おもしろい。情緒ね。
情緒っていうのが、菅さんの話を聞いた八木さんの解釈としては、
便利になることで吸っ飛ばされるものが情緒だっていうことなのかな。
要するに、便利になるっていうのは、プロセスを吸っ飛ばして結論を得ることっていうのが、
今の世の中の便利さっていうのが向かってる方向。
って考えると、確かになって思うのは、例えば結論ファーストで話しなさいみたいな。
古くは、就活の面接とかで結論から話せって言われたりするものが、
はびこっていて、ツイッター上で行われる議論とかも、
結論はなんだよみたいなことを急かしているみたいな感じ。
情緒っていうのは、結論に至るまでの心の動きとか情動のことを情緒と言うと、
そういうものが軽んじられてる?あるいは吸っ飛ばされてる?
そこにこそ面白さがあるのにねっていうことを言ってらっしゃるのかな?
そういうことです。そこにこそ面白さがあるのにどんどん便利になっていくんで。
どんどんつまんないくなるんじゃないかなっていうある意味では。
面白いドラマがなくなっていく。
Uber Eatsとかもね、頼んでドアの前に置いといてくださいみたいな。
合わないわけじゃないですか。
ドアの前に置く機能があることによって、もしかしたらUber Eatsの配達員がめちゃくちゃ臭かったとか。
わかんないけどね。そういうエピソードがあるかもしれないね。
それはなくてもいいかなって思っちゃうけど。
思っちゃうけど、それがなんか冗長になるじゃないですか。
釣り線を渡すときに手が触れる触れないとかっていう。
そういうのに敏感になった記憶は自分ではないけど、そういうの見つけたりするので。
でもそういうの今ないですよね。
キャッシュレスでペイペイとか払うから、お釣りとか概念がないじゃないですか。
でもペイペイのバーコードリーダーに読み込ませやすい角度に変えてあげるみたいな情緒とかはあるかもしれないですね。
可能じてね、確かに。
面白いな。便利になることで情緒が排除されすぎている?されつつある?
そんな世の中生きていて楽しいのかい?みたいな問いかけなんですかね、今日は。
そうですね。それで楽しいのかい?っていう問いかけもあるし。
ここにもう一個付随すると、不便益っていう言葉があって。
不便であるからこそ、得られるベネフェットがあるっていう言葉なんですけど。
これもたぶん造語なのかもしれないですけど、そういう言葉が一応、どっかの記事で書かれていて。
例えば、どっかのバーがあって、そのバーでワインを飲むバーなんですけど、
その樽があって、その樽の雑地みたいなものを一人ではあげられない仕組みになっていて、
2人いて、なおかつ誰かのコップをそこで持って、ずっとそれを持ってないとワインがコップに入らないみたいな状況になってるんですね、そこのバーは。
そういうことで何が起こるかというと、めちゃくちゃ不便なんですけど、その3人の中でコミュニケーションが生まれるんですよ。
不便であることによって。そういう仕組みがあるからこそ、そのバーはすごいお客さんがみんなわきあいあいとするんですって、リピーターも。
なんでこれはまさに不便液じゃんっていう。不便だからこそ、みんながつながったり、コミュニケーション活性化されたりするっていうベネフェットがある。
これもさっきの便利って本当にことっていうところにつながってくるなっていう。人と人とのコミュニケーションが生まれることで情緒も発生するし、流れも生まれるし。便利だったらこれは発生しないっていう話ですね。
なるほどねー。面白いですね。だから不便液っていうのはデザインのことなんですかね。こういう人と人が、ワインの樽を注げるようにするんだったら一人で自動でワイングラス置いたら勝手にワイン出てくるみたいな。
これが便利。だけどその逆を言ってるわけですね。逆のデザインで一人ではできない。不便だからいくつもかかると。だけど、そのバーっていうシチュエーションにおいてはその不便を強制することでコミュニケーションが生まれて、情緒が生まれますよねっていう話で、そういうのいいじゃんってヤッキーさん言ってるんですね。
そういうことです。そういうデザインいいなっていう。
なるほどな。面白いなと思って。そもそも世の中が便利になってるのって、それによって生まれた時間でもっと自分好きなことできますよねみたいな。
うんうんうん。
古くは洗濯物とかそもそも水汲んでくるところからスタートだったわけじゃないですか。たまに火を汲めるのも薪を集めてくるところからスタートだったり、そもそも火をつけるっていうスキルを磨かなきゃいけなかったり。
ものすごく不便だったのが今はコンロをひねればいいし、揚げ具の果てにはIHになって電気でお湯を沸かせますと。
ホット。水汲んでスイッチ押せば。水汲むのだって蛇口から入れるだけだからどんどん便利になってる。
で、ここの元々昔の人がお湯を沸かして茶を入れるためにものすごい手間をかけていたものを、2分以内に紅茶を入れられるようなようになったと。
じゃあその浮いた時間であんた何やってんのっていうのが、なんだろう、無自覚だなと思いましたけどね。
どうしたらいいでしょうね。便利にしてはいけないものって何なのかなっていう問いが自分の中にちょっとあったりして。
便利にしまくってるじゃないですか、何事も。IT業界でのサービスとかもそうですし。とりあえずね、攻撃家の話だと思うので、全てのサービスって。
でも逆に、これだけは絶対便利にしちゃいけないよねみたいな。業域ってあるのかなって。普段の生活の中で。
例えば。
例えば。
意外と家事とかも。
わかんないですけどね。家事、わかんないけど。
家事?家事とか。もう、普段家事はね。
しまくってますけど。
うん、そしたらね、真っ先に亡くなっていいとこだとは思ってるけど。
意外とね、お弁当とか意外とわかんないですけど。
あー。
あー。
意外と。
意外と?
お弁当使い。
お弁当使いだな。
ちょっと賛同しかねるな。
賛同しかねるな。
それが毎日だったら、なんだろうな。
なんつーんだろうな。
面白えな。
意外と。
でも、省略された時間でTikTok見るのとかやっぱ違うと思うんですよ。
はいはいはい。
僕、TikTokはやめないけど、YouTubeはよく見るから、YouTubeショートとかで時間を溶かしてしまうことはやっぱりあるし、あれはもう、時間を溶かすことに最適化してるじゃないですか。
はいはいはい。
で、我々の世の中が便利になって、例えばね、自分で足を運んで買い物に行かなくても、オンラインで注文したものが勝手に家に届く。
じゃあこの浮いた時間でTikTok見ようとかは、そうなっちゃうのは良くないなって。
そうですね。
そうなると、例えばこれ極論、突き詰めてみると、便利を。
うん。
何もしなくていいじゃないですか、人間は。家事もしない、子供も振り向かいしてくれる。
椅子に座っているだけでいいみたいなことですよね。便利を突き詰めていくと。
お金も誰か稼いでくれる。ただ家に座っていればご飯出て、TikTok見てみたいな。
そういう、あとは遊びに行くぐらいしかない。便利を突き詰めると、そういう社会になりますよね、多分。
そうですね。
なんで人は多分キャンプとかしたしてるわけですよね。それが、あえて不便なところに行って、薪から割って、それで豊かさ感じるみたいなことじゃないですか、キャンプとかって。
いや、そりゃそうっすな。
そのゆとなみが、豊かなんだなみたいな。なんでお弁当作りとかも、ある意味豊かというか、それができるっていうこと。
なんで意外と、やっぱりそこに伝わらない愛情みたいなものを子どもたちも感じるわけじゃないですか。
パパがしっかり作ってくれた弁当なのか、ロボットが適当にしゃがんだって出してくれた弁当なのかみたいな。
そこにも情緒があるじゃないですか。毎日作ってくれてたんだ、パパはみたいな。
っていう、大人になってからそれを感じるみたいな。
熟成されてそれが情緒。
これが便利になっちゃうと、そういうものもなくなるわけですよね。
人間のいとなみみたいなもの。
そういうふうに時間軸も足し算すると考える、考慮すると、時間軸の情緒もあるし。
なんで、それが弁当作りとか家事とか全部便利にしてしまうと、その情緒はなくなるなって。
逆に親子関係の中でどういうところで情緒を積み重ねるのかというか。
わかんないですけど。
これは完全に正解はないんですけど。
なんかね、そんなふうに思ったんですよね。社会の中で。
おもしれーよ、これ。
面白い。
情緒が大切ってフレーズって受け入れ難いというか、受け入れ難くない。
なんて言うんだろう、それをこわだかに叫ぶのにためらいが生じるって感じなんですよ。