さあ、今日はですね、文筆家でイラストレーターの金井真紀さんにお話を伺います。金井さん、よろしくお願いします。よろしくお願いします。
今日はですね、横浜港未来の収録ブースに来ていただいたんですけど。はい、ありがとうございます。金井さん、横浜港未来を含めて来ることってあんまり普段ないですか?
普段あんまりないんですけど、昔、本当に昔なんですけど、中華街に生まれ育った中国語の先生がいて、大好きな先生がいて、その周りにいる人たちも大好きで、自分がすごい若い時にその人たちも大人だったんで、よく遊んでもらってたんですよね。
すごい今日も横浜桜木町で降りて、久しぶりだなぁと思って、その先生も亡くなっちゃったんで、それも含めて懐かしいなぁと。そうなんですね。なんかそれだけでまた一冊書けそうですね。本当ですよね。
今日はですね、いろいろね、お話聞いていきたいんですけども、金井真紀さんといえばですね、ちょっとプロフィールをあえて読みますね。よろしくお願いします。
1974年、千葉県生まれ、文筆家イラストレーター、長所にパリの素敵なおじさん、世界はふむふむで満ちている。聞き書き世界の作家、ミニ、日本に住んでる世界の人、おばあちゃん猫でテーブルを拭きながら行った、世界ことわざ聞こうなど多数、多様性面白がるを任務とする、難民インフェス実行委員ということでですね。
今日いろいろお話伺っていきたいんですけども、今日はね、これ最新刊になるんですか?そうなんですよ。またね、次出そうですけど。またまたしてるんです。いやいやいやいやいや。またまたってことは多分ね、いっぱいお話、もう執筆中なのかなと思うんですけど。
小文社から2020年、去年ですね、リリースされたテヘランの素敵な女ということで、主にね、この本にフォーカスして上がっていきたいんですけども。その前に、前段長いんですけど、やっぱりね、もう金谷さんといえば、もう海外にしょっちゅう行ってるイメージ。
イメージ、はい。あって、今回もですね、アップ取らせていただく際も、また海外ちょっと行ってきますって感じだったんで、どちらへ行かれたんですか?最近はブラジルとエチオピアに行きました。そうなんですね。それはお仕事?仕事になるといいなって。すごくわかりました。わかります。同じですよね。そういうスタイル。そういうスタイルですね。仕事になるのを待ってたら一生いけないんでね。先走った方がいいですね。
もうちょっとだけ言える範囲でいいんですけど、なるといいなだけど、ブラジル、今日メインじゃないですけど、ちょっと行ったきっかけというか、行って何をされてきたのか。ありがとうございます。
最近その日本に住んでる、難民移民フェスってお祭りをちょっとやったりとかしてることもあって、日本に住んでる難民とか移民の人たちの友達がすごい増えたんですね。アフリカから来た人とか東南アジアとか南アジアとか南米とか中東とかいろんな国の人いるんですけど、中東はちょっとないかもしれないんですけど、アフリカとか南米とか東南アジアの人とかが、あのキャッサワってわかります?
キャッサワ芋みたいなの、みたいじゃなくて、あれをごちそうになりに行くと、ご飯作って、まずアフリカの友達だったんですけど、キャッサワ料理を作ってくれて、最初なんか珍しいと思って、こんなんどうしたの、輸入したのかなとか思ったら、そうじゃなくて、もう日本の移民の人たちは、結構キャッサワ育ててる人、日系ブラジル人の人とかもキャッサワ畑で作ってたり、それも流通してて、
いろんな国の人たちがそれで料理をしててですね、日本人である私は知らなかったのに、もうすでに日本の愛知県とかの日系ブラジル人とかペルー人とか多いような団地とかだと、そのスーパーだとキャッサワ売ってるんですよね。
新大久保にも売ってるんですね、東京だったら。なんかちょっと偶然興味が出てきて、キャッサワを追いかけたら、なんか移民の歴史っていうか、いろんな姿が見えるのかなとか思ってきて、騒いでたんですよ、キャッサワキャッサワってこの1年ぐらい。
そしたらブラジルのパラー州っていう、ブラジルの中で一番北のアマゾン川とかの河口のところにある州があって、そこでブラジルのみんなどこでもキャッサワ食べるんですけど、そこのキャッサワ文化がすごいとかって、そこに住んでる人から連絡がきまして、絶対来た方がいいって言って、これ以上話すとキャッサワトークが延々と続くので、みんなちょっとついていけないというか、辛いと思うんで、
あれですけど、本当に細かいキャッサワの食べ方とか、加工の仕方とかがあって、それ見に行ってどうするんだって話ですね。
じゃあそれを見に行ってきて、行くのが一番の目的でした。じゃあ行ってきて、今、素材としてもたくさんあって、それでも誰も興味持たないじゃないですか。
言っていることはチャンスってことじゃないですか。僕が言うと社会説法になっちゃいます。世界はキャッサワでできているか。そう思うんですけど。
なるほど、じゃあそれでブラジル行って、ブラジルとエチオピアって近いな。意外と南米から。
ブラジルに行こうと思って、初めて行ったんですけど、ブラジルに。
一番多い民は、アメリカ合衆国経由の民が一番検索すると出てくるんですけど、私はこのテヒラの本のおかげもあって、イランに何度か行っていて、
イランに行くとアメリカ合衆国入りづらいんですよね。エスタが取れないんですよね。2年間とか。
なんでアメリカ合衆国に行けないんで。そうか、イランファーストで考えると。
もうすぐに入れないんで、それでアメリカ合衆国を踏まずに行く方法を考えて、安い方法を見てたらエチオピア航空っていうのがあって、
エチオピア経由でブラジルに行ったんですけど、トランジットだけでね、アフリカに失礼かなと思って。
アフリカ今後ちょっと色々開拓していきたいってラジオとかでもおっしゃってましたよね。
そうなんです。だからちょっと帰りに寄ってゴロゴロして、それで帰ってきました。
なんかちょっと本編入るのが悪いですよ。エチオピアってなんかちょっとモンジャ焼きみたいな、ちょっとここでラジオで言うのもアレですけどね、
ちょっと一見日本人にはかなりきついみたいな。
言ったことありますか。ないんですけど、それがね、昔誰かの本で読んで結構。
インジェラティね。食べました?
もちろん食べました。どうでした?
美味しいですよ。なんかちょっと発酵してるので、酸っぱいとかね。色もちょっとクレープとかの白い感じに似てる。形状はクレープとかに似てるけど、色がちょっと何て言うか、ネズミ色っていうか、そういう感じなんで。酸っぱいんで、ちょっとびっくりする人いるかもしれないです。
金谷さん最初から大丈夫?
大丈夫です。美味しいです。
絶対みんなが悪口言うんですよ、あれをね。
いや最初からね、だからもしかしたら変なの食べちゃうとあれだけど、普通に現地で食べる分には美味しかった。
そうなんですね。じゃあちょうどブラジルHOPから帰ってきて、今、もう1週間ぐらい、もうちょっと経ちました?
帰ってきて、そうですね、1週間ちょっとです。
時差ぼけ結構ひどかったんじゃないですか。
そうですね、いまだに昼寝して暮らしてます。
じゃあ今眠い時間かもしれない。
いやいや、幸い昼寝できる商売なんで。
本編になかなか入れないんですけど、やっぱり今プロフィールでもね、拝見したんですけど、ここには出てないんで、僕の情報が間違ってたらすいませんなんですけど、
金谷さん、学習院大学、日本語学部、日本語学科、出られてますよね。
そもそも、なんでこの学部、学科だったのかなって。これも話す長くなるかもしれないですけど。
私とにかく落ちこぼれてまして、10代の頃すごいいじけた人生で、自分に得意なものも何もないって思って、20代、30代までだいぶ長くそう思ってたんですけど、特に10代の頃そういう感じで、
だからなんか、これをやりたいとか、この学びたいとかっていうのがぼんやりしてまして、あまりなくって、唯一国語が好きだったんで、科目で言うと。
今やり直せるなら違う学問を習いたいなっていうのがあるんですけど、文化人類学をやりたいんですね。
納得ですし、それまたちょっと一言で言えないかもしれない。なんでですか。
そういう学問があるとか、昔の自分に教えたいですよね。
大人になったから知りますよね。
15歳ぐらいの自分に、そういうすごい面白い学問があるから、ちゃんと語学を学べとかって言いたいけど、ほんとぼんやりしてたんで。
それでそこの日本語日本文学科に行ったんですけど、でもその最初に話した中国語の先生もその大学で出会って、すごいその先生の影響を受けたんで、
それも良かったですし、結果すごい良かったです。それでその卒論が、草野新平っていう詩人だったんですけど、
ちょっと流れ流れて、破書っていうと、それで昔草野新平さんが作った酒場を訪ねてて、そこのまま見習いをやることになったんで、
全部そういう繋がりがあるんで、結果良かったんですけど、その時はどうしてもそこで何かをやりたいと思って行ったわけじゃないんです。
今の話でもやっぱりあって、少し酒場の話も出てきましたけど、やっぱりすごいなって思ったのと、
僭越ながらというか、僕今45なんですけど、金井さんがやっぱりそのね、酒場閉店して40歳の年末、
41歳で文筆家で、いろんなところで見ましたけど、本当にすごいし、ちょっと夢がありますよね。
そうですよね、そうです。
ご本人はその当時どういう心情だったのかっていうのもまた別かもしれないけど。
そうですね、だから本当に遅く始めたんで、夢というか、言いたいですね。
もし今ちょっとこう、うまくいかないとか何したらいいかとか、いじけた気持ちの10代、20代、30代の方いたら、
いやいやそこで終わりませんよと、展開してきますよってことをお伝えしたいです、本当に。
何かの本で読んだんですけど、5本最初の本出されたのもつまり40代からで、ご友人から30代で本はみたいな。
そうですね、20代の先輩で、編集者の先輩がいて、20代で自分の本出せよとか言われて、
終わり20代が過ぎて、30代でって言われて、30代もすぐ過ぎて、本当にぼんやりしてた。
いやでもそのぼんやりが今生きてるわけですよね。
そうですね、そうです。
そのあたりもまた次回ね、もしゲストが来てくれたら詳しく伺いたい。
はい、早川さんのあれも聴きたい。
ストーリーがあるんですけど、
今日ね、このテーナの素敵な女にフォーカスしていきたいんですけど、この本はそうすると何冊目になるんですか。
ごめんなさい、わからないですけど。
いや、性格じゃなくていいですけど。
でも10冊ぐらい出してるとおっしゃってたんで、10冊目ぐらい。
教書とか、絵を描かせてもらっているとか、そういう本もあったりするんで、
ごめんなさい、ちゃんと数えてなくて、10冊ぐらい。
こちらがリサーチしてないんでごめんなさい。
よくわかんないと思います、たぶん数え方がね、わからない。
そんな中で2020年に出たんですけど、
まさに想定の女性たちが。
そうです、そうです、相撲部の。
でもその今の文脈を伺ってなくて、俯瞰してみてると相撲って気づかなくて、結構馴染んでますよね。
そう、誰、何なのって感じですよね、この辺はね。
そうか。そういうふうに思いつつ、本当にイラン一回行かないかっていうのは、
また別の何かターニングポイントあったんですか。
ありがとうございます。
それで、以前また別のパリの素敵なおじさんっていう本を書いたことがあって、
その担当編集だった竹田さんという方なんですけど、
その担当編集の方が、会社その時ちょっと移られて、また新しいところに行ったんで、
そこで何か一冊作りましょうって声をかけてもらって、
何がいいかねって竹田さんと企画会議みたいにしてて、
なかなかいい案出なかったんですけど、
ふと思い出したのが、竹田さんってペルシャ語学科を出てるんですよね。
すごい、イランにいらっしゃった。
イランに留学したこともあって、
大阪外大かな、今は大阪大学になってますけど、
大阪外大のペルシャ語学科出てらっしゃる方だったんで、
この人にイランネタを振ったら、その企画が通るかもしれないと思って、
それで、実は私スモを見に行きたいんですよね、イランにとか言ったら、
竹田さんが、それは面白いなって載ってきてくれて、
ただし、どうせなら、金井さんもスモをやったほうがいいですよとか言ってきて、
さすが編集者だましちゃって。
本を読む人っていうのは、書き手が困れば困るほど嬉しいんですよって言ったんですよ。
すごい名言じゃないですか、これ。
確かに、確かに。
それで、で?と思って、その時私48歳だったんですけど、
じゃあしょうがないと思って48歳で初土俵を踏みまして、
すごい、年女にして。
それで、日本で女子相撲をちょっとだけ教えてもらったり、
スモ大会がたまたまあるっていうので、出させてもらったりして、
それで、イランの女子相撲の道場に、練習一緒にさせてくださいとか言いに行くっていうような、
スモ旅行記みたいな企画だったんですよ、最初。
だけど、こっちがスモをやってる間に、イランでは実は大変なことが起きていて、
それがその2022年の秋から、大体その年の暮れぐらいまでですかね、
一番盛んだったのは、反スカーフデモっていうデモが起きて、国中が、
その後もイラン、いろんなことがあったんですけど、
とにかくその年は、それで大変なことになって、
女の人たちを中心に、男性もですけど、路上に出て、
スカーフを強制されてるっていうことに対する反発なんですけど、
スカーフだけじゃなくて、いろんな窮屈な政治体制に我慢ができないっていう感じで、
デモをされてたんですね。それ、日本でも報道されてたんで、
こんなとこに行っていいのかなっていうのもありますし、
スモをやってる場合からみたいになって、スモだけじゃなくて、
スモも見たいけど、その女の人たちがデモをしてたんで、
デモの人も、デモに参加してる人も、参加してない人も、見守ってる人も、
もしかしたらデモに反対してる人も、いろんな人たちがいると思うんですけど、
そういう女の人たちがどう生きてるのかを、聞きに行ってみようじゃないかって。
この本にも、もちろん細かくその経緯も書いてあるので、またぜひ皆さん読んでいただきたいんですけど、
この方式自体もパリのおじさん方式?
そうですね。
これをわかんない方のために、解いてみるのも簡単に。
パリのおじさん方式っていうのは、パリのおじさんっていう本を書いたときは、
パリに行きまして、
ちなみに私はペルシャ語はもちろんフランス語も何語もできないんですけど、
フランス語できないので、フランス語の通訳の人がいて、
その人もおじさんなんですけど、その通訳兼パリでジャーナリストをやってる
おじさんと2人、日本人の男性のおじさんと2人で街をぐるぐる回って、
これぞというおじさんを見つけたらナンパして話し聞かせてくださいっていう、
そういう方式でインタビューしようみたいなのを作ったんですね。
それがパリの素敵なおじさんで、
その本の作り方も誰の話を聞けるかわからず言って、
すごいドキドキ、これで一冊できるのかっていう。
やっぱりカナエさん思ってしてもドキドキはするんですか?
いや、心調がありましたよね。
国境方式インプロビゼーションですね。
そうですよね。どんな人に会えるのかもわかんないし、
ただその時もその案内人のパリのおじさんが、
平岡さんって言うんですけど、平岡さんがパリにすごい長く住んでるから、
なんかこの界隈に行けばアフリカ人が多いとか、
この界隈はユダヤ教の品ごう具があるとか、いろいろそういうのを知ってたんで、
それでそのバリエーションを見つけるっていうか、
いろんな地域に連れて行ってもらって、
ナンバーして話聞くっていう方式だったんですけど、
そういう感じで、行き当たりばったりも含めて、
いろんな町の人っていうか、
市政の人で、それでいろんな職業のいろんな、
パリの場合はいろんな職業、いろんな出身地、いろんな宗教とか、
いろんな性的指向とか、そういうののバリエーションみたいなのを
意識しながらおじさんたちを見つけたんですけど、
イランの場合はそんな宗教とかあんまりバリエーションないか、
あとルーツもあんまりないかなとは思ったんですけど、
そういういろんな界隈、いろんな年齢の人たち、
町の人っていうか、すごい有名人とかじゃなくて、
そういう人たちの声を集めるっていうような方式というのが似てるんですけど、
ただパリと違ってやっぱりテーランでは、
そんな聞き込み、まず話聞かせてくださいっていきなり言って、
特に政治的なこととか語れないですし、
パリほど外国人もいないからびっくりするし、向こうも。
そういう、なかなかナンパが難しいというか。
いきなりフランクにみたいな、ちょっと難しいですね。
パリと仕込みっていうか、こういうどういう人がいるかって事前に、
こういう人に話聞きたいんですけどって言って、通訳の方とかに相談して、
そのつてとか、ここに行ってみようって言って、
ちょっと一回行って話を、様子を見てから声かけるとか。
ある程度あたりはちゃんとつけて。
そうですね、そんな感じ。
だからちょっとパリとは、結果は違ったんですけど、
本の作りは似てる。
この一冊できるまでに、
ここに出てるインタビュー自体は1回のテヘランで全部?
そうです。
その時のテヘラン滞在期間ってどこに行くんですか?
2週間。
すごい、2週間で。
しかも、ここに載せられなかった人もいるんですか?
わずかにいるかもしれないけど、ほとんど載ってますね。
そうなると、すいません、僕も数えてないんです。
私も数えてないです。
何人だろう。
でも、20人ぐらいは来てますね。
そうですね。
すいません、パッと見なんでちょっと間違ってるかもしれないですけど。
あと何か、病院に行ってとかだと、
美容師さん何人かとか、お風呂に行ったらお風呂の人とか、
だから一人にじっくりの場合と、何人かにまとめてお会いしてっていう時もありましたから。
やっぱり、金井さんの本全部面白いのはもう言うまでもないですけど、
僕はやっぱり今回、特にこのテヘランの症状のいろんなこともあったんですけど、
個人的な話で教えますけど、やっぱり海外行った時に、
たまにイランの人と、例えば2年前にアイスランド行った時に、
アイスランド温泉が水着で入るみたいなところで入ったら、
テヘランの出身の女性が入ってて、
すごい英語ペラペラで、ちょっと国際的な方だったかもしれないですけど、
すごいオープンで、
やっぱり、僕はちょっとイランとか怖いみたいなイメージがあったんですけど、
あれ全然違うな、みたいな感じで、すごくフランクで、
だったら、あれイラン面白いなって、
あとは、ユーネクストとかで、キアロスタミカの映画もちょっと見たり、
少しずつ印象変わったところで、さらに、
Apple TVでテヘランっていうドラマがやってて、
そういうのかなって、
それも一つあると思うんですよね。
マレーシアとか行っても本当にそんな感じだったんで、
モロッコとかもそんな感じでしたけど。
ただもう一つイラン人に聞いたのは、
中東のあたりの砂漠とかいうところで、
気候もそうなんですけど、
大昔から人が生き生きしていた場所だから、
いろんな顔立ちが、いろんな人たちが通り過ぎていくときに、
砂漠とかでお水いっぱいとかあげないと、
その人は死んじゃうかもしれないから、旅する人が。
だからもうそのもてなすみたいなのが染み付いていると。
もう数何万年前から。
そういうんですけどね。
でもなんか不思議ですよね。今の話が上がってるんですよね。
イメージ的にもですし、排毒しても、もちろん
回律が厳しかったり、まだまだそういう締め付ける、
ある意味クローズドなものがすごい強いんだけど、
国民性としてはオープンというか、
人にもよるんでしょうけど、やっぱり
基本的にはオープンな感じに受けました?
そうですね。一人じゃないんでね。いろんな人が
うちのお茶飲みに来なさいと、止まりなさいとか、
そんな感じなんで。
なんかもうでも、
ちょっと行ったら虜になっちゃいそうですね。
そうなんですよ。
その噂は聞いてたんですよ。
イランに行くと、本当にイラン好きになっちゃうよって。
聞いてたのはこれかって感じですね。
最近アメリカやっぱ物価高もあって、
アメリカもちろん好きなんですけど、7年ぐらい行ってなくて、
そろそろアメリカ行きたいなと思ってたんですけど、
さっきの金谷さんの話聞くと、今の感じだとアメリカ来て、
イラン行けなくなっちゃうんですよね?2年ぐらい?
イランに行くとアメリカ行けなくて。
アメリカ行ってもイランは行ける?
行けます。イラン行く前に一応大谷書編見て、
この国に用事ないなと思って。
もしアメリカも行きたいので、先に行っとけっていう感じだとね。
イランも多分何年かでいいんですけど、
いくつかあるんですよね。
この国に入った人はエスタが取れないってことなんで、
他の方でビザ取ればいけると思います、アメリカも。
そんなことも伺いつつ、
イラン行きたいなって思ってたんですけど、
いきなりですけど、
1年前に出た本で書いたのはもうちょっと前かなと思うんですけど、
いきなり、金谷さん今、ふと、
この本に書いた人の中でふと思い出すのは誰ですか?
この本に書いた人の中で、
この本に書いた人と、
その後お会いしてる人が何人かいるんですよね。
この本で終わりじゃなくて、
まだその後続きがあるんですけど、
その一人でいうと、この本に出てくる中で、
アーザムさんっていうサッカーの、
女子サッカーのアンダー17の監督で、
代表コーチですね。
代表監督と代表コーチとお二人出てくるんですけども、
イランでサッカー、この方ですね。
イランでサッカーすること自体、女性がサッカーすること自体が
すごい壁がある中で、
本人たちもどうしてもサッカーやりたいって思った少女時代があって、
それで、
結局第一世代で監督になってるっていうような人たちなんですけど、
このコーチのアーザムさんが、
今年ですね、今年の6月ぐらいに、
そもそもお会いした時から
おっしゃってたし、この本が出る前から、
連絡先交換してるんで、やり取りの中で、
日本の女子サッカーを学びたいっていうことをおっしゃってて、
日本の女子サッカーって、アジアの中では一番だし、
みんなが憧れていて、
この方たちも、アーザムさんも、
イランの10代の女の子たちを指導する、
方法がわかんないですよね、まず。
自分たちはやれなかった世代だし、
日本に行きたいってずっと言ってくれて、
この本ができたら、この本をサッカー協会の人とかに見てもらって、
この人が聞きたがってるって相談しましょうって言ってたんですよ。
実際本ができた後に、読んでくれた人とかが、
間をつないでくださったりして、
読んでくれて、福島Jビルに行って、
あそこに日本の女子の10代の女の子たちが住んでる寮があるらしいんですけど、
そこに入れてもらって、アーザムさんも、
2週間、3週間かな、
その指導を学んで一緒にされたんですよね。
だから今年の、
会ったんでね、すごい、その後もやり取りしてるし。
将来、イランがもっと女子強くなったら、
かなり貢献。
私関係ないけど。
そうなんですね。
でもあれですかね、男子はね、サッカー強いじゃないですか。
海外も結構行ってますけど、
さっきの相撲の話もそうなんですけど、
実際、今、急激なのか、もともとなのかわからないですけど、
女子のスポーツ、女性のスポーツっていうのは、
イランはどんな感じだったのか、今どんな感じなのか。
1979年の革命前は、
サッカーもやってたって話ですし、
スマホはやってないかもしれないけど、女の人も
ミニスカート履いてた、髪の毛出してっていう時代でしたんで、
いろんなことやられてたみたいですけど、革命で
女性が、そもそも
肌出したらいけないとか、そういうのもあるし、
人前で運動するっていうこと自体がもうダメだっていうことになって、
だからこのほうにも出てくるんですけど、
女の人が運動できる場所ってすごい男子禁制の公園みたいなのがあって、
そこに入ったらジョギングとかしても、女の人だけですね。
なるほど。
ジョギングしていいとか、プールとかももちろんね、
もちろん男女分かれてると思いますし、そもそも
そういう公園とかが運動できる場所、
女性だけ囲われている場所っていうのがもうほとんど少ないんで、
その近くに住んでる人はそこで運動できるけど、
あと学校教育は女子と男子別の学校なんで、
その中で体育の授業はあるとは思いますけど、
大人になってから運動するとかっていう道がほとんどない時代が長く続いたっぽくて、
そうですね、だからどの競技でもなかなか難しいですよね。
あとスカーフを結局してない。
練習はまあともかく、実際にやるとか人前に出るとか、
男性がいるとか、あるいはテレビ中継されるとか、
そういう時にはスカーフをしないってことはありえないんで、
どんな運動でもスカーフ、
なんかね、見たことありますかね、レスリングとか女性のね、
みんなスカーフしたままやってるし、
相撲ももちろんね、スカーフが取れたら負けなんですよね。
で、サッカーもヘリングとか、もう危ないですよね。
スカーフ取れちゃったらいけないんで、
何をやるでもやっぱすごい、ちょっと運動をするときに
判定にはなると思いますよね。
これ、今日ね、初めてあんまりイランのことそこまで詳しくなかった方から、