2024-01-31 17:57

【第59回】底辺とは、そのマインドのことである。

voicyパーソナリティーで、著書累計120万部突破の大ベストセラー作家、ノンフィクションライターの中村淳彦さんの仰る「底辺」という言葉について、1周回って、底辺って、やっぱり「マインド」のことだよね、と私なりに行き着いた理由をお話ししています🙏
私は、底辺とは、収入でも学歴でも社会的地位でもなく、自分の幸せに気付けない人、今の状況に感謝できない人のことだと思っています☘️
いつも心に底辺を💐忘れずに、今の幸せに感謝して生きていきたいですね✨

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こんにちは、おあです。三児子育て中で、小学生の娘2人は、ホームエデュケーションを選択しています。
子どもたちが毎日を楽しく、自分らしく過ごせる社会にしていくために、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
第59回目のきょうは、【底辺とは、そのマインドのことである】というテーマでお話ししていきます。
ボイシーパーソナリティで、著書累計120万部突破の大ベストセラー作家、ノンフィクションライターの中村敦彦さん。
中村さんは、日本社会の裏側、貧困ですとか介護、風俗などの世界を取材されて、現実を可視化されてきた方なんですけれども、
その方のことについて、第47回、48回でも放送しているんですね。
特別編中村敦彦さんのいう底辺の定義がよくわからないという方へという放送をしているんですけれども、
中村さんの使う底辺という言葉が、ちょっと一般とは違うニュアンスで使われていたので、ちょっと混乱していたので、私なりに放送で解説したわけなんですけれども、
一般的に言われているようなわかりやすい階級っていうんでしょうか、社会的な階層、中村さんのおっしゃる、秀才、天才、凡人とかっていう能力っていうんですか、
そういう学歴とか収入とかポジションみたいな、そういうこと全部一応理解した上で、それでもやっぱりですね、私一周回って、やっぱ底辺ってそのマインドのことだよね。
なって思っているので、ちょっとそのことを今日お話ししていきたいと思うんですね。
もともと私は中村さんがボイシーで底辺っておっしゃってた時、最初はもうマインドのことだと当たり前に捉えていたんですよ。
そのマインドが底辺だから嫌だと、もうだからそこから出したいみたいな、そういう人たちとは関わりたくないっておっしゃってるんだろうなって普通に受け止めてたんですけど、
その後ですね、中村理論ですね、秀才、天才、凡人理論が出てきたあたりからちょっとあれとか、やっぱり私も底辺ですみたいな、いろんな人が言い始めたあたりからちょっと私も混乱してきてしまって、
その後、北野いいがさんの天才を殺す凡人とかですね、そういう本を読んで、なるほど、そういう意味だったのねってわかったわけなんですけれども、
その時はですね、一度は納得したんですけれども、その後ちょっとちょこちょこ個人的にいろいろな体験があって、やっぱりですね、今、原点に戻ってですね、やっぱりマインドのことだよなって今思うんです。
結論から言ってしまうと、私は底辺っていうのは自分の幸せに気づけない人たちのこと、今の自分の状況に感謝できない人のことだと思ってるんですね。
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具体的にどんな人かって言いますと、人を羨んでばかり、妬んでばかり、悲願でばかり、人と比べてばかり、人を見下してばかり、人をバカにしてマウントしてばっかり、差別してばかり、バカにしてばかり、人はお金で動くものと思ってる。
お金さえあれば誰でも何でも動かせると思ってる。納得感情だけ。浅ましい、癒やしい人たちのことだと私は思うんですよ。
もう少し言えば、想像力がなくてですね、自分の価値観だけ視野が狭くて、自分の物差しだけ評価軸だけで他者をジャッジする人。それが私が思う本当の底辺の人たちだと思うんですよ。
なぜ私がそう思うかって、あまり言いたくないというか言わない方がいいのかもしれないんですけど、私の母なんですよね。
私の母はお嬢様育ちで超エリートの超収入の高い私の父と結婚しているわけなんですけれども、ずっと専業主婦で何一つ生活に不自由することなく、今70代過ぎて高期高齢者ですけれども、私から言わせてもらうと完全に底辺なんですよ。
社会的な階層や収入という意味では、暮らしぶりという意味では豊かですし、大きな家と潤沢な老後資金で安泰で上流と言われるのかもしれません。けれども娘の私から見たら、もう本当にマインドが底辺としか言いようがないんですね。
母はそういう時代に生きて、そういう家庭で育てられ方をしたから、ああいう考えで、ああいうマインドになってしまったんだという環境ですとか、そういうことで理解はしますけれども、でもね、もう70歳過ぎているんですよ。
私は本来は30歳ぐらいで、どんなに遅くても40歳過ぎたらですね、もうね、環境とかね、ましてや親がどうだったからとかね、もう言い訳にしか過ぎないと思うんですね。
母は若い頃ですね、父が企業戦士でしたから、家庭を帰りみずにちょっと大変だったということはあったみたいなんですけれども、それをですよ、いまだに、あんなお父さんと結婚したせいでどうのこうのですとかね、いまだに、死ぬまで多分言い続けてるんですよ。
私はやっぱりそんな母を見ていて、自分で自分を幸せにできるのは自分しかいないよねって本当思ってるんです。
母はおそらく世界中の誰と結婚しても幸せにはなれなかったと思います。そしてどんなに素晴らしい子供を産んだとしても幸せにはならなかったと思います。
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なぜなら幸せっていうのはその人の置かれた状況とは関係がないからなんですよ。その人の物事の見方、世界の捉え方、その人の心の在り方だと思うからなんですね。
夜と霧という書籍、ビクトール・フランクルさんという方ご存知でしょうか。1905年から1997年まで生きていらっしゃったオーストリアの精神科医の方ですけれども、ナチスドイツのホロコーストから奇跡的な生還を果たしたユダヤ人なんですけれども、
その方の名言にですね、あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分の在り方を決める自由であるという言葉があるんですね。
その夜と霧という書籍の中の有名なシーンがありまして、アウシュビッツ収容所の本当に過酷な極限状態の強制労働を強いられている状況の中で、食事もほとんど与えられず、ものすごい寒さの中で、
やっぱりもう皆さんね、精神的に病んでいって、本当に死を選んでしまったり、本当に頭がおかしくなってしまう人がほとんどの中、ふと見上げたときに、ものすごい美しい夕日が見えたんだそうなんです。
それを何人かの人たちがですね、本当に美しいと幸せを感じたっていうエピソードが書かれてるんですね。
私はこれはすごい話だと思っていて、つまり地獄ですよ。地獄の中でも、その人の心の持ちを世界の味方によっては幸せをちゃんと感じられるってことなんです。
生きてるってことに感謝を感じられる心を持ってるかどうか、私はその心をですね、完全に失ってしまった人が底辺じゃないかと思うんです。
もう一人ですね、ちょっとわかりやすいケースとして、ちょっと私が思い出したのが、坂口強平さんという方、あんまり知らない方多いかなと思うんですけど、
ゼロ円ハウス、ゼロ円生活っていう書籍を昔出されていて、段ボールハウスで生活している方、そういう生活をヒントに、ちょっととっても面白いですね。
ちっちゃな色型の家を自分で作って、いろいろ活動されている建築家さんみたいな方なんですけれども、その方の書籍にですね、墨田川沿いにホームレスで生活をしている鈴木さんという仮の名前の中年の男性が出てくるんですね。
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その方は空き缶を集めて監禁したお金で生活をしているんですけれども、世の中から見たらですね、底辺もいいところなわけですよ。ところがこの鈴木さんという方、ものすごく尊い方なんです。
この方は私から言わせてもらうと、底辺でもなんでもないですね。もう一流、表現がわからないですけど、とにかくこの方がもうまさに底辺ではない、私から言わせると母とは真逆の人だと思います。
自分の人生をちゃんと自分の足で生きていて、自分を自分でちゃんと認めていて、自分を本当に大事にされていて、今の生活、今の自分の環境、幸せを感じていて満足していて、自分の人生を誰のせいにもしていないんですね。誰と比べることもしていないんですね。
そういう鈴木さんという方をですね、底辺という人こそ私は底辺だと思ってしまうんです。収入ですとか学歴ですとか、階層とかそんなことじゃないんですよ。他にもですね、お名前は出さない方がいいと思いますけど、元首相のいろんなおじいさんたちいますよね。
そういう方々、相当な資産をお持ちでしょうし、人脈も社会的資本も立派で、学歴も、有名大学卒業で、申し分のない上流階級に所属する方々ですよね。
ですけれども、私の中ではですね、人の容姿だけで何かね、言ったりですとか、デリカシーがなく女性に対して失礼な発言をしたり、それこそですね、相手を学歴など、地位など、階層などで見下したりですね。
そういう政治家さんというんですか、そういう方がどんだけ社会から見て上流と言われる階層に所属していても、私はやっぱりそのマインドが底辺だということで、私はその方は底辺だと思うんですね。
いつも心に底辺をという、ちょっとキャッチコピーみたいなのを中村敦彦さんがおっしゃってるんですけど、それはどういう意味かっていうと、私はつまり初心を忘れないってことだと捉えてるんですね。
あの頃を忘れないとか、感謝を忘れないっていうことだと思ってるんです。
私自身のことで言えば、やっぱり2011年の東日本大震災の時ですね、やっぱり本当にもう電気もつかず、家もぐちゃぐちゃで、食べるものも飲むものも本当にやっとかき集めて、
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本当に世界で一人ぼっち、長く付き合った人ともお別れした直後で、本当に寂しくて、孤独で、不安だったんですけれども、やっぱりあの時、電気が通った時ですよね。
本当にホッとしたし、すごいありがたいなって思ったんですよね。電気って本当にこうやって明るくなるだけで、人って安らぐし、やっぱりその後ですね、今の夫と出会えたことも本当に私はありがたかったなって思ってるんですよ。
一緒に生きていけるパートナーと出会えたということを、本当に孤独でしたからね、あの時はね。あとやっぱり娘が生まれた時ですよね。本当に妊娠の経過中でも本当に心配でした。
娘がまた無事生まれてくるかなとか、無事生まれてきたら来たでですね、本当あの申請時期って息してるかなとか、本当ちょっと動かしたら骨折れちゃうんじゃないかなみたいな、本当にもう心配で、毎日今日も無事生きてるみたいな。
おっぱいあげても泣き止まないし、もうしょっちゅうおしっこだのうんちだのって、もう本当に大変だったわけですよね。歩いた、立った、喋ったって言って、もう本当に成長を喜んできて。
なんですけど、以前にもお話しした通り、私、うちの次女はですね、重度の食物アレルギーがあってですね、これも食べられない、あれも食べられない、何をこの子に毎日食事を与えていったらいいんだろうって、本当に途方にくれてですね、みんなと同じようにね、食べられるようになってほしいなんて言ってですね、いろいろ練習しようとしたり、やっぱりいろんなお出かけ先が限定されてしまうんですよね。
そういうことに、もうね、やっぱりこの子が食べられたらこんなところにも行けたのにとか、こんなこともできるのにとかね、いちいちいちいち、今思えばできないこととか、自分の不幸なことっていうんですか、満たされていないことにばっかり意識を向けてですね、マインドとしてはもう底辺に近いような時代もあったなと思うんですよ。
でもね、2回、次女は命を落としかけたことがあるんですけれども、それを経てですね、私も今日生きてる、それだけでも十分って思えるようになった。
何が食べられなくても、どこにお出かけできなくても、今日こうして次女が今日も元気で生きてると、楽しそうに生きてるって、それだけで本当に感謝なんですよ。
今こうして雨風しのげる家があってですね、食べるもの飲むものに困らずにですね、電気も普通に使えて、家族が今日もちゃんと元気で揃っていて、もうそれだけで本当に幸せだし感謝です。
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毎日ね、日常生活に流されてるとついね、不平不満みたいなのが出てきてしまうと思うんですよね。
でも、いつも心に底辺をっていう言葉は、私は東日本大震災のあの当時の自分、本当に電気も使えない、もう食べるもの飲み物もやっと、本当に孤独。
そういうあの時代のことを私はやっぱり忘れちゃいけないし、子供がね、何かもう言うこと聞かないでとか、何かあったとしても、生まれた時のこと、本当に生まれてきてくれただけで嬉しかったこととか、
自助がね、本当になかなか旅行とか外食とかできないことにちょっと、もうとかって思ってしまった時はやっぱり、自助が病院でね、本当に危ない状態だった時、あの姿を思い出して、改めて今の状況に本当に感謝する気持ちを忘れたくないなと思ってますし、
母のようにですね、自分の幸せに気づけない人、今の自分の状況に感謝できない人、私から言わせるとまあそれがマインドが底辺ということですけど、そういうところには落ちたくないし、そういう人にはなりたくないって本当に思うんですよね。
というわけで今日は、中村敦彦さんのおっしゃる底辺という言葉、私はやっぱり収入とか学歴とかポジションとか社会的な階層とか、そういう能力とかそういうことではなく、やっぱりマインドのことだよねってやっぱり思ったっていう話と、
要は自分の幸せに気づけない人のことだよねっていうことと、もう一つそのいつも心に底辺をという言葉がありますけれども、それの意味は私は初心を忘れない、感謝を忘れない、大変だったあの頃を忘れないという、そういう意味で自分としては捉えて、これからもいつも心に底辺を持って生きていきたいなと思っているという話でした。
皆さんはどのように底辺という言葉を捉えていらっしゃるでしょうか。
ちょっと事情のことを思い出したりするとちょっと胸が詰まってちょっとお聞き苦しいところがあったかと思いますけれども、
ちょっと取り直すのもちょっと恥ずかしいですけども、このまま聞いていただきたいと思います。
お聞きくださりありがとうございました。また次回お会いしましょう。いいね、フォローお待ちしています。
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