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2024-12-10 29:43

v133-1 K-saxMusicSupport代表・北嶋恭子さん~音がない時間

今回は、K-sax Music Support代表・北嶋恭子さんにお話を伺いました。サックスの演奏家として、そして音楽教室の経営者として、お仕事は音楽に関すること、と仰る北嶋さん。まずはそのお仕事とはどのようなものなのか、についてから、伺いました。
K-sax Music Support:https://k-saxmusicsupport.com/
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ゆいなわさんの聞く人ラジオ。みなさん、こんにちは。ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は、K-saxMusicSupport代表・北嶋恭子さんにお話を伺いました。
サックスの演奏家として、そして音楽教室の経営者として、お仕事は音楽に関することとおっしゃる北嶋さん。
まずは、そのお仕事とはどのようなものなのか、についてから伺いました。
まず、北嶋さんはどんなお仕事をされていますか?と言ったら、何ですか?
北嶋さん「音楽に関することです。」
北嶋さん「すごくざっくり答えるのであれば、音楽に関することを全般的にやっています。」とお答えしています。
では、具体的にこれをやっていくつかあるということですか?
北嶋さん「そうですね。もともとは自分がサックスという楽器が専攻で音楽大学に出ているので、サックス奏者とサックスを演奏することを指導する立場だったり、サックスだけじゃなくて吹奏楽を指導したり、という演奏と指導の2本立てでやっていたんですけど、
今現在はそこに自分の拠点を持つことになったので、音楽教室の事業であったりとか、あとは今うちに登録している、所属している演奏家が10人から15人くらいなんですかね、彼女たちがここで演奏したり、あとは演奏依頼があったときに派遣したり、
あとはここのホール自体をレンタルスペースとして貸したり、ここを使いたいといろんな方々と一緒に何かイベントを企画したりということもあるので、手広くやっていると言ったら手広くやっているけれども、全部音楽が共通ワードになっているかなという。」
そういうことですよね。音楽中心にしていろいろとされているということですよね。もともとサックスについては学校で学ばれて、小さい頃から、いつからやっているんですか?
中学1年生で吹奏楽部に入部したときにサックスをスタートさせたというのが、一番最初のきっかけですね。そこから中学・高校、一般大学に行ったりとかもあったんですけど、それ中退してから音楽大学に行って、卒業してからは一応プロの奏者として。
音楽家ってプロのライセンスとかってないんですよね。なので言ってしまえば誰でも自称音楽家になれてしまうので、当時音大卒業した後にすぐ私は演奏家ですって名乗る勇気はまだなかったんですけど、その頃から演奏家としてやってきています。
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中学で始められたっていうのは、普通に部活として入部して、楽器も選ぶ?
楽器は一応選べたんですけど、サックスって基本的にはすごく人気の楽器なんですね。ただ当時なぜかサックスパートだけ新入生がいなくて、私が彼入部に行ったときにやりたくない楽器が決まってたんですけど、
これが絶対やりたい楽器がなかったので、やりたくない楽器だけを伝えたら、じゃあちょうどサックスに新入生いないからサックスやってっていう偶然的なスタートで、私がどうしてもやりたかったっていう楽器ではなかったんです。
そう思うと、じゃあサックスやってっていうことが今に繋がってる?
結局そうですね。その一言がなければ、そこに新入生がたまたまゼロ人という状況がなければ、違う楽器だったかもしれないし。
じゃあそう言われて、じゃあサックスやってみようかなみたいな感じで、そこからスタートと。
そうですね。
でも初めて、当然初めてですから。
もちろんもちろん。
分かんないというか、音が出るとか出ないとかそういうところから始まって、でも部活としてやっていけばできるようになって。
そうですね。はい。
じゃあ高校入ったら、それはやっぱりサックスをやりたいっていう感じ?
そうですね。中学1年でそんな偶然的にスタートしたものの、たぶんものの1,2週間、1ヶ月後くらいにはその楽器が大好きになってたと思います。
絶対この楽器がいいって。
それなんでですか?
母いわく昔から記憶力がすごくいいんです。今はそんなにいいと自分では思わないですけど、確かに思い返せば子供の頃とかすごく記憶力が良くて。
サックスも指使いっていうのがあるんですけど、彼入部の時に指使いを教えてもらって、その場で全部覚えることが私はできてしまったんですね。
すごい。
普通は1週間、2週間かけたりとか、なかなか覚えるのが不得意な子だったりすると、1年経ってもまだ指使いは分からないっていう子もいたりするんですけど、
私はすごい瞬間的な記憶力がすごくあるので、その日一日で覚えてしまうと、やっぱり先生も先輩たちも驚くわけじゃないですよ。
そうですよね。
そうすると褒めてもらえるので、踊ってられると嬉しくなっちゃうから。
それでいきなりハマっていったのと、やっぱり瞬間的な記憶力の良さっていうのがすごくあるので、曲もすぐ弾けるようになってしまうし、どんどん楽しくて楽しくて。
そっかそっか。自分に合ってるというか。
そうですね。
へー、そうなんですね。
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それで絶対この楽器以外はないと思ってましたし、高校に入って辞めるっていう選択肢も自分の中には全くなかったですね。
そっか、じゃあそれでもやり続けて、一回大学一般のところに入ったけど、やっぱり。
そうですね。勉強面では数学がとにかく大好きだったので。
へー、はいはい。
で、私は東海大相模中学校っていうところに入って、付属の高校に上がって、そのままエスカレーターで大学まで行けるっていうような感じだったんですけど。
中学2年生くらいの時から数学が大好きで大好きでしょうがなくなって。
その段階で将来の夢が数学科に入って、数学の教員になることっていうのが。
へー。
中二の時にそれを思っていたので、それ通りに一旦進学した感じですね。
あー、そういうことか。
じゃあそのまま大学に入って、数学科に入って、数学を勉強する形で入ったけど。
けどですね。
サックスの方が。
そう。
へー。
負けず嫌いだったんですね、当時は。
だから東海大学入っても推奨学部に入るわけなんですけど。
音楽大学にもし入ってたら、音楽大学に入っている子たちって毎日練習するじゃないですか。
だけど私は部活がある日しか練習できないし、しかも本職というか、一番鮮明しなきゃいけないのは数学なので。
そうですね。
1日の練習料の差がどんどん開いていって、どうしてもどう頑張ってもこの人たちには追いつけなくなるんですよね。
それが自分でもう耐えられなくなっちゃったんです。
へー、そうなんですね。
もっと上手い人が同じ年齢でいるにも関わらず、自分は何をやっているんだろうかって。
そっかそっか。
思ってしまったんですよね。
それは大学入るときはそのまま入ればいいかな、思いとしては。
入るときも思いがちょっとあったのか、入ってから気づくのか。
若干ちょっと思うところはあったんですけど、高校3年生の時に。
学校とか学年の雰囲気からして、音楽大学に行く人はもっと爆発的に天才じゃないとプロにはなれないみたいな。
それぞれみんな高校3年生にしたら上手なんですけど、音楽大学プロになるってほどじゃないよね、みたいな。
雰囲気がすごくあふれてて。
神奈川大学が吹奏楽がすごく盛んな大学なんですね。
そっちへの進学も考えたんですけど。
でも東海大学に行っても楽器は続けられるって言って、どっちも音楽大学じゃないっていう共通点はあるので。
わざわざ外部受験して神奈川大学に行くっていうのもどうなんだろうかって言った。
ちょっと臆病な気持ちもあって。
本当に才能がないと生きていけない世界だっていうのがすごく言われてたので。
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素直に東海大学で進学して、趣味というか。
今日になってまた音楽に携わるような立場になればいいじゃないかって思ったんですけど。
でも思いのほかちゃんとやりたかったみたいで。
早年に気づいちゃったってことですね。
音楽大学受験するってやっぱり特殊な大学なんで。
楽器だけにできればいいってわけじゃなくって。
やっぱり音楽学典という音楽のルールブックだったりとか。
ピアノが最低限弾けたりとか。
いろいろ音楽大学ならではの受験項目があって。
それがまたできる気がしなかったんですよね、当時は。
ただやってみたらそんなに難しいものでもなくて。
言わず嫌いみたいな感じだったんだろうなと思うんですけどね。
それで結局。
じゃあ改めて勉強し直してというか。
そうですね。
音楽大学に入るための受験科目に。
そうですね。
東海大学にいる時にもう辞めちゃって。
辞めちゃってからですね。
東海大2年の前期で辞めたんですね。
前期で辞めて残り半年くらいですかね。
一気に受験勉強を進めて翌年に一般受験に入った感じです。
すごいですね。
それでも勉強してバッと入ったっていう。
音楽大学なので数学とか一般教育は選択で2科目を選べばいいんですけど。
数学は勉強しなくても絶対できるので。
そうかそうか、そういうことですね。
英語はすごく失礼な言い方ですけど、音楽大学に出てくるような受験の英語って言ったらパターンさえ分かっていれば。
そんなに?なるほど。
同じように音楽のルールブックに関しても過去の問題集3年分を見れば何が出るかってのは想像がついちゃうので。
その点は普通の現役で入ってくる高校生よりもずる賢いんですよね。
ちょっと慣れてる、分かってるみたいな。
過去の問題集3年間を見れば何が出るか分かるでしょっていうところで最低限の勉強だけで。
あとはどうしても握らない実技ですよね。サックスとピアノにも集中してやったので。
そんなに大変な受験じゃなくて。
音楽大学入って何科みたいなのがあるんですか?
私が入ったのは音楽学部の器楽学科の中のサックス専攻ということで。
そういうのがあるんですね。
サックスやるからってことでそこを目指してそこに無事に入学。
入学しました。
そこでサックス専攻何やるんですか?
週に1回必ず実技のレッスンを受けることができるんですね。
自分の師匠から。
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音楽大学って大学の名前でみんな選ばないんですね。
自分の習いたい先生がいる音楽大学に受験するんです。
私は彦坂先生っていう方が師匠なんですけど。
彦坂先生。
彦坂先生に習いたいから彦坂先生のいる音楽大学を選ぶんです。
それがたまたま神奈川の昭和音楽大学だったので近くでラッキーですね。
これで彦坂先生が他の県の音楽大学になったら私は神奈川から出てたかもしれないですね。
彦坂先生は前からご存知で。
彦坂先生に学びたいという思いで。
初めて買ったクラシックサックスのCDが彦坂先生だったんですね。
聴いた瞬間衝撃的な音で性別も違う年齢も違う経験年数も違うけど。
言ってしまえば同じアルトサックスっていう楽器を吹いているのに。
なんでここまでこんな音が出せるんだって。
化け物地味なものを感じてしまって。
どんだけオーディオのボリュームを上げても解明できるわけがないのに。
もう大音量で聴いているとか。
真実の曲CDだけを聴いているとか。
もうすさまじい憧れの存在だったんですよね。
その人に習いたいって思ってたんですけど。
どこに教えてらっしゃるかもわからなかったので。
それを知っている人に相談したら。
小音台だよって。
それで紹介していただいて習いに行った。
まさにその憧れの方に教えていただくって。
どんな感じなんですか?
最初はレッスン室に入るだけで緊張ですよね。
そうですよね。
だんだん慣れてくるのももちろんあるんですけど。
やっぱり憧れなんで。
だから近づきたくても近づけないっていうか。
人間が違うから、国歌が違うから。
音色なんか全く一緒になるわけなんかないんですけど。
だけどそこに近づきたくてっていう仲間がいっぱいいるわけですよ。
本科生みんなそうなの。
精査たくましながら。
いいのか悪いのかわかんないんですけど。
他の本科生からは、
彦坂先生は本科の演奏ってみんな彦坂先生に似てるよねって言われてる。
みんなそうだから似ちゃうんですけど。
良い意味でも捉えられるし悪い意味でも捉えられるし。
でもそれほど素晴らしい演奏される先生だったので、
みんなそうやって憧れる存在ではありましたよね。
そうやって良い意味で文科生同士競い合ったりとかしつつ。
そっか。
じゃあ大学の時に彦坂先生の下で楽譜を学ばれて、
楽器って当然最初入り口があって少し吹ける状態があって、
ちょっと上手くなっていく過程がずっとあって、
でもきっとそれに終わりはなくて。
ないですね。
ないですよね。
やっぱり大学入った時よりも、
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ずっと学ばれてる時の方が自分としても上手くなってる的なのはあるでしょうし、
でも今から思えばまた違うでしょうし。
そうですね。
なんか面白いですね。
たぶん柔道とか剣道とか、
道っていう字がつくものとすごく似てる部分があって、
若い方が強いっていう印象があるけれども、
やっぱり技を磨くっていう意味では年数が必要みたいな。
そういう印象ですね、楽器の演奏も。
そっか。
サックスという楽器との偶然の出会い。
一度進んだ大学を辞め、改めて音題に入り直したということ。
そしてお話はサックスを吹き続けていることで、
今だからわかることについて伺いました。
今ももちろんサックスは枯れていて、
演奏してます。
そうなると歴としても何十年という歴になってきて、
今だからまた見えてくる何かってあったりするものですか?
あります。
あるんだ。
20代、学生の頃とか20代の時にはこんなことはできなかったよなって思うものが、
できなかったとか、こういう見え方はしなかったよなっていうものがやっぱりありますね。
僕わかんないと思うんですけど、
例えばこういうことがわかるようになったってありますか?
本当抽象的なことですけど、
音のない時間を見ることができるようになったっていうのかな?
音のない時間を見ることができるようになった?
基本的には音を出すお仕事なわけなんですけど、
楽器を演奏する音を出すんですけど、
音がない時間の存在の大切さがわかるようになる。
それすっごい面白いです。
そうか。
音を出してない瞬間って当然やっぱりある。
間といえば間違いなのか、
その子も音楽の一部という。
そうですね。
音の一部みたいな。
自然の節律とすごく似てるので、
ボールをポンって投げると、
その軌道を見ればどこら辺にどのタイミングで落ちるかっていう想像がつくじゃないですか。
音もそういう存在に見えてくるんですよね、だんだん。
面白い。
それはやっぱり若い頃にはわからなかったですね。
わからないですね。
今だから見えてきたこと。
今だから見える部分。
それがもう自然の節律としてそこが着地ポイントだよねって答えがもうわかってるから、
その答えが来るまで待ってればいいんですけど、
待つっていう声が若い頃はできなくて。
ああ、そっかそっか。
言っちゃうんですね。
そうですね。
なるほど。今はちゃんとそこは待っていられてる?
待ってる。
音がない時間が怖くなくなる。
前は怖かった?
怖かったですね。
間を詰めていかないと怖かったんですけど。
今はそういった意味では時間が怖くなくなった感じはありますね。
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なるほど。
今はこの場所で教えたりとかもされてたりとかする?
してます。
ってなると教えるとまた見える世界が変わってくるじゃないですか。
そうですね。
いろいろ生徒さんによって。
当然、もっとこうした方がいいとか、
この子こういう、ここがいいとか悪いとかっていうのも、
やっぱり自分がやってる当時と比較するのが、
指導者としての目を持ってる、その今の腕というか、
あるから見えてくることとか。
それが跳ね返って自分にも跳ね返って。
そうですね。
いろんなものが作用し合ってるなっていうのはすごく感じてて。
やっぱりその自分自身も音楽大学卒業した後に、
今度一人で練習をしていく。
一人で学んでいかなきゃいけない時に、
めちゃくちゃ大きいスランプにぶち当たったことがあるんですけど。
そうなんですね。
それをクリアするためには、
やっぱりその卒業したものの自分の師匠とレッスン受けに行ったりとかしつつも、
でもそれじゃ根本的な解決には繋がらなくって、
自分でも向き合うしかなかったんですね。
もうすごい苦しい何年間があったんですけど。
それがあるから見えるようになったものもあって、
それがあるからその今目の前にいる生徒さんの状況で、
きっとこういうことが起きてるから、
こうやれば解決できるっていうのを明確に伝えることができたりとか。
あとは今伝えて今できることと、
今伝えても時間が必要なものと。
だから今できないことが焦ることではなくて、
今できなくてもこれがもう原因をちゃんとわかっているから、
これを繰り返していけば、
3ヶ月後には絶対クリアできてるからっていうことが言えるようになったりとか。
それはやっぱり自分の経験とかがなければ言えないこと。
そうですよね。
できなくて悔しくて目の前で泣いている中高生とかいるんですけど、
泣かれても焦らないですよね。
ああ、そっか。
泣くよねって、そんだけ頑張っているのにできなきゃ泣くよねって。
ただ今日はできるようにならないよっていうのはちゃんと。
でも出口はちゃんとあるっていうのは伝えることができるのは、
経験があるからこそなのかなってのは思った気がします。
そうですよね。北島さんがやっぱりそこでスランプみたいなものがあるからこそ言える言葉。
そうですね。
そこで知ったことがあるわけじゃないですか。
だからこそ力強いという言葉になってきて教えることができるってことですよね。
それ、大学卒業されてプロの音楽家としてやってスランプになったっていうのはすごく自覚。
その時ってスランプになっている時って分かんないじゃないですか。
私は幸いなことに分かりました。
分かりました?
私競争心だけで生きてきた人間だったんですね。
中学3年間は吹奏楽コンクールとか出場しない学校で、
とにかく楽器が好きになること、音楽が大好きになることっていうことを最優先にしている顧問の先生の中にいたので、
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中学生ながらすごいプロの先生に教えてもらっているとか、
いい経験すごくさせてもらったんですけど、
高校は真逆のスタイルの学校で、コンクールで全国大会に行くことが第一の目標の学校だったんですよね。
もちろんそうじゃないよ。音楽が楽しいんだよっていうことを教えつつも、
やっぱりそれでコンクールって出場人数が決まっているので、
当時50人で出場額に対して部員が130人とか、
そうなんですね。
なるとどうしても競争社会になる。
何かソロ吹く時とかでも必ずオーディションというものが付きまとって、
必ず競争の中にいたので、自分が上手くなければ活躍できないですね。
上手くて活躍できないと、部活を仕切るようなポジションにもなれない。
相当強気な高校生だと思うんですよね。
自分で言うのもなんですけど、きちんと上手かったので。
発言権もあったし、発言力もあったし。
その部活で私は34期生なんですけど、
33期までは男の子しか部長と副部長をやっちゃいけないという、
暗黒の領海の変だった。
しかも当時なんで、誰もそこに対して疑問を持たなかった。
当たり前のように部長と副部長は女の子がなる権利はないという高校だったんですけど、
私は初めて女の子で副部長になったんですね。
どれだけ強気だったのか、振り返ると自分でも恐ろしいんですけど。
そういう子だったので、大学入ってからも女の子入ってからも、
やっぱり順位を競いたくなっちゃうんですよね。
無意識のうちに。
とりあえず一番取りたいという。
それだけでがむしろにやってきたので、
大学卒業した後に競争社会じゃないところに放り出されてしまったんです。
相手がないというか。
高校1年から大学4年間の東海大も行ってたので、
それを合わせると結構な年数を競い合うという中でしか暮らしてこなかった時に、
いきなり野に放たれて、練習する意味がわかんなくなっちゃったんです。
本当になんで練習しなきゃいけないんだろうという意味がわかんなくなってしまって、
音楽を楽しむというのも意味がわからなくて、
本当に競争する手段でしかなかったんですよね。
技術についてもそうだし、繊細な歌心とかもよく言ったりしますけど、
そういったものも全てが競争の材料でしかなくて。
なるほど。
練習する意味がわかんないと練習する気ももちろん起きないし、
日々レッスンとか生徒を教えることはしていても、
自分がどんどん下手になっていくのはわかるんですよね。
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どんどんどんどん吹けなくなっていって。
そうすると過去の自分がどんどん美化されるので、
大学生の時あんなに上手かったのに、あんなに難しい曲を吹けたのに、
どんどん負のスパイラルのように自分のダメさ加減が見えていっちゃって。
これは楽器は人前では吹けないなって、人前で吹くことが怖くなって。
ああ、そうなんですね。
そこからどうやって復活するには、自分がちゃんとまた人前で吹けるようになるには、
生徒の前で堂々と教えられるようになるには、
その時に鏡を見るかのように壁の前に立って、
自分の音がダイレクトに跳ね返ってくるところで自分の音を聞きながら、
今私はこういう風に吹いてるから上手くいった。
今私はこういう風に吹いたから嫌な音が出た、気に入らない音が出た。
こういうことをやっていって、ひたすら壁に向かい合って、
自分と向き合って自分の音を聞く練習を。
このメニューを必ず毎日やるというルーティンを決めて、
多分そういう生活3年くらいやったんじゃないですかね。
へえ、そうか。
それをきっちり組み立てて、こういう息の吸い方をしたらこういう音が出てくるけど、
体のここの部分に力が入っちゃうと、
100%の息が吸えないから、100%の音が出せないとか、
そういうのをずっと自分で考えながら過ごす3年間くらいを過ごして。
それがあったから、いろんな人の演奏を生徒さんが見ても、
何が原因かっていうのはすぐわかるっていう。
なるほど。そこでちゃんと自分と向き合うみたいなのをきっちりやったっていうことですよね。
それがあるから今。
ありますね。
へえ、すごい。
その3年でその後、人前に立つっていうことには行くんですよね。
そうですね。当時まだ音大出てわずかの20代だったので、
人前で吹く本番の数が極端に少なかったんですよね。
すごいひどいスランプに陥ってるときは、
たぶん年に2,3回しか本番がなかったんですよね。
今は大体月に少なくて3回。
クリスマスシーズンとかが多くなると月に15回とか。
当時はそれだけ少なかったので、
だからそういう生活でも耐えられたのかなって。
そこで例えば、人によってはもう本当にダメになっちゃう人もいるかもしれないじゃないですか。
いると思います。
もう吹けないってなってやめちゃうみたいな。
趣味ではやるけどみたいな人もいるでしょうし、
そこでやっぱり何かやるとさせたものは何なんでしょう。
もうがけっぷちだったのが、
私そもそも大学中退してるので、
学費使ってるんですよね、2年間多く。
そうかそうか。
それで親にも散々言われたんですよ。
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別にちゃんと数学の先生になってから、
趣味で思う存分続けるのでもいいじゃないかって言われたんですけど、
それを押し切って強引に中退してやってるので、
それで今更辞めるっていうことをちょっと言いづらかったっていうのももちろんあるし、
音大卒業してから1年間でお金をすごい貯めたんですね。
なんで貯めたかって言ったら、1人ぐらいするためだったんですけど。
ずっとご実家にいらっしゃって。
うちの実家的には結婚するときに初めて家を出るっていう決まりがうちの実家にあったので、
結婚するわけでもないのに1年間で家を出るっていう、
すごいとんでもないことを言い出す娘だったんですけど、
それでなぜ家を出たいかって言ったら、
結局私の仕事は演奏家ですって言ったときに、
普通言われる言葉が、
実家だからできることだよねとか。
そもそも音大行ってると、実家が裕福だからできる。
実家のサポートがあるからできる。
かじることのあるすねがあっていいね。
っていうのをやっぱりずっと言われてしまうんですね。
それが外から言われるのはまだしも、やっぱり大学中退とかしてるので、
親戚からも言われちゃうんですね。
それがもう耐えられなくて、これから逃れるためには、
一人暮らしして実家からのサポートなしでやってるよっていう、
自分を作るしかないと思って。
それで1年間お金貯めて実家飛び出しちゃってたんです。
それもあったから、もう辞めるって自分で言えない状況を作っちゃって。
自分をそのまま別口に追い込むぐらいにして、
もともと負けず嫌いというポジションがあるから、
そこからやってくる。
で、しっかり踏ん張って、
自分と向き合ってっていうことをしっかりされて、
それはなんかとても大きなことですよね。
それができたっていうこと。
やってる最中はしんどいと思うんですけど、
実際一人暮らしされてってことになったら、
稼いでいかなきゃいけない。
普通の生活をやっていかなきゃいけないってこともやりながら、
サックスと向き合いながら、吹きながらっていうところから始まって。
今です。
今だからわかる、音のない時間を見ることができるようになったということ。
そして大きなスランプがあったから見えること。
教えられること。
長くサックスを演奏されてきたからこその、
北島さんの言葉が響きます。
そしてお話は後編に続きます。
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