1. はたらく30代の資本主義解放宣言
  2. #25 便利って本当にいいこと?..
2024-09-09 19:00

#25 便利って本当にいいこと?(前編)

KK
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#不便益 #便利 #資本主義 #情緒 #感情

【概要】

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サマリー

このエピソードでは、便利さが本当に良いことなのかというテーマを探ります。リチャさんと輝きさんは、便利さによって失われる情緒や人間関係の重要性について議論し、便利さと不便さの間のバランスについて思考を深めます。便利さの追求が人々の生活に与える影響について考察され、特に不便な体験を通じて得られる情緒の重要性が話し合われます。技術の進展に伴い、家事や日常の簡略化が情緒や人間関係に与える影響にも触れられています。

ポッドキャストの導入
はたらく30代の資本主義解放宣言。ロンドン在住の主婦でコーチのリチャと、
東京在住の個人投資家でコーチの輝きです。
資本主義解放宣言は、行き過ぎた資本主義に違和感を感じる元商社でリクルートのリチャと、
スタートアップを10年を渡り歩いてきた輝きが、
はたらくをテーマに、これからの新しい生き方について一緒に考えるポッドキャストです。
ということで、やっきぃさん、お疲れ様です。9月が始まりましたね。
ねえ、もうあっという間に気が付いたらって感じですね。
いや、もう正直僕としては長い長い夏休みだったなと感じてますけどね。
長かった。長かったですよ。前段は旅行とか行って楽しかったし、
後半もね、義理の両親とうちの父親がそれぞれロンドンに遊びに来てくれて、
ちょっとした国内旅行とかも行ったりして、すごく楽しいイベントがいっぱいあったんですけど、
ずっとね、うちのお子さんたちが家におりましたんでね、
濃密な時間を過ごしたのかな、濃密だったということで、
まああっという間だったのかな、こんな感じです。
やっきぃさんどうでした?8月は。
僕も家族との時間が多かったなっていう。
北海道行って、ただ台風で帰って来れなくなり、
5日間しかいない予定だった北海道に2週間いるっていう。
2週間いたんですね。良かった2日が。
なんでホテルも取り直してみたいな感じで、
まあ思いがけない出費でしたけど、
今しかできない家族との時間かなみたいな風に切り替えて、そんな。
時間を過ごしておりました。
ということですね。
互い家族と過ごせていい夏でしたなと。
そうですね。
便利さと情緒の関係
というところで、
今日のテーマはやっきぃさんが持ち込んでくれたということで、
今日のテーマは何ですか?
今日のテーマは、便利って本当に良いことなのかっていうテーマですね。
便利?本当に良いことか。なるほど。
これはどんなテーマですか?
これはきっかけは、これを思い立ったきっかけは、
芸人の養成所、大体の学校に通っていて、
一つの授業で、
菅さんっていうガキ使のプロデューサーとか昔してた人かな。
が講師で来て。
その方が自分のエピソードを語ってて、昔の。
昔はすごく情緒があったよねっていう話をしてて。
情緒って何だろうっていうのを自分の中で言語化したいなって思ったんですよね、話を聞いてて。
で、菅さんのエピソードの話を聞いてると、
バックパッカーの話とか、
人と人が触れ合って起こるトラブルとか、
そういう話をいっぱいしてるんですよね。
ってことは、情緒を言語化すると、
人を介在した思いがけないハプニングとか、
人を介在することによって起こる何かトラブルとか、
そういったものがあると、
人は情緒と呼ぶんじゃないかなっていう。
なので、便利になると人と人との介在がなくなるんで、
情緒がなくなってくるなと思ったんですよね。
便利があればあるほど。
でも菅さんは、やっぱり情緒がないよね、最近。
ちょっと寂しいよね、みたいなことを。
そんなニュアンスでしゃべっていて。
確かにな、みたいな。
なんで、情緒ってめんどくさい反面、
予測不可能な人の感情とか、触れ合うことになるんで。
めんどくさい反面、それがあるからこそ、
旅とかドラマとかが発生するわけであって、
それによって、その人の芸人的な感じで言うと、
滑らない話になるわけですよね。
その情緒があることで。
便利になればなるほど、この情緒がなくなるなと思って。
なんで、それって人生を豊かにするんだっけというか。
そういった意味での便利って本当にいいことなのかなっていうテーマですね。
不便益の考察
おもしろい。情緒ね。
情緒っていうのが、菅さんの話を聞いた八木さんの解釈としては、
便利になることで吸っ飛ばされるものが情緒だっていうことなのかな。
要するに、便利になるっていうのは、プロセスを吸っ飛ばして結論を得ることっていうのが、
今の世の中の便利さっていうのが向かってる方向。
って考えると、確かになって思うのは、例えば結論ファーストで話しなさいみたいな。
古くは、就活の面接とかで結論から話せって言われたりするものが、
はびこっていて、ツイッター上で行われる議論とかも、
結論はなんだよみたいなことを急かしているみたいな感じ。
情緒っていうのは、結論に至るまでの心の動きとか情動のことを情緒と言うと、
そういうものが軽んじられてる?あるいは吸っ飛ばされてる?
そこにこそ面白さがあるのにねっていうことを言ってらっしゃるのかな?
そういうことです。そこにこそ面白さがあるのにどんどん便利になっていくんで。
どんどんつまんないくなるんじゃないかなっていうある意味では。
面白いドラマがなくなっていく。
Uber Eatsとかもね、頼んでドアの前に置いといてくださいみたいな。
合わないわけじゃないですか。
ドアの前に置く機能があることによって、もしかしたらUber Eatsの配達員がめちゃくちゃ臭かったとか。
わかんないけどね。そういうエピソードがあるかもしれないね。
それはなくてもいいかなって思っちゃうけど。
思っちゃうけど、それがなんか冗長になるじゃないですか。
釣り線を渡すときに手が触れる触れないとかっていう。
そういうのに敏感になった記憶は自分ではないけど、そういうの見つけたりするので。
でもそういうの今ないですよね。
キャッシュレスでペイペイとか払うから、お釣りとか概念がないじゃないですか。
でもペイペイのバーコードリーダーに読み込ませやすい角度に変えてあげるみたいな情緒とかはあるかもしれないですね。
可能じてね、確かに。
面白いな。便利になることで情緒が排除されすぎている?されつつある?
そんな世の中生きていて楽しいのかい?みたいな問いかけなんですかね、今日は。
そうですね。それで楽しいのかい?っていう問いかけもあるし。
ここにもう一個付随すると、不便益っていう言葉があって。
不便であるからこそ、得られるベネフェットがあるっていう言葉なんですけど。
これもたぶん造語なのかもしれないですけど、そういう言葉が一応、どっかの記事で書かれていて。
例えば、どっかのバーがあって、そのバーでワインを飲むバーなんですけど、
その樽があって、その樽の雑地みたいなものを一人ではあげられない仕組みになっていて、
2人いて、なおかつ誰かのコップをそこで持って、ずっとそれを持ってないとワインがコップに入らないみたいな状況になってるんですね、そこのバーは。
そういうことで何が起こるかというと、めちゃくちゃ不便なんですけど、その3人の中でコミュニケーションが生まれるんですよ。
不便であることによって。そういう仕組みがあるからこそ、そのバーはすごいお客さんがみんなわきあいあいとするんですって、リピーターも。
なんでこれはまさに不便液じゃんっていう。不便だからこそ、みんながつながったり、コミュニケーション活性化されたりするっていうベネフェットがある。
これもさっきの便利って本当にことっていうところにつながってくるなっていう。人と人とのコミュニケーションが生まれることで情緒も発生するし、流れも生まれるし。便利だったらこれは発生しないっていう話ですね。
なるほどねー。面白いですね。だから不便液っていうのはデザインのことなんですかね。こういう人と人が、ワインの樽を注げるようにするんだったら一人で自動でワイングラス置いたら勝手にワイン出てくるみたいな。
これが便利。だけどその逆を言ってるわけですね。逆のデザインで一人ではできない。不便だからいくつもかかると。だけど、そのバーっていうシチュエーションにおいてはその不便を強制することでコミュニケーションが生まれて、情緒が生まれますよねっていう話で、そういうのいいじゃんってヤッキーさん言ってるんですね。
そういうことです。そういうデザインいいなっていう。
なるほどな。面白いなと思って。そもそも世の中が便利になってるのって、それによって生まれた時間でもっと自分好きなことできますよねみたいな。
うんうんうん。
古くは洗濯物とかそもそも水汲んでくるところからスタートだったわけじゃないですか。たまに火を汲めるのも薪を集めてくるところからスタートだったり、そもそも火をつけるっていうスキルを磨かなきゃいけなかったり。
ものすごく不便だったのが今はコンロをひねればいいし、揚げ具の果てにはIHになって電気でお湯を沸かせますと。
ホット。水汲んでスイッチ押せば。水汲むのだって蛇口から入れるだけだからどんどん便利になってる。
で、ここの元々昔の人がお湯を沸かして茶を入れるためにものすごい手間をかけていたものを、2分以内に紅茶を入れられるようなようになったと。
じゃあその浮いた時間であんた何やってんのっていうのが、なんだろう、無自覚だなと思いましたけどね。
不便さの価値
そうですね。特に有益なことしてるかって言ったらそうでもないことも多いですからね。浮いた時間で。
浮いた時間で不便駅のバーに行くんでしょうな。
そうですね。
面白いですよね。昔はこうだったじゃんっていう話とは違うじゃないですか、今のワインバーの。
わざわざ不便にして、3人いないとワインが付けないようにして、だからいる人たちがわきあいあいって。
昔はこうだったっていう話じゃなくて、情緒が生まれる仕組みをバーで酒飲むっていう工程に追加したっていう話で。
何かこう、便利なものの中にそういう不便なものを差し込むことで、生活がより豊かになる。少なくとも情緒が溢れる世の中になっていくっていうのはあるのかもしれないですね。
この話で思い出すのって、弱いロボットの話を思い出しますね。
ラボ?
ラボ。どうでしたっけ。
一人じゃ何もできないAI搭載のロボットで、質問をすると間違った答えをするから、そうじゃないよって子供たちが喜んで教えるみたいな。
弱くて助けなければいけないから、みんなが手を差し伸べて、わきあいあいにするみたいな。
そういうものの不便な話と似てるなと思いましたけど。
面白いですよね。あえて不便なものを人間が作り出してるっていうのが面白いですよね。便利すぎる世の中だからこそ。
なんかいいですね。なんかいいなと思った。何を大切にしたいのかから考えていくと、多分そういうバーの作りとかになるんでしょうね。
そもそも人がバーに来て、何が一番大事なのと。
いろんなバーがあると思うので、みんながみんなそういう不便になる必要はないとは思うんだけど、
例に出してくれたワインのバーの話っていうのは、このお店に集まる人にどんな風になってほしいみたいなところから逆算して考えるとこうなるっていうデザインシンキング的な話なのかな。
便利なことは良いことなのかっていう話に戻りますけど、どうなったらいいと思うんですか、ヤッキーさんは。世の中がどういう風になっていくのがいいって思ってるんですかね。
便利さの影響
どうしたらいいでしょうね。便利にしてはいけないものって何なのかなっていう問いが自分の中にちょっとあったりして。
便利にしまくってるじゃないですか、何事も。IT業界でのサービスとかもそうですし。とりあえずね、攻撃家の話だと思うので、全てのサービスって。
でも逆に、これだけは絶対便利にしちゃいけないよねみたいな。業域ってあるのかなって。普段の生活の中で。
例えば。
例えば。
意外と家事とかも。
わかんないですけどね。家事、わかんないけど。
家事?家事とか。もう、普段家事はね。
しまくってますけど。
うん、そしたらね、真っ先に亡くなっていいとこだとは思ってるけど。
意外とね、お弁当とか意外とわかんないですけど。
あー。
あー。
意外と。
意外と?
お弁当使い。
お弁当使いだな。
ちょっと賛同しかねるな。
賛同しかねるな。
それが毎日だったら、なんだろうな。
なんつーんだろうな。
面白えな。
意外と。
でも、省略された時間でTikTok見るのとかやっぱ違うと思うんですよ。
はいはいはい。
僕、TikTokはやめないけど、YouTubeはよく見るから、YouTubeショートとかで時間を溶かしてしまうことはやっぱりあるし、あれはもう、時間を溶かすことに最適化してるじゃないですか。
はいはいはい。
で、我々の世の中が便利になって、例えばね、自分で足を運んで買い物に行かなくても、オンラインで注文したものが勝手に家に届く。
じゃあこの浮いた時間でTikTok見ようとかは、そうなっちゃうのは良くないなって。
そうですね。
そうなると、例えばこれ極論、突き詰めてみると、便利を。
うん。
何もしなくていいじゃないですか、人間は。家事もしない、子供も振り向かいしてくれる。
椅子に座っているだけでいいみたいなことですよね。便利を突き詰めていくと。
お金も誰か稼いでくれる。ただ家に座っていればご飯出て、TikTok見てみたいな。
そういう、あとは遊びに行くぐらいしかない。便利を突き詰めると、そういう社会になりますよね、多分。
そうですね。
なんで人は多分キャンプとかしたしてるわけですよね。それが、あえて不便なところに行って、薪から割って、それで豊かさ感じるみたいなことじゃないですか、キャンプとかって。
いや、そりゃそうっすな。
そのゆとなみが、豊かなんだなみたいな。なんでお弁当作りとかも、ある意味豊かというか、それができるっていうこと。
なんで意外と、やっぱりそこに伝わらない愛情みたいなものを子どもたちも感じるわけじゃないですか。
パパがしっかり作ってくれた弁当なのか、ロボットが適当にしゃがんだって出してくれた弁当なのかみたいな。
そこにも情緒があるじゃないですか。毎日作ってくれてたんだ、パパはみたいな。
っていう、大人になってからそれを感じるみたいな。
熟成されてそれが情緒。
これが便利になっちゃうと、そういうものもなくなるわけですよね。
人間のいとなみみたいなもの。
そういうふうに時間軸も足し算すると考える、考慮すると、時間軸の情緒もあるし。
なんで、それが弁当作りとか家事とか全部便利にしてしまうと、その情緒はなくなるなって。
逆に親子関係の中でどういうところで情緒を積み重ねるのかというか。
わかんないですけど。
これは完全に正解はないんですけど。
なんかね、そんなふうに思ったんですよね。社会の中で。
おもしれーよ、これ。
面白い。
情緒が大切ってフレーズって受け入れ難いというか、受け入れ難くない。
なんて言うんだろう、それをこわだかに叫ぶのにためらいが生じるって感じなんですよ。
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