昨日と今日でまた違いますからね、極端に。
そうですよね、そうですそうです。
そういう意味では、しどろもどろ、この本書いてた、今取材を思い出す中で最もしどろもどろしたのは、どんなエピソード、絵が出てきましたか。
どうもしどろもどろ。
弁護士さんで、戦う弁護士さんで、それこそ話した話全部そのまま書いてください、名前もそのまま書いてくださいとかいう着物を育った方でしたけど、あまりにもこの本で全部話してくれるんで、もっとあわあわしてましたね。
でも逆にそうですね、取材するほうかするとやっぱり本音をお話いただきたいとか、引き出したいというとあれですけど、すごく取材者妙利には尽きるんですけど、本当に全て話してくださると逆にちょっとあわあわつくことありますよね。
そうですよね。
その人の前でも泣きましたけど、何度も結構泣いちゃうんですよね。それはちょっと年取ってきてからかもしれないけど、なんかもう聞いててね、しかも通訳さんを通して聞いているのに、あわあわしちゃうっていうのは何度かありましたけど、そのうちの一つでよく覚えているのは。
このシーマーズ・クルシェさん。
そうですね。
じゃあその後もね、さっきもおっしゃいましたけど、イラン、この本を書いてから何回か2回ぐらいって。
そうですね。
書いてからっていうと、1年2年ぐらいなので、そんなすごい経ってないと思いますけど、その後、金谷さんご自身の体感です。やっぱり1年2年でも、イラン変わりつつあるみたいな感じがしますよね。
一回目は、まず本が出る前に、原稿の確認してもらいがてら、行きたくて、とにかく好きになっちゃうんで。
行きたくて行ったんですけど、その時も行っている間にちょうど、ちょっとイスラエルトのあれがあったんですね。
その後、次に行ったのは、一番最近は、本ができた後に本を届けに行ったんですよ。
特設憲法案。
郵便とか怪しいじゃないですか。イランちゃんと届くのかなみたいな。
それで皆さんに渡して、もう一回再会できたんですけど、その時もやっぱり、たまたまですけど、その頃はまだ上段が得る時期で、
牧野が来るとイスラエルが打ってくるから、なんかモサドと関係あるんじゃないかみたいな、ジョークも結構笑えないんですよ。
その後、本当にせざわれちゃったんで、あの時はまだちょっとしたあれだったんで、ちょっとしたっていうか、打ち込んできたからこっちもお礼に打ち込むよみたいな。
ずっとだから、2回とも、もうそうなると、テレビはずっとそれやりますし、その亡くなった方のずっと、
水道番組みたいなのをずっとやって、とにかくもう許せないと、イスラエルを攻撃するんだということとか、
あと最高指導者の人が出てきて、そのことを言ったりして、みんなで一斉に礼拝するみたいなのとかで、
ちょっと、戦時体制になるみたいな雰囲気になるんで、またこの取材の時とは違った感じで、
飛行場なんかも目封されちゃうとかで、みんなが帰れないんじゃないかとか心配してくれたりして、
私はもういっそ帰れないならここにいたいみたいな、くらい思ってましたけど、
なんか、ちょっと気が臭い感じというか、ミサイルが飛んできたのを見ましたよ、なんていう人がいたりとかですね。
結構そういう時でしたね。
で、その後本当の戦争も今年あったんで、今年はちょっと行きたいと思いながらまだ行けてなくて、
ちょっと様子を見ながらね。
あとその後の戦争もそうですし、今本当にインフレがすごいらしくて、
すごい、もうちょっとありえないくらいにどんどんどんどん部下が変わっちゃって、
あと電気とか水道とかも止まっちゃうとかも結構あるらしくて、
なんか全然報道されてないんですけど、本当にこう暮らしが困るっていうか、
といってね、要するに国も今なかなか逃げられないですし、
だからどう?困ってるみたいですね。
そうか、じゃあ今そういう状況なわけですね。
でもここで知り合った方は、もちろん訪れたり、さっきのね、サッカーの方はこっち来たりとか、
ゆるーくやり取りは今もある感じですか?
そうです。
それは英語とか?
そうですね、英語とか、翻訳アプリとか。
やっぱり金山紀も翻訳アプリの恩恵には預かる?
もちろんですよ。あれなかったら、私本当に何もできない。
いいんですか?コミュニケーションがめちゃくちゃ高いんですよね。
いやいや、だからそんな感じですよね。だいたいよくわかんないですね。
なるほどね。ありがとうございます。
ここからですね、少しパーソナルな方に入ってきますが、
事前にお伝えしたんですけども、
番組のキークエスチョンということで、いいですよ。この場で止まってもいいですよ。
一応ですね、生まれ変わっても忘れたくないものということで、
本当はトランプを用意しようと思ったんですけど、すいません、今日ちょっとトランプを忘れちゃってですね、
ここに6つのカードがあります。
本、曲、食、映画、場所、記憶。
この中で、これ生まれ変わっても忘れたくないな、持ってきたいなっていうことを2つ選んでもらいたいんです。
これすごい困ってですね。みんな困ってます。
ですよね。この質問本当に。
まずですね、根本的なこと言いますとですね、生まれ変わってもっていうところが、
生まれ変わってもってきたいものあんまないかなと思っちゃったんですよね。
なるほど。
そういう人もいますか?これまで。
その答えじゃないんですけど、そもそも俺の質問が破綻してるって言われたことだって。
なんか違うロジックで僕も言われて、なので言い方ちょっと今回変えたんですけど。
死ぬまで忘れたくないだったらなんかあるんですけど、だいたいもうそこで終わりじゃないかみたいな、
なるほど。
なんて言うんですかね。
えっとね、そうなんです。
もっと言うと、死ぬまでも忘れてもいいやみたいな気もしてて。
なるほど。棚絵巻になるともはや。
なんか、すごい大事だったものとか、今思い出すともう本当に忘れたくない記憶とかありますけど、
でもどんどん過ぎ去っていって、永遠はないので、
だんだん忘れていっちゃったり、忘れていっちゃったり、相手が自分を忘れたりとか、
そういうものかなーみたいな感じで、
なんかあんまり執着しないってわけじゃないけど。
じゃあ、月並みな質問しちゃいますけど、
本当に人生で大切にしたい、つまり人生を変える一冊とかあるじゃないですか。
人生の本、人生、自分の一番好きな本、曲、食、映画、場所、記憶、この中で2つ。
ありがとうございます。
で、割ります。
どうぞ。
一番気がつかないで。
全然、全然。
やっぱり棚絵巻が、これ聞いてる方は棚絵巻が好きなものっていうのをやっぱり知りたいと思うんですよ。
さっき早川さんもメールにも書いてくださったし、多分今そこに在外日本人持ってくださってるんですけど、
あとスタッツターケルも好きなんですよね。
大好きです。
だからそれを聞いて、やっぱりスタッツターケル。
なんかこう思い出すとあれかなって思うんで、同じ感じですか。
もう恐縮ですけど。
いつ読みました?
僕はなんか感覚でその起業して20年ぐらい前にいろいろやってた時に出会った人が、
なんか君やってることをスターケルみたいにできるんじゃないかって言われてから知ったんで、
でももう15、6年ぐらい。やっぱりやられたっていうふうに思う。
あの発想でいくと無限に少なくても理論上いろんな本作れるじゃないですか。
でも僕はなんかね、やっぱりカナエさんと違ってというか、やっぱり僕もまだそこを作りきれてないんで、
だからやっぱりなんかいろいろ言い訳して作ってなかったんで、
これから一気にカナエさんに今日お話を伺えたんで、やりたいなって思ってるんで。
スターケル逆にカナエさんは、図書館で見つけたんじゃなくて、何をきっかけにそれを知ったんですか?
見つけた、見つけたと思います。
すごくないですか。
やっぱりもちろんね、今でこそというか、知る人ぞ知るだし、その業界で有名ですけど、
別に図書館でもすごい倍率高かったわけじゃないですよ。
そうですよね、ばあつい本ですね。
なんで見つけたんですかって言われても困ると思うんですよ。
本屋さんでね、ビビビっていうのと一緒だったのか。
そうですよね。それも書文社だったんですけど、在外日本人とか、在日外国人でしたっけ?
その逆バージョンとか、いろいろそういう聞き書き衆がありましたよね、書文社で。
で、あれを読んだんですよね。
カナエさん、柳原さんもう亡くなっちゃいましたけど、お会いしたことあるんですか?
ないです。
お会いしたかったですよね。
素晴らしいお仕事ですよね。
これを数十年前にやってるっていうのがすごいなと思う。
そうなんですよね。だってターキラーの時もそうだけど、ICレコードとか何もなくて、一個一個起こしてたわけだろうし、何人もスタッフの人関わってたみたいですけど。
しかもこの在外日本人出てくる日本人の人って本当にある意味というか、当然ブラジルとかもそうですけど、みんなその地に行った一世みたいな人たちだから恋ですよね。
そうですよね。その時にやらなかった、聞けなかった話がいっぱいあるんでしょうね。
ちょいちょい巨名人もね、ちょっと混ざってるっていうのも、スタッツアーケルとかも混ざってるじゃないですか。
カート・ボネガットとかもスタッツアーケルのあれ、歯科なんかに入ってますよね。
足に入ってるんでしたっけ。確かに。だから同列なんですよね、有名文明もね。
そうですよね。
僕らはっていうのも恐縮ですけど、やっぱりあの姿勢の人、普通の人の話が明らかに面白いっていうのはわかるんですけど、あえて言語化すると、かなりやっぱり聞かれると思うんですよ。
なんで普通の人の話をこんな聞いてるの?みたいに聞かれることあると思うんですけど、面白い以上だと思うんですけど、でもあえて言うなら。
あえて言うなら何ですか。なんかその30代の頃とか雑誌の仕事をしてた時に、インタビューする仕事で、会いたい人に誰かいますかって言って、その人のセッティングしてインタビューしていいですよって言ってくれた時あるんですけど、
有名人で会いたい人って誰って答えます?
僕はでもちょっと好きなみで、しかも超ハードル高くて恐縮なんですけど、僕は村上春樹さんにインタビューしたいっていうのがあって。
まだしてないんですね。
してないです。ちょっと色々試みてる。試みてるっていうか、ちょっと計画中なんですけど。めっちゃハードル高い。
なんか思いつかなくて、テレビの仕事をした時も、ゲストで誰を呼びたいかっていう会議が私一番苦手だったんですけど、なんか全然有名人で思いつかなくて。
テレビで言ったのはディエゴ・マラドーナって言ったんですけど、死んじゃいましたけどね。
で、なんかそれで思いつかないし、そういう質問されるたびに、なんか本当に好みですけど、有名人とかじゃなくて漁師さんとか、なんかそういう人の話の方が多分自分は好きだなーっていうのはおぼろげに思ってました。
無理無理理由、なんかわざとくっつけるとするならば、いろんな有名人もいると思うんで一緒くたにはできないと思うんですけど、何度も何度も多分同じこと考えられると思うんですよ。
インタビューするときに相手が何度もインタビュー受けてる人、受けられてる人ってもう答えがあって、それをなぞるっていうか、なんかそのつまんなさじゃないですか。
なので、そこのまだ誰も聞かれてないことで、かつ相手にも面白くみたいなのを常にチャレンジしてるんで。
そういう仕事ですよね。
そうだと思います。なんかだけど、マチバンの人とかで、インタビューなんかそんなされたことない、俺に面白い話なんかないっていう人を掘っていく喜びってあるじゃないですか。
面白いことないって言っても、聞いていけば絶対面白い話があるんですよね。
だからなんかそういうのが好みっていうだけだと思います。
素晴らしいですね。
じゃあもうそれを、今の話行くとね、図書館で見つけた日からスタートサーキル見つけた日から、いろいろ時間がかかったけど、そういう意味では本当に自分を生きてる感じですか。日々いろいろあるでしょうけど。
答え合わせしてる感じはありますね。
答え合わせ。
スターキルもそうですし、今横浜に来るときに本当に思ったんですけど、横浜に来たら思い出すことがあるとか、そういうので、あの時なんだか意味がわかんないけどやってたこととかが繋がってきたり。
あと年取る醍醐味だと最近すごい思うのは、今日もあったんですけどね、全然違うところで知り合いだった人とこっちで知り合った人が実は繋がってたみたいなすごいありますよね。
これって年取ってきてるから、いろんな人と会ったから起こることで、さっきもそれがちょうどあったんですけど、なんかそういう感じで、でもわかってみると、さっきも全然違うところで知り合った人とこの人が知り合いだってわかって、えーって思ったけど、考えてみれば、この人たちの根っこは一緒だし、そのどっちも私が好きなことだから、
あ、そっかそっか、この人同士が実は古い付き合いでっていうのは、そっかってわかるみたいな、なんかそういう意味の答え合わせになります。
じゃあ今、本。はい。逃がしません、まだ。
曲か、食、映画、場所、記憶、何でもいいです。
食は、これって食べ物でもいいし、料理でもいいし、この飲食店でもいいし、もう食を選ぶ。
他の選択肢で。
場所か食かわかんないですけど、言うと、その酒場学校っていう草野新平さんが、1960年に初めて、新平さんも僕に亡くなってて、そのお店もないかったんですけど、
そのお店を最後に手伝ってた人が、ママが別の場所で、学校って名前の、別の場所っていうのが新宿ゴールデン街なんですけど、私がしたときはゴールデン街にあったんですけど、そのお店を作ったんですね。
で、私は新平さんで卒論書いたので、草野新平っていう新聞記事とか載ってるぞとか思ってみたら、なんかそのママの記事がちょうど載ってまして、
それでその学校という場所、私そのときまで新宿ゴールデン街のどこにあるかも知らない優等生だったんですけど、
優等生、まだA3Nだったんですね。
不良に落ちていく過程でゴールデン街を調べて、すごい見栄えな気持ちでそのお店に飲みに行ったのが2008年なんですけど、
最近じゃ最近ですよね。
それで、そのお店ってひょんなことからお店を手伝うことになって、そのお店は2013年に終わっちゃったんで、ちょうど12年前ですかね。
なんで最後の5年間だけそのお店に関わってたんですけど、そのお店のことも本にも書きましたけど、
それが私が生まれて初めて長い文章を書いたやつなんですよ。
その酒場学校の日々っていう原稿が、それこそ本になる予定も何もなくて、誰からも頼まれてなくて、原稿の採束もされずに、
だから本当にゆっくりなんか自分の楽しみみたいにして書いて、最後まで書けたらそのお店の常連客の人たちにコピーでも配ろうかなぐらいの、
世の中のみんなに読んでもらうという意識もあんまりなくて、でもなんかそのお店が好きすぎたんで、好きだったし、
その酒場学校っていうのをママがもう閉じるってなった時に、私手伝ってたんで、ママもだし常連客の人たちもみんな私が後継ぐと思ったんですよ。
継いでくれたらいいなってみんなが思ってくれたし、私もそのお店の場所がなくなるの嫌だから、
私が継いで存続させる方が自分にとってもお店がなくならないからいいかなっていう気持ちも一瞬よぎったんですけど、
それこそ何したらいいかも分からない人生を送ってた時だったんで、その道もあるなと思ったけどやっぱり選べなかったんですよね。
それで、自分が後継げなかったっていう罪悪感みたいなのもあったし、
あとお店がなくなったことを忘れないでおきたいっていうか、成仏させるために書き残しておこうかなと思って書いた原稿がそれなんで、
原稿を書いてそれが本になって、それから分泌業が始まるわけなんで、そういう意味ではその場所ですね。
もちろんだいじょうぶですよ。
今さら始まって1時間以上経ってから。
イラストレーターっていうのは、イラストはいつからイラストレーター?
イラストも41から。
すごいな。
ほぼですね、ちょっとだけ何か頼まれて書いたことがわずかにありましたけど、
でも絵を書いてなかったんですよね。
だから今でもうちにあるんですけど、書き始める時だって小学校の時の筆、
6年5組って書いてる筆、今でもあるんですけど、それで書いてたぐらいですから。
でももちろん仕事としては置いといて、やっぱり何か昔からちょっと絵描くの好きだったとかイラストとか。
全然?
ほぼなんですよ。
高校の時も芸術専攻で書道を取ってましたからね。
今はなんで美術を取ってなかったんだろうと思うし、
美大とかにすごい憧れが今あるんですよ。
当時は全然思ってもなかったけど、
今は美大とかで勉強した人っていいなって、画材のこととかわかってるから。
何も知らないで40になってたんで。
書いたことないでしょって言われると書いたとすれば、
旅行に行った時に食べたものとか書くじゃないですか。
うまいも下手もなくこんなパンの上にこんなの乗ってたよみたいな。
そういうのと、あとはその酒場学校でいきなり会うの店のカウンターの内側に入ることになったんですね。
ママが入院しちゃって。
だから全然客の名前も顔もわかってなかったんで、
お客さんの顔を似顔絵を書いてたんですね。
で、こんなお客さんが来て何飲んで帰って、何の話、映画の話して帰ってったみたいなことを、
日記じゃないけど書いてて、
それを入院中のママに見せるためだけに書いてたんですけど、
そのぐらいしか本当に書いたことなかった。
じゃあ必要を講じてちょっと書き始めたみたいな。
必要っていうかね、自分でもゼロから書きたいみたいにっていうより、
そういう状況の中でちょっと書いてた。
でもそれ仕事じゃないですもんね。
好きで、好きでっていうか、ただ自分のメモで書いてただけで、
でもそのやっぱり面白いことだけで食べていけるかの実験が始まった時に、
なんか絵も書いちゃおうと思ったんですかね。
すごいな。
涼しいですよね。
だからね、長く絵のことをされている人が見たら、
もう素人の絵ってのはすぐわかると思うんですけど。
それは僕のインターネットです。
全然こんなことないです。
20年ぐらい続けてた。
それはもうプロですよ。
それは置いといて。
今、この定蘭の素敵な女もそうですし、他もですけど、何でしょう。
今もちょっと苦い話出てきましたけど、
金井さんの中で何か作品というか本とか原稿を書く時っていうのは。
当然人がまずほとんど人ありきだと思うんですよ。
まずイラストから入るのかとか、
実際イラストを求められていない原稿もあると思いますけど、
つまり資格から入るのか、文字から入るのか、
どういう感じなのかな。
イラストレーターとしての金井真樹から入っているのか、
文筆家としての金井真樹として入っているのか。
でも文章ですかね。
やっぱり文章。
そうだと思います。
絵は本当に基礎ができていないんで。
だけど共通してあるのは、
もしかしたら早川さんも一緒かもって今思ってきたこと言っていいですか。
私が書いても書かなくても、
もうすでに世の中にはあるんですよね。
面白い話とか、素敵な人とか。
別に書いても書かなくてもある。
それを拾ってきて並べたいというか、
そういう欲だけで、
自分の内側から創作意欲がふつふつと湧き出て、
物語を書けるとかいうことは全くなくて、私の場合は。
ただもう世の中にあるものをたまたま知り合ったとか、
見せてもらった、聞かせてもらったことを、
ちょっと書き留めておきたいっていう、
その欲求だけなんで、
言葉も書き留めておきたいし、
もしこの顔とかその雰囲気があったら、
それもちょっと身代え書いておきたいっていうだけなんです。
同じですか。
最後に2つがいいですか。
やっぱり金井真樹さんといえば、
旅とか文筆とかっていうところがすごく、
僕はイメージ湧くんですけど、
旅とお金って切っても切れないと思うんですよ。
あれだけ外から見ると世界を飛び回っていて、
いわゆる旅とお金、どう向き合っているかっていう、
ちょっとざっくりとしたものなんですけど、
例えば宿、食事、航空券、
そういうザお金っていうものじゃなくてもいいんですけど、
やっぱりもちろんそこで本にすることであると思うんですけど、
旅とお金、文筆とお金、金井真樹とお金っていうところで、
ふと自分の中でこだわっていることとか、
向き合っていることって大きな質問ですけど。
それもやっぱり実験なんで、
ですよね。
そろえないんですよね。
そろえないって。
お前が別に誰より頼まれてないんだけど。
今日の裏テーマがまさにこのBサイドで生きていくって。
誰も頼んでないけど、
自分としてはこれは行きたいなとかまた行かないとってなっちゃうんですけど、
大事なことは、もちろんその、
自分が生きていけなくなったら困るんで、
その範囲を見極めは、ざっくり見極めはしますけど、
細かく計算しないってことですね。
いいですね。
細かく計算したら絶対に赤字だし、
でもそれを日割りとか時給換算とかし始めたら、
もうやってられないじゃないですか。
だからもう細かい計算はしないほうがいい。
僕たちは超長期に見てるんですよね。
本当に。
それが一つのポイントかと思いますね。
そこは大きいですね。
それシンプルにおっしゃいましたけど、本当にそこが。
そうですね。一冊ずつとかね。
いろいろ、でも私ぐらいの、
売れっ子の方はまた別に取材減てると思いますけど、
取材減てるってことはほぼないので、
陰性の前借りとかそういうことになるんですけど、
その前借りしたものと、今回の航空券、
野菜とかを計算したら駄目です。