00:00
岐阜新聞報道部の山田俊介です。
坂井萌花です。
大賀ゆき子です。
お願いします。
あ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
いいよ、いいよ、いいよ、いいよ。
岐阜新聞ポッドキャスト▼ききかぢです。
よろしくお願いします。
お願いします。
大賀さん、初登場。
初めまして。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
ようこそ。
ありがとうございます。
大賀さん、ずっと出てほしい、出てほしいって思い続けてました、私は。
いや、もう今日は本当に、この話をしたくてしょうがなかったんで、ここ数日。
そうだよね、そうだよね。
いや、あの、チポレンって言い始めてるじゃないですか。
いろんな地方紙のポッドキャストやってる新聞社さんがね。
地方紙ポッドキャスト連合、チポレン。
チポレン。
で、その活動の一環っていうかね、
あの、長崎新聞さんが映画部を立ち上げたんですよ。
映画部立ち上げて、で、最近の回で、その長崎新聞さんのメインパーソナリティさんと愛媛新聞さんのパーソナリティさんでこう、
あの、映画について語り合うみたいな回があって。
2024年に見た映画5選みたいな感じで。
延々と自分たちの見た映画について語り続けるみたいな回をやってて。
楽しそう。
なんか恨ましいなと思っちゃって。
いいですね。
で、なんか乗っかってみようっていうのをね、ちょっと思い立ったわけですよ。
最近見た映画についてね、いろいろ語り合うとかさ、どんなの見たとかでもいいんだけど、
なんかまあ一つ作品決めて、それについていろいろ語り合うのがまずいいんじゃないかなと思って。
で、最近いろいろ見たんですけど、いろいろ見た中でもちょっともうこの映画の衝撃というか、
語りたさみたいなところでも勝るものなしっていうか。
っていうので今回取り上げるのが、ドキュメンタリー映画のどうすればよかったかなんですね。
昨日見ました。
昨日見た。
私も昨年末に見て。
大賀さんは一昨日。
一昨日。
一昨日見ました。
パンフレット買って、それを机の上に置いていたんですよ。
それを見て、見ましたみたいに声かけてくれたのが大賀さんだった。
そうですかね。
大賀さんどういうきっかけでこれに行ったんですか。
私はもともと映画はすごい好きで、今あまり見れてないんですけど、
映画を結構見てるんですけど、Xで、たぶんその時は年末、12月とかに、
たぶん映画関係者か、精神保険関係者か何かの人がすごい映画だったっていう感想をつぶやいてみて、
それでYouTubeで見て、これはすごいのが来たなっていう。
03:05
だから当時はまだちょっと小規模な界隈での話題みたいな段階だったかなと思ってて、
それが年明けたらどんどん映画YouTuber的な人たちがみんなこぞってこの映画を取り上げ始めて、
これはいよいよ見に行かねばっていう感じでした。
すごい急速な広がりを感じたんですよね。
上映規模も今確か広がったんですよね。
もうちょっとミニシアター系で上映している映画家もそんなに多くはなかったと思うんですけど、
その規模も広がっていったりして、
ディフでの上映も今月、いつからだっけ、先週くらいから始まって、
2月7日までやっているということで、ディフシのディフシネックスという映画館で始まってて、
今日これで語り合おうということなんですけど、
語り合うとどうしてもちょっとネタバレとかいろいろ日がかってくる部分は避けきれないので、
まだ見てなくて今、血になっているよという方は、
一旦ここで止めていただいた方がいいかもしれないです。
絶対その方がいいと思います。
なるべく真っさらな状態で見た方がいいと思うんですよね。
見た方がいいと思います。
私も予告編も見ずに行ったぐらいだったんですけど、
もう本当にこういうの始まるよっていう情報だけで持って、
名古屋まで見に行ったんですよね。
年末に初日だったのかな。
やっぱり満員で、
名古屋キネマノイっていう単管形の映画館なんですけど、
今池にあるところですね。
満席で既定の席が埋まっちゃったので、
補助席みたいなのをいっぱいどっからか出してきたり、
ソファーみたいなやつとか出してきて、
私は一番前に並んだ、後から付けたソファーみたいなところに寝っ転がりながらみたいな、
変な体勢でずっと見てて。
いい映画体験ですね。
大川さんのときどうでした?
私もシネックスで28日の9時50分の初回で見て、
そのときも20人ぐらいだったんですよ。
だいたい半分がおそらく大学生ぐらいの女性が多かったんですけど、
多分福祉関係を学んでる学生さんかなっていうような大学生の方が半分ぐらいと、
シニア層と、あと私の後ろに座った男女お二人が、
多分現役のお仕事世代で、なんとなく雰囲気的に、
これ福祉関係者の人かなって思って、
06:00
すごくいっぱいいっぱい雑談されてて、
男性の方が、
悪いけど僕この映画でちょっと泣くかもしれないから、
よろしくねって言ってて、
あ、泣くか。
そうだよね。
この方がなんて最後見終わったというか、
ちょっと楽しみなのをこっそり聞いとこうと思ってたんですよ。
終わって、また話したと思うんですけど、
はーってなってるときに後ろで、
あ、おじさんどうだったかなって聞き耳立てたら、
僕泣かなかったって言ってて、
でも僕だったら友くん、
藤野智明さん、この監督の友くんに、
言ってあげるんだったら、
お姉さん早くに死んでよかったねって言うと思うって言ってて、
ちょっとびっくりしちゃって、
人それぞれの感じ方あると思うんですけど、
私はその予告を見てて、
かなり冷たさのある家庭を想像してたら、
想像以上に間違った方向かもしれないけど、
愛情あふれる家庭の姿が映ってて、
やっぱりこれを見て、
家族の当事者でない限りは、
一方的に誰かが悪いっていうことを、
とても責められる状況ではないっていうのを私は感じてて、
そんな中で早くに死んでよかったねって言って、
あんな真子ちゃんに愛情を持ってる友くんの笑顔って思ったんですけど、
なんかじわじわ考えてたら、
たぶん真子ちゃんがあれ以上長生きしてたら、
友くんが親なき後は介護をしないといけなかったわけで、
そうするとじゃあ果たして、
8歳違うとはいえ労働介護にこれからなっていくってなると、
たぶんそれが現実で、
おそらくこの男性は、
そういったままならない家族を、
ずっと見てきたんだろうなって思ったんですよ。
だからそこまで見越してというか、
視野がそこまで広がってるからこそ、
ほっぴなように聞こえるんだけど、
現実はそうかもしれないよねっていうのをポンとおっしゃったっていう。
たぶんそうだろうなって。
だから全く違う見方をしてるし、
見えてないものが見えてて、
このパンフレットにもちょっとだけ藤野さんが、
姉が当課失調症でっていうことが分かって、
親がちょっと体調崩したときに、
これから自分が面倒を見ていかないといけないんだな、
っていう覚悟を決めましたっておっしゃってて、
それって映像の中では全然出てこない。
気がついたら同居してるみたいな感じだけど、
やっぱり藤野さんの中での今後のことっていうのは、
きっと心の中にずっとあったもので、
09:02
でもそれは映像の中に出てないけど、
この男性はそれを読み取ったっていうか、
そこまで見てたんだなっていうのをすごい感じました。
確かにあんまり説明的ではないし、
何ならずっとホームビデオのようなカメラで
撮りためてきたものをそのままというか、
ある程度映画らしく繋ぎ合わせて出しましたみたいなことで、
あんまり着色しすぎないというかね、
そんな説明しても蛇足になっちゃうしっていうような
作りにはなってるかなと思うんですけど、
ただ見てみるとやっぱり思った以上に
あったかい感じがするというか、
ポスターの引き句というかね、
ジャックだけ見るとそのまま読むと、
面倒見が良く、優秀な姉に統合失調症の症状が現れた。
父と母は部屋に難勤状をかけ、彼女を閉じ込めた。
っていう風にあって、これだけ読むとすごい冷たさがあるというか、
何ならちょっとホラーの感じさえあるというか、
それはちょっと私は感じちゃったんですけど、
センセーショナルですよね。
冷たい感じがあるのかなっていう前提をある程度持って
見に行った人が結構いるんじゃないかなと思うんですけど、
なんか本当によくあるあたたかい家庭の姿っていうかね、
家族の姿でもあったとは思うんですけど、
そこにお姉さんの統合失調症の症状が現れて、
どんどんそれがちょっと暇死にというか、
映像のカットのために悪化していっている感じが伝わってくるというか、
最初の頃ってやっぱりトモン君がね、
この監督が東京に普段は住んでいるので、
たまに里帰りした時に映している映像を繋いでたじゃないですか。
1年に1回とかしか帰ってこないんで、
もう次のカットには1年過ぎているという感じで、
どんどん時間の経過が容赦なく進んでいくし、
進むごとに明らかにやっぱり悪化してるよねみたいな、
お姉さんの様子っていうのがもう容赦なく映っているじゃないですか。
そこにすごいギュッとなるというか。
明らかにお風呂入ってないなっていう。
あれ?去年まではすごく髪の毛も綺麗にしてたのに、
いきなり髪が伸びてお寒さになってるみたいですが。
爪がめっちゃ長くなってたりとか。
爪気づかなかった。
お姉さんの手を見てたんですよ。
爪がね、すごい長いわけじゃないですよ。
ビヨンって長いわけじゃないけど、
明らかに外に出ていない。
12:02
病院に行っていない。
当たり前のことが当たり前にできなくなっているぞという感じが。
私、時間の流れがすごくこの映画のキーなのかなと思ってて。
友子くん、年に一回だけ帰る。
なんかそんな感じですよね、序盤ね。
中間くらいまでそうだったかもしれないですけど。
で、症状はどんどん悪化して。
で、病院にやっとこそ行けましたと。
入院しましたってなった時、
発症から25年経ってようやく病院に行くわけですよね。
で、その間私たちって101分の映画だから。
あれ?111分でしたっけ?
100分ちょっとくらいの映画なので、
その20、30年分くらいが100分になってますけど。
病院に行って、3ヶ月後に退院したんですよ。
その退院後の姿を見た時、私めっちゃ泣きそうになって。
25年めっちゃ苦しんだと思うんですよ。
まさこさんが、お姉ちゃんが。
で、私は最初すごい病院に連れていかへん。
親御さんにものすごい行き通ってしまったんですよ。
25年連れていけなかった。
3ヶ月で台所に立ってたじゃないですか。
あれ見た時にもうどうしようもない気持ちになって。
25年の苦しみがたった3ヶ月。
感知したとは言いませんけど、
3ヶ月でこれだけ料理して、
冷蔵庫に物をラップして戻せて、
水で皿を洗える状況にまで、
それまでずっと叫んだりとか、
何もできない状況だったんです。
3ヶ月適切な治療を受けただけで、
だけでというか適切な治療で変わったっていうことが、
もうなんか苦しくてしょうがなくて。
もっと早かったら、お姉ちゃんの25年が
うまく進んだのかなとか、いろいろ思っちゃったんだけど、
私は父親母親の意見と、
友男くんの意見どっちも正解だなと思って。
それは見終わってから、
心の中では全部正解だって、
私はいい子に言い切れないんですけどまだ。
でも正解なんだなって、
自分に言い聞かせる感じで、
私はちょっと見終えた感じですね。
自分と考えが違うものを否定する気持ちが、
まだどうしてもあるんだけど、
どっちも正解だったんだよな。
そこに愛情があったから。
家族ってすごい、
15:01
何があっても、
何回転のことでは壊れないだなっていうのを、
良くも悪くも痛感させられて。
確かにどこで壊れたっておかしくなかった。
そういうタイミングがいっぱい映っている中でもあっただろうし、
映ってないところでもきっとあったはずなんですよね。
配給会社の東風さんがやっているポッドキャストがあって、
そこで監督のインタビューを流してて、
そこで藤野監督がおっしゃっていたことなんですけど、
カメラで映したことで、
自分も冷静に喋ることができたし、
家族もある程度落ち着いて、
受け答えをすることができていたと。
カメラを向ける前の自分っていうのは、
ちょっと怒りっぽいところがあったりして、
しょっちゅう喧嘩になっちゃうと。
喧嘩になっちゃうところを映すのもやっぱり嫌だし、
本当に話したいことが話せないから、
やっぱりそれは正解だったんじゃないかな、
みたいなことを言っていて。
だから、やっぱりこれが全てでもないんだろうけど、
本来やっぱりなかなか、
特に当時のことなんで、
なかなか表に出せない話もたくさんあったはずで、
そういう中で具体的な解決策も、
じゃあ医療と繋がればいいのかっていう風に、
当時だから余計にシンプルに、
簡単に考えられるものでもなかったと思うんですけど、
そういう中でたまたま藤野さんが、
映像を作っていこうっていうことを
志した方だったっていうところもあって、
カメラを向けていたっていうことで、
いろんな素材が積み重なっていって、
それを繋ぎ合わせて今回のものができているっていうことで、
本当に奇跡のような一本だなとも思うんですけどね。
そうですね。
精神科医の方も映画の公式パンフレットの中に寄稿されていて、
このカメラを向けるっていうのはある種の発明だろうって、
それによってこの件っていうのを、
友明さん自身がうまく処理していく助けになったっていう風におっしゃって、
自分の思春期のこととか思い出して、
親に不満があって、
中学生の時にこうしてほしいのになんで分かってくれないのって思ってて、
でもそれが言えずに、
いた時に意を消して父親に夜言ったんですよね。
18:03
結構最後激しい感じになって、
私はこう思ってて、
こうしてほしいんだっていうことを言って、
でもなんか噛み合わなくて、
うーんってなって、
母親も一緒にバーって喋ったりして、
でも翌朝になって普通に朝降りてきたら、
普通にご飯が出て、
普通にそれを食べて、
そしてまた次の日から日常が始まって、
っていう時に、
すごい絶望を感じて、
私はもうこれで家族関係は終わった、
これできっと私のことを親は嫌いになったんだって思ったけど、
翌朝には普通に何事もなかったように、
普通におはようって言われて、
朝ご飯だよって出て、
食べて学校行くっていう、
なんかその絶望みたいなのを、
友昭さんが3年くらい映像を撮って、
でも明らかに真子さんが、
ご両親の言ってるように、
親への恨みがあるから逃亡失調症のフリをしているっていうわけではなく、
本当に病的だっていう風に思って、
お母さんともう少し踏み込んで議論する、
そう言いましたね。
で、もうこの話はおしまいって言って、
最後お母さんがお風呂行くわ、
寝るわって言って席に立って、
翌朝普通にご飯食べてるのを見た時に、
私はそのことを思い出して、
ああそうなんだよなって。
だから多分どうすればよかったか、
それって多分早く医療にまずはつなげることっていう答えはあるし、
その医療の関わり方とか、
そこに課題はあったかもしれないけど、
まずは病院で適切に治療をしてもらうこと、
っていうのは多分一つの模範解答としてあると思うんですけど、
でもそこにたどり着くまでの難しさっていうか。
お母さんが医療関係の研究者だから、
なおさらお父ちゃんお母ちゃんがものすごい優秀な研究者で、
よくいかに彼らが優秀だったかっていうことも出てくるじゃないですか、
だからこそプライドみたいなものがあったのか、
変な医者に当たってほしくなかったとか、
娘が変な目にさらされたくないとか、
いろんな思いがあって連れていかないという、
医療にはつなげないという選択をしたわけなんですけど、
3ヶ月でよくなったまさこさんを見て、
どう思ってたんだろうって思っちゃって。
たまたま合う薬が見つかって回復していったっていうことなんでしょうけど、
21:04
ただやっぱり医療者だったからこそ知っていたこともあっただろうし、
知っていたからこそそこから遠ざけようとしたのかもしれないし、
知っていたからこそ自分たちで何とかしようとしたのかもしれないし、
その辺のことってやっぱり分からないんですけど、
ただ少なくとも簡単には引っ張ってでも
病院に連れていけばよかったのにっていうのは言えないなって思いましたよね。
最後のお父ちゃんと2人になっちゃって、
この映像出すけどいい?って話してるシーンで、
どうすればよかったかって問いかけるじゃないですか。
でも自分は間違ってなかった?
そう思うってお父さんが言うじゃないですか。
そうか、だからこの人の正解だったんだなと思って。
ただ友くんの中でもまたどうすればよかったかとは違う答えだったのかもしれないですけど、
やっぱり明確に分かんない。
私の受け取り方かもしれないですけど、
お母さんよりもお父さんに責任があるっていうふうに
友くんは思ってるんだなっていうふうに感じましたね。
お母さんにもお母さんの問題があったけど、
いわゆる夫を立てて、そこにつきしたがってみたいなところとか、
お父さんが言う通りにしとけばいいみたいなところで、
事態を良くない方向に持ってったって思いつつも、
中心となってたのは父なんだっていう思いを持ってみえるのかなと思って。
その辺の時代性も絡むよね。
性別ごとの役割分担じゃないけれど、
そういうお父さんの意見に従った方がいいよみたいな。
お母さんがそう言ってますよね。
ちょっと分かんないですけど、
おりおりにお父さんがダメって言うからみたいな感じで、
言い換えしてるりするので。
孫ちゃんにもこういうふうに教育しないとあなたダメですよみたいなことを
お父さんがお母さんに言ったりもしてて。
統合失調症とは外れるかもしれないですけど、
長女問題結構あるなと思ってて。
あ〜。
坂井さんは長女?
私は長女。
弟います?
私も3歳違いの弟がいて、異性兄弟の長女で、
分かんない、うちだけかもしれないけど、長女ってお父さんにすごい好かれて、
うちちょっと似てて、多分学力的には私の方が上で、弟よりも。
子供の頃から若干期待をかける感じがあって、
24:05
岐阜高校行けるといいねみたいな感じで、
行けなかったですけど、みたいなのとかあって、
だから父親と私の子供の頃は繋がりは結構強くて、
一方で母親は弟のことがすごい好きで、
特に弟はちょっと私よりも見た目がいいので、
なんかそれもあって、私母親にだねみたいな。
っていうグループ分けがあったんですよ。
父で、母親と長女の関係性っていうのもすごくいろいろあるなと思ってて、
私は真子さんが何を考えてて、
お母さんとどういう関係だったんだろうっていうのがすごい気になって、
あれ誰が描いた写真、絵かな?
映画の途中で家族4人の似顔絵が出るんですよ。
確かお姉さんが描いた絵じゃなかったな。
これ見ると、真子ちゃんとパパはパンツェリーで一緒で、
トム君とママはお顔がそっくりなんですよ。
ちょっと待って、ちょっとずるずるしてた。
だから私の家庭の感じとすごく似てるなと思ってて、
パパは長女に期待をかけるんだけど、
それに対してお母さんの複雑な、お母さんの気持ちって一体どうなんだろうっていうのは、
私はすごく、だからお母さんが何も言わずに亡くなったっていうのが、
すごい残念だなと思って。
だからこそトム君もやっぱりお母さんに感情をシンパシーに持ちやすいところもあるのかなとかって。
パパも大正10年生まれとかですけど、
大正時代の方ですけど、やっぱりドイツに留学、家族で住まれたりしてたのもあって、
すごく欧米の先進的な考えを持って見えるものもあって、
この世代の日本人の夫婦の中ではかなり平等な関係性を持ってて、
奥さんもはっきりお父さんに物を言うし、
家事も見てるとパパがご飯をね、美味しそうなご飯を作って、
サーモンのオーブンに入れるのがめっちゃ美味しそう。
あれ美味しそうだったね、おしゃれな座り。
食事が全部養殖なんですよ。
そうそう。
本当におしゃれだね。
そうですね。お節の時だけだ。
朝はパンとミンナーが出てみたいな。
すごくそういった面はあるんだし、
きっとそういう温かいご飯と温かい声かけて支えたんだろうなと思いつつ、
発祥後もずっと毎年医師の国家試験の問題集を毎年買ってたっていう、
27:06
ちょっとホラーですよね。
なんでって思っちゃう。
薄皮一枚はげばその下にはものすごいプレッシャーがあったのかな。
しかも表面上は多分発祥後と同じように温かくて優しい家庭みたいな、
日が当たる食卓の幸せな光景が目の前にあるんだけど、
その裏にはものすごいプレッシャーがかかってるみたいな、
そういう家庭環境だったのかなと思った。
もうそれも辛かったし、
でも最後の方に母親の妹さんでしたっけ、お姉さんが出てきて、
いや、まこちゃんは苦しかったと思うし、大変だったと思ったけど、
私は姉の様子を見て、辛かった、愛情あってのことだったと思いませんか、みたいなことを言ってて、
おー、わーんって、そうなんだよね、そうなんだよねって思う。
どうならないし、どんだけ気性を上げても。
本当にそれは、私本当にリスペクトだなって思いました。
一回も誰?とか言うシーンがなかったじゃないですか、親が。
だってキジュのお祝いで、自分が主役、あ、違う、あれ?キジュの時のイカリング事件。
あれもそうだし、新年のオトソだ。
オトソの時に普通にじゃーってやって、
それに全くお母さん同時だから、諦めなのか、なんなのかわからないけど。
確かに全然怒っていいタイミングなんじゃないかなと思いつつ、
淡々とそこは過ぎていくから。
あれなんか、愛情なのか、諦めなのか、まだ信じたくないのか、
いろんな感情が見えた気がしてしまって。
やっぱなんていうのかな、ある程度需要というか、受け入れている部分があるからこそあのシーンって成り立っているのかなと思ったんですよね。
家庭の中では、直視しているわけではないにせよ、そういう部分がある子なんだっていう風に見ているところがあって、
ただやっぱそれを表に出すことが最後まで拒んでたんじゃないかなっていう。
家庭がこうなってたことってさ、映像を通して知ることしかできないわけじゃない。
誰もその家庭の中で、お家だって立派なお家だったじゃないですか。
30:00
優秀な方々が住んでおられるのねって、たぶん近所では見られていたと思うんですけど、
まさか中でこうなっているなんていうことは、誰も思わなかっただろうし、
そのくらい距離ができてしまってたんじゃないかな。
だからこそ、弟さんが一人でなんとかしようと思って動いてたっていうところもあるんだろうと思うし、
繋がりがね、特に当時だったからこそ、誰からも干渉されることがなくて、
もう本当その途中で出てくる親戚の人ぐらいだったでしょうね。
おばちゃんもたぶん初めてまこちゃんに会ったみたいな感じだったから、
それも藤野さんが撮影を続けてた。
続けることで、お父さんとお母さんにとってもここの範囲だけは見せられる、
今、空気感だみたいなのがたぶん作られたのかな。
まこちゃんのお葬式のシーン、確かに家族層なのかわかんないけど、
母親でお父さんが挨拶されるときに、彼女連名の論文があるので入れようと思いますっておっしゃったとき、
本当になんていうか、外からはそう見られたかった。
最後までそのイメージで、これもう本当に、あれおばさんでしたっけ、
これそのものこれに尽きるねっておっしゃってましたけど、
実際はそこでいかばかりの貢献をされたのか、
その論文が本当にちゃんとしたものになっているのか、
それはもう全くわからないけど、
でもとにかく、そういう研究者としての道を歩んだっていう人として、
残したいっていう、見せたいっていう思いがものすごい。
最後まで最後までそれなんだなっていう。
それはそうですよね。
それはまこちさんの名誉を守るためでもあるけど、
やっぱりご自身の保身のためでもあったかもしれないけど。
やっぱりそこはお父さんの意地みたいなものを感じたし、
意地を張らなきゃいけないのもどうなんだろうっていうね、
それをさせてしまっているのは誰なんだろうってすごい考えちゃったな。
それがお父の生き甲斐だったのかなと思うんだけど、
でもそこが最後まで私はどうしても納得できなかったんです。
自分の中では落としきれなくて、
なんでって思っちゃうんですよ。
33:00
彼女の幸せが第一優先なんじゃないのって親なら思っちゃうんだけど、
でもいろんな立場の親さんがいるし、いろんな立場の人がいるから、
私はなんではある一人の意見でしかないのでっていう、
それがやっぱり今もまだ納得しきれてないというか、
受け入れられてない私もいるので、
だから占いとかすごくきっと純粋に好きだった子だったんですよね。
タロットカードみたいなのが棺にたくさん置いてあったりしてましたね。
なんかフーズフーにも載っているとかですね。
ページが写されたりするカットありましたよね。
私、北海道のいろんなお店が出ているところに
一人でお財布を持って物を買っているシーンがあるんですけど、
あれも綺麗な幸せになれるブレスレットとかを買っていて、
きっとこの人の本来の気持ちみたいなのが、
その医療とつながってから、
マコさんはどんな人だったのかな、みたいなのが見えるようになって、
すごい写真を撮っていたりとか、
分からないけど幸せだったな、
あの瞬間だけは幸せだったと思ってもらえているかな、
なんて考えながら見ていましたけど。
最初その一番冒頭で出てくる音声って、
あれでマコさんの?
そうそう、大きい声で。
最初は録音だけしたんですよね。
1983年だからそのくらい。
高校生の時ですかね、藤野さんが。
その時の発言って、
なんでお母さんを傷つけられなきゃいけないの、みたいなことを言っていたり、
分裂病があったの?分裂病って統合失調症の名称がね。
っていうのって、ちょっと私統合失調症の症状があまり理解していないんですけど、
多分自分が言われた言葉とかが妄想につながっているのかなとか、
お母さんに対して何かもしかしたら、
暴言吐いたりとかした時にお母さんに言われたこととかを再現しているのかなとかってちょっと思ったんですけど、
やっぱなんか、なんていうんですかね、
結局真子さん、統合失調症っていうのは、
少なくとも姉に関しては暴力を振るうことはありませんでした、
ということをおっしゃっていて藤野さんは。
それってやっぱりその後の家族の関わり合いもすごく大きかったんじゃないかなって。
36:02
これで逆に家族が暴力的な対応に出ると、
真子さん自身もやっぱりそういった行為をしてたと思うけど、
絶対ちょっとパニックになった時でも、
無理やり何かこう触って抑えたりとかっていうのは、
なんかカメラがあるからかもしれないけど、
なるべくしないようにしててご両親も。
ちょっと触りたいと、「触らないでー!」みたいなのが一瞬ありましたけど、
そこのあたりもすごくやっぱり家族の関わり合いがあって、
落ち着かれた部分もなくはないのかなってちょっと思ったりはしました。
どどならない、叩かない。
ご両親はずっと悟すように喋るんですよね。
だからといって何かが免罪されるわけじゃないかもしれないけど。
25年っていう歳月のあまりにも長くて、
もうちょっと早くなんとかならなかったのかって思うところもあるんだけれども、
あの家族だったからこそ25年持ったっていう、
医療と繋がらなくても25年過ごすことができたっていう捉え方もできるのかなと思ったりしていて、
やっぱりその映像、カメラを向けるっていうこともそうだけど、
家族の中に下地として愛情がないと絶対成り立たなかったと思うんですよね。
もっと早くに暴力沙汰、警察沙汰になって恐れがあって全然あったわけで、
そういう意味でもこの記録ってすごく貴重だったんじゃないかなと思いましたよね。
隠す南京城のシーン結構もう、うわーみたいな。
10ヶ月外に出てないみたいな話。
お母さんも出てないって言ってたからね。
そう言ってた。ずっとつき添っていたんだと思う。
何ヶ月もずっとね。だからお父さんだけなんですよね。
買い物でお父さんが外に出るだけで、
2人はもうずっと家の中でっていうね。
そういう時期もあったっていうことですよね。
糖腰腸症という病気が発症したあの段階の時に、
ものすごくその状態で外に出たり、その後もですけど、
出ることで周りからすごく冷たい目を向けられたりとか、
隠さねばならないものだったんだなっていうのは思って、
ご両親からして真子さんという存在は、
糖腰腸症になっちゃった真子さんの存在は、
両親からすると隠さないといけない。
それはでもいじめとか悪い思いで言ってるんじゃなくて、
真子さんのために隠さなきゃいけないっていう行為だったんだなと思って。
それもあってそうするしかなかったみたいなところがね。
あったんだろうけど。
ある意味社会に向けてのメッセージでもあったかもしれない。
39:03
こういう人たちが隠されない。
何にもだって悪いことしてないし。
本人ではどうしようもない部分、
コントロールできない部分で苦しんでるっていう。
何か社会としてもやはり手を差し伸べていかなければいけない、
一家族だったかなと思うんです。
だから隠されないことができるような環境だったら
少し変わっとったかも。
近所の人とか知らなかったと思うんですよね、何にも。
出てこないとやっぱりわからないね。
先見ないねぐらいだったかもしれないし。
でもあそこ研究所って書いてるしさ、
そこでやってるんだろうっていうイメージかもしれない。
世間からちょっと距離があったかなとも思いましたね、
社会とかそういうところからも。
でもそれこそ雑誌披露だったりとか、
精神病者っていうものを家の中で閉じ込めてよいみたいな、
それが合法化されてた時代って、
戦後もちょっと続いてて、
1900年にそういう法律ができて、
1950年にその法律がなくなるまでは
もうやってよいってことになってたわけですよね。
そこからそんなに時間も経ってないわけで、
最初のこの映画の音声の録音が撮られるのが1980年代なので、
30年ぐらいしか経ってないっていう中で、
あり得る選択肢の一つだったんだろうなっていう、
やがてそうやって鍵をかけて閉じ込めてしまうっていうのは。
背景としてそうするしかなかったっていう状況にまで追い込まれてたっていう、
ギリギリ残った家族の中での愛情で
なんとかやりくりするしかないっていう状況だったんじゃないかなっていう。
時代背景とか、
今ならここまで理解されてるけど、
昔ってゼロだったよねみたいな。
2008年に繋がったから良かったよねみたいなのも結果としてはあるのかあるのか。
25年の歳月を経てその間に
真子さんにあった薬ができてたのかもしれないし、
すぐに連れて行ったらうまく回復に繋がるようなことには
ならなかったかもしれないし。
間違ってる野郎とも言えないし、
正しかったとも言えない。
ずっと考え続けるなと思いました。
42:00
私このパンフレット、
みんなのコメント、各界からのコメントで、
映画監督の颯田和弘さんがコメント寄せてて、
要はホームビデオをそのまま切り張りしてるんで、
解釈を拒む奇妙で厳しい現実をそのままゴロッと差し出されたような映画である。
だからどう表していいのかわからない。
見た後しばらく呆然とするしかなかったって書いてみて、
颯田さんって観察映画っていうのを撮る、
ドキュメンタリーあたりの映画を撮られる監督さんで、
選挙とかっていう地方選挙に出たいわゆる放松感というか、
その後当選したのかな?
地方議員の新人の方が選挙戦をやる様子をずっとついてもらって、
それで日本の選挙制度の面白おかしさみたいなのを世に問うたって、
映画ですごく話題になって、そこから脚本も作らないし、
演出とかも当然一切しない。
ナレーションとかも全く入れないっていう映画スタイルで、
ゼロ年代ぐらいからずっと人気の作家さんなんですけど、
その颯田さんが、演出とか素材ゴロッとそのまま出す颯田さんが、
どう表していいのかわからないって言ってて、
でも颯田さんも精神疾患をテーマにした作品撮ってるなと思ったんですよ。
それが2008年ちょうど真子さんが医療につながった年の、
2008年に公開された精神っていう映画で、
私はその日にやるべきじゃなかったんですけど、
家でアマプラで2本目でそれを見て、
飲み会の後ですか?
前。
飲み会の前?
やって余計に、今日飲み会の気分じゃないかってなったんですけど、
岡山の精神病専門の、精神科専門の診療所があって、
おじいちゃん先生がやってるところで、
そこに通ってる患者さんたちをずっと追いかけたっていうやつで、
だから真子さんが2008年当時の医療につながった人たちが、
その後どうなるかっていうのをちょうどその映画で見れるんで、
これぜひ2本セットで見るといいなって思いました。
最近アマプラに入ったので見ます。
プライム会無料で見れるので。
私も入ってるので見ます。
でもしばらく呆然とするしかなかったって、
結構私そんな感じでした。終わってからの気持ち。
45:00
疲労感がすごい。
立ち上がれなくて結構私、いろんなショックがあって、
そしたらみんなゾロゾロゾロ返ってきて、
シネックスのお掃除番の人が来ちゃったから、
もう追って帰ったんですけど。
私も最後の一人になった。
やっぱりですよね、一人になっちゃった。
立ち上がったの、立ち上がって一番前の席に座って立ち上がったんだけど、
まずやったのが後ろに振り返って、
みんなどんな顔してるかを隠しました。
普段あんまりやらないんだけど、
これをどういうリアクションで受け止めるのかっていうのがすごい気になって、
やっぱり呆然と、
どうしたもんかねみたいな、なんとも言えない表情をして、
ちょっとうつむき加減な人もいたりとかして、
それぞれちょっと消化に時間がかかるんじゃないかなっていう、
具体的にどういう言葉を聞いたわけでもないんだけど、
ちょっと受け止めにね。
エンドロールが流れた後、確か車で多分トモくんが車でガーって行く時に、
孫ちゃんがこうやって手を振ってる、あのシーンがあるんですよ。
あのシーンの前に、もうエンドロール序盤ぐらいで、
私がいた会場はざわついたんですよ。
もう帰ろうとするぞみなさん。
映画好きな人が集うシネックスみたいなイメージがどうしてもあったので、
私個人的にですよ。
モレラ行かないとか、
なんかシネックスに来る人って、
映画がすごい好きな方とかのイメージだったから、
割と最後まで何かあるんではないかと見てる人の方が多いイメージだったけど、
なぜかものすごい帰ろうとする気配がものすごい今回はあって、
だからもう早くこの場から出たいっていうタイプですね。
そういう人もいたんじゃないかな。
あまりに居たくなかったっていうのは。
もう居られないぞここっていう。
っていう感じも私は若干感じたのと、
あったよね確かにそれ。
人数がちょっと少なかったので、
本当にそうかとはなかなか言い切れないけれど、
私は本当に最後に、
最後の最後でコナンくんが重要なことを言ったりするかもしれないからとか、
今の最後まで。
会場が悪くなるので諦めないタイプなんですけど。
結構ザーッとみんな帰ろうとしていて、
あの時、
なんかそう受け止めることすらちょっと難しいと思った人もいたかもしれませんね。
なんかそれぞれのやられ方っていうか、
私はちょうど2009年なんですけど、
2009年から10年引きこもってたんですよ。
大学2年生から3年生になる時。
学生団体の活動での人間関係とか、
勉強がうまくいってなかったこととかがあって、
48:03
もうある日起きたら体が動かなくなって、
でも食べるのもできないし、
すべての連絡を断っちゃって、
人間関係を断ち切って、
そこから引きこもりになって、
しばらく診療内科に通いながら、
半年くらいして少し元気が出てきて、
最初部屋から出るのも怖くて、
それは結局恥ずかしいっていうやつで、
学校に行けてないし、
自分がおかしくなってしまった自覚があって、
その時診療内科に行っても、
私はこれおかしいと思ってるんだけど、
絶対にこれが病気ですとか、
逆に病気じゃないですとかは絶対に言わないでください、
みたいな感じで先生に言って、
カウンセリングだけ通ってたんで、
精神疾患とかに自分がなったかもしれないとか、
精神疾患じゃないのに甘えで、
私は大学に行けてないのかもしれない、
どっちも社会的なスティグマをものすごい感じてて、
自分に差別意識があって、
それが全然認められなくて、
親からも同居してる家族や弟、
私も弟がいるんで、
友君にあたる弟からも、
学校行かないの?って言われるのがものすごい苦しくて、
部屋から出ないようにしてたんですけど、
でもうちの親は全く気にしない素振りをしてくれて、
最初は学校行かないの?みたいな不登校人感覚みたいな感じだったんですけど、
そのうち何も気にせずにいてくれたんで、
ちょっと部屋から出てみたり、
それこそその時、まだ蔦屋があったので、
その蔦屋に通って、
毎日DVD映画見て、
っていう感じで、
1年をなんとか乗り越えたことを、
この映画を見て思い出して、
当時はそのまま1,2年して、
すぐ就職活動だったんで、
なんで5年いたんですか?って
就職活動って聞かれるのがめちゃくちゃ怖くて、
やっぱりこれがバレたら私は、
メンタルが弱いやつとか、
病気持ちなやつだって思われるって、
勝手に自分で思ってて、
でも当時としても社会人でも、
適応障害になったりとかっていうのは、
全然職場が変わればあることじゃないですか。
でも私自身の中に、
すごくそれに対する差別意識があったなっていう。
でも周りの人が、
むしろそれを、
たぶん途中で親とかも、
その意識を捨てて、
支えてくれたんだなっていう、
親への感謝がわきました。
それでなんか、
結構記憶のフタが開けられました。
LINEしたんですけど。
わからんくったか、そういうか。
51:02
放送の中でもし、
写真の中で触れてくれたら、
見てみたいと思ったけど、そっか。
なんか、そうなんだよね。
映画の中でもやっぱり、
ご両親の恥じらいみたいなことって、
あったと思うんですけど、
恥じらいを持つっていうのは、
その対象に向けた、
自分自身の差別だったりもするっていうのは、
今の話からも思って。
私も引きこもりだったですよ。
浪人中学生でした。
高校出て、
大学全部滑ったから。
親にあんまり負担をかけたくないっていうので、
自宅で、
一人で勉強するっていうのを、
自分で選んだんだよね。
結局さ、家族以外と、
誰も繋がらなくなっちゃうわけじゃないか。
もう、メンタル的には落ちる一方ですよ。
大して外にも出ないからさ。
まずいなってなって、
半年くらいで諦めて、
予備校にそこから通い始めるんだよね。
予備校は予備校でさ、
人間関係が4月から始まっちゃってるから、
固まりきった中に一人放り込まれるわけよな。
余計に調子悪くなってきた。
集団にいるから、
家族の孤独ってありますよね。
勉強どころじゃないみたいな感じになっちゃって、
また全部滑っちゃうんだよね。
そのせいではないかもしれないけど、
やっぱり二郎目になって、
やっと同じ予備校に通い続けるんだけど、
予備校の中で、
一緒に勉強頑張ろう的な繋がりができて、
ちょっと持ち直していって、
やっと大学に入れたみたいな感じになったんだけど、
勉強ができるできないとかじゃなくて、
人との繋がりがあるかないかって、
すごい大きいんじゃないかなって。
そういう意味では、私も記憶の蓋が開いているし、
この作品見てね。
そうだったんですか。
本当にそういうサードプレイス的な場所があるだけで、
私の場合は直接人と触れ合ったわけじゃないけど、
でもやっぱりサードプレイス的な場所が徐々にできてきて、
心がちょっと楽になるっていうのがありますよね。
男の映画の中でも、
家族の中で、
いろいろ踏みとどまってはいったんだとは思うんだけど、
どこかまた違うところとの繋がりが持てなかったかなっていうのは、
ずっと思いながら見てましたね。
そうですね。
54:01
小学生別の期間というか、
本当誰でもよかったと思うんですよ。
今こういう状況で、
ちょっと大変なんだっていうことが、
お父さんお母さんも多分すごい一体だと思うんですけど、
そこが何か人と家族以外と繋がってきたら、
何か支援の手が少し早めに入ったのかもしれないし、
入らなかったかもしれないんだけど。
パンフレットにもありましたけど、
孫さんが病院に繋がってからで、
藤野さんが自家に戻って、
親の介護始まったくらいから、
プロデューサーの浅野さんも、
孫さんと繋がりを持って、
浅野さんのアジール的な喫茶店に、
一緒によく行ったとかって書いて、
そういうお茶仲間みたいなのとか、
みんなで行けるお店とかがあるだけでも、
違ったのかなと。
その分、藤野さんがなるべく家族で、
みんなで旅行に行こうって、
できる範囲での努力をされてたんやなって思いましたね。
孫さんも家族しかいない状態で、
だから、こんなこと考えてもしょうがないんですけど、
60ちょっとの人生だったわけですけど、
おってたんかなとか、
やっぱり孫さんのことを
ちゃんと考えてしまうなと思いました。
それだけが巨大な空白として残るね。
男子中小の間って言って、
自分が今つらいんや、苦しいんやってことは、
なかなか言えないし、
分かんなくなっちゃってたりするわけだから、
薬が入って急に、
私これ切ってもいいんですけど、
急に年齢層になったと思いません?
薬が入った瞬間。
ずっと変わらないなって思って見てたんですよ。
少女のように。
見てたけど、
中高年の女性になったなって。
なったなって思って。
感じはありましたね。
時間の経過はもちろんあると思うんだけど、
見てる限りは、
一回ね、警察に
警察呼んじゃったりしたこともあったけど、
手振ったり、ピースしたりすることが
57:02
すごく増えたじゃないですか。
ポーズとってね。
かわいかったね。
あの瞬間の私の嬉しさ、半端じゃないですか。
そういうチャーミングなシーンが
結構あるんですよ。
増えてったんですよ。
私、朝ごはん担当が
最高だったんですよ。
もう一回パンして時計見たら、
早起きやから。
しかももうちょっと食べてるし。
そうだね。
写真を撮るよって病気の時に
何回か言われてて、
ビデオ撮ってることも
わかってるんだけど、
ピースどころか、
笑顔も浮かばないし、
こっち見ないこととかもすごかったのに、
ピースしてることが
すごい嬉しかったというか、
そういう風に思ったんですよね。
変なポーズ撮ってもいいじゃないかと。
すごく嬉しくて、
その時が。
確かにその、
何だろう、
多分これだな。
真子さんが何をしたかったのか
っていうのを
本当に聞けてたのかな。
藤野さんも、
いつも親が先へ先へ
道を用意しようとするから
ダメなんだよっておっしゃってましたけど、
お父さんとお母さんは、
この子、真子ちゃんは
占いがすごい好きでねとかって、
いろんなことさせてあげたって
おっしゃってたけど、
本当になんか、
本当の意味で
何がしたかったのかっていうのって、
どこまで
話を対話をしてたんだろう
っていうのはちょっと思いましたね。
やらせていろんな経験
させてあげるよ、でも行き先は
決まってるよって感じだった。
これをするなら、これしていいよ
みたいなのがあって。
医療とか
医師になる、
研究者になるという道は
ある。それしかないけど、
いろいろさせてあげたんだけどね
っていう
言葉の
反対側というか。
真子ちゃんの思ってることを
ちゃんと聞いて、
代弁してくれるもう一人の人がいれば、
もう少し
真子ちゃんの思いも
伝わったのかなと。
原因が
絡み合って
これになっているから
それを突き詰めれば
子育ての方法が間違ってたんじゃないの
とかいう話も出てくるし、
1:00:01
親の対応どうだったらという話も出てくるし、
ぐーちゃーっとしていろんな
現状が絡み合っているから
確かに簡単に
答えは合っていない
とは思うけど
これが正解だったと
思いたいみたいな
ところっていうかね
思うしかないみたいな部分もあるんだろうけど
ただ本当は
いろんな人がいろんな選択肢の中で
本人の意志でもっと
選び取れることが大事だよね
っていうのは思うし、
それはなかなか当時では
難しかったんだろうと思うんだけど
今これからは違うんじゃないかな
っていうのも思うし
これは僕の家族の
失敗例です
みたいなことを言ってますよね
なんかこういう状況が
起こらないようにというか
繰り返されない
世の中になって
時代背景もどうしてもあるので
父親の意見が
優先されるとか
あるから
本当に誰も責められない
んですけど
なんかこう最近
入社して10年ちょっと
12年前に入ったんですけど
生きるのって
辛いなって思うことが
増えてて
っていうのは
なんかこう
取材するじゃないですか
問題を
例えばこの件も
究極のプライバシーの話だけど
公益性があるということで
報道とか
ドキュメンタリーの制作
みたいな話になりますけど
これを作品として
出そうと思った時に
それこそ新聞ぐらいの分量で
切り取ろうとすると
本当にそういう一面的な
機能不全家族
みたいなこととか
雑誌切ろうとの
安易な紐付けみたいな
短髪記事で
終わる可能性があるけど
長期的に見ていくことによって
様々な複合的な
問題と
事情が絡み合ってて
一つの物事ができている
ということは
長期的に関わり続けると
見えてくるから
やっぱりそれは取材を
し続ける必要があると思うんですよね
だからこそ藤野さんは
家族だったからっていう事情はあるけど
やっぱり
映像作家として
責任としてずっと
最初は記録に
収めるというとこだけが目的だったと思うけど
でもやっぱり
最後まで
例えば真子ちゃんが自分のこと
統合失調症だって認識してなかったとか
いうことを
配慮してやっぱり亡くなった後に
1:03:00
一つの
取材する側の責任
を最大限に
持って
取り組んでるなって思うし
自分も
やっぱり継続して
追いかけないといけないな
って思うことが
歴を積めば積むほど
増えていく
増えていく
でも
全ての方に
責任を
全力で持ち続けられない
っていう
ジレンマとでも
交わりたいなっていう
すごい生きるのって
責任が
生きるのかな
責任が伴って
辛いけど
それはやらなきゃいけないことだな
っていうのをすごい感じてて
こうやってセルフドキュメンタリー
に近いじゃないですか
今ちょうど
同じセルフドキュメンタリーで全然
ジャンル違うけど
伊藤しおりさんのブラックボックスダイアリーズ
がすごい話題じゃないですか
あれも
プライバシーと
公益性の
天秤っていうことで
議論されることが多いけど
一つこの
責任みたいな
どこまで責任を追い続けられるか
っていうことっていう目線で
この映画とあの映画を
比べながら見ても
今度はその2本だけが
できるといいなと
今の課題をクリアして
あの映画が
上映される日が国内で
来るといいなってすごい願っているんですけど
本当に背負うものが
増えていくなっていうのはね
すごく共感するし
なんか
いろんな社会課題が
あってそれぞれに
やっぱ困ってる人だったりとか
抱えっぱなしの人も破裂しそうな人って
いるけれど
なんかその
なんとかその解決の
道筋との間に
自分たちが入れないかなっていう
メディアっていう言葉自体が
その間にあるみたいな意味合いが
あるじゃないですか
いろんなものとものをつなぐその間に
入っていろんなものを伝えてきた
歴史があると思うんだけど
なんかその社会課題に
関して言うとまだまだそれが
行き届いてない部分ってあるなと思ってて
精神疾患
もなんかそれを感じる部分
というかねそれは変わってきた部分ももちろん
あるにせよまだまだやっぱ苦しんでる人
いるはずで
なかなか背負うのって苦しい
けどなんかそれを
やっていく責務
というかねなんかそういう
立場に自分たちってあるなとも
思っていて
だからまだまだ
苦しいと思いつつも
抱え足りないと思っている
部分もあるというか
だからどんどんねなかなか
単発記事で書くのって
1:06:00
ほんと難しいなって思うので
なんかついつい連載にしちゃうん
ですけど
今ちょっと貧困とかね
生活保護のことで
たまたまそのテーマでやってますけど
まだまだねちょっといろんなことほんとはやりたいな
とは
でも本当にしゅんすけさんそれ体現されてると
思うから
なんかその一種の希望
というか私の中では
大丈夫だっていう
しゅんすけさんも
やってるしなんとかなるって
思えてますね
どんどんやっていきたいよね
なんかもう本当にそれは
思う
もちろんその日々のニュース
伝えていく
その責任はあると思うんだけど
なかなかその日々の
間々に
こぼれ落ちがちなテーマって
あるなと思うし
こうやって形になったものを見ると
すごく刺激を受けるなって思いますね
本当にそうですね
25年間って
やばくないですか
やばいですね
その間にいろんなね仕事で作品
作ってるんですよ
しながらですかね
ずっと撮り続けるやり続ける
でも
2025年どこじゃないですよね
30年とか
それぐらい
すごいね
病院に
亡くなるまでとかね
お父ちゃんにいいかって
問いただすまでだから
すごく長い時間
撮ってて
なんか
刺激は
ちょっともうそんな
刺激とかいう話では
私はなかったんですけど
そんなこと言えない
そんなこと言えない
それで言われるとちょっと恥ずかしくなる
私ラベルだったもん
本当におこがましい
やったけど
私たち新聞は文字で伝えるから
基本的にはどうしても
あれなんですけど
映像の力みたいなものは
ちょっと見せつけられたなという感じが
しました
なんか
文字って読まなきゃいけないのは
そうだしもちろん
説明は文字はできるんですけど
映像の
空気感とか
あの撮り方とか
映像作品
よくテレビさんとかと現場で一緒になるんですけど
映像作品の
もちろん私たちには
私たちの強みがあると思ってるんだけど
映像作品のすごさみたいな
ところをすごく
感じたな
と思って
確かにこれを
短髪の記事で書けてた
私
どこをどう切り取って
簡単にしちゃうよね
そんな気がする
ですよね
どんな社会課題に出会ってもそうだけど
1:09:00
やっぱり一言じゃないなってのはすごく思う
この作品見てもそうだったけど
そうですね
たぶんこのパターンに
誰がなってもおかしくないのかもしれない
これからなるかもしれない
そうなるかもしれない
ご近所さんの
お隣の家庭が実は何かそういう家庭の問題
抱えてるかもしれないし
本当にこの
どうすればよかったかっていうタイトルは
監督の自問でもあるんだろうけど
やっぱり見る人
全てに向けられてる言葉でもあると思うし
あの
私たちは
受け取った一人でもあるわけだけど
たまたま
報道関係という仕事をしているわけだから
それをね
どうじゃ
自分たちの仕事に落とし込んでいくか
みたいなところが考えていけるといいな
っていうのは
いやぁ
止まんないですね
止まんないな
最後に言いたいことがあればどうぞ
言い忘れたことない
ないですか?
大丈夫ですか?
1時間以上撮ってる?
全然止まんないんだけどすごいな
予想してた
何か言いたいことないですか?
でも何か
より良く生きたいなと思ったんです私は
本当に
その時正解かは分からないけど
ただ
何ていうか
より良い自分でありたいなと
周りの人に優しくして
何か
思いやりを持って過ごしたいな
すごい当たり前なことを
思いました
当たり前ができてないからこそ
ギスギスした
今の社会があるんだと思うんだよ
ほんとさ
Xとか見ててイライラすんじゃん
何でこんなことで起こらないといけないんだろう
そんなこと投げつけなくてもいいだろう
色々思うんだけど
ねえ
もっとお互い思いやって
生きていけるといいよな
そういう社会にしなきゃなっていうのは
すごく思うし
色んな人と人の間に入る
仕事をしてるからこそ
何かその社会に向けて
できることをやっていけるといいな
っていう覚悟を伝えることで
そうですね
しまった
ありがとうございました
またやろう
やったいこれ
楽しい
よかった
嬉しい
すっきりした本当に
苦しい
見た後
夫に一方的に喋ろうか
めっちゃ迷ったんですけど
簡単に口に出せん
なと思って
早くボッドキャスト撮って
すっきり出して
出し切りたいと思ってたんで
よかったです
あと私ちょっと映画にすごく
うとくて
1:12:00
ドルダイソーさんせっかく来なかった
しんちゃんしか見てこなかった人間なんですけど
よしいろいろ
じゃあまず相田一博さんの精神
精神やろう
あれ結構ライトで面白いですよ
でも出てくる人は警察官通報の
連載に出てくる
方々ではありますが
選挙のやつ
気になりました
あれどうかな今
見れるかな
あとなんかドキュメンタリーって
ちょっとどうしても
とっつきにくさがったんですけど
もっと
見ようと思って
クリオしんちゃんの世界から
出たいな
でもこれ帰り道に
クリオしんちゃん見たいなと思った
ちょっと心を
違う世界に一旦飛ばしたいな
って内心思って
帰ったら
すごい夫がクリオしんちゃん見てて
泣きながらクリオしんちゃん見て
夫婦やな
すごいこう
なんだろうな
しんちゃんの一回あったかさに
助けてもらって
うまいことご飯食べながら
紹介したんですけど
もうちょっと見たいですね
ドキュメンタリーちゃんと
交互に見たらいいんじゃない
辛くなったらしんちゃんに
解き放つみたいな
の繰り返し
しんちゃんもね
名作ありますからね
映画のしんちゃんいいですよね
ドラえもん見たりとか
コマン君見たりとか
したらちょっと心に
余裕ができたら一本
それぐらいのスパン
映画私結構
一日何本も見る人って
すごいなと思っとって
心が落ち着かなくて私
これ見たらもう
ピューって感じ
なんでみんな歩けるのよ
って思って
いい経験で
またいい機会でした
映画部にする
映画部やりましょう
やりましょう
次じゃあ
精神
精神でいきますか
すごいな
精神ゼロもあるんでね
どこですか
精神ゼロは
そのおじいちゃん先生が
引退した後の
ラブストーリーだって聞いてます
楽しそう
ちょっと待って
いきますか
引き続き
映画部もやってまいりましょうということで
今こんなところですかね
ここまでお送りしてまいりましたのは
岐阜新聞社報道部の山田俊介と
坂井萌花と
大賀ゆき子でした