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20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャスト
伝説の新人ポッドキャストは、様々な業界で伝説的な活躍をしているゲストをお招きし、
20代の皆さんに向けて優秀な人材と言われるレベルではなく、
圧倒的に突き抜けた人材になるためのヒントをお伝えしていく番組です。
本期の20代に火をつける伝説の新人養成プロジェクトがお送りいたします。
皆さん、こんにちは。
20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャストへようこそ。
ナビゲーターの戸谷香菜です。
伝説の新人プロジェクト、小宮です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日は、元サッカー選手の日本代表の城昌司さんをゲストとしてお迎えしているんですけれども、
スポーツ選手をゲストとしてお呼びするのは初めてですよね。
そうですね。
アスリートの方というのは初めてになるんですけれども、
やはりかなりプロフェッショナルとして活躍されてきた方なので、
いろいろお話を伺っていきたいなと思います。
今回は紹介になりますので、いつものように経歴の方をまずはご紹介させていただきたいと思います。
城昌司さんは、高校時代から鹿児島実業高校のサッカー部員として活躍し、
高校卒業後の1994年、Jリーグのジェフ・ユナイテッド一原に入団。
デビュー戦でゴールを上げ、それから4試合連続ゴールを達成。
1年目にしてあげた得点は、Jリーグの新人された得点を記録し、注目を集めました。
1997年に横浜マリノスへ移籍。
同年、フランスワールドカップアジア最終予選で初出場を果たし、チームの窮地を救うゴールを決めたことにより、
城選手への注目度や期待はますます高まりました。
ワールドカップ本戦では三浦和義選手に代わるエースストライカーとして抜擢されます。
2000年には念願だった欧州リーグに挑戦することとなり、スペインのリーガー・エスパニョーラ一部、バリアドリードへ移籍します。
2006年に現役を引退し、現在は試合解説やコメンテーターとしてご活躍されています。
城選手は若い時に高校を卒業してすぐにJリーグに入り、活躍されてきましたが…
あんまり知らないでしょ、その頃。
そうですね、実は。
ちょうどJリーグが始まって2年ぶりくらいじゃないかな。
すごい若手でできたんですよ。
そうなんですね。
残念ながらその時代のJリーグの盛り上がり方というのを知らないんですけど。
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高校卒業してプロになってすぐに日本の代表のエースになっていたという印象がすごく強くて。
はい。
小宮さんもサッカーをやられていたので今日は楽しみに。
楽しみですよ。
はい、ということでものすごい活躍をされてきた城さんにこれから4回もあたっていろいろお話を伺っていきたいと思いますのでよろしくお願いします。
はい、それでは城さんどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はスタートダッシュが違うというテーマでお話ししていただきたいなと思うんですけども、
高校卒業されてからすぐにJリーグのジェフ・ユナイテッド・イチハラに入団されて枯渇されてきたんですけども、
その当時のことをちょっと振り返ってお話しいただけないかなと思います。
そうですね。もう先ほど出ましたけどもJリーグができて2年目の年にですね、
もう本当にJリーグバブルと言われている時期ですよね。
本当チケットが取れないとかですね。
そうですね。
すごいプレミアムがついて一石十万円とかそのくらいのサッカーが本当にプロリーグができてみんなが盛り上がっているその次の年ですね。
私はプロになったわけなんですけども、実は最初にプロになったエピソードがあって、
僕も高校時代に一応鹿児島実育高校というところで名門と言われているところでプレイをして、
あの当時Jリーグは8チームしかなかったんですけども、その中でも4チームからオファーをいただきました。
高校生では破格の金額ということでいろんな契約金とかいろいろ入ったんですけども、
実は当時はベルディー、名古屋とかいろんな強いクラブから誘いがあったんですけども、
僕が選んだのはジェフユナイテッド市原と言ってジェフ千葉というチームを選んだんですけども、実はここからオファーがなかったんですよ。
へー。
他からは来てたんですけども、実はジェフというチームからオファーがなくて、僕はなんでこのジェフに行ったのかというのが、
実は選手の英館という1年間の選手の成績だったりとかプロフィールとかが載っているそういった本を僕は高校の時に手にしまして、
それを見てすごい選手がいるなと思いながら見てたんですけども、その時にふと年間の得点をフォワードの攻める人たちのランキングを見てたら、
ジェフ市原の1人のフォワードの人がずっと試合に出てる人が年間で2得点しかしてなかった。
それで、あとはやっぱりいろんなところにはベル・ディ・デミーラ・カズヨシ選手とか、いろんな外国人の選手とか何十点とか取っている選手が多かったので、
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僕は不意にその選手の2点というのを見た瞬間に、僕はここに行きたいと。
ここに行ったらもしかしたら出れるんじゃないかと。安易な考えですよね最初はね。
それで高校の監督に話をして、実は僕はジェフに行きたいと。
で、実質を知ったら監督もいや冗談じゃないと。ここは来てないと。
ここから来てるから、だから数千万円という契約金もあるし、だから絶対そっち行った方がいいよって話だったんですけども、
僕もよく考えて、でもやっぱりここに行きたい。もしかしたら出れるかもしれない。
っていうスタートがちょっと、そこが僕はすごい自分で考えたというのがひらめきというか、
それに自分がなんか知らないですけど不思議と自信を持って望みたいという最初スタートがあって、
ある程度もう中場本当に泣いてをもらっている状況ですよねこの2人。
で、お会いもしましたし、いろんな話をして、戦力としてとかいろんな話があったんですけども、
それを一斉にすべて断って、それで高校の監督と一緒に千葉まで足を運んで、
ぜひ話をしてほしいということで行って、話をすることになったんですよ。
でもその時には向こうも驚いていて、他からあるでしょって言われながら、
うちにはお金がないと。予算もないし、他の選手を取っているからないと。
だからその当時、他のチームの契約金ですね。
契約金の3分の1くらいですね。の契約金しか出せないと。これしかお金がないということだったんですけども、
僕はいいですと。お金じゃないので入れてほしいと。
という形でこっちで自起訴をして入れようと思ったという実はエピソードがあって、
だから今思えばすごいことをしたなというか、無謀なチャレンジをしたなというのはあったんですけど、
でも自分の中では何かこう、ひらめきだったりその革新というか、
全くそういう、革新という要素は全くないんですけども、
でもそこに何かチャレンジしたいという思いがあって、それで実際にチェフ市原というチームに入らせてもらってやったんですけども、
でも最初のやっぱり練習で甘いなというか、僕の考え甘かったんだなという、
その年間2得点しか取ってなかった人と一緒に練習するわけですよ。
でも数段やっぱりレベルが上なんですけども、プロというのはやっぱり違うし、
やっぱりとにかく体を動かすスピードだったり走るスピードで、
頭を、頭のスピードってシンキングスピードって言いますけども、
考える判断力のスピードだったりとか、全くこれ歯が立たないなというのを実感していて、
練習をこなしていくんですけども、その時にまず失敗したなと、
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俺は違うチームに行って、もっとお金をもらって、
でも実はそういう入団に関してのひらめきを自分で信じて、
それで練習をこなしていったんですけども、でもその時に運も味方したというかね、
ちょうど監督が清雲さんという監督だったんですけども、
その方は大学時代までラグビーをやっていた方で、
ラグビーの日本代表になっていたくらいの有名な方で、
サッカーを大学の途中からやりだした方だったんですけども、
その方のひらめきというか、試合の開幕戦の前日までは僕Bチームと言われて、
Aチームがスタメン、Bチームはサブのチームという形で、
僕はずっとサブのチームにずっといたんですね。
もちろんそうですよね、こういうふうに。
そこでプレーをしたんですけども、試合の遠征メンバーを発表するということで、
その時に僕の名前が入ったんですね。
これはすごい名誉なことだし、あまり自分にとってはありえないことだったんですけども、
でも喜んで遠征先に行って、試合の当日にメンバーを発表するんですけども、
その時にホワイトボードって黒板でね、ゴールキーパー一番守る人から名前を書いてくるんですよ。
誰々って名前を言いながら書いてくるんですけど、
僕ホワードだったので一番上だったんですけども、
まさか僕入るわけないし、ずっとBチームでやってたので、
だからミーティングも適当に聞いてたんですけども、
そしたら一番最後の時にホワード、はい、ジョーという名前が出て、
僕も驚きましたけど周りがびっくりしちゃって、えーみたいな感じになって、
先発メンバーに入ってしまったんですね。
それも監督が何を考えたか聞いたことがないですけども、
いまだにないんですね。
だけどもそこで僕の名前があって、そこから試合までの数時間ですけど、
どうしたらいいのかと、緊張感もあるし、色んな意味で練習はしてきましたけども、
Aチームに入って練習はほとんどしてなかったので、
そういった部分だとどうしたらいいんだろう、どうしたらいいんだろうと思いながら開幕を迎えて、
もう仕方がないと、ここで腹を割って、もうどうなっても仕方がないので、
とにかく行けるところまで行ってみようという思いを切り替えて、
それで試合に出たら、たまたまJリーグの年の高校生でスターメンというのができて2年目ですし、
それが初だったんですね。
メディアはすごく今まで注目されてなかったのに、一気に何十社とみんな来て注目して、
テレビカメラ回したり、色んなことあって、緊張感の中でピッチに入ったら、
たまたまその年の初ゴールというか、一番早く時間帯に取ったゴールが僕だったんですよ。
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それもたまたまですけども、それで一気にメディアが加速して、
僕の人生が一気に今までのレベルからスター界なんていうか、
一気にトップのスターにのし上がったという、あれに本当にそうさせていただいたんですけども、
他のチームに行っては絶対そういうことはなかったと思うんですよ。
この番組は、伝説の新人について説明するためのヒントや講座情報など、
日々更新していますので、ぜひ一度ご覧ください。
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この番組は、伝説の新人養成プロジェクトの提供でお送りしました。