さあ、ということで今日はですね、ゲストにSOYAMAXさん、SOYAMA NAOYUKIさんをお迎えしてお話を伺います。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
さあ、ということで、お迎えしてと言いながら、今日はですね、ここ台湾、台北に。
新竹というところですね。Bふんで有名かな。
あ、そうか、そうなんです。新竹の新幹線で駅で下ろさせていただきましたけど、
台北の隣の隣ぐらいなんですか?
そうですね。台北、新米、東円、新竹かな。
あ、そうか。ちょうど新幹線で来て何駅かでしたけど、もうどんどん死をまたいという感じ。
そうですね。4駅目ぐらいだと思います。
の、実はですね、ご自宅に来させていただいているんですけども。
今日ね、先ほど車でもちょっとお迎えに来ていただいてですね、少しアイスブレイク。
アイスブレイクで2時間ぐらい話を聞かせていただいてたんで、
いろいろね、もうあるんですけども。
実はね、名刺もいただいてるんですけども、先ほどソヤマックスさん、そしてここにソヤマナオユキさんとありますが、
その下にもなんか肩書きがいっぱいあるのかなと。
肩書きですかね、それ。
何ですかね、これ。
えっと、僕何て書いたんだっけな。自分の名刺を見ていただいて。
これはいわゆる学に入った書道作品を作りますよというのと、電子化したデータとしての納品もできますよと。
あと舞台パフォーマンス、ステージで何か書いたりですとか、そういったのも受けたまわります。
あと室内のインテリアで壁に地下書きとかもできますよというのと、
あとは旧正月とか正月イベントでその目の前でお客さんに書いてお渡しするのもできますよと。
あと教えてくれと言われれば教えることもしますよという形で書いてます。
なるほど、そうか。
全部書道にまつわることですね。
そこからいろいろあって、台湾で書道家、書家って何て言うんですかね。
どうなんでしょうね。書道家って言うと怒る人もいらっしゃるんで。
なんかあるんですよ、この業界のあれが。
でも僕そこ業界に所属してないんで、何とでも言っていいんですけど、
特に僕書道何段とかっていうの持ってないんで。
そうなんですね。
だから全くアウトローアウトサイダーの部類になっちゃうんで。
これちなみに名刺にもいただきましたし、先ほどもありましたけど、
鉛筆?書家?
これ鉛筆って言うと音だけだとまた鉛筆、ペンシルの方で。
鉛の筆っていうのは、これはこういう言葉があるんですか?
これはないですね。なくて。
自分がこの活動を始める前から、名刺を渡す時には必ず名前を書いて渡すっていうことをやっとったんですよ。
いただきました。
18で入院してから始めたんですけど。
それって鉛の結ばれるところに筆があるなと思って。
それで鉛を持って筆を出すんだったり、筆で持って鉛を繋ぐだったりみたいなのをテーマにした、
そういうアーティストになりたいなと思って。
今会社名にもそれをつけているんですけど。
そうですよね。
これこの会社にしてからどのくらい?
会社にしてちょうど6年ぐらいですね。
そうなんですね。
台湾で法人化したので。
来週、7月3日ですね。
それは忘れないわけですね。
これも別に言ってもいいんじゃないかな。
でもこれも、後で最後に聞きたかったんですけど、
ズバリ伺いたいんですけど、
やっぱりそこで本当に一度も生きるか死ぬかじゃないですか。
まさに最も死に近づいたというところだと思うんですけど、
その後の24年ってどういう感覚なのかなっていう。
すいません、僕がまどろこしくてあれですけど、
私事ですけど、僕はずっと戦争体験者の方に
もう10年以上取材してきてて、
特に特攻隊とか、生き残った方たちに聞くと
結構皆さん言うのが、結構印象的だったのが、
その後、余生だって言ってて。
18、19ぐらいでまさに、
で、そこで生きるか死ぬかとか、
実はその後の60年、余生なんだよみたいなことを言ってたんですけど、
相馬くんさんはどういう感覚なのかな。
近いです、本当に。
余生だと思ってて。
あの時、本当だ18で、
死んでもいいはおかしいですけど、
死ぬもんだと思ってた命を生かさせてもらってるんで、
完全にその余生の考え方あって。
余生ではあるんだけども、やっぱり悔いは残したくない。
だから、ガンジーの言葉であるんですけど、
明日死ぬかのように生きろっていう。
で、永遠に生きるかのように学べっていう。
あの言葉、ガンジーが言ったかどうかわからないって言われてるんですけど、
でもすごい好きで。
やっぱそれだろうなと思って。
明日死んでもいい生き方、
でも永遠に生きたいぐらいの学びっていうのは、
やっぱ、生涯不満足っていう言葉がある。
これ、すしのじろうさんが言った言葉らしいんですけど、
生涯不満足、めちゃくちゃそれ自分もそうだなと思って。
ずっと今の書道にしてもそうですし、料理にしてもそうですし、
自分のレベルが常に上がり続けてるのが楽しくて、
やればやるほど上手くなったりとか。
だから、究極死にたくはないんですけど、
長生きしたいなとか思うし、
まして家族いるから本当にそういうのも大きくなったし、
でもその余生だなって思う、すごい余生だなと思いますし。
ありがたいですよね。だってあの頃より長く生きてるわけだから。
もう20年超えたし、こんなありがたいことあるかなと思って。
その中で、この本には書かなかったけど、
実はこういうことあったとか、こういう気持ちだったとか、
今25年経ったから感じるとか、言えるでもいいんですけど、
その本に書いてなかったと思うんですけど、
僕一回自殺しようとしてるんですよ、糖尿中に。
書いてないはずですよね、あまり強烈だったから。
すんごい嫌になっちゃって、
自分が糖尿してることよりも、
親たちの泣いてる表情だったりとか、
僕が原因で喧嘩してるとか、そういうのが嫌で、
僕さえ死んでしまえば全部終わりになるかなと思って。
って言った時が一番多分僕がメンタルもやられてたし、
結果屋上に鍵がかかってて出られなかったから良かったんですけど、
本当にあの一晩考えましたね。
もう終わらせてやろうって。バカですよね、でもね。
48、19でそんな風に思ってて。やらなくて良かったと思ってますけど。
鍵がかかってなかったら。もしかしたら。
ちょっとあれもあるんですよ、薬の影響で。ステロイドとかも入れてるんで。
ちょっとホルモンバランスとか感情が崩れてて。
I can fly みたいなこともあったかもしれない。
そうみたいになるところがあるってことなんですね。
なのでもう本当にようやくスタートみたいになっちゃいましたけど、
この本でも最後のありますけど、そこで病気を治して、
そこから会社戻ったけど、実は糖尿症やめることも決めてて、
その後に職位とか沖縄っていうちょっと移住みたいに出てきて、
でもこの本だとその辺最後にサラッとって感じなので。
だからやっぱり病気で死が一番近くて価値観変わるなっていうのはわからないなに想像はつくんですけど、
そこでなぜ職位、なぜ沖縄っていう。
ちょっとここに書いてありますけど、そこをせっかくなんでね、もっと詳しく教えてもらいたいなと。
そうですね、やっぱり病気になるイコール何か職生活の問題があったのかって思う。
18級でもやっぱり考えた?
思いましたね。でもそんなことないなって。
だって家族一応18まで実家にいたし、なんだら姉貴もいるんで。
姉貴が13校上なんですけどいるんですよ。
で、家族誰もがんになってないんですよ。
家族もう遡っても2代3代遡っても誰もがんにならない家系なのに僕だけなってる。
いやーなんかおかしい。でも別に特別なんか変なの食ってないし、高校生でお酒バンバン飲んだこともないし、
タバコもやらないしね、何もやらないのになんでなのって考えたんですよ。
そしたら小児がんってやつですよね。小児がんって本当にだからゼロ歳で白血病になる子とかもいるじゃないですか。
ああいうのも完全に遺伝とかじゃなくて何かの遺伝子エラーみたいなもので。かもしくはウイルス説っていうのもあるんですけど。
でもそういう運が悪かったとしか言えなくて。
でもとはいえ何か予防できる食で何かできないものかと。
異食同源か異食同源として、例えば今後この先大腸がんを予防したければ腸内環境を良くするとか
そういったところからアプローチできないかなと思って。
白血病とかアクセリンパシア分からないにしても他の病気、糖尿病とかも予防できるものはできるし。
そういうのを学ぼうと思って。予防医学ってやつですね。
今更この医者にも薬剤師にもなるには大変だけど、腸医師だったら1、2年で慣れる。
だなと思ってそれにしたんですよ。
沖縄を選んだのは寒いのが嫌だったから、寒いと何かがんになりそうな気がしたんですよ。
今はそんなことは思わないけど、あの当時再発するかもしれないって言われる5年間だったから。
それは常にありますよね。
怖くて暖かいところに行きたいって言って沖縄を選んだし。
沖縄が昔長寿の国だったじゃないですか。
そうですね。
それの何かを探しに行こうと思って。
これ本を出そうと思ったのはなんでですか?
しかもいいですよね。自費で出してる。
はい。自費で出してる。
当然めちゃくちゃお金もかかるし。
これは文芸者でしたっけ?
文芸者のチャレンジ枠みたいなのがあって。
1年に4人ぐらい無料で出せる枠みたいなオーディションみたいなのがあるんですよ。
そこに一応応募して。
ありきたりの電話かもしれないですけど。
残念ですが。
だけどもいい作品なんで出しませんか?みたいな歌い文句でしょうね。
乗っかっちゃってそれに。
でも本当に20代のうちに1個出したかったから。
200万どうにかします。
借金して。
すごいですね。
思い切りましたね。
生き急いでたんですよ。正直言うと。
この本にもね、死に急いではいないけど、生き急いでるは否定してないみたいなことありましたけど。
なんでですか?それこそ養成っていう話も前半話したけど。
まだ自分の中で結構疑い。この10年生きるか?みたいな。
そういう疑いか。
19で移植したけども、5年生存率、10年生存率みたいなのがある中で。
本当に10年生きたところで28来るじゃないですか。
10年と見といてもいいから、先にこの26、7ぐらいで1回本を出したい。
生きた証としてというか。
ちょっと無茶して出してはいるんですけど。
しかもこの汚い字で。僕よくその表紙書いたの後悔してる。
そうですか?
あれひどいですね。当時の本気がそれですもん。
でもいい意味で一度見たらもう忘れないインパクトというか。
この背景の緑は何か意味があるんですか?
背景の緑は向こうがデザインしました。
そうなんだ。
裏拍子も感謝ありがとうみたいな感じ。
下手くそ、本当に。
でも下手くそと思うぐらい自分が高まってるんでしょうけど。
飛んだけど最初から1年で辞めるよって言ってて本当に1年で辞めたんですか?
はい、ちょうど丸1年でしたね。
辞める手前にまた1個あって、ターニングポイントが。
またそれもこの本がまた出てくるんですけど、本読んだよって言った人が福島県から来たんですよ。
美術館のオーナーさんで。
金沢翔子さんっていうのがいるんですけど、ダウン症の書道家の方で。
タイラーの大河ドラマの題字を書いてるんですよ。
源だったかタイラーだったかどっちだった?
どっちだったっけ?
タイラーかな?
大河ドラマ題字書くような大御所の上流書家がいて、彼女の美術館っていうのを福島県いわきで持ってて。
そこに初めてその子以外の書道家を招いて展示会をしたい。
そこに曽山君を招きたいんだけどどうかって言われて。
ウソやんと思って。なんで僕みたいな、しかも今書道家として活動してないのに。
ラーメン屋だよと思ったけど。
でもラーメン屋しながらもやってたんですよ。作品作りとして。
それが沖縄のビン型っていう伝統カラーの染め物ですね。
それのアーティストと一緒に作品を一枚作って。
どれくらいかな、A3かA2くらいのサイズかな。
それが大阪の御服屋さんに展示してあって、それを見たんですって。
それを見たときに、これ誰が書いたって。下見たらプロフィールとか名刺とか置いてあって。
名刺もしかもラーメン屋の名刺でしょ。
それは面白いな。
で、それラーメン屋の名刺僕手書きで返したから、これでピンときたんでしょうね。
面白いって言って会いに行こうと。
で、それやっぱ、なんかね多分貼ってたんですよ。QRコード当時あったかな。
あんま分かんないですけど、この本がまた出てくるじゃないですか。探せば。
この時は検索ってなってますからね。
そう。
マーケッターじゃないですか。
それで探してくれたんでしょうね、彼。
で、読み終わって来てくれて、喋って。
美術館来るなら待ってるからって言われて。
一応即答しなくて、ちょっと1日2日くださいって。
で、一応なんか相談できるとこ相談して。
当時、まだ付き合ってないけど、友達ぐらいの感じの。
奥さんがいて、今のね。
で、喋ってる中で、やってもいいかなって。ラーメンも辞めるって言ってたしって言って決めましたね。
しんどい時期でしたけど、あの時。
今ちょうどね、当時付き合ってた彼女、今は奥さんですけど。
ちょうど聞きたかったんですけど、やっぱり重要な決断をする時。
結構、僕の今日お目にかかる前のイメージでは、やっぱり自分の中の心の声で結構迷わずに一発で決めるようなイメージがあるんですけど。
もちろんそういうこともあったかもしれないですけど。
振り返ると結構自分がやっぱり一番信頼というか、そういう人に割と相談するタイプなんですか?
振り返ってどうだろう。
してるんじゃないかな。要所要所で。
してます、なんだかんだ。
でも相談はするけど、もちろん最後は自分の中でピンとくるかこないかもしれない。
やめとけと言われてやめたことはないかな。
結局何のための相談なのかわからない。
ワンクッションみたいな感じですかね。
そうですよね。
本当に不安定な1ヶ月、結構リアルな数字で言うと50万円稼げる月もあれば、2万円しか稼げませんでしたみたいなことも本当にあって。
アップダウンが本当に激しい。
その頃今の奥さんが夜勤専属の看護師をやっていて、まあ強い子と本当に頼りになる奥さんで。
同棲もしてたんで、ありがとうねって。家賃も払えない子でしたって言って払ってもらったりとかして。
だから頭上がらんわけですよ。奥さんには。
忙しい中で、どこかででも何かがもちろんいい意味ですけど、展示壇ですか?
それがそのまま突き進んでて現在に至るってもちろんね、どんどん稼げるって言い方がいいことなんですけど、上がっていってると思いますけど、何て言うんだろう。
展示会が嫌いになったのが良かったんでしょうね。
展示会、準備してるとかそういうのもあんまり好きじゃなかったから。
嫌いになってもうやらないって決めてからすごい楽になって。
やらないから時間ができるじゃないですか。
時間ができるから海外にも出れるようになったし。
きっかけは台湾から始まりましたけど、ロシア行ったりフィンランド行ったり。
つながりました最初に。
そこら辺が回収できてきて。
当時クラフトビールがうまいってなって、クラフトビール飲みたいから頑張るって言ってたら、輸入してる社長さんに出会うんですよ。
アメリカから輸入してる社長さんに出会って、自己紹介してこんなことやってるんですって言ったら、面白いアメリカ連れてくっつって。
料費もらって、アメリカバーンと連れてってもらって。
でも帰りの面倒見ないからねって言われて。
あの社長は今でも大好きで。
それってもっと売れっ子の書道家さんでいて、展示会したら全部ソールドアウトします。
作品究極関係ないぐらいのね。
そう、それなんですよ。あの人が書いたから欲しいっていうレベルにならないといけない。自分が。
と思って。だから一回もう展示会無理してやらない方がいいって。
今でもしないですしね。まだまだ不十分だと思ってます。全然。
じゃあ絶対したくないっていうのともちょっと違う?
違いますね。今42で、もしかしたら60、70になってやるのかもしれないし。
できるような人にはなりたいですけどね。
今ちょうど話変わりますけど、この番組はライフアップデートって言うんですけど。
僕の中で海外でマックさんも含めて自分の志があって、文字通り国境を越えてさらに自分の限界を越えている。
越境みたいなのが一つテーマで。そういうのでも今本を書いてるんですけど。
マックさん自体というか、外から見るとね。いわゆる新潟、沖縄、世界回って台湾。
地理的にもそうですし、他にもかもしれないけど、今までの人生を振り返って一番自分で越境したなっていうのは別に地理的じゃなくてもいいんですけど、
心の中のことでもいいんですけど、一番越境したなみたいなのがすぐ思いつくと思ってる。
ああ、でもありますね。
最初台湾が第一カ国だったんですけど、台湾言ったら日本人向けじゃないですか。漢字は大体読めたりするから、全然いいんですけど。
この島で知り合ったロシア人がいて、カレンっていうあっちの田舎の方で山の中で僕字書いてたんですよ。
そしたら茂みの中からロシア人が出てきて、ロシア人2人と日本人の3人組が出てきて。
面白いことやってんねえって言われて、そこでタンタカタンっていうシソジョウチュウがポンと出てきて、一緒に飲んだんですよ、その連中と。
すっごい忘れられなくて、そのロシア人のうちの1人がモスクワ大学の女教授で、何を茂みでやってたかって言ったら、量生類の採集をしてたって言うんですよ。
そういう先生だった、もう世界の5本指みたいな大先生で、そいつが出てきて、同い年から引っ越したくらいなんですけど。
息統合して、モスクワでもこの書道のやつやろうよって言われて、モスクワ行ったんですよ。完全に越境してますよね、英語も通じないし中国語もできない。
それで、でも面白くできたんですよ、ロシアでもストリート座ってやったりとかして。
大学の中で一コマ授業作ってもらって、このワークショップ、書道のワークショップやるぞって言って、やらせてもらって。
でも、僕の越境はそこで終わらずに、ロシア1ヶ月いようとしたんですけど、その彼の家にホームステイしてたんです。
ホームステイ1ヶ月すると、やっぱりギクシャクしてくるじゃないですか。年齢は近いんだけど。
ちょっと彼も天才だから、すっげえ頭切れるんだけど、ちょっと波があって、一緒にいたくなくなっちゃったんです。
で、僕は何の身寄りもないフィンランドに逃げたんですよ。近いから、ロシア。
あのモスコワからだったらまあまあいけるだろうと思って、フィンランドに初めて行って、そこは全く何のつってもない。ただ一人でフィンランドポンと入って。
で、どうにかなるだろうと思って、まだ座って帰ってたんですよ。
座って帰ってたら、最初のお客さんというか、最初に来た、パーッと自転車に来た女性が、
あんた何なの?みたいな感じで来て、面白そうだからうちに泊まってきなさいって言って、二言目ぐらいです。
もう自己紹介する間もなく、一応日本から来たとか言いましたけど、パーッと名刺に住所を書いてくれて、ここで待ってるからピンポンしてなみたいな感じで、めっちゃかっこいいんですよ、あの女性だったんだけども。
スザンナっていうね、今でもすごい仲良くて。で、彼女の家に行って、その後、いくらかストリートで稼がせてもらってから。
で、彼女の家に行って、そしたらルームメイトが2人ぐらいいて、男性2人という、そういうルームシェアしてます。
だからまあ安心してね。
そこに泊めて、1週間ぐらい泊めてもらったんですけど、あれはね、本当にね、越境未来って、何にもないところから始まって、そうなっていくっていう。
でも言ったらフィンランドだけじゃなくて、いろんなところでそうなってたんですけど、ニューヨークでもそうなったりとか。
なんかその、座ることの何でしょうね、何が出るかわかんない。本当にファンドラの箱みたいな。
しょっぴかれるかもしれないし、本当に何が起こるかわかんなくて。
でもあのスリルとワクワク感みたいな。
すごっか。
超楽しい。
そのマックスさんが座るっていうのはそういうことなんですよね。
そう、座る。
日本人が座るっていうのは座禅みたいな感じで、ちょっと逆に何かが起きるみたいな。
とにかく座って何か書いてると、やっぱり面白がある人は拾ってくれるんだなっていうのがあって。
ニューヨークではね、あれだったんですよ。
日米ハーフの男性の方で、漫画の翻訳とかやってる方がお家にニューヨークのマンガ棚に住んでて、
お家泊まってきなって言って、好きなだけいいよって言う方にまた拾ってもらって。
ニューヨークなんか宿とか高いから、すごい助かるって言って。
コーツ随食の後遺症でもうその生殖機能を失ったって公表されてて。
でやっぱりね普通にそこだけを考えると特に当時とかもう子どもダメなのかなと思ったと思うんですけど。
でもやっぱりね結婚されてこのモツに至るまでっていうのはどういう経緯で。
これはまた経緯もまた不思議なもんで。
子どもいらないって。
自分の中ではそう自分の中では18でもう終わった夢とか目標の一つになっちゃったから。
結婚すらしないと思ってましたけどね。
あそうですか。
もともと。
でも今の奥さんまた変わってるし僕みたいになると結婚するって言うし。
じゃあお願いしますって言って結婚したんですよ。
でも当時は子ども作らんでもいい。
結婚したの31か2ぐらいですよ。
でも結婚して3年とか経った時にやっぱり私も欲しいって35ぐらい目安じゃないですか一つの。
欲しいってなっておお変わったなと思って。
ちょうど来ましたね。
さすがカギつけた。
じゃあそれならって言ってドナーさんからもらうかっていう話になって。
骨髄をもらった次は精子をもらうかって言って探し始めて。
僕の気持ちの整理の中では子どもいらなかったはずなんだけど。
だったけどこの嫁さんがそこまで言うならそれも面白そうだなと思って。
また人生一回きりって思ってるしできないことをまたドナーさんにお願いするのかと。
ねえ。
この子入りますけどいいんじゃないですか。
そうなんでもない。
でもその中でフランス人のドナーさんこれはなんでですか。
なんかそういう探せるサイトがあるんですよ。
コーペアレンツみたいな名前の精子提供できますよという。
全世界にいろんな方がいる中で日本国内でサーチかけたときに2人外国人が出たっていうんですよ。
フランス人とあと何人だったかなちょっと忘れてしまいましたけど。
フランス人が愛媛にいると。会いに行ってもらえるぞと。
会いに行けるわけポイント高くて。
会いに行ってもらってきてそのお父さんとなる彼と連絡が取れる状態でゆっくゆっくうちの子が大きくなってきて。
もう知ってますよ彼はもう自分のお父さんっていうのがわかってるんで。
わかってる中で会いに行きたいってなった時に会いに行けるようにしたいんですようちの方針としては。
普通そういうのってNG。
さっきのねマックさん自体のドナーも会えない。
うちはそれ会えるんであれば会えるようにしときたい。
特にうちの子敏感というか。
すごい感じすぎて。
なんでハーフって呼ばれるのって僕に相談してくるんですよ。
そういった時にパパ病気だったから子供が作れなくなった。
だからてんてんはパパのそういう子じゃないんだよって説明をして。
じゃあ本当のパパどこにいるとか。
会いに行きたかったら会いに行けるよって。
そういう説明はしている。
それは我々夫婦の中で決めたあれで。
だいぶ特殊だと思います。
あんまり日本国内で見たことないですね。
全然話変わるんですけど。