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りなっちの体験記|「ただの石」が教えてくれたこと。自分を手放し、つながりに気づくまで
2026-10-03 28:23

りなっちの体験記|「ただの石」が教えてくれたこと。自分を手放し、つながりに気づくまで

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LAP1期・りなっちの2025年4月24日の取材音声を、体験記の記事の流れに沿って編集しました。本人の言葉で語られた気づきや選択を、声でお聴きください。記事の全文朗読ではありません。

文章で読む:https://note.com/moksacommons/n/n4299b888289a
LAPについて:https://www.moksacommons.jp/lap

感想

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00:00
去年のLAP前ぐらいは、なんかどんな感じだったんですか?
なんか、すごい、なんか、もう、こうって感じだった気がしてて。
すごく自分の内側にだけ、こう、動揺を向けすぎてる感じとか。
自分自身とか、自分のできたこの体験そのものに、あの、すごい執着してたような感じがあって、なんかその枠の中で、どうやって実現していくかとか、なんか探求していくかっていう、なんか、すごい、なんかの枠がすごいあったような気がしていて。
それが、たぶん、いらないものをこう持っていたりとか、とらわれていたりとかっていうことなのかなって思うんですけど。
今とは、そう考えると、なんかだいぶ感覚が違う気がします。
今の方が、なんか格段に楽な感じです。
D.P.に申し込んだときは、たぶんそういう、とらわれているものとか、執着しているものが結構ある時期で、なんか、どれだけ探求しても、なんか学んでも、なんかこう、止まっちゃう感じとか、
なんかこう、一定より深くいけない感じとかが、なんとなくあって、なんかそのLAPのその文明を見たときに、純粋性っていう言葉もそうだし、なんか全体的に、なんかこの感じが、なんか今必要なのかもなーっていう、なんとなくがあって、吸い寄せられてた感じがします。
何から話そう。えっと、ほんとここ1ヶ月ぐらいの感じでいることなんですけど、
たぶんCICPを受験した翌日からの日々が、なんかすごくて、すごくてっていうの、なんかなんだろうな。
えっと、自分、自己がなんか開けている感覚というか、なんかこの時間の枠がこうふっと緩んで、なんか境界線がこうなくなっていくような感じが、なんかすごいあって、
03:12
今、なんか今日も今もあるんですけど、特にこのCICP受験してから、なんか結果を受け取るまでの2週間が、よりそういう感性だったなーっていうのをなんか感じてて、今はなんかその余韻がまだこうちゃんと残っているみたいな感じの日々なんですけど、
なんかえっと、私CICP落ちたと思ったその次の日に、あの、めちゃめちゃ春が来てたんですよ。あの、世界にですね。
世界に春が来ていて、あの、なんかその受験の日まで、もうすごいなんだろう、まだ冬が残っている感じというか寒いし、結構雨も続いていたし、なんかどんよりした感じだったんですけど、もうその翌日から、なんか本当に暖かいし、もう気候がもう完全に春になっていて、
もう天気もめちゃめちゃ良くて、もう空も青い、雲ひとつない、なんか歩く人もすごい軽やかな服装をしてて、もうザ・春みたいな、なんかそんな世界で、でも私その時なんだろうな、このすごいボロボロな感じだったので、自分が。
なんかこのギャップがなんかすごいなと思って、圧倒される感じがなんかその時はあったんですけど、なんかそこから、なんかただこれを浴びようみたいな感じで、特に能動的に何かを起こそうっていう働きをなんか自分に対してもしないで、もうなんかそのまま浴びてみようみたいな感じで、
2週間なんか過ごしていたら、なんかその時に入ってくる情報量がなんかいつもより遥かに多い感じがして、いろんなものが目に入ってくるし聞こえてくるみたいな感じがあって、
なんかこの空の飛行機雲とか、もうなんかその辺の虫とか、そういうものにすぐ気づいたりとか、あとはなんか今までなんとなく聞いてた歌の歌詞がもうなんかスルスル耳に入ってきて、なんか急に魂をよろしてなんか響いてきたり、あとこういちご狩りに行った時に、いちごかちゃんがニヤニヤしてるんですけど。
すごいな、スポイラーさん。
あとなんかそのいちご狩りに行った時に、なんかその鳴ってるいちごを見て、なんかこんなにいちごって愛らしいビジュアルだったっけと思って、なんかよくわからない愛着が湧いてきちゃって、なんかもう一粒一粒がなんかこう違うものに見えるんですよ。
06:14
なんかそういうのがすごい、なんだろう、日々なんかあって、なんか常に、特になんかその時期、人に特別会うみたいな行動が多かったわけじゃ全然ないんですけど、なんか常に何かしらに囲まれていて一人じゃないような、なんかそういう感覚があって、
なんか安心感があったというか、なんかその感覚が、なんだろうな、受験して今1ヶ月ちょうど多分経つんですけど、今もやっぱりなんかまだ続いてて、でもこの日によっても違うし、なんか1日の中でもやっぱりなんか意識がどこに向いてるかで、なんかこの感覚結構変わってくるんですけど、
なんか続いているなあっていうのがあって、なんかあのLAPを受けていた期間に、受講全部終えた時に、LAPはなんか自分にとってこう手放して繋がりを取り戻すものだったんだなって思ったんですけど、なんか今回もなんだろう、結構それに近いというか、
なんかそこがまたより、なんだろう、なんか鮮明になった体験っていう感じがしていて、
なんかこう、なんだろう、本当自我があるようなないようなっていう、自分のこの小ささとか無力さみたいなものはなんかいるけど、なんかその自分でここにいることで、もうそれでいいんだなあっていう感覚とか、
なんかそういう、なんだろうな、いろんなものを見た時に、いちごとか飯とかそういうものを見た時に、なんだろう、これらがなんか自分の一部でもあるような、なんかそんな感覚もなんとなくあって、
だからこう、自分をエバーナース、なんかその境界線が、なんかより、なんだろうな、なくなった感じというか、なんかそういうものなのかなあっていう気がしてて、
でもなんかそういう体験でしたっていうので、なんか終わってる感じもやっぱなくて、なんかこうやってずっとこう、なんだろう、変化していくというか、なんか和ぐくまれていくものなのかなっていう感じがしてます。
09:19
このまま言語化できる範囲でOKですけど、なんかその教会とかこうやってのところから、なんか今に至ってくるプロセスがあったんだなと思うんですけどね。
これは何が、どんな体験、もしくは何がスティナッチに作用して、今になってるのかっていうか。
今パッと、なんかそのプロセスで結構自分に作用してたなっていうので思い出すのは、あのDay4の真実のマンダラの回で、
あの体験がやっぱりすごくなんか、効いている感じがなんかしていて、石とかこの枯葉とかを、なんだろうな、
ワークの時間はこの石がなんか自分の、これは自分の恐れなんだな、なんか枯葉もこれは自分の悲しみなんだなっていう感覚が、なんとなくこのリンクしてくるような感じがワーク中はあったんですけど、
講座がこう全部終わった時に、この机に並んでる石とか枯葉とかを見た時に、なんかもうただの石でしかなくて、ただの枯葉でしかなくて、でも多分全く同じものがこの世にはなくてっていうところに、
すごく自分を超えた大きなものを感じて、これが何だろう、この自然の正しい節理みたいな、そういうふうにも思いたし、なんかその中で生まれる、その秩序の中で生まれる、
なんか当たり前のものを、なんか私は一つの体験として、なんか出会ってきて、なんか自分のものになってるんだなっていう、なんかそういう感覚にその時になって、多分それが、なんだろう、こう手放して繋がるっていうのに、なんか今思うと結構近い感覚あったのかなって思っていて、
12:02
なんか私がこの2週間、1ヶ月くらいで、いちごとか虫とかに対して、なんか感じたものと、なんか違うんですけど、少し似通った物感があるなっていうのが感じるので、
A4の石と枯葉を見て、なんかこう、ちょっと圧倒された感じはすごく今に効いてるなっていうのが、なんかあの体験だけで終わらずに、なんかちゃんと作業してくれてるのかもなっていうのをなんか感じます。
なんかその類の感動とか喜びみたいなのが、なんかすごい、なんていうかな、なんか印象的に伝わってくる感じがしていて、
リナッチの中でこう、なんか伝えたくなるような、そういった真実のマンダロの後のような、今ここ最近の体験のような、なんかそういう類の喜びとか感動って、なんだろう、なんなんでしょう。
なんなんでしょう。なんなんですかね。
そっか、なんかこの感じ前もあったんだなって、確かに。
なんなんですかね。
なんか、ちょっとよくわかんないまま喋るんですけど、なんか今も、その時も、なんかすごい、なんだろう、この今という時の、なんかこう脆さとか不確実な感じっていうのをなんかすごい感じて、
でも、それが、なんか真逆の意味なんですけど、なんかすごく正しい、なんか完璧な感じもするし、なんかこう美しさみたいなものを感じるし、
なんか今の尊さっていうとすごいなんか安直な感じがするんですけど、でも、なんかそれを、なんだろうな、なんか体感している感じっていうか、
今自分がここにいることも当然だし、でもなんかここにいないことが当然の世界線もあって、なんかこの今というこの時は、なんだろう、本当になんかこう無数の出会いと、この偶然と必然が、なんかたまたま重なって、
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この、なんか自分が見ている、いる、なんかこの世界がここに成り立っているんだなっていう、なんかそう思うとすごい、なんだろう、その確かな感じが、なんか怖くもあるんだけど、なんかすごい美しさも感じるし、
大切に扱いたくもなるし、なんかね、そんな感じなんですよね。なんか枯葉の時も、なんか結構それに近い感じだったのかなっていう気がします。
ちなみになんか、りなちぃのこれまでの人生振り返った時に、なんか想起されるものがあれば聞いてみたいんですけど、なんかそういう体験に気づけて、今の尊さに気づけてなかったりとか、なんかそこに触れてない状態ってどんな感じなんですか?
えー、どんな感じなんだろう。
これも感覚的なんですけど、こう見えているものの、なんかこの情報がすごく偏ってる感じというか、なんかよく言うと、なんかある部分にちゃんと集中して、なんか情報を得て、
いろんなものをインプットしているんだと思うんですけど、なんかそこにすごく頼りがあったような気がしていて、
例えば会社員で、その自分が持っているこの仕事を、なんかこううまく進めたり、なんか自分がより良い成果を出すために、みたいな視点で、なんか日々いる時にこう選ぶ本とかって、なんか自分が読みたいというよりは、なんか必要に駆られて読むっていう感じがあったり、
なんか入れる情報も、なんかそこを得るための情報を、なんか自分で選択して、あの自発的に入れているような感じがあって、
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なんか今の感覚で言うと、なんかそこに、なんだろうな、この枠の情報を得たいとかっていう、なんかそれがあんまりない感じというか、なんかどこから取ってもいいような感じがしていて、
なんかなんだろうな、その時の自分に、なんかセルフなのかわからないんですけど、なんか本当に求めているものが、なんかインプットされていっている感じとか、なんか本当に欲しいものとか、なんかしたいことがなんかわかるような感じとかがあって、
なんかそういう、なんだろう、自分の中では結構違うなーって思うんですけど、伝わるのでしょうか、これで。
大人く伝わってきている感じはありますよ。
そうですね。別角度からいくと、なんか今このリナッチで起きた体験だったり変化。
これがなんか今の日常だったり、お仕事だったり、LAP終えての体験、変化ですね、今言ってくれたようなこと、これはどうですか、日常や仕事にはどういう変化や影響ありますか。
そうですね、なんだろう、多分肩の力がなんか抜けているからか、なんか集中できる感じがあって、なんか仕事もこの、なんだろう、邪念が入ってこないというか、なんかただこの目の前にあるタスクだったり、なんかいる人だったり、
なんかそこに、なんだろう、ただ、ただいて、なんかこう入れる感じ、なんかそういう集中している感じがなんかあって、
でもその、なんかオンオフみたいなそういうメリハリとかは特にない感じもしていて、なんか自分のこの1日の中でこの切り替えるみたいなのが、そういえばあんまりないかもっていう感じがしました。
21:03
なんか今から仕事だから、なんかスイッチを入れようみたいな感じとかっていうよりは、なんかこう緩やかに入っていって、なんかそのままずっとスイッチしたものがなんか途切れずに終わって、
休憩の時間は休憩の時間で、なんかフワーってしてたら、なんかいろいろ、なんだろうな、リラックスした状態でなんかいられるし、何ですかね、なんか自分で話すのはちょっとよくわからないんですけど、
でも、この集中している感じとこの肩の力が抜けた感じがなんか共存していて、なんか自分で意識的にモードを切り替えるみたいなことが気づいてなかったんですけど、本当発生してないなって思いました。
それはなんかいい感じなんですか、りなっちにとっては。
いい感じです。なんかいい状態だなっていう感じがなんとなくあります。だからもうずっとこの状態でいられるなら、いたいですっていう感じですね。
多分また何かこうムラがあったり、なんかああ、あの感覚だったな、みたいなまた思い出したり、なんか強まったり、みたいな感じなのかなっていう気がします。
あれ聞きたいかも。りなっちから見たLAPの魅力。
りなっちから見たLAPの魅力。
確かに。
LAPはどういう場なのかみたいな。
そうですね。難しい。
なんか、言語化しがたいんですけど、なんとか言葉にしたい感じがしますね。
自分の今のこの開けた状態っていうのも、なんかこうどうたどってもこうなっていた気もしつつ、でもこうLAPというポイントがなければ、なんかこの感覚になるのってまだ先だったんじゃないかなみたいな感じもしていて、
なんだろうな、私にとってはすごく必要なものだったなってやっぱり今も感じているし、
あとはこのLAPのこの受講の期間だけでなんか全てが完了するものではやっぱりないなっていうのもすごく今感じていて、
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なんかこの終わる時点でもちゃんと受けてよかったっていう気持ちとかここが変化したなっていう実感はちゃんと生まれていたんですけど、
なんかそこで終わらないものというか、
LAPでこのなんだろうな、
つかんだ感覚なのか体質なのかわからないんですけど、そういうものがこの受講の期間を終えてもずっと育まれ続けていくものっていう感じがしていて、
なので、なんか今の私が感じるのはなんかこれからの人生でもなんかちゃんとここでのLAPでの出会いがちゃんと聞いてくるんだろうなっていう感じもするし、
自分の中でなんかより育っている感じとか、
なんかこの時の得た実感とかがより輪郭をはっきりしてきているような感じもするので、
受講期間中にこのスキルを身につけるみたいな、なんかそういう単発な印象はやっぱり私の中ではなくて、すごく続いていくものだし、なんかずっと自分の中でこの息づいていくものがやっぱりあって、
これを育んでいくための一つの大きな体験というか、なんか体質が変わる感じというか、そういうものがあるなって思います。
なんかこれが、LAPのこの良さを伝える手段って何なんだろうっていうのも今ちょっと湧いてきていて、
やっぱりすごく自分を超える体験だなと思うし、言葉を超越するものがすごく流れているなって感じるので、
LAPの中に体験してもらう以上のことって何だろうな、ちょっとうまく言えないんですけど、
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なんかすごい伝えたくなっている自分もいつつでも、言葉にやっぱり乗せるとすごくめちゃめちゃ切り取られてしまうような感じもやっぱりあって、
でもこういう体験を求めている人ってすごくいるだろうなと思うし、
でもこれがどういう体験なのかとか、それを体験することによって何が変わるのか、何を得られるのかみたいなところもすごく個人によるなっていう感じもするので、
LAP深いなっていうすごい浅い表現なんですけど、そういうのを今また実感しています。
やっぱり改めて、必要なタイミングでLAPに触れることができてよかったなと思えています。
この時間もすごく自分にとって大事な時間になったなと思っております。ありがとうございました。
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