1. LIFE UPDATE │ YOHEI HAYAKAWA
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2025-12-10 44:47

【#272】「役目が終わったら森に帰る」金井真紀さん(文筆家・イラストレーター)後編

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▼「今はたまたま、書く役目があるだけ」

40歳で“面白いことで食べていけるか”実験を始めた金井真紀さんは、今もその途中にいると言います。揺れながらも「Bサイド」の人生を歩む中で何を支えにしているのか。

著書『テヘランのすてきな女』に書けなかった言葉。本音と建前の間で揺れる取材対象の想い。人が変わっていくこと、断定しないことの大切さ。そして「聞き手」であることの覚悟。

絵本の制作秘話から、取材とお金のリアルな距離感まで。すべてが「自分を生きる」手がかりになっていく。

「最後は、みんな森に帰る」──その言葉に込めた、軽やかな覚悟とは。


▼インタビュー前編

【#271】「自由ってなんだろう?」


▼ゲスト略歴

かない・まき/1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『世界はフムフムで満ちている 達人観察図鑑』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。


▼『テヘランのすてきな女』(晶文社)

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▼インタビュアー略歴

早川洋平(はやかわ・ようへい)/1980年横浜生まれ。中国新聞記者等を経て2008年起業。羽生結弦、吉本ばなな、髙田賢三、ケヴィン・ケリーら各界のトップランナーから市井の人々まで、国内外分野を超えてインタビュー。13年からは戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』等メディアプロデュースも多数。


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サマリー

金井真紀さんは、自身の人生や仕事の振り返りを通じて、AサイドとBサイドの生き方の違いについて話します。また、イランの政治状況や文化に触れながら、本を書くことの責任や自由な表現の重要性について考察します。彼女のエピソードでは、文筆活動とイラストレーターとしての道のりが語られています。特に酒場学校での体験を通じて、作品を書き続けることの意義や社会とのつながりについて深く考えています。 金井真紀さんは、キャリアやライティング、イラスト制作に対する考えを語る中で、役目を終えた後の生き方についても考察します。特に、旅とお金の向き合い方や絵本制作の経験を通じて自己表現の多様性を探ります。彼女は、自身の役割が終わったら森に帰ると話し、人生の過程を気楽に楽しむことの大切さを強調しています。

金井真紀の生き方
LIFE UPDATE
さっきも金井さんが、41歳の時にAをBにひっくり返したと。
でも今でも気をつけないとというか、実験中で、ちょっとヒラヒラね、そのカードがちょっとまた浮くこともあると思うんですけど、
そういう意味で金井さんが、ちょっとこう、なんて言うんでしょうね。
ひっくり、ちょっとヒラヒラした時に、なんか、いやいやいや、このままでみたいな、今の形でみたいな。
さっきの仕事の受け方とかもそうかもしれないですけど、やっぱりちょっと日本にいると、
つまりどうやってこの今の、あえてBサイドって言いますけど、Bサイドの生き方を保つか。
やっぱりややもすると、僕もそうですけど、僕はまだBサイドに生き切れてないと思うんですけど、
なんかその辺って、ハウツーとかじゃないと思うんですけど、でも金井さんの中で、
もう飛んじゃったからって言っても、戻りかけそうな時に何を支えにして、このまま今の実験中続けられてるんだろう。
すみません、ちょっと言語力がなくて。
私、今こう話しながら、こうやって、今日は早川さん聞いてくださったけど、こうやってなんか聞いてくださって、自分の口で、
今実験中なんですよって、たまに言うことがあるんですよ。これすごいで、なんか普段忘れちゃってて、今でも言っちゃったからやばいっていうか、
優言事項ね。
そうだ、それ責任取らなきゃいけないんだったみたいな、なんか普段危ないですよ、本当にひらひらっていうか、もうだいぶこっち、ひっくり返っていることもあるかもしれないんだけど、
そういって、そういえばなんだったっけって、こうやって思い出させてくれる質問があったりして、自分の声で、
そういえばあの41歳の時にって、言って振り返ることが大事ですね。ありがとうございます。
なるほど、ちょっとAサイド的な真面目なカナエマキさんのメンタリティーを活かしつつ、今Bサイドで生きてる感じですね、今の話だと。
ちょっと分かりづらかったかな。
そうですね、なんて言うんですかね、何度も何度も自分で思い出さないと、意識して思い出さないと危ないです。
Aで40年生きてるから、あとB10だから、これが80歳くらいになれば、ちゃんと均衡取れるかもしれないですけど、今までA時代が長いから、ちょっと油断すると言っちゃうんで、何度も意識的に思い出したり、こうやって人に、
何ですよとか言って、ひっくり返っているんですよみたいに、ちょっといい感じに、元気がある感じに言っておかないと、やばいかもしれないですね。
イランの政治と表現
なるほどね。このテーランの素敵な女、基本的には伺った方のほぼ出してるってありましたけど、どうでしょう、書ききれなかったこと、載せられなかった人、当時はうまく言語化できなかったこと、
例えば今だから書き足すなら追記したいこと、この辺を今入ってきて、カナエさん思うことあります?思う人、思うエピソードでもいいですし。
どうだろう、やっぱりそのまま書いてもいいですよっておっしゃってくださったとか、このお名前で書いていいですよとか、仮名の方もいるんですけど、あるいはファーストネームだったらいいですよとか、
そういうのを確認しながら本にしているんですけど、でも、なんかそれって、その時はいいですよだったとしても、また政治体制が変わったりとか、ご自身の環境が変わったりとかしたときに、なんかその危険なことになったら困るっていうのはずっとありますね。
だから大丈夫かなっていう気持ちで、どんな人もそうかもしれないけど、特にイランの女性は、やっぱりその本音と建前みたいなのがあるときに、政府とか周りもみんなわかってて、これが本音、だけど今ここの場は建前ねって、多分みんなあの国でわかってる社会だと思うんですけど、
その辺を、建前だけの本ではないので、そういうふうに書いたときに、これでよかったのかなーっていう、なんか正解がないんですけど、その怖さっていうか、そういうのはずっとありますね。
本当に、みんながもうちょっと自由に発言しても大丈夫とか、本音と建前が近づいてきたような時代がもし来たら、もしかしたらもうちょっと話してくれることもあるかもしれないし、私もさらに踏み込めることもあるかもしれないんですけど、そういう意味では、書き残しだとすればそういうことですかね。
今、本音と建前っていうのもありましたし、なんか今伺ってると思ったのは、やっぱり金井さん、取材していく話を伺っていく中で、日どろもどろになるみたいなのをすごく大事にして隠さず、それをそのまま何か結論づけないとか、そのまま常にそれを書かれている感じがするんですけど、やっぱりその辺はご自身すごく大事にしてるんですか。
そうかもしれないですね。言われてみればありがとうございます。
なんかこの本だったか、他の本も結構読ませていただいてるんで、どこかでもやっぱりその、というか多分どの本も結論づけないとか。
そうですね。日どろもどろです。常に。
なんかそれをすごく大事にしてるんだろうなっていうことを感じたんですけど、じゃあすごい意識してるってわけでは。
人もどんどん変わっていくし、国も変わっていくっていうのもありますけど、何人はどうとか、この人はどうとか、あやかさんこんな人とかって、嘘じゃないけど、その面だけじゃ絶対ないから、それを固定化しちゃうみたいな断言とかはちょっともやもやするかなと思いますね。
だからそういう意味ではよくわかんないっていうのがいつもの答えなんですけど。
取材と本づくりの壁
昨日と今日でまた違いますからね、極端に。
そうですよね、そうですそうです。
そういう意味では、しどろもどろ、この本書いてた、今取材を思い出す中で最もしどろもどろしたのは、どんなエピソード、絵が出てきましたか。
どうもしどろもどろ。
弁護士さんで、戦う弁護士さんで、それこそ話した話全部そのまま書いてください、名前もそのまま書いてくださいとかいう着物を育った方でしたけど、あまりにもこの本で全部話してくれるんで、もっとあわあわしてましたね。
でも逆にそうですね、取材するほうかするとやっぱり本音をお話いただきたいとか、引き出したいというとあれですけど、すごく取材者妙利には尽きるんですけど、本当に全て話してくださると逆にちょっとあわあわつくことありますよね。
そうですよね。
その人の前でも泣きましたけど、何度も結構泣いちゃうんですよね。それはちょっと年取ってきてからかもしれないけど、なんかもう聞いててね、しかも通訳さんを通して聞いているのに、あわあわしちゃうっていうのは何度かありましたけど、そのうちの一つでよく覚えているのは。
このシーマーズ・クルシェさん。
そうですね。
じゃあその後もね、さっきもおっしゃいましたけど、イラン、この本を書いてから何回か2回ぐらいって。
そうですね。
書いてからっていうと、1年2年ぐらいなので、そんなすごい経ってないと思いますけど、その後、金谷さんご自身の体感です。やっぱり1年2年でも、イラン変わりつつあるみたいな感じがしますよね。
一回目は、まず本が出る前に、原稿の確認してもらいがてら、行きたくて、とにかく好きになっちゃうんで。
行きたくて行ったんですけど、その時も行っている間にちょうど、ちょっとイスラエルトのあれがあったんですね。
その後、次に行ったのは、一番最近は、本ができた後に本を届けに行ったんですよ。
特設憲法案。
郵便とか怪しいじゃないですか。イランちゃんと届くのかなみたいな。
それで皆さんに渡して、もう一回再会できたんですけど、その時もやっぱり、たまたまですけど、その頃はまだ上段が得る時期で、
牧野が来るとイスラエルが打ってくるから、なんかモサドと関係あるんじゃないかみたいな、ジョークも結構笑えないんですよ。
その後、本当にせざわれちゃったんで、あの時はまだちょっとしたあれだったんで、ちょっとしたっていうか、打ち込んできたからこっちもお礼に打ち込むよみたいな。
ずっとだから、2回とも、もうそうなると、テレビはずっとそれやりますし、その亡くなった方のずっと、
水道番組みたいなのをずっとやって、とにかくもう許せないと、イスラエルを攻撃するんだということとか、
あと最高指導者の人が出てきて、そのことを言ったりして、みんなで一斉に礼拝するみたいなのとかで、
ちょっと、戦時体制になるみたいな雰囲気になるんで、またこの取材の時とは違った感じで、
飛行場なんかも目封されちゃうとかで、みんなが帰れないんじゃないかとか心配してくれたりして、
私はもういっそ帰れないならここにいたいみたいな、くらい思ってましたけど、
なんか、ちょっと気が臭い感じというか、ミサイルが飛んできたのを見ましたよ、なんていう人がいたりとかですね。
結構そういう時でしたね。
で、その後本当の戦争も今年あったんで、今年はちょっと行きたいと思いながらまだ行けてなくて、
ちょっと様子を見ながらね。
あとその後の戦争もそうですし、今本当にインフレがすごいらしくて、
すごい、もうちょっとありえないくらいにどんどんどんどん部下が変わっちゃって、
あと電気とか水道とかも止まっちゃうとかも結構あるらしくて、
なんか全然報道されてないんですけど、本当にこう暮らしが困るっていうか、
といってね、要するに国も今なかなか逃げられないですし、
だからどう?困ってるみたいですね。
そうか、じゃあ今そういう状況なわけですね。
でもここで知り合った方は、もちろん訪れたり、さっきのね、サッカーの方はこっち来たりとか、
ゆるーくやり取りは今もある感じですか?
そうです。
それは英語とか?
そうですね、英語とか、翻訳アプリとか。
やっぱり金山紀も翻訳アプリの恩恵には預かる?
もちろんですよ。あれなかったら、私本当に何もできない。
いいんですか?コミュニケーションがめちゃくちゃ高いんですよね。
いやいや、だからそんな感じですよね。だいたいよくわかんないですね。
なるほどね。ありがとうございます。
ここからですね、少しパーソナルな方に入ってきますが、
事前にお伝えしたんですけども、
番組のキークエスチョンということで、いいですよ。この場で止まってもいいですよ。
一応ですね、生まれ変わっても忘れたくないものということで、
本当はトランプを用意しようと思ったんですけど、すいません、今日ちょっとトランプを忘れちゃってですね、
ここに6つのカードがあります。
本、曲、食、映画、場所、記憶。
この中で、これ生まれ変わっても忘れたくないな、持ってきたいなっていうことを2つ選んでもらいたいんです。
これすごい困ってですね。みんな困ってます。
ですよね。この質問本当に。
まずですね、根本的なこと言いますとですね、生まれ変わってもっていうところが、
生まれ変わってもってきたいものあんまないかなと思っちゃったんですよね。
なるほど。
そういう人もいますか?これまで。
その答えじゃないんですけど、そもそも俺の質問が破綻してるって言われたことだって。
なんか違うロジックで僕も言われて、なので言い方ちょっと今回変えたんですけど。
死ぬまで忘れたくないだったらなんかあるんですけど、だいたいもうそこで終わりじゃないかみたいな、
なるほど。
なんて言うんですかね。
えっとね、そうなんです。
もっと言うと、死ぬまでも忘れてもいいやみたいな気もしてて。
なるほど。棚絵巻になるともはや。
なんか、すごい大事だったものとか、今思い出すともう本当に忘れたくない記憶とかありますけど、
でもどんどん過ぎ去っていって、永遠はないので、
だんだん忘れていっちゃったり、忘れていっちゃったり、相手が自分を忘れたりとか、
そういうものかなーみたいな感じで、
なんかあんまり執着しないってわけじゃないけど。
じゃあ、月並みな質問しちゃいますけど、
本当に人生で大切にしたい、つまり人生を変える一冊とかあるじゃないですか。
人生の本、人生、自分の一番好きな本、曲、食、映画、場所、記憶、この中で2つ。
ありがとうございます。
で、割ります。
どうぞ。
一番気がつかないで。
全然、全然。
やっぱり棚絵巻が、これ聞いてる方は棚絵巻が好きなものっていうのをやっぱり知りたいと思うんですよ。
さっき早川さんもメールにも書いてくださったし、多分今そこに在外日本人持ってくださってるんですけど、
あとスタッツターケルも好きなんですよね。
大好きです。
だからそれを聞いて、やっぱりスタッツターケル。
書籍との出会い
一番最初のやつを読んだのは仕事っていうやつですけど、
分厚いやつですね。
分厚いやつで。
手に入らないですね。1万円くらい。
やっぱりそうですか。
図書館で中学生とか高校生の頃に地元の図書館で見つけて、
すごい二段組かなんかで、今だと私の老眼の目には見えないぐらいの細かい一覧ですけど、
だから全然読めないから、2週間経って返して、またしばらくしてからまた借りてとかって言って、
だから全部最初から最後まで続けて制読したわけじゃないんですけど、
やっぱり何度も何度も一番借りた本だと思うんですね、自分の人生の中で。
もちろん高いから買えないっていうのが前提としてあって。
今は交渉で多分買ったんだと思うんですけど、持ってるんですけど、
今も守りみたいに本棚に置いてあって、何度も読み返したり説はしてるわけじゃないんですけど、
多分早川さんと同じ趣味かなと思うと、
街の人のいろんな人がごちゃごちゃ混ざってこの世界を構成しているみたいなことを、
あの本で思って、最初に申し上げたように私のその1桁10台の頃にですね、
なんか世界は広いかもしれないとか、自分がいるのもすごい狭いけど、
そこで絶望しなくてもいいかもしれないみたいに思わせてくれた本なんで、
自分もなんかそういういろんな人の声を聞いたりしたいなって多分思ってたんで、
思ってた割にはね、本当に年取るまでそういうことしなかったですけど、
酒場学校の思い出
なんかこう思い出すとあれかなって思うんで、同じ感じですか。
もう恐縮ですけど。
いつ読みました?
僕はなんか感覚でその起業して20年ぐらい前にいろいろやってた時に出会った人が、
なんか君やってることをスターケルみたいにできるんじゃないかって言われてから知ったんで、
でももう15、6年ぐらい。やっぱりやられたっていうふうに思う。
あの発想でいくと無限に少なくても理論上いろんな本作れるじゃないですか。
でも僕はなんかね、やっぱりカナエさんと違ってというか、やっぱり僕もまだそこを作りきれてないんで、
だからやっぱりなんかいろいろ言い訳して作ってなかったんで、
これから一気にカナエさんに今日お話を伺えたんで、やりたいなって思ってるんで。
スターケル逆にカナエさんは、図書館で見つけたんじゃなくて、何をきっかけにそれを知ったんですか?
見つけた、見つけたと思います。
すごくないですか。
やっぱりもちろんね、今でこそというか、知る人ぞ知るだし、その業界で有名ですけど、
別に図書館でもすごい倍率高かったわけじゃないですよ。
そうですよね、ばあつい本ですね。
なんで見つけたんですかって言われても困ると思うんですよ。
本屋さんでね、ビビビっていうのと一緒だったのか。
そうですよね。それも書文社だったんですけど、在外日本人とか、在日外国人でしたっけ?
その逆バージョンとか、いろいろそういう聞き書き衆がありましたよね、書文社で。
で、あれを読んだんですよね。
カナエさん、柳原さんもう亡くなっちゃいましたけど、お会いしたことあるんですか?
ないです。
お会いしたかったですよね。
素晴らしいお仕事ですよね。
これを数十年前にやってるっていうのがすごいなと思う。
そうなんですよね。だってターキラーの時もそうだけど、ICレコードとか何もなくて、一個一個起こしてたわけだろうし、何人もスタッフの人関わってたみたいですけど。
しかもこの在外日本人出てくる日本人の人って本当にある意味というか、当然ブラジルとかもそうですけど、みんなその地に行った一世みたいな人たちだから恋ですよね。
そうですよね。その時にやらなかった、聞けなかった話がいっぱいあるんでしょうね。
ちょいちょい巨名人もね、ちょっと混ざってるっていうのも、スタッツアーケルとかも混ざってるじゃないですか。
カート・ボネガットとかもスタッツアーケルのあれ、歯科なんかに入ってますよね。
足に入ってるんでしたっけ。確かに。だから同列なんですよね、有名文明もね。
そうですよね。
僕らはっていうのも恐縮ですけど、やっぱりあの姿勢の人、普通の人の話が明らかに面白いっていうのはわかるんですけど、あえて言語化すると、かなりやっぱり聞かれると思うんですよ。
なんで普通の人の話をこんな聞いてるの?みたいに聞かれることあると思うんですけど、面白い以上だと思うんですけど、でもあえて言うなら。
あえて言うなら何ですか。なんかその30代の頃とか雑誌の仕事をしてた時に、インタビューする仕事で、会いたい人に誰かいますかって言って、その人のセッティングしてインタビューしていいですよって言ってくれた時あるんですけど、
有名人で会いたい人って誰って答えます?
僕はでもちょっと好きなみで、しかも超ハードル高くて恐縮なんですけど、僕は村上春樹さんにインタビューしたいっていうのがあって。
まだしてないんですね。
してないです。ちょっと色々試みてる。試みてるっていうか、ちょっと計画中なんですけど。めっちゃハードル高い。
なんか思いつかなくて、テレビの仕事をした時も、ゲストで誰を呼びたいかっていう会議が私一番苦手だったんですけど、なんか全然有名人で思いつかなくて。
テレビで言ったのはディエゴ・マラドーナって言ったんですけど、死んじゃいましたけどね。
で、なんかそれで思いつかないし、そういう質問されるたびに、なんか本当に好みですけど、有名人とかじゃなくて漁師さんとか、なんかそういう人の話の方が多分自分は好きだなーっていうのはおぼろげに思ってました。
無理無理理由、なんかわざとくっつけるとするならば、いろんな有名人もいると思うんで一緒くたにはできないと思うんですけど、何度も何度も多分同じこと考えられると思うんですよ。
インタビューするときに相手が何度もインタビュー受けてる人、受けられてる人ってもう答えがあって、それをなぞるっていうか、なんかそのつまんなさじゃないですか。
なので、そこのまだ誰も聞かれてないことで、かつ相手にも面白くみたいなのを常にチャレンジしてるんで。
そういう仕事ですよね。
そうだと思います。なんかだけど、マチバンの人とかで、インタビューなんかそんなされたことない、俺に面白い話なんかないっていう人を掘っていく喜びってあるじゃないですか。
面白いことないって言っても、聞いていけば絶対面白い話があるんですよね。
だからなんかそういうのが好みっていうだけだと思います。
素晴らしいですね。
じゃあもうそれを、今の話行くとね、図書館で見つけた日からスタートサーキル見つけた日から、いろいろ時間がかかったけど、そういう意味では本当に自分を生きてる感じですか。日々いろいろあるでしょうけど。
答え合わせしてる感じはありますね。
答え合わせ。
スターキルもそうですし、今横浜に来るときに本当に思ったんですけど、横浜に来たら思い出すことがあるとか、そういうので、あの時なんだか意味がわかんないけどやってたこととかが繋がってきたり。
あと年取る醍醐味だと最近すごい思うのは、今日もあったんですけどね、全然違うところで知り合いだった人とこっちで知り合った人が実は繋がってたみたいなすごいありますよね。
これって年取ってきてるから、いろんな人と会ったから起こることで、さっきもそれがちょうどあったんですけど、なんかそういう感じで、でもわかってみると、さっきも全然違うところで知り合った人とこの人が知り合いだってわかって、えーって思ったけど、考えてみれば、この人たちの根っこは一緒だし、そのどっちも私が好きなことだから、
あ、そっかそっか、この人同士が実は古い付き合いでっていうのは、そっかってわかるみたいな、なんかそういう意味の答え合わせになります。
じゃあ今、本。はい。逃がしません、まだ。
曲か、食、映画、場所、記憶、何でもいいです。
食は、これって食べ物でもいいし、料理でもいいし、この飲食店でもいいし、もう食を選ぶ。
他の選択肢で。
場所か食かわかんないですけど、言うと、その酒場学校っていう草野新平さんが、1960年に初めて、新平さんも僕に亡くなってて、そのお店もないかったんですけど、
そのお店を最後に手伝ってた人が、ママが別の場所で、学校って名前の、別の場所っていうのが新宿ゴールデン街なんですけど、私がしたときはゴールデン街にあったんですけど、そのお店を作ったんですね。
で、私は新平さんで卒論書いたので、草野新平っていう新聞記事とか載ってるぞとか思ってみたら、なんかそのママの記事がちょうど載ってまして、
それでその学校という場所、私そのときまで新宿ゴールデン街のどこにあるかも知らない優等生だったんですけど、
優等生、まだA3Nだったんですね。
不良に落ちていく過程でゴールデン街を調べて、すごい見栄えな気持ちでそのお店に飲みに行ったのが2008年なんですけど、
最近じゃ最近ですよね。
それで、そのお店ってひょんなことからお店を手伝うことになって、そのお店は2013年に終わっちゃったんで、ちょうど12年前ですかね。
なんで最後の5年間だけそのお店に関わってたんですけど、そのお店のことも本にも書きましたけど、
それが私が生まれて初めて長い文章を書いたやつなんですよ。
その酒場学校の日々っていう原稿が、それこそ本になる予定も何もなくて、誰からも頼まれてなくて、原稿の採束もされずに、
だから本当にゆっくりなんか自分の楽しみみたいにして書いて、最後まで書けたらそのお店の常連客の人たちにコピーでも配ろうかなぐらいの、
世の中のみんなに読んでもらうという意識もあんまりなくて、でもなんかそのお店が好きすぎたんで、好きだったし、
その酒場学校っていうのをママがもう閉じるってなった時に、私手伝ってたんで、ママもだし常連客の人たちもみんな私が後継ぐと思ったんですよ。
継いでくれたらいいなってみんなが思ってくれたし、私もそのお店の場所がなくなるの嫌だから、
私が継いで存続させる方が自分にとってもお店がなくならないからいいかなっていう気持ちも一瞬よぎったんですけど、
それこそ何したらいいかも分からない人生を送ってた時だったんで、その道もあるなと思ったけどやっぱり選べなかったんですよね。
それで、自分が後継げなかったっていう罪悪感みたいなのもあったし、
あとお店がなくなったことを忘れないでおきたいっていうか、成仏させるために書き残しておこうかなと思って書いた原稿がそれなんで、
原稿を書いてそれが本になって、それから分泌業が始まるわけなんで、そういう意味ではその場所ですね。
人生の新たな一歩
今でもそのお店の場所はあるんですけど、次の人とかがそのお店の場所を継いで別のお店をされてるんですけど、
そこのお店は実は行ったことなくて、前もなかなか今でこそ通れるかな。
俺が行ってもそこにもう学校がないっていうその路地を通るのが、現実を見たくないというか、なかなかですし、
その学校が違うお店に変わっちゃった場所にドアを開けて入るっていうのができなくて、
だから、いまだにどこかにあるように思いたいというか、そういうかもしれないんですよ。
今日ここまでね、この本やいろんな話をして、金井さんの人生というか反省も伺ってきて、今ちょっと思ったんですけど、
やっぱり今のね、やっぱり酒場の部分が大きなタイミングポイントだと思いますし、この世界に入るというか何度もおっしゃってると思いますけど、
やっぱりそういう運命、流れだったと言ったらそれまでかもしれないですけど、やっぱり同じような状況でもこういうふうに人生が一気に開ける人と開けない人っているのかなと思うんですけど、
あえてもしまた無理くりになっちゃうかもしれないですけど、ご自身でやっぱりそこで実験中のこっちへ飛び出せた、
そして一応飛び出し続けられている、
ゆえんって何ですかね。
何ですかね、何ですかね、多分どうなんだろう、
あの若い時にこの仕事をやっていたら、楽しかっただろうなとも思うし、体育もあったし、もっとなんかいろいろできたかなっていう気持ちもないではないですけど、
金井真紀のキャリアの考察
でも多分、ほら若い時って何でも来た仕事は何でも断るなとか、実際そうだと思うんですよ、若い人はいろいろやったほうがいいからっていうのはその通りだと思うんですけども、自分は年取ってるから
なんかその全部はできないし、であとその、
例えば若い時だったら文章を書く仕事だったら何て言うのかな、
ライター業に執着して文章書く仕事だったら何でもやろうとかって、
生き抜きようとかって思ってたかもしれないんですけど、
なんか遅く始めたんで、
もうそんなに生きてる間に書けることも、しかも仕事が遅いから、書けることももう限られてるし、見えるものも聞ける話も限られてるから、
違うことやってる暇ないぞみたいなのもあるし、
あとなんだろう、どうしてもライターでいたいとかイラストレーターでいたいとかっていう、
たまたまラッキーに今そのことが役目があるだけなんで、役目が終わったらそのことをすればいいし、
書く仕事じゃなくても何か役立つことがあればそれやればいいかなとかって、
あんまり絶対これじゃなきゃみたいになってないんですよね。
でもそれは自分が若かったら、若い自分がいたらもうちょっとちゃんとそういうふうに思えって思うかもしれないし、
でもなんか緩いんですよ。
多分それかもしれないですね。
じゃあ究極、その生き方のスタイルとしては今大事にされていると思いますけど、
その肩書きとかそういうもの究極的にはこだわりはそんなにない。
そうですね、そうですそうです。
すいません、あと3分なんですけど、ちょっと伸びちゃっていただいて。
旅とお金の関係
もちろんだいじょうぶですよ。
今さら始まって1時間以上経ってから。
イラストレーターっていうのは、イラストはいつからイラストレーター?
イラストも41から。
すごいな。
ほぼですね、ちょっとだけ何か頼まれて書いたことがわずかにありましたけど、
でも絵を書いてなかったんですよね。
だから今でもうちにあるんですけど、書き始める時だって小学校の時の筆、
6年5組って書いてる筆、今でもあるんですけど、それで書いてたぐらいですから。
でももちろん仕事としては置いといて、やっぱり何か昔からちょっと絵描くの好きだったとかイラストとか。
全然?
ほぼなんですよ。
高校の時も芸術専攻で書道を取ってましたからね。
今はなんで美術を取ってなかったんだろうと思うし、
美大とかにすごい憧れが今あるんですよ。
当時は全然思ってもなかったけど、
今は美大とかで勉強した人っていいなって、画材のこととかわかってるから。
何も知らないで40になってたんで。
書いたことないでしょって言われると書いたとすれば、
旅行に行った時に食べたものとか書くじゃないですか。
うまいも下手もなくこんなパンの上にこんなの乗ってたよみたいな。
そういうのと、あとはその酒場学校でいきなり会うの店のカウンターの内側に入ることになったんですね。
ママが入院しちゃって。
だから全然客の名前も顔もわかってなかったんで、
お客さんの顔を似顔絵を書いてたんですね。
で、こんなお客さんが来て何飲んで帰って、何の話、映画の話して帰ってったみたいなことを、
日記じゃないけど書いてて、
それを入院中のママに見せるためだけに書いてたんですけど、
そのぐらいしか本当に書いたことなかった。
じゃあ必要を講じてちょっと書き始めたみたいな。
必要っていうかね、自分でもゼロから書きたいみたいにっていうより、
そういう状況の中でちょっと書いてた。
でもそれ仕事じゃないですもんね。
好きで、好きでっていうか、ただ自分のメモで書いてただけで、
でもそのやっぱり面白いことだけで食べていけるかの実験が始まった時に、
なんか絵も書いちゃおうと思ったんですかね。
すごいな。
涼しいですよね。
だからね、長く絵のことをされている人が見たら、
もう素人の絵ってのはすぐわかると思うんですけど。
それは僕のインターネットです。
全然こんなことないです。
20年ぐらい続けてた。
それはもうプロですよ。
それは置いといて。
今、この定蘭の素敵な女もそうですし、他もですけど、何でしょう。
今もちょっと苦い話出てきましたけど、
金井さんの中で何か作品というか本とか原稿を書く時っていうのは。
当然人がまずほとんど人ありきだと思うんですよ。
まずイラストから入るのかとか、
実際イラストを求められていない原稿もあると思いますけど、
つまり資格から入るのか、文字から入るのか、
どういう感じなのかな。
イラストレーターとしての金井真樹から入っているのか、
文筆家としての金井真樹として入っているのか。
でも文章ですかね。
やっぱり文章。
そうだと思います。
絵は本当に基礎ができていないんで。
だけど共通してあるのは、
もしかしたら早川さんも一緒かもって今思ってきたこと言っていいですか。
私が書いても書かなくても、
もうすでに世の中にはあるんですよね。
面白い話とか、素敵な人とか。
別に書いても書かなくてもある。
それを拾ってきて並べたいというか、
そういう欲だけで、
自分の内側から創作意欲がふつふつと湧き出て、
物語を書けるとかいうことは全くなくて、私の場合は。
ただもう世の中にあるものをたまたま知り合ったとか、
見せてもらった、聞かせてもらったことを、
ちょっと書き留めておきたいっていう、
その欲求だけなんで、
言葉も書き留めておきたいし、
もしこの顔とかその雰囲気があったら、
それもちょっと身代え書いておきたいっていうだけなんです。
同じですか。
最後に2つがいいですか。
やっぱり金井真樹さんといえば、
旅とか文筆とかっていうところがすごく、
僕はイメージ湧くんですけど、
旅とお金って切っても切れないと思うんですよ。
あれだけ外から見ると世界を飛び回っていて、
いわゆる旅とお金、どう向き合っているかっていう、
ちょっとざっくりとしたものなんですけど、
例えば宿、食事、航空券、
そういうザお金っていうものじゃなくてもいいんですけど、
やっぱりもちろんそこで本にすることであると思うんですけど、
旅とお金、文筆とお金、金井真樹とお金っていうところで、
ふと自分の中でこだわっていることとか、
向き合っていることって大きな質問ですけど。
それもやっぱり実験なんで、
ですよね。
そろえないんですよね。
そろえないって。
お前が別に誰より頼まれてないんだけど。
今日の裏テーマがまさにこのBサイドで生きていくって。
誰も頼んでないけど、
自分としてはこれは行きたいなとかまた行かないとってなっちゃうんですけど、
大事なことは、もちろんその、
自分が生きていけなくなったら困るんで、
その範囲を見極めは、ざっくり見極めはしますけど、
細かく計算しないってことですね。
いいですね。
細かく計算したら絶対に赤字だし、
でもそれを日割りとか時給換算とかし始めたら、
もうやってられないじゃないですか。
だからもう細かい計算はしないほうがいい。
僕たちは超長期に見てるんですよね。
本当に。
それが一つのポイントかと思いますね。
そこは大きいですね。
それシンプルにおっしゃいましたけど、本当にそこが。
そうですね。一冊ずつとかね。
いろいろ、でも私ぐらいの、
売れっ子の方はまた別に取材減てると思いますけど、
取材減てるってことはほぼないので、
陰性の前借りとかそういうことになるんですけど、
その前借りしたものと、今回の航空券、
野菜とかを計算したら駄目です。
絵本制作の挑戦
比較したら駄目。
それをまた誰かなんかに言っちゃうとね。
ざっくりと前借りできるっぽいぞって、
このぐらいだなって思って、
予約しますけど、格安。
いろいろ。
それはでも先輩です。
私よりもっと年上の、もっとキャリアのある、
もっと名前の売れてる先輩でも、
深夜バスも乗りますし、
格安航空券ね、
ちょっとずつ直行便あるところでも
ちょこちょこ行くとか、そういうの聞きますと、
そういうものなんだろうなと思って。
あと一つは、
出版界が景気が良かった時代を生きてたけど、
自分はこういう仕事してなかったから、
そういう先輩とか同級生とかの、
世代の人とかも、
昔は良かった話がよくあるじゃないですか。
取材がいくらでも出たとか、
なんか宅券が出たとか、
そういうことが全くないんで、
良かったなと思って。
比較しちゃうとね、
現行量もどんどん下がる一方だとか言うじゃないですか。
最初から下がってるから、
心穏やかに。
最初から自腹当たり前なこととかね。
そうです、それは一つあるんですけど。
計算しないってことですかね。
本当に最後なんですけど、
金山紀さん、これ流れの12月ぐらいなんで、
まずせっかくなんで、
あえて宣伝、
文筆家いらすれだ金山紀として、
この12月配信の今回、
なんか宣伝することお知らせありますか。
次に出ると思われるものは、
来年の2月頭なんで、
12月後も公表するかしてないかっていうことだと思うんですけど、
絵本で、
それがクルードの人たちの絵本で、
それこそいろんなところに、
それを計算しないでいきましたけど、
日本にもクルードの人住んでますけど、
クルードの人って、
お正月が旬分の日なんですね。
イランとかもそうなんですけど、
旬分の日になると、
ドレスを着てみんな集まって、
輪になって踊りまくるんですよ。
日本でも埼玉にクルードの人結構多いんで、
埼玉の河川時期で、
その祭りがあるんですけど、
クルード人って自分の国がないから、
世界中に移民してて、
3月20日ぐらいになると。
それを取材してきた話を絵本に、
それが出ると思います。
部門ですけど、絵本の絵も描くんですね。
初めて私、絵本って描いて、
初めてなんですか、意外ですね。
こんなに大変と思わなかったです。
この夏ずっとそれやってて、
絵本の絵、大変ですね。
本当に絵が上手い人が描くべきもので、
時間かかるんで。
気軽にってわけでは、
そこはやっぱり行かなかったんですね。
そうです。すごい大変でした。
ずっと絵描いてて、
それが終わった時の寂しさ。
9月何日かに描き終わったんですよ。
もう描くものがないってなって。
それはずっと7月ぐらいから
ずっとこの夏でやってたんで。
亡くなった時も寂しくて。
こんな感じで。
じゃあ、この肩書に文筆かイラスト描いた絵本作家っていうのは、
いいですね。
どんどん変わってます。
はい、それが絵だね。
ぜひ皆さんね、チェックしていただきたいです。
本当に最後なんですけど、
今直近はその絵本が出るって話ですけど、
これからまだまだ人生、
倍あると思いますけど、
生涯かけて実はこれやれたらいいなっていう。
全然実は、さっきの話じゃないですけど、
肩書に関わらずでもいいんですけど。
生涯かけて。
そんな重くなくてもいいんですけど、
こんなこと実はやってみたいっていう。
別に仕事じゃなくてもいいですし、
やってないことでとか。
なんですかね。
なんですかね。
だからやっぱり生まれ変わってもとか、
生涯かけてとか、
森に帰るという考え
長期のビジョンがないのかもしれないです。
でもお金に関しては、
僕ら長期ちゃんと見てますよね。
そうですね。
なんかあんまり将来のこと、
その時が来たら心配すればいいけど、
先々心配しないで、
先回りしてね。
心配しないで、
まあのんきにいけたらいいかなっていうことですね。
だから、
この大プロジェクトを
絶対にとか、あんまりそういうの
ごめんなさい、なんかいい答えがないんですけど。
全然全然全然。
なんかこの仕事を
始める前、始めた直後か。
ドリアン・スケ川さんって
詩人で、
音楽とかもされたりする。
大学の先生やってらっしゃるんですけど、
ドリアン・スケ川さんも酒場学校の
お客さんだったんですよね。
最後の何度か来てくださった
っていう感じのお客さんだったんですけど、
その時に、
こういう、原稿も最初に読んでもらったし、
これ本にしたらいいとか、
この仕事やってたらいいよって
すごい背中を押してくれたんですけど、
その時に
覚えてるのは、
たぶんあれね、今思うと本人は
自分自身に言ってたんだろうなって思うんですけど、
すごい酔っ払って、
とにかくこの世の中にいるのは、
仮の姿っていうか、
みんなどんな人も、
森から、
森って言ってたんだよな、
森から今のこの世に出てきて、
自分のこの世の中でやる仕事を終えたら、
また森に帰っていくと。
みんな森に帰っていくんだから、
心配しなくていいと。
だから、
これ食べていけなくなったらどうしようとか、
お金がなくなったらどうしようとかって、
心配しないで、
どうせ最後はみんな森に帰るんだから、
で、たぶんまきちゃんは、
ユーモアと言葉の森って言われたんですけど、
帰るから、
それまで気楽に
こっちで生きて、
最後森に帰ればいいよって。
あれだけど、
あれたぶんご自身にすごい言ってたんだろうな、
っていう気もするんですけどね。
で、なんかそれを森に触れて、
思い出すんで、
いずれ森に帰るっていうのが、
目標ですかね。
金井真紀の活動
いいですね。
はい、ということで、
ぜひですね、
金井まきさんのこのテーランの素敵な音楽、
そしてその他著書も多数ありますし、
来年2月にはまた、
本も出るということで、
楽しみにしていただけたらと思います。
あ、本当にすいません、長くてあれです。
金井まきをチェックしたい人はもちろん本ですけど、
どこに一番アクセスすればいいみたいな。
SNSとかそういうやつですか。
はいはいはい。
えっと、
旧Twitterもやっております。
そもそも。
はい。
Facebookもやっております。
Instagramは今、乗っ取られてるんですけど。
あ、そうなんですか。
乗っ取られてないんだけど、
偽物が出てます。
もうそれ有名人の証ですかね。
そうなんですか。絵を描く人が狙われるって言われて、そうなんですか。
そうなんですか。
わかんないけど、今偽が出てきてるんで、
どうしようかなと思ってます。
インスタグラムかと思っております。
ぜひフォローいただけたらと思います。
はい。
ということで、今日はですね、
ブンピスカでイラストレーターの金井まきさんにお話を伺いました。
金井さんありがとうございました。
どうもありがとうございました。
44:47

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