよね。なんなんでしょうね。
この前、NHKの人体という特集されてて、田森さんと山中教授の番組だったんですけど、それを見て、
こういう最先端の医療技術、iPS細胞を利用して、もう再生医療って言ってね、これが究極までいったら、おそらくね、目が見えなくなったからその技術で目を作ってもらって、新しい目に入れ替えるとかね、歯が抜けたからその技術で歯を作ってもらって入れ替えてもらう。
肝臓が悪くなったから新しいね、自分のiPS細胞から作った肝臓に入れ替えてもらう。すべてのね、体のパーツをどんどん新しく作ったものと入れ替えていったってですね、ずっと生きられる可能性っていうのはあるんだなっていうことだわけじゃないですか。
じゃあどこまで入れ替えても、自分は自分なのか?
うーん、脳に記憶とか色々意識っていうのがあるんだとしたら、まあ脳さえ入れ替えなければ、あと全部入れ替えたとしても自分は自分と思えるのかどうか?
じゃあね、もうiPS細胞で脳も作れるようになったとしますよね。
そしたらスマホのデータをね、新しいスマホに移行させるみたいな感じで、前の脳から新しい脳に中身をバックアップみたいに全部移せるとして、記憶が残っているとしてそのまま。
脳まで入れ替わってたとしても、中身が自分の前のものだってあるのであれば、自分のままと言えるんですかね。
つまり、肉体物質としては全て全特化されていたとしても、意識や記憶が自分のものが残っているんだったら、それはやっぱり自分のままなんですかね。
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そうして全てのパーツをずっと永遠に入れ替え続けていって、ずっと生きられるとして、どこまで行きたいと思われますか?
もうね、娘たちに聞いたらね、最初はね、85歳くらいまででいいや、みたいなことを言っているんですよ。
でも、じゃあね、この地球が最後どうなるかとか、人類が最後どうなるかとか、宇宙の果てがどうなってるとか、見られるものなら見てみたくない?って聞いたら、
ああ確かにって、全然お腹も空かなくて、幽霊みたいに意識だけでふわふわ行きたいところに行けて、見たいものとか全部見れるんだったら、ずっと生きててもいいかもねって言うんですね。
そうだよねって、私もそう思うんですよ。
もし意識だけでね、幽霊みたいに見れるものを全部、宇宙の果てまで、全部隅々まで見て回れるんだったらね、お腹も空かないし、痛みとか苦しとかもないっていう前提ですけどね。
いろんなところに自由に行けるって言うんだったら、もうずっと生きててもいいかもなとかって思っちゃったんですね。
で、以前の前の前の放送とかで言ってますけど、夫はね、もともとできる限り長生きしたいっていうタイプだったんですよ。
私はその時、えーってびっくりしてたんですけど、同じこと今回聞いてみたら、人類の最後ぐらいまでは見てもいいけど、宇宙の果てとかまでなると何億光年も先でしょっていう話でね。
そうすると暇だなーとかって言うわけですよ。
暇?みたいな。だってほら何億光年もずっと移動中は何もないわけでしょみたいな言うわけですね。
えーそこ?みたいな。いやほんと変な人だなと思ってね。
じゃあ、わかったと。どこでもどうやって、もうどこでも一瞬で行けるようになってたらどう?って聞いたら、うーん、まあ全部の星を見て回りたいんだよねっていうわけ。
うーん、でもじゃあその星の状況になったらね、ドア開けたら一瞬でね、なんか熱とかで死んじゃうんじゃない?
いやいや、だから体ない言ってるよ。意識だけの状態だって言ってんじゃんみたいな。前提がね、共有できなくてね。
あとですね、私、もともとできる限り自然がいいみたいななんか価値観があるっぽいんですよね。
ただ、やっぱりそういう医療の技術の番組なんか見て、自然って何っていうかね、どこまで自然って言っていいんかなって、やっぱ分かんなくなっちゃって。
あのー、じいちゃんがね、アナフィラキシーショックでもう危なかった時ね、エピペンとか点滴とか酸素呼吸器がなかったら死んでるわけですよ。
昔はそんなのないから、たぶんね、亡くなってたお子さんいっぱいいたと思いますよ。
じゃあね、エピペンを使うのは自然じゃないのかとかね、点滴とか酸素呼吸器とか使う時点でも自然じゃないんじゃないかってことでね。
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今ね、生まれる時だってそうじゃないですか。不妊治療で人工受精っていうのは当たり前の時代ですよね。
そもそも意思を持って自分は生まれてきてないとかっていう言い方ありますけど、少なくともご両親の意思はあるわけじゃないですか。あったわけじゃないですか。
で、医療技術によって生まれてきた命、生かされてきた命、ある意味受精とか出精をコントロールしていますよね、すでにね。
だったら死ぬ時だって誰かの意思によって、本人の意思とは関係なく、遺族の意思で医療技術で活かすのか殺すのかっていうのをコントロールすることも許されるべきなんだろうかとかね。
その意思って何なのかってとこが、やっぱりね、そのプラン75でほんとわからなくて、逆に合意なく行われた性犯罪で生まれた子がいたとしますよ。
それは誰も望んでいませんと、両親の意思もなく生まれたお子さんですと。その命はある意味コントロール外だったというわけですよ。
でも実は一番自然と言えなくもなくないですか。意味わかります。
要は自分の子供が欲しいと明確な意思を持って、受精の意思を持って、意図を持って行われた性行為の結果、妊娠して生まれてきている命が多いわけですよね。
その命の方が逆に自然じゃない可能性ってないのかなとかね。
受精がコントロールされているとか、意図を持って狙ってしている結果の命。
とにかくちょっとね、もうわけわからなくなっちゃってるんですよ、私。
昔はね、本当にシンプルに、ドナー提供者になりますかみたいな、マルツキンの、ありましたよね、保健所の裏とかに。
臓器提供する、どれをするとか。あれも昔はね、何の抵抗もなく、しますしますみたいな、してた。
マルツキンって言ってた気がするんですけど、今ちょっとね、もうわからん。どうしたらいいかわからん。
だから今、私がね、何かで亡くなったとして、家族も困るだろうなって。私の意思がないわけで。
いやーもうわからないです。すいません。ちょっとね、またちょっといろいろ考えて、またこの続きどこかで話してみたいと思います。
もうめちゃくちゃわからないというところで、一旦このシリーズはおしまいにしたいと思います。
意味のわからない話を聞いていただきましてありがとうございました。失礼いたします。
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