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モータ。MOTAで検索。下田文代。
リーダーズストーリー。 こんにちは、RKBアナウンサーの下田文代です。
この番組では、毎週お一人の福岡、そして日本の経済を支えるリーダーたちの
これまでの人生、そしてこれから開く未来のストーリーを語っていただきます。 今日のお客様です。
福岡貿易会からのご紹介です。 津田ホールディングス株式会社代表取締役
津田鶴太郎さんです。ようこそお越しいただきました。こんにちは。 津田ホールディングス株式会社は福岡市東区に本社をお持ちでして、その誕生は
1937年、昭和12年、津田産業株式会社、ここからスタートだということですね。
はいそうです。 この津田産業株式会社は今でいうアパレルメーカーということですね。そうですね。
元々は簡単に言うとトン屋ですけどね。そこからどんどんアパレルが。 トン屋と言いますと、どのようなものを当時。
当時はですね、まだ繊維って言っても夫人のアパレルとかじゃなく、合服とか、それから布団の生地とか、そういう生地売りとか、そういうところからスタートですね。
ああそうですか。確かに昭和12年当時は和装と洋装が半々くらいですか? そうですね。
はい。だからどれぐらいとかちょっと私も知らないんですけど、後からは結構その和装というから洋装の中間のものをずいぶん売ったりして。
ええ。結構儲けたみたいですね、当時は。 ああそうですか。
その中で九州はどういう環境だったんでしょうかね、当時っていうのは。 九州ですね、工場が多かったはずです。結構。
うちのPXGですね、実は工場を何軒だったかな、3軒か4軒ぐらいやってたんですよ。 もう今全部辞めてしまいましたけどね。
そして今はその夫人向け女性向けのアパレル企業として全国展開をされて。 そうですね。
独自ブランドもお持ちでして、そしてお値段もリーズナブルであったり、高品質のものであったりということですよね。
だから高いものになってくるとやっぱりブランド化した方がいいんで、それなりの何かネームをつけたりはしますけどね。
そうですか、企業の歴史としては昭和、平成、そして令和と時代がね。 そうですね、どんどん変わってきましたから。
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なのでホールディング化していかないといけないということでですね、ホールディングは後で作ったって感じですけどね。
津田ホールディングスとしては2018年で津田産業、今お話しいただいたアパレル部門、そして副班、これは工場部門ということですか?
そうですね、工場です。
そして旧製というのは不動産自体? 不動産ですね、昔儲かったんでしょうね。
だから不動産がいろいろあったのを今旧製って会社にまとめてるって感じですね。
そうですか、昔儲かったっていうのはやはりこの日本が豊かになって、
そうですよね、戦後ですよね。
成長期を迎えて、そしてみんながファッションを楽しむゆとりもできてっていうじゃないですか。
あの頃ですよね、急速に上がっていって、右肩上がりっていうやつですよね。
そして今はどうでしょうか、その多様化してますね、環境は。
そうなんですよ、国内で作るのが難しいんで、ほとんど海外。
だからつい最近まではもう中国だとかですね、一番最初は韓国かな、韓国、中国とか、もう海外。
要は安くできる、人海戦術、たくさん人がいるところっていうので、うちも最近はインドですもんね。
やっぱり人口が中国よりも多くなったっていうぐらいですから、そんな感じですよね。
そうですね、じゃあその河瀬の変動ですとか、世界の経済情勢によって。
そうです。
大波小波が。
はい、もう今はずっと河瀬が悪いって文句言ってます。
そうですか、そういう厳しい中で、例えばファストファッションというようなね。
はい、だから一時期、RKBさんにも非常に手伝っていただきました。
福岡アジアコレクション、ファコでずいぶん10年ぐらいですかね、商工会議所と合わせて頑張りました。
大量生産で、みんなが安く高品質のものを得られる環境にはなりましたけど、やっぱり多様性ですとか、そういったことはね。
そうなんです、だからロッドとの絡み、やっぱり海外で作るとですね、たくさん作ったり、それから輸出するのにたった10万円だけ輸出なんて、輸入とかなんてとてもっていきませんから、その辺が難しいところなんですよね。
さらに新型コロナウイルスの拡大ということも経験しましたね。
そうです、あれも大変でした。けど、実はうちアパレルだけじゃなくてインテリア系、シング系もやってますんで、いわゆるコロナ特需もあったんですよ、一時的にはね。
すごもり的な。
すごもりですね。
それどういう側面で。
いや、一つは外に出ていけないんで、じゃあ何しよう、せっかくなら身の回りのソファー変えてしまおうかとか、布団を少しいいものにしようかとか言えば、シングインテリア系売れますし、
医療品だって家にしかいないんで、じゃあちょっといいものとか、それから一時期マスクが足りなかったので、繊維のマスクもすごく多かったですもんね。
だから常に僕繊維のマスク持ってるんですけど、見えないですけどね。
今はお持ちですね、ポケットからすぐさまお出しになりました。
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そういうことは、もちろん五福だけに特化していたら今の状況はないわけで。
そうなんです。なのでちょっと残念でしたけどですね、五福は何年前だったかな、ちょっとやめてしまいましてね、それから急速にアパレル。
それも大体僕ら地方分野って言うんですよね。大阪なんかが一時分野で、その地方で大阪から買うっていうのだったんですが、
それでは値段が合わない。例えば大手イオンさんに売るとか、いろんなところに売るのに値段が合わないっていうので直接輸入。
まさにアパレルに変わっていくっていう風な流れですよね。
じゃあもう時代の変化に合わせた対応されてきたということですね。
それで今はインドに行かないといけないような時代になったんで、インド語ができる子もうち社員として雇ってます。
インドの言葉ができる。
その前には中国語ができる子も当然今いますし雇ってます。
インターナショナルであり続けるということですね。
そうですね。それしていかないと対応できないしですね。
そうですか。そしてもう一つ気になったのが、県水脈も手掛けてらっしゃると。
実は今ですね、どっちかというと繊維悪いんだ。だって川瀬が関係で物が上がってたら、今久しぶりエンゲル係数が高くなったっていうぐらいなんで、医療品厳しいんですよ。
けれどもその分今頑張ってくれてるのは資材関係、建築とかそっちに関係する。
で実はその副班って会社はありと早くからすごい大型のですねインクジェットプリンターっていうものを入れてそれにこう印刷してで百貨店のなんて言いますか県水脈みたいにしたりとかバストラックなんかにこうそういう透明のシールに印刷してそれをペタって貼るとかですね。
そういうの結構やってて。
なかなかたくましく。
はい、いろんなことやってます。
経営をされてますね。
副班ってそれだけじゃなくてあの引っ越しなんかしたらエレベーターなんかで当てると傷ついたらいけないからって中になんて言ったらいいんでしょうね。
養生ですかね。
そうです養生の。
壁ですとかね。
それを収めるとか三菱エレベーターさんの半分ぐらいのですね仕事受けてるとかですね。
いろんな新しいことをですねやっぱりやっていかないと数字が取れない。
その数字を取っていらっしゃるのがあの津田社長でしてこれ就任は。
それがですね私29の時に29歳で社長になりましたね。
これいろいろ右右曲折あってこれも話するとあれですけどね。
そうですかその右右曲折はぜひ来週に伺いたいと思います。
リーダーズストーリー。
今日のリーダーは津田ホールディングス株式会社代表取締役津田鶴太郎さんでした。
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ありがとうございました。
来週もこの続き伺います。
お相手は下田文夫でした。
それではまた。
卓語家の立川翔子です。
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