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ライフ・トラベラーズ・カフェ
ライフ・トラベラーズ・カフェへようこそ。マツダミヒロです。
若奈です。
ニューヨークは音楽の街でもありますが、
音楽というのを今までの人生で振り返ってみると、
自分の人生の中で音楽っていうのはどんな位置づけなの?
初っ端からまたすごい質問してくるね。
どんな位置づけなの?
例えばね、実は僕は音楽とは全く音楽のない人生だった。
そうだね。
よく音楽の話になると、
みんなよくこの曲とか、このアーティストとか、この作曲とかってのをよく知ってるなと思って。
多分、勉強しながら聴いてたとか、あとは趣味で聴いてたとか、
っていうのによく話を聞くと思うんだけど、
音楽を聴く時間、音楽をかけている時間っていうのが全く持ってなかった。
それも珍しいね。
そうかな。
私は逆に結構常に音楽があったかな。
なんか詳しいわけじゃないけど、
でもほら、ミヒのセミナーで音楽をかけるようにしたのもしかしたらきっかけは私かもしれないと思ってるんだけど、
音楽ずっと私担当してたでしょ。
そうだね。
実はね。
でもそれだけいろんなシーンで音楽が鳴っていたってことなんだ。
いろんなシーンで音楽が鳴っていたというよりかは、
音楽をつけていろんなシーンを作り出してたって感じかな。
なんかね、簡単なところで言うと、
私クリスマスソングが大好きなんですよ。
よくわかってると思うけど。
だから毎年11月ぐらいになると、
いつもクリスマスソングかけるでしょ。
部屋でもさ、ホテルとかでも。
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それも結局、クリスマスの幸せな温かさを感じたくて、それをかけたりとかね。
あとはずっと大学時代から聴いてる、キース・ジャレットっていう方の、
彼はジャズピアニストなのかな?のCD、アルバムね。
それもずっと聴いてるけど、
だいたいそれを聴くときはどんなときかなって考えると、
なんかちょっと心の中からシンとしたいときとか、
ただリラックスじゃなくて、
なんかちょっと自分に向き合いたいなとか、
自分の巣に戻りたいときとかにかけてたりするんだよね。
だから音楽って、なんかそういう時間を、世界を作り出してくれるっていうか、
与えてくれる、なんかそんな存在だったんだよね。
なるほどね。
あんまりそういうのを今まで考えたことがなかったかもね。
そっかそっか。
音楽を聴いてもね、なんかあんまり、
例えば、歌詞がある音楽があるでしょ?
音楽を聴いても、歌詞は全く耳に入ってこなくて、
なんか同じような感じで聴こえちゃう。
ああ、面白いね。
そうなんですよ。
そういう人もいるんだね。
でもなんかそんな僕でもね、
あの聞いたことあるのが、マンハッタンにね、
カーネギンホールっていうのがある。
かの有名なカーネギンホール。
そういうのをよく聞いてたのね。
でもそんなに詳しく知らなかったんだけど、
よく調べてみると、本当にすごい場所なんだね、カーネギンホールって。
ニューヨークのマンハッタンのね、真ん中にあるんだっけ?
7番街に。
できたのは150年前くらいなのかな?
1890年、91年にできたらしいんだけども、
クラシック音楽とか、ポピュラー音楽などが、
なんか頻繁に開催される、音楽の伝道と言われるところらしいんですよ。
へえ、行ってみたいね。
で、今日のゲストはですね、また面白い方というのを前回お伝えしましたが、
そのカーネギンホールでも、なんと指揮をしたという指揮者の方です。
すごい。
とてもすごいんですよ。
なんかそのすごさがさ、あんまりこう実感できないぐらい、
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とてもニューヨークではね、有名な指揮者の方で、
でもニューヨークで有名ってことはね、世界で有名ってことだから、
日本にいる方はもしかしたらね、まだ知らない方もいると思いますが、
今回のゲストはですね、伊藤レオナさんです。
職業指揮者。
指揮者。
ちょっとなんか指揮者って言うと難しい感じがしない?
イメージでしょ?
イメージ。
私会ったことなかったもんね、指揮者の方なんて。
人生、生きてきて。
テレビで見たりすることはあっても、実際にあんまりお会いしない職業の方です。
そうだよね。でも実際に会ってみるとね、すごく奇策というか、ユーモラスで。
ほんとユーモラスでね、とってもお話も面白いしね。
そしてすごい知識もあってね。
すごいよね。
そんなレオナさんなんですけれども、どんなストーリーを持っているのか、ということを聞いていきたいと思います。
ではレオナさんに会いに行きたいと思います。
ここってどんな場所なんですか?
ここは自分がですね、アマチュアの合唱団を教えてた時代に使ってた練習場なんですよね。
このマンハッタの都会のど真ん中に、ビルの2フロアかな、3フロアを全部リハーサル会場にしてて、
すごく場所が便利なので使ってたんですよ。
5年くらい使ってたのかな。
部屋がいっぱいあるし、値段もそんなに高くないから、他の若い夢を持った
歌手やら、役者さんやら、剣道の人もいたし、マーシャルアーツやってる人もいる。いろんな人が集まっている。
そういう人もいるんですか?
音をロックとかみたいに出しすぎない限りは全然大丈夫。
オーケストラはここはさすがにちょっと使えないですけど、合唱程度なら全然大丈夫で。
それで5年くらい使ってたんですよね。
だから自分にとってはその修行をした、下積みにしてた時代の
思い出の場所というか、そんなところですよね。
この部屋はスタジオになるんですかね?
ここは新しくできたみたいですね。
ちょうどこの音楽の録音ができるように作られたみたいですよね。
僕はこの部屋は初めてなんですけど、すごく便利ですよね。
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これだけ機材が揃って、防音とマイクとかも全部揃って。
音が吸収される感じだよね。
こんな良いスタジオで録ったのは今初めてなんですね。
ものすごい賑やかなカフェとかビーチとか。
迷ったんですよ。
だから自分もニューヨークで一番好きな場所ってブライアントパークなんですよ、実は。
そこは自分の仕事場が近くにあったので、
そこでよく楽譜を見たり本を読んだり、もしくは泣いたりとか。
都会のど真ん中だけどちょっと緑があって、あそこが大好きで。
だからそこにしようと思ったんですけど、今日はあいにく雨だし、
野外だと撮りにくいかなと思って、それで急遽ここに。
入ってみて本当にいろんな部屋があって、いろんなことをしている人がいて、
すごくなんか刺激的なところだね。
エネルギーが集まっちゃう。
集まってる、ギュッと。
ニューヨークの一番いいところの一つだと思うんですよね。
いろんな夢を持っている人たちが自分の可能性を信じて、
アメリカンドリームっていうのを信じて、
一生懸命訓練をしている、自分自身の修練をしている場所っていうんですか。
だからすごくいつも来るたびに刺激を受けるし、
言ってみれば飛行場みたいなもんですよ。
今から旅に出ようとしている人がいっぱいいるから、
ウキウキした感じって飛行場あるじゃないですか。
そうかも、似てるかも。
似てるでしょ。
そういう雰囲気っていうのが同じようなものがここにはあって、
しかも結構綺麗ですし、綺麗なビルですしね。
すごく空港っぽいかもしれない。
面白い。
じゃあ今日練習している中からも未来のスターが生まれるかもしれない。
そうですよね。
本当にオーディションとかもよくここでもやってますから。
オーディションもよくここで。
ピアノのある部屋がいっぱいありますからね。
だからそこで場所を主催者が借りてオーディションをここでやったりとかよくしてますよね。
本当にだからニューヨークのエンターテイメントを作っている一つの場所ですよね。
支えている場所って言ったらいいのかな。
それに羽ばたこうとする人にとっては文字通り飛行場みたいな場所。
ニューヨークのどんなところが好きですか?
あのですね、日本にいると赤信号とかでどんなに車が来てなくても止まるじゃないですか。
どんな深夜でも。
あれって危ないとかじゃなくて、人と違うことをしたら行けないんじゃないかというメンタリティが日本人にあるからなんでしょうね。
ニューヨークは全く逆で、Jワークって言うんですけれども、もう信号を無視するのは当たり前じゃないですか。来てなかったら。
下手したら車がガンガン来てるのに行く人いますでしょ。
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います、います。
いやいやいや。
あれって大丈夫なんだけどね。
車こう手を止めたりして。
手を止めて行ってました、今日も。
だからそういう、もちろんそれは行けないことですし、アメリカでも避難されるけど。
だけどそれは一つの例として、一人一人がちゃんと自由にできる。
もちろんコミュニティの常識の範囲内、良識の範囲内で、自分の思い思いの服装をして、思い思いのことを喋って、電車の中でも歌ったりして、文句言われてもね、ラジカセ持って自分で歌う人いますからね。
そういうどんな格好してても誰も気にしないっていうんですか、街中歩いてる時は。
もちろんフォーマルなところに行くときは、ちゃんとフォーマルな格好するけど。
だけどそういう自由、それこそやっぱ自由だと思うんですよ。
一つのルールはあるけれども、その中ではみんな自由を享受してる。
だから芸術家にしたって、いろんな企業家にしたって、いろいろ集まってくる。
それが素晴らしいことですよね。
だから一昔前だったらそれがパリだったわけでしょ。
そしてその前は、ウィーンも同時期そうだったでしょうし、その前だったらアムステルダムですよね、オランダの。
なぜかといったら宗教勢力もそんなになかった。
そして何と言っても、例えば30歳40歳になって独身でいても、別に気にする人が少ない。
これだったら、昔だって田舎の方がやはりなんで結婚しないのっていう人が多いわけでしょ。
それは変わらないわけですよ。
けど都会になって、そういう風に自由を享受できる街であると、少々当時の常識から外れていても全然気にならない。
だからこそアーティストがいっぱい集まってくる。
ちょっとしたアウトローを受け入れてくれるっていうんですか、が過ごしやすい。
だからこそこういう自由がある街にみんな集まってくるわけですよね。
今世界で一番そういうのがあるのはニューヨークじゃないかなって個人的には思っているので。
だからそういうところが一番好きです。
ここにたどり着いた戦いを知りたいよね。
私そもそもね、指揮者の方に出会ったことがないんですよ。
初指揮者。
初指揮者です、私。
で、そもそも指揮者、なんで指揮者になろうと思ったんだろうと。
まず指揮者っていうお仕事自体が実際、まあ指揮なんだけど、でも本質的にどんなことをしているんだろうっていう疑問があるんですけど、その辺はいかがですかね。
どっちから答えましょうか。
お好きな方で。
そうです。じゃあ、たぶん手っ取り早いっていうかわかりやすくなるのは、いきさつからちょっとお話すると、
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私の母とそして母の父が、いわゆる母方の方が福岡県の田舎でオーケストラを、アマチュアのオーケストラをやってたんですね。
運営していて、彼らも指揮者、アマチュアですけど指揮者だったんですよ。
で、それは福岡県の筑豊地方って言って、結構炭鉱、昔炭鉱、石炭を取ってた時の時代に、
やっぱり運送業とか、ちょっと言葉悪いですけど、ブルーカラーの街っていうのは、たとえばヤクザさんがはびこったりとかして、ちょっと人心悪いところがあったんですよね。
それで今から80年以上前になるんですけれども、私の祖父がそこに何とかしたいというか、それを憂いてオーケストラを作ったんですよ。
まあ、はじめは炭鉱の交付のための、レクレーションのためという感じなんですけどね。
そこから始まって、炭鉱が閉山して、いわゆる石油に取って変わられた後は、それを子供のオーケストラに変えて、
で、遊走オーケストラとして、今も細々と母がやってるんですけれどもね。
そういう家に生まれているので、もともと4歳ぐらいからやってたんですね。ピアノとバイオリンは。
だけど指揮者になるつもりは全くなくて、しかも親から習うわけですよ。ピアノもバイオリンも。
それってあんまり良くないですよね。子供心に厳しくされたら嫌ですし。
だから嫌で仕方なくて、自分で一人では趣味で色んな勉強して作曲とかもしてたんだけど、
だけど結局は反抗して、中学・高校も全然違う、
新学校みたいなところに行って、全く別のことをしてたんですよ。音楽はほとんどやらずに。
で、音楽以外のことをやっていくうちに、自分が歴史とか社会科学系統、経済学とか政治学がすごく興味があったので、
それで、高校卒業する時も大学受験がちょっと嫌で仕方なかったせいもあるんですけど、
ちょっとアメリカのワシントンD.C.首都に行って政治学をやりたいなと思って。
それで、上州ワシントン大学っていうホワイトハウスから3ブロックぐらいのところにあるんですけれども、
そこの大学の国際情勢学部に入れたんですよね。
そこからアメリカ生活がスタートするわけですよ。
大学生の2年の時の夏に、アメリカでなくて自由に何でも取れる単位があるんですけれども、
じゃあ何でもクラス取っていいよって言われるので、じゃあと思って久しぶりにピアノでもやってみようかなと思ってね。小さい頃やってたし。
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それで、2年生の夏に取り始めた時から運命が変わり始めたっていうんですかね。
で、なんで変わったか。いわゆる音楽またやりたいなって思い始めたんですけれども、なんで思い始めたかって言ったら、
アメリカの教育って、絶対けなさないんですよ、生徒。
アメリカの子育てもそうなんですけど、親は子供を絶対に守るっていうか、日本だったら不祥の息子とかうちの子はって言うんだけど、アメリカとかで絶対ないんです。
そんなことをしたら、どんびきされる。どんなに成績とか悪くても、うちの子は本当にいいんだよって言い続けるのが普通なんですね。
で、同じようにそのピアノを取った時の先生から、本当に今考えたらつたないピアノだったと思うんですよ。
だけどものすごく褒めてくれたんです。ここがいいんだね、君のここが素晴らしいよってすごく言ってくれた。
それがなんか初めて自分の出した作品、自分が一生懸命作った作品を認めてくれた。
自分の作品、演奏を通して繋がれた。喜んでくれた。その感覚がものすごく嬉しかったんですよね。
それで、ああ音楽いいなって思って、豚毛を立てりゃ木に登るってやつで、まさしくそれなんですよ。木に登っちゃって。
それからバンドとかやり始めて、その時に赤紫の飯とか入れたんですよ。
想像できない。
できないでしょ。だけどもう舞い上がっちゃって、自分で作曲したポップアップとかを日本人とか他にいた人とかで日本語で歌ったりライブしたりとかしたり、
もう音楽にのめり込んでいっちゃったわけですよ。
20歳の時に、やっぱり自分は音楽だ。これだけ人が喜んでくれるんだから、音楽がいいと思って、音楽家になろうと思って。
決めて、まあけれども保険のためにジョージ・ワシントンがきちんと卒業しようか。
で、23の時に、5年いましたので、22、23の時に卒業したら、音楽といえばやっぱりニューヨークだろうと。
まあ大した根拠もなく考えて、それでニューヨークに引っ越して。
で、ニューヨークにあるクラシックの有名な音楽大学で、ジュリアード音楽院っていうのがあるんですけれども、そこの夜間楽部に転がり込もうとしたんですよね。
その時はピアニストになろうと思ってたので、なんとかその先生に褒められて、1日20時間とか取り憑かれたように練習してたんですけど、少しは弾けるようになってて。
で、その頃は若いですし、少し天狗になるじゃないですか。ちょっと弾けたらね。
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だから、それで夜間楽部に転がり込もうと思ってたんだけど、ジュリアード音楽院のその5階だったよね。
オーディション?ピアノのオーディションのところに行ったら、もうずらーっていっぱいいるの。何百人。オーディション会場にね。ピアニストばっかり。
で、みんな上手そうに見えるわけですよ。もちろんみんな上手いわけ。もう自分はもう中学、高校何もピアノ触ってない。ほとんど触ってないし。
そんな人が来るようなとこじゃないわけですよ、本当に。で、もちろんそこは自分を自分で褒めるんですけど、そこでピンときたのが、これ自分
やっぱりピアノじゃいけないな。つらいけど。それで、もう諦めて、パーって下に置いて事務所のとこ行って、
で、ちょっとカタログまた見せてもらったんですね。で、パラパラめくったら、その指揮と作曲のクラスが目について、
これだったらいけると思うと思って。作曲もちょっとしてたんで。で、まあ指揮はしたことないけど、なんとなくできるだろうとか思っちゃって。
募集の締め切りは過ぎてたんだけど、プロフェッサーの教授の部屋をちょっとノックして、すいませんけど見てくれませんかって言って。
それで自分の知識とか、ピアノのスキルとか、自分の作品とか見せたらば、じゃあ入れてあげるよっていうことで、ちょっと遅かったんだけど入れていただいて。
そこからが指揮者の始めの一歩だったんですよ。2002年かな。
だから今から13年前になりますけど。で、指揮のクラス取り始めるうちに、
これは自分の職業だなっていうか、明らかに他の人とは自分は違うなっていうのがピンと。
ちょっと生意気な話になっちゃうんですけど、なんかそういう気がして。
それはどこでそう感じたんですか?
なんて言うんでしょう。
他の人は、
自分、指揮をする時にみんな
自分がどう見られているかとか、自分がどう見えているかということにあんまり気にしてないんですよね。
第三の目がないっていうか、上からの目がないっていうか、ドッペルゲンガーじゃないですけど。
いわゆる、例えば指揮をするときに、オーケストラがフルサウンドでガーって出るときに
そこで大概の人ってものすごく振りが大きくなるんですよ。
で、やたら派手なジェスチャーをしたりとか、ものすごく自分が興奮して
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すごい顔になっていたりとか。
けど、たぶんすぐ考えたらわかると思うんですけれども、交通整理をまずしなくちゃいけない指揮者、特に大人数だったら交通整理をしなくちゃいけないんだけど、その人がリーダーが一番興奮して
振りを大きくしてたら、どこが拍子かもわからなくなるし。
特にプロ、百戦錬磨のプロを相手にしているとそうなんですけれども、こっちが興奮して変な顔とかしていると
もう向こう嫌がるわけですよ。なんだこいつはと。
だってそうですよね、自分が従って弾こうとしているのに向こうはなんか倒水してるよみたいな。
そういう、まずはそういうところから自分が指揮を始めたところでも、なんかどんどん気づいていくんですよね。もちろん他の生徒さんたちの指揮も見てたっていうのもあるんですけれども。
で、あとは、オーケストラの前に立っても、俺先生より全然できるじゃんっていう。
その初めて指揮台に立った時もオーケストラの前で。それはアマチュアオーケストラだったんですけれども、先生が立たせてくれたんですけども、
なんか本当に全然、僕は楽も暗記してたし、いわゆる各楽器の入りとかもちゃんと合図をしてあげられるし、
全然俺先生よりできるじゃんみたいな。今考えたら少しちょっとおごってたんですけども、けど、
あ、明らかに自分はこれは向いているなっていうのは確実に確信を持ってたんですよね。
それがまず良かった点ですよね。だけどもちろん、
始めてから2、3年して、ジョージ・ワシントン大学は総合大学だったから、もう1回学部から取り直したんですよ。
音楽の、ちゃんとした音楽大学の科目を。で、それを終わって大学院を受験することになって、指揮課を。
で、大学院の指揮課って、あの、大概1学年1人なんですよ、定員が。
だって1人しかいませんからね。で、僕がその次の、あの、ジュリアドの次に行った学校でもその1人だったんですけれども、
で、大学院行くときも1人。だからすごい狭きもんなんですけれども。で、1回目、そこで僕二浪してるわけですよ。
で、それまでの人生で、だから全部落っこちたんですけど、大学院初め。それまでの人生で、もちろん、なんだろう、
中学入試に失敗したことがあったりとか、そういうことはあるけど、そういうのはまだ子供時代のことであって、自分が心から信じてこれだと思ったことで、
挫折した経験はまだなかったわけですよね。 だから、
もうガラガラガラって自分の自信が崩れていっちゃって、
ノイローゼになってですね。
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2005年あたりなんですけど、本当に、 寝ているのか起きているのかわからない状態が続いたんですね、しばらく。
こう、ベッドの上に横になってても、もうずっと全身汗だくになってて、 ずっと目がぼんやり、ただ開いているだけの状態。
で、寝ているのか起きているのかわからない。で、なんとなく起きたなと思って学校に行かなきゃと思っても、普通なら40分で到着するところが、
4回、4、5回電車乗り間違えて、1時間半とかかかっちゃったり。
そういう時期が、まあ1年半ぐらい続いたのかな。
それからちょっといろいろ話が逸れているけど、
その時に出会った人の中の一人が、僕は西洋医学とかもいろいろ試したんですよ。 精神科って言うんでしょうか、診療ないかって言うんでしょうか。
だけどどうしても会わなくて、その時、2005年の後半に会った人が日本人のヒーリングの方だったんです。
で、まあ今時の言葉で言えばスピリチュアリズムですけれども、そういう方とお会いして、
で、まあ、 初め何の考えなしに、もう我にもすがる思いでしたから行ったんですよね。
そしたらそこで、何を言われたかって言ったら、もう一つだけ覚えてるんですけども、
あのレオナさんは、自分を愛しきれてませんね。
自分に厳しすぎますね。もっと自分を愛してあげてください。そしたら他人も愛せますよっていうふうに言われて。
自分を愛すって何だろうって、そこから、なんか
すっごくそれが新鮮で。
確かにその時に瞬間にそう理解したわけじゃないですけれども、それから長い時間をかけてわかったんですけれども、
確かに昔はこの学校じゃないといけないとか、
心に入らないといけない。1日2時間勉強しないといけないとか、
いわゆる英語で言うマストみたいな、何々しなければならない。それができないとやっぱダメなんだっていうような
考え方だと思った。
資格ですよね。本当に資格だったんですよ。丸くなくて。
だけどそのヒーラーの方のおっしゃった言葉から徐々に、
大丈夫なんだよ。怠けです。こういうダメな自分もいいんだよって。それも自分なんだよ。許してあげなよって。
もっと違う自分が出てきて新鮮だよっていうか。
そういう怠けてる自分も好きになってあげようよみたいな、そういう気持ちも少しずつわかるようになってきたんですよね。
そうしたら少しずつまた心の中にあった重いものっていうのは少しずつ抜けていって、立ち直っていったんですよ。
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2007年に大学院に受かって、それはジリアードとかみたいに超一流の学校ではないんです。
だけれども少しレベルは落ちるけれども、その中で自分が1位になればいい。そっちの方が正確に合ってる。
やっぱり褒められて自分が木に登った豚なので、やっぱり褒められる環境がいい。
すごいねって。それだったらそういう超一流じゃなくて、
クイーンズカレッジっていうんですよ。アロン・コープランド音楽院っていうんですけれども、そこに入って
そこだったら自分が結構いいペースで活動できるので、それがすごくメンタルにも良くてですね。
立ち直っていって。一生懸命本当に勉強したし、いっぱい遊んだし、本当にいい
2年間の大学院生活になった。そうしているうちに2008年にプロデビューのお話が舞い込んで、オペラでプロデビューしたら
それが評価してくださる方がいて、いきなりカーネギーホールに。
これすごいでしょ。すごい飛躍ですね。だからそれはヒーラーの方がおっしゃってくれたように、
自分を許すっていうこと?
を学んだからだと思うんですよね。
ダメな自分も好きになろうよ。それだって自分なんだから。
いやー今日もいい話だったね。本当に面白かったな。今日。 興味深かった。
話が楽しい。楽しいというか上手。 指揮者の方も話も上手なんだね。
でもそうね。本当にいろんな視点を持っていらっしゃってね。
そのでもいろんな視点というかね、いろんな目があるからこそ、やっぱり指揮者ができるんだろうね。
そうだね。 みきはどんなことが
印象に残ってますか?
自分を愛する
ことができて、できるからこそ他人を愛することができるっていうようなフレーズがあったと思うんだけど
それが
やっぱり 心に残っているかな。
なるほどね。
あの 本とかで僕が出している本とかでもシャンパンタワーの法則っていうのをよく伝えてて
他の人、家族のためとか子供のためとか会社のためというよりもまずは自分自身を満たして あげるというか自分を愛してあげるということを
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まずやっていきましょうねっていうことを言っていて、そうすると自然とエネルギーがね 循環できるんだよっていうことを伝えてるんですが
それとすごく重なって。 あーなるほど。
やっぱりまず 自分を愛するというか自分をよく知って大切にすること
ができないと 周りへの愛とか周りへエネルギーを
与えていくとかというのはできないんだなと思った。
ヒーリングを受けられていろいろ大変な思いもされたということだったけど
そこから自分はこれでいいんだって思ってそういうことをしていたら
カーネギーホールのお話がやってきたという。 すごいね。
それがすごく循環している感じがするよね。エネルギーが。
そうだね。
パナはどんなところが?
そうですねたくさんあるけどでもあの話がやっぱり印象的
ジュリアード音楽学校に行った時にピアノのところに行ったらこれはもうダメだと
それまででも20時間とか毎日練習してきてしかもかなり自信を持って行かれたと思うのよ
そのぐらいの思いで行ったにも関わらずそこの場所を見て自分はここではないと
潔く諦めてそして全然違う指揮者と作曲っていう新しいところに
その日のうちに入学したっていうね。働きかけて。その話がすごく面白いなぁと思って
自分が本当にやりたいことはねやっぱり諦めたくないと思うんだよね
なんだけど諦めないこともすごく大切なんだけどでも多分そこに行き着く方法って
きっといろいろあって。
で、あの
新しいやり方を
やり方とか入り口から入っていくその潔さとフットワークの軽さと
行動が早いよね。そうそう行動力ね。あとはでも勇気もないとね。そう勇気
だって教授も締め切られてたわけだからそこで教授にまた自分自ら働きかけて
入ったっていうね。なんかそのあり方と行動が
あのすごく新しい生きる選択肢自分らしく生きる選択肢をねなんか与えてくれるなぁって
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思いました。
行きたい道は道というかゴールは決まってるんだけどきっと道は一つだけじゃないっていうことを
知っててというか直感でかはわからないけれどもそしてまたすぐ行動するっていうところが
今の位置というか今の活動に繋がってるんだよね。
柔軟さというかね。あとシンプルだよね。要はここでは一番になれないけど
でもここならなれるっていう場所を自分から自ら見つけて
そこで一生懸命やっていく。
そのあり方はすごくねあのたくさんの人にインスピレーションを与えるんじゃないかなと思います。
そして勇気も与えるんじゃないかという風に思います。
では今日の魔法の質問をどうぞ。
はい今日の魔法の質問は
自分のどんなところを愛していますか。
自分のどんなところを愛していますか。
えーとじゃあこれの僕の答えはですね
失敗するところです。
もうなんか小さいことなんですが毎日のようにちょっとミスを、ミスがあったり
フライトの予約の失敗があったり
1日に何度かありますねよく。
そのためにちょっとくじけるんです。
でもそんな、なんていうのかな
完璧じゃないっていうどころか
こんなミス、誰もしないようなミスしちゃったっていう
ところを愛したいなと思っています。
はい。
良いですね。
では和田の答えはどんな答えでしょう。自分のどんなところを愛してますか。
そうですね。
まあでもあの
なんだかんだ言って素直なところでしょうか。
あのもう落ち込みやすいし
あのもちろん気遣いだし
なんだけどあの
でもすごく見えないところに感謝を常に
感謝の気持ちがあって実際に感謝をねしていたりとか
物とかにも喋らないくせ、物に対しても話しかけるように感謝をしていたりとか
あのすごくありがたいことは本当にありがとうって思える自分を愛したいと思います。
ぜひこの番組を聞きの皆さんもこの質問に答えてみてください。
自分のどんなところを愛してますか。
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ちなみにこの質問というのは答えはすぐ出なくてもいいんですね。
そしてどんな答えでも正解なんですね。
なのでぜひその問いを自分自身に投げかけて
自分なりの答えを見つけるっていうことを行っていただければと思います。
次回もですね引き続きレオナさんにゲストで出演していただきたいと思うんですが
次回はですねちょっとその僕たちも不思議に思っていた
指揮者の仕事とは
そうこれがまた深いね。
すごく深いんだよね。
なんか人間関係というよりも世界の宿図というかね
そこがなんか感じられるようなそんなお話ですね。
そしてねなんか僕が思うのはきっとビジネスというかね
会社の中でも使える要素が満載だと思いますので
ぜひですね次回の放送も楽しみにしていてください。
それでは良い週末を。
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