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【#278】「縁は、ピンチの時にやってくる。」SOYAMAXさん(書家/調理師)
2026-07-24 1:02:40

【#278】「縁は、ピンチの時にやってくる。」SOYAMAXさん(書家/調理師)

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台湾・新竹を拠点に活動する縁筆書家・SOYAMAX(曽山尚幸)さん。18歳、入社2ヶ月で末期がんの告知——「終わったな」と思った病室で、彼は筆を握った。骨髄移植で血液型が変わり、「本当に余生だと思ってる」という24年。沖縄で調理師になり、自費出版で本を出し、フィンランドの路上で拾われ、いま台湾で顧客の8割が台湾人という書家に。精子提供で授かった息子さんのこと、「我慢しない」「断る勇気」、そして漢字一文字「縁」——。台湾のご自宅で、じっくり伺いました。(収録:2026年6月/台湾・新竹の自宅にて)

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A Japanese-language interview with SOYAMAX, a calligrapher based in Hsinchu, Taiwan. At 18, two months into his first job, he was diagnosed with stage 4 lymphoma. In that hospital room, he picked up a brush. Twenty-four years later, he still calls this "a life after life" — and writes people's names wherever a connection is made.

 

You can watch this episode with subtitles on YouTube:

https://youtu.be/xTt2lYj88yM

感想

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サマリー

本エピソードでは、台湾・新竹を拠点に活動する書家、SOYAMAX(曽山尚幸)さんへのインタビューをお届けします。18歳で末期がん(ステージ4)と診断され、余命宣告を受けた壮絶な経験から、書道家としての道を歩み始めたSOYAMAXさん。骨髄移植を経て血液型が変わるほどの体験をし、24年後の現在も「余生」として生きる彼の人生観に迫ります。 番組では、SOYAMAXさんが台湾で顧客の8割を占める書家として活躍するまでの道のりや、フィンランドでの路上パフォーマンスでの出会い、そして精子提供で授かった息子さんとの関係性について語られます。また、自身の経験から「我慢しない」「断る勇気」といった生き方の哲学や、人生の転機となった漢字一文字「縁」についても深く掘り下げていきます。彼の波乱万丈な人生と、そこから生まれる書への情熱、そしてポジティブな生き様が語られる内容となっています。

SOYAMAXさんの紹介と活動内容
さあ、ということで今日はですね、ゲストにSOYAMAXさん、SOYAMA NAOYUKIさんをお迎えしてお話を伺います。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
さあ、ということで、お迎えしてと言いながら、今日はですね、ここ台湾、台北に。
新竹というところですね。Bふんで有名かな。
あ、そうか、そうなんです。新竹の新幹線で駅で下ろさせていただきましたけど、
台北の隣の隣ぐらいなんですか?
そうですね。台北、新米、東円、新竹かな。
あ、そうか。ちょうど新幹線で来て何駅かでしたけど、もうどんどん死をまたいという感じ。
そうですね。4駅目ぐらいだと思います。
の、実はですね、ご自宅に来させていただいているんですけども。
今日ね、先ほど車でもちょっとお迎えに来ていただいてですね、少しアイスブレイク。
アイスブレイクで2時間ぐらい話を聞かせていただいてたんで、
いろいろね、もうあるんですけども。
実はね、名刺もいただいてるんですけども、先ほどソヤマックスさん、そしてここにソヤマナオユキさんとありますが、
その下にもなんか肩書きがいっぱいあるのかなと。
肩書きですかね、それ。
何ですかね、これ。
えっと、僕何て書いたんだっけな。自分の名刺を見ていただいて。
これはいわゆる学に入った書道作品を作りますよというのと、電子化したデータとしての納品もできますよと。
あと舞台パフォーマンス、ステージで何か書いたりですとか、そういったのも受けたまわります。
あと室内のインテリアで壁に地下書きとかもできますよというのと、
あとは旧正月とか正月イベントでその目の前でお客さんに書いてお渡しするのもできますよと。
あと教えてくれと言われれば教えることもしますよという形で書いてます。
なるほど、そうか。
全部書道にまつわることですね。
そこからいろいろあって、台湾で書道家、書家って何て言うんですかね。
どうなんでしょうね。書道家って言うと怒る人もいらっしゃるんで。
なんかあるんですよ、この業界のあれが。
でも僕そこ業界に所属してないんで、何とでも言っていいんですけど、
特に僕書道何段とかっていうの持ってないんで。
そうなんですね。
だから全くアウトローアウトサイダーの部類になっちゃうんで。
これちなみに名刺にもいただきましたし、先ほどもありましたけど、
鉛筆?書家?
これ鉛筆って言うと音だけだとまた鉛筆、ペンシルの方で。
鉛の筆っていうのは、これはこういう言葉があるんですか?
これはないですね。なくて。
自分がこの活動を始める前から、名刺を渡す時には必ず名前を書いて渡すっていうことをやっとったんですよ。
いただきました。
18で入院してから始めたんですけど。
それって鉛の結ばれるところに筆があるなと思って。
それで鉛を持って筆を出すんだったり、筆で持って鉛を繋ぐだったりみたいなのをテーマにした、
そういうアーティストになりたいなと思って。
今会社名にもそれをつけているんですけど。
そうですよね。
これこの会社にしてからどのくらい?
会社にしてちょうど6年ぐらいですね。
そうなんですね。
台湾で法人化したので。
台湾移住の経緯と現地での活動
台湾ってありましたけど、どこから聞いていこうかなと思うんですけど、
逆に今から行きたいんですけど、今は先ほど具体的なお仕事もありましたけど、
やっぱり書くことでまさにそれが仕事で生きていくっていう感じ。
いきなり張りますけど、なぜ台湾にいるんでしょう?
なぜ台湾に?
そこから多分遡っていってもらって全然かまわないんですけど。
台湾を選んだのは7年前になるのかな?
コロナよりちょっと前ぐらいの時に。
コロナ前だったんで割と世界を自由に飛び回ってたんですね。
アジアからアメリカから南米行ったりオーストラリア行ったり。
オーストラリアはまだ行ってないや。
欧州行ってあの辺もやったり、ロシア行ってみたり。
とにかく5円のあるところ全部回ってみて、
どこ行けば自分のこの筆は評価されるのかとか、
リアクションがいいのかとか、
そういったようなのを探してたんですね。
で、3年ほどかけて2週ぐらいしてみたんですよ。
至急で言うと。
やってみたところ、一番しっくりきたのが台湾だった。
しっくりというか、ちゃんと評価していただける体感もいただけそう。
生活しやすそう。
あったかいのが好き。
食べ物も美味しい。
全部良かった。人も良かったし。
で、一応奥さんいるんですけど、
夫婦揃って台湾いいねっていうことで、
特に今その頃日本でくすぶってたんですよ。
日本でくすぶってて、これ食っていけないんじゃない?って言って。
奥さん看護師なんで、奥さんの方が稼いで食わせてくれてるみたいな状況で。
僕もちょっと悔しいし。
で、台湾いいんじゃないって。
台湾行ったらあんた一人でどうにかなるよみたいなこと言うんですよ。
で、それに乗せられてというか。
そうですね。
で、台湾になったと。
そして今ここで台湾で、そして日本でもお仕事で活躍されてますけど、
実際のところなんて言うんでしょう。
そういうお客様っていうのは、
単純に割合っていうか、
例えば日本人の方が多いとか、
あとどういう業種の人が多いとか、
いろんなケースがあると思うんですけど、
どんな感じなんですか今。
今国別で言うと、台湾が80%以上ですね。
80%以上で、残り20の中に、
香港、中国、マレーシア、シンガポールらへんのこの中華系の皆さんが、
ここに多分15%ぐらい。
残りの5に日本とその他。
日本少ないんですよ、ほんとに。
ほとんどビビったって言い方もありだけど。
年齢だから数組ぐらいのお客さんで、
命名書とかああいうのもいますけど、
企業で見るとほんとに少なくて。
そうですね、アメリカのお客さんもいるし、
その中に日本のお客さんもいるって感じ。
アジアからちょっと外れてる感じです、むしろ。
実は。
全然ジャンルも違いますし、
羨ましいって言っても逆に失礼かもしれないですけど、
海外で聞いてる方が活躍したいとか、
仕事をしたいって言った時に、
実際はいい割は別としているけど、
日本の誰かの仕事とか、
それが悪いわけじゃないけど、
でもやっぱり現地に入ったからには、
そこのお客さんというか、
そこで仕事できたら一番いいなって、
僕は少なくても思うんですよ。
8割ってほんとにすごいなと思うんですけど、
それは6年7年前に知り合いがいたとはいえ、
いきなり全部ってわけじゃないじゃないですか。
最初のお客さんとか、そこから広がりとかって、
どういう感じで今に至るのかなと。
これやっぱり最初は、最初僕あれなんですよ。
路上に座って字を書いてたんですよ。
これは日本でもやってたんですけど、
世界全国、僕の行った国では全部やってて、
もちろん台湾でもやって、
台湾でやったところ、名刺に名前を書くんですけど、
それをやっている中で、
そこがねずみ子みたいな、
ちょっと言い方悪いですけど、
どんどん増えていくんですよ。
ファンがファンを呼んで、
これ書いてもらったんだぜって。
文字見せられますね。
そうそう。あそこ行けばもらえるよなんて言って、
そうやってどんどん増えていって、
そのファンの増やし方が正しかったのかわからないですけど、
その中にはやっぱりどこかしらの社長さんだったりとか、
デザイン会社のなんとかだったりとか、
いろんな方がいて、
でもそんな道に座らなくても、
うちのお店の角とか使っていいからって言って、
そこでやらせてもらったりとかして、
そうやってまたどんどん増えていって、
それが大きかったですよね。
この名刺1枚から全部広がっていったなっていうのは。
これ変な話ですけど、
名刺最初そうやって路上で書くときは、
基本的にはもう無料で書いてある。
無料です。
文字通りそれが名刺代わりと言うから、
どんどん広がっていって、
その後に何かうちのこういうの書いてくれみたいな。
だからなんて言うんでしょう。
ある意味、名刺で無料で書くのは、
こちらからのアプローチではあるけど、
その後は相手からの全部リアクションでこういうのやってくれみたいな。
つまり、こんな商品がありますよみたいな感じで並べてるっていうより、
オーダーでっていう。
やっぱり僕がね、
18歳でのがん告知と闘病生活
読売新聞の一覧で見させていただいたときにね、
壮絶な、ここにも実は添山さんのこの御著書があってですね。
無差別料理研究家ソヤマックスの当病気、
アクセリンパシー19歳の骨髄移植ということでありますけど、
これ出したのが、
何年なんだろう。
11年。
11年。
これも震災のちょっと後みたいな感じですけど、
この本出されてますけど、
やっぱりね、
19歳で骨髄移植、
しかもそのアクセリンパシーステージ4っていうことで、
もう本当にこの話何千回もしてると思う。
でもやっぱりそこから、
ここに至るまでっていうのがね、
本当にどっから聞くかってありますけど、
率直にですけど、
本当に同じ質問で恐縮ですけど、
入社2ヶ月でこれ告知されたとき、
そしてステージ4、
10だから、
時は8歳?
18ですね。
高卒間もない頃ですね。
率直に足が痛かったとかね、
もちろんあったと思うんですけど、
でもそれ言われたときはどんな感覚だったんですか?
頭真っ白なのか、
意外となんか実感そんなないのか。
いや、言われた瞬間終わったなと思いましたよ。
ゲームオーバー的なモードに。
よく見る医療ドラマで、
死んでいく若者たちをよく見るじゃないですか、
ドラマって。
あれの一人になるんだっていう感覚はありました。
無理ゲーだっていうのが結構最初の感想。
治った人っていうのを見たことがなかったんですよ、
当時18の情報もなかったし。
そうですね、
本当にダメだと思いました、
あの時。
話も話ですし、
言葉がなくて恐縮なんですけど、
なんて言うんでしょう、
本当にダメだとか、
ゲームオーバーっていう、
でもそこの言葉だけいくと、
当然僕第三者なんで、
ちょっと引いてみれるんですけど、
ご本人的に今の表現だけで、
ちょっと第三者的な感じもするんですけど、
頭が真っ白とか、
俺死ぬんだみたいなすごい恐怖っていうのとも
ちょっと違うんですけど、
ちょっと言語化難しいかもしれない。
どうしても悔しいことがあって、
童貞だったんですよ、僕その時。
本人も書いてありましたよね。
本人も書いてましたよね。
めちゃくちゃ悔しくて、それが。
絶対死にたくないと思って。
でも笑うとこでいいんですけど、
本当にこれダメだろうと思って、
このまま18時で終わるかっていう悔しさが、
意外と生命力、文字通りあったと思うんですよ。
あの時やっぱ悔しくて、
その2の次に世界まだ行ってないなっていうのがあって、
一番童貞ですもんね、本当に強かったと思う。
で、次やっぱ世界まだ見てないしっていうので。
じゃあ怖い、もちろん怖いあったと思うんですけど、
怖いとはちょっと違う。
怖いともなんかちょっと違ってきて、
でもこのゲームクリアしたいなって思いました。
ゲーム感。
やっぱゲームゲームってね、今もゲーム好きですけど、
当時からこの本の中に出てきますけど、
めちゃくちゃゲームが好き。
好きですね。難易度高めだなと思って。
高めというか最上級のあれですけど。
そうですよね。
沖縄行って、まだその時は書を書いてたわけじゃない?
書を書いてたのはね、
書いてたのはだから病院でずっと書いてたんですよ。
ってありますよね、本で。
病院で病室で、
ゲームか読書か書道みたいな。
もうこの3つぐらいしかやることないんで、
運動とかもできないから。
もうひたすらそればっかでしたね。
ゲームはお金かかるじゃないですか。
本も読み終わっちゃったら次手に入るまで読めない。
書道の場合はいくらか無限にできるんで、
それこそ病室のじいさんばあさんの名前書いたりとかして、
わーって言われて喜んでとか。
あれ一番良かったのが、
当時18、19の小僧ですよ。
25、6の看護師さん捕まえて、
名前書かせてとか書いて渡したら、
ジャジャーンって鳴った時が一番テンション上がる。
まだ童貞ですよ、それこそ。
嬉しいっすね。
それも結構良い環境だったかもしれない。
だからそういう意味では書くことは、
特に最初の小僧の時も悪い見本とかされたりはしてるけど、
自分の中の、振り返るとずっと何か書いてたのかな。
多少間は空いたけど。
でも18からでしょ。
空いて空いて18の病気になった瞬間に、
死ぬかもしれないっていうのはありましたよ。
このまま、特に最初の初期の方、
骨髄移植なんかよりもずっと前の方で、
これダメかもしれないなって思う。
薬やってもいくらか潰せるけど治らないようなことも考えたんで、
じゃあ何か遺作みたいな感じだけど、
何か残さないと気が済まなくて、子供残せないし。
っていうので、ちょっと向き合ってましたね。
何か書くんであれば作品として。
生来、もともとすごいポジティブな感じなんですか?
血液型変化と記憶の変容、ドナーへの思い
そんなことなかったと思うけど、
覚えてないんですよ。
病気の前の話。
記憶があやふやで。
それはもう今からかなり前だからっていうことじゃなくて、やっぱり勤んだのかな?
何なんでしょうね。血液型を変わっちゃってるんですけど。
血液型変わるなんてあるんですか?
はい、血液型が変わったんですよ。
ドナーさんからもらっていただいたのが大型の白血球で、
僕はもともとB型だったんですけど、
だから体の血が全部違うんですよ。
だからといって記憶がなくなるわけではないんですけど、
何か自分が他人とのミックスというか、文字通り混ざってますし、
記憶の部分はなんでかなと思うんですけど、
特に病気の後、割と過去を振り返ることが少なくなったのかなとも思います。
あ、そうですか。
どっちかというと、今とか未来ばっかり見てるから、
で、忘れちゃったのかなっていうのもあるんですけど、
ポジティブかどうか。
昔、僕もネクラの一人ですよね。
そうですか。
実は。
今ね、当然骨髄移植ということで、
そのドナーの方ってありますけど、
この本の中では少なくても当時は、
当然相手、今もそうかもしれないけど誰かわかんない。
わかんないですね。
で、当時は1年以内、その移植後1年以内、
手紙を個人情報を明かさずに書けるってあったけど、
やっぱり手紙は送ったんですか?
僕から一方的には。
ただお返事はいただけませんでした。
そうなんだ。
その返事がない理由まではわからないんですよ。
教えてくれないし、
中間に入ってるコーディネーターという方がいるんですけど、
なんで返事をもらえないかはわかりませんと。
そりゃそうですよね。
時間の都合なのか、気持ち的な都合なのか、
なんらかのわからないと。
悔しいですけどね。
だって一番会いたい人ですもん。
この人生で一番会いたい人に会えないから。
これ悔しいなと思うし、
ルールだからしょうがないですけど。
僕が言うのもあれですけど、
ある意味、もう一回生まれさせてくれた人みたいな感じですよね。
ヒーローですよね、僕の中では。
そっか、その中で。
だからそれ、もうでも、
相馬さん、1983年生まれで19歳。
だからもうすぐ四半世紀?
もうそうですね。
来週が記念日なんですけど、実は。
そうなんですね。
「余生」としての生き方と生涯不満足
来週、7月3日ですね。
それは忘れないわけですね。
これも別に言ってもいいんじゃないかな。
でもこれも、後で最後に聞きたかったんですけど、
ズバリ伺いたいんですけど、
やっぱりそこで本当に一度も生きるか死ぬかじゃないですか。
まさに最も死に近づいたというところだと思うんですけど、
その後の24年ってどういう感覚なのかなっていう。
すいません、僕がまどろこしくてあれですけど、
私事ですけど、僕はずっと戦争体験者の方に
もう10年以上取材してきてて、
特に特攻隊とか、生き残った方たちに聞くと
結構皆さん言うのが、結構印象的だったのが、
その後、余生だって言ってて。
18、19ぐらいでまさに、
で、そこで生きるか死ぬかとか、
実はその後の60年、余生なんだよみたいなことを言ってたんですけど、
相馬くんさんはどういう感覚なのかな。
近いです、本当に。
余生だと思ってて。
あの時、本当だ18で、
死んでもいいはおかしいですけど、
死ぬもんだと思ってた命を生かさせてもらってるんで、
完全にその余生の考え方あって。
余生ではあるんだけども、やっぱり悔いは残したくない。
だから、ガンジーの言葉であるんですけど、
明日死ぬかのように生きろっていう。
で、永遠に生きるかのように学べっていう。
あの言葉、ガンジーが言ったかどうかわからないって言われてるんですけど、
でもすごい好きで。
やっぱそれだろうなと思って。
明日死んでもいい生き方、
でも永遠に生きたいぐらいの学びっていうのは、
やっぱ、生涯不満足っていう言葉がある。
これ、すしのじろうさんが言った言葉らしいんですけど、
生涯不満足、めちゃくちゃそれ自分もそうだなと思って。
ずっと今の書道にしてもそうですし、料理にしてもそうですし、
自分のレベルが常に上がり続けてるのが楽しくて、
やればやるほど上手くなったりとか。
だから、究極死にたくはないんですけど、
長生きしたいなとか思うし、
まして家族いるから本当にそういうのも大きくなったし、
でもその余生だなって思う、すごい余生だなと思いますし。
ありがたいですよね。だってあの頃より長く生きてるわけだから。
もう20年超えたし、こんなありがたいことあるかなと思って。
その中で、この本には書かなかったけど、
実はこういうことあったとか、こういう気持ちだったとか、
今25年経ったから感じるとか、言えるでもいいんですけど、
その本に書いてなかったと思うんですけど、
僕一回自殺しようとしてるんですよ、糖尿中に。
書いてないはずですよね、あまり強烈だったから。
すんごい嫌になっちゃって、
自分が糖尿してることよりも、
親たちの泣いてる表情だったりとか、
僕が原因で喧嘩してるとか、そういうのが嫌で、
僕さえ死んでしまえば全部終わりになるかなと思って。
って言った時が一番多分僕がメンタルもやられてたし、
結果屋上に鍵がかかってて出られなかったから良かったんですけど、
本当にあの一晩考えましたね。
もう終わらせてやろうって。バカですよね、でもね。
48、19でそんな風に思ってて。やらなくて良かったと思ってますけど。
鍵がかかってなかったら。もしかしたら。
ちょっとあれもあるんですよ、薬の影響で。ステロイドとかも入れてるんで。
ちょっとホルモンバランスとか感情が崩れてて。
I can fly みたいなこともあったかもしれない。
そうみたいになるところがあるってことなんですね。
なのでもう本当にようやくスタートみたいになっちゃいましたけど、
この本でも最後のありますけど、そこで病気を治して、
そこから会社戻ったけど、実は糖尿症やめることも決めてて、
その後に職位とか沖縄っていうちょっと移住みたいに出てきて、
でもこの本だとその辺最後にサラッとって感じなので。
だからやっぱり病気で死が一番近くて価値観変わるなっていうのはわからないなに想像はつくんですけど、
そこでなぜ職位、なぜ沖縄っていう。
ちょっとここに書いてありますけど、そこをせっかくなんでね、もっと詳しく教えてもらいたいなと。
沖縄移住と自費出版の書籍
そうですね、やっぱり病気になるイコール何か職生活の問題があったのかって思う。
18級でもやっぱり考えた?
思いましたね。でもそんなことないなって。
だって家族一応18まで実家にいたし、なんだら姉貴もいるんで。
姉貴が13校上なんですけどいるんですよ。
で、家族誰もがんになってないんですよ。
家族もう遡っても2代3代遡っても誰もがんにならない家系なのに僕だけなってる。
いやーなんかおかしい。でも別に特別なんか変なの食ってないし、高校生でお酒バンバン飲んだこともないし、
タバコもやらないしね、何もやらないのになんでなのって考えたんですよ。
そしたら小児がんってやつですよね。小児がんって本当にだからゼロ歳で白血病になる子とかもいるじゃないですか。
ああいうのも完全に遺伝とかじゃなくて何かの遺伝子エラーみたいなもので。かもしくはウイルス説っていうのもあるんですけど。
でもそういう運が悪かったとしか言えなくて。
でもとはいえ何か予防できる食で何かできないものかと。
異食同源か異食同源として、例えば今後この先大腸がんを予防したければ腸内環境を良くするとか
そういったところからアプローチできないかなと思って。
白血病とかアクセリンパシア分からないにしても他の病気、糖尿病とかも予防できるものはできるし。
そういうのを学ぼうと思って。予防医学ってやつですね。
今更この医者にも薬剤師にもなるには大変だけど、腸医師だったら1、2年で慣れる。
だなと思ってそれにしたんですよ。
沖縄を選んだのは寒いのが嫌だったから、寒いと何かがんになりそうな気がしたんですよ。
今はそんなことは思わないけど、あの当時再発するかもしれないって言われる5年間だったから。
それは常にありますよね。
怖くて暖かいところに行きたいって言って沖縄を選んだし。
沖縄が昔長寿の国だったじゃないですか。
そうですね。
それの何かを探しに行こうと思って。
これ本を出そうと思ったのはなんでですか?
しかもいいですよね。自費で出してる。
はい。自費で出してる。
当然めちゃくちゃお金もかかるし。
これは文芸者でしたっけ?
文芸者のチャレンジ枠みたいなのがあって。
1年に4人ぐらい無料で出せる枠みたいなオーディションみたいなのがあるんですよ。
そこに一応応募して。
ありきたりの電話かもしれないですけど。
残念ですが。
だけどもいい作品なんで出しませんか?みたいな歌い文句でしょうね。
乗っかっちゃってそれに。
でも本当に20代のうちに1個出したかったから。
200万どうにかします。
借金して。
すごいですね。
思い切りましたね。
生き急いでたんですよ。正直言うと。
この本にもね、死に急いではいないけど、生き急いでるは否定してないみたいなことありましたけど。
なんでですか?それこそ養成っていう話も前半話したけど。
まだ自分の中で結構疑い。この10年生きるか?みたいな。
そういう疑いか。
19で移植したけども、5年生存率、10年生存率みたいなのがある中で。
本当に10年生きたところで28来るじゃないですか。
10年と見といてもいいから、先にこの26、7ぐらいで1回本を出したい。
生きた証としてというか。
ちょっと無茶して出してはいるんですけど。
しかもこの汚い字で。僕よくその表紙書いたの後悔してる。
そうですか?
あれひどいですね。当時の本気がそれですもん。
でもいい意味で一度見たらもう忘れないインパクトというか。
この背景の緑は何か意味があるんですか?
背景の緑は向こうがデザインしました。
そうなんだ。
裏拍子も感謝ありがとうみたいな感じ。
下手くそ、本当に。
でも下手くそと思うぐらい自分が高まってるんでしょうけど。
書道家としての転機とラーメン屋時代
飛んだけど最初から1年で辞めるよって言ってて本当に1年で辞めたんですか?
はい、ちょうど丸1年でしたね。
辞める手前にまた1個あって、ターニングポイントが。
またそれもこの本がまた出てくるんですけど、本読んだよって言った人が福島県から来たんですよ。
美術館のオーナーさんで。
金沢翔子さんっていうのがいるんですけど、ダウン症の書道家の方で。
タイラーの大河ドラマの題字を書いてるんですよ。
源だったかタイラーだったかどっちだった?
どっちだったっけ?
タイラーかな?
大河ドラマ題字書くような大御所の上流書家がいて、彼女の美術館っていうのを福島県いわきで持ってて。
そこに初めてその子以外の書道家を招いて展示会をしたい。
そこに曽山君を招きたいんだけどどうかって言われて。
ウソやんと思って。なんで僕みたいな、しかも今書道家として活動してないのに。
ラーメン屋だよと思ったけど。
でもラーメン屋しながらもやってたんですよ。作品作りとして。
それが沖縄のビン型っていう伝統カラーの染め物ですね。
それのアーティストと一緒に作品を一枚作って。
どれくらいかな、A3かA2くらいのサイズかな。
それが大阪の御服屋さんに展示してあって、それを見たんですって。
それを見たときに、これ誰が書いたって。下見たらプロフィールとか名刺とか置いてあって。
名刺もしかもラーメン屋の名刺でしょ。
それは面白いな。
で、それラーメン屋の名刺僕手書きで返したから、これでピンときたんでしょうね。
面白いって言って会いに行こうと。
で、それやっぱ、なんかね多分貼ってたんですよ。QRコード当時あったかな。
あんま分かんないですけど、この本がまた出てくるじゃないですか。探せば。
この時は検索ってなってますからね。
そう。
マーケッターじゃないですか。
それで探してくれたんでしょうね、彼。
で、読み終わって来てくれて、喋って。
美術館来るなら待ってるからって言われて。
一応即答しなくて、ちょっと1日2日くださいって。
で、一応なんか相談できるとこ相談して。
当時、まだ付き合ってないけど、友達ぐらいの感じの。
奥さんがいて、今のね。
で、喋ってる中で、やってもいいかなって。ラーメンも辞めるって言ってたしって言って決めましたね。
しんどい時期でしたけど、あの時。
今ちょうどね、当時付き合ってた彼女、今は奥さんですけど。
ちょうど聞きたかったんですけど、やっぱり重要な決断をする時。
結構、僕の今日お目にかかる前のイメージでは、やっぱり自分の中の心の声で結構迷わずに一発で決めるようなイメージがあるんですけど。
もちろんそういうこともあったかもしれないですけど。
振り返ると結構自分がやっぱり一番信頼というか、そういう人に割と相談するタイプなんですか?
振り返ってどうだろう。
してるんじゃないかな。要所要所で。
してます、なんだかんだ。
でも相談はするけど、もちろん最後は自分の中でピンとくるかこないかもしれない。
やめとけと言われてやめたことはないかな。
結局何のための相談なのかわからない。
ワンクッションみたいな感じですかね。
そうですよね。
本当に不安定な1ヶ月、結構リアルな数字で言うと50万円稼げる月もあれば、2万円しか稼げませんでしたみたいなことも本当にあって。
アップダウンが本当に激しい。
その頃今の奥さんが夜勤専属の看護師をやっていて、まあ強い子と本当に頼りになる奥さんで。
同棲もしてたんで、ありがとうねって。家賃も払えない子でしたって言って払ってもらったりとかして。
だから頭上がらんわけですよ。奥さんには。
忙しい中で、どこかででも何かがもちろんいい意味ですけど、展示壇ですか?
それがそのまま突き進んでて現在に至るってもちろんね、どんどん稼げるって言い方がいいことなんですけど、上がっていってると思いますけど、何て言うんだろう。
展示会が嫌いになったのが良かったんでしょうね。
展示会、準備してるとかそういうのもあんまり好きじゃなかったから。
嫌いになってもうやらないって決めてからすごい楽になって。
やらないから時間ができるじゃないですか。
時間ができるから海外にも出れるようになったし。
きっかけは台湾から始まりましたけど、ロシア行ったりフィンランド行ったり。
つながりました最初に。
そこら辺が回収できてきて。
当時クラフトビールがうまいってなって、クラフトビール飲みたいから頑張るって言ってたら、輸入してる社長さんに出会うんですよ。
アメリカから輸入してる社長さんに出会って、自己紹介してこんなことやってるんですって言ったら、面白いアメリカ連れてくっつって。
料費もらって、アメリカバーンと連れてってもらって。
でも帰りの面倒見ないからねって言われて。
あの社長は今でも大好きで。
それってもっと売れっ子の書道家さんでいて、展示会したら全部ソールドアウトします。
作品究極関係ないぐらいのね。
そう、それなんですよ。あの人が書いたから欲しいっていうレベルにならないといけない。自分が。
と思って。だから一回もう展示会無理してやらない方がいいって。
今でもしないですしね。まだまだ不十分だと思ってます。全然。
じゃあ絶対したくないっていうのともちょっと違う?
越境する人生:ロシア、フィンランドでの経験
違いますね。今42で、もしかしたら60、70になってやるのかもしれないし。
できるような人にはなりたいですけどね。
今ちょうど話変わりますけど、この番組はライフアップデートって言うんですけど。
僕の中で海外でマックさんも含めて自分の志があって、文字通り国境を越えてさらに自分の限界を越えている。
越境みたいなのが一つテーマで。そういうのでも今本を書いてるんですけど。
マックさん自体というか、外から見るとね。いわゆる新潟、沖縄、世界回って台湾。
地理的にもそうですし、他にもかもしれないけど、今までの人生を振り返って一番自分で越境したなっていうのは別に地理的じゃなくてもいいんですけど、
心の中のことでもいいんですけど、一番越境したなみたいなのがすぐ思いつくと思ってる。
ああ、でもありますね。
最初台湾が第一カ国だったんですけど、台湾言ったら日本人向けじゃないですか。漢字は大体読めたりするから、全然いいんですけど。
この島で知り合ったロシア人がいて、カレンっていうあっちの田舎の方で山の中で僕字書いてたんですよ。
そしたら茂みの中からロシア人が出てきて、ロシア人2人と日本人の3人組が出てきて。
面白いことやってんねえって言われて、そこでタンタカタンっていうシソジョウチュウがポンと出てきて、一緒に飲んだんですよ、その連中と。
すっごい忘れられなくて、そのロシア人のうちの1人がモスクワ大学の女教授で、何を茂みでやってたかって言ったら、量生類の採集をしてたって言うんですよ。
そういう先生だった、もう世界の5本指みたいな大先生で、そいつが出てきて、同い年から引っ越したくらいなんですけど。
息統合して、モスクワでもこの書道のやつやろうよって言われて、モスクワ行ったんですよ。完全に越境してますよね、英語も通じないし中国語もできない。
それで、でも面白くできたんですよ、ロシアでもストリート座ってやったりとかして。
大学の中で一コマ授業作ってもらって、このワークショップ、書道のワークショップやるぞって言って、やらせてもらって。
でも、僕の越境はそこで終わらずに、ロシア1ヶ月いようとしたんですけど、その彼の家にホームステイしてたんです。
ホームステイ1ヶ月すると、やっぱりギクシャクしてくるじゃないですか。年齢は近いんだけど。
ちょっと彼も天才だから、すっげえ頭切れるんだけど、ちょっと波があって、一緒にいたくなくなっちゃったんです。
で、僕は何の身寄りもないフィンランドに逃げたんですよ。近いから、ロシア。
あのモスコワからだったらまあまあいけるだろうと思って、フィンランドに初めて行って、そこは全く何のつってもない。ただ一人でフィンランドポンと入って。
で、どうにかなるだろうと思って、まだ座って帰ってたんですよ。
座って帰ってたら、最初のお客さんというか、最初に来た、パーッと自転車に来た女性が、
あんた何なの?みたいな感じで来て、面白そうだからうちに泊まってきなさいって言って、二言目ぐらいです。
もう自己紹介する間もなく、一応日本から来たとか言いましたけど、パーッと名刺に住所を書いてくれて、ここで待ってるからピンポンしてなみたいな感じで、めっちゃかっこいいんですよ、あの女性だったんだけども。
スザンナっていうね、今でもすごい仲良くて。で、彼女の家に行って、その後、いくらかストリートで稼がせてもらってから。
で、彼女の家に行って、そしたらルームメイトが2人ぐらいいて、男性2人という、そういうルームシェアしてます。
だからまあ安心してね。
そこに泊めて、1週間ぐらい泊めてもらったんですけど、あれはね、本当にね、越境未来って、何にもないところから始まって、そうなっていくっていう。
でも言ったらフィンランドだけじゃなくて、いろんなところでそうなってたんですけど、ニューヨークでもそうなったりとか。
なんかその、座ることの何でしょうね、何が出るかわかんない。本当にファンドラの箱みたいな。
しょっぴかれるかもしれないし、本当に何が起こるかわかんなくて。
でもあのスリルとワクワク感みたいな。
すごっか。
超楽しい。
そのマックスさんが座るっていうのはそういうことなんですよね。
そう、座る。
日本人が座るっていうのは座禅みたいな感じで、ちょっと逆に何かが起きるみたいな。
とにかく座って何か書いてると、やっぱり面白がある人は拾ってくれるんだなっていうのがあって。
ニューヨークではね、あれだったんですよ。
日米ハーフの男性の方で、漫画の翻訳とかやってる方がお家にニューヨークのマンガ棚に住んでて、
お家泊まってきなって言って、好きなだけいいよって言う方にまた拾ってもらって。
ニューヨークなんか宿とか高いから、すごい助かるって言って。
書道への情熱と原点
そういう方、どこに座っても必ず現れる、そういうのが。びっくりする。
そういう意味では、もう明日全てがゼロになって。
だから、もちろんご家族もいますけど、たられ場で、なぜか明日朝起きて全てがゼロで今までの夢だったとしても、そういう意味ではやってくる自信はある。
どういうのかなりますかね、きっと。
筆さえあれば。
筆さえあれば。これ鉛筆ではダメなんですよ。
なるほど。
いわゆる鉛筆っていう会社でやってますけど、ペンシルではダメなんですよね。ブラシじゃなきゃダメなんですよね。
書けないんですよ。字句とかそういうのでは表現できなくて、本当にこの毛筆じゃなきゃ勝負できない弱さはあるかな。
鉛筆も上手だったらいいんですけど、鉛筆下手くそなんですよ。絶望的。
そうなんだ。昔小児で割れ見本として貼られたみたいな。
そうそうそうそう。それが小学校の時に。小学校の授業で。今もあります?お子さんとかでやっぱりあります?
校筆のなんか?
あ、校筆じゃなくて普通の書道セット持ってて。
あるあるある。ありますあります。
あの授業ですよ。あの授業の一発目ぐらいに。1、2、3、山川とかから始まるじゃないですか。
あれめちゃくちゃ嫌いでみんな同じの書いてお手本通りに。なんだこれ面白くねえなと思って。
で自分なりの山とか書いたらめちゃくちゃ怒られたんですよ。つまみ出されて。
はいみなさんこれが一番ダメなやつみたいな感じで言われて。
あーもうこんなんだからと思って嫌いになっちゃった。その授業が。
でも僕はこの筆という道具は子供の頃から好きだったんですよ。
なるほど。
そうそれ好きだったんですよ。それを否定されたからすごいこう。
そっかそっかそっか。
あのー今となってはでもあの先生のおかげなんですけど。
うんうん。
あのこんだけエネルギーが生まれたから。
あーそっか。
あの否定されなければ、なんだろう普通にただ叱られたんではそこまでこんなに反骨心は出なかったと思うんですけど。
あんだけ言われたからどうにかしてやろうって思ってたんでしょうね。
その先生はその後知ってるんですか?マックさんが今こうなってること。
知らないと思う。あの江川勝子先生。
めちゃくちゃもう名前覚えてるぐらいで。
そうなんだ。
なんかマックさんにとってはそのゼロとはちょっと違うかもしれないけどなんかそのやっぱ路上で座るみたいなのが原点だしそこみたいなものがあるってことなのかな。
SNSアカウント停止と再起への覚悟
そうですねインスタがもしバンされたとか。
それはXなんでバンされたんですか?
Xバンされたのわかんないんですよ。
不明?
不明。
でもそんなすごい暴言とかなんて入ってないですよね。
ないですよ全然なくて。でも結構多かったんですよあの一時。
一時結構僕の仲間もバンされてて横の頃あたりはみんななくて。
なんか初動前政治的メッセージなんて別にないですよね。
全然してなかったんですけど。
まあいいやと思っても結構取り返すの大変なんですよ。
そうっすよね。
ちゃんといい申し立てとかしましたけど。
そうなんだ。
で戻らないからまあもう一回新規一点で。
強制修了というか。
なんかゼロにこれもうあれな。
まあまあツイッター別にそんな商売全然できてないんで。
でももしインスタだったらって思った時に今2万8000ぐらいいて。
コツコツですよコツコツとかで増やしていったあの名刺から増やしていった2万8000がゼロになってももう一回やり直そうと思って。
それこそゼロになったらだいぶこのなんだろう今腰の重いその路上に出るがもう完全に振り切ると思うんで。
じゃあちょっとどっかで求めてるところは。
ちょっと嫌ですけど。
ここだけを切り取るとあれだけど嫌だけど。
軽くならざるを得ないですよね。
そうですねそう。
そうか。
そうですねそういうのも。
なるほど。
いずれあるかもしれないし。
怖いですもんああいうプラットフォームに乗っかってるっていう状態。
確かに確かにそれはありますよね。
自分でやってないですもんね。
確かに。
これは息子さんの話出たんでオッケーだったらですけど他でも言ってるんで大丈夫だったんですけどね。
息子誕生までの経緯と精子提供
コーツ随食の後遺症でもうその生殖機能を失ったって公表されてて。
でやっぱりね普通にそこだけを考えると特に当時とかもう子どもダメなのかなと思ったと思うんですけど。
でもやっぱりね結婚されてこのモツに至るまでっていうのはどういう経緯で。
これはまた経緯もまた不思議なもんで。
子どもいらないって。
自分の中ではそう自分の中では18でもう終わった夢とか目標の一つになっちゃったから。
結婚すらしないと思ってましたけどね。
あそうですか。
もともと。
でも今の奥さんまた変わってるし僕みたいになると結婚するって言うし。
じゃあお願いしますって言って結婚したんですよ。
でも当時は子ども作らんでもいい。
結婚したの31か2ぐらいですよ。
でも結婚して3年とか経った時にやっぱり私も欲しいって35ぐらい目安じゃないですか一つの。
欲しいってなっておお変わったなと思って。
ちょうど来ましたね。
さすがカギつけた。
じゃあそれならって言ってドナーさんからもらうかっていう話になって。
骨髄をもらった次は精子をもらうかって言って探し始めて。
僕の気持ちの整理の中では子どもいらなかったはずなんだけど。
だったけどこの嫁さんがそこまで言うならそれも面白そうだなと思って。
また人生一回きりって思ってるしできないことをまたドナーさんにお願いするのかと。
ねえ。
この子入りますけどいいんじゃないですか。
そうなんでもない。
でもその中でフランス人のドナーさんこれはなんでですか。
なんかそういう探せるサイトがあるんですよ。
コーペアレンツみたいな名前の精子提供できますよという。
全世界にいろんな方がいる中で日本国内でサーチかけたときに2人外国人が出たっていうんですよ。
フランス人とあと何人だったかなちょっと忘れてしまいましたけど。
フランス人が愛媛にいると。会いに行ってもらえるぞと。
会いに行けるわけポイント高くて。
会いに行ってもらってきてそのお父さんとなる彼と連絡が取れる状態でゆっくゆっくうちの子が大きくなってきて。
もう知ってますよ彼はもう自分のお父さんっていうのがわかってるんで。
わかってる中で会いに行きたいってなった時に会いに行けるようにしたいんですようちの方針としては。
普通そういうのってNG。
さっきのねマックさん自体のドナーも会えない。
うちはそれ会えるんであれば会えるようにしときたい。
特にうちの子敏感というか。
すごい感じすぎて。
なんでハーフって呼ばれるのって僕に相談してくるんですよ。
そういった時にパパ病気だったから子供が作れなくなった。
だからてんてんはパパのそういう子じゃないんだよって説明をして。
じゃあ本当のパパどこにいるとか。
会いに行きたかったら会いに行けるよって。
そういう説明はしている。
それは我々夫婦の中で決めたあれで。
だいぶ特殊だと思います。
あんまり日本国内で見たことないですね。
全然話変わるんですけど。
SOYAMAXさんにとっての「小学校」と幸せ
今日々お子さんもいて忙しい中でですけど。
僕は村上春樹が好きで。
読みます?全然読まない。
好き嫌いもあれですけど。
春樹さんがエッセイで小学校っていう言葉を彼が勝手に作って。
小さく確かな幸せ。
お金をかけずに自分の中で完結する。
嫌いな人はこれは嫌いっていいかもしれないですけど。
そういうのがあるんですよ。僕そういう言葉が好きで。
マックスさんにとっての小学校っていうのは何だろうと思って。
小さく楽しく?
小さく確かな幸せ。
定義は任せます。ご自身の中で。
それって言われた時に自分の中で何だろうと思って。
そうですね。不自由のない。
違うな。ちょっと違うな。
不自由は今もあるんで。
何だろうな。
求めてもらえる自分の
誰からも相手にされない、求められないようなのはやっぱり不幸だと思ってて。
でも今現在、毎日誰かしらからこれ書いてほしいあれ書いてほしいって来るんで。
今のこの状態はすごい幸せな状態だと思うし。
それが見積もりであってもそうだし、子供生まれて書いてほしいとかもあるし。
これは今結構妙理に尽きてるのかなと思います。自分の書道家としてのやり方に。
でもやっぱりお子さん生まれてから単純に自分で書く字が変わったとか
外から気づかないけど自分しか気づかないなんかってありますか。変わったっていうのとちょっと違うかもしれないけど。
でも子供が最近書くようになったんですよ。さっき海空とか見せたと思うんですけど。
あれは完全に僕が教えてない形だし、でも僕はお手本として海空と書いて置いといたんですよ。
それを見てああやって解釈してああやって書くかと。配置とか。
全然バラバラなんだけど。あれ一番学びになりますね。僕の中で。
できないですもん。余白をとって。
こんな端っこに寄せて書いて。かっこいいなと思って、あの作品。僕結構気に入ってるんですけど。
だからこの子は僕の先生になるなって思います。
そう書道にしてもそんな自由なやり方あったかって思います。
それは幸せですね。
マックさんがずっと人生で、最近新たなことでもいいけどずっとし続けているでもいいかな。
大切な習慣と「我慢しない」生き方
ベタですけど一番大切な習慣とかって何かあります?
大切な習慣か。習慣そうですね。原則早起き。
朝何時ぐらいですか?
そんな早くない。5時ぐらいなんですけど。
僕も早起きなんでわかりますけど。早起きじゃない人からしたら超早起きですよね。そんなに早くないって誰とクラブでんだって。
3時とかに起きる人じゃないですか。鶴太郎みたいな。
わかりますわかります。
そこまで早くはないですけどそういうぐらいに起きて。
夜もそんなに遅いイメージが。
でも12時ぐらい前には寝てますよ。
僕は普段9時ぐらいに寝るんで。
じゃあもうあれですね。
だからすごいなと思って。
じゃあ5時間ぐらいか睡眠時間。
だいたいそういう感じにして。朝気持ちいいんで。
あと朝筆持つのが良くて。一発目。
文字より真っさらな感じで。
そうですね。腹も減ってるし。
基本空腹がいいんで。やるときは。
酔っ払ってっていうパターンもありますよ。酔ったら酔ったものしか書けないから。
ベロベロに酔っ払って書いて覚えてないぐらいのこともやりますけど。
ルーティンの話でしたっけ?
週間ですよね。
何がルーティンかな?それ以外で言うと。
何かやってるか。
でもジョギングするかって別にジョギング今はどこしてないんですけど。
何でしょうね。ルーティン。
バドウィントンを今週1週2ぐらいやってるんですけど。
そのぐらいの笑ってできるスポーツが好きで。
バドウィントンは結構笑っちゃうんですよ。変なボンミスとか。
あとめちゃくちゃいいスマッシュ打った時とか。
笑いの生まれるスポーツ。だからジョギングって笑わないじゃないですか。
僕も最近やめました。
今ウォーキングに変わりました。
もちろんすごく健康的でいいんだけど笑いが欲しくて。
投票中にもよく言ってたんですけど笑いが一番大事だなと思って。
眉間にしわ寄っちゃうとね。
なんで笑顔が欲しいなっていうのでそれやったり。
週間かな。週間としてはそういうのもあって。
とにかく我慢しないことですね。一番自分の習慣化してることは。
なんか制限かけられると我慢になっちゃうから。
そうですよね。
だからゲームするって言ったらゲームするし。
言われるんですよ妻に。いつまでゲームやってんのとか。
もうお母さんみたいで。
なんで40にもらったらいつまでやってんのとか言われるみたいな。
やめろって思うんですけど。
それも自分の中で欲しいと思った時にやるとか。
タイミングですかね。そういうのをやったりとか。
そうです。本当に今更なんですけど。
SOYAMAXという名前の由来
これソヤマックス。ソヤマさんだからソヤマックスってのは分かるんですけど。
これはどういう経緯とか誰が命名したのか。
由来ですか。東北電力の後輩です。
そうかっていうか確かにこの本を書いた時でもそれ以前でもそうか。
僕が20歳の時に20歳で電力戻るんですよ2年ぶりに。
戻ったら2歳下の後輩たちが入ってきてて。
でも2個下なんだけどそいつは大学院出てるから4個上なんですね年でいうと。
4個上の後輩でお互い敬語で喋るじゃないですか。
それなんかソヤマさんって呼んでたけどソヤマックスでもいいですかって言われて後輩から。
テニスする仲間だったんですよ。だからいいねそれっつってそうしましょうっつって。
そっからもうお互いため口で今でも親友ですね。
長いですねソヤマックス歴史は。
長いですねもう22年ぐらい。
後輩です名付けをやっぱり。
当時ミクシーとかあったじゃないですか。
ミクシーの中の名前です。
なるほどでも一度見たらもう忘れないですね。
人生観の変化と「断る勇気」
その作品とか書道家書家としてってことももちろんですけどなんかいわゆる考え方とか精神性のところでもなんかあったりします。
それ日々いろんなものあるかもしれないけど決定的になんか1年じゃなくてもいいですよこの2年3年でもいいですけど
それこそ180度変わったこととか概念とかあります?
より断るあんまり断ることしなかったんですけど断るものが増えたかもしれないです。
この1,2年ですね。
まず低予算な向こうから来た依頼は最初ちょっと無理して受けたりとかしたんですけどそういうのしなくなったし
受けるとだいたいあの嫌な終わり方するんですよ向こうもなんか安くやってきたのにさらになんか
低予算なものほどっていうのはねよく言われてでもそうなんですよね。
そういうのがあって気持ちよく終わらないんでってなるとやっぱり
本当に自分中心だと思ってて自分も気持ちよくできないところにいい仕事はできないなと思ってて
そこは完全にだから辞めましたね。
ちなみに今そやま直幸を漢字一文字で表すとこの自分の名前使っちゃダメ
漢字一文字「縁」に込めた思い
で一文字で表すとちょっとプロに聞くのもあれですけどどんな字が出ますか?
漢字一文字?円は使っちゃダメですか?
いいですよいいですよ
円でしかないんですよでもありきたりなんだよな
書道家が円がっていうと一番ありきたりででも会社名にもしてるし一番僕のモットーがそれだったから円ですね
ドナーさんに助けてもらったご縁とかこんな嫁さんができたご縁とか円ありきだなと思って
たりき本願の円でもありますけど地域じゃ何もできてないんでそういう部分では
円ってまさにたりき本願もそうですけどたりき本願ってあんまり知らないともうなんか適当に任せるだけ
でも本当は違うじゃないですかちょっと意味合いがね
仏教用語というか
でもなんでしょうそうすると円が一番表すけどその円をもうちょっと説明を加えるとそやまさんにとって円って何なんだろう
つまりもうなんかあんまり意識しないで流れるようにしてればそういう円が来るとかなのか
円って何なんでしょうね
円って言ってももちろん両円とか空きとか両方ありますけど
ピンチの時にやってくるものが多いかな
結構ピンチの時も多いですね
今年売上やばいって思ってて別に助け求めてなくても自然と来たりするものもあるし
ボソッと言ったの聞いてくれてる人がいたりとか
みたいなことも続くし
でも本当不思議なもんですよ立て続けに仕事が来るんですよそういう時って
調子いい時は意外とそういうのなかったりするんで
何なのかなこれは
助けられて生きているなっていう感じ
難しいじゃん言えないんですけど
でも結構転んでます僕そういう意味で
そんな先のことはね分かんないし決めない1年とか1年半っておっしゃってましたけど
今後の展望:デザインフェスタへの挑戦
そんな中でも言えること言えないことあると思いますけど
本を2冊目っていうのもありましたけどそれ以外で直近見えてる範囲で
聴いてる方もね
マックさん面白いなとか何か頼みたいっていう方もいるかもしれないし
日本でこういうところで今後また活動するよとか
決まってることで言えること
日本じゃなくても全然いいんですけどもちろん
試してみたいのがあって
デザフェスみたいのあるじゃないですかデザインフェス
あれ1回日本で出てみたい
そういうのは1回も出たことないし
意外ですね
そうなんですよ
それ出る前にもう台湾来ちゃった感じあるんで
知らなかったんですよそのデザインフェスみたいなことも
だからあれに挑戦
そうか
僕らワーホリもあるの知らないうちに30超えちゃったみたいな今度は今デザフェスねまだ
一応年齢制限ないはずなんで
特に僕台湾ではそこそこ知名度あるかもしれないんですけど
日本では全く無名なんで
それに出てどういうリアクションいただけるのか
逆にアウェーなんですよ日本は
でそこでいろんな書道家さん出てるかと思うんですけど
そこと並んでどういう違いが見せられるのかとか
単純にそうやって日本の企業さんとかがどういう目で見てくれるのかみたいな
全くわからないんで
営業してこなかったから
一つの営業活動になるかもしれないですけど
デザインフェスタチャレンジ
まあでも楽しそうだなって楽しいが先に立ってますね
ありがとうございます
連絡先とSNS情報
じゃあこれ聞いてる方
まずはそやマックスさんを今一番
普通にまずコンタクトする
ウェブサイトもあるけどインスタなのか
インスタですね
あのウェブサイトは僕運営じゃないので
今すごいアクティブって感じでもちょっとないか
じゃないですね
あれは一応友達の会社でもサブというか
そうなんですね
試しに作ってみたみたいなのが今も回ってる感じで
じゃあまず気になった方はちょっとインスタを
そうですねインスタが一番早いかな
Xは一応ありますけど
復活とかアカウント
別アカウントになりましたね
ありがとうございます
日常が見えるのはXの方が日常的な
妻とのイザフザとかも見えるんで
それも見たいですね
そうですねよりプライベート
ぜひぜひチェックしてみてください
ということで本当に超長時間ということで
これ全部流せてるかわかりませんけども
今日は台湾新築のご自宅にてお話を伺いました
そやマックスことそやもなゆきさんにお話を伺いました
そやもさん本当にありがとうございました
ありがとうございました
ライフアップデートっているじゃないですか
女性の声で
すごい
そやマックスさん書くとやっぱりなんか
アルファベットじゃなく見えますね
いいコピーだなと思って
ありがとうございます
こっちの方がいいですねライフアップデート
これ差し上げます
マジですか
ライフアップデート
01:02:40

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