ちょっとこの、わからないままで読み進めるのもアリかなっていうので思ったのが、
お二人、わからないものと出会った時どう向き合ってらっしゃるかなって思ったんですよね。
わからないもの?
いろんなリアクションがあると思うんですけど、
池谷さん、例えば、何でもいいんです。
AIって最新の情報でもなんかわかんないけど、
何か自分がまだわからないものに出会った時、どう向き合って、どうしてますか?
そういうことをわからないまま進めていくかな。
わからない前提。
この本からわかんないんですよね。
特に解けるさかなんて、そもそも意味がない話だから。
わかるわけがないけど、わかんないけど読んでるって感じ。
でも、一応わかんないなりにそれが最後まであると、一応最後まで頑張って、
結論わかりませんでしたっていうところまでたどり着く努力はするかな。
面白いね。まずそのまま突き進んでいく。
突き進んでいって、最後まで一応やって、やっぱりわかんなかったからわかんねえやみたいな感じで諦める。
面白い。だからそういうのが日頃の取り組みに生きてるんですかね。
あとでわかる時も来るしね。そういうのを含め楽しむっていうのはあるかもね。
じゃあそこでわかんないままでもいいやみたいなのがあるんですか、ベースで。
そうですよ。てか全部わかんないじゃん、基本。本とかだって全部わかんないじゃん、そもそもって感じだから。
なんでも万事そんな感じかもね。
しゅうへいちゃんは?
一緒です。
で、そんなわかりやすい嘘をつくんだ。
僕はどっちかというと、ああ、わかったと思って、ボイシーポッドキャストで話すじゃん。
話してるうちによく自信がなくなってきたなと思って読み直したりとか。
だからさっき生成AIって本を読んでて、自分AI使ってるけどこれ説明しろって言われたらわかんねえなと思って。
もちろん全部は無理だけど、LLMってどういう歴史だったのかみたいな本を読んで。
でもそれはやっぱり浅いわかるなんだよね、結局。
こういうのはわかったけど、じゃあそれがなんで生まれたのかとか、本当に細かい仕組みからって言ったら全然わからないし。
そういう意味で、僕は最初にわかったつもりになって、ぶち破られて、ふーんってなって、そのまま。
っていうのは結構あるかも。
でもひょんなことから、そういうことだったかもってなるときもあるし。
やっぱ本読んでるので、最近。
つながることがありますね。
最近読んでるので。
絶対買ったけど、中のやつ、真ん中最初は黄色い紙入ってた。
あれ入ったやつ。
それは僕、取っとくの好きなんですよ。
いや、嘘。
買ったまんまです。
まあまあ、わかんないこともあるけど、ひょんなことで何かつながったときに。
それはすごい好きかも。
こういうことだったのかもって体験で、さっきの遠回り、回り道っていうかしてるような気がしますよね。
わかんなかったのかと、行き止まりだったみたいな。
戻っていったら、あれこっちとつながってたんだみたいな。
でもそれは身近にいて思うかも。
池原さんが果敢に新しいことに進んでいってるときに、それを見ててわかんない。
わー、もやもやってしてるんですけど、やっぱわかんないまま放置しておいて。
何か別のことをしてるときに、やっぱこれ必要だったかって取り掛かるみたいな。
それはあるよね。
見てるとき多い気がする。
池原さんと同じことずっと同じタイムでやってたら、いつか死ぬと思ってる。
すごい、どんどん霧になってくからね。
アマゾンのオプチを開拓するゾウだからね。
じゃあね、周辺誌の回にもいただいてまして。
これもね、よしぼうさんからいただいたんですけど。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
とても共感できるつまみ食いでした。
これ、なぎらゆんさんの何時星のごとくの本の紹介のときなんですけどね。
5時、すごいなこれ。
5時脱字がすごいな。
コピペしちゃったからね。
これなんだろうな。
見ましょう。
でも、たぶん。
なんだろうなこれ。
老眼みたい。
景色がありありと目に浮かべました。
まだ四国に行ったことがないので、いつか本物の瀬戸内の海を拝ませていただきたいんですけど。
瀬戸内の描写がたくさん描かれた本を紹介されてたので、瀬戸内への憧れも書いていただいてるんですけど。
お二人にお聞きしたいんです。
この景色は一生忘れないっていう風景、何かありますか?
大学の時に見た熊本阿蘇の大漢房。
阿蘇カルデラ。
こんなにへこんでるんだみたいな。
ここをぶっ飛んだんだって。
自分は外林山っていう丘の上にいて、そこから下に、昔下降だったところにもう街があるって。
歴史の長さとか、自然の怖さとか、スケールの大きさというか。
その大漢房から見る山の形を仏が寝てるよって言ってて。
人間の面白さみたいな。
いないだろう。
いないいない。そんなにいないよね。
じゃあ珍しく、やっぱじゃあなかなかいない。
でもアンチも来てますよ。
アンチあれは警察だったんだよ。
よくないやつ。
よく来るよなマジで。
怖い怖い。
そのエネルギーはちょっと別のとこに持って行って。
伸びると思ったんだろうね。
そういうこともあるんだね。
僕はでもやっぱ下心はすごいあったよ。
だから行って会ったらさ、だってもうトップブロガーなわけじゃん。
じゃあ何か教えてくれたりとか応援してくれるかもしれないなと思って、ずっと草引いて話聞いてくれてたわけよ。
でもなかなかそんな行こうってなる?
でも会ったら覚えてもらえちゃって。
なんか来たやつだなとは多分記憶の片隅に残るじゃん。
割とそこはフットワークが軽い。
だし逆にそこで池谷さんが何だろう、一個一個教えてあげるからみたいな感じじゃなかったから、余計よかった。
ブログ面の教科書買って、もうあと自分でやるしかないなっていう感じ。
もうほんとそのままの感じだったから。
で、そのあと書いてあげるうまくいかないから、もう一回イカとタイを持って行って行ったときにコンサルしてくれて、
そのときもガッツリね、で、その後も借金ブロガーの切り口で行きましょうみたいな。
でも確かにそれは行ってよかったね。
あのとき行ってなかったら、いない気がするからね。
そうですね。大事な一歩だった。
そう思ったら衝動だったのかな。
いや、そんな感じが。
確かに。ありがとうございます。気づかせてくれて。
その一歩って誰もしないけど、たぶん周辺市としては行くっていう。
そう、確かに説明できないね。行くだろうみたいな感じの。
普通はね、なんかこうちょっと負の感情が湧いてくる。でも行って、なんか思われたらどうしようとか。
なんか止める感情があったりすると思うんだけど。
確かになんだろうな、あのときはね。
衝動か?
いけはやさんはどうですか?なんか。
でもいけはやさんも多そうだけど。
基本すぐやるから。
っていうことですよね。
あんま先延ばししないので。
直近だとちょうどその5月、まさにここだね。ここで文太さんというね、僕らの文ちゃんって言ってる文ちゃんにバイブコーディングっていうのを教えてもらって。
もうその足っていうかその場でやり始めて、これやばいっていう話になって。
そっからね、バイブコーディングを自分で勉強し始めて。
でもだいぶ今もそれのおかげでめちゃくちゃ仕事やりやすくなったんで、本当に文ちゃんに感謝。
だけどでもやっぱり周平氏もそうだけど、同じ場にいたくせにやってなかったんですよ、しばらく。
バカなのかなって感じで。
なんであんだけ横で文ちゃんもやってるし、俺もやってるのに、なんで始めねえんだよこいつみたいな感じのレベルで見てましたけどね。
もうちょっと尺的に今日無理なんだ。
ここでもう話し終わりにしよう。
そこ悪くなっちゃった。
でも多分それはそれで本当いけはやさんならでは、意外に多分いけはやさんみたいにスッといけない人の方が多いのかもしれない?
そう、いけはやさんは多分自分がやるから多分そういうもんだと思ってるし、あれ子さんも多分決めたらやるじゃん。
ちょっとまだいけはやさんとは違うけど。
いやいや、やるよ。だから僕は決めてもやらないし、言ってもやらないし。
でもセミナーとかで東京とかでさ、3日坊主の人とか夏休みの課題ギリギリやってた人って言ってあげてもらったら30人向いたら28人ぐらい上がったから。
そういう人多いのかなと思うけどね。
そうかもね。だからいけはやさんの方が割と、もしかしたらね。
さっとやんないよね、みんなね。
いや、だからたぶんいけはやさんのスタイルは一番もしかしたら、言い方は変だけど楽なのかもしれない。
もうやるって決めたらやる。でもたぶん僕もそうだけど、やりたいと思ってるのにできてないってこのモヤモヤがさしんどいんだよ。
やればいいのに。
そう、やればいいだけなんだけど。
やれよってか草刈りぐらいやれよって感じだよね。
それがすごく気になるんですよ。なんか原体験があるのかな。子供の頃とかに何かこう、もうやるって決めたことをやったらいいことがあったりだとか。
なぜやるっていうことができるようになったのか。赤ちゃんの頃からできたわけじゃないはずなんですね。
確かにね。
それなんか親がそうだったのか。
いやー、たぶん自分でいろいろやってたんだろうね。中学生の頃に僕パソコン買ってもらった。
当時ブログじゃないですか、ブログみたいなのやってて。それも自分でやるって決めて。
やって1日4回ぐらい更新して、学校の技術研究室みたいなところで、HTML書いてアップしてみたいなのやってて。
そういうのをやってても、それがやっぱり良かった。自分とプラスで良かったっていうのを知ってて。
やると決めたらやる。やるのが、もう中学生ぐらいの子はもう決めたらやるよね。
早めですね。
だからもうそれ、そういうもんだということだね。朝起きたら髪がけするみたいな。
やるって決めたらやった方がいいじゃん。
もう習慣づいてるのか。自分で立地されてこれたのかもね。
じゃあ、それつながりでちょっとお聞きしたいのが、やっぱり今回教養っていうテーマでね、本を持ってきていただいたので。
実際に池早さんが教養を身につける上で、学生の頃からでもいいんですけど、教養を身につける上でこんなことしてきたなみたいな。
今だと本当に、今ね、本当にちょうどすごいいいなと。
今僕AIで音楽作って、あとはミュージックビデオとか作っていて。
僕が作ってる曲自体は、基本元ネタがあるような形にしていて。
直近が例えば、それこそエチカですよ。スピノザのエチカっていう有名な、あるいは岩波の青だと思うんですけど。
ああ、読めないよエチカなんて。原点は読めないなっていうぐらい難しいやつだけど、一応勉強がエチカを題材にした楽曲を歌詞を書いて、それを曲にしてミュージックビデオをつけてみたいなことをやっていくと。
さすがに勉強し直すわけでね。スピノザの哲学ってこういうやつだし、スピノザ感情についてこういう風に言ってて。
歌詞も、チャットGPTから歌詞を書いてくれたりするので、やっぱりちゃんとスピノザ哲学を下敷きにした歌詞なんで。
自分もやっぱり気持ち悪いからその歌詞を、意味わかんないんですよ最初。意味わかんない。これは何を言ってんだろうみたいなものをちゃんと調べて。
ああ、なるほど、スピノザ哲学がこういうのに対応しててこう言ってんだって。
それで楽曲にして、自分で聴いてミュージックビデオ作っていくと、やっぱりわかってくるわけ。
すごい歌通して。
スピノザ哲学、まあまあもちろん部分切り取りでは過ぎないとはいえ、でも部分的には自分で創作することでスピノザの哲学とか、まあまあ言わんとするほどわかるよね、ぐらいまでいけるから。
これが今僕にとって過去の教養というか、昔の先人たちの知識とか、彼らが作ったものとかをもう一回自分で音楽にして、それで今学び直してみたいなのがあって、これは非常におすすめです。
なんかすごいアプローチな教養の学び方。
表現とかアウトプットからくるインプットとしての教養って感じがしますよね。
それが役に立つから池谷さんやってるというよりかは、もう自分がそれをやりたい、表現したい、こういう形で作ってみたいっていうところから。
でも落とし込み方がさ、なんかククの歌みたいな、韻1が1、韻2が2みたいな、歌えば歌うほど身についていくみたいな、アプローチなの面白い。
おすすめですよ、音楽作って。自分が理解したいものとかがあるんだったらそれを楽曲にして、それでその楽曲、歌詞があって、歌詞を通して深く理解して、
その曲のテイストとかも頑張ってフロント歌作れるので、その曲を通して自分が知りたいことをもっと深く知るみたいなのは、結構今おすすめだけどあんまりやってる人はいねえだろうなって感じですね。
それ大事かも。歴史とかもそうだけどね。
歌って覚えてます。
多分AIの使い方みたいなものの一つの教養の気がするよね。豊かになってますよね、日常を含めて。
本当にここドライブで2時間ぐらいかけてきますけど、自分で作った曲を聴いてきますからね。すごい楽しいし、ある意味勉強にもなってくる。
最新の教養の身につけ方ですね。
じゃあ、しゅうひん先生は?
何ですかね、一応やってきた、あんまり人生で長く続いたものがないんですけど、唯一続いてるっていうのは多分この発信が8年ぐらいだから、
浅くてもいいから毎日アウトプットし続けるっていうのが、結果それをやるために何かやっぱり学んどかないといけないって強制が働いて、恥ずかしい思いもしたくないじゃん、物を知らないって。
池谷さんが突っ込まれて、仮想通貨のボラリティが激しくてって言ったら、あ、しゅうひん、ボラティリティねって。
そういうの多いか。
言葉の最先端。
最先端。
そもそもいいね、その言い方ね。
そういうところかな、教養を身につけようっていう感覚よりかは、自分の言葉とかアウトプットをもっと磨きたいなっていうのがあって、必要になって学んでて、そういう感じかな。
教養としてはあんまり意識ができてないかも、まだ。
私、やっぱり役に立つ本ばっかり読んできたから。
役に立つ本ばっかり、ちょっとずつ変わってきてる感じ。
そうそう。
少しずつ。
だから、そこかな、役に立つばっかりだってそこって多分、教養って多分偏りがすごいあると教養っぽくない感じがするんで、幅広いんだけど、ちゃんと深みがあるというか、面積が広いような感じがする教養っていうのは。
うん。
あれこさんは?
私。
教養を身につける、深めるために。
なんかこれ、でも本がやっぱり一番あるかなと思うんですけど、その選び方っていうのが割とラジオ時代の先輩方を見てみて学ばせていただいたんですけど、
もう大衆の、例えば書店に行ったら表に一番並んでるものだったりとかっていうのがわかりやすいじゃないですか。
音楽も一番今売れてるJ-POPのトップ10みたいな曲ってみんなが知ってるしわかりやすいではあるんですけど、
その先輩方が選曲をするときに、そういうのは絶対選ばないんですよ。
あえて、そのディレクターも番組によってね、ディレクターって一人一人違うんですけど、そのディレクターが選曲をしてることが多くって、
そのディレクターさんが選んでる曲で番組の色も決まったりするんですよね。
で、もうほぼほぼなんですけど、私がいた曲では今トップ10で並んでるJ-POPばっかり書ける番組はなくって、
やっぱりそのディレクターの個性が出る選曲になってて、
で、その選び方っていうのがやっぱり今のJ-POPのトップ10からではなくて、歴史を知った上でのこの時代のこういうジャンルとか、
ファッション切り口のこのファッションが今流行ってるからこの曲を選ぶだろうとか、いろんな切り口があって、それを学んだときに、
そっかって、私はそれまで20代前半とかも含めてやけど、トップ10を学んでおけば強要だと思ってた節があったんですよ。
これを学んでさえいれば知ってることになるよねって、私全然わかってなかったんだなっていうことに気づいて、
ここではなくてむしろトップ100にも入ってないものを知らないといけないなっていうことに気づかせていただいて、
だから音楽もそれで学んでたんですけど、本も選び方が変わったんですよ。
それまではトップ10に入ってるような本も大好きなんですけど、それ以外で誰もが気づかない本みたいなのに自分が気づかなきゃいけないんだなっていうので、
そこで新しい知識が広がっていくのを感じるようになりました。
素晴らしいですね。
見ながったらいいですよ。
ちょっとずつね。
そう考えると、それと向き合い続ける気力体力っていうのも、
あとそれを楽しむっていう、哲学のところで言った暇と退屈の理念学でも言ったけど、楽しむ力を鍛えるっていうことが実は教養、
AI時代に対する教養が大事なんだけど、その教養を身につける上でも楽しむ気力みたいなものっていうのがやっぱり必要になってくるから、
そこにやっぱりたどり着くのかもしれないよね。