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ライフトラベラーカフェ
ライフトラベラーカフェへようこそ。マツダミヒロです。
若奈です。
さて、今回もバルセロナに来ていますが、
バルセロナといえば、スペイン語です。
カタルーニャ語です。言えません。
カタルーニャ?
カタルーニャ語って、ちょっとわかんないね。
わかんないというか、どれが、スペイン語がよくわかんないから。
バスクのほうに行くとさ、またバスク語が入ってくるじゃない?
スペイン語だけど、バスク語が入ってきて。
マドリッドに行くとスペイン語だから、
またカタルーニャ語とは違う言語になるわけじゃない?
難しいよね。
でも、山形弁で、小内と北間弁も違うからね。
そういう感覚なのかもね。
同じ県の中でも、
言葉がだいぶ違うよね。
だいぶ違う。単語も違うしね。
だから、そういう感覚なんだろうね。
で、そう、マドリッドに行ったときに、
本当に英語が通じなくて、
お店の人とのちょっとした会話も、
全然なんかうまくできなくて、
で、一生懸命ほら、お店の人もさ、話しかけてくれるじゃない?
スペイン語でね。
でも、本当に分からなかったんだよね。
そうなんだよ。
どこに行っても英語ぐらいは通じるかなと思っていたんだけど、
スペインの首都だからさ。
で、今日お寿司屋さんに行きたいと思って、
お寿司屋さんに、英語で予約できますかって聞いたら、
全く何言ってるか分からないみたいなことをスペイン語で言われて、
カチャって切られた。
これは今日はどうしようと思って、
結局、iPhoneのGoogle翻訳でスペイン語にして、
ボタンを押すとスペイン人がしゃべるのよ、iPhoneで。
スペイン人か分かんないけど。
スペイン人でしょ?
そうだね。
スペイン人がしゃべるんだけど、
それは電話越しで押して予約できた。
よく予約できた。
っていうぐらい、全く歯が立たなかったんだよね、スペイン語ね。
でもなんか、スペイン語って言うと、
日本人の私たち、私たちだけかもしれないけど、
外国語の、たとえばイタリア語、フランス語とか、
そういう感覚じゃない?
で、スペイン語みたいな感じだったね。
やっぱり、日本語の母国語の次は、
やっぱり英語は絶対覚えておいた方がいいよね。
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で、次の第三外国語は、
じゃあ、どれ選んでもいいよね、みたいな、
そういう感覚で捉えていたんだけど、
そこスペイン、スペイン語って、世界の、
なんか、世界のというかね、5億8千万人いるんだって。
そうなんだよ、世界で話す人がね。
10億人中、1割ぐらいか、だから。
だって、南米もスペイン語、
ちょっと多少それぞれ地域によって違うにしても、
スペイン語、
で、アメリカもスペイン、スパニッシュの人がいっぱいいるから、
スペイン語話せたらすごく喜ばれるって言ってたし、
そうよね、こっちもスペイン語だし、
スペイン語を学んだほうがいいんじゃないかって思えたんだよね。
スペイン語で本出したい。
夢は大きいね。
ぐらい、なんかね、新しいその、なんていうかな、感覚?
この世界に出てみたからこそ、
なんか今、その世界の人たちとつながっていくうえで、
何を学んだほうがいいのかとか、
なんかそういうところの新しい視点が得られたなと思って。
そうだね、今回ほどちょっとスペイン語話せたほうがいいなと思ったことはないね。
簡単な言葉でいいから。
簡単な言葉でもいいんだけど、本当に、
なんていうの、数を数えるものから全部違うし、
全部こう、英語と少し似てるとかじゃないのね。
全然違うと思う。
そうだよね。
ということで、スペイン語教室に通いたいと思います。
嘘つけ。
通いたいと思います。
さて、今回は引き続き、ジョーさんの回ですね。
先週からまだ反響も大きくてですね、
あの後どんな話になったのかという、
2人の声もあるわけなんですが、
でも、より人の本質みたいなところの話が聞けるんじゃないかな。
そしてジョーさんの温かさというか愛というか、
なんかそんなところに触れられるのではないかと思います。
はい、ということでジョーさんに会いに行っていきたいと思います。
その写真を撮り始めたのはいつからか?
撮り始めたのは高校生ぐらいで、
使い捨てカメラでお菓子とか撮ってたんですけど、
まだその頃って自分には才能が何もないって思ってたから、
カメラ撮るのは好きだったけど、
自分が何か特別な才能があってっていう感じで撮ってなかったし、
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自分に期待なんか何もしてなかったから。
ということは、高校生の方もそうじゃないですか。
今は撮ることで役立ってるなっていうのは少し悪くないですか。
その時から今の気持ちにシフトした出来事とかはどういうのがあったんですか。
自分なんてって思うところから、
やっぱり仕事ですね。
意外と独立するのが早くて、下積み2年しかやってないんですよ。
それで仕事でボンボンボンと行った時に、
仕事の依頼が来るってことはそれなりに必要とされてるのかなっていう。
本当にそれぐらいの自分の価値が低かったので、
やっと自分は人と同等の価値を持ったのかもしれないっていう感じです。
お仕事をいただく中で、自分の自己肯定感が上がってきたという感じですか。
そうですね。
自分には才能がなかった、何もないと思ってたから、
それを最初に見出してくれた人がいて、
僕の中で第二の人生の恩人なんですけど、
もう二方第三の人生なんですよ、本当に。
その方もカメラマンですか。
その人はライターさんで、今は雑誌とか、
それこそアムロさんとか原さとみさんとか、
雑誌の最初のインタビューページとかやって活躍されてる方なんですけど、
その当時はまだね、本当にアルバイトのライターさんで、
しかも僕16歳で、向こう18歳で、
初めて、クラブってどういうもんだろうって、
初めてその16歳の時に友達に連れられて、行った時に声かけられて、
そこが最初の出会いだったんですよ。
だから本当に、それ以来、絶対クラブって面白くないよって。
何すればいいんだろうっていう感じだった。
そこで出会いが?
出会いがあって、そこからセブンティーンっていう雑誌があって、
そこの読者モデルっていうのじゃないんですけど、
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モデルの彼氏役みたいなのとか、
東海道線沿いの高校生ランキングとかっていうページがあって、
そこにたまに出てて、
それで、卒業した後5年間ぐらい、
何も温真普通じゃないけど、それぞれの。
俺、サラリーマンになってたんですけど、大学卒業してから。
仕事し始めて、3ヶ月ぐらいでもう辛いなと思ってた時に、
たまたままた再会して、
サラリーマン辛くてさ、どうしようと思って、
就職したはいいけどどうしようって言って、
その時、インドはもうすでに5回ぐらい行ってて、
その時の写真を見せたら、カメラマンなればって言ってくださって。
で、そこからサラリーマンやりながら土日カメラマンのアシスタントをやって、
そこから2年後に独立していきます。
ということは、2年間は就職してたの?
やりたいかどうかっていう期間が半年あって、
それは平日サラリーマンで、土日カメラマンアシスタント。
それは半年ぐらい。
それでこの仕事は面白いって思って、もうそれで辞めますって言って、
カメラマン、すっごい辛いんですけど、
奴隷のような日々なんですけど、休みの日もないし、寝る時間もないっていう感じなんですけど、
それで2年間やって、デビューのきっかけも話した。
これもなんかすごい偶然というか、面白い話なんですけど、
今でこそ有名な女優さんで、テイクラナーチャンって言うんですけど、
当時セブンティーンのトップモデルで、僕アシスタントだったんです。
独立をする前に営業しなきゃいけないから、写真を撮らなきゃいけないんですよ、自分の作品。
ナナちゃんがすごい好きで、笑顔がすごいパートしてて、すごい好きで、
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それでちょうど収益者のスタジオに行った時にたまたま行って、
ちょっとちょっと個人的に撮らせてくれないって言った作品がきっかけで、109のブランドの広告の1年間レジュラーが来ました。
そこからトントン、結構トントントンと来ました。
今もちょっと撮らせてって言ったのが、スタートの始まりっていうか、
それは、その時はどういう関係性だったんですか?
ただの仕事仲間でしょ?
仕事仲間です。
で、アシスタントで、俺はダメアシスタントなんで、本当に怒られてばっかり。
向こうは別に高校生で、14歳、中学生でしょ。
中学生で、北海道ロケとか行ったら、モデルとかも子守りじゃないですけど、
面倒見言ったら怒らせるんですけど、じゃあ面倒見といて。そういう感じですね。
なるほどね。
でもその写真を撮る時に、この写真で俺はブレイクしてやるとか、そういうのはなかったわけでしょ?
この、ナアちゃんを撮って、もう本当に作品を作んなきゃいけない。
じゃあモデル誰使うって言ったら、俺ナアちゃんすごい好きだからって思って、声かけただけです。
本当に素直だね。最初の写真家になれば、カメラマンになればって言われて、
で、そのまま半年間は本当にそれになりたいかどうか分からない。
ながらも土日カメラマンのアシスタントにするについてやってたりとか、すごい素直だなって。
当時そんなに有名じゃなかったので、まだ中学生。
結構カメラマン業界だと、白人のモデルを使って格好良くファッションでとかっていうのが主流だったので、
そこで日本人のモデルを使ってっていうのは、あんまりみんなやらなかったんですけど、
本当に個人的に可愛いなって思ってたんで。
でもファッションって何?っていうのを理解してなかったんで。
自分が撮りたいようなものを撮ってて。
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そこが大事だね。自分のやりたいことをただ素直にやるという作品作り。
だから本当にその人の良さが見えるんだろうね。
ファッションって言われても意外と分からないっていうか、何なんだろうって思ってるときに違って。
広告とか今、街中の広告見たら分かると思うんですけど、
結構ハイブランドとかのモデルの表情とかを見てると、
ああ、じゃあそういうモデルの眼差しを自分は受けたいかって言われたときに、
そんなに何か良い表情してるかっていうのがあって。
そこは結構疑問だったんですよ。
一般的にはそれが主流で、ファッションモードで流行だからっていうのは去っておき、
それがすごい見つめられたいなっていうものなのかって言われたときに、
すごい自分の中で疑問だった。
よく分からないから、とりあえず自分が好きなものを撮っておこうと。
なるほどね。面白いですね。
それは何年までしてるんですかね?
これも実は、お父さんが60年くらいヨーロッパに住んでて、
事故って日本の老人ホームに入ってたんですよ。
すごい自由な生き方をしてきて、
すごい自由な人生で、最後人の人生をこうやって老人ホームで隔離されて、
まだピンピンしてるんです。ピンピンっていうか、全然意識はっきりしてるし、
全然歩ける、杖ついてますけど、歩ける状態で、その老人ホームに入って、
それを見たときに、人の人生がそうやって終わっていくっていうのが、
老人ホームのあったりにしたときに、
しかも自分の第一の人生の老人なんで、
見て見ぬふりができなくて、
自分の仕事が忙しいからって言って、
父さん、たまに会いに行くからね、だけで済ませたくなかった。
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これは犠牲だと思ってないんですけど、
自分をこの世に生んでくれた親への感謝だと思って、
母親はハンガリー人なので、ハンガリーに住んでるんですよ。
また施設に入ってて動けないんです。
だからなんか、もうお父さんとお母さん、二度と会えないっていう状態だったんですよ。
もう二度と会えない、生きたまま二度と会えない夫婦、同夫婦がいて、
自分の親で、自分が好きな仕事をしてて、
自分だけハッピーで、
両親があんまり幸せじゃないのに、
自分だけ幸せ感じて生きてられないっていうので、
日本にある仕事を全部切って、
お父さんを連れてヨーロッパに移住することを決意したんですけど、
でもヨーロッパのハンガリーはちょっときつかったです。
正直、気候とか、ハンガリー語できないし。
フランス語は英語だったらいけるんで、
5つくらいチョイスがあったんです、最初。
やっぱり天気いいとこがいい。
海近くって、日本だと鎌倉住んでたんで、
海あって山あって、ちょっと都心から近くて、みたいなところを探してたんですけど、
そしたらバルセロナ。
昔撮影で行ったことあって、すごいいい街だなと思ってたんで、
それでバルセロナに移住して、飛行機で2時間くらい母親に会いに行けるし、
そしたらお父さんもヨーロッパに住めるし、
空いた時間に一緒に旅行できるし、
っていう感じで移住しました。
素敵だね。
日本でたくさん仕事があったときに、それを手放して行くっていうのは、
すぱっと決められたものですか?
うん。見てられなかったっていうのがあって、
でもこれは犠牲じゃないの、ギリギリだと思ってて、
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これ以上できない。これ以上できないけど、犠牲ではない。
って思ってるんで、
自分の親が生きてる間に、
自分のできる限りのことをしてあげられてるかなって思ってます。
いつも本当に大切なこととか、
大事な人への気持ちとか思いを軸に生きてらっしゃるんですね。
なんかかっこよく聞こえるけど、言葉にするとかっこよく聞こえるけど、
そうですね。
とてもシンプルに話を始めました。
人としてとてもシンプル。
根底が、自分はあんまり自信を持って育ってこなかったんで、
自信を持てるためには、人にしてあげられることを常に、
それがなんか、小敷だろうと、
知らない人だろうと、知ってる人だろうと、仲良い人だろうと、芸能人だろうと、
ひっくるめて自分ができることっていうことにフォーカスして、
描いた結果かなと思っています。
うんうん。
面白い。
いい話だった。
バルセロナでお会いしたときは、そういう話はね、
しなかったですね。
話す時間がなかったけれども。
こういう突っ込んだ話を、普段あんまりしないんで、
悩みあるとかって言われるんですよ。
へー。
なんかすごいいつも楽しそうで、悩みとかなさそうみたいな感じで見られるんですよ。
うん。
で、なんか冗談ばっかり言って。
うん。
だから、まあそれはそれで、まあどう思われてもいいんですけど。
うん。
ああ、そう見えるのかなと。
ははは。
そんなふうに言われているんだ。
へー。
その日本での生活と、バルセロナに移ってからの生活ってどんなふうに変わったんですか?
えっと、まあ仕事を切ってて、向こうでできる、向こうにいる島田純子さんっていうデザイナーさんいるんですけど。
うん。
よく仕事をしていて。
うん。
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つながりだったり、パリにも住んでたっていうのがあって。
うん。
で、なんか向こうにいるつながりのお仕事をして、って感じですね。
うん。
ライフスタイル的なところは?
ライフスタイルは、はい?
ライフスタイルですか。
じゃあ、どんな毎日なのかな?
はい。
日本に近い雰囲気のヨーロッパ版みたいなところに住んでて、海沿いなんですけど。
うん。
基本的に出歩かないです、夜は。
おー。
のみに出歩くことは、誘われない。
自分から誘うことはないんであんまり。
うんうん。
あのー、のみに誘われたらいきますけど。
うん。
海の波あるときはサーフィンをしたりとか、かっこよく聞こえるけど、別に。
海で遊んだりとか。
うん。
山登りしたりとか。
うん。
で、意外と浄波とかが安くて。
へー。
すごい癒されるんですよ。
浄波?
浄波して森の中を散策したりとか。
素敵だねー。
すごい安いんですよ、意外と。
へー。
すごい良いんですよ。
あと、ものづくりですね。
例えば?
例えば、
向こう行ってから、
動画をすごい挑戦していて。
へー。
最初、どうなるかわからないから。
自作自演で。
ははは。
しかも、自分の声って
自分で聞くとちょっと
なんか違和感あるじゃないですか。
なるべく喋らないように。
ナレーションだけ。
ナレーションだけちょっと
入れて、
自分が
伝えたいことを
ストーリーを作って。
うん。
とか、
そういう
ものづくりをしてます。
へー。
じゃあ、ストックといろいろ繋がるというよりも、
自分の
世界で
そうですね。
そういう話をやっている。
へー。
それも良い環境。
良いですね。
メッセージ性があるのが
やっぱり好きで。
本当は
どうなの、これみたいな。
うん。
意外とヨーロッパの人じゃ、
ヨーロッパの人が日本人よりも
自分が分かっているのかって言ったら、
実際は
そうでもないかもっていう
思いがあって、
っていうのも
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一番先進国の
その欧米の文化だったら、
先進国
なんだから、
街中にいる人がすごい幸せそうで、
ハッピーで、
っていう顔が
見えてもいいはずなのに、
そうじゃない。
インドとか行った方が、
アフリカとか行った方が、
すごいハッピーな
表情が見られる
っていうことを
考えると、
じゃあどこかで何かを履き違えているんじゃないかな
っていう
その
僕は
ベルギーで育っているので、
そういう
目の当たりにしてきている。
それで
じゃあ
こういうトピックだったら、
なんだろう
例えば
向こうで今
よく話されるのが
じゃあ女性とは何か
とか
男性と女性の
性差別みたいなのを
なくそうっていう運動が
すごいあったりするんですけど、
そもそもじゃあ
女性らしさ、男性らしさ
っていうところって
履き違えられているんじゃないかな
とか
この前
よく議論するんですけど
人間は動物じゃない
人間は人間で
動物とはきっぱりとした境界線がある
いやいやいや
そんなことはない
俺はそんなことはないって
言って
議論するんですよ
じゃあ
ネズミと
人間の子を
待望して
一個一個部位を取っていって
じゃあ
ネズミ
なくて
人間にあるものって
何か出てくるかって言ったら
何も出てこないんじゃないかって
そしたらジョーは考え方がおかしい
とか
いやいやいや
そんなことないでしょ
同じ哺乳類なんで
そういう
いろいろ分かってるようで
分かってなかったりする
分かってたらもっとハッピーで
いいな顔してて
いいと思うのに
それがそうじゃないか
それが答えなんじゃないかな
これからは何か
こんなことやっていきたいとかありますか
やっぱり
そういうことを
自分らしい表現で
伝えていきたい
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って思っています
最初に
三浦さんと
2回目か
2回目に
会った時に
本を作りたいみたいな
話をして
そういう
もうすぐ
オリンピックだから
日本人が
外国人に対して
ひけ目を取らないように
別等感を感じない
ようなこととか
書けたらいいなと
やっぱり
負けちゃいけない
日本人は
すごい深くて長い歴史が
文化があるから
国際社会に
適応しながらも
ちゃんと自分たちの
アイデンティティを
残しとくっていうことは
すごい
そうあってほしい
って思ってます
僕はハーフなので
どんなに
夢見て
日本人になりたいって思っても
なれないから
せめて
純潔の日本人たちが
自分のアイデンティティに
誇りを持って
国際社会に
立ち向かえる能力が
あればいいな
っていう本が作ればいいな
そういう
例えば
写真は引き続き
もちろん
それはそうです
それはもう
生き甲斐です
いいね
生き甲斐
素敵だね
いい話だったね
深い話でしたよ
さて
かぶりましたが
今回の
お話の中でみひが
気になった点はどこですか
今まさにというか
うちの父親が
ずっと46年間
やってきたお寿司屋さんを
辞めて
引退して
僕としてはこれから
好きな道を歩んでいけるのかな
と思ったところに
いろんな体の不調だったり病気だったり
みんな見つかって
人生これからもう終わりなのか
それともまた
楽しんでいけるのか
33:00
っていうような
タイミングにあるんですけど
なので自分と重ね合って
聞いてしまったんですが
親のために
僕ができることは
何かなっていうのは
考えてずっと
関わってきたんだけど
でも
今は
距離を思いっきり
縮めようとしていなくて
親の決断に
委ねて
付き合っていこうかなと思ってるんだけど
じょうさんの話を聞くと
それでいいのかどうか
っていうのもまた
考えてしまう
聞いてる皆さんも
まだ
ご両親が
元気だったり
すると思うので
そういう視点で
考えたり聞いてみると
どのような
選択を
もしくは関わり合いをしていくといいのかな
っていうのを聞くようになったんじゃないかな
と思うんですが
じょうさんが
羨ましいとは変だけど
尊敬するというか
なという気がしました
でも両親の件で
悩んでいたり
自分を生きることと
家族
両親を含めてね
のお世話しなくちゃいけない立場だったり
とか
そういう状況にあるときって
ものすごく葛藤があるじゃないですか
そうだね
私自身は両親が
どちらも亡くなっているんですけれども
でもやっぱり亡くなるときは
二人ともやっぱりそれぞれ
大病だったので
そのお世話であったりとか
私が一人っ子ということもあって
そこで自分を生きることとの
狭間で
ものすごく
心が裂かれるような
こともたくさんあるし
だからその中で
自分が
ハッピーで
悔いがない
ことを
両親に対しても
やっていくというところの
道を探すというのは
難しいよね
難しいね正解がないからね
正解がないからこそ自分にとってみたいな
ところが
自分の生き方が現れるという感じですかね
はい岡田さんはどこが
うん
ちょっとそこの話につながると思うんだけど
そのジョーさんが
お話ししていた
フレーズの中に
ここまでやったら
犠牲
36:00
これ以上やったらね
犠牲になるけどその手前で
ギリギリのところで
やるっていうところがね
なんかすごく心に残っていて
なんて言うんだろう
やっぱり愛する両親だし
もう自分を産み育ててくれた
かけがえのない両親であるから
両親に対しての
愛というかね
思い
御恩返し
それはやっぱり悔いがないように
一生懸命やりたいけれども
やっぱり自分という人生があって
もう既に自分という人生が進んでいて
動いている中で
やっぱり
どう折り合いをつけていくか
っていうところの答えが
まさにそこにある気がして
自分にとっての
ギリギリの境目
犠牲とそうじゃないところの
境目っていうのを探していくことが
それぞれの課題だと
思うんだけれども
悔いなくやりたい
けれども自分もしっかり
生きたいってなった時に
犠牲じゃないギリギリ
もう一生懸命
できないけど
でも今やっていることは
全部その罪悪感とか
犠牲からではなく
本心というかね
やるみたいな
その感覚をうまく
言葉に表してくださったなと思って
なるほどね
とても感銘を受けました
このラインは
見つけるの
難しいけど
これはでも
その意識を持って
関わることが大事なんだろう
そうだね
でもやっぱり自分にとってどうなのか
っていうところを大切にしていくことが
すごく大事だなと思います
ということで
今日の質問は
どのように恩返ししたいですか
これは
ジョさんがね
自分を産んでくれたからこそ恩返ししたいな
っていうエピソードがあったから
一応両親に
インタビューの中では
あったんですが
両親に対してでもいいし
大事な人に対してでもいいし
なんですが
僕の答えは
ありふれてるけど
自分が悔いなく
生きるかな
そこに尽きるよね
僕はまだ
一応元気だし
自分の子供が
同じような
同じような立場になった時に
親として
どう
なんて言うかなと思ったら
もっとかまってよ
とかじゃなくて
自分が
その子供がね
自分らしく
生きてれば僕はいいよ
っていうような感じがするんだよね
なのでその答えでした
なるほど
私は
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そうなってはいるんだけど
両親のようにたくさん育ててくれた
方たちがいるので
その人たちに対しては
目いっぱいの
あふれてくる愛情で
関わるっていうことと
プラス
その方たちに直接っていうだけじゃなくて
私が出会った
方たちに対して
いただいた愛を
そのまま私らしく
伝えていったり注いでいったりする
ということで
いただいた愛を循環する
ということを恩返しにしたいな
というふうに思っています
これも常に意識しながら
生きていきたいですね
そうですね
ということでジョーさんの回でした
また引き続きバルネスセロナから
面白い方々をインタビューしていきたいと思います
ライフトラブラーカフェは
毎週週末にお届けしています
次の放送を
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それでは
良い週末を
ライフトラブラーカフェ