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こんにちは、おあです。三次子育て中で、小学生の娘二人は、ホームエデュケーションを選択しています。
今の学校教育に疑問を持っている方や、今の学校には合わないけれど、代わりとなる教育がなくて困っている方と一緒に、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
第88回目のきょうは、【絶望を分かち合うという希望】というテーマでお話ししていきます。
以前、第76回目の【告知会・読書会と哲学対話へのお誘い】という放送などでもお話ししているとおり、毎月第2金曜日の午前中に、教育に関する読書会を行っています。
今年度第3回目の集まりが先週ありまして、今回は第82回の放送でもご紹介している下村さんに先生もご参加してくださいまして、それはそれは早々たるメンバーが集結しました。
まるで鬼滅の刃の中合会議かと思いましたね。私たち以外、全員元教師で教育関係者の方々で、本の紹介とかは実は話のネタに過ぎなくて、集まる口実に過ぎなくて、ただただ今の学校について教育について様々な立場の者同士で率直に語り合う場が欲しいということで
今回はメンバーがメンバーでしたので、一から一人一人にも自己紹介の時間をたっぷりとりまして、どんな思いでこれまで教育に携わってこられたのかという思いも含めて語っていただきました。
全部で1時間ぐらいかけてですね、全員の自己紹介を改めてしていただいたんですけれども、私はその自己紹介を聞いているだけで胸がいっぱいになってしまったんですよね。
もうね、どの先生方も本当に自分の目の前のお子さんに本気で向き合ってこられたんですよ。もうその思いというか重みすごかったんですよね。もう一人一人にもう歴史あり、もうストーリーがあり、もうみんな違う体験をしてきてます。
なのにその根本にはなぜか共感する共通する部分があるんですよ。私はその先生方のお話の何にこんなに感動しているのかっていうのをちょっと考えていましてですね。
まあちょっと今日はその話をしたいんですけれども。
もう多分ね、一つ思ったのはみんなそれぞれ傷ついてきたんじゃないかなって思ったんです。
まあ一言で言えば学校教育というものですね。今日も競争社会というような競争原理というようなものにみんなそれぞれいろんな体験を通して傷ついてきたんじゃないかなって。
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私がここで言っている学校っていうのはもうそれは象徴なんです。
古い体質ですとか価値観ですとか権力ですとか圧力っていったものの象徴を私は学校という表現で使ってるんですね。
でそれを何とかしたいってもうそれぞれみんな一人一人現場で素手で戦ってこられた歴史だったんですよ。
でそれを通してもちろんできたこともあったけれどもできなかった。叶えられなかったこともたくさんお持ちなんですよね。
その痛みって言うんでしょうかね。悲しみみたいな傷みたいなの。
傷を負いながらも今日やっぱりねこうやってここに集まってこられている先生方っていうのはおそらく根底では本当は誰も諦めていない方々なんですよ。
私はそれに胸を打たれたんだなってわかったんですね。
ここまでこんなに皆さんが現場で頑張ってこられてもう傷をたくさん負ってこられたのにそれでも諦めていないってことなんですよね。
だからこんなどこの馬の骨ともわからないね。
既存の学校に見切りをつけてもう学校教育をボイコットしているようなアダーキストの親子の集まりに来てくださっているんだと思ったんです。
そのことに私はねむしろ希望を抱いてしまって。
なんかねだってねわざわざ時間を割いてですよ。
もう今の時代いくらでもLINEとかね青年室でこと足りるわけです。
人と直接会わなくたって対面しなくたって何でも情報を取れますしなんか話そうと思ったら話せちゃうわけですよ。
もう人と直接対面するなんてね。
人と人とは会ったこともない人同士で集まるなんて面倒なことでしかないはずなんですよ。
時間も労力もかけてね足を悪くされている方も多かったんですよ実際。
しかも暑い日でした。
そんな中でもそこまでしてこの場に来てくださって直接会って語り合うっていう時間を作ってくださっていることに私はやっぱりものすごい価値と希望を感じたんですよね。
この時間この場はねどんなにお金を出したって買えない尊い場なんです。
私は先生方お一人お一人のストーリーを聞きながら大げさじゃなくて今この瞬間もう私の夢が叶ってるんだなって思ったんですよ。
私は地域であらゆる立場の者同士が対等に語り合える場が欲しいとずっと願ってきたんですね。
そういう自分がずっと望んでいた場がもう今ここにあるって本当に感謝しかないなって心からありがたい時間でした。
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ものすごい勇気ももらいましたしものすごいエンパワーされましたね。
本当に感動していたのが金曜日でね今度は昨日月曜日ですよ。
これまたねすごい人に出会ってしまいましてですね。
本物の生きる煉獄さんですね。
鬼滅の刃の縁柱煉獄強二郎ですよ。
出会ってしまいましたね。
もう別にその方は煉獄さんほど目に見えて熱く燃えているわけではないです。
ただねもう心の奥に青い炎を燃やしていらっしゃる方でもうザ・ブルーハーツって感じだったんですね。
もう漢字の漢と書いて男ですね。
もう自分の住む地域にこんなすごい人がいたのかと。
もうねこれで3人目なんですよ。
過去には第68回目のダレバス問題から考える運命の相手を見つける方法なんかで話した60代70代の名だたる企業を渡り歩いてきたもう美しき女性がいらっしゃるんですけどね。
もう一瞬でその物事の問題の本質っていうのをズバッと見抜いてスパッと切るような方なんですけどね。
それがまあ一人目。
もう一人はですね以前ちょっと広報誌の取材でお会いしたことのある児童養護施設の施設長を務められていらっしゃる方でもうその方もね本当に熱い方でした。
で昨日会った方はある保育園の園長先生を務められていらっしゃる方なんですけどね。
もうその3人に共通するのは器が半端ないっていうのはあるんですよ。
もうやっぱ器のでかさっていうのは私は経験の幅だと思ってるんですけど思いっきり振り切った過去を持っていらっしゃるんです。
両極端まで行って帰ってきた方なんですよね。
熊谷新一郎さんってご存知ですかね。脳性麻痺で車椅子の小児会をされている方で今は東大の準教授もされていて当事者研究なんかでも有名な方なんですけどね。
その方が言っていた言葉で今まで自分のせいと思っていたことが社会のせいって思うステージが来ると。
で一旦その時全部社会のせいだって振り切っていいんだって言ってらっしゃるんですよ。
でそうやって振り切ったからこそ世界が変わるんだっていうようなことをお話しされていてむしろそこを通らない限り嘘くさいっておっしゃっていたことがありましてね。
私本当にこの言葉が好きでですね。
またその同じ熊谷新一郎さんの名言というか言葉で絶望を分かち合うという希望という言葉があるんですよ。
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私はこの言葉を思い出したんですね。
私が地域で昨日の方含めて3人のいわゆる煉獄さんですか柱ですかと出会って共通するなって思ったのはやっぱり一度はとことん端っこまで突っ走ってきた人なんですよ。
そういう方の言う戦う必要はないっていう言葉の重みですね。
戦うことを最初からしなかった人戦うことを恐れて逃げていた人戦うことは悪いことだからと戦わないでみんな平和で最初から仲良くやっていこうよっていうような人が言う戦う必要はないという言葉とは全くその価値とか重みが違うんです。
それは絶対伝わっちゃうものなんですよ。
3人とも前回の読書会に来てくださった教員の方々もみんな戦ってきた人なんだなって。
その上で戦う必要なんてないからねって言ってくださるんですよ。
私がここ数日ね地域の柱ですね。立ちと会ってそういう方々の言葉をいただいてですね。何か今言いたいことがあるとしたらもし今何か生きづらさを抱えているような方がいらっしゃったら一旦それ社会のせいにしてみませんかってことなんです。
世間的にはね社会のせいだとかね誰かのせいだとかってね騒いでるのって最初から中央にいようとする人とかバランスばっかり考えている人から見たらね子供じみてますし頭悪そうだし左翼っぽいしクソフェミっぽいし世間知らずっぽいし多色思考な奴は成長しないみたいにバカにされるんだと思うんですよね。
でもねそんなこと気にしなくていいなってボカーンと真逆に一回振り切ってみるとガバーって一気に視野って広がるんです。
それが必ずその人の人間の幅器のデカさになると思うんですよ。
そこまでねやっぱ端っこまで行ききってようやく本当の真ん中っていうのが見えてくるんじゃないかなって私は思うんですよ。
自分のせいでも本当はねなければ社会のせいでもないっていうところに行き着くためにも一回全部世の中のせいみたいにしちゃっていいんじゃないかなって。
そのことをねバカにする奴がいたらそれは逆に誰とも真剣に戦ったことがない奴なんじゃないかなと。
私もねこのチャンネルもねいろんな社会にいろんな問題ありますよね。
もう一回全部学校のせいだって言いませんって言いたいなって思ったんです。
もう仮想的でいいんです。多色思考でいいんですよ。
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不登校の問題もね。
未だに子供が学校に行きたくないって言うとね子供に何か問題があるんじゃないですかなんて言ってね発達検査を受けさせたりですね。
私の子育て方が悪かったのかしらってカウンセリングを受けたりでオロオロしている方が多いわけですよね。
子供のせいでもないしお母さんのせいでもないです。
もう全部学校のせいですってしてみません?
全部まず学校のせいにしてみてくださいと。
もう多色思考で構いませんと。
自分たちを責める必要なんて1ミリもありません。
一旦全部学校の責任にしてみて。
そこまで振り切ってですね。
初めて見えてくる本質がって思うんですよ私。
自分の今のね生活が辛かったら自分の人生が苦しかったら1回誰かのせい、親のせいでもいいです。
学校のせいでもいいです。
この日本のせいだでもいいですよ。
男たちのせいだでもいいしクソジジイのせいだでも段階ジニアのせいでもいいですよ。
もう一旦思いっきり全部何もかも人のせいにしてみたほうがいいんじゃないかなって。
そこを通らない限りね見えてこない世界ってやっぱあるよなって思ったんですね。
とことんそうやって極端な端っこまで走り切ってですね。
戻ってきた者同士が再会した時にしんりんと静まり返るような深い希望みたいなのを感じるんですよね。
熊谷真一郎さんの言葉を借りれば絶望を見てきた同士だからこそ繋がれる通じる言葉があるって思うんですよ。
私も今回ねそういう地域の煉獄さんたちに出会ってですね改めてなんかみんなねバランスバランスって言うけどいいよバランスなんか取らなくたって最初から中央なんか最初から狙う必要ないなってやっぱ思いましたね。
もうそういう人たちがもう端っこまで行き切ってですね戻ってきた時のその言葉の重みとかその人間力っていうんでしょうか器のでかさってもう半端ないなと思ったんですよね。
でもやっぱり今回ねこんな私たちのね小さな読書会に参加してくださった先生方にも本当にもう心から感謝の気持ちでいっぱいですし
次回もね一応ですね7月12日金曜日の10時から次回これからの学びのあり方を考えると読書会というのは東京多摩地域の方ぐらいしかね直接には参加できないと思うんですけど
もしお時間ございましたらご参加いただければと思います。
またそれとは別にですねその前の週ですね7月6日の土曜日の14時から15時半にですね今回は自分らしさってどういうことみたいなテーマで哲学対話の回というのを行います。
こちらは市の職員の方にバックアップしていただいて男女共同参画センターで行いますのでこちらも無料ですのでね
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どなたでも東京多摩地域の方に限らずご参加いただけますのでご興味ございましたらレターなどお寄せいただければ詳細ご案内できるかと思います。
今日もお聞きくださりありがとうございました。また次回お会いしましょう。いいねフォローお待ちしています。