2022-08-26 38:57

travel.5「NYC」 出会いはつくるもの

ニューヨークの一等地にクリニックを構え…
00:13
ライフトラベラーカフェの皆さん、こんにちは。マツダミヒロです。
ワカナです。
ということで、引き続きニューヨークにいますが、ニューヨークはね、ホテルがすごく高いんです。
高いよね。
高いよね。ほんとに他の都市に比べてもとても高いし、高くなったって言ってたね。
あー、なるほどね。
どんどん高くなってる。
その高い割に、冷蔵庫とかないよね。
そうなのよ。
ちょっとびっくりすると思う、たぶん。
今回は国連で仕事があったので、国連の近くのホテルに。
リッチは良いのでね、なかなかのお値段をするホテルなのですが、
日本のビジネスホテルよりも付いてるものがなかったりして、これがニューヨークのホテルです。
そうだね。でもないならないでさ、なんとかなるもんだよね。
そうだね。
例えば、私たちはよくジュースをね、朝買って、その日のうちに飲むものを買ってきたりとか、
それこそちょっと冷蔵に入れといた方がいいんじゃないっていうものも買ったりするんだけど、
でも窓辺に置いたりしてね。
窓際がちょっと寒いからね、窓際に置いて。
なんとかなるもんだね。
冷蔵したり。
あとは、部屋を快適にする方法は何をやってるかな。
あとね、設備っていう面でいうと、付いてるものが少ないと、ないまま過ごすっていうことも選択肢としてはあると思うんだけど、
例えばね、寒いじゃない?スプールとか。やっぱりあったかいものが飲みたくなるでしょ。
体調管理でもあったかいもの飲みたいじゃない?
そういう時にお湯を沸かすやつとかも付いてなかったわけ。こんな部屋なのに。
とかもちょっと言ってみると、ちゃんと来たりとか。
買ってきてくれてね。あとお水を大量に買ってきて。
そうそうそうそう。
お水とてもたくさん買ったね、今回。
お水もないから、お水も買ってきてね。
大きいサイズ、なんていうのかな、大きいサイズ。
ガロン系。
ガロンで買ってくる。
そうそうそう。
あとは、ちょっと寒いので、なるべくお風呂に入ろうということで。
03:06
お風呂に入るのも、ただ入るよりはもうちょっと体の芯から温めた方がいいということで、
お塩を買ってきて。
バスソルトを買ってきて。
どうしても海外のお風呂、特にアメリカのお風呂ってとても低いじゃない。
下ももちろん固いし、みんなそんなところあんまり入れないみたいな。
いうところでも、なるべく快適に入れるように。
エッセンシャルオイルとかね、バスソルトとか入れたり、音楽かけたり。
ちょっと光が明るすぎるときは、ちょっと消してどうかつけてみたいな。
なんか本当にちょっとしたことで、なんか心地よさを頑張って作ったよね。
お塩はホールフーズマーケットというオーガニックスーパーのボディーっていう。
ホールボディーはね、ドラッグストアみたいな感じで、日本のホールフーズのドラッグストア。
オーガニックって体に良いもの満載のお店で買ってきたんだよね。
そうそう。大体いつもその辺で買うでしょうかね。
でもそんなことを様々な工夫をして過ごしていると、これがまた愛おしくなりますね、部屋が。
部屋がね、帰ってきたときにね、なんか家に帰ってきたみたいな。
だからその物を置くとか、自分たちの物を置いたりとかするのもそうだし、香りをつけたりとか。
なんかそんな感じでお部屋ライフも楽しみましたね。
快適ライフでした。
今回は先週に引き続き中野さんに登場していただきますが、
前回はアメリカに来るまでのストーリーだったんですけど、
今日はですね、アメリカに来てから。
今、中野さんのカイロップの場所ってすごく良い場所にあるんでしょう?
フィフスアベニューでございますので、とっても良い場所でございますのよ。
なんか言葉が変になりましたけど、すごく良い場所で。
で、もちろんクリニックの中も診察室が何個あるのかな。1,2,3個ぐらい。
分かんないけどね。部屋がいっぱいあって。
場所がすごく良いところにあるということは、さぞかし大成功していると思うのですが、
そんな秘訣だったりとか、もしくはそんな秘密だったりとか。
そこまでの道のり。
を聞いてみたいと思います。
06:00
アメリカ生活が始まっているわけですね。
そうですね。26歳。今僕38なんで、12年ですかね。そんな早いところ。
アメリカの生活が始まってきた。最初の場所はロサンゼルスだったんですか?
ロサンゼルスです。ロサンゼルスすごく良いところで、
これやっぱり降りた瞬間にカラッと晴れた天気で、ハーレーがババババって走ってくるんですよね。
アメリカ車がバンバン走っていて、道が広くて、
あ、俺もう帰らないなと思っちゃう。最高だなと思って。
学校もちろん行って真剣に勉強をずっとしてきましたけど、
同時にサービスしたりとか仲間もできて、第二の故郷というか、本当に快適な生活でした。
最初はロサンゼルスの開学先の学校に帰るんですか?
そうです。学校はなかなか英語を喋れない人が入れてくれないですからね。
それまで1年くらいから英語を勉強したりとか、いろんな苦労もしてきましたけどね。
一番の苦労は何でしたか?この頃。
一番の苦労は、英語じゃないですかね。
旅行してたんで英語を喋れるって思ってたんですよ。
だけど英語を喋れるんじゃなくて通じるんだって。
大きな違いだった。
通じるレベルだったんですよ。通じるレベルだとやっぱりドクターディグリーというか、
学校入れてくれないですからね。それで大変でしたね。
最初今でも覚えてますけど、ロサンゼルスの空港からタクシーに乗って、
当時本当に安い、基本バックパッカーですからね。
1日30ドルくらいのところへ行くわけですけど、そこまでタクシーに乗った。
タクシーの運転手にすごくバカにされた感があって。
英語が通じない、通じるのかな、喋れないみたいな。
なんかひどい、なんか嫌な対応だったんですよ。
ホテルに着いたときに、ホテルっていうか宿ですよ。
着いたときに着いたぞみたいな感じで。
自分でこんなスタートでいいのかなって思って。
当時お金やっぱりなかったんですけど、
その人に30ドルくらいチップをあげてみたんですよ。
なんで思ったか今でも分かんないですよ。
チップをあげなきゃいけないってことを思ってて。
2択だったんですけど、チップをあげないか、すごくあげるか。
すごくあげてみたんですよ。
倍くらいの、倍どころじゃないな、本当に高いチップ。
そしたらその人にものすごく態度が変わっちゃって。
それで荷物持ってくれて、玄関のところまで持ってくれて。
なんだこれ、結構英語とかじゃなくて、
自分がお金なのか何か分からないので、
実力つければいけるのかなってちょっと思って。
09:02
そこでそう思ったわけですね。
本当に安いチップでしたけどね、今は30ドルくらい。
当時高かったですけど。
あれ払ったからLAのスタートすごく楽しくなったんじゃないかって。
面白い。
気づきがありましたね。
ロサンゼルスでは学校に行きながらサーフィンも楽しんで、
学校が終わった後はそこで開業したんですか?
いやいや、日本に行ったり来たりしてたんですが、
僕もやっぱりサーフィンがすごく、今でもそうなんですけど、
オレンジカウンティーってやっぱり波がすごくいいんですよ。
もっと波がいいところがハワイですよね。
ハワイとオレンジカウンティーとすごく迷ってて、
どっちでも自分で楽しく仕事しながら、仕事は今でも好きですけどね、
それでサーフィンして生活をしようかなと思ってたんですよね。
そしたらなんかある時、
今は嫁ですけど、
ひでか、当時のパートナーとニューヨーク行ってみようってことになったんですよ。
へー、またポップね。
突然なんですよ。
本当に旅行ですよね。
本当に時間があるし、旅行行ってみようってことになって、
なぜかニューヨークに行ったんですよ。
見てみようってことになって。
これがまたでも衝撃的で、
寒かったのも1月に来たんですよね、確か。
本当に寒い時期で、
ダウンジャケットとかないですからね。
なんか弟がくれたダウンジャケット1枚だけ持ってて、
すごく寒くて。
空港出た途端に、何か知らないけどいきなり
バスの運転手とお客さんが喧嘩してるんですよ。
空港でですよ。
言い合いして、
遅いのかいみたいな話して、
女のカリフォルニアで見ない光景で、
なんてストレスの溜まってる人たちなんだ。
こんな街はダメだなって思ったんですけど、
バス乗ってマンハッタンがだんだん見えてきて、
マンハッタン降りたら、
全然違う世界なんですよ。
女性がヒール履いてスーツ着て、
電話で話しながらカンカン歩いてって、
歩くスピードも速いし、
みんなスーツ着てるし、
なんだと思ったんですよ。
360日はサンダルにショーツでTシャツ着て、
サーフボード持ってトラック乗ってる人が
そんなとこ来ちゃったわけですから、
びっくりして、
観光を普通にするわけですけど、
いろんなハプニングもありまして、
なんか寒いなと思って
弟にもらったダウンジャケットが
破れてるとこちょっと見てみたら、
ダウンっぽかったけど、
実は中から普通の綿が出てきて、
ダウンジャケットの中から
普通の綿が出てきて、
ダウンジャケットの中から
普通の綿が出てきて、
ダウンじゃないじゃんって思ったりとか、
いろんなハプニングもあり、
寒い中で街を歩き回ってたんですけど、
やっぱり一番今でも心に残ってるのは、
ティファニーの横にある
ミルタウンのトランプタワーで、
寒い中そこを歩いててパッと見上げたら、
黄色のバベルの塔みたいな
トランプタワーが建ってるんですよ。
パッと見たらトランプタワーって書いてある。
田舎に住んでてもやっぱり
12:01
ドナルド・トランプがみんな知ってるんで、
これがトランプが一台で建てちゃった
帝国の一部かと思って、
そこの中に入って、
秀賀と一緒にコーヒーを飲んだんですよね。
寒い中のラテを2人で分けながら飲んでて、
ニューヨーク来ると
こういうことできるんじゃないの?
みたいな話になったんですよね。
慣れるわけないんですけど来るだけで。
ニューヨークってこういう街なんじゃないか
みたいな話で盛り上がっちゃったんですよ。
ニューヨークって一台でこれ建てたの?
おかしいでしょ?みたいな話で。
やっぱりニューヨークに住むと
こういうことができるかもしれない。
なんか勝手に2人で盛り上がっちゃう。
それが一番大きなニューヨークの中の
思い出ですね。
9・11の場所でもなく、
ミュージアムでもなく、
博物館とかでもなく、
セントラルパークでもなく、
ただ目の前に建てたトランプタワーで
こんな成功するやつがいるんだ
っていうのが一番目高くないですかね。
それだけ影響を与えることをしたい
ということにも関わるんですかね?
それはでもあったかもしれないですね。
それがリンクしたのが
日本から来る時からそうだったんですけど
ずっと根底にあったのが
自分たちのやっている治療を
もっといいものをどんどん作って
日本の医学を変えたいなっていう。
自分たちの治療がもっと受けるべき人が
いっぱい世の中にはいるけど
受けれてないっていうことは
ずっと昔から思っていて
それを伝えたいなっていうのがあったんですよ。
だから別にビル建てたかったわけじゃないんですが
確かにそうなんですよね。
影響を与えることをしたいっていう。
常に思っていて。
影響を与える力が
何かニューヨークには眠っているんじゃないか
っていうのは思いまして。
そんな志を持って
ニューヨークに振り越してきましたよね。
そこでクリニックを開業していくにあたって
最初からうまくいったんですかね?
いや、いかないですよ。
全然いかないですよ。
最初は何から始まったんですか?
まず引っ越しが車でしたからね。
カリフォルニアから。
端っこから端っこですね。
これでもカリフォルニアの海を見捨てて
ニューヨークに引っ越すっていうのは
やっぱり大したことないかもしれないけど
大変な作業で結構悩んだんですよ。
飛行機が着陸するまでに
決めようって思ったんですよ。
結構タイムラインを決めないと決めれない人で
飛行機に乗って
着くまでにどっちに行くか決めるぞって
それでも決まらなくて
飛行機の車輪が地面にガガンって打った瞬間に
ニューヨークって決めたんですよ。
強引ですよね。
もちろんその中には
ニューヨークでサーフィンができるのかとか
ニューヨークからプエルトルコが2時間で
飛行機で行けることとか
ちゃんとサーフィンができる環境っていうのは
確保してあるわけですからね。
ニューヨークに決定したんですけど
やっぱりマットレスを1個買うだけでも
15:04
お金かかるわけで
結局計算すると車になるんですよね、2人で。
当時はトレーラーを後ろに引いて
大陸を横断して引っ越してきたんですけど
そもそもマンハッタンに
トレーラーを引いて入ることが大変で
そもそもホテルが高いんですよね。
ニューヨークに行きたかったんですけど
ニューヨークに入っちゃうとホテルが取れない
高いんですよ。
だからニュージャージの隣の州に
荷物を全部下ろして
ニュージャージの安いホテルに生活しながら
ニューヨークに通って
まず住むところを確保する
住むところもすごく確保するのが大変で
実は無房産屋さんなんかが
所得がない人ってなかなか家貸してくれないわけですよ
それが大変で
今思えば楽しい苦労ですけど
家を探して
家の後にクリニックを
ちっちゃなスペースがたまたま貸してくれる人がいて
その一部を借りて
そこでそもそも患者さんに来ていただいて
だんだんクリニックを立ち上げていったわけです
最初から無房産屋さんいるわけじゃないですよ
最初はどうやって
それはもう足を使っての
おさまわりというか
私と色々やっぱり会いに行きました
ヨガの先生だったり
日本の先生だったり
あと日本の新聞だったり
まず日本の人は日本語が使えれば
なんとかなるんじゃないかというのがあったので
そこはスタートとしては
色んな方に本当に助けていただいて
少しずつ少しずつという感じです
では出会いを作っていったという感じですか
そうですね
やっぱり待ってても来てくれないから
頑張ってひたすら歩いて回って電話して
おさまわりから始まりまして
それで少しずつお客さんが増えていった感じなんですね
そうですね
まさにそうですね
それで今はもう本当に
そんなに自分では出てくることなくなりましたけど
やっぱりそうですね
打ち込みというか
呼んでくださるような
割と自分のスペースは安定してきたかなと
今あるところはすごくいいところです
フィフスアベニューございます
場所もでも家賃やっぱり高いんですけど
これもニューヨーク来た理由と一緒で
影響力を与えるというとちょっとオーバーなんですけど
場所はやっぱりフィフスアベニューに近くなきゃいけないかな
というのがなんかあって
最初からそのあたりにしがみついてきたんですよ
もっと離れちゃえば
やっぱり自分で場所とか借りれたのかもしれないですけど
最初だから曲がりしたところも
実はフィフスアベニューもすぐ近くで
そうなんですか
ちっちゃくて
ほんとちっちゃくてもやっぱり高かったんですけど
場所っていうのは
大事なんだよ
逆にニューヨークのこの山のほう行っちゃうんじゃ
オレンジカウンター行ったほうがよかったんじゃないかと
18:00
ニューヨークといえばやっぱりミッドタウンである
フィフスアベニューのあたりも
自分はいなきゃダメなんだって
そういうドクターになろうという
思いからしがみついてきたんですよ
通ってるからわかる
通ってますのでこれは事実です
本当に検索したじゃない
あまりにこれだと全然動けないなと思って
病院とかはあんまり普段行かないから
わかんないし
まずは生態的なものだったらいいかなと思って
ニューヨーク生態おすすめって調べたら
絶対3個ぐらい中のクリニックにある
1,2,3ぐらい
ありがたいお話ですよね
素晴らしいですねそれだけやっぱり
行っている治療法というのは
日本でお父さんから学んだことと
アメリカで学んだことと融合しているんですか
多少融合といえば融合ですよね
ただ難しいのは治療法って常に進化しちゃって
私たち4代続いているって言うんですけど
じゃあ4代前のことをやっているのか
全然違うわけですよ
医学って当たり前だけで進化するわけで
例えば脳梗塞なんかあるじゃないですか
脳内出血とかって
これ40年前だったらもう
アイスパックで冷やして寝てなさいですよ
今や思われるCT取って
出血部位を確認して
怪盗のオペして
助かっていかに早いリハビリするかで
社会復帰しちゃうわけですよね
これぐらいのスピードで
僕らの分野も一緒で
難部組織だとか筋肉だとか
腰痛なんかですね
そういう損傷のところって
かなり進化をし続けるわけですよね
なので早い話が毎年変わっていっちゃうような
傾向もありますよね現場の治療
そんなに180度は変わりませんが
新しい治療を入れたりとか
だからもちろん治療の一部として
日本でやったような方法っていうのは
取り組んでますが
常に変化しちゃいますね
そういうのが日本に入れれると
いいなと思うんですけど
やっぱり英語の壁と
ライセンスの壁とで
ギャップが出ちゃうんで
いくら情報早くなっても
やっぱり10年15年って
開きが出ちゃうんですよ
それをいかにいい感じで
現場に伝えてあげたいかというのが
これからやりたい主力だなと思っています
今のも含めてこれからやっていきたい
活動っていうのはどんなことなのですか
自分のやってることプラスある場合は
自分よりいいドクター
悔しいけどやっぱりアメリカにはまだまだいっぱい
そういう仲間をいっぱい持ってるんですよね
幸せなことになんか真剣に
本当にカイロプラクティックに取り組む
仲間ばっかり周りにいて
不思議なんですけど今思うと
21:00
本当に不思議ですけど
僕以外の仲間ってみんな実は
アメリカのオリンピックチームと同行してたり
オリンピックの施設に入ってたりとか
みんなトップアスリートばっかり見てる
僕はちょっと自分のクリニックにフォーカスしてきて
患者さんとしてたまらにアスリート
トップクラスが来るっていう感じですけど
そんな仲間がいっぱいいて
自分だけじゃなくて
そういういいブレインをいっぱい使いながら
日本に最高の治療を届けたいなって思ってます
やっぱり診断だったり
医療としてのこういう分野を確立したいなと
思ってます
高齢化社会もどんどん進んでくるし
結局のところ治療法なんかいくらあったって
患者さん本人がいかに気づいて
元気な生活できるか
どういう風に治療を利用できるか
っていうことになるわけです
そういう環境を作りたいなと
治療に頼るんじゃなくて
治療を利用するっていうのが大事なのかと
そうですよね
お病院に行けば
全部治してもらえるって思うと
他人事になっちゃうね
そうですよね
本当にでも
医学もすごく大事なとこですよね
無人島にいたらどうするんですかっていう話ですよね
結局自分の体って自分で
いなきゃダメなわけです
いくら患者さんよくたって
歯ブラシしなきゃ虫歯になっちゃうわ
そういうことがすごく大事なとこで
それを伝えることって
それじゃあ伝えるのが仕事なの?ってなると
それも大事な上であると思いますよね
予防とか含めて
要するに何したって
本人が患者さんが健康で
ずっと維持してくれれば
それで僕らはいいわけですから
そういうことすると
患者さんいなくなっちゃうんじゃないかと
言われるんですけど
全然いなくならないですよ
ちゃんと納得した患者さんって
次の方連れてきてくれるし
一見患者さん減るようだけど
全然減らないですよ
そういう方向でいったほうが
みんなハッピーになるんじゃないかという
患者さんのマインドを変えるっていうのが
すごいドクターとしてされてることで
素晴らしいなと思ったんです
これが広がるといいですね
ぜひ広げてほしい
広げますよ
広がりますよ
今日も本当にいい話だったね
今日もエキサイティングだね
これ聞いた人はね
多分何かもしたくなるっていうかね
自分がやりたかったことを
本気で何かやりたくなると思う
何かしたくなった
でしょ
そうなの
したくなったよ
ヒロさんが言ってた
今思えば楽しい苦労っていう
そんな楽しい苦労をして
見たくなるでしょ
確かに
僕も何気ない日々を過ごしてた時よりも
24:04
大変だったなって思ったことの方が
振り返ったら楽しいかもね
振り返ってみると
それだけなんか
その中ことにというか
本気になって生きてる
っていう時だもんね
本気だと大変さが出てくるんだよね
大変さが出てくることの方が楽しい
本当にやりたいことをやってるから
ずっと楽しんだね
ヒロさんの話で
印象に残ってる部分は
どんなことがありますか
いっぱいあって
時間が足りないかもしれないですけど
でも一番最初の
アメリカに行って
タクシーに乗ったって話あったじゃない
英語が
できなくて
ちょっと扱いが良くなかった人に
30ドルのチップをあげた
あれすごいよね
多分その当時で
30ドルって結構なお金だよね
自分の手持ちの金額を考えても
多いでしょ
すごい多いでしょ
その時に
ここでは英語とかそういうのじゃなくて
実力で評価されるというかね
そういう街なんだって
分かったっていうのがすごくね
印象的というか
それをその年でやっちゃう
ヒロさんもすごいなって思うけど
印象的だよね
できないもんねなかなか
扱いをしかもさ
良くされたならまだしもね
良くされてチップをあげるっていうのはね
悪かったのにも関わらず
そこであげる
その人間の大きさと
そこで築く
その築き力というかね
それはすごいな
30ドル以上の価値があったって言ってたもんね
だからそこでさやっぱり
なんていうのかな
みんなひるんじゃうでしょ
英語できないしとか
なんかそういうことじゃなくて
目の向け方というかね
視点が違うんだろうね
視点の持ち方がね
すごく強く前向きに生きていく上で
とても大切なんだなっていうのを
すごくそこで感じた
あとなんか
ヒロさんの見た目も
それまでの暮らしも
なんかもう一見ずっと
ハンチントンビーチかハワイで
サーフィンしてるんじゃないかって
ハンチントンビーチに
本当に住んでそうだ
27:00
今でもニューヨーク
本当にBさんが似合う
絶対似合うね
いきなりニューヨークに来ちゃったっていうのがね
そうね
ニューヨークでの
パートナーさんと一緒に
一番最初に来たときにね
二人で一つのコーヒーを分け合った
お金があんまりなくて
そのときに
トランプタワーを見てね
これがアメリカなのか
アメリカンドリームなのかって思って
なんか今まで自分の中にあった
やってやるぞみたいな
それが引き出された
サーフィンだけで
いいかと思ってた
もっと奥に眠ってた
ふつふつと思ってるものが
バンと引き出されたって感じだよね
多分ね
引き出されただけじゃなくて
その帰りの飛行機の中でね
決めるわけでしょ
本当に大好きな
ハンチントンビーチかニューヨークかって
すごくない?
決断の速さと決断力というか
潔さ
そうそう
これも上手くいってる人の
共通点っぽいよね
そうかもね
いつまでもどうしようかな
どうしようかなっていうんじゃなくて
ヒロさんはタイムラインを
自分で決めるってね
言ってたけど
しかもそれが
じゃあ1週間後じゃなくて
飛行機を見るまでに決める
しかもあれだよ
もうそれまでも
乗ってる間も決めれなくて
この着陸してする
タイヤが着くまでに決めるっていう
直前にニューヨークって決めたっていうね
すごい面白いよね
面白いな
でもそういう
自分でタイムラインを決めて
自分で決断するってことを
ちょこちょこやってみると
それ大事だよね
いいかもね
自分で決めることってさ
結構やっぱり
いつでも決められちゃうから
決めなくてもいいからね
そうなのそうなの
私たちもやってみたいね
毎回飛行機乗るからさ
着陸するこの最後の5分10分で
何か1個決断するみたいな
面白い
ちょっと次やってみよう
ミヒはどんなところが心に残った?
僕はね
場所にこだわってるっていうのが
確かにと思って
ニューヨークでやってますって言えばね
例えば日本の人に対しては
ニューヨークすごいじゃない?
って言われると思うんだよね
別にそれはマンハッタンじゃなくても
ニューヨークって言えるじゃない?
そうだね
でもそうじゃなくて
フィフスアベニューのどこでやってるんだ
っていうところって
ニューヨークの人たちも
すごいじゃんってなるじゃない?
そこのこだわりっていうか
大切にしたいことで
最初からそうだったって言ってたでしょ
場所も
30:00
こだわってたって言ってたね
フィフスアベニューのところに構える
っていうことにこだわってた
だからお金があるから
そこに投資するんじゃなくて
お金がない時からこそ大事なものに
一番お金をかけるっていうところも
そしてそれがどういう影響を与えるのかっていう
自分がどこに身を置くかっていうところが
すごく重要だなと思った
なるほどね
ミヒはさ
お金がない時もたくさんあったと思うんだけど
その時からこだわってたこととか
なんかあった?
自分が大事にしてきたこととか
お金がない時からこだわってたことは
なかなか鋭い質問でしょ
いい質問だね
どうも
えー
えーとね
お金がない時でも
ハーゲンダッツのアイスを食べる
あーそれね大事
だから
ラクトアイスでもいいかなって
思っちゃう時があるんだけど
でも
なんかこう自分が
ちょっとした幸せを感じれるところに
妥協しないっていう
それねすごく大事だよね
というのにこだわりました
いいこと聞きました
でもそういうことだよね
なんかその状況に自分を合わせすぎない
っていうか環境にね
合わせすぎない
もちろんその環境や状況と
折り合いをつけながらやっぱり人って
生きていかなきゃいけないところももちろんあるんだけど
その中でも自分が大切にしたいこと
こだわっていることを
諦めないというかね
あとでも仕事で言えば
どちらかというと
何かを伝えたいというよりも
体験してもらいたいっていう
意図があるよね
だから例えばそれを
受け取ってもらう場所
例えばセミナーの場所とか
それは別に僕の利益がなくても
その場所にお金をかけるっていうのは
よくやってるかな
その話で言うとさ
ヒロさんの話にもあったけど
ヒロさんの場合は
医療っていうところじゃなくて
自分でできるようにって
管理自分の体のメンテナンスとかも
自分で結果的にできるように
やってるっていうふうにおっしゃってて
それってでもお客さんが減るようで
普通は減りそうだからさ
どうしても薬出したり
そういうわけじゃないかもしれないけど
ビジネスってやっぱりそういうところがあると思うんだけど
例えばカウンセリングとか
やってる場合も
お客さんの悩みがなくなったら
カウンセリングに来なくなっちゃうからね
33:01
だから
意図して悩みを増やすってことは
しないとは思うけど
自分が提供してるサービスが
効果があればあるほど
その人は来なくなるっていう風に
考えちゃいがちだけど
実はそんなことはないというか
僕も共感する
そうすると
ただ足りないものを埋めていくっていうだけじゃなくて
提供する側も提供される側も
お互いに高め合いながら
いい関係になるよね
依存じゃなくて
改めて思いました
あと
ああ見えてもね
4代も続いてるんだって
何なのその失礼な
ああ見えてもじゃないでしょ
だってなんか
本当に気さくで
もう代々やってますっていう感じよりも
楽しいことばっかりやってるんだけど
自分でも好きなことしないんだけどっていう
感覚からすると
僕のイメージとしては
代々やってる人って
真面目すぎて固くて
みたいな感じのイメージだったんだけど
全く違ったんだけど
4代も続いてるって言ってて
放送の中でもあったけど
続いてるものって変わらないわけじゃないんだよね
変わり続けているから続くんだなっていうところが
あって
なんか
それが一見矛盾してるようには思えるんだけど
変わり続けることが
ずっと存続することに繋がっていくんだなっていうことが
とてもよく
理解できたというか
感じたところですね
常にいいものだからこそ追求していくっていうところの
欲求?
の強さをすごく感じて
でも気さくて楽しい
最高だね
最高なんですよ
ニューヨークに行く機会があったら
ぜひ皆さん
なかなか予約は取れないかもしれないけど
別にどこかが悪くなったから
行くっていう感じでもないかもしれないもんね
しっかりと自分の体の状態を知るっていうかね
そういう意味でもいいかもね
では
今日の魔法の質問をどうぞ
はい
魔法の質問は
足を使ってできることは何ですか?
足を使ってできることは何ですか?
これはですね
そのお話の中にもありましたが
36:00
今では予約が取れない状態になってるんだけど
最初の頃はどうだったかっていうと
最初からお客さんがいるわけでもなく
どんどん人に会ったりね
出会いを作っていって
それこそ足でネットワークを作って
お客さんとの出会いを作っていった
っていうところがあって
やっぱり
日本でもニューヨークでも
そういうところは一緒だなっていう風にね
感じました
足を使ってできることは何ですか?
答え
僕の答えは何かな
僕はね
この話を聞いたというか
もっともっと
自分から会いに行きたい
っていうことをやっていきたいなと思ってて
そうだね
特に僕は何か生み出すことが
すごく好きだから
そういうのを生み出してる人たちとか
自分らしいライフスタイルを構築しつつ
それを生み出してる人たちに
世界各地にもっともっと
出向いていって
会っていきたいなっていうのを
すごい思いました
他の足を使ってできることは何ですか?
いっぱいあるんだけど
まずねやっぱり
会いたい人に会いに行ったり
やりたいことをやるためには
それができるね
丈夫な足がないと
実際の足ね
ダメっていうのがね
一生痛めてすごくわかったわけ
さらにでも
腰を治すために
ヒロさんに会いに行って
ヒロさんからこの話だからね
やっぱり足を使うには
体がとても大事っていう
だからやっぱりそこをね
しっかりと整えていきたいな
一番身近なところなんだけど
そこをしっかりやっていきたいと思っています
今回はですね
ヒロさんに
ここまでのライフストーリーをね
聞きましたが
来週はなんと
奥様とともに登場してもらおうと
この2人のパートナーシップがとっても素敵で
素敵で参考になるし
また面白いし
面白いね
なので
次回はそんなパートナーシップの話も
聞けると思います
今日の放送の中からも
何か自分らしい人生を作っていくための
ヒントが見つけてもらえたらすごく嬉しいです
それでは良い週末を
38:57

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