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2026-10-02 34:51

マホさんの体験記|「“全わたし”がそう言っている」。自分の感覚を信じて選べるようになるまで

LAP1期・マホさんの2025年3月4日の取材音声を、体験記の記事の流れに沿って編集しました。本人の言葉で語られた気づきや選択を、声でお聴きください。記事の全文朗読ではありません。

まずはハイライトを聴く(46秒)

文章で読む:https://note.com/moksacommons/n/na26b62c7dd8f
LAPについて:https://www.moksacommons.jp/lap

体験者プロフィール

柳真帆(まほさん)
1993年京都府生まれ。THE COACH ICP™︎認定コーチ。新卒で上京し印刷会社にて法人営業、PR会社にて広告制作に従事したのち独立。2026年より拠点を淡路島に移し、現在は表出作家として、主客未分のいのちの在りようを知覚し記録する。身体をひらき、人や自然と呼応しながら本来性を取り戻す生き方を実践中。

Instagram / note

※プロフィールは2026年10月現在。インタビューは2025年3月4日に行いました。

感想

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サマリー

真帆さんは、仕事の忙しさや停滞感で疲れていた時期に、「くつろぐ」「緩み」という言葉に惹かれてLAPを受講した。受講中の散歩を通じて、通勤路の風や音など、これまで見過ごしていた微細な感覚に気づき、内側の状態が外界の受け取り方を変えることを実感する。目標や仕事のタスクを追うだけでなく、ささやかな自然の変化や喜びを感じられる自分でいたいと思うようになった。LAPの期間中には会社員を辞める選択もしたが、講座が決断させたのではなく、自分の内側の感覚と身体が「今だ」と一致したことが大きかったと語る。言葉だけで説明しようとすると他者に伝わる形へ編集するうちに自分の感覚から離れていたが、身体・頭・心が重なったことで、「全私がそう言っている」という揺るがない自己一致感を得た。受講生同士が分からないまま感じたことを場に出し、受け止められる経験も、自分の感覚を信じる勇気につながった。受講から4か月後も、忙しさや困難で感覚を失うことはありながら、そこへ戻る方法を知っている安心感があるという。片付けのような日常の行動も、一般論ではなく「自分が気持ち悪い」と感じたことを起点にすれば自然にできると話す。LAPの特徴として、結論や発言を急がず、受講生の内側から出てくるものを大切にする静かな場の安心感を挙げた。

疲れと「くつろぎ」への惹かれ
AZPを受講しようと思った理由。
実はゼロ期の時に気になってたんですよね。確か。
だけど、ちょっとタイミングとか合わなくて、
それは受けないという形をとったんですけど、
確かその当時、
コーチも学び始めてから、いろんな学びとか、いろんなプログラム参加することが増えた中、
すっぽりと特に何もなかった。私の中で控えているものだったりとか、
なんかタイミング的にコーチもつけてなかったりとか、
割とそこがぽっかり空いていたっていう中、
それが、ノーション見たのかな?案内の。
で、これはなんか説明会の時にも言った気がするんですけど、
なんか私はその、くつろぐというワードが、なんか謎にすごく響いて、
そう、これは今でも覚えてるんですけど、
なんかこう、自己探求とか自分を分かるとかどうしていくって、
やっぱりすごく能動的なニュアンスがすごいどれもするし、
それは内省もするものたくさんあるから、必ずしもそうじゃないんだけど、
なんかね、全体的にちょっと緩みの感じを受けた記憶があって、
なんかそこに興味が湧いたのと、自分のその時の状態から導入しやすかったというか、
で、説明会も日程も全部いけちゃうみたいな感じで、
読んでから何回も繰り返し私見に行くってことは、
これ多分いけるやつだなっていう感覚はずっとあったので、そのまま申し込みました。
あれですか、当時そこについてはこの、
このくつろぎとか緩みにすごい惹かれたり、ピンと来てた背景とか状況とかは、なんか思い当たるものはありましたか?
本当にそれ聞いて沸き出るのは、多分疲れてたんだと思います。
うん、疲れてた。
うん、なんかこう、そうね、身体的な疲れ、こう、だるさ、
それは物理的に体が疲弊しているっていう状態もそうだし、なんかすごい停滞感っていうのかな、
なんか清々しく突き抜ける何かこう、衝動的なエネルギーも持ち合わせてないし、
なんかいろんなことがまんねり化していたような、
なんか、そう、そんな状態だった気がします。
シンプルに仕事が忙しくて、平日5日こう、一緒に頑張って働いて、
土日ば探求というか、
くつろぐというか、物理的にそうせざるを得ない、なんていうの?
その時から多分、あ、土日はなんか一生寝てるな、何かこう、何もしたくないな、みたいな。
なんだろう、それは、くつろぎとはちょっとまた別の感覚ですけど、
何かそういう癒し的なものとかが、現在的にすごい求めてたのかもしれないです。
当時の真帆さんは、その自分の状況、状態に対して、なんかどんなふうに感じていたんですか?
なんかその、なんていうんだろうな、抜け出し方がわからないというか、それがずっと続くような、
これを繰り返し続けるのは、もう結構しんどいなっていう、その感じがあって、
なんか助けを求めて必死にここにたどり着いた、みたいな感じではないんですけど、
なんか、もちろんくつろぎにはピンときたし、その純粋性みたいなワード、純粋って結構すごい、私の中で清らかだし、すごい本来性というか、
なんかこう、そういう透明感のある、ピュアなものっていう文字からも伝わってくるんだけど、
なんか、それがすごく、私の今の状態に濁っているというか、
そこがよくわからなくなってきているというか、日常、やっぱり過ごしていく中で、
なんかそこを握り出すなのか取り戻すかわかんないけど、
なんか、そういった意味で、何かもしかしたら、ここで気づくものがあるかもしれないという兆し、
みたいなのが、そう多分同時に、そういった意味ではなんかありそうって、
すがりつく感じじゃないけど、全然そこまでではなかったけど、
感覚として、それに出会えると、もしかしたら、何かちょっと生きる上でのヒントになるかもしれないなというようなものを感じた記憶があります。
あれですかね、生きるっていう意味でのこの癒しとかくつろぎを求めてたっていうのはあるっていうのと、
例えば何でしょうね、これもどうでしょうね、結構コーチとしてのレベルアップだったり、
何かわかんないですけど、そういう目的で来る人も、興味持つ人もいるなと思うんですけど、
ほかに関してはあれでしたかね、自らが言うと、自分の生きるっていう文脈が強かったり。
そうだと思います。どちらかというと、これは考え方いろいろあるし、その人それぞれだと思うんですけど、
私は自分が先に会った上の役割としてのコーチという順番な感覚があるので、
何かもっとその手前にあるそもそも私を扱うということの方が重要視していた気がしますし、
何かそれがちゃんとそこのコーチという文脈にもつながってくるみたいなことはお話もされていたような気もするし、
そうですね、私の場合はそうだったかな。
何か今思えばそれがLAPAを受けて学んだ後の、もうちゃんとそこの流れに乗っかっていたっていうのは、
確信があるという感じなんですけど、
本社は割と出前的な感じ、私にとってタイミングと、
タイミングが結構バチとはまっていた感覚があります。
散歩で風と世界の細部に気づく
問題のところは、実際に受講してどんな気づきや変化があったかとか、
印象に残っているセッションやワークはありますか?とか。
ミキのときも言ったけど、私散歩がめっちゃよかったんですよね。
なんかすごい覚えているのは、散歩じゃなくて置いといて、
日々のこの朝起きて通勤するための駅に向かうまでの見えるものが変わったって思った瞬間があって、
私のこの一期のテーマは最初から最後までずっと風みたいな。
風っていうのがすごいシンボルで、ずっと。
なんかそれをこう感じるぐらいの自分の繊細さというのかな。
いつも風は吹いている。別に台風じゃなくても、
なんかそう、そよそよとした風はいつも吹いたり止んだりしているけれども、
そんなことは感じず生きてきた中、
なんか歩いてたときに、あ、今風が肌に当たっているなということに気づき、
なんかそれに喜んでいる私がいて。
で、なんかね、いつもはただのルーティーンで、
エアホンで音楽聴いてとかするんですけど、
なんかノイズだなって思って、
今日は外したい。
今日はこのまま、そのまま世界の鳴っている声、音を取り入れたいか。
あーこんなところに、なんかこんな変なアンテナあったんだなって、
なんかすごい開けたときがあって、
驚いたというか、おもろい。
面白いな。
っていうのは熟行中になんかすごい、
うん、なんか残っている記憶の一つだと思う。
世界の見方というか。
見える景色が変わってきましたか。
変わりました。
で、なんかそれに気づいたときに、
あ、なんかこんな繊細でささやかなものを、
どれだけ私は見過ごしているのだろうかという、
問いも同時になって、
目標があって、自分の仕事上の役割があって、
それに向かって前進していくという生き方ももちろん、
なんだろうな、自分にとって必要なプロセスだとも思うけど、
なんか自分の状態として結構そっちを強化していたタイミングだったので、
割とその引き算というか、反対のもっともっと、
両極というか、の感覚が立ち現れ始めたときに、
そっちの世界観への好奇心というか、
言葉にはならないけど、何か反応している私がいる。
っていうことに気づいたときぐらいから、面白いと思いました。
あるときから、世界や景色が変わったような見え方が、
それはなんかあれですか、今散歩のも出てきましたけど、
その辺からの記憶ですか?
それともなんかまたちょっと違うところからも影響があった?
でもやっぱりなんだろう、私の落ち入りがちなパターンというか、
もしかしたら一般的にみんなそうなりがちかもなんですけど、
すごい外界の情報、刺激を受けた上で内省するという順番。
これまでもなんか嫌な物事が起きた。
めちゃくちゃ怒っている。
反応している。これは何だろうかって言って、
そっちを起点に自分を扱うっていうことを、
やったりは学んだりしてきたりはしたんですけど、
なんかその起点なしに、とりあえず今ここで瞑想したりだとか、
結構自分の内側の静寂感っていうんですかね。
なんかそれはDay1,Day2,Day3とか散歩の前とかからも、
たぶんちょっとずつ育まれた何かだと思うんですけど、
先に身体の感覚が知らぬ間にちょっとずつ変わってきたときに、
外に出て、風が当たっているなっていうのは、
ある種外界の刺激だから言っていることは同じようなんですけど、
言葉にすると。
でも私の感覚で言うと、
内側のどぎすまされる感じが変わっているから受け取る情報が違うとか、
順番がちょっと逆な感じがあるんです。
うちの状態がこうだから外のこれに気づいているみたいな。
なんか心の感じを初めて言葉にしたから難しいんだけど、
そういう知らぬ間にたぶん身体的な何かが変わっていった気がします。
自分の状態によって受け取るものが変わるっていう。
なんかその風の繊細さを捉えられるときもあれば、
全然そうじゃないときもあって、
なんかその微細な違いっていうのかな、
そういうのがあるんだなっていう、
今日はこの感覚、今日はそうじゃないみたいなことに気づきだした後は、
じゃあ私はどういう風に世界を見たいか、
どんな自分でこれをまなざしていたいかみたいな問いに変わって、
やっぱり私はその繊細な、なんだろうな、
ちょっと壮大になっちゃうけど、地球で起きているこの自然なエネルギーだったりとか、
何か何でもない些細なものを捉えていたいし、
捉えられている私の方が好きだと思ったんですよね。
分かりやすい大きいインパクトとか、
お仕事上の何かタスクとかを追っていることももちろん大事だけど、
何かそれだけでは得られない、何かささやかな喜び、
満たされるものがあるということに気づいてからは、
いかに自分の状態を整えるというか、
その身体感覚の感じに、
グッとアンテナが向いた瞬間というか、出来事だったような気がします。
一言で表すなら、何を感じられるようになったんですかね。
もともとそこにあったものに、ただ潰さに気づいていく。
それだけ。
それだけ。
ただそれだけ。
だけど自分にとってはすごいインパクトがありました。
何かそういう変化や気づきを経て、
これも後とか。
一言持つなら、日常生活とか仕事とか、
会社を辞める決断と自己一致感
何か影響、どんな影響があったか。
もちろん自覚しているものがあれば。
ありましたか。
ちょっと話が飛んじゃうかもしれないけど、
たくさんの人に届きやすい具体的なことも交えて言ってみると、
お二人はずっとプロセス見ていただいたけど、
会社員を辞めるという選択をこのLAPの間にしたんですけど、
これはLAPがそういう決断をさせてくれるというふうには全然捉えてほしくなくて、
私がこれを受講していなくても、
いつかはそういうふうになっていたとは思うんですけど、
ここに辞めるというプロセスの中で、
私の中で結構難しいなと思うポイントが、
自分の持ち合わせている感覚を言い表す言葉がないっていう感じがあって、
何か自分の決断をするとか選択をする瞬間っていうのは、
やっぱり会社だと組織なので、
自分の意見とか意思っていうものをどうしても分かりやすく言葉にして、
伝えなきゃいけないシチュエーションがある。
私は言葉にするという作業が結構苦しい時があったりとか、
一致感がないと急に自信がなくなるというか、
あ、受け取ってもらえなかった、やっぱり私の言葉は伝わりづらいんだみたいな、
そういうことを何回か繰り返してきた過去があって、
私の話は抽象的だし、感覚的でどうも捉えづらいらしいというような、
本当にそうな節もあるし、思い込みな節もあると思うんですけど、
何て言うんだろうな、その作業をしようとしている時っていうのは、
すごく内的な感覚を頭で変換して、
言葉を紡いで伝わりやすいように編集してっていう作業を繰り返して、
そこにフォーカスして頑張ろう、頑張ろうとしすぎると、
すごく他者を前提とする感じ、
その人にとって伝わりやすい、合理的であったりとか、
その人にも受け入れやすいものに紡ぎ直すみたいなことをすごく頑張っていると、
頑張ろうとしていたりすると、どうしても、何て言うのかな、
本来自分が感じていたであろう感覚から外れていっちゃう、
っていうようなことは結構ずっとあって、
ただこのLNPで育んできたものは、
すごくもっと言葉とか思考とかじゃなくて、
本当身体なので、
なんて言うんだろうな、
秘言語の感覚、それこそさっき言った、
外を歩いて感じ取れる繊細な自分の内側の感覚とか、
直感とか語感みたいな、
いわゆるそういうものを育んでくると、
気持ち、言葉と頭だけの先鋒というか、
自分それしかやり方持ち合わせてなかったんだけど、
そこに身体の感覚がついてくると、
なんて言うの、すごい自己一致感がすごくて、
全私がそう言っているっていう。
全私が。
全私がそう感じているんだから、
これは今卒業すべきであるということが、
揺らぎがないというか、
さっきは言葉だけでつもごうとしたから、
すごく距離があって、なんか違うかもしれない。
なんか私今やめようって伝えようとしてるけど、
もしかしたら私の勘違いかもしれない、みたいな。
もしかしたらもっとやれることがあるかもだし、
この人が言われたことに対して答えられるかも、
みたいなことを一生やってたんだけど、
もう身体が感覚として、
今だよっていうのを感じてしまったから、
なんだろう、それがもっと伝わりづらいものだったとしても、
その感覚とその自分の状態、
在り方でつむがれる言葉がちゃんと届いたんですよね。
言葉としては理論整然としてなかっただろうし、
決して文字に起こすと分かるようで分かんない、
みたいなことも言ってたと思うんだけど、
私がもう完全にそう思っている、
この在り方から出る言葉は、
そうであると多分相手が受け入れざるを得ないというか、
そこに違和感とか衝突とか不一致感が全くない、
という体験、
そういうことが起きた、
すごい頭と心と身体みたいな、
講座中にずっとあったと思うんですけど、
すごい溶け合った感じ?
どれも大事なパーツなんだけど、
全てが混じり合って、
そうだよねって腹打ち感から生まれた決断だったり、
紡いだ言葉っていうのは、
揺るがない、揺るぎがないっていう、
そういう体験をして、
つまりなんだ?
全然私がそう思っているっていう、
体の感覚を手に入れました。
受講生との場が育てた勇気
LAPのどういうところが、
真帆さんのプロセスを後押ししたり育むことに
つながった感じが?
いろいろある気がするんですけど、
今一番パッと出てきたのは、
受講生ですね。
一緒に受けたみんなが、
全体対話の時間とかあると思うんですけど、
みんなそれぞれ分からないまま、
分からないことを紡ぐということが、
たびたび行われるというか、
それが行われる場であるっていうこと?
なんかそれがあるし、
私にとっての勇気でもあったし、
そこでなんか出しても大丈夫なのか、
大丈夫なんだ、この生に柄の。
よく分かんないかもしれないけど、
こんな気がするみたいな。
なんかこんなイメージが勝手に置いてきて、
それが何かは分からないみたいな。
別に結論付けるわけでもないけど、
ただそれぞれの中にあるもの、
みんなテーマ扱ってるものは全然違ったので、
それぞれが本当、
それぞれのフェーズで出てくるワード。
別にそれがマージする議論が起こることもなく、
ただ場に順番に出していくという、
それがある種プラクティスというか、
実践になっていて、
でも出しても何も起こらないんですよね、別に。
良くも悪くも、
全員に分からないという人はもちろんいないし、
なんか分かんないけど、
伝わっているという感じがする。
受け取ってもらえているっていう経験が、
なんかちょっとずつ自信になるというか、
別に良いのか、
こんな感じで出しても良いのか、
っていうのを、
そこでうん、実践してた感じがあります。
あと、ちょっと残りと、
受講生もそうなんだけど、
たぶん、岡ちゃんマサさんがまさにそれであるっていうか、
まさに、まさにそれでしたか。
まさにそれであるというか、
なんか、綺麗にまとめようとしないというか、
2人もその時の、本当にその、
そこにあるものを、
ただ、出してもらっているという、
なんか、本当にそれを体現されていた気がするし、
ガイドであろうと、
なんかみんなの先を行く感じがなくて、
あ、その感じで大丈夫なんだという、
バナーシンクだかもしれない。
実は、
感覚に戻れる安心と日常の選択
そこから4ヶ月経ちましたが、
改めて今ここどんな、
ここにいますかっていうのが一つで。
今ここでいうと、
なんか、やっぱり、
日々自分の状態も、
お外側の世界もどんどん変わっていくので、
常に一定の自分ではないなって、
っていう自覚はありつつも、
やっぱりその、
内側で育まれたものというか、
取り戻したっていう感覚なんですけど、
なんかその、
自分の繊細な感覚、
人間本来持ち合わせていたであろうと、
私は思うんですけど、
誰しも持っていると思うんですけど、
なんか、その感覚に、
いつでも戻れるというか、
だから、
ニキで散歩した時に、
めっちゃ嬉しくて、
え、私マジで初回から散歩できてる、
ってなったくらい、
ちゃんと息づいてる、
私の中に根付いてるって感じ、その感覚が。
だから、
忙しかったり、
大変な出来事があったら、
ずっとそれでいられるかというと無理なんだけど、
でも、あ、今自分何も感じてないなとか、
ちょっとそっちに引っ張られてるなってことにも気づくし、
じゃああの時の感覚に戻すにはどうすればいいかも、
なんか分かる感覚的に。
だから、
なんだろう、
自分でその状態を見つめて、
その感覚にアクセスしやすくなったというか、
いつでもできるなっていう安心感がすごくある。
いつも私の家を散らかってるんだけど、
前までは、
それは片付いてた方がいいよねって一般論というか、
それは綺麗な方がノイズがないしいいよねっていうもとに、
片付けなきゃなっていう風に思ってたんだけど、
今日は同じ最終的なアウトプットは片付けるなんだけど、
あ、ここが気持ち悪い、
自分の中でここがスッキリしたらなんか心地よさそうっていう、
やってることは一緒なんだけど、
さっきその起点が違うというか、
動機が全然、自分が本当にそう思っていることからやる行動は、
全然苦じゃないというか、
ナチュラルであるっていう、
なんかそんな感覚を手に入れているので、
それをやりたいなと思って、ちょっと手放すという選択をしているのもあるので、
でも、
それこそ厳選の全ての出会いは導きであるし、
私の命は本当にありのままの形にならざるを得ないっていうことが、
本当にそう思っているから、
何もなくても怖くないんですよね。
ちゃんと来る、ちゃんと訪れるし、
逆に言うと、それをキャッチできる状態にだけ、
自分をしておくっていうことに注力しようという感じ。
来るものはちゃんと来るから、
それを逃さないために状態、
どんな状態が自分が良いのかっていうのを、
整える、
そっちをやりたいなっていう感じ。
それだけ来るのは分かっているから、
すごいその流れを信じているというか、
そういう感覚、自分の感覚もだし、
近るべきことが起きて、ちゃんと導かれるということに対する信頼感がめっちゃあるので、
平気。
揺らぐとき来ると思うんですけど、今の私は。
ちょっと無敵、無敵状態。
無敵状態でしたか。
内側から出るものを大切にするLAP
あとは、他のプログラム、
どうでしょうね、まほさんこれまで受けてきたような、
他のプログラムと比べて、LAPの特徴だと感じた、
まほさんの主観で聞いてみたいなと思うと、
2つの論点が出てきてしまいました。
場があんなに静かでも大丈夫なことってないですよね。
ない。
なんだろう、ちゃんと、なんていうのかな、
場の安心感とそわそわ感がね、違う。
これは感覚的な違いなんだけど、プログラムがどうか。
ちゃんと自分と繋がってから対話するとか、
対話しないももちろん選択、出さないという選択ももちろんできるんだけど、
その分の余白というのかな、間合いがあるなっていうのは、
すごく私にとってありがたいことで、
どうしてもきっちりきっちり決まっていたりとか、
その場に、その日の場における持っていきたい方向が、
強く目的としてありすぎると、私は察知してしまう。
あ、たぶんそろそろここに向かわなきゃいけないからそういう発言をするという、
なんかそういうことが起きてしまったりとか、
あんまり湧いてきてないけど、順番が回ってきたから言うとか、
それ自体が悪いことではないんだけど、
やっぱりこのプログラムで育まれていくものっていうのは、
本当に一致感とか、本当に感覚として捉えているものを、
そのものをちゃんと場に出すという、
それ自体が一番大事というか、
それが何なのかは別にわからなくても、
それだけで気づくものもたくさんあるっていう感じがするので、
岡政の雰囲気がそうさせているのももちろんあるし、
プログラムとしても、
どこまで意図されているかちょっとわからないけど、
その安心感と、
受講生というかメンバーに対する信頼感も同時に感じる。
多分そこの器がお二人がもしなかったとしたら、
多分きっともうちょっと作用するというか、
あるかもしれないけど、
ただじっと待つことをやってくれているという。
これはちょっとむずいですね。
場の感じはマジでみんな、
受ければわかるっていう感じですけど、
一番私がこれまで受講したものとの違いは、
受講生の内側から出てくるものを本当に多分大切にしてくれているというか、
それがすべてであるぐらいな感じがある。
そう。
かな。
うん。
細かい。
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