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【#280】「やりたいと思ったら、まず、やる」木下諄一さん(作家/YouTuber・台湾在住)
2026-09-18 1:31:19

【#280】「やりたいと思ったら、まず、やる」木下諄一さん(作家/YouTuber・台湾在住)

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台湾・台北を拠点に活動する作家・木下諄一さん。1980年、大学生のときに初めて台湾へ渡り、やがて移住。50歳を手前にして中国語で小説を書き、外国人として初めて「台北文学賞」を受賞しました。


早川洋平が前回お話を伺ったのは、2015年、台北でのこと。そこから11年。ふたたび訪ねた木下さんは、登録者7万人を超える人気YouTuber「超級爺爺 SuperG」となり、さらに65歳で自主制作の短編映画まで撮り上げていました。


還暦でYouTubeを始めた理由。60代で機材を一から覚えた日々。『アリガト謝謝』でなぜ「お金」を書いたのか。「未来へ残すには、物語でなければいけない」。そして——やりたいと思ったら、まず、やる。(収録:2026年6月/台北にて)


▶ YouTubeでもお聴きいただけます:

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A Japanese-language interview with Junichi Kinoshita, a writer based in Taipei, Taiwan. He moved to Taiwan in 1980, and in his late forties became the first foreigner ever to win the Taipei Literature Award. Yohei first interviewed him in Taipei in 2015; eleven years later, he found a man running a YouTube channel with 70,000 subscribers and directing his own short film at sixty-five. On starting over at sixty, on why he wrote about donation money after the 2011 earthquake, and on his one rule: do you want to do it, or not. (Recorded June 2026, in Taipei)


Listen on YouTube: 

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感想

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サマリー

作家・YouTuberとして台湾を拠点に活動する木下諄一さんが、作家としての活動、YouTubeチャンネル「超級爺爺 SuperG」の開設理由、そして65歳で短編映画を制作した経験について語る。 木下さんは、作家としての活動を続ける傍ら、2020年にYouTubeチャンネルを開設。文字媒体の衰退と動画の台頭を肌で感じ、自身の情報発信の場を広げるために挑戦した。当初は機材や編集方法に苦労したが、雑誌編集の経験を活かし、試行錯誤しながらもチャンネルを成長させた。現在では7万人以上の登録者を抱え、食レポ動画を中心に発信している。 さらに、木下さんは短編映画制作にも挑戦。自身の小説を原作とし、資金調達から脚本、撮影、宣伝まで全て自身で手がけた。この経験を通じて、若い世代との交流や、物語を映像で表現することの可能性を深く探求した。作家としての活動も継続しており、東日本大震災をテーマにした小説『アリガト謝謝』は、台湾での募金活動を題材に、事実とフィクションを織り交ぜて描かれている。木下さんは「やりたいと思ったら、まず、やる」という信条を貫き、常に新しい挑戦を続けている。

作家・木下諄一氏の紹介と近況
今日はですね、台北で木下諄一さんにお話をございます。 木下さんよろしくお願いします。
はい、こちらこそよろしくお願いします。
さあ、ここ台北なんですけども、実は木下さんにはですね、11年前、2015年ぐらいにですね、やはり台北でインタビューさせていただいて、
あの時はですね、立派なホテルのシャングリラでお会いして、多分その近辺、シャングリラでインタビューさせていただいたのかな、ラウンジかちょっと覚えてないんですけど。
もうその辺もね、木下さんのいろいろサポートを借りてさせていただいて以来なんですけども、今日はそれ以来になります。
木下さん当時、今もですけど、その作家、小説を書かれていて、今日もね、その続きの話を伺いたいんですけど、
当時僕があったんですけど、いわゆる作家、文字工作者、そしてこれにさらに、これ読み方スーパーGでいいんですかね。
これスーパーGってここだけ聞くと何言ってるのかわからない人いると思うんですけど、今木下さん初めましての人がいるとしたら、何て言うんですか?
一応、基本的な立ち位置は作家なんですよね。他のことをやってるのはすべてそこから派生したものっていう、そういう考え方ですね。
そういう意味では、今日いろいろこの11年の間の話も出てくると思うんですけど、いろいろ劇場で変わったこともあると思いますけど、根本は変わってないってことですか?
そうですね。一番最初はもうやっぱり文字から全部スタートしてるんで。
そういう意味では、一つ一つまた動かっていきますけど、やっぱりね、作家、小説家ってありますけど、文字工作者っていうのを今、木下純一文字工作者っていうのも間違いではないんですか?
あのね、当時はまだ最初の本が出たばかりで、小説家、作家と名乗るのはちょっとおこがましいかなっていう気持ちもちょっとあったんですよ。
それで、なんかいいのはないかなってことで、文字工作者だったらなんかいいかなっていうことでつけたんですけど、その後逆に周りの人が、やっぱり作家なのだった方がわかりやすいっていうことがあって、それ以外はずっと作家作家になってます。
文字工作者っていうのは木下さんの造語なのか、それともいわゆる日本でいうライターみたいな感じですか?
ライターともちょっと違いますね。ライターだとこちらと、日本語でもある記者ですね。そちらの方にあって、文字工作者というと文字を使って何か創作的なことをやるっていう、そういうイメージがありますね。
クリエイティブにいわゆる感じなんですね。
そうです、そういうのがちょっとありますね。
YouTubeチャンネル開設の経緯と初期の苦労
なるほどね。あえてですけど、前回2015年にインタビューさせていただいて、その後にですね、またこの話も書かれてますけど、ここにですね、誤聴書の一冊、高段車が出てありがとう、シェイシェイという本があるんですけど、そこのプロフィールをあえて、だから2017年ですね、これ出たら、あえて9年前、ほぼ10年前のプロフィールを読みます。
キノシタ11、1961年愛知県生まれ、東京経済大学卒業、商社勤務、会社経営を経て台湾に渡り、台湾観光協会発行の台湾観光月間編集長を8年勤める。2011年中国語で執筆した小説。
現地の言葉で読むと、プコインツシと言いますね。タンポポの綿毛っていうそういう。
がですね、外国人として初めて第11回台北文学賞受賞、著書人、エッセイ、随筆、台湾、日誌、これ日本語読みしちゃいましたけどいいですか。
などということなんですが、などということでですね、この2017年からもうほぼ10年経ってますので、その話もいろいろあると思うんですけど、やはりね、前回お話し伺ったときに今あったように、
外国人として初めて第10回台北文学賞受賞ということで、本当に作家、木下隼一としていろいろお話を伺ったんですけども、
まずどこから伺おうかな、伺いたいこといっぱいあるんですけど、今の、実はさっきもこのインタビュー前にご飯一緒に食べさせていただいて少し近況も伺ったんですけど、今の1日っていうのは本当にだから、
日によって週によって違うと思うんですけど、あえてティピカルな1日ってどんな感じなんですか?
年間で今年これやりたいっていう計画があった場合に、それを割り振って、それ以外の時は今YouTubeをやってるんで、それをコンスタントに、
それは毎週毎週アップしてるから、それの制作をやってますね。
もうさっそく出てきた、やはりこれは触れないわけにはいかない。僕もこの間久々にコンタクトさせていただいたんですけど、もちろん木下さんがYouTube始めたことはもちろん知っててですね、
ただもうやっぱり最初見た時ちょっとびっくりして、あれ?と思って、これが読み方はスーパーGってアルファベットで振ってくれてるんであれですけど、漢字で書くと超級GGみたいな感じですかね。
でもなんとなくわかるんですけど、やっぱりズバリ作家木下純一がYouTubeを始めたっていうのは、前回お会いした時本当に想像もつかなかったんですけど、
僕も想像つかなかったですね。
これまさに2020年ってコロナな感じですけど、率直にストレートなんですけど、なぜYouTuberになったんですか?
これね、一つのきっかけがありまして、ある日僕はネットで、確かYahooだったかどうか忘れたんですけど、そこの記事を読んでたんですよね。
そのニュース的な記事を読んでて、それが全部で5ページくらいあったんですよ。
それで、一つずつ文字をずっと読んでて。
僕、5ページくらいの記事だと普段は一気に読めるんだけど、ある日、途中で息切れを起こしたんですよ。
それで、「なんでこの息切れを起こしたんだろうかな?」と思った時に、ちょうどそのちょっと前に同じ内容の動画を見てたんですよ。
そうすると、「動画ってこんなに楽に入ってくるんだ!」ということを、そこで初めて実感して、「文字はいいけど、これからはこの動画が主流となって入ってくるんだ!」と。
文字は文字でなくなることはないと思いますけど、シェア的に見ると、もう動画の方が圧倒的に増えるだろうなと。
それまでに、いろんな出版社の編集の方とかも話してても、どんどんどんどん本は良くなることはないと。
タイワンでも一緒。
日本も同じです。
日本も台湾も両方同じです。
でも、明らかにそれがわかってたので、「ああ、そうなんだ!」と思いながら、やっぱり自分でも、動画と文字の負担を比べた時に、情報をどれだけ短時間で吸収できるかを考えた時に、「これはもう動画をやるしかない!」っていうことを思ったんですね。
それまで、YouTubeというものは知ってはいたんですけど、僕にとってYouTubeって、例えばスポーツを見たり、音楽を聴いたり、そういうレベルのものだったんですよ。
だから、個人が番組を作って、そういうようなことは一切考えていなくて、ましてや自分がやるなんてことは一切考えていなかったので。
ただ、その時に、「これはこういう時代になっていくんだろうな!」と思って、そこから、「それでこれはもうやるしかない!」っていうふうに決めたんです。
今、きっかけお話いただきましたけど、僕も2回目ですし、こういう職業からなんですけど、100%それだけかなってちょっと思うところがあってですね。
なんて言うんだろう、というのもちょっと意地悪な質問なんですけど、やっぱりまさに文字でやってきた方じゃないですか。
作家、小説、そして文字工作者っていうところで、僕もやっぱりいろんな方インタビューしてきてて、やっぱり本に一番触れてきた方なんで、
ご自身としては確かにその息切れ、実際のエネルギーとか見る時間、例えばニュースとか一つは確かに動画の方が表層的に圧倒的に早い気がするんですけど、
でもなんかずっと文字に触れてきた方からすると、確かに便利だよねっていう、さっきおっしゃったYouTube、テレビいいよねみたいなところで留まる人もいっぱいいると思うんですよ。
でもやっぱり自分の視線上は文字だと。年齢言っていいと思いますけど、1961年生まれなので、2020年だとちょうど60歳になるかならないかっていうところで、
そこで動画を本当にガッて入るみたいな、その辺っていうのは例えばですけど、やっぱり当時、僕もそうですけど、YouTuberではないですけど、やっぱりYouTubeみたいなところでいろんな要請があってやったりとか、
あとちょっと淡い、あんま個人的にはなかったですけど、YouTuberですごいドーンみたいな人いたじゃないですか。だからその辺、木下さんの中で。
僕はそれはないですね。YouTubeドリームみたいなのはなくて、逆に心配というか、さっき言ったみたいに、これは文字だけでは生きていけない。
シンプルに。
ただ文字がなくなることも絶対にないって、それも今でも思ってますけれど、文字は文字だけの素晴らしいものがあるし、僕はそれが大好きなんで、そこを手放すつもりはないんですけれど、でも、これ文字だけにこだわっていたら、自分がもうやっていけないという危機感、それはすごく感じました。
それは結構今、分かりやすいニュースというか行き切れてありましたけど、それ一つだけじゃないんでしょうけど、徐々に言ってるのにでも結構そういう印象的な、一回のそういう出来事でガーってきた感じがします。
それまでにも、いろいろなところで文字がどんどん、社用産業ではないですけど、悪くなっていると聞いていて。おそらく、電車の中でも本を読んでいる人はほとんどみんなスマホでしょ?
そういう時代に、もう時代が変わりつつあるので、文字は文字で、また特別な形でそういうところで残っていくだろうと。それ以外のメインのところでは、やっぱり動画をやらない手はないなと思って。
だから、動画で何か儲けてやろうというよりも、動画をやらないと自分が生き残っていけないっていう、そちらですね。
そうか。じゃあ、もちろん危機感というか、作家であるご自身が危機感であるんですけど、その言葉を思うっていうのは。
もちろんね、始めのうち、スタートする前って何もわからないですから、その中で、「じゃあ、もし動画の方である程度発展したら、そこに文字をくっつけていけば、動画を見てくれた人が僕の不安になって、本も買ってくれるだろうと読んでくれるだろう?」ということも、一番最初は思ったんですよ。
ところがやってみたら、もう客層が全く違います。それで動画を見る人は本を読まない人が多いです。
やっぱりそうなんですね。そこはやってる人はわかりますよね。
やる前は全然そんなことは思わなかったですけどね。
本を読む人で動画を見る人はいるけど、動画だけ見て本を読むみたいなのはちょっと違いますよね。
そうか。
で、今は続けて、もう2020年ですね。
コロナの前?コロナ後?
前ですね。
前なんですね。
だからもうその時に、これはもうやるしかないと思って、とにかくやることを決めたんですよ。自分でもうこれをやる。
ただね、やるって決めても、どっからどうやって、どういうふりしてやるって何もわかんない。
そこが一番苦労しました。
なんかね、やっぱりこう、またね、前回のインタビューでもそうですけども、当然広い意味で、作家でもありまして、メディア、編集とか。
いわゆる本当に広い意味で言えば、すごいYouTube、もう遠いけど近いとこにはいわゆる。
近いとこというか、わからないなりに何からすればいいかとか、多分そういうのはわかるような経験値は。
こういうことです。YouTubeの番組は作れるんですよ。
これはもう僕は雑誌やってたんで、雑誌と似てる部分ってすっごくあるんですよね。
YouTubeって極端なことを言うと、企画があって、原稿があって、原稿はまあ脚本ですよね。
それでその後で撮影があって、撮影はパフォーマンスですね。
その後編集があって、その後数字の分析があるんですよ。
この4つを回していくんですよ。
もう編集者ですよ、顔が。
まさに。
それって雑誌とめちゃくちゃ似てて、しかもサムネがめちゃくちゃの影響力を及ぼすっていうのは、表紙と同じなんですね、それも。
確かに。
そこら辺で共通点がいっぱいあるから、物を作るところは、初心者ですけど経験値はかなり高かったと思う。
そこではなくて、じゃあ一歩目、どこからどうスタートするか。
そのオンラインのネットの社会で、どうやって番組を作って、映像を作って、編集をして、そういうのを一個一個やっていかないといけないじゃないですか。
何かサイトに登録したりとか、いろんなことも全部含めて、そういうことがやっぱりわからない。
それがね、大変でしたね。
若い人だったら、その辺はすぐわかるんですけど。
それで、よく言われるのが、「わからないんだったら若い人に聞けばいいよ」っていうことを聞くんですけど、それダメなんですよ。
なぜかというと、何を聞いたらいいかわからない。
まあ、それどんなジャンルもそうですよね、みんな。
何がわからないかわからないんだよ。
そうそう。何を聞いたらいいかわからなくて、一歩目、どこからスタートするんですかっていうのが、あまりにもわからないことが多すぎて、もう何もわからないっていうことで。
だから、人にも聞けないし、どうからどう始めていったらいいかわからないし。
でも、心の中で、「これ、今やらなかったらダメだ!」っていう、その危機感はものすごく持ってるわけですよね。
そこで何したと思います? その状態で。
そこで、でもいきなり撮影したわけじゃないですよね。
撮影できないです。もうそういうのができるレベルじゃないです。
何したんですか?
一人です。他に誰もいなくて、教えてくれる人もいなくて、どこから手をつけていいか全くわからない。
僕がやったことは何かというと、一番最初に機材を全部一式買った。
最初に?
でも、一切使えない。
結構ハイスペックなもの買ったんですか?
当時、スマホで撮ることは決めてたんですけど、当時一番新しかったのがiPhoneの11 Proですね。
それが一番新しかったんですけど、それをまず買った。
コンピューター一式、容量の大きいも買って、モニターも買って、周辺のものも全部買って、マイクも買って、編集アプリも買って。
しかも、講座も行きました。
講座はほとんど役に立たなかったですけど、そこで身の回りで、できるものは全部買って買い揃えて、でも何も使えないっていう状態。
当時、AIもないですから、聞きようもない。
そこで、僕はネットの検索で、一個一個コツコツと調べるわけですよ。
そうすると、たぶん、おそらく若い人がやったら1時間で終わるものが1日とかかかるんですよね。
それで、「今日は5時間奮闘したけど何も収穫なかった。」とかね。
そうやって、ものすごく長い時間をかけて、一個一個積み上げていって、やっと自分の決めた日にちよりも、2ヶ月遅れでYouTubeが完成するわけです。
2ヶ月経ったら、今振り返ると全然悪くないですよね。
だけど、その時は必死ですよ。朝からずっとやってて、何の成果も出ないわけですから。
精神的にキツいですよ。
YouTubeチャンネルの戦略と成長
そうか。やっと最初の一本ってありましたが、それはもう最初から今のスーパーGという形だったんですか?
そういう意味では基本変わってないと思うんですけど、改めて、現在のでいいんですけど、これどういうYouTubeなんですか?
これはね、実は一番最初に何もできないんで。撮影もできないし、編集も対してできないし、何もできないんで。
唯一、でも何か出さなきゃいけないっていうことで。
一番初めにやり始めたのは、マイクを1個自分の前に置いて、ひたすら話す。トークだけ。
いろんなことについて、自分の思ったことをペラペラと話したりとか。
時には、もう完全に物語をそこで話し始めたりとか。
そんな、もう何でも適当に。
ラジオに近いですよね、逆に。
ラジオに近いけど、ラジオほど整備もされてないんで。
もう本当に、「今日はこれについて話します。」っていう感じで、自分の思ったことをペラペラペラペラと話すんです。
それで、それを1年ほどやりました。
すごいな、やっぱり。
1年間やりました、それ。
今、チャンネル登録者が7万人くらいですよね。
7万ですね。
だから、最初の1年って、数がすべてじゃなくてどのくらいだったんですか?
動画さえ作れれば、ある程度伸ばせるっていう自信はあったんですよ。
これは、数字の分析と戦略が、その辺はわかってたんで。
こうやればいけるなと思って。
それで、一応、まずYouTubeをやる人はみんな思うんですけど、収益化しなきゃいけないんですよね。
収益化するためには、登録者を1000人集めなきゃいけないんですよ。
僕は17本目の動画でそれに達しました。
34本目の動画で1万人超えましたね。
だから、そのくらいのところは、ある程度予定を立てて。
どこに置いたかというと、スタートしてから半年後に、3月11日の東日本大震災が来るんですけど。
僕は、そこのところに話す内容はいっぱいあるんですよ。
そこを台湾の人に向けていろいろ話せば、必ず登録者は増えるだろうということを見越してたんで。
それに向かって、その前後に時事ネタだろうが何だろうが、
とにかく人を集めた状態で、そのネタを持ってくれば一気に増えるだろうという目論みがあったら、その通りになったっていうことですね。
そうか、じゃあやっぱりその3日1のところが一つの最初のベンチマーク。
はじめからそれは狙ってました。
でもなんか、決して矛盾するものではないと思うんですけど、作家木下純一とYouTuber木下純一って、やっぱり違う部分もあれば同じ部分もあれば、ご自身の中でどういう感じなんですか?別なんですか?
作家はね、すごく気軽く、もうちょっと楽しんでやってる感じ。
YouTubeは気軽くて楽しんでやってる感じ。
作家の方はいろいろ考えて、考えてものを作り出すことの楽しみがそちら側がありますね。
そうか、じゃあYouTube最初に今の話でいくと、今ももちろん大変なことあると思いますけど、最初は危機感から始めたんだけど、始めてやってる今自体は楽しいってことなんですか?
そうですね、それは楽しい。それから視聴者のリアクションが来るんで、これはね、やっていくうちにすごく励みになって楽しいですね。
今、視聴者ってありましたけど、これね、分析、YouTube、アナリティクス、どこまでかってありますけど、今のところどういう人たちなのか?あとは、当初始めた時とちょっと層は変わってるのかとか。
そうですね、初めはね、YouTube自体が今とちょっと違ってて、だから出せば年齢層も関係なくいろんな人が入ってきたんですけど、そのうちにだんだん細かく分けていかないと、なかなか自分のターゲットを絞っていかないと。
かなり変わってきましたよね。
そうです、変わりました、本当に。だからその辺をうまく見極めてやっていかなきゃいけないなっていう感じで、それもやってるうちに、もうそこまで気を使ってやるのも大変なんで、もっと楽にはやりましょうみたいな感じで、だんだんそこは変わってきてますけどね。
短編映画制作への挑戦
3.11の話もありましたけど、このYouTube自体は、今は基本的に、最初は一人語りで机の前でいったんですけど、今はね、直近のものもそうですけど、ちょっと街に出てみたいな、そういうものがどういう感じですか?
今はもうひたすら物を食べてるんですけど、その物を食べるのをどうやって決めたかというと、ある時、何年くらい経ってからかな、視聴者にアンケートを出したんですよ。
今後、みなさんは僕のチャンネルで何が見たいですか?っていう、今言ったみたいなトークとかね。それから、あとは食べるのとか、いろいろ4つくらい分けたんですけど。日本との文化の違いとか、いろいろ分けてそれを聞いたら、ほぼほぼみんな同じくらいだったんで。25%くらいだったんで。
だったら、食べ物は一番ネタを考えなくてもいいなっていう、そこの部分があるんですね。自分のトークの場合は、ネタ考えなきゃいけないっていうのは結構辛くて。ある時はいいけどない時。
そっか。なんか比べるの恐縮ですけど、僕も独り語りとか苦手なんで、僕の場合はまさにもう、ある意味一番大事なお客様ですけど、インタビューだったら絶対相手いるじゃないですか。だからそれがっていうのもあれですけど、木下さんにとってはそういう、ちょっと食べるっていうのはあれかもしれないですよね。
それで、その後、2年ほど前から、僕はまたスタイルを変えて、初めは自分で食べてたんですけど、今度は、人に聞いて、僕はグルメリストって呼んでるんですけど、「グルメリストを提供してくれ!」って言って、その人の推薦のお店に食べに行くっていうのをやり始めたんですよ。
それをすることによって、お店を選ぶことはないじゃないですか。もう1つ面白いことは、これも4期生のことだったんですけど。中国語でよく言うと、「地雷を踏むことがない!」って言って、要は、まずい店にぶち当たることの方が、かなり減ったんですよね。
みんな、やっぱり美味しいところを教えてって、自分の知ってる中で自信のあるところを持ってくるんで。そこへ食べに行くと、もうとんでもなくまずいっていうお店が減って。僕のイメージからすると、だいたいそれを始めた後で、90%くらいは美味しい。
すごい!
90%。
それはかなりの確率ですね。
残りの10%のうちの5%は、それでも美味しくない。美味しいって、やっぱり主観なんで。だから、中には味覚自体がちょっとおかしい人がいるからな。やっぱりいるんですよ、そういう人。
これはちょっとっていうのが、それは5%くらい。残りの5%、これなんだと思います?
超絶美味いの?
そう!めっちゃくちゃ美味い!これが残りの5%。それを僕は、キング・オブ・キングスって呼んでるんですけど。
かっこいい!
それがあるんですよ。
じゃあ、95%は満足じゃないですか?
満足ですよ。
それはすごい!
だから、そのパターンに変えてから、ずっと僕自身も美味しいお店を教えてもらって、それを動画にしてる、そういう感じですね。
そうか。今日、昼へ連れてっていただいてたあの餃子のお店、あそこは?
あそこもね、あそこはね、動画撮ってます。撮ってますが、それは人の紹介じゃなくて、もうちょっと前に自分で選んでた時代にやってる。
そうか。でも、今日ここまでお話を伺ってて、やっぱりね、元々雑誌の編集をやってたからって、まさにお世話になる。
やっぱりちょっと、ご自身が自分で出てるから、雑誌を作ってる感じですか?
そうですね。比較とかの辺は、雑誌ほどそれは作り込んでないですよ。
もっとYouTubeって、これすごく大事なことなんだけど、作り込んじゃダメだと思うんですよ。
楽に次々と上げられるぐらいじゃないと続かないんで、1回、2回で終わる話じゃないから、長丁場なんで。
そうすると、ちょっと手を抜いて、これぐらいはいいかぐらいのでも、そこそこに進んでいくっていうのがベストなんですよね。
僕なんか、僕も一応、形状YouTubeチャンネルありますけど、インタビュー載せてるだけですけど、
なんか今、木下さんの話聞いてる間に、グルメリストで俺もやろうかなって、レクチャー受けてるみたいになってきたんですけど。
なんかすごい楽しそう、本当に。
楽しいですね。それで、これはもう一つ言えるのは、時間が長くなってくると、これが財産になってくる。
ああ、そうですね。
だから、初めは僕もYouTube何も分からずに、本当に動画も作れないような状態から、
ただ、動画を作ること自体については、ある程度自信があるんだって。
それで、具体的に回るようになったら、これはもう、YouTubeのチャンネルをどう発展させていったら、チャンネル自体が伸びていくかとか。
その辺も、よくそういうのを教えてるチャンネルとかもありますしね。
僕も、ある程度、それができるようになりましたね。
いやいや、今もレクチャーしてもらってる感じですね。
実を言うとね、これ早川さんに話してなかったんですけど、僕実はサブチャンネルも持ってるんですよ。
本当ですか?すいません、リサーチ不足で。
いや、僕言わなかったから。
サブチャンネルは明らかに、戦略的に。
ちょっとYouTubeのマーケティングをしてるみたいな感じ?
違います。
そのチャンネル自体が戦略的にやってるってこと?
そう、チャンネル自体を戦略的に作ったんですよ。
で、扱ってる内容は言葉。
え?
言語。
え、これもあります?ここに。サブチャンネルの案内とか。
言語学習ですね。
普通に言語学習?
それをメインにしたチャンネルなんですけれど、
普通、言語学習のチャンネルっていうと、例えば日本語だったら、日本語を教えるじゃないですか。
僕、日本語は教えないです。
どうやったら言葉が早くマスターできますかっていう、その方法を教えてるんですよ。
じゃあ、それはめちゃくちゃみんなに知りたいですよね。
それで、一つのモデルとして、
大体、日本語を勉強してる人がメインで聞いてくれるんですけど、
皆さん、日本語上手になりたければ、僕の言う通りにやってくれと。
そうしたら、僕の中国語と同じレベルにはなりますよっていうのをコピーで歌ったところ。
それで、戦略的に、やっぱりこういうふうに順番に組んで、
本格的に、じゃあ、今からスタートしますよ。
2日で収益化。
マジっすか!?
1週間で1万人。
すごい。
1ヶ月で3万人。
それは、はじめから戦略的に作ってるんですよ。
1ヶ月過ぎた頃から、企業案件が切らして、
これは台湾だけじゃなくて、もう世界から切らして、
その時に、自分はふと思って、「これ、やめよう!」と思って。
やめよう!?
だって、それだけ価値のあるのを無料で出すっていうのはおかしいじゃないですか。
そりゃそうだ。そりゃそうですね。
これは、ちゃんとまとめてあげて、コンテンツにした時に、
これは価値がある。みんなそれだけすごく人気があるので。
ということを思って、1年間ほったらかしにしてたんですよ。
たまたま、その1年が去年なんですけど。
最近じゃないですか。
めちゃくちゃ僕、忙しかったんですよ。去年の1年間っていうのは。
それまで手が回らなくて、ほったらかしたまま1年間。
今年からまた始めたんですけどね。
それは、もうチャンネルが別である?
別です。
それは何というチャンネルですか?
えっとね、やっぱり超級ジージーと、日本スーパージーじゃなくて、日語チャンネル。
ちょっと中国語読みだとあれですけど。
これか、これか。
あ、そうです。これです。
すごい。これ知らなかった。
これ、今、3万何千人行ってるでしょ?
はいはい。
3万人で僕、辞めて、今年の3月からまた始めて、今、そこから5、6千人また増えてる。
すごい。
2つやってるんですね。
やってますね。
すごい。もうちょっと話聞いたけど、熱量がすごいですよ、木下さん。
これはね、今年の3月からまた1年ぶりに始めたんですけど。
その1年間、ずっとほったらかしてたんで。
ただ、あれね、半年間動画出さないと収益化を取り消されるんで。
確かに。
だから、その間に収益化を維持するために、半年に1回くらい出す。
でも、面白いものが、僕、動画を辞めてて中止してる間も、企業案件だけが来るんですよ。
企業案件が来るんで、その企業案件に合わせた動画だけ出してたんですよ。
なるほど、なるほど。
そうか、じゃあ今、2つありつつっていうとこですけど。
ちょっと話が戻るんですけど、コロナが始まる前に、その危機感からやってて。
でも、そのやってる途中でもコロナ禍になったわけですよね。
なりましたね。
だから、その辺って、もちろんね、作家のお仕事、そして実際、原稿を書くお仕事みたいなのがあったと思うんですけど、
その辺でコロナになると、あんまりプラスはどっちにしてもなかったと思うんですけど、
その辺ってどんな感じの前後とか。
コロナの時代ですか。
そうそう。
あと、もちろんYouTubeも収益化もあると思いますけど、それだけでもものすごい。
いや、コロナの時代って結構大変ですよ。
あの頃が、僕は講演が一番多かった時期で。
講演ってどういう内容の講演ですか?
いろんな講演があるんですけど。
僕の文章は、実は台湾の小学校の国語の教科書に載ってるんですよ。
それで、その関係で呼ばれるんですよ、いろんな小学校から。
その当時は、1ヶ月にやっぱり3回、4回くらい、いろんな小学生にいろんな話をしてくれるという形で。
大焼けの仕事じゃないですか。
台湾全土行ってましたから、予定はいっぱい入ってたんだけど、コロナで全部中止になりましたね。
それでもって、僕のもう一つのメインであったホテルの仕事。
そうですよ、前回のね。
それがもう全部なくなりました。
だから、一時期は3ヶ月くらい収入ゼロとかありましたね。
今のこの話聞くまでは、むしろめちゃくちゃ稼いでみたいな。
いえいえ、全然。
大変でした?
そこはどんどんどんどん仕事が減っていって。
だから、公園もなくなって、ホテルもなくなって。
唯一、新聞はありましたね。新聞の連載がちょこっとあって。
あとは、本を出すための原稿を書いてた。
でも、本って最近やっぱり売れないんで。
だから大変でしたね、その時は。
そうか、その中で。
でもやっぱり、もちろんYouTube収益化して、例えば案件があって、お金ってももちろんプラスなのでいいと思うんですけど。
でもやっぱり今の話、ここまで聞いてても、「それじゃあYouTuberで稼ぎまくるぞ!」っていうのともちょっと違うかな。
純粋性で楽しいでやってる感じがするんですけど。
YouTubeも、やっぱりどこで稼ぐかっていうのが年々変わってきてるんで。
YouTubeのアルゴリズムが変化するのと同時に、どこで稼ぐっていうか、稼ぎ場所が変わってきてるんで。
僕のチャンネルは、メインチャンネルであるスーパーGは比較的稼ぎにくいですね。
にくい。
ただ、その語学のチャンネルは上手くやれば、さっき言ったみたいに、これは無料では出すのはもったいないから、コンテンツ化するとか言っても、これは稼げると思う。
でもまだガッツリはやってないってことなんですね。
去年やりたかったんですよ。
急がすんじゃん。
去年ね、2つ大きな仕事が入ってきて。
1つが、こちらで自由時報っていう、一番大きい新聞なんですけど。
この小説にも出てましたね。
そうですね。その新聞の年間連載が決まったんですよ。
すごい。
これ難しいんですよ。結構決まるのが。
普通に考えてるよね。
これ結構難しくて、2週間に1本ずつ新作を発表していかなきゃいけないので、それを1年間やって、それが1つの大きな仕事。
もう1つが、僕のその前に新聞連載してたやつが本になって、その本が結構評判になったんですよ。
素晴らしい。
その本の中の短編のエッセイなんですけど、限りなく小説に近いエッセイですね。
それが色々なところの文学史上のノミネートされたり、2本くらいその中で個別にノミネートされてて、その中の1本を今、去年1年かけて映画化してるんですよ。
ちょっと事前にサラッとは聞いてないんですけど、どういうことですか?
すごすぎじゃないですか?
すごくないですよ、全然。映画って言ってもショートムービーなんで、そんな大してあれではないですね。
もともとはどういう始まりかっていうと、こちらの大学の映像学科ってあって、映画を作るとかコマーシャルであったり、ショートムービーであったり、ドキュメンタリーであったりとか、そういうのを学んでる大学生があるんですけど、
その人たちに、なぜか僕はドキュメンタリーのインタビューでやらせてくれっていう話が来まして。
僕、それまでにもテレビとかネットとか色々番組取材を受けてたんで、そういうのを見たと思うんですけど、そこで外国人でこちらで文学館記やってるというのはすごく珍しい。
だから、そういうことで、ちょっと密着じゃないけど、映像を撮らせてほしいと。
それをやった時に、僕の方から、「あんたたちはドキュメンタリーだけでドラマはやらないのか?」っていうことを聞いたんですよ。
そしたら、「ドラマもやってます。」っていう話で。
もしね、僕の原作を撮ってもいいって言ったら、「撮る気ある?」って言ったら、彼らの目が輝いたんですよ。
じゃあ、やりましょうか。ということで、計画を詰めていって、去年1年間かけて、いろんなところで映画がめちゃくちゃ大変でした。
それを詰めて、やっと今月完成して、映画が。
6月。
6月完成して。ただ、こちらに一番大きい映画の賞って、金馬賞ってあるんですけど、一番大きな映画の賞です。
それに出したいんで。
すごい。
出しました、もう。
それは、作品があれば一応自分でエントリーはできないんですか?
エントリーできません。エントリーして受理されましたっていうことで。
だから、これから受理されて、審査の間は一般公開できないんで。
今、それを待ってるんで、そういう感じです。
これだけで5時間くらい話になっちゃった。あれなんですけど、それはどういう作品で、かつ、映画っていっても、ハリウッドに何百億とか、そういう状況じゃないと思うんですけど、
自主制作的な感じなのか、お金集めとか、どういう感じでやったんですか?
お金は全部僕が出しましたね。
マジですか?
ただもちろん、いろいろなところで削れるところは、削って削って削ってっていうか、
役者にしてもね、今最前線でやってる人は使えないんで、お金はほとんど出ない。
でもやる気あるかっていうことを、僕が一人一人スカウティングして、
そしたら、みんな言うのがね、
脚本はあるかって言って、脚本はまだないけど原作はあるって言って、じゃあ原作見せてくれっていう話になるんですよ。
原作見てくれた人は全員オッケーです。
だから、そういうのでやってくれて。
そのストーリーをざっくり。
ざっくり言うとね、昔、台湾で開元礼だったんですよね。
1987年に開元礼が開けるんですけど、開元礼が開けた時に、
当時の台湾人が未来に向かって、いろいろな希望を胸に抱く、そういう話です。
そして、その時に昔はね、台湾人の中にも、元から台湾に住んでたっていう人と、中国大陸から来たっていう人の間で、
やっぱりちょっと溝があったんですけど、その溝が今後なくなっていくんだよ、僕らはみたいな、そういうようなのをまとめた話。
それはでもね、それこそ1987年。
だからもうほぼ40年前ですけど、
木下さんも台湾に住んでた?
僕が一番最初、台湾に来たのが1980年ですから、
僕生まれた年です。
だから、台湾が開元礼だった時代は、もうすごくよく知ってます。
想像つかないんですけど。
今とは全然違いますよね。
どちらかというとね、今の中国にちょっと。
だって、開元と台湾って結びつかないんですよ、正直。
それが1987年にあげて、僕はその後、1989年に戻ってくるんですけど。
89年に帰ってきた時に、いろんな言動とか話したりする。
こんなこと話して大丈夫?と、外国人の僕がちょっと怖くなるような、心配するようなことを、現地の人が平気で話してたんで。
ガラッと変わってます。
だから、その時代を、やっぱり次の代に残していきたい。
ということで、これはね、台湾の、もともと台湾にいた本庄人って言うんですけど、
その人たちが書いても問題になるし、中国から来た外庄人という、その人が書いても問題になるんだけど、
外国人が書いたらOKなんですよ、それは。
そういうふうに思って、しかもそれを作ってる人たちが、みんな20歳ぐらいなんで、20、21。
だから、若い人が、知らない人たちが、そこの接点、時代を超えた接点があるじゃないですか。
そういう意義を入れながら、作品を描かせていきたい。
監督って呼んでいいですか?
監督は別にいるんですよ。
僕が担当したのが、プロデューサーと、それから脚本。脚本は全部僕が書きました。
その他に、キャスト集めから、その他、宣伝、広告から雑用まで、全部僕やりましたね。
すごいな。
例えばね、レストランのシーンがあるんですけど、
レストランも上海路のレストランで、必ずここで撮りたいっていうところがあって、
だけど、どうやってそこで撮らせてもらえるかっていうことがあるじゃないですか。
それで僕は、そこへ飛び込みで行って、それで担当者っていうか、マネージャーの人いますかって聞いて、
実は映画撮りたいんだけどって交渉して、そこで。
向こうは、「はい、はい。」っていうところから、全然知らないところから。
ただ、その題材は全部、新聞でも掲載されてるし、出版もされてるし、いろんなショーにもノミネートされてるんで、
全く話を聞いてもらえないってことはないんですよ。
どんな話?っていうことで、「ああ、そうですか?」って。
ここでは決められないんで、本盛り持って帰ってとか言って、だんだんそれを1個1個埋めていく作業がすごく大変でしたね。
そうか。でも、逆に言うと、1年で着地させてというか、もうね。
でも、大変です。映画めちゃくちゃ大変。
小説『アリガト謝謝』執筆の背景
これでも全然また、もちろん似て非なるものだと思うんですけど、
今日のここまでの話だと、もちろん文字、作家、小説家っていうところから、
YouTube、映像じゃないですか、動画とも言えますけど、
そして映画だから、どうですか?激動で、文字はもちろん今も大事な核としてあるけど、
どっちにしても映像というか、そっちもすごい近いというか。
そうですね。全部、根本のところは物語なんですよね。
物語をどういう形で表現しているか、その違いであって。
だから、根っこのところはこういうストーリーがあるんですよって、そこですよね。
それで、今言ったように、映像の方はYouTube、映画はそっちに行ってますけど、
じゃあ、本はどうかって言ったら、本はね、今年、2026年の台北ブックフェア。
これ、すごく有名な展示会があって、期間中に50万人以上が参加するんですよ。
そこの、台北を描いた本の賞というのがあって、アワードですね。
今年、ノミネートされたんですよ。
おめでとうございます。
いやいや、その本がね。さっき言ってた。
その本がノミネートされて、取れなかったんですけど。受賞はしなかったけど、ノミネートされて。
だから、やっぱり文字の方は文字の方でずっとやってて。
で、僕も初めにノミネートされて、「まあいいか、ノミネートしてくれたなあ!」ぐらいだったんですけど。
実際に受賞式に出て、他の人が受賞して、自分が受賞できなくて、舞台にいる時に、「これ欲しいなあ!」って思って。
へー、そうなんですか。
そうですね。だから、これは3年以内くらいに狙いに行こうかなと、今思ってるんで。
それは言語化が難しいかもしれないですね。
ノミネートされて、取れなかったけど、取っているノミネートで何かを感じたんですね。
これは違うなあって。
これ欲しいなあっていう感じですね。
この賞いいなあ、欲しいなあって。
なんか木下さんがわかんないですけど、前回お話しかかった時は、もちろん賞は名誉のことだし、すごいことですけど。
なんか賞欲しいなあみたいな感じじゃなかった感じがするんですよね。
違います違います。
初めてそれを感じたのはね。
今までもノミネートとかはいろいろあったし、そういうのあるんですけど。
別に、そこまでありがとうございます、ノミネートぐらいだったんですけど。
今回その賞はちょっと欲しいなあと思いましたね。
いい意味で、どんどんどんどんいろいろ、本本は一緒だけど広がってる感じがするんですけど。
話がすみません、またちょっと戻っちゃうんですけど。
さっきYouTube始めた時に、一つの大きなベンチマークとして311がある時にって話があって。
この本も少し前、結構前になっちゃいましたけど。
前回のインタビューの時はいつか日本語で小説をっていうところで、さすがもう有言実行ですね。
この講談社のありがとう、シェシェ2017に出てますけど。
これも木下さんからもまた紹介いただきたいんですけど。
東日本大震災の台湾からの募金。
これが何百億みたいなのは日本でも知ってましたけど、正直もう10年も経っちゃったしみたいなのがあったんですけど。
この本がどんな本だっていうことと、さっきのYouTubeの3.11のベンチマークにしたリンクする部分あると思うんですけど、その辺ちょっと。
この本の構想は実は前回の早川さんに会う前の2013年ぐらいにその構想があったんですよ。
もともとのスタートはどこかというと、僕の知り合い・友達が、被災地の現地の人たちが台湾のことを知りたがってるっていう話を聞いたわけですよ。
当時、確かに台湾はすごく現金を送ったんですけれど、日本の大手マスコミが紹介しなかったもんだから、なかなか伝わってなかったんですよね、メディアとしては。
でも、やっぱり現地ではわかるんで、台湾のことを知りたいっていう話を聞いて、「じゃあ、なんかできるかもしれない。僕は台湾に住んでる。台湾のことを現地の人たちに伝えることはできるかもしれないな。」と思ったんだけど、
よくよく考えたら、まだ震災が終わって2年か3年?2年半ぐらいですかね。
それで、まだ傷が癒えていない人がたくさんいて、僕は被災地の人間でもないし、そのことを題材に描くのは、まだちょっと描けないなっていう感じになって。
で、初めは小説を描いたらいいかなとは思ったけど、やっぱりちょっと無理だなと思って、愛とか絆を題材にして描くのはちょっと重いなと思って、1回やめたんですよ。
で、やめた後で、それからしばらくした後、ある日、朝パッと起きた時に、あっときらめいたのが、「これ、愛とか絆を描くのはやめよう。」と思って。
で、「じゃあ、何描く?」って言ったら、「お金だ。お金がどうやって集まったかっていうことを描けば、これはみんな知りたいだろう。」と。
なるほど。愛や絆、お金。
お金はみんな知りたい。だから、被災地の人たちだって、そういう特別な思い、感情なしに、「お金どうやって集まったの?こんな風にして集めたんだ。」ってことを知るっていうことで、「ああ、これだったらいける。」というふうに。
ある日、朝起きた時に、ひらめいたんですよ。で、そこから資料を探して。僕の当時、住んでるところの隣が図書館だったんで、図書館に行って、当時の新聞を全部調べて。
それで、「なんで、新聞じゃなくてネットでも?」っていう声を聞いて、「ネット調べるのはいいじゃない?」って聞くんですよ。やっぱり新聞なんですよ。
その新聞のどの位置に、どのぐらいの大きさで、どういうふうに紹介されてるかっていうので感じるんですよね。
しかも、それを紙絵で開かないと、そのウェブの新聞じゃダメですね。
で、それを全部調べたんです。
そしたら、ちょうど311被災、東日本大震災の記事が、あと1ヶ月遅かったら、そこの新聞が廃棄になるっていう、その時だったんですよ。
最後の一番古い1ヶ月で残ってて、それを全部コピーして。
そこから、自分でデータをすっごい集めて、集めて、集めて。その後も、もちろんネットのデータも集めて。
それで、今度はどうやってストーリーを作っていこうかというお金の話をして。
あまりにも現金の募金活動が多すぎて、どこからやったらいいかわからない。
それを色々調べているうちに、代表的なものをいくつか選んで、そこにアポートを取って、取材に行って、取材させてもらって、原稿を書いて。
でも、取材に行った時に、その2年3ヶ月4ヶ月過ぎてたんですけれど、その時期っていうのが良かったのは、彼らがまだそのことを覚えてたんですよ。
2年3ヶ月4ヶ月。もう1つは、僕が彼らに言ったのは、2つのことを言ったんですけど。
1つは、「これ、フィクションでやらせてください。その通りに書きませんか?」っていうことと、もう1つは、「本になるかどうかわかりませんよ?」って。
それを2つで言ったら、「いいです!」って、どこへ行ってもものすごくたくさんの情報をくれて。
それで、あまりにもみんな一生懸命それを頑張ってくださいってことで、もう知ってるのを全部教えますからってくるので、いつの間にかね、本を出すことが僕の使命じゃないかっていうぐらいまで覚えてきて。
結局、これ2年3ヶ月、さらに執筆、その後で出版まで、全部で4年かかりました、これ。
これでも、やっぱり今の話ありましたけど、小説なんだけど、読んでて、今の取材って話もありましたけど、ノンフィクションというか。
これね、この部分が一番僕は大変だったんですけれど、ノンフィクションと小説の境界線をどこに行くかということです。
これを、僕は初めから小説で書きたかったんですよ。
どうして小説で書きたいかっていうと、理由があって、ノンフィクションで書いたものって記録なんで、その時はちゃんとした記録で残るんだけど、小説って時代を超えられるんですよ。
だから、僕らも今見た時に、昔の古い映画、映画とかでも残ってるじゃないですか。
でも、ドキュメンタリーってほとんど残らないじゃないですか。
だから、今後、将来に残すためには、やっぱりこれは物語になきゃいけない。
そこで小説にこだわったんですね。
やればやるほど必要ですよね。
だから、今後、おそらく、このことを知らない世代もどんどん生まれてきた時に、「ああ、こういうことがあったんだ!」っていうのを読む時に、記録はみんな読めないですよ。
でも、物語だったら、どんどん読めるでしょ?
そこでまた物語の力とか可能性が……
そう、それを見かけたっていうか、そこで物語にこだわったんですよね。
そうした時に、「じゃあ、物語だったら事実を曲げるわけですから、どうして事実じゃないの?」っていう、そこの両方の狭間というかね。
セメリアルというかね。
そうですね。
それで、最終的に僕が決めたのは……これ、かなり悩みましたけど。
最終的に決めたのが、7割事実、3割フィクション。
あっ、結構事実ですね。
はい。だから、事実をベースにして、肝心なところはずらさない。
だけど、詳細について、いろんなところについては、フィクションでどんどん作っていく。
もう1つ言えるのが、例えばね、全くの事実っていうのはあまりないんですよ。
僕の台湾の経験から言って、こういう話がある、こういう話がある、こういう話がある、この3つくっつけて1つにしましょう。
それぞれは事実だけど、そこがフィクションになるじゃないですか。
それはプロですからね。
それは、やっぱり僕が長く住んでいるもののメリットなんで。
だから、そういうことはやりました。
フィクションっていうと、フィクションの比率がもうちょっと上がります。
でも、フィクションの素材は事実。
これでも、皆さん是非、もちろんこれ日本語で書かれているので、読んでいただきたいんですけど。
1つ1つ、震災の時のお金が集まる、それぞれの台湾の中でのいろんな人たちが出てくるんですけど。
これだから、6、7ケースぐらいかな。
5つですね。
5つか。
またちょっと繋がったりするところもあるんですけど。
これは今の質問でいくと、全部ベース、掛け算とかもしてるけど、ベースは全部あるってことなんですね。
ありますね、これは。
そこの取材とかもしてて。
取材は全部しましたね。台湾いろんなところへ行って取材をして、
それで資料もすごく集めて、コツコツとやった小説です。
この小説は僕の今台湾で書いているいろんな小説と比べて、すごく僕の中では変わった小説。
なので、もう作中作品じゃないですけど、今の話聞いているとまさに、
作家活動の継続と新たな目標
僕はちょっとだけネタバレじゃないですけど、最後の方で出てくる、広告をデザインしている彼女。
名前をどう忘れちゃいましたけど、あいこさん。
ひょんなことからちょっとだけネタバレになっちゃいましたけど、
どうして日本の首相は各国にお礼を言うのに台湾にはこれだけ募金してもらってお礼をしないのかということで、
広告を出すっていう個人でね、それの話が出てくるんですけど、
やっぱりもう目に見えないものが動いてとか応援されてっていうのがあるんですけど。
あの話は事実なんですよ。
なんですね。だし、今の話を聞いていて、木下さん自身がご自身で先におっしゃってました。
これやっているうちに、もう自分がまさにそこも重なっているし、
このありがとうシェイシェイ自体の、この本自体がありがとうシェイシェイですよね。台湾の人にとって。
その辺でやりながらどういう感覚だったのかなっていう。
本当に皆さんがいろいろ情報提供もしてくれるし、頑張ってくださいって。
さっきの今おっしゃった広告を自ら出そうっていう方も、
日本で講演があるっていうのを聞いたんで、
僕はもうその辺のうちに飛行機の切符買って行きますって言って。
それで行って挨拶したら、こういうことで今こういう計画をしてるんだけれど、
出版できるかどうかわからない。でも、やるだけやってみるって言ったら、
データなんかも全部出してくれて、皆さんが助けてくれるって、そういう感じですね。
そこで、もちろんこの本もなんですけど、
さっきの話、本当恥ずかしながら、
でも皆さんおっしゃったように、台湾、日本、すごく信仰がお互い厚くて、
もちろんお金もすごく義援金、お互いそういういろんなことがあってっていうのは、
うっすらというか、恥ずかしいんですけど、分かってたんですけど、
ここまでの物語、そしてここにもちろん出ないことがたくさんあったと思うんですけど、
っていうベースがあったから、
さっきおっしゃったように、そこでまたYouTubeの先に戻りたいんですけど、
311、一つのベンチマークにっていうところはどうまた繋がってるんですか?
これを日本でまず出したっていうことは、台湾の人にとってはものすごく嬉しい話なんですよね。
自分たちがやったこと、それまでメディアが伝えてくれなかったことを小説で向こうに出して、
しかも僕、その後、日本にこの関連で講演会を11回くらいやってるんですけど、
日本でも被災地でも4回くらいやりました。
そういうので行って、被災地でそれを紹介してやってくれるっていうことが、台湾の人たちにとってはすごく嬉しいことで。
そういうYouTube、その時の様子とか、その時僕が思ったこととか、
その辺をまとめて動画にした時に、台湾の人は無条件でチャンネル登録してくれるわけですよ。
だから一番初めのスタートの時に、この半年後のこれをメインに僕はチャンネルを組み立てていこうと思ったんで。
一見って言ったらYouTubeみたいな感じだと物語とは一番、これ批判を覚悟ですけど、
表層的に見ると遠く思っちゃうけど、実は木下さながらさっきおっしゃったように全部物語というか、
小説家としてアニメをやってる一つかもしれないですね。
そうですね。
しかもね、これだけでもストーリーになっちゃうかもしれないですけど、
やっぱりその日本の出版社、しかも講談社が、そこから出すっていうのは、
このありがとうシェイシェイのね、逆に話で主人公の、主人公って言っちゃいましたけど最後の。
僕ね、やっぱりあいこさんがね、みんな主人公だと思うんですけど、やっぱり最後のところで出てきて、
広告を台湾の二大誌といいますね、全国誌の二つで出すっていうの。
それを逆に字で言ってるような、木下さん自体が物語から出て、ノンフィクションを生み出したじゃないけど、
だからこれも、やっぱりそんな簡単ではなかったんじゃないですか。
そうですね。この本ね、台湾でも逆に翻訳版が出てます。
2020年、3年後に翻訳版が出てるんですけど、
これはね、やっぱり一番最初出版までの過程っていうのは相当大変で、
出版社、いろんなところ回りましたね。
いろいろ話して、賛同してくれる人が要はいるかどうかなんで、
その期間も結構大変でした。
その中で、これだけストーリーになっちゃいますし、全部言えるわけじゃないと思うんですけど、
後段社とは縁があって、いろいろ繋がって。
後段社も3回か4回行きましたね。
違う部署。
木下さんのことだからね、もちろんいろんな繋がりはあるから、会うとこまでは言ってもそんな簡単じゃなかったって感じですね。
そうですね。やっぱり小説なんで、となると小説って読者が既にいる人じゃないと、なかなか出版社出してくれないんですよ。
しかも、その出版社の中で小説を扱っている部署っていうのは、そこだけであるんで。
これ、ノーフィクションだったら出すよって言ってくれた大手出版社もあったんだけど、僕は全部断った。
一番初めの目的が、これは何年後かにやっぱり残していかなきゃいけない。
ノーフィクションだったら出しませんし、フィクションで出したいっていう話で。
だからね、中にはね、本当にこれ面白い話なんですけど、日本の出版社の編集員が台湾に来てくれて、僕はそこに情報が入るんですよ。
そうすると、そこのホテルに朝、原稿を持って読んでくださいとか言って行くわけですよ。
いいですね。
そういうこともやったりとかね。
いろんなことをやりながら、とにかくもう出さなきゃいけないっていう、さっき言った使命感っていうか、そういう形になってたんで。
たくさんの台湾の人がみんな協力してくれて、彼らもなぜ協力してくれるかっていうと、日本にやっぱりこれを伝えたいっていう気持ちがすごくあるから。
だから、それの最先端を僕は今、その時にいたわけだから、何とかしなきゃいけないと思って。
いやでも、ちょっと今フラッシュバックしましたけど、11年前にお話し伺った時もね、その時はやっぱり小説、台湾の方でさっきの外国人として初めてとかで、
その後もね、賞を取っても簡単にすべてがもちろん全部上手くいくわけじゃなくて、新聞連載とかも自分から動いてみたいな話を聞いてて。
だから、その時のフットワークは衰えるどころか、むしろ今も続いてて。
ただ、その時ももちろん社会的なことが、物語自体が時代を超えるとか、社会的なものを持っていると思うんで、根本は変わってないと思うんですけどね。
不尊承知でお話しすると、10年前以上により社会的なものを、苦しいっていう意味じゃなくて、やっぱり背負ってる感じがするんですけど。
基本的に言うと、「これはやりたいかどうか?」という好奇心があって、「これをやりたいと思ったら何かできないかな?」っていうことを常に考える。
で、「これは何か方法ないかな? 何かないかな? 何かないかな?」って考えてると、だいたい何かがどっかに出てきて。
それから、もう1つ、11年前と比べて少し差があるとすると、やっぱり経験の累積によって実績の累積もあって、他の人がちょっと話を聞いてみようか? ぐらいに思ってくれるところがだんだん出てくる。
まあ、さっきの話もそうですよね。映画を作る時もそうですよね。
そうですね。おととしに新聞連載をやったんですけど、その新聞連載が結構人気になって、評判になったので。
それまで、僕のイメージとして、台湾でも文学作品を出すんですけど、知ってる人は知ってるけど、なかなか受け入れられている感っていうのが、そこまで感じてなかった。
やっぱり時間が掛かるので。それが、2,3年前、その連載の後に、台湾の文壇の中に自分の席がちょこっとできたなっていう、この感覚が。
だから、どこに行っても、その業界の中にいた時に、みんなが挨拶してくれるとかね。
すごい。
そこが、やっぱり10年くらいかけて作ったものですね。
それは大きいですね。
これはやっぱり、10年前にお会いした時は、本はとりあえず出しました。
それで、知ってる人は読んでくれて、気に入ってもらって、そこからだんだん自分の立ち位置っていうか、それがだんだん変わってきたっていうのはあります。
やっぱりこれは、継続してやってきた結果かなとは思いますね。
それは当然継続した結果だと思うんですけども、そもそも文壇の世界で、もちろん本の売れない時代に継続していくってことは、当然今おっしゃったように人気とかいろんな実力とか、当然伴ってないと、その文壇に立ち続けられないと思うんですけど。
あえて言うとすると、むしろ立ち続けるところからもどんどん入っていってる感じだと思うんですけど、この10年、11年でなぜそう?
作品の質も少しずつ変わってきてて、それは自分でよくなっていると思います。
だから、やっぱりそこに行くのは、作品が連れてってくれるっていうか、そこの部分が大きいので、そこの部分でちょっと進歩したかなっていうのは一つ、そこは感じる。
そうですね、そうするとやりたいことがいろいろとまた増えてくる、できるようになってくるから、そうするとまたチャンスも増えるっていう好循環になってくるし。
YouTubeと作家活動の相乗効果
逆にそのYouTubeとか映画制作が、ある意味本丸、ある意味じゃないですね、文字通り本丸であるこの作家に書くことにおいてプラスになっている点ってどういう点がありますか?
これ面白いもので、僕の認知度って言うと、もう圧倒的にYouTuberですよ。
そうなんだ。
そうです、これでも。だって、それはYouTubeと本の違いっていうのがあるので。
ああ、そっか、それは日本でもそうですね。
そう、だから僕が、木下純一先生がどういう人かっていうよりも、YouTubeと小説の違いくらい。
僕、今大体、こうやって台北の街を歩いてると、1ヶ月に5回から10回くらいは声をかけられるんですけど、ほとんどがYouTuberとして。
なんて言われるんですか?スーパーGみたいに言われるんですか?
はい、共産に食べるんだ。
ああ、そこからか。
そうそう、そういうのとかね。
期待されてますね。
僕は見分けがつきやすいんで、この白い髪の毛が、みんなやっぱり間違いないんで、ちょっとそこは、そういうので声をかけてくれるっていうのがあって。
だけど、作家として声をかけてくれるのは本当に少ないですね。
特別な、どこかの団体とか、業界の集まりとか、そういう時はあるけど、街でばったり声をかけられるのは、もうほとんどYouTuberですね。
いやでも、なんかいいですねって思うんですけど、なんかだから、木下さんの中ではどっちも今日ここまでお話し伺ってて、矛盾はしてないんだけど、根本は一緒なんだけど、でもなんか2つのキャラっていうとあれですけど、人生なんだろう、2つの人間生きてる感じするんですか?
なんかそれを高速で移動して、どういう、いや楽しそう、そうだなと思って。どういう感覚なのか。
そうですね。とにかくでもね、やりたいことが先にあって、それをできないかな、やってみようかな、映画でもね。
例えば映画で、あの時にそういう話にならなかったら、僕はたぶん一生映画を作るってことはないと思うんですよ。そういうチャンスがないと思うんですよね。
でも、その時にそのチャンスがあるんだったら、じゃあそこに一個突っ込んでいこうかっていう話ですよね。
だから、そういうチャンスがあるんだったら、じゃあとりあえずこれ、もう結果はわからないけど、とにかくやってみようっていうか、チャレンジ?それが非常に大切。
大切よね。なんか僕も何か見てたら、やってみてから言うみたいなね、四字熟語みたいなのを木下さん結構大事にされてます。これも昔からずっと変わらずですか、そういう姿勢?
基本的に変わってないですね。
むしろ増してる感じはするんですか?
増してますね。そうそうそうそう。
でも、だって基本的にやっぱり、昔からずっと思ってたのは、人生無駄なことはないっていうのが常に思ってるんで。
だから、どんなことでも、例えばその時すごく大失敗したとしたとしても、それでもやっぱり長い目で見ればそれは絶対にプラスになるっていうふうに思ってるから。
人生の原動力とAIへの関心
だから、それよりもやりたいと思ったのに、その時やらなくて後で後悔するのが嫌ですね。それは嫌ですね。
やっぱり前回ね、いろんな印象的なお話いっぱいしていただいてるんですけど、やっぱり前回奥様のことをね、すごく印象深く語っていてですね。
働いてこいではなく、書くと言ったらなぜ書いてこないのと叱られたと。
この11年間でも収入が入ってもっと安いところに引っ越せばいいじゃないみたいな。そういう奥様は変わってないんでしょうか、そのスタンス。
うちの両方は、専業主婦ではなくて、彼女が画家なんですよ。
それは前回、聞いてませんでした?
いや、まだその時はデビューしてなかったかもしれないけど、美大を出てずっと描いてて、その後です。何年かだっけ? 2013年かな?
で、今、画家で毎年毎年個展が増えていって。
今、彼女も台湾の画壇に少し出席をあるかな、ないかなって、そんな感じだけれど。
でも毎年、いろんな大きなギャラリーで個展やってるんで。
だからお互いに、彼女は彼女、僕は僕でやってる。
でも卵が先かニワトリが先かじゃないですけど、もちろん当たり前ですけど、実力とか実績あるからだと思うんですけど、
やっぱりなんか、作家、YouTuber、奥様は引き合いに出されると奥様の許可得てませんけど、
画家、映画制作、一つ一つはもちろんみんな憧れるし、けど安定っていうとこだけ一瞬考えるとしにくいじゃないですか、一般的には。
でもその道をやっぱりさっきのやりたいとかってことを選び続けてきたと思うんですけど、
なんかその辺のときにもう本当にみんな一番期待する、やっぱりお金が心配に普通はなるじゃないですか。
お金については、今までは今日食らせるから、とりあえず今日やりたいことをやる。
でもお金の話、将来的なこともいろいろ考えてる。僕はビジネスを考えてる。
だから同じように、今年ビジネスやって、これはYouTubeのオンラインのビジネス、いろいろやって。
これもYouTubeで前やったときにわからないなりに経験があるから、今回は多分できるだろうぐらいで、それやろうと思って今年。
それはだからここまでの話聞いてると、なんとなくは全部が言えないと思うんですけど、やっぱりさっきの語学のオンラインのみたいな感じ。
そうですね。というのは、YouTubeチャンネル作ったときにある程度どうやれば成功するかっていう感触があるので、それもできるな。
でもなんかうまく言えないんですけど、ビジネスって言ってるけど、なんだろうな。
ビジネスは結局はユーザーに価値を与えればビジネスになる。
そこの部分、それはそれで考えれば面白い。
これはルールがちょっと変わるだけの話で。
ですよね。なんかやっぱり木下純一の中では、そこに物語っていうのはまたちょっと違うかもしれないですけど、なんか大枠がやっぱり木下純一業っていう中では全部矛盾してない感じがするんです。
やっぱり楽しいとか純粋性みたいな、そこが淀むっていうのは、一番お金の持ちのビジネスなんですけど、なんて言うんだろうな。
なんか恐怖とか恐れ焦りとか、ゼロってことはないかもしれないですけど、でもなんかほとんど感じないんですけど、話を聞いてて。
身体が動く以上は、そこはちょっと心配ですけどね。
身体が自分で動いて、頭がはっきりしてるんだったら、実際に考えて動く。
考えて動いて、それが溜まってくればなんとかなるんだろうっていう、そういう考え方がありますね。
考えて動く、それが溜まってくれる。まさにYouTubeもそうですよね。
溜まってきてるわけですよね。
そっか、今ありましたけど、もう60今年後ですよね。
体力や気力の変化って正直感じることはありますか?
たぶんあるんでしょうけど、そこまで不自由な感じじゃないですね。
なんか全然変わった感じしないですよ。エネルギーはむしろ増してる感じがするんですけど。
これ、ちょっと話、さっきの話に戻るんですけど。
超級ジージーにつけて、「あれ、なんでこんな名前をつけたの? ジージーさんの名前なんて!」って言われて。
特に僕より年配の方からは、こっぴろく怒られて、「あんたがジージーさんに名乗ったら、私はどうするの?」とか。
女の人とか、おばさんとか。
僕がジージーって名乗ったのは、「まあまあ、85歳くらいまでやるよ?」って。
だから、その時に名前を変える必要ないじゃないですか。そのままの名前でずっといけるんで。
そういうことを考えた時に、「じゃあ、もうこれで生涯この名前でいけるな。途中で変えなくてもいいな。」と思って、これで行く。
だから、今の気持ちとして、「じゃあ、今はジージーさんか?」って聞かれたら、僕、今の自分の心の中では、ジージーさんと全然思ってない。
全然ですよ。青年感ありますよ、まだ本当に。
全然思ってなくて。だけど、それは今後何十年後でもやりたい明日と。
話がめちゃくちゃ変わりますけど、ご自身の作品はちょっと置いといて。
当然、クリエイティブなお仕事をされてるから、いろんな本とか映画とかドラマとか触れることもあると思うんですけど、
最近、心が動いた作品、別に台湾の作品でもいいし日本の作品でもいいし、本、ドラマ、映画、何でもいいんですけど、何かあります?
僕、昔は本が好きで、本をいっぱい読んでたんだけど、このYouTubeを始めて、この辺から忙しくなって、読手料が一気に減ったんですよね。
これはね、ちょっと自分でもああと思うんだけど、たまに本が読みたくなって、「どんな本でもいいから!」って読むと、もう栄養分を吸収したような気分になって。
でも、本が読めてないんで、今、僕、読書を語るのはちょっと語れないですね。
でも、なかなか読めないなりでも、やっぱり読むとしたら小説が多い?
小説が一番多いですね。
それは日本の小説が多いですか?
外国も多いですね。外国のほうが多いかな。
それ、例えば、最近じゃなくてもいいですけど、単純に聞いてる人も僕もそうですけど、木下さんは外国の小説ってどういったの?
僕、イギリスの小説とかも結構好きで、ヨーロッパの小説も好きです。
例えば? 僕もわかんないかもしれないけど。
例えばね、うーん、誰を言ったらいいかな?
もう全然昔のでもいいんですけど。
どういうふうに言ったらいいかな?あまりそんなに有名な人ではないんですけど、何人かいます。
どれを言ったらみんながわかりやすいかな?
例えば、ダフネル・モーリアという人がいるんですけど。
僕は小説が少し好きなんだけど、小説よりも映画になった映画で、鳥とかわかります?
シチコックの鳥とか。あれ、元々映画の小説なんですよ。
その原作がめちゃくちゃ面白い。
この映画は元々こうだったんだとか、そういうのがすごく面白くて。
あと、アラン・シリト。 あの、走る?
はい、そうです。チョーケルラーメンの方。
彼の作品、僕、全部持ってます。
そうなんですね。
そういうやつとか、いろいろ。
今は、読めないっていうより単純に忙しくて。
時間があって、ふっと触れたら、やっぱりいいなみたいな。
読むとなると、時間をとってとても落ち着けて読まないと、
短い時間で無理矢理読むっていうのも面白くないので。
そうかそうか。その中で今、やりながらですけど、
充実はもちろんしてるけど、忙しさは増してる感じ?
あのね、これ次の課題として、どこが手抜けるか。
なるほど、大事大事。
質の部分じゃなくて、やらなくてもいいことをやってるとかね。
このぐらいの質でいいのに完璧主義を目指して、すっごい何倍も時間かけてるとか。
やっぱりありますよ、木下さん。
めちゃくちゃありますよ、木下さん。
これはね、性格もあると思うんだけれど、
でもその辺をうまく整理しながら、本当に大事なことは何なのか。
特に最近僕が感じるのは、
ああ、残された時間どれだけなんだってことはすごく最近思うんで。
その中でその時間を最大限に有効に利用するためには、
何をやるべきでどうやるべきだっていうのをすごく思いますね。
さっき言った、これもやりたい、これもやりたいっていうのも、
もう時間が残されてるんだから今やらなきゃっていうのと、
同時に、やらなくてもいいものはやらない。
特に他の人から頼まれて、自分に一切メリットのないこととかあるじゃないですか。
そういうものはもうやらない。
限られてますからね、時間も入れられるのもね。
それがね、若いうちは全てのものが自分のためになると思って、
どんなことも結構やってたんだけど。
時間も永遠にあり、感じちゃいますよね。
50過ぎたなりから、ちょっと残り時間で何ができるかっていうことをすごく考えるようになりましたね。
その中でね、やっぱりこれはど真ん中で聞きたいのは、
AIとの向き合い方というか、木下さんにとってすごく生きてる部分もあると思うんですけど、
今どんな感じで付き合ってるんですかね。
僕、今一番興味があるのがAIで。
じゃあ、AIってまだ出てきたところじゃないですか。
でも、今はみんなわからないなりにプロンプトを書いて答えをもらうだけなんだけど、
そうじゃなくて、もう一歩突っ込んで、まだ他にもいろんなことができる。
だからここの部分は、もう自分の手を離れて、自分の分身みたいな形でできないかなってことを今考えてて。
それができるようになると、今までやりたくてもできなかったこととかが、もっとたくさんできるようになると思うので、
AIはちょっと突っ込んでやりたいですね。
AIが今出てきたのは、たぶん社会が変わると思う。
本当にそうですね。
これ、はやかさん、社会が変わるっていう肌感覚。
これはね、僕、子供の頃に車が出てきた時。
これ、ずっと覚えてて。
当時何をやってたかというと、車が出てきた時に、
もういい大人ですよ。大人の人が、車を運転しようと思って、教習所に通って一生懸命勉強する人もいれば、そうじゃなくて、
いやー、車が出てきたけれど、国鉄あるからいいよってことで、一切車に見向きもしなかった人がたくさんいました。
その人たちは、その後大変なことになってて。
車運転を当時はめんどくさいじゃないですか。
放棄勉強したりとか。
それをやってた人っていうのは、その後生き残ってる。
あの臭いっていうのを、僕は子供ながらにして見てるんですよ。
これと同じ臭いがするんですよ、AIは。
ネットの時もちょっとしたけど、ネット以上にAIがそれをする。
僕はこんな年寄りだけれど、それでもAIはまだ今からやりたい。
やっぱり一番嗅覚がある方だから、それ感を感じますよね。
そうかそうか。
じゃあそうするとやっぱり、面白いですね、木下さん。
むしろ矛盾してるんですけど、いかに手を抜くかとか、時間が限られてるって言ってた後で、今のAIでキラキラ目が輝いてたから、
どういう形かわかんないけど、やっぱりまだまだいろんなことをやっていくんじゃないかなっていう感じがあります。
台湾の現状と将来
そういう意味では、覚えてらっしゃるかもしれないですけど、11年前のインタビューでは、ゆでガエルになれなみたいなことをちょっと言ってたんですけど、
そういう意味では、これ愚問ですね。ご自身はゆでガエルにならずに来てますね。
もうゆでられてませんね。そのラーメンなんか入ってないですね。
ぴょんぴょん跳ねてる感じがする。
じゃあ、やっぱり今のこの原動力というのは、相変わらず好奇心とかなんですね。
でもね、YouTube始めた時、危機感ですけど、両方これ実は裏表なのかもしれないけど。
でもね、始めは危機感なんだけど、しばらくした後で好奇心に変わります、それは。
これできるのは自分がと思って、こうやったらもっといける、いけるっていうのが、始めは全然見えないのが見えてくるじゃないですか。
やんないとわかんないですよね。
あれ、絶対やらないとわからないし、やる前に頭で考えたりとか、いろんなものを見てどうのこうの言ってるのは全然違う。
やるからこそですよね。
だから僕もね、YouTubeどうしたらいいですかって聞かれるんだけど、
教えるのはいいけれど、とりあえずやらないとわからないから。
それこそ小説書くとか本格もそうですよね。どうしたら書けるんですか?まず書けって。
そういう人は一生書かないんですよね。
本当にその通り。
最後にいくつかですけど、またガラッとここせっかく台湾来てるんですけど、
もう本当にこれもね、やっぱりストレートにみんな聞きたいですけど、
日本にいるとやっぱり台湾、台湾有事とかって話をね、いろいろ考えたりしますけど、
実際の究極かわかんないですけど、肌感とか、その辺で住んでてどんな感じですか?
あのね、有事は、まああったらあった。
それ考えても始まらないんですよ。
始まらないんで、本当にあったらその時考えればいいかなと。
僕はそう思ってますね。
それ台湾の人もやっぱりちょっとそういう感じですか?
大きく人にはよると思いますけど、国民性はでもなんかちょっとそっちより、
日本人ほど毎日毎日は考えた方が。
日本人の方が考えてるんじゃないですかね、その辺はね。
しかも日本で台湾有事する、みんな言ってるから。
そういう感じですよね。
そうか、じゃあなんかそんなすごい緊張感みたいなの、街全体にみたいな。
ないですね、それはね。
なるほどね、そうか。
あのね、もうなんか目がキラキラしてる。
やっぱりもう基本的に人生もちろんね、究極かわかんないですけど、
やっぱりもうずっともう台湾で骨を埋める感じですか?
わかんないです。
わかんない?
結構速投しましたね。
速投です、これは。
これ、タンポポの綿毛の時に言ったんだけど、風が吹いたらその風に乗るっていう感じで。
やっぱりわかんないんだ。
だから、来年日本に戻ってても、それもあり。
それはもう決めてないです。
それはその時に、自分ではそう思って、こうしたいなと思ったことに従ってやるんで。
だからもう絶対に、よく聞かれるんですよ。
どうして台湾に永住することにしたい?
永住すること決めてない。
今も決めてない。
よく言うんですけどね。
人生の更新と学び
この番組自体がライフアップデートっていう名前なんですけど、
やっぱり人生を更新する一言もの機会っていっぱい日々あると思うんですよ。
これも普段そんなこと考えてないと思いますけど、
でもこの直近1年でも3ヶ月でもいいんですけど、
これは人生本当に変わった後が変わるかもしれないっていう、
本当に大きなものから小さなもの、有形無形なんでもいいんですけど、何かあります?
僕の考え方ですかね。
YouTube始めたのは、これは大きな変化がありましたね。
今まで見えなかったものはすぐ見えてきたっていうことと、
それからあとは映画もそうですね。
そういう日々のいろんなことが、それぞれ自分にとって、今まで見えなかったものは見えてくる。
例えばね、YouTubeでやって、何が一番僕にとって大きかったかっていうと、
メタリンチ。客観的に自分のことが見れるようになった。
まあそうです。嫌でも見ますよね。
それは数字で具体的に出てくる。
自分でこれ絶対にいいと思っても、実際にそうではなかったとかね。
そういうものが見えることによって、自分の考えが絶対じゃないんだっていうことを強く思って、
そうすると、次の考え方では、自分はこう思ってるけど、もしかしたら違う考えもあるかもなとか、
そこら辺がちょっと柔軟になったというのが1つ。
これ、結構大事だと思ってて。
僕くらいの年齢になってくると、これまでの自分の経歴で、
もう絶対だと思ってる。これは間違いないとかいう考えになりがちなんだけど、
そうじゃないよっていうのを、YouTubeが僕に教えてくれたっていうかね。
でも逆に言うと、そこでそれによってもうへこんで辞めちゃう人とかもいるわけじゃないですか。
でも木下さんはそういうのないの?
だってまだ成功してないじゃないですか。成功するまでやらないと。
それでもう1つが映画。
僕、映画で1つ大きかったのは、今回一緒に仕事をした人ってみんな20歳くらいなんですよ。
20人くらい、20歳くらいの人で、彼らとの接点っていうのがものすごく大きくて、
普段僕らの年になると、僕らの年じゃなくても、早川さんくらいの年でも、
20歳の人と真剣にやり合って迎え合うとかないじゃないですか。
うちの娘が近いくらいとかね。そんな感じですよね。外ではなかなかないですよね。
それができたっていうのが、「ああ、こういうことなんですが、これからの人たちの考え方とか、そこに入っていって、ちゃんと対等に……」
対等にですよね。始めのところは難しいんですよ、やっぱり。
向こうも考えるし、警戒するしっていう。
その辺の壁を乗り越えていって、そういう人たちとも今後どうやって付き合っていくかっていうところのヒントが、映画によってだいぶ勉強になったんですよ。
なるほど。じゃあ、映画を作ったことも財産だけど。
今後の活動とリスナーへのメッセージ
映画とYouTubeは、自分の今までのこのままだったらちょっとヤバいかなっていうのを強制してくれた。
すごい。パッションが11年も増してますよ、木下さん。
これ本当に最後ですけど、日本で聞いている方が多いと思いますけど、
今日この話を聞いて、木下純一の何かにまず触れたいと思った人。
いろんな作品からYouTubeからあると思うんですけど、木下さんとしてはまずどれを読んでほしいとか見てほしい?
何か一つあげるとしたら。
もちろん一番最初はYouTubeですね。
YouTube。
YouTubeが一番手っ取り早いですね。
本当を言うと、こちらで出している本。それがベストなんですけど。
この本もいいんですけど、僕の普段書いている内容っていうのは、こちらで出している中国の本なんだけど、
その本が、今のところ日本ではまだ翻訳されていないので、それを読むことはできない。
YouTubeは比較的、全部二カ国語をフル字幕でつけるんで。
めちゃくちゃ楽しいですよ、皆さん。あえてネタはあんまり言いませんけど。
日本人が見てもめちゃくちゃ楽しめる。
でもおさまりいいところであれですけど、やっぱり木下さんの台湾で出している本番の小説とか作品を読みたいんですけど、
やっぱり僕言葉ができないんで。
それこそちゃんと出しているのだから、なかなか逆に難しいのかもしれないですけど、
それを今こういう時代なんで、
AIに軽く出すって作品がちゃんとしてあるし、契約関係もあるんでしょうけど、
そういう可能性はないんですか?木下さんが自分で出すみたいな。
日本語で。日本人としては読みたい。
やろうと思えばできるかもしれないし、
ただこれまで、今のところ自分であまりそれを考えたことがなかった。
でもやる気になれば。
僕も軽々しく先生の作品よってあれなんですけど、でも単純に読みたいっていうのはあるなっていう。
やる気になればできるかもしれない。
もしかして今年これやろうと思った時に、それは実現する可能性はある。
やっぱり結構、ひやめくとかポンって思ってやるっていう感じですよね。
そうそう、一番最初で。
そうか、じゃあまた分からないってことですね。
そういうのも全然あり。
話はつきませんが、2015年にインタビューさせていただき、2016年にインタビューさせていただき、
次は2037年かもしれませんが、
次はスーパーGじゃなくてまたちょっと変わってるかもしれませんが、
ということでお話を聞くのを楽しみにしています。
今日はですね、台北で木下純一さんにお話を伺いました。
木下さんありがとうございました。
どうもありがとうございました。
01:31:19

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