1. LIFE UPDATE │ YOHEI HAYAKAWA
  2. 【#271】「自由ってなんだろう..
2025-12-03 46:42

【#271】「自由ってなんだろう?」金井真紀さん(文筆家・イラストレーター)前編

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▼著書『テヘランのすてきな女』を手がかりに、イラストレーター・文筆家の金井真紀さんが語る、“聞き書き”と“旅”の原点。

相撲をきっかけに訪れたイラン。抑圧のイメージが先行するこの国で出会ったのは、制約の中で生活を謳歌する、しなやかでユーモアに満ちた女性たちの姿でした。

40歳で「面白いことだけで食べていけるか」実験を始めた金井さん。その人生の転機や、異国で出合った“自由”のかたちを通して、ぼくたちの「当たり前」を静かに揺さぶってくれます。

イランで聞いた「アフガニスタンの人から見ればイランは自由」という言葉の意味とは──?


▼インタビュー後編

【#272】「役目が終わったら森に帰る」 12/10(水) 7時配信予定


▼ゲスト略歴

かない・まき/1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『世界はフムフムで満ちている 達人観察図鑑』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。


▼『テヘランのすてきな女』(晶文社)

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▼インタビュアー略歴

早川洋平(はやかわ・ようへい)/1980年横浜生まれ。中国新聞記者等を経て2008年起業。羽生結弦、吉本ばなな、髙田賢三、ケヴィン・ケリーら各界のトップランナーから市井の人々まで、国内外分野を超えてインタビュー。13年からは戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』等メディアプロデュースも多数。


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サマリー

文筆家でイラストレーターの金井真紀さんは、自身のバックグラウンドや生活、執筆活動について語ります。特に、最近の旅行や異文化交流の経験を通じて、作家としての視点が深まる様子が描かれています。金井真紀さんは相撲を通じてイランの文化を探求し、女性相撲選手の存在やイランにおける反スカーフデモの現状について話します。このエピソードでは、相撲の国際的な側面と文化的な視点から自由の意味が問われています。金井真紀さんはイランの文化や人々の親切さについて語り、特に女性のサッカーに関する現状を掘り下げます。また、イランの自由やイメージについての誤解についても考察します。金井真紀さんはイランの文化や自由の概念について語り、特にアフガニスタン移民の視点から見たイランの自由について考察します。彼女は、制約の中でも生活を楽しむ人々の姿や、自由の感じ方が国やバックグラウンドによって異なることを示唆します。金井真紀さんは自由の定義について内的および外的要因を考慮し、個人の環境や制度が自由に与える影響を探ります。

金井真紀の紹介
さあ、今日はですね、文筆家でイラストレーターの金井真紀さんにお話を伺います。金井さん、よろしくお願いします。よろしくお願いします。
今日はですね、横浜港未来の収録ブースに来ていただいたんですけど。はい、ありがとうございます。金井さん、横浜港未来を含めて来ることってあんまり普段ないですか?
普段あんまりないんですけど、昔、本当に昔なんですけど、中華街に生まれ育った中国語の先生がいて、大好きな先生がいて、その周りにいる人たちも大好きで、自分がすごい若い時にその人たちも大人だったんで、よく遊んでもらってたんですよね。
すごい今日も横浜桜木町で降りて、久しぶりだなぁと思って、その先生も亡くなっちゃったんで、それも含めて懐かしいなぁと。そうなんですね。なんかそれだけでまた一冊書けそうですね。本当ですよね。
今日はですね、いろいろね、お話聞いていきたいんですけども、金井真紀さんといえばですね、ちょっとプロフィールをあえて読みますね。よろしくお願いします。
1974年、千葉県生まれ、文筆家イラストレーター、長所にパリの素敵なおじさん、世界はふむふむで満ちている。聞き書き世界の作家、ミニ、日本に住んでる世界の人、おばあちゃん猫でテーブルを拭きながら行った、世界ことわざ聞こうなど多数、多様性面白がるを任務とする、難民インフェス実行委員ということでですね。
今日いろいろお話伺っていきたいんですけども、今日はね、これ最新刊になるんですか?そうなんですよ。またね、次出そうですけど。またまたしてるんです。いやいやいやいやいや。またまたってことは多分ね、いっぱいお話、もう執筆中なのかなと思うんですけど。
小文社から2020年、去年ですね、リリースされたテヘランの素敵な女ということで、主にね、この本にフォーカスして上がっていきたいんですけども。その前に、前段長いんですけど、やっぱりね、もう金谷さんといえば、もう海外にしょっちゅう行ってるイメージ。
イメージ、はい。あって、今回もですね、アップ取らせていただく際も、また海外ちょっと行ってきますって感じだったんで、どちらへ行かれたんですか?最近はブラジルとエチオピアに行きました。そうなんですね。それはお仕事?仕事になるといいなって。すごくわかりました。わかります。同じですよね。そういうスタイル。そういうスタイルですね。仕事になるのを待ってたら一生いけないんでね。先走った方がいいですね。
もうちょっとだけ言える範囲でいいんですけど、なるといいなだけど、ブラジル、今日メインじゃないですけど、ちょっと行ったきっかけというか、行って何をされてきたのか。ありがとうございます。
最近その日本に住んでる、難民移民フェスってお祭りをちょっとやったりとかしてることもあって、日本に住んでる難民とか移民の人たちの友達がすごい増えたんですね。アフリカから来た人とか東南アジアとか南アジアとか南米とか中東とかいろんな国の人いるんですけど、中東はちょっとないかもしれないんですけど、アフリカとか南米とか東南アジアの人とかが、あのキャッサワってわかります?
キャッサワ芋みたいなの、みたいじゃなくて、あれをごちそうになりに行くと、ご飯作って、まずアフリカの友達だったんですけど、キャッサワ料理を作ってくれて、最初なんか珍しいと思って、こんなんどうしたの、輸入したのかなとか思ったら、そうじゃなくて、もう日本の移民の人たちは、結構キャッサワ育ててる人、日系ブラジル人の人とかもキャッサワ畑で作ってたり、それも流通してて、
いろんな国の人たちがそれで料理をしててですね、日本人である私は知らなかったのに、もうすでに日本の愛知県とかの日系ブラジル人とかペルー人とか多いような団地とかだと、そのスーパーだとキャッサワ売ってるんですよね。
新大久保にも売ってるんですね、東京だったら。なんかちょっと偶然興味が出てきて、キャッサワを追いかけたら、なんか移民の歴史っていうか、いろんな姿が見えるのかなとか思ってきて、騒いでたんですよ、キャッサワキャッサワってこの1年ぐらい。
そしたらブラジルのパラー州っていう、ブラジルの中で一番北のアマゾン川とかの河口のところにある州があって、そこでブラジルのみんなどこでもキャッサワ食べるんですけど、そこのキャッサワ文化がすごいとかって、そこに住んでる人から連絡がきまして、絶対来た方がいいって言って、これ以上話すとキャッサワトークが延々と続くので、みんなちょっとついていけないというか、辛いと思うんで、
あれですけど、本当に細かいキャッサワの食べ方とか、加工の仕方とかがあって、それ見に行ってどうするんだって話ですね。
じゃあそれを見に行ってきて、行くのが一番の目的でした。じゃあ行ってきて、今、素材としてもたくさんあって、それでも誰も興味持たないじゃないですか。
言っていることはチャンスってことじゃないですか。僕が言うと社会説法になっちゃいます。世界はキャッサワでできているか。そう思うんですけど。
なるほど、じゃあそれでブラジル行って、ブラジルとエチオピアって近いな。意外と南米から。
ブラジルに行こうと思って、初めて行ったんですけど、ブラジルに。
一番多い民は、アメリカ合衆国経由の民が一番検索すると出てくるんですけど、私はこのテヒラの本のおかげもあって、イランに何度か行っていて、
イランに行くとアメリカ合衆国入りづらいんですよね。エスタが取れないんですよね。2年間とか。
なんでアメリカ合衆国に行けないんで。そうか、イランファーストで考えると。
もうすぐに入れないんで、それでアメリカ合衆国を踏まずに行く方法を考えて、安い方法を見てたらエチオピア航空っていうのがあって、
エチオピア経由でブラジルに行ったんですけど、トランジットだけでね、アフリカに失礼かなと思って。
アフリカ今後ちょっと色々開拓していきたいってラジオとかでもおっしゃってましたよね。
そうなんです。だからちょっと帰りに寄ってゴロゴロして、それで帰ってきました。
執筆活動と学び
なんかちょっと本編入るのが悪いですよ。エチオピアってなんかちょっとモンジャ焼きみたいな、ちょっとここでラジオで言うのもアレですけどね、
ちょっと一見日本人にはかなりきついみたいな。
言ったことありますか。ないんですけど、それがね、昔誰かの本で読んで結構。
インジェラティね。食べました?
もちろん食べました。どうでした?
美味しいですよ。なんかちょっと発酵してるので、酸っぱいとかね。色もちょっとクレープとかの白い感じに似てる。形状はクレープとかに似てるけど、色がちょっと何て言うか、ネズミ色っていうか、そういう感じなんで。酸っぱいんで、ちょっとびっくりする人いるかもしれないです。
金谷さん最初から大丈夫?
大丈夫です。美味しいです。
絶対みんなが悪口言うんですよ、あれをね。
いや最初からね、だからもしかしたら変なの食べちゃうとあれだけど、普通に現地で食べる分には美味しかった。
そうなんですね。じゃあちょうどブラジルHOPから帰ってきて、今、もう1週間ぐらい、もうちょっと経ちました?
帰ってきて、そうですね、1週間ちょっとです。
時差ぼけ結構ひどかったんじゃないですか。
そうですね、いまだに昼寝して暮らしてます。
じゃあ今眠い時間かもしれない。
いやいや、幸い昼寝できる商売なんで。
本編になかなか入れないんですけど、やっぱり今プロフィールでもね、拝見したんですけど、ここには出てないんで、僕の情報が間違ってたらすいませんなんですけど、
金谷さん、学習院大学、日本語学部、日本語学科、出られてますよね。
そもそも、なんでこの学部、学科だったのかなって。これも話す長くなるかもしれないですけど。
私とにかく落ちこぼれてまして、10代の頃すごいいじけた人生で、自分に得意なものも何もないって思って、20代、30代までだいぶ長くそう思ってたんですけど、特に10代の頃そういう感じで、
だからなんか、これをやりたいとか、この学びたいとかっていうのがぼんやりしてまして、あまりなくって、唯一国語が好きだったんで、科目で言うと。
今やり直せるなら違う学問を習いたいなっていうのがあるんですけど、文化人類学をやりたいんですね。
納得ですし、それまたちょっと一言で言えないかもしれない。なんでですか。
そういう学問があるとか、昔の自分に教えたいですよね。
大人になったから知りますよね。
15歳ぐらいの自分に、そういうすごい面白い学問があるから、ちゃんと語学を学べとかって言いたいけど、ほんとぼんやりしてたんで。
それでそこの日本語日本文学科に行ったんですけど、でもその最初に話した中国語の先生もその大学で出会って、すごいその先生の影響を受けたんで、
それも良かったですし、結果すごい良かったです。それでその卒論が、草野新平っていう詩人だったんですけど、
ちょっと流れ流れて、破書っていうと、それで昔草野新平さんが作った酒場を訪ねてて、そこのまま見習いをやることになったんで、
全部そういう繋がりがあるんで、結果良かったんですけど、その時はどうしてもそこで何かをやりたいと思って行ったわけじゃないんです。
今の話でもやっぱりあって、少し酒場の話も出てきましたけど、やっぱりすごいなって思ったのと、
僭越ながらというか、僕今45なんですけど、金井さんがやっぱりそのね、酒場閉店して40歳の年末、
41歳で文筆家で、いろんなところで見ましたけど、本当にすごいし、ちょっと夢がありますよね。
そうですよね、そうです。
ご本人はその当時どういう心情だったのかっていうのもまた別かもしれないけど。
そうですね、だから本当に遅く始めたんで、夢というか、言いたいですね。
もし今ちょっとこう、うまくいかないとか何したらいいかとか、いじけた気持ちの10代、20代、30代の方いたら、
いやいやそこで終わりませんよと、展開してきますよってことをお伝えしたいです、本当に。
何かの本で読んだんですけど、5本最初の本出されたのもつまり40代からで、ご友人から30代で本はみたいな。
そうですね、20代の先輩で、編集者の先輩がいて、20代で自分の本出せよとか言われて、
終わり20代が過ぎて、30代でって言われて、30代もすぐ過ぎて、本当にぼんやりしてた。
いやでもそのぼんやりが今生きてるわけですよね。
そうですね、そうです。
そのあたりもまた次回ね、もしゲストが来てくれたら詳しく伺いたい。
はい、早川さんのあれも聴きたい。
ストーリーがあるんですけど、
今日ね、このテーナの素敵な女にフォーカスしていきたいんですけど、この本はそうすると何冊目になるんですか。
ごめんなさい、わからないですけど。
いや、性格じゃなくていいですけど。
でも10冊ぐらい出してるとおっしゃってたんで、10冊目ぐらい。
教書とか、絵を描かせてもらっているとか、そういう本もあったりするんで、
ごめんなさい、ちゃんと数えてなくて、10冊ぐらい。
こちらがリサーチしてないんでごめんなさい。
よくわかんないと思います、たぶん数え方がね、わからない。
そんな中で2020年に出たんですけど、
相撲への情熱
そもそもこの本を本当に書いたきっかけというか着想があったのか、誰かとの出会いがあったのか。
ありがとうございます。
本にも出てくるのが相撲なんですよね。
私はそもそも日本の大相撲を見るのが好きで、今日も場所中なんで今。
そうですか、失礼しました。場所中にアポートしちゃってすみません。
大丈夫です。そわそわね、場所中になるとそわそわする中学生だったんですけど。
それで、見るだけですもちろん、見るのが好きだったんです。
お相撲さんを見るのが好きだったんですけど、それが講じて、
やっぱり相撲好きの先輩のライターの和田静香さんという方と一緒に世界のお相撲さんという本を書いたことがあります。
その本の取材の時にアマチュア相撲の世界大会みたいなのを取材したんですけど、
そこに世界中のアマチュアの選手が女性も男性も来て大会をするんですけど、
それを見に行った時にイラン選手団も来てまして、
とにかくそれだと女子相撲の選手がすごい素敵なんですよね、世界中から来て。
日本だと女の子が相撲するなんてっていうのがあるけど、
あんまり他の国だとそういう、逆にバイアスがなくて、男のものっていうのもあんまり持ってなくて、
みんななんか面白いとかっていう感じの女の子たちも相撲やってて、
それでそれを興味があって取材したんですけど、
イランからは女子は来てなくて、男性の選手だけが来てたんですけど、
その人とお話ししてて、さすがにイランは女子相撲はないですよねって言ったら、
いやありますって言って、今日は来てないけど、国に帰れば女子チームがありますって言って、
その時にイランの男子選手が写真を見せてくれたら、
イランの女の人の相撲が、イランは女の人の髪の毛とか肌を見せちゃいけないので、
髪をスカーフで覆って、肌、長袖、長ズボンみたいなのをまず着て、
その上にまわしをしめて、相撲をやってる姿を見たんですよ、写真で。
それでそれ以来、なんだこりゃと思って、
日本人の感覚と相撲って裸でやるようなもので、女子選手はTシャツ着たりしますけど、
こんなに肌と髪を隠してまで、相撲をやってる女の人なんなんだと思って、
いつか行きたいなと思ってたんです。
イランと女性の自由
まさに想定の女性たちが。
そうです、そうです、相撲部の。
でもその今の文脈を伺ってなくて、俯瞰してみてると相撲って気づかなくて、結構馴染んでますよね。
そう、誰、何なのって感じですよね、この辺はね。
そうか。そういうふうに思いつつ、本当にイラン一回行かないかっていうのは、
また別の何かターニングポイントあったんですか。
ありがとうございます。
それで、以前また別のパリの素敵なおじさんっていう本を書いたことがあって、
その担当編集だった竹田さんという方なんですけど、
その担当編集の方が、会社その時ちょっと移られて、また新しいところに行ったんで、
そこで何か一冊作りましょうって声をかけてもらって、
何がいいかねって竹田さんと企画会議みたいにしてて、
なかなかいい案出なかったんですけど、
ふと思い出したのが、竹田さんってペルシャ語学科を出てるんですよね。
すごい、イランにいらっしゃった。
イランに留学したこともあって、
大阪外大かな、今は大阪大学になってますけど、
大阪外大のペルシャ語学科出てらっしゃる方だったんで、
この人にイランネタを振ったら、その企画が通るかもしれないと思って、
それで、実は私スモを見に行きたいんですよね、イランにとか言ったら、
竹田さんが、それは面白いなって載ってきてくれて、
ただし、どうせなら、金井さんもスモをやったほうがいいですよとか言ってきて、
さすが編集者だましちゃって。
本を読む人っていうのは、書き手が困れば困るほど嬉しいんですよって言ったんですよ。
すごい名言じゃないですか、これ。
確かに、確かに。
それで、で?と思って、その時私48歳だったんですけど、
じゃあしょうがないと思って48歳で初土俵を踏みまして、
すごい、年女にして。
それで、日本で女子相撲をちょっとだけ教えてもらったり、
スモ大会がたまたまあるっていうので、出させてもらったりして、
それで、イランの女子相撲の道場に、練習一緒にさせてくださいとか言いに行くっていうような、
スモ旅行記みたいな企画だったんですよ、最初。
だけど、こっちがスモをやってる間に、イランでは実は大変なことが起きていて、
それがその2022年の秋から、大体その年の暮れぐらいまでですかね、
一番盛んだったのは、反スカーフデモっていうデモが起きて、国中が、
その後もイラン、いろんなことがあったんですけど、
とにかくその年は、それで大変なことになって、
女の人たちを中心に、男性もですけど、路上に出て、
スカーフを強制されてるっていうことに対する反発なんですけど、
スカーフだけじゃなくて、いろんな窮屈な政治体制に我慢ができないっていう感じで、
デモをされてたんですね。それ、日本でも報道されてたんで、
こんなとこに行っていいのかなっていうのもありますし、
スモをやってる場合からみたいになって、スモだけじゃなくて、
スモも見たいけど、その女の人たちがデモをしてたんで、
デモの人も、デモに参加してる人も、参加してない人も、見守ってる人も、
もしかしたらデモに反対してる人も、いろんな人たちがいると思うんですけど、
そういう女の人たちがどう生きてるのかを、聞きに行ってみようじゃないかって。
この本にも、もちろん細かくその経緯も書いてあるので、またぜひ皆さん読んでいただきたいんですけど、
文化探求の旅
この方式自体もパリのおじさん方式?
そうですね。
これをわかんない方のために、解いてみるのも簡単に。
パリのおじさん方式っていうのは、パリのおじさんっていう本を書いたときは、
パリに行きまして、
ちなみに私はペルシャ語はもちろんフランス語も何語もできないんですけど、
フランス語できないので、フランス語の通訳の人がいて、
その人もおじさんなんですけど、その通訳兼パリでジャーナリストをやってる
おじさんと2人、日本人の男性のおじさんと2人で街をぐるぐる回って、
これぞというおじさんを見つけたらナンパして話し聞かせてくださいっていう、
そういう方式でインタビューしようみたいなのを作ったんですね。
それがパリの素敵なおじさんで、
その本の作り方も誰の話を聞けるかわからず言って、
すごいドキドキ、これで一冊できるのかっていう。
やっぱりカナエさん思ってしてもドキドキはするんですか?
いや、心調がありましたよね。
国境方式インプロビゼーションですね。
そうですよね。どんな人に会えるのかもわかんないし、
ただその時もその案内人のパリのおじさんが、
平岡さんって言うんですけど、平岡さんがパリにすごい長く住んでるから、
なんかこの界隈に行けばアフリカ人が多いとか、
この界隈はユダヤ教の品ごう具があるとか、いろいろそういうのを知ってたんで、
それでそのバリエーションを見つけるっていうか、
いろんな地域に連れて行ってもらって、
ナンバーして話聞くっていう方式だったんですけど、
そういう感じで、行き当たりばったりも含めて、
いろんな町の人っていうか、
市政の人で、それでいろんな職業のいろんな、
パリの場合はいろんな職業、いろんな出身地、いろんな宗教とか、
いろんな性的指向とか、そういうののバリエーションみたいなのを
意識しながらおじさんたちを見つけたんですけど、
イランの場合はそんな宗教とかあんまりバリエーションないか、
あとルーツもあんまりないかなとは思ったんですけど、
そういういろんな界隈、いろんな年齢の人たち、
町の人っていうか、すごい有名人とかじゃなくて、
そういう人たちの声を集めるっていうような方式というのが似てるんですけど、
ただパリと違ってやっぱりテーランでは、
そんな聞き込み、まず話聞かせてくださいっていきなり言って、
特に政治的なこととか語れないですし、
パリほど外国人もいないからびっくりするし、向こうも。
そういう、なかなかナンパが難しいというか。
いきなりフランクにみたいな、ちょっと難しいですね。
パリと仕込みっていうか、こういうどういう人がいるかって事前に、
こういう人に話聞きたいんですけどって言って、通訳の方とかに相談して、
そのつてとか、ここに行ってみようって言って、
ちょっと一回行って話を、様子を見てから声かけるとか。
ある程度あたりはちゃんとつけて。
そうですね、そんな感じ。
だからちょっとパリとは、結果は違ったんですけど、
本の作りは似てる。
この一冊できるまでに、
ここに出てるインタビュー自体は1回のテヘランで全部?
そうです。
その時のテヘラン滞在期間ってどこに行くんですか?
2週間。
すごい、2週間で。
しかも、ここに載せられなかった人もいるんですか?
わずかにいるかもしれないけど、ほとんど載ってますね。
そうなると、すいません、僕も数えてないんです。
私も数えてないです。
何人だろう。
でも、20人ぐらいは来てますね。
そうですね。
すいません、パッと見なんでちょっと間違ってるかもしれないですけど。
あと何か、病院に行ってとかだと、
美容師さん何人かとか、お風呂に行ったらお風呂の人とか、
だから一人にじっくりの場合と、何人かにまとめてお会いしてっていう時もありましたから。
やっぱり、金井さんの本全部面白いのはもう言うまでもないですけど、
僕はやっぱり今回、特にこのテヘランの症状のいろんなこともあったんですけど、
個人的な話で教えますけど、やっぱり海外行った時に、
たまにイランの人と、例えば2年前にアイスランド行った時に、
アイスランド温泉が水着で入るみたいなところで入ったら、
テヘランの出身の女性が入ってて、
すごい英語ペラペラで、ちょっと国際的な方だったかもしれないですけど、
すごいオープンで、
やっぱり、僕はちょっとイランとか怖いみたいなイメージがあったんですけど、
あれ全然違うな、みたいな感じで、すごくフランクで、
だったら、あれイラン面白いなって、
あとは、ユーネクストとかで、キアロスタミカの映画もちょっと見たり、
少しずつ印象変わったところで、さらに、
Apple TVでテヘランっていうドラマがやってて、
イランの人々の親切さ
何かメールくださったとか、私もあんまり知らないんですけど、面白いですか?
面白くて、ただイスラエルとの戦いで結構ガチなんで、
実はシーズン1、2すごい人気あったんですけど、
3が今、たぶん今の正常反映して、
なんか話止まっちゃってるみたいで、
それはちょっとどちらかというと政治的な話なんですけど、
そんなこともあって、あれイラン行きたいなーみたいな、
思ってた矢先に、
カナエさんがこれ書いてくださったんで、
すごく個人的に興味深く配読させていただいたんですけど、
実際、カナエさんも行く前と言ってから、
イラン、やっぱり行ってみて、
ある意味イメージ通りだったなってことと、
全然これ違ったわって、人にもよると思うんですけど、
でも、もしそれぞれ挙げていただけると、どんな感じですか?
私も本当に知識もほぼなくて、
皆さん怖いって思ってるのもわかりますし、
自分の中でも、
そうですね、どんな感じか。
政治状況もそうですし、
デモとかそういうニュースとか、
その時はまだイスラエルとのドンパっちゃなかったです。
古くからはあるでしょうけど、
周りのイランイラク戦争とか、
聞くワードがみんな暗いから、
そういうイメージですよね。
暗くて、人々が監視し合ってるとか、
そういう国ありますよね。
そういうイメージとか、女の人たちも窮屈で、
ちょんぼりしてるのかなっていうような、
勝手なイメージは確かにありました。
行ってみたら、
なんて言ったらいいんでしょうね。
アイスランドのお風呂で会った方も、
その一人かもしれないですけど、
本当にオープンな感じで、
そうですよね。ほがらかで、
親切っていうか、
これは中東とかに行かれたことある?
ないんです。
トルコとか行った方とか、
トルコの人がすごい親切っていうのは、
もし日本人がトルコに行ったときですね、
イメージある方いるかなと思うんですけど、
道に迷ってたら、寄ってたかって教えてくれるんだけど、
そういう意味で、やたら親切なんですけど、
あれがもっと親切になったバージョンっていうか、
イランはですね。
上位互換なんですね、さらにね。
本当にびっくりしたのは、
地下鉄で隣に座ってるとかだけで、
私が外国から来たお客さんだと向こうは思うんで、
うちにお茶を飲みに行きませんかとか、ご飯とか、
最初なんかちょっと意味わかんないじゃないですか。
公園で話しかけてきた人とかが、
今からうちにご飯を食べに来なさいとか、
バス乗っても、深夜バスみたいに乗っても、
その隣で会った人がたまたま、
でもこれイラン訪ねたことある人は、ほぼみんなこの目にあってて、
最初なんか下心でもあるのかなとか、
ちょっと警戒しますよね。
本当にそうなんですよね。家族がみんなでもてなすから来いとか、
ちょっとなんかやばいっていうか、
なんだろうと思うと、
イスラム教の人が旅人を神様というか、
親切にするという教えがイスラムであるらしいんで、
女性のサッカー事情
そういうのかなって、
それも一つあると思うんですよね。
マレーシアとか行っても本当にそんな感じだったんで、
モロッコとかもそんな感じでしたけど。
ただもう一つイラン人に聞いたのは、
中東のあたりの砂漠とかいうところで、
気候もそうなんですけど、
大昔から人が生き生きしていた場所だから、
いろんな顔立ちが、いろんな人たちが通り過ぎていくときに、
砂漠とかでお水いっぱいとかあげないと、
その人は死んじゃうかもしれないから、旅する人が。
だからもうそのもてなすみたいなのが染み付いていると。
もう数何万年前から。
そういうんですけどね。
でもなんか不思議ですよね。今の話が上がってるんですよね。
イメージ的にもですし、排毒しても、もちろん
回律が厳しかったり、まだまだそういう締め付ける、
ある意味クローズドなものがすごい強いんだけど、
国民性としてはオープンというか、
人にもよるんでしょうけど、やっぱり
基本的にはオープンな感じに受けました?
そうですね。一人じゃないんでね。いろんな人が
うちのお茶飲みに来なさいと、止まりなさいとか、
そんな感じなんで。
なんかもうでも、
ちょっと行ったら虜になっちゃいそうですね。
そうなんですよ。
その噂は聞いてたんですよ。
イランに行くと、本当にイラン好きになっちゃうよって。
聞いてたのはこれかって感じですね。
最近アメリカやっぱ物価高もあって、
アメリカもちろん好きなんですけど、7年ぐらい行ってなくて、
そろそろアメリカ行きたいなと思ってたんですけど、
さっきの金谷さんの話聞くと、今の感じだとアメリカ来て、
イラン行けなくなっちゃうんですよね?2年ぐらい?
イランに行くとアメリカ行けなくて。
アメリカ行ってもイランは行ける?
行けます。イラン行く前に一応大谷書編見て、
この国に用事ないなと思って。
もしアメリカも行きたいので、先に行っとけっていう感じだとね。
イランも多分何年かでいいんですけど、
いくつかあるんですよね。
この国に入った人はエスタが取れないってことなんで、
他の方でビザ取ればいけると思います、アメリカも。
そんなことも伺いつつ、
イラン行きたいなって思ってたんですけど、
いきなりですけど、
1年前に出た本で書いたのはもうちょっと前かなと思うんですけど、
いきなり、金谷さん今、ふと、
この本に書いた人の中でふと思い出すのは誰ですか?
この本に書いた人の中で、
この本に書いた人と、
その後お会いしてる人が何人かいるんですよね。
この本で終わりじゃなくて、
まだその後続きがあるんですけど、
その一人でいうと、この本に出てくる中で、
アーザムさんっていうサッカーの、
女子サッカーのアンダー17の監督で、
代表コーチですね。
代表監督と代表コーチとお二人出てくるんですけども、
イランでサッカー、この方ですね。
イランでサッカーすること自体、女性がサッカーすること自体が
すごい壁がある中で、
本人たちもどうしてもサッカーやりたいって思った少女時代があって、
それで、
結局第一世代で監督になってるっていうような人たちなんですけど、
このコーチのアーザムさんが、
今年ですね、今年の6月ぐらいに、
そもそもお会いした時から
おっしゃってたし、この本が出る前から、
連絡先交換してるんで、やり取りの中で、
日本の女子サッカーを学びたいっていうことをおっしゃってて、
日本の女子サッカーって、アジアの中では一番だし、
みんなが憧れていて、
この方たちも、アーザムさんも、
イランの10代の女の子たちを指導する、
方法がわかんないですよね、まず。
自分たちはやれなかった世代だし、
日本に行きたいってずっと言ってくれて、
この本ができたら、この本をサッカー協会の人とかに見てもらって、
この人が聞きたがってるって相談しましょうって言ってたんですよ。
実際本ができた後に、読んでくれた人とかが、
間をつないでくださったりして、
読んでくれて、福島Jビルに行って、
あそこに日本の女子の10代の女の子たちが住んでる寮があるらしいんですけど、
そこに入れてもらって、アーザムさんも、
2週間、3週間かな、
その指導を学んで一緒にされたんですよね。
だから今年の、
会ったんでね、すごい、その後もやり取りしてるし。
将来、イランがもっと女子強くなったら、
かなり貢献。
私関係ないけど。
そうなんですね。
でもあれですかね、男子はね、サッカー強いじゃないですか。
海外も結構行ってますけど、
さっきの相撲の話もそうなんですけど、
実際、今、急激なのか、もともとなのかわからないですけど、
女子のスポーツ、女性のスポーツっていうのは、
イランはどんな感じだったのか、今どんな感じなのか。
1979年の革命前は、
サッカーもやってたって話ですし、
スマホはやってないかもしれないけど、女の人も
ミニスカート履いてた、髪の毛出してっていう時代でしたんで、
いろんなことやられてたみたいですけど、革命で
女性が、そもそも
肌出したらいけないとか、そういうのもあるし、
人前で運動するっていうこと自体がもうダメだっていうことになって、
だからこのほうにも出てくるんですけど、
女の人が運動できる場所ってすごい男子禁制の公園みたいなのがあって、
そこに入ったらジョギングとかしても、女の人だけですね。
なるほど。
ジョギングしていいとか、プールとかももちろんね、
もちろん男女分かれてると思いますし、そもそも
そういう公園とかが運動できる場所、
女性だけ囲われている場所っていうのがもうほとんど少ないんで、
その近くに住んでる人はそこで運動できるけど、
あと学校教育は女子と男子別の学校なんで、
その中で体育の授業はあるとは思いますけど、
大人になってから運動するとかっていう道がほとんどない時代が長く続いたっぽくて、
そうですね、だからどの競技でもなかなか難しいですよね。
あとスカーフを結局してない。
練習はまあともかく、実際にやるとか人前に出るとか、
男性がいるとか、あるいはテレビ中継されるとか、
そういう時にはスカーフをしないってことはありえないんで、
どんな運動でもスカーフ、
なんかね、見たことありますかね、レスリングとか女性のね、
みんなスカーフしたままやってるし、
相撲ももちろんね、スカーフが取れたら負けなんですよね。
で、サッカーもヘリングとか、もう危ないですよね。
スカーフ取れちゃったらいけないんで、
何をやるでもやっぱすごい、ちょっと運動をするときに
判定にはなると思いますよね。
これ、今日ね、初めてあんまりイランのことそこまで詳しくなかった方から、
イランの文化とイメージ
やっぱりとにかくスカーフのイメージあるじゃないですか。
今現在は、スカーフは、すいません間違ってたんですけど、
公共の面前では基本しなきゃいけないのかとか、
罰則とかは一応あるのかないのかとか。
本当の今の今っていう情報はわかんない。
ちょっと揺れがあるみたいなんですけど、
でも基本的に変わってないことは、
人前でスカーフは絶対しなきゃいけないですね。
で、それ外国人であっても、京都であってもしなきゃいけないです。
キリスト教の人とかもいるんですけど、
他にもイスラム教の人が多い国ってたくさんあると思うんですけど、
外国人はしなくていいとか、
大体いろんなそういうルールがありますけど、
イランは何人であっても女性はみんなしなきゃダメですね。
でもしなかったらもうすぐ警察に注意されて、
それちゃんとすればいいけど、犯行したら連れて行かれてとか、
街で打たれてとか、そういうことですね。
今ね、表面というか、A面としてはそういう事実がある中で、
この本の中でね、今のアツアムさんもそうかもしれないけど、
いろんな女性が出てきて、
そういう戒律とか厳しい中ででも、
本当にさっきのオープンじゃないですけど、
やっぱり制約の中にあっても生活を楽しむとか、
ちょっとユーモアを大事にしてるとか、
なんかそういうのすごく感じたんですよね。
例えばチャドルの着方のコツ、
あとトイレでちょっと工夫するとか、
なんかそういったものをこのカナエさんの中に読んでて、
実際、やっぱりそういう街の空気とか、
人の雰囲気っていうのは、
制約っていうのは現全体のものがあるんだけど、
やっぱり、ちょっと乱暴な聞き方かもしれないですけど、
全体としてはやっぱり、
ちょっと楽しもうとかオープンに行こうみたいなものが漂ってるんですか、
それともやっぱりテーナンの街全体は厳しいみたいな雰囲気があるのか、
アフガニスタン移民の声
場所にもよるし、
そうですよね。
でも、ある意味、
日本の方が制約が、もちろん制約だけで言えばないはずなのに、
日本人って言ってもざっくりしすぎなんで、
少なくとも私自身も含めて、
もっと窮屈な人がいて、
向こうの方が窮屈なはずなのに、
のびのびしてるっていう、
なんかその逆転現象みたいなことを感じる場面多いですね。
なんでなんでしょうね。
ある意味すごい窮屈な政府があるから、
その中でどれだけ楽しめるかっていう、
A面とおっしゃってくれたけど、やっぱりB面があったり、
そういう、なんですかね、
上手に息抜きする方法みたいなの、
あまりにも窮屈だからなんですけど、
上手に息抜きする方法をちゃんと見つけてるっていうか、
感じましたけど、
日本はひるがいってどうかっていうと、
いろんなこと本当はもっと自由にやってもいいのに、
私もそうなんですけど、
なんかこう、実行規制するというか、
自粛するというか、
やっちゃって怒られたら考えればいいのに、
やる前からこんなことをしたらどう思われるだろうとか、
そういうふうに、
萎縮しちゃってるなーって思いましたね。
意外と言ったら、金谷さん初対面で怒られそうですけど、
もちろん良識、常識、金谷が備えてる方だと思いますけど、
やっぱりいろんな方の話聞いてて、
やっぱり金谷さんもオープンだなっていうのを、
僕もいろんなラジオだったり、本だったり思ってたんですけど、
今2回ぐらい、私もやっぱり日本人のごたぶんに漏れず、
みたいなことをおっしゃってたんで、
やっぱりそれは、普段いると感じるんですか?
感じるというか、
感じますね。
それはどんなところで?
自分が自粛しちゃうところですか?
そうそう。
やっぱり戻ってくると、それがどんどん濃くなってくるの。
やっぱ海外行ってるときの解放されてるのとか。
そういうのもあるかもしれないですね。
もうだいぶ歳と戻ってきたし、
なるべく、
なるべくなんていうか、
暴れるおばあさんみたいになっていこうとは思ってるんですけど、
だから昔に比べたら、
だいぶ自粛しないでしょっていう気持ちが出てきてますけど、
それでもやっぱり油断すると、
人目を気にするとか、
なんて言うんだろう。
金谷さんの中で、
本からずれてますけど、
先ほど冒頭の略歴ですけど、
あえてステロタイプで、
落ちこぼれとおっしゃってましたが、
学習院落ちこぼれじゃ入れないと思います。
学習院大学、日本語学部、日本語学科。
その後、絵本を出すような出版社だったり、
その後テレビの制作されたり。
ありがとうございます。
なんて言うんでしょう。
金谷さんの中でA面と、
今があえてB面だとすると、
もうA面かもしれないですね、もはや。
そのひっくり返ったのってどうなんですかね。
どっかにひっくり返ったんじゃないかっていう、
勝手に思ってるんですけど。
確かに。
その41歳からになる年に、
その仕事が全くなくなって、
テレビの仕事がなくなった時に、
面白いことだけやって、
食べていけるかどうか、
実験しようと思ったんですよね。
多分その実験って思いついたことが、
ひっくり返ったところで、
で、いまだに実験中なんで。
いいですね。
だからいつかに食べていけなくなった、
もう実験はそこで終了ですけど、
面白いことだけやって、
食べていけるか、実験なんで。
これあの、実験って思うと、
なんていうんですか。
あんま面白くなさそうな、
でもギャラがいいみたいな仕事があったとして。
これだけで1回分反省できますね。
ギャラ良くなかったというのも、
しがらみがあるとか、
なんか断りづらいとか、
そういう、もしご依頼があった時に、
やっぱりその実験なんで、
ここまで実験してきたこと、
崩せないじゃないですか。
だからやっぱりそこで、
いいんですよね、実験って考えるとね。
失敗も含めて実験って。
そうですよね。
実験って何度も失敗することに意味があって、
それで、
科学者の方とかもそういうやつだから、
と思うとすごい気が楽だし、
そうなんか失敗していけないんじゃないかとか、
そうですね、人に迷惑をかけないとか、
せっかく声をかけていただいた人の行為を無にしちゃいけないとか、
いろんなあるんですけど、
ないわけじゃないけど、
それが面白いかどうか、
っていう基準で実験をするっていうことですね。
たぶんそこがひっくり返る。
最初はすごい恐る恐る。
そうだったんですか?
今もちょっとあるけど、もっとビビってたと思いますけど、
だんだんなんか大丈夫かとか、
もうちょっとわがまま言っても大丈夫か。
なんかいい意味で、
今日お目にかかるまでは、
もうちょっと、
今でも少しビビりながらっておっしゃるじゃないですか、
そこも超えてる感じを受けたんですけど、
実際お目にかかると、
謙虚な方なんであれですけど、
確かにまだ実験中な感じは、
完全にフライしてるわけじゃ意外と、
カナイマキというのもないという。
そうです。
ちょっとだけ新規な感じ。
そうなんですね。
じゃあ話戻るんですけど、
今すでにその話も出てきたと思うんですけど、
今ちょっと自由の話、
カナイさんご自身もね、
含めてですけど、
イランに行くことによって、
いろんな自由とは何かってたぶん考えさせられたり、
ここでその自由の形とか、
いろんなものが見えたと思うんですけど、
やっぱり個人的には一番刺さったというか、
印象に残っているのは、
メールでも書かせていただいたんですけど、
純粋なイラン人の方じゃないですけどね、
アフガニスタン移民の方が、
アフガニスタンの人から見れば、
イランは自由っていうのが、
僕はそれが本当に一番目線がひっくり返って、
というのがあったんですけど、
そのあたりのちょっとエピソード、
カナイさんの言葉で少しだけ補足していただきたい。
どういう状況だったのか。
ありがとうございます。
これはアフガニスタンの移民がですね、
イランに400万人とか来ましたっけ?
すごい数いるんですよね。
それも全然知らなかったです。
地図で見るとね、確かに見た。
隣ですよね。
隣で言葉もほぼ一緒なんで、
っていうのもありますし、
アフガニスタンがやっぱりもう、
最近だけじゃなくてね、
何十年前からのいろんな、
あれありますけども、
最近はやっぱり、
過激派みたいな人が制圧してきて、
対バンが出てきたりとかして、
本当に命からがら逃げてくる人が、
多くて、
逃げ先として多分イランが隣だから行きやすいし、
言葉の問題もないからっていうことなんでしょうけど、
大勢いて、
イランでいろんなお仕事をしてるんですけど、
仕事はできるんだけど、
やっぱりずっと定住の許可をね、
イラン政府が出してくれればいいんですけど、
なかなか出してもらえないんで、
仕事をして大勢してるけど、
ずっとその居場所ない感じで、
異なる視点での自由
いなきゃいけないっていう、
ジューブラリーな感じのアフガニスタンの難民とか、
移民の人たちが多いっていうことが分かってきて、
そのアフガニスタンの人たちを支えてる、
支援団体の人とかもイラニアにいて、
それってもう何十年もやってらっしゃるってことが、
分かってきたんですけど、
そこで知り合った人が、
やっぱりご自身がいくつでしたっけね、
すごい幼い頃にご両親と一緒に逃げてきて、
17歳でアフガニスタン移民同士で結婚して、
今お子さん二人いるっていう、
まだ20代の女性でしたけど、
最初にイランに逃げてきた時の印象はどうでしたかって聞いたら、
聞いてた通り豊かで自由な国で安心しました、
みたいなので、
え、自由って思ったけど、
アフガニスタンはやっぱり、
自由の定義と要因
女性は本当に学校も行けないとか、
そういう国ですから、
そこから比べれば、
学校行けるだけで自由とか、
そういう感じなんでしょうね。
だからその基準というかね、
比較したときに、
アフガニスタンの方からすると、
イランはもうベタって。
そういうことなんですよね。
それを受けて、
その時感じたこと、
今ね、
また帰ってきてっていうか、
ずいぶん経ってると思いますけど、
これ自体が哲学になっちゃいますけど、
自由っていうのは、
今、金谷さんの中で、
どういう定義とかだと思います?
何ですかね。
ここまでの話ともね、
ちょっと通ずるかもしれないですけど、
外的な要因、内的なこと、
いろいろありますよね。
本当にそうですね。
すっごいいい質問。
ありがとうございます。
上手に答えられないけど、
確かに。
一つには、
自分でどうとでも
自由になれるっていうか、
環境がどうであっても、
自分自身で自由にいられることっていうのは、
きっとできるんだろうなっていうのは、
一つはありますね。
でもやっぱり、
結構意識して獲得していかなきゃいけないことっていうか、
あと、
環境とか制度が、
自由を阻害しているとしたら、
やっぱりそれは、
意識的に抗っていかないと、
なかなか獲得できないっていう面も、
一方であるかなって思いますね。
やっぱり、
不自由に安住してしまうってこともあるんですよね。
本当は自由がいいなって思っても、
それに獲得しに行くのって結構大変ですし、
変えるのはね。
そうですよね。
さっきのひっくり返すっていうのはね。
そうですよね。
無理にそうしようと思っても、
無理が生じちゃうんで、
なかなかジャンプできないっていうこともあると思うんですけど、
そうするとずっと不自由で、
それをまた、
次の世代も不自由でいいのかなとか、
イランの方なんかね、
特に自分の世代は、
今ちょっと不自由だけど、
これをやっぱり次の世代に、
残したくないというか、
ここで変えないとっていうようなことも、
そういう思いも、
持っている方が多かったですけど、
そうですよね。
イランはすごい分かりやすい不自由があるから、
見えやすいっていうか、
その構造が見えるけど、
多分日本も含めて、
どんな人でもそれあるかなって思うんですけど。
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46:42

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