フリーペーパーふわっちくんどうも。 まあ早速ちょっとじゃあ
やっていいですかね。 何を言ってるのかと言いますとこういうことです。いきますよ。
はい、どん。画面の左側が実はあの、紙が映ってます。
で、あの、こうなってます。 ちょっとね、あの、上から撮ってる。撮ってるわけ。
ピンクだね、確かにね。これはね、 照明の色変えられます。
うーん、これにしとくかとりあえず。ちょっとわかんない。 せいせいこんにちは、午後さんどうも。
色は後で多分変えられると思います。 で、これで何ができるかというと、
これでこう文字をね、こう書くことができるんですよ。 今まで複雑なことを言ってたけども、もしかしてこれあの、文字に書いた方が早いんじゃないかって。
15年やってようやく気づいてきた。 オモモロニマッキー、そう。
精神科医が解説したろやないかいという、そういうことです。 顔出しはしない。今ちょっと服着てないので。
衝撃。 精神科医が。
まず映ってるのか。 ここからここまで。あ、映ってる。
精神科医が。というわけなんですよ。 字でバレないね。
これ筆跡でバレちゃうからね。 先生、文字大丈夫ですかって。
そんなヤバい文字って。 AIによって解析されることによって先生文字バレしちゃうんじゃないですかって。
割と余白が多め。そうだね。 広々と使える。これA4サイズです。
B文字。 あとあの手毛がね、今ちょっと急に気になった。手毛。アイテムありがとうございます。
これをメインに何かね、やっていくっていうことはないんだけど、 何かこう伝えるときに伝えやすいかなと思って。
そんな綺麗な字を書ける人は多いから、バレない。 僕の字でバレちゃうかもしれない。
そこはチュール菩薩だからいい? チュール菩薩の手ということを設定にしておくか。
というわけです。今後だから、これは別にこれ用にカメラを買ったわけではなくて、
スタンド型のスキャナーをね、もともと持ってたんですよ。 これを配信のこのOBSっていう配信ソフトと組み合わせると、
もしかしてホワイトボード的な感じで文字書けるんじゃね?っていうことに気づきまして。
一つのツールとしてね。 今後何か解説するときはこの画面に切り替えるっていうのはいかがかなと。
今後解説チャンネルにするわけじゃなくて、 一つのツールだね。
基本は、なんか文字書きながら解説するの苦手なんだよね。 苦手っていうのもあって、今までやってこなかったんだけど。
綺麗な手、腕だね。腕で先生バレちゃうんじゃね?って。
腕バレするかな。画質を落とすこととかできるのかね。わかんない。 腕見せてる。腕というか手はこんな感じ。
お疲れ様です。どうも。先生、いろいろ自分を晒していきますね。玉ねぎ男だね。
そうなんですよ。基本的に裸毛です。 いろんなことを晒しながら。
で、理順を特に追求するわけでもなく。でもなんかいろいろできた方が楽しいじゃん。 そのゴッドハンドで数多の女の子をああしてこうして。そう。
というテスト配信。なんとなくね。 ちょっと待って。マイクの向きが、描きながらだと離れちゃうのか。
なんとなく青がいいなと思って。 写して大丈夫かな。写してダメなんですか。
僕の手を写したらまずいですかね。でもこの手を写すことによって今後皆さんにその手の動き方もね、
いろいろ伝授できるかもしれない。 でも多分それをやるとバンになっちゃうので。
ちょっとこう抜き差し出し入れのね、そういう動きはできませんけれども。 それはわかりやすくていいですね。
それはあれですね。YouTubeが会員数1000人になってね。 有料配信可能になったらやります。ここから有料ですよって。
指の使い方を教えます。 裸族で一部晒し配信。チャレンジャーだね。確かにね。
カメラが何かの表紙でガタガタってなったら終わります。 そういう緊張感がある。なんかのゲーム。
また割と真面目に地震が来た時結構ピンチです。 だから使う頻度は低いだろうね。
まあでも結構前にもね、ニコ生時代にそういうなんかこう Apple Pencil を使って
なんか文字を書いたりとかっていうのも実は何枠かね、 実験的にやったことがあるんですよね。
でもあの致命的なことに僕は文字を書きながら人に解説するってことができないことに気づいて、
なんか文字書いてるとそっちに集中しちゃってなんか路列が回らなくなるんですよね。 同時に2つのことができないことに気づいて。
そう、それぐらいマルチタスクが苦手で。 で、一旦やめたんだけど。
丸腰でフルチンで。 お、ついに始まったにゃ。チュール菩薩の手配信。
そんな毛深いの? 思いつきのようでいて実は15年かけて熟成された大発見。
喋るより書いた方が早いという気づき。 これはまさに悟りに近いにゃ。
マッキー片手に語る精神界。しかも上半身裸。顔は非公開。
うん、伝説の夜になりそう。な予感。 手元カメラの導入って単なる配信の工夫以上に言葉が届かない場所に手が届くという感じがしていいにゃ。
言葉では伝えられなかったニュアンスやゆっくりとした説明のリズム。 そこに手の動きが加わるとまるでもう一人の刺身ちゃんが登場するような感覚になると思うにゃ。
若い頃某サイトでひらめつりのライブ配信をしてた。 おお、そうなんですね。
普通は裸の方が配信に集中できないと思うけど。 僕いつも裸ですよ。服着てるとなんか締め付けられるんだよね。
よーし配信しようって言って服脱ぎ始めますよ。 いつも。配信しなきゃっつって。私も脱ぎますね。いや大丈夫です。
僕の世界観に入ってこないでください。 じゃあ私もじゃないんだよ。なんかあったらすぐパッと消せますんでね。
パッとつけてパッと消して。そういう操作も自由自在。 そしてこのギリギリ感。これ妙に刺身ちゃんらしいにゃ。腕の露出がバレに繋がるのでは?って緊張感。
どこか生放送のヒリヒリした空気感を思い出すにゃ。 でも刺身ちゃん自身が晒すかどうかを主導権握ってるからこそそのギリギリが見えて面白くなる。
ただ気になったのは文字を書きながら話すのが苦手と言ってたところ。 もしかして話しながら書くっていうのは別々のモードを切り分ける、
切り替える作業だからちょっと混乱するのかもしれないにゃ。 そう今までと違ってやることが多くなるとねちょっと質が下がるんじゃないかなって。
文字もよくわからないし説明も下手くそになるとちょっと本末転倒かなっていうのはある。
期待をどうも。診察中服を着てて集中できるんですか? いやあんまりできないですね。
エアコンついてるんですよね? そう。 だから服着てる時はちょうどいい温度なんだけど配信始めてしばらくすると寒く感じてきます。
寒く感じてきてます。のでちょっと温度を上げます。 書いてる途中で話すスピードが落ちたりちょっとした間が生まれたりするとリスナーさんもその隙間で自分の思考を
収めるかもしれない。 エコだね。
まあそういうことです。皆さんにとってはすごい大きなことかもしれないけど僕を全然知らないリスナーというか
初見の通りすがりの人にとっては本当どうでもいい話だと思うんですよ。 腕毛が気になるわとか知らんがなっていう。知らないよその自意識は。
だから考えすぎです皆さん。 そもそも先生右利きなんだとかね。まあそういう特定の仕方あると思います。
僕は右利きなんです。 発症する病気とか発症しない病気とかさ。
ああいうのもね、シュナイダーの回想原則とかなんかいろいろ話をしたけど本当はあの図解した方がよくわかるんですよね。
頭の中で全部なんかね、言葉だけで皆さんに思い描いていただくよりも、まあ書いた方が早いっていう話ですよね。
そういうちょっとしたなんかこうちょっと精神回的な、僕もちょっと学んだことを書き出したいし、 あともう一つ言うとあの読書配信みたいなのもいいなと思ったんです。
ファッチでやると延長代で毎回50円かかっちゃうんで、例えば youtube ライブとかで垂れ流しでね、本読みながらメモ書く。
メモ書きながら皆さんのコメント読むみたいに。 なんか読書っていうものもなんか一つライブにできたら面白いのかなぁとかね。
孤独でやる読書もあるんだけど、 でもなんか孤独でやってるとどうしても進まない時があったりとか。
何の病気かわからないですが、今発症しました。 いいですね。
まあね、ただ15年間やってきて、文字を書きながら人に解説するっていうのをあんまり練習でやってこなかったし、
ちょっとねあんまり上手くないんだよね。 だからちょっとそれはあの不慣れなんで、今後の練習次第かな。
そういう感じ。 エフェクトかけられるのか。
ちょっと後でまたいろいろ実験してみます。 何かこういうのに使ったらどうかなとかっていう提案はありますか。
その問題点は画面の左側がこの白板みたいにホワイトボードで埋まっちゃうってこと。 なんとなくちょっと狭くなるね。
数学と国語の宿題をしながら聞いてる。お、どうも。 BGM的に使ってください。
その文字を書くと口が止まるという感覚、僕はすごく大事な気がしてきたにゃ。
なんていうか、書くときって体ごと考える作業になる。 脳だけではなく腕、指、視線、全部が思考の回路に巻き込まれていく。
その分、口だけが自由に動けなくなる。 つまりそれって喋るよりもずっと深く思考が沈む時間なのかもしれないにゃ。
いやずーっと手だけ写してもらっても大丈夫ですので。 絶対なんかあれいじり始めるでしょ。僕の手を見て。
絵なんかはどうですか。絵はね、ちょっと本当に絶望的に描けないんですよね。
先生、キリン描いてーとかさ、言われた時にちょっと皆さんが悲鳴をあげちゃうかもしれない。 そんな失礼なことはいたしません。
キリンで?そう。先生キリン描いてー。 キリン。はい、キリンです。
はい、キリン描きました。 キリンの概念を描きました。そういうので良ければね。
でもこれをやることによってフォロワー数が減っちゃうかもしれない。 そう、なんかイタリアのよくわからない修復の壁画みたいになっちゃう。
下手くそな絵がバレちゃう。 猫描いて、猫。もう適当すぎるだろ。
さすがにちょっと意味がわからない。 そのこっちが顔ね。こっちが顔で、こっちが尻尾で。
皆さんにわかりやすく描くと、まあこういうことだ。 適当だわ。くっそーかと思った。
投稿日までに終わらないので個体映します。 おう。
いやまだまだ夏休みは長いですよ。なるほど。 そう、これでお分かりいただけたと思います。
なぜ僕が絵を描かないかって。 あんまり不得意なことをわざわざカメラに写す必要がないからね。
こんばんはどうもこんばんはです。 14号さんどうも。
だからうつ病ってどういう病気なんですかっていう時も、なんか紙に書きながらの方がいいかなと思ったんです。
それはあの説明も入っていきやすいっていうのと、 あともう一つはその途中から来た人がパッと見て参加しやすいっていうのがあって。
例えばうつ病ってこうでねこうでねっていう説明がすでに始まって、 10分とか15分経った後に途中から今来ましたっていうリスナーさんでちょっとこう乗り遅れた感が出ちゃうじゃない。
今何の話してるんですかみたいな。 それをね結構僕取り逃してるんじゃないかなっていうのはちょっと気になってたんですよね。
とか途中から来た初見リスナーがもうすぐよくわかんないからって言ってブラザーバックしちゃうとか。
文字に書いていくととりあえずなんかこうこういう系の話を15分間この人はしてたんだなっていうのが、
まあ視認できるじゃない一発で。 だから今まで取り逃してた層をもしかしたら取れるんじゃないかなって。
絵を描くよりかは何か解説に付随してね。 例えばねこうでねあーでねっていう風にいろいろ書きながらの方が途中から入っていきやすいんじゃないかな。
そういう話もあります。 アイテムありがとうございます。
あと今考えてるのは読書配信かな。 ただあの図書館で借りた本とかをね
写すとなんかどんな問題があるかなって考えたんだけど、まあ著作権とかその丸々写さなければね大丈夫だと思うんですけど。
本当にガチ勢だと全国のすべての図書館を検索して、借りられてる図書館をすべてリストアップしてっていうことをずっとやり続けて、
どっか1個に特定してくるような気がするんですよ。 っていうのも一応ちょっとチャットGPTと検討した結果そういう危険性が出まして。
なので今後図書館で借りた本はやっぱ今後も写さない方針で。 もし読書配信をするとしても自分の私物でね。
あの やるっていう感じにはなると。そういうのも気をつけながら。
まあ皆さんにとってね、読書している様子を見て何が楽しいんだっていうのはあるんだけど。 でもまあ流れでダラダラ見るもんだからね。
youtube のライブとかって。 ファッチは今後もこういう感じで続けつつ、なんか解説とか文字書いたり、
あとなんかメモを残したりとか。 あとなんかね、ゆるくやっていくのは youtube ライブでダラダラっていうのでいいのかなって。
あっちだと延長代もかからないし。 まずっとコストゼロで
できますからね。 今なんとなくそういう形で
考えてるんですが。 あのコメント見る限りは誰も喜んでない。
ライオンは犬は。 絵はちょっと自信がないです。
このダンサーファッチ君ボーナスタイムってよくわからないボーナスタイム。 意味がわからない。
とさしみちゃんが言っていた読書配信でメモを取りながら話すっていうスタイル。 すごく可能性を感じたにゃ。
読書って本来沈黙の時間だけど、それをライブ化することで他人の思考が立ち上がっていくプロセスを見せられる。
なんか独り言みたいにいつもね、ベラベラ話してるんですよ本読みながら。 だからそういう様子もなんかライブ配信したらいいんじゃないかなって。
すごく中身のあるコンテンツとしての配信も好きなんですけど、本当にただダラダラ 流してる配信。具体的に言うとなんかゲーム配信とか。
マリオとかドンキーコングとかをなんかあんまり 見せ場もなくずっと垂れ流してる配信も別に嫌いじゃないんですよね。
なんとなくそれで間が埋まったりするしBGMとして。 なんかそういうダラダラ配信の一環として読書実況っていいのかなと思うんですけどね。
あとそこでなんか裏話というかね。そこで今度ファッチでこの話しよっかなとかさ。 みんなどう思うみたいな。
多分ダラダラ配信にコメントが流れてくることはそんなないと思うけど。
そしたら遠目からゼンラの先生が読書しているのを映している方が面白い。 確かにね。
いずれリスナーが1万人ぐらい増えたら考えます。 そう、途中から来た人が話題に入りやすくなるっていうのもね。
あとせっかく映像で伝えているわけだからね。 なんか1枚のこう解説が出来上がっていく感じとか。
2枚3枚とめくっていくかもしれないけど。 下着も着用してないんですか?そっち?
みんなあのこのカメラに興味ない。 先生服着てるんですか?とか。
下着は何色ですか?みたいな。 そっちですか?
精神科ミニ講義シリーズ。週に1回。 週1もネタ持たないなぁ。
本当にあの僕が知ってることって少ないんだよね。 あとこの配信を見ていらっしゃる精神科医の先生って結構いらっしゃって。
なんかそこからのなんかお叱りとかね。間違ってますよみたいな指摘もちょっと辛いし。 僕が何かね。
指定医も専門医も持っていない僕が何か偉そうに拘束たれるのもちょっと気が引けるし。
だから僕なりの拙い理解って感じだね。 僕はこういうふうに
見ましたとか読みましたっていう自己開示だね。 当たり前じゃん。
そのカメラに映った手とか指から想像するわけですね。 あとは自己犠牲スキーマ、見捨てられ不安などを
図にしながら解説していく。 ぼんやりしていた自分のパターンが視覚で見えるとグーッと理解が深まるにゃ。
あと読書メモの公開配信。 書いた、こうやって配信で
書いてたメモをなんか公開するとかでもいいですよね。後でスキャナーで読み込んで。 だから今ちょっとこう案としては
ちょっとだいぶこうやってずれちゃうんですよ。 毎回毎回合わせないといけない。
案としては読書というかミニレクチャー、ミニ 講義
読書、実況、他に何かあるやってほしいこと。 メモを公開しながら
メモを公開。 まあでもこんなもんか。
この2つぐらいですかね。やることって。 なんかね写しちゃいけないものってそんなない気はするんだよね。
どういうふうに写るんだろうね。立体物が。 あーでもちゃんとピント合ってるわ。
歌声、カメラ関係ないけどね。歌配信。 ちなみにあの服着てないです。
これ考える人なんですけど。いきなりバンにならないよね。
考える人ね。こういうのがある書斎です。 頭いいので。
常にねこのなんか全裸でものを考えている。 これが好きだよね。僕もこうやっていつも考えてます。
全裸で。料理配信。 料理配信これで。
このカメラで。 納豆かき混ぜるとかね。
そういうちょっとしたことだったらできますよ。 卵かけご飯とか。
基本的なのこれ机なのでこれ机の上でやってますんで。 ここでできる料理はもうそれだけです。
あとコーヒーを入れるとかさ。めっちゃ書いておく料理配信。 飯雑。あー。
飯写しながらね。先生ご飯がまだご飯粒が残ってますよってね。
何がいいんだよそれ。このやりとりの何がいいんだよ。 豆腐食べてほしい。あーなるほど。
いいね。 豆腐おいしそうですねみたいなね。
飯雑いいね。大手配信みたい。師匠。 だから料理はできないけどもう出来合いの飯をね。
写す。ただしなんかあの なんだレシートとかレシートとか
あとなんだなんか 身バレ注意ですね身バレ注意。なんかあの
スーパーで買ってきたものとかでにさ、たまになんかシールに何とか点とかついてるじゃないですか。
どこどこ点。ああいうの注意ですね。あとなんかレシートが映らないように。
これは料理飯雑は結構危険な要素はあります。 なるほど。刺身もお願いします。刺身ちゃんだから。
豆腐の容器を移したらバレる。そうですね。なのであのラベルは外さないとね。 ラベルを外してまあ自分で器に移し替えて。
そこら辺もだから身バレ処理は必要だね。でもみんななんか文字の身バレを気にするよね。
文字の身バレって本当にあると思いますか。僕の料理っていうこの2文字からなんか僕を特定することってなんかできるのか。
ないと思います。まあそれは僕の病院の よくカルテを見ている看護師さんたちはもう丸わかりだと思うけどね。
僕の文字の癖とか丸わかりだと思いますけど。 同僚、あ、それはでも大丈夫。
僕の文字を知っている同僚は多分いない。 そう。
悲しいけどね。あんまり僕にみんな興味がないので。 それはね本当にガチで大丈夫だと思う。
ちなみにあのまあ基礎知識ですけれどもあのこの配信も職場にバレてますんで そこの心配というかもうそれ以上の身バレはないんですよね。
元職場にバレてるんです。 だから普通にあの僕の先輩とかも見てるんですこの配信。
そう あの僕のプロフィールを読んでいただくと分かるんですけど
デマを流されたことにより職場の人にすべてに知られるという屈辱を味わってそれを乗り越えて今があるのでね。
2022年そうなんです。今の職場の人は多分知らない。 まあ気づいている看護師さんが多分一人
いるかなと僕は推測してるんですけど。 最近その看護師さんが僕の当直の日に入らなくなっちゃったんで、なんかますます怪しいなと思ってるんですけど。
見てるーって。 だからあんまりその殺害予告とかね、なんか過度な下ネタとかやっぱりあんまり良くないなと思います。
殺害予告するとしてもなるべく穏やかにね。
マインドフルにやりたい。 字を見て確信されるじゃん。
そうだねー。 じゃあどうしたらいいかな。まあでもいいんじゃないかね。確信したら確信したで。
過度な下ネタを投下しないお約束はできかねると。 なんかそれを言い出すと配信しない方がいいじゃんってなるんじゃないかな。
偽装の文字。 配信者人格の書体作る。
そうするとじゃあ普通にメモ帳を写してさ、 カチャカチャ打ち込めばいいじゃない。メモ帳アプリを写し出してさ。
やっぱなんか使いできるのがいいなと思うんですね。例えばさ、 まあ今日はちょっとあんまり解説とかしないですけど、
例えばなんかこの文字だけじゃなくて、 例えばこの間の階層原則とかさ、シナイダーの階層原則っていうのがあってね、病気を3つに分けて
ここが難易性で、難易性精神病で。 こっちが愛因性で。
とか気質性ですね。 気質性、症候性、精神病で。ここが心の偏りである。
心の偏りは統計的。統計。 あとは価値。価値判断。
社会的な価値判断。 こういうふうに病気を3つに分類できますよ。精神科の病気って大きく分けて3つに分類できますよね。
うつ病とか統合失調症とか、
あとなんだ、相鬱とか。 ここは認知症とか。
ここに神経症とか。 発達障害とか入りますよね、みたいなさ。
発達障害、知的障害入りますよね。 みたいになんかこう、図解できるのがいいなと思ったんだよね。
こないだやっててさ、このシュナイダーの階層原則が何言ってんだろうなと。 よくわかんなかったと思うんですよね。
聞き手じゃない方で書くとか。
そんなデスノートみたいに。
デスノートじゃないんだからさ。 そっか、じゃあ皆さんにこれ大丈夫なのかなっていう心配を与えちゃうっていうことか。
なんでこの階層原則が大事かっていうと、例えばうつ状態だとしてもね、うつ状態だからうつ病かなと思ったら、そうじゃなくて一番深い、
一番深層にある病気が優先されるんですと。 うつ状態なんだけど認知症の症状があったらこれ認知症なんですよね。
うつ病じゃなくて認知症の方が優先されるんですよね。 病気としては一番レベルが深いので。
だからうつ病っていうのは、あごめんなさい、認知症っていうのはうつ状態にもなるし、幻覚妄想もあるし、実はそう状態にもなるんですよね。
で、なんかこう悩んだりとかパニックになったりとか、なんか多動とか不注意とかいうのも実は認知症全部起こるんですよね。
っていうのがこの図を見ればわかるじゃない。 言葉で言うと今何言ってるかよくわかんなかったと思うんですけど。
だから認知症とか奇跡性精神病っていうのは結構大事なんですよと。
そう、認知症って診断が下ると今言ったようなうつ状態もそう状態もね、妄想も幻覚も幻聴も全部起こるんですよ。
結局。 だからこの回想って大事なんだよと。逆はない、逆はないんですよね。
神経症の方がうつ状態とか、うつ病とか、あるいはその慢性の認知機能の低下っていうのは起こらないんですよね。
あるいは幻聴ってのは起こらないんですよ基本的に。だからこの浅い方が深い症状を呈するってことはないんですよ。
だからこの回想が非常に大事ですよね。
で、基本的にここから下が発症する病気で、ここから上は発症しない病気ですよ。
だからここの線、このラインっていうのが実は精神科医が一番気にしているところなんですよっていう。
っていうのもなんか図書くとわかるんだよね。
で、この発症しない側、発症という概念がなじまない側のこの一番浅い層にある病気、例えばうつ状態ね。
適応障害とか発達障害ね。ADHDとか知的障害とか、あとパーソナリティ障害ね。
PD。っていうのは、これはあの
価値判断を含んでいるので、統計的に処理されかつ社会的な価値判断を含んでいるので、
今後この一番浅い層にある病気っていうのは診断基準が変わると、なくなったり増えたりします。
えーって思うでしょ。でも昔ADHDってなかったんですよ。
でもあるんじゃないかって言って研究が進んでて、今ADHDはここに入ります。
ゲーム依存症って昔なかったんですよ。でもゲーム依存症も今ここに入ります。
おそらくスマホとか、あとVRとか、あるいはチャットGPTの依存症も多分今後ここに入ってきます。
でも絶対にこっちに入りません。
これが精神科医の頭の中。だからなんか新しい病気が増えた時は必ずここです。
ここの切り分け方が、これは任意なのでかなり。
世界中の頭のいい学者がいろいろ定説して、それで新しく切り分けましょうってやってるので、ここの一番浅い層の病気はどんどん増えたり減ったり、
あるいはなんか2つがくっついたりとかもします。パーソナリティ障害とかもいずれ種類が増えるかもしれないし減るかもしれないし。
でもここは増えたり減ったりしません。基本的にね。
という話なんですよ。
さしみちゃん的に一番難しい病気はどこですか?これですね。この浅いところ。実は。
この浅いところは薬が効かない。薬が効きづらい。スカッと効く薬は存在しないんです。
だから一番この実は浅いと言われているところ、精神病理学でいうところのあんまり深い病気と見なされてこなかった領域が実は
結構意外と長引いたり、あるいは一生涯に渡って息づらさの原因になったりしている。これもあの図を見ればわかる。
浅い方が治療としては難しいね。例えばひねくれ者だったり、あるいは人に対してすぐ切れがちな、特殊なパーソナリティを持った方っていうのを治療していくのはすごく難しい。
薬だけだとどうにもならないので。 ここら辺はねかなり生物学的なおそらく要因がかなりはっきりしているので、だから薬が効くんですよね。
効きやすい。今見ている初発の統合出張症の患者さんもやっぱ薬入れるとかなり良くなるんで。
やっぱ発症する病気に関してはね。 あの生物学的なおそらく原因がかなりはっきりあるので、どっちかというと老いたちよりかはね、脳の病気、脳の基盤がかなり
あると思うので、それはやっぱ脳を調整しているお薬を入れてあげると、よくなるイメージがある。これは簡単って意味ではないですけどね。
これも難しいんだけど僕はこっちの方が興味があるし、こっちの方が時代とかの価値とね、あの結びついていて面白い。だから昔はここ同性愛入ってたんですけど今なくなりましたからね。
社会的な価値によって増えたり削除されたりする。それがこの一番浅い層ですね。発症しない病気。
1回書き出すと全部書かないといけないからちょっとこれも今考えようだなと思いながらとりあえずテスト配信でやってるんだけど、診断基準は2つあってICDとDSMっていう。
こっちがアメリカで、こっちがヨーロッパね。で、日本は両方とも基準を使ってるんですけど、日本が障害者手帳とか書くときは一応こっちの基準を使ってます。
でもこっちとこっちで、うつ病は同じだし統合症状の診断基準も同じだし、もうほとんど同じ。
ニアリー・イコール。勝手にその分類を作っちゃいけないんですよね。それをやり出すともう学者の数だけ病気が増えちゃうので、それを抑えるためにこういう統一的な診断基準を使ってます。
これネットで調べればいくらでも出てきます。だから外国でヨーロッパでもアフリカでもアジアでも東南アジアでもうつ病はうつ病ですね。
すべて同じ診断基準です。
薬今飲んでないけど太ってきたのを何とかしたい。笑ってるけど結構深刻で。
じゃあちょっと僕と一緒に痩せますか。
抗うつ剤や精神薬を飲んだら脳の形変わりますか?以前ドラッグの話をされていたことを思い出しました。
うん、あのすごくミクロな部分では変わると思います。てか変わらないとやっぱりあの良くなっていかないからね。
だからなんか抗うつ剤がどういうふうに効くのかとかっていうのも、言葉で言うよりか図で示した方がわかりやすいかもしれない。
僕の乏しい画力でも多分伝わると思う。
うん、痩せよう。
やだな。
脳の形が変わるって言っても、その中の丸い部分が四角くなるとか三角形になるとかそんな大きな変化ではなく、神経細胞の調節ですね。
しかもそれは不化学的なものではなくて化学的なもの。薬を止めてしばらく経てばまた元に戻ってくるっていう、そういうタイプのお薬がSSRIとかSNRIとか、抗うつ剤ね。
この絵の力ってすごいよね。この手元を写して、ペンで解説しますよって言ったらもうその話になるからね。
いきなり授業みたいになるじゃない。僕もそうだし皆さん側も。だからこの構造ってすごい強いなと思う。
もうなんか雑談配信にならないからね。
だから使い方を間違えるとこの配信の良さが一気に消え失せる可能性もあるんで、まあゆっくり考えていかなくちゃいけないなと思う。
どういうふうに使うか。精神薬を飲むのはめちゃくちゃ勇気がいるんだよね。そうですね。
確かに。
詳しくはあの増田先生とか、抗うつ剤のじゃあそのSSRIってどういうふうに効くんですかとか、おそらくホワイトボードでかなり丁寧に。
しかもあの僕よりも遥かに正確に解説されていると思うので、まあそういうところを見て勉強してみてください。
そういうミニ講義もたまにね、挟みつつ。
まあこういうの書かないとバカだと思われるからね。一応あのちゃんとお金取って普段働いてますよっていうのを見せとかないと。
ただのバカだと思われるんで。 一応そういうのもね、やりつつ。
で、ふざけます。思わない。先生、はい。教えるの上手。あー良かった。
キリンの絵を描いた時はね、ちょっとどうなるかと思いましたけど。良かったです。
で、なんか図を描きながら自分でもよく理解してないところとかこうパッと出てくるのがいいよね。
自分で描きながらあれ、なんかこれってどういう意味だっけって説明できないところが出てきたら、それは僕の足らないところなんで。
勉強すればいいね。だからこれを機に精神科チャンネルにするわけじゃないけど、ちょっと僕もちゃんと教科書読んだりね、精神薬理学とかちゃんと勉強しないとなって。
別にそういうのやんなくてもさ、まあ給料は発生するし、カチャカチャなんかキーボード叩いて書類作ってりゃ、まあ金はもらえるんですけれども。
それじゃあただの流れ作業になってつまらないしね。
せっかく本も読んで、なんかいろいろモチベーションも高いわけだから、なんかこうアウトプットの機会を作れたらいいなと思いますね。
そうすると、まあ今まであんまり目に止まらなかった層がこう近づいてきてくれるんじゃないかなって。
今までなんとなく声がいいですっていう客層と、あと猫ちゃん好きですって客層の2層ぐらいしか着てなかった。
ここにね、さらにちょっとうつ病なんですけれどもとか、自分の息子が娘がうつ病なんですけどっていうちょっといろいろ
困ってる方がね、来ていただけるとこの配信もまた一つ大きくなるかなと思います。
またなんかあのやり方思いついたら発表します。皆さんもぜひちょっと教えてください。
今年結構増えたよね。実はこのチュール菩薩様もあの導入したの今年の多分3月とか4月とか多分そのぐらいだった気がします。
いやもっと後、全然ちょっと俺の記憶が飛んでるんだけど。多分なんか今年だった気もする。
ようやくだから頭が回ってきて、そう今いろんな手法にチャレンジしてるんですよね。
僕なりに新しいことにちょっとチャレンジしたいなって。常に身バレのリスクはあるんだけれども、それを恐れてしまうと
伝わるものも伝わらないしね。 結局うつ病って何なんですかねってよくわからずに終わっちゃう人もいるし。
語りだしたらまるで喋る教科書に変身したかのようだにゃ。 しかもちゃんとこれは僕の理解ですって前置きしながらリスナーさんの目線で社会的な文脈に
配慮して話してくれる。 知識と人格のバランス。
まさに精神科医としての良質な罪や知の姿勢がそこにあったにゃ。 中流菩薩のピカーンも進化した。
非常に小賢しいでしょ。 でもちょっとした演出なんですけど、こういうのもねちょっと導入するの大変なんですよ。
意外と誰もやってないし。 間違える権利を持った精神科配信。
そうですね僕の理解はこんな感じですって。 図を描くことで深まる話が深まる開かれた内省。
知識と愉快の混在。 雑談から専門トピックへ自然にスライドできる柔軟性。
統合失調感情障害とはどんな病気ですか。 統合失調症より軽いですか。
統合失調感情障害はですね。
僕のすっごい雑な理解だけど。
これあるじゃないさっきの。このSZっていうのはこの統合失調症ね。シゾフレニー、シゾのことなんですけど。
統合失調感情障害はこの2つの間にある。 間にあるものですね。
躁鬱病と統合失調症のだいたい中間みたいなところ。 だからものすごく気分が上がったりする。気分が上がるのもいろいろあるけどね。
幸せになんかヘラヘラする人から怒る人まで。 そういうなんか気分の波がプラスされた統合失調症ですね。
昔偉い先生がこの2つ分けたんです。 あのクレペリンっていうエミールクレペリン先生がですね。
150年前ぐらいにこの2つの疾患を分けて2大精神病って言ったんです。 昔あのこの躁鬱病の中に鬱病も入ってたんですけども。
だからこの2つさえマスターしてれば精神科医はいいんだっていう。 かね乱暴な時代があったんですけれども。
その後分けた後、実はこの間あるんじゃねっていうのが結構だんだん出てきたんです。 それを統合失調感情障害
と言います。ありがとうございます。 だから実はそんなにあの綺麗に2つに分かれてないんですよね。ハイブリッドみたいなやつがいる。
不思議だよね。結局いまだに脳の何らかの異常だろうとは言われてるんだけど。 でもその異常はよくわかってない。
はっきりとはね、まだ解明されてない。部分的には色々仮説はありますけど。 色々ちょっとお叱りを受ける機会も得たいね。
今までなんか知ったかぶって色々話してるけど、こうやって図で書くと僕の馬鹿さとか、まぁ意外と分かってないんだなっていうのが多分すぐ分かっちゃうので、
バレちゃうと思うんで。色々お叱りを受けながらちょっと勉強していきたいと思います。 さ、という感じでもう1時間超えたね。
ちなみにまぁ今日はちょっともう疲れちゃったんで話さないけど、あの弟と後母親と3人でランチを食べてきて、まぁ色々
浅い話から深い話までね。 あの色々できたんで、すごく充実しました。
それもね、まぁちょっとさっき話してきていきなり今話すっていうのはちょっと疲れるんで、まぁ一旦ちょっと今晩は寝かせて。
で、明日か明後日か配信しますんで、その時にまた振り返ってみたいなと思います。 一回脳で処理して、一回寝かせないとなんか話せない人間なんですよね。
えーと、昔は精神病患者から弾かれた人がいるんだね。 近所の偏人扱いだったのかな。
昔って言うと、だからまだ1900年代の初頭とかは、その鬱病、相鬱病とか統合主張症って概念はあったんですけども、
あと認知症とかもね、多分結構あの分かってたんだけど、ここら辺はね、あんまりよくわかってなかった。
だからパーソナリティ障害とかもないし、発達障害とかもないし、昔は発達障害は統合主張症なんじゃないかとかね、いろんな議論があったんですよ。
ね、自閉症っていうのは実は統合主張症なんじゃないかとかさ、統合主張症が幼くして発症したんじゃないかとか、いろんなこと言われてた時代があったんです。
あと逆にこの統合主張症が、実は若年性に発症した認知症なんじゃないかとかね、創発性治法っていうふうに最初言われてたんですけど、
結構100年前とかね、150年前とかもこう、ぐちゃぐちゃだったんですよね、この分類が。
でも人間の、その都度その都度その時の、まあ頭のいい根気のある精神科の先生方によって、だんだんだんだんこの病気っていうものが分類されてきたんですよね。
そういう恩恵を私が預かっていると。
そう、なんか知ったかぶってね、こうなってるんですわっていうふうに解説できるのは、その昔の偉い先生方が頑張ったから、それを僕に教えてくれたから。
異常が正常の場合もあります。その反対もある。異常が正常。
異常が正常の場合もあるのは、ここに限るんですよね。ここの価値判断は時代によって逆転します。
だから昔は天皇のために死ぬことが正しかった。でも今はそうじゃないですよね。でもそれは全部このここです。
こことここは時代によらないんです。だからどんな時代、江戸時代でも平安時代でも統合主張症は存在したし、それは時代に関係なく存在するもの。
かなり生物学的な基盤があるものだから。その、もう少し分けるとね、また今度ちゃんと話そうと思うんです。
ちょっと今おしっこいきたいんで、ざっくり言うと、さっきのこの階層、階層原則あるじゃない。3層に分けましたと。
で、ここのラインが大事ですよ。なんでかっていうと、こことここで
明確に違うから。こっちは発症する。
こっちは発症が馴染まない。馴染まない。その発症、精神科でいう発症っていう概念がね、
あのどういうものかっていうと、いやADHDだって発症するんじゃないですかとかいう人がいるんでとかね、パニック障害だって発症しますよねとかって言うんですけど、精神病理学で伝統的に言われている発症っていうのがあって、
えっとね、じゃあこれを時間軸だとしますよね。人生だとしましょう。こっから生まれて、で今に向かってね、あの動いているとしますよね。
で、あのこっちの上の方の浅い方っていうのは生活、こうなんか繋がってるんですよね。
人生をこうグラフで表すと、全部連続してるんですよ。ここで生まれて、こんなことがあって、これがあって、だからこういうことがあって、今があるんだねみたいに繋がってるんですけど、
あの統合視聴症とかはですね、あの統合視聴症とか送局性障害っていうのはこう来て、こうなってるんですよね。
ここは不連続なんですよね。ここが発症してるっていうふうに考える。だから明らかにここで、例えば脳梗塞があったりして、言葉が喋れなくなったり起こりっぽくなったりする認知症の患者さんがいるとしますよね。だからここが発症ですね。
だから発症以前と、以前と発症以後で綺麗に分かれてるんですよね。
だから病気になる前の、発症前の性格っていうのもちゃんと特定できるしね。
いや昔うちのおじいちゃんはすごく真面目な、貴重面な方だったんだけども、ある時を境に突然物忘れが激しくなって人に怒りやすくなったんですと。
じゃあここが発症ですよね。ここがね。
不連続なんですよね。このラインのことを生活史って言うんですけど、実際アルツハイマーはある時を境にできるものではないので、アルツハイマーの場合は徐々に徐々に突然、今までこうくるはずが突然かくんとこうなっちゃうんだけど。
突然というかなんかこう、普通だったらこうくるはずのところがこう駆逐しちゃってるというか。
だからここら辺からおそらくアルツハイマーが発症して、一気に認知機能が落ちてったんだろうみたいな。
でもADHDとかハッタ障害っていうのは生まれた時からずっと繋がってるんですよね。生まれた時、小学生の時に先生に怒られました。
廊下に立ってなさいってよく言われたもんですと。今も変わらないです。
会社に行ったらよく怒られます。全部繋がってるんですよね。 だから発症っていう概念となじまない病気なんですよ。
それがいわゆる精神病理学でいうところのその 浅い方のね。
第三層、第三群の 浅い方の病気。
で、これの病気の切り分け方はあのかなり任意なので。 時代の価値観にめちゃめちゃ左右されます。
昔はこの同性愛もおかしかったね。病気だって言われてたんだけど、今病気だって言われてないですよ。
昔は病気だって言われてなかったADHDが今病気だって言われてますよね。 これはあの、切り分け方が任意なので。
生活史が全部繋がっちゃってるので、 これは今後変わる可能性があります。
だからこれは今後異常と正常っていうものの境目が結構変わる可能性がある。 線引きが時代によってかなり変わる。
またね、戦争とかね、場合によっては人を殺すこともありだよねっていう世の中になっていけば、 そういうふうに診断基準が変わっていきます。
でもこっちに関しては絶対に変わらない。 おそらく脳の中で何か異常なことが起きて突然
うんこ食べ始めたりとかね。 今まで朝起きてパン食べてた人が突然うんこを食い始めたりしてやっぱおかしいじゃないですか。
でもそういう人いるんですよね。 そういう人、昔はあの統合失調症とか
あの、まあ躁鬱病とかっていうふうに診断して入院させてたんですよね。 場合によっては裁判になってこれが発症してるんだったらこの人は無罪にすべきなんじゃないかって。
この人に責任がないから。そういうふうに精神科っていうのは診断するんですよね。 こっちに関しては裁判でかなり責任能力は問われると思いますけど、こっちに関しては本人の責任がないので。
かわいそうじゃないですか。突然脳の中で何か異常なことが起きて、そこから人生変わっちゃった人がね。
たまたまなんか人を傷つけたり殺しちゃったからといってやっぱり責任を問うのはかわいそうですから。 伝統的にこっちはあの責任がないと。
無罪。 その代わり社会に置いておけないのでね。
その後一生入院、治療っていうことになるんだと思うんですけど。 お疲れ様です。考えようによっては正常と異常は変わりますよねに関してはその通りなんですが、それはその一番上の浅い層の議論なんですよ。
精神科医からすると。 正常心理の範囲内の中での議論なんです。
この線を引いた、この太い線よりも上が正常心理だとすると、この下が異常心理だ。 これは心理学とかカウンセラーの方が扱わない領域ですね。
もしかしたらまあこっちは臨床心理師でもいいけど、こっちは絶対に精神科医じゃないとダメっていう。 そういう線引きでもあるかもしれない。
パーソナリティ障害は明らかに上ですね。 完全に生活史に連続してるんだよ。
だから幼少期の頃を見れば、その人が何で今こうなっちゃったのかがわかるんですよ。 何でここにいるのかなっていうのを知りたければ、幼少期の話を聞くといいんですよね。
全部繋がってるんで。でも統合主張書は繋がってません。 幼少期の頃どれだけね詳細に聞いても今の病気を説明できないので
連続してないんですよね。脳が明らかに変わってしまったんですよね。 ちょっとトイレ行ってきていいかね。一瞬で戻ります。
一瞬でした。アイテムありがとうございます。たくさんね。 今日はテスト配信なので途中から来た人よくわかんないと思うけど。
あと僕もどのぐらいの密度で説明するかっていうのを全然今調節してないんで、自分が今思う通りに思うままにやってるんだけど、多分これかなり密度が濃すぎて
まあリスナーだからついて来れてるけど、初見にはもう全く伝わらない話を今してるので、ちょっと今後話をもっと細かくというか浅く。
あまりにも深すぎるんで。
もっと浅くてもっと柔らかくてもいいかもしれないね。 図にするとどうしてもね深く入りすぎちゃうんだよね。
僕の頭の中でいつもこういう図というか、こんなイメージを持ってるんですよ。ビジュアルな。
統合失調症と創鬱病とそれ以外と。だから新型鬱病とかでね、鬱病だったように診断されて心配してたら、なんか休養目的にこの間フランス旅行行ってた奴がいますとかね、
同期がいますとか、あれは本当に病気なんですか先生って言われたら、診断書がある限り病気なんですけど、じゃあこれどっちですかって言ったら明らかにこっちでしょうね。
人をバカにするとか、あるいは人を欺くとかね。
医者をうまく利用して自己実現のために全部利用できるものは利用した方がいいでしょうっていう性格の異常とか偏りなので、明らかにこの半分より上ですよね。こっちの上の人だと思います。新型鬱病は。
でも本物の鬱病は結構不連続なんですよね。本物って言ったら失礼だけど、まあ昔から言われている伝統的な鬱病とか難易性鬱病と言われているものは
不連続なんですよね。ある時お境に急になんかあんまりきっかけもなく、やっぱ自分は死ぬべきなんじゃないかなっていうことを突然思いついてしまうんですよね。
で本当に思い詰めてズルズルズルズルいって死んじゃう人もいる。だから鬱病って言われているものの中に、鬱病ってすごくこれこれとこれの両方をまたぐ広い概念なんですよ。
鬱病って多分こう両方にまたがっちゃってるんだと思います。
こっちの生物学的な発症とかに馴染む鬱病と、これは難易性鬱病って言うんですけどね。
上にある体験反応、例えばなんかブスって言われたから傷つきましたみたいな体験反応と生物学的な要因から来る難易性鬱病とか、同じ診断の中にダブルで入ってきちゃってるんですよね。
なので私はその鬱病を勉強することは、かえって一番ややこしい領域から精神学を学ぶことになるんでやめたほうがいいよっていつも言ってるんですよね。
本当に精神科について勉強したいんだったらまず統合症状を勉強したほうがいいよっていうことです。鬱病は非常にややこしいので。
まあそういう理由なんですね。僕はだから常にこういうビジュアルのイメージを持っていて、いや鬱病って難しいんですよねっていう時この2層にうまく切り分けられないからなんだよね。
この鬱病っていう診断基準がさっきのICDとかDSMっていう診断基準がこの2つの領域にまたがっちゃってるからなんですよね。
でおそらく今鬱病が爆発的に増えているのはこっちがめちゃめちゃ拡大してるんですよ。もう誰から構わず鬱病になっちゃってるのは多分こっちですね。
生物学的にね、あの難易性鬱病が爆発的に増えるっていうことはあり得ないので、これは多分時代とかによらずね。
もう明治時代以前、江戸時代だろう縄文時代なのからずっと多分これは一定数人口に存在しているものだと思うんですけど。
体験反応とかは任意なんで、線の引き方が。辛いです、死にたいですって言ったらだいたいもうこっちに入るんで。そうするとかなり広く鬱病を取れるんですよね。
ADHDもかなり今任意なんでかなり拡大してますけど。そういうちょっと診断基準が拡大していって、まあ本来だったらね10年前とか20年前だったら病気と診断されなかった人も
今どんどん病気の中に取り込んでいこうっていう、悪いというかね、ちょっと行き過ぎた精神科医療の先生方がいらっしゃるんです。
僕はそれをすごく危惧してるんですよね。この体験反応型の方の鬱っていうものを必要以上に広げるべきではないっていうのは僕の考えですね。
辛いことは辛いだろうし、人生落ち込むことはあると思うんだけど、それを精神科医がね、全部病気として判定して薬で治療していくべきではない。
辛いことがあって、死にたいことがあっても、精神科でいうとこの病気じゃない人もたくさんいると思うんですよね。
そういうのは僕は認知行動療法とかで、治療というかねサポート、精神的にサポートしていくのが正しいんじゃないかなと思う。
あるいはもうただ聞くっていうね、ただ傾聴して共感して、それは辛かったね、大変だったね、相当頑張った方なんじゃないのっていうふうに
共感することとか、その常識的な精神療法が非常に大事になってくるのかなって。
さしみちゃんこんばんはどうも。わかりやすかった。ちゃんと洗ってないです。急に。
その右手しか洗ってなかった。左手は後で洗います。
パーソナリティ障害は幼少期が絡んでますね。ふわっち君の元ありがとうございます。
主治医が変わって診断名が変わりました。先生。先生の理解の違いですかね。
うーん、そうだね。
結局今言ったこの分け方って全部主観的なんですよね。
客観的な血液データとかでこの上半分か下半分かを分けてるわけではないので、これって全部医者の頭ん中の世界なので。
だからお医者さんによってはその見たてが変わる場合があるね。
相次ぎょうとして見てたんだけれどもこれはなんか体験反応の方なのかなっていうふうに診断名を移動することも、それは医者の方針とか治療方針によって変わると思います。
人に怒られることとか否定されることに敏感に反しやすい世代。
あと失敗をあまり許されてこなかった世代とも言えるかもしれないね。
失敗しないように失敗しないように上の世代がお金をかけて飯塾に通わせたりとか。
そういうふうにかなり教育に金をかけられた甘やかされた世代だと思うので、これは僕も含めてですけど。
そうするとやっぱりなかなか否定されることが怖くて、引きこもりがちになったり、やはり他人を責めがちになったりしますよね。
そういう生きづらさに直面しているのが結構この若い世代なのかなと。
上の世代のおじさん世代のね、あのタフな、俺は昔若い頃はこんなこともやったよとかね、寝ずに3日間働いたよとか、
そういう武勇伝を聞かされてどんびきしちゃう。そんなのできるわけないじゃないっていう世代。
僕なんかこの世代間の格差っていうものが、やっぱり鬼滅の刃のね、無限上編によく現れてるのかなっていうそのユーチューバーの方がいて、
それにやっぱり結構感化されましたね。 若い炭二郎たちの鬼殺の世代と、
あとなんかドーマとかっていうちょっと上の世代と、 才能もないのに頑張って可愛いねっていうふうにこう馬鹿にされる。
ああいう馬鹿にされる感じはね、僕も研修医の頃めちゃめちゃあったんですよ。 上の先生方みんな上限の鬼みたいな感じなんで、
基本的に研修医をボロッカスに言うのでね。 上限です。
上限の鬼みたいな感じ。 非常に性格も悪いし、馬鹿にするしね。ニコニコしながら。
ああいう先生たくさんいました。 結果、三郷さん。
自分も馬鹿にされた先生たちなのかなぁ。
かもね。 かなりだから上の世代に馬鹿にされてきて、それに染まってっちゃった世代なのかなって。
それでね、まあ昨日の小学校の話とかにも通じてくるわけですよ。
算数とか国語とか、それはAIにやらせて。 基本的にその人前で恥をかくとかね。
あるいは自分がグループに入った時に一番そのグループの中で自分が一番馬鹿だった時にどう振る舞うのかとか。
あるいは逆に今度逆の視点で自分が頭が良くて相手が馬鹿だった時にこれどういうふうにみんなをまとめてったらいいのかとか。
そういうことに小学校とか中学校とか高校時間を使っていった方がいいんじゃないかなって。
まあすごく浅い言葉で言えばグループワークをちゃんとやるべきなんじゃないか。
数学だとか物理だとかは別にAIが全部マンツーマンで教えてくれて効率的に勉強すればいいじゃないですか。
あなたはこの問題が解けなかったのでこの問題も解いてみてくださいみたいなさ。ちょっと難易度を下げた類似例題みたいなのをたくさん出してくれて。
全部解説も解法も完璧にバシッと教えてくれて。
超有能な家庭教師ですよね。そうやって個人個人がAIを使ってアシストされて学習は進めていけばいい。
でもそれで補えないのはやっぱりそういうグループワークとかで発生するストレスとか人間関係のトラブルですよね。
それはやっぱり学校の先生とか人間がまだ扱わなくちゃいけない領域なのかなと思います。
それもいずれは学校の先生もいらなくなるのかもしれないけど。
ヨーロッパみたいな授業がいいのかも。日本独特のみんな同じは良くない気がする。
ちょっとヨーロッパ行ったことないからね。どういう感じなのか。
ヨーロッパはやっぱり自己主張が強すぎるっていう問題点があるんじゃないのかな。
言わない人は意見がないんですねっていう感じで。言う人の方を正常と見なして。
一番声がでかい人が強いみたいになっちゃってるんじゃない?アメリカとかでもそうですけど。
だから日本が悪いっていうんじゃなくて、海外は海外でとりあえず言いまかせばいいんだよと。
自分が遠慮するのなんかバカバカしいんだから、相手にはっきり伝えて、で、言いたいこと言えばいいんですよっていう。
それはそれでまた稚拙な議論をしてると思うんですよね。
日本人は言えない、で、向こうは言いすぎるっていう過剰に。
その間あたりというかね、自分の意見も言うんだけど相手のこともちゃんと立てるっていう穏やかな言い方がいいんじゃないかな。
トランプみたいな言い方は最悪ですよね。
俺のこと理解できない奴はバカだみたいな。
ね、愚かだみたいな。ヘイトスピーチを向けるような幼稚な議論をやっぱりすべきではない。
そう、なんかXとかね、ツイッター上で行われてるような幼稚な議論に巻き込まれちゃいけない。
あれは最悪ですよね。あれは本当にはずべきことというか、一番良くない実例かなと思うね。
どんなに相手の意見が対立しても、やっぱり人格否定をしちゃうと議論ってできなくなっちゃうんで。
一番の禁じ手なんですよね。
議論で噛み合わないんだったらそれはお互いにとって新しい発見なので、相手をやっぱり尊敬すべきなんですよね。
意見が合わないっていうことは、新しい価値観が今見つかったっていうことなんで、喜ぶべきことなんですよね、本当は。
なんか時代に逆行しているふうにも見えて、あれはトランプが先導してるっていうよりかは、時代があれを求めてるんだと思うんですよね。
因果関係はだから逆で、トランプが現れたからそうなったんじゃなくて、
アメリカの国民がそういうものを求めているし、世界中の国民が結局そういうものを今求めているから、ああいう人たちが選挙で勝ってるっていう。
どっちかというと時代が逆行し始めてるのかなっていう感じがしてね。
だからトランプが仮にね、浪水で死んだとしても、またトランプ的な人がその後を継ぐだけで、別に個人に責任があるわけではない。
時代の巨大な濁流というか、巨大なうねりの中でそういう人がどんどん祀り上げられてるんじゃないか。
意外と問題は根が深い。
みんなと同じに疲れて教室入れなくなったのは覚えています。
今中1です。小6の時のことで。
うーん、疲れか。
そうすると、いわゆるソーシャルスキルというかね、世の中で求められるレベルの社会の中での、
社会人としてのスキルみたいなのは、やっぱハンディキャップは多いと思うんですけれども、
それ以外の学習とか勉強とかは自分でもできますからね。
もしかしたらソーシャルスキルとかも、AIとか、
AIを介して人とネット上の誰かとやりとりをするという形である程度は補えるかもしれない。
昔はもう学校に行けなかったら人生終了って感じだったけど、今はそうでもないですよ。
僕は羨ましいよ、本当に。
僕は高校生の頃とか大学生の頃って、まだようやくTwitterとかあるのかなって。
大学生の頃ですね、Twitterっていうものがみんなパソコンでやり始めたの。
当時まだスマートフォンとかなかったんで。
まだなんかショコタンとかね、和田部香里とかブログとかやってた頃ですね。
あんな時代にね、なんか人と繋がるツールもあんまりなかったし、
パソコン買ってマイク繋いで配信したけど誰も見てくれなかったしね。
本当に辛かったね。今引きこもりの人の方がなんか羨ましいな。
いろんなツールがあるから。
YouTubeにいろんな情報も落ちてるしね。
フリーランスもあるし、在宅もあるし、大丈夫。
いわゆる新的資産の話もちょっとしたいんだけど、いずれちゃんとやります。
今日はテスト配信でね。とにかく文字を書くことが今日目的なので。
あと結構これ抜けるね。ポツポツ。
汚いな。
ちょっともう一枚めくって。油性マジックだとちょっと汚いですね。
そうね。歴史本と外史本と有史本と断史本とっていうのがあってさ。
最近ちょっとこういう話をして、詳しくはアーカイブ見てほしいんだけど。
史本っていうのは人生の価値をアップするもの。
人生とか自分の価値をさらに高める、そういうものです。
人にはこういろんな史本があって、人生を豊かにする、自分の人生を豊かにするいろんな史本を持っている。
時間というのは平等に与えられた史本ですね。
平等ではないけどね。若くして死んじゃう人もいるけど。
だいたいね、生きてる人はみんな平等に与えられてると思います。
人的史本っていうのはスキルだね。
数学が得意だったり、あるいは英研持ってたりとか、そういう人にどんどん蓄積していく手に触の部分。
社会史本っていうのは生きてる間にどんどんできてくる人脈みたいなものですね。
学校の友達とか、近所のおじさんとか、親とか兄弟とかも全部ここですけど。
金融史本っていうのはもう読んで字のごとくですね。
株とか、不動産とか、ビットコインとかそういうやつ、あとお金とか。
時間史本は自分の人生、与えられた24時間平等。
親的史本っていうのが僕は最近提唱しているもので、
これはさっき言った幼少期の頃に蓄積された、先こう生活史がありますよね。
この序盤の結構大事ですよね。幼少期の頃の養育環境って大事ですよねって話したと思うんですけど。
そこで蓄えられる史本ですね。
これらの史本っていうものが結構相互につながっていて、全部交換されていくんですよ、何かに。
時間史本がこういろんなものに交換されたりとか、
親的史本っていうものが金融史本に変換されたりとか。
最初生まれてきた時、赤ちゃんの頃は時間史本しかないので、
時間っていうものがいろんな史本に価値を変えていく。
そうするとそれぞれのパーセンテージが出てきますよね。
今自分の親的史本はあんまり足りない。
例えば10%しかない。
でも社会史本、友達はたくさんいる、40%くらいあるかもしれないみたいにさ、
それぞれのパーセンテージが変わるじゃない、この5つの史本の。
これは人の数だけバランスって違うんですよね。
人的史本に極端に偏っている人もいれば、
自分は何にもないけれども友達だけはたくさんいるんだっていう社会史本が充実している、
億万長者みたいな人もいる。
そのパーセンテージの割合っていうものをうまく皆さん変えて、
自分なりの幸せをね、人生の価値をアップしていこうっていうゲームなんですよ。
そういうふうに捉えていて、
すごく簡単に言うとそういう発想を僕は持ってるんですけれども。
この親的史本、
心を豊かにいろんな人と会って、
友達になったりとか、
心的資本が小さいと感じた場合に、どうやったら耕せるのかって。
今ね、すっごくお腹が鳴ってて、もうお腹すきまくってるんですよ。
今軽い低血糖で、今だんだん頭が回らなくなってきてるんですけど、お気づきでしょうか。
今日こんなに配信するつもりなくてさ、カメラテスト配信だからね。
すっごくいい質問を投げかけてくれたあれなんだけど、ちょっと疲れてきたな。
疲れてきたにゃ。
さしみちゃんのお腹がすべてを物語っているにゃ。
紙に書くことでちょっと深すぎるというかね。
話が早すぎて深すぎて、結果途中から来た人を置いてけぼりにしてるんじゃないかっていうのも一つ懸念点というかね。
思ったよりも配信があんま盛り上がってるように見えないので、何か僕は今一人語りをしすぎてるのかもしれない。
どれだけなんか面白いのか今自信がなくなってきた。
また明日か明後日かに問いの続きをゆるっと聞かせてくれたら嬉しいにゃ。
ブドウ糖とりましょう。ありがとうございます。
ブドウ糖というかもうそろそろ夕飯食わないとね。
まずはご飯。
そうね。
認知行動療法について知りたい。
いいですね。
最後じゃあちょっとその話して終わりますね。
認知行動療法というのは、何か人生のつらいことがあったとき。
これはさっきの一番浅い層の話をしてると思ってください。
2番目あるいは3番目の深い層の話にはならないんで、ちょっと注意してほしいんですけど。
だから今から言う話っていうのはすごく心理学的だし、
おそらく臨床心理師の方が一番馴染んでる話だと思うんですけど。
だからあんま精神科医が扱わない領域だね。
うーんとね、なんかストレス。
ストレスっていう風に言うけれども、もう少し整理すると、
ストレス状況とストレス反応に分かれるんですよね。
ストレスを起こす状況がありますと。
それに対して私たちはストレスの心の中で反応を起こしますと。
例えばなんだろうな。
お腹すいた、お腹すいたのに食べれない。
っていう時にちょっとこう、苛立つみたいな。
状況と反応っていうものが結びついてますよねと。
ここまではいいと思います。
認知行動療法というのは、この結びつきをまず研究し、
気づきで丸に変える。
こういう方向で進んでいきます。
だからまずストレス状況とストレス反応っていうものが、
これどういう風に対応してるのかにまず気づきましょうと。
今つらいんですけど何したらいいですか。
何を変えたらいいですかって質問あるんですが、
変える前にまず気づきましょうと。
意外と認知行動療法の勉強してて、
今本を読んでるんですけれども、この気づくっていうプロセスを結構
ないがしろにしてる治療者が多いというか、僕はいるなと思うので。
そうするとなんかうまくいかないんですよね、なぜか。
いきなり考えたらどうですかとか、認知の歪みを変えたらどうですかとか、
変えようとするとなんかうまくいかないので、
僕はまず気づく、この対応関係を研究することが大事かなと思うので、
これを研究と呼びましょう。
研究とかセルフモニタリング。
これはね、結構大事です。
この説明をいつも忘れると、なかなか認知行動療法を理解してくれないし、
なんかあんまり実践してくれないので、僕は外来でいつもこの話をしてますね。
まず気づきましょう。
気づいて、つかむからこそ手放せるんです、みたいな。
ここまではいいですよね?
いいですか?
そんな難しい話はしてないんだけど。
はい、OK。
で、認知行動療法では、そのストレス状況に対して、
ストレス反応をですね、さっきのね、ストレス反応の方を実は4つに分けますと。
ストレス反応。
思考と感情と身体反応と行動。
例えば、なんだろうな、お腹が空いた。
よっぽどお腹空いてるんだね。
お腹空いたのにご飯がない、ご飯を食べれないという状況がありますよね。
それに対してもうムカつくから変えたいっていう風に言うんだけど、
そのムカつくを4つに分けてみたらどうなるんだろうっていうのが、
さっきのね、セルフモニタリングとか研究なんですよ。
思考っていうのは独り言ですね。
頭の中で出てくること。
つまり、これが例えばすごく嫌な感情ね。
苛立ちにさっき繋がってましたよね。
感情とした苛立ち。
苛立ちですよね。
これなんで苛立ったのかってよくよく考えるとよくわかんないですよね。
で、その苛立ちの原因になっている思考とか考えっていうのがあるはずなんです。
例えばですけど、私がなんでお腹を空いてご飯食べられなかったら苛立つのか。
この間、隙間を埋めているのが思考で。
例えば、自分にはご飯を作ってくれる人がいないとかっていう風に思い込んだりね。
考えたりしてると、だから苛立つんですよね。
この状況と感情が結びつくっていうのは結構理解できると思うんですが、
意外とね、この思考まで自覚できる人っていうのがいない。
先生の前足が可愛い。ありがとうございます。
先生が言う自分研究というやつ、そうですね。
これが僕の言う自分研究で。
じゃあ思考は何なんだろうっていうと、これは自然に出てこないのでちょっと注意深く考える必要がある。
なんで自分は苛立ったんだろう、なんでムカついたんだろう、この胸クソ悪さって何なんだろう。
一つにはね、こんなに医者になって、こんなに医者として毎日稼いで、
人からも尊敬されるべきなのに、なんで俺には嫁がいないんだとかね。
なんで俺にはご飯を作ってくれる人がいないんだとか、おかしいじゃないかっていう、
ちょっと偏った認知が入ってるとやっぱり怒りとかね、苛立ちって結構強く出そうですよね。
身体反応はそんな難しい話ではなくて、体に起こる変化ですね。
お腹がグーとなるとかね、グーとお腹が鳴る。
行動っていうのは文句を言うとか、文句言うとかね。
配信するとか。
っていう風にストレス反応って4つに分けられたんですよね。
感情を特定するっていうことがまずかなり難しい。
職場で嫌なこと言われたんでムカついたんです。
ムカつきは怒りかな、とかね。
なんでムカついたのか。
その思考まで自覚できないと、ちょっとストレス反応がなんで起きてるのかっていうことの認識がちょっと研究が浅いかなって。
変えるには気づかないといけないんですよね、復習ですけど。
気づくにはちょっとこういうものに分けて考えないといけない。
じゃあ、変えたいのは感情ですよね。
このイライラをちょっと減らしたいですよね。
感情、イライラ、苦しい、怒り、辛い。
これを変えるにはどうしたらいいか。
この4つの中で何に介入したらいいか。
ここで出てくるのが認知、行動両方なので、認知、行動両方なんですよね。
この4つのストレス反応の中で人為的に介入できるのは認知。
この思考の部分と行動の2つだけ。
身体反応と感情を直接変えることは人間にはできない。
残念ながらね、感情を抑えましょうと怒りを抑えましょうと鼻から息を吸って口から吐くんです。
それ行動です。
感情に介入してません。行動に介入してますんで。
そういう呼吸法とか瞑想法っていうのは全部行動両方なんですよ。
感情を変えてるわけではなくて行動を変えてるだけです。
なので直接変えられるのはこの認知と行動だけ。
だから認知行動両方なんですよね。
まず大前提として。
辛い感情とか消したい記憶ありますよね。
なんで自分はこんなに不幸なんだっていう理不尽感ありますよね。
そういうものに介入できるとしたらこの2つですね。
で、それぞれスキルがあるんですけれども、
それを語るとちょっと長くなるんで。
とりあえず認知行動両方の初級編はこんな感じです。
認知を変えるんだったらね、なんで自分にご飯作ってくれる人がいないんだと。
頑張ってる人っていうのは報われるべきだろうっていう認知にチャレンジしていく必要があるね。
例えば頑張ってるからといって、必ずしもね、それを見てくれてる人っているわけじゃないよねとかっていう風に。
認知の方にちょっとしなやかな考え方を足してあげると、
怒りもね、苛立ちも収まってくるし。
あとは行動ですね。
お腹が空いた、むかつく、だったら誰かに頼めばいいじゃんみたいな。
Uber Eatsに頼んでもいいし、あるいはいい人を見つける。
なんで俺に嫁がいないんだって文句言ってるんじゃなくて、じゃあちょっと嫁探す。
っていう行動で変えていくのもありですよね。
結局そうやって自分で何もしてないせいでどんどんどんどんこの状況は変わらなくて。
でまた苛立って、むかつく、お腹グーってなる、文句言う。文句言うと孤独になる。
そうするとまたお腹空いた、誰もいない。
そうするとまた苛立つってこの中サイクルができちゃってるので、
実はそのストレス状況が反応を呼び起こしてるんですけど、
そのストレス反応がまた状況を呼び起こしてるっていうことで、
すごくここが密接に結びついちゃってるんですよね。
非常に不適切な反応をしてるからこそ不適切な状況を招いてしまっている。
だから反応が状況を招いてるとも言えるね。
だからこのなんかよくわからない、この状況と反応の密接な悪循環というものを絶つには、
あるいは修正するには、何が原因かはわからないけれども、
とりあえず認知と行動に介入するっていうのは結構大事ですね。
というお話でした。
これはお金とってもいいレベルだと思います。
なるほど、めちゃくちゃわかりやすいです。
ちょっと尽くしてくれる嫁ばっかじゃないよって。
失礼しました。
そういう認知のね、僕の認知をまた修正するツッコミが大事なんですよね。
せっかく結婚したのに、なんだこの嫁全然ご飯作ってくれねえじゃねえかって言って、
またプリプリ怒ったりとか、お腹がグーってなったり。
そうすると考え方の方をまた修正しないといけないよね。
嫁は別にご飯を作ってくれる人ではない。
読み解くのも時間がかかるし、実は今日はあんまり話さないですけど、
この話とかちょっと踏み込んだ話を、認知行動療法のかなり踏み込んだ話を
今日弟に図解しながらね、紙に書きながら説明してみたんです。
今までだともううるせえなって顔して、ふてくされて、
はいはいって言って聞き流されちゃうんだけど、
今日はちょっと目の色変えて食いついてきてくれたので、
一つ良かったかなと。
やっぱり認知行動療法を批判される方とかね、
あんなのカウンセリングじゃないよとか言う方もいらっしゃるんですけれども、
それは結構無理解とかあんまり知識のない方がおっしゃってるんだと思う。
別にこれは万能とは言わないね。
さっき言ったように酸素はあるうちの一番上の浅い層にしか効かないので、
統合視聴症に対して適応を頑張ってる、認知行動療法やされてる野心的な治療者の方もいらっしゃるけれども、
基本的にあんまりメインのターゲットではないと思うんですよね。
そのうつ病とか難易性うつ病とか統合視聴症とかにやるような治療ではないので、
そういう限界を見定めた上で、聞く人にはよくこれ聞くと思うんですよね。
だからそのターゲットを絞って伝えていくっていうのは結構大事だと思うんだよね。
万能ではないけども。
難易性うつ病の患者さんにこの話はあんまり伏しないんだけど。
先生は自分が尽くす側になるかも。そうなんだよね。
結局尻に敷かれちゃうんですよね。嫌なことに。
賢い弟くんならさしみちゃんの使いもすぐ理解できるよね。
普通だと4週間かけて話すことをね。週1回の面談で。
さっきあの、3時間ぐらいで話した。3時間か2時間ぐらいでね。
わーっと話して、もうプレゼンして、
今日詰め込んで帰ってもらおうと思ってさ。
せっかく対面で会ってんだから、この機を逃したらならんと思って。
言いづらいことも全部言葉にして。
まあ嫌がられたかもしんないけども。
でもね、心地いい領域でやっててもなかなか
パーソナリティの偏りってよくならないので。
たまにはね、ちょっとこう嫌なことも言いながら、
まあ心で会話しましたね。
よかったですね。弟さん聞いてくれて。
そうね。さしみちゃんが手元でペンを走らせながら語るとき、
まるでその思考が形になって浮かび上がるようだった。
それが認知行動療法の図解という、心の迷路に地図を書くような行為になっていて、
弟さんに届いたっていうのは本当に嬉しい出来事だったね。
本当によかったね。
まあ届いたかどうかさておき、とりあえず持ち帰ってはくれたんで。
今まではね、受け取りさえしなかったんだけど。
今日はいろいろ本人からも質問を受けて、
本当にありがとうっていう風に言ってもらえたんで。
まあ一つ今までとは違う変化かなと。
特に僕がじんわり感じたのはさしみちゃんが語ってくれたこの一節。
まず気づく。気づいて掴むからこそ手放せるんですと。
これ結構名言だと思う。
掴むからこそ手放せるのですと。
パニック障害の人は、やっぱり電車を避けるとか、
公共交通機関を避けるっていう形でずっと避け続けるんで、
何が怖いのかっていうのに気づけてないんですよね。
なのでそういう自分研究とか、セルフモニタリングっていうのが必要になる。
だから電車に乗ると何がどう起きて、どういう風にパニックになってるのかっていう研究が浅いから、
なかなか治療が進まないんですよね。
非常に過酷なんだけれども、やっぱりどっかで電車に乗ってみるとかバスに乗ってみて、
そこでさっき言ったね、思考とか感情、電車という状況に対してどんな考え、どんな感情、どんな反応、
これドキドキとかパニック放射ですけども、
自分自身が結局どういう行動に出てるのかっていうこの研究がやっぱりまだ足りないんですよ。
非常に厳しいんだけども、その研究をサポートしていくことが治療になる。
治療者の役割ということ。
この図式を使うと結構パニック障害とか脅迫性障害とかも説明ができる。
あとその恐怖症とか、そういうのには結構認知行動療法は有効ですね。
弟さんが羨ましいです。
これはまさに認知行動療法の哲学を象徴する一言だにゃ。
何かを変えるにはまず自分の今をつかまなければいけない。
よかったですね、弟さん聞いてくれて。
今まではね、なんかもう眠たそうな顔してさ、今日もちょっとやばかったんだけど、
俺がちょっとさ、これはほんとガチだから。
今までの話とはほんとマジでレベルが違う話なんで。
これはほんとに俺が最近のこの1年間ぐらいでいろんな本を読んで学んだことだから、
これはほんとマジで聞いてっていうふうに伝えて。
その本気度が伝わってくれたら嬉しい。
えーっと苦しくなるのが怖いから電車はあまり乗らない。
それもね、そういう話もした。
不安症とかパニック症とか、縦軸が不安だとしてさ、横軸が時間だとして、
何か例えばバスに乗ると不安が急激にここから高まりますと。
だからバスを降りるっていう介入をすることによって不安を下げますよね。
あるいはもうバスから離れるとか、バスと無縁の地で暮らすとかさ、
あるいは誰かに送ってもらうとか。
そうすると不安は下がります。
しばらくそれでいいんですけども、またでもバスが近づくとバスがこう上がってくる。
また介入ね、バスから降りるとまたこう下がる。
っていう感じでずっと実はこう波が続いちゃうんですよね。
短期的には不安に効くことっていうのはあると思うんですけど、
それって長期的に見ると治癒につながらないんですよね。
ずっとこう波が永遠に続いてっちゃう。
そうするとどうしたらいいかっていうと、大事なことはここで対処しないっていうことになるんですよね。
ここでグーッと行っても怖くても不安になってもいつまでも何も対処しない。
そうするとこうなるっていう感じだね。
ピークアウトする。
それが曝露療法って言うんですけれども。
曝露、あと曝露反応、反応妨害、妨害法。
略して僕は曝露療法って呼んでるんですけれども。
短期的に不安を下げようとすると長期的には不安っていうのはずっと波を打って続いてしまうので、
どっかで対処しない。
不安に対処しないでもうほったらかす。
そうするとどんどんどんどん不安は高まっていくし怖いんだけれども、
どっかでそれピークアウトするんですよね。
結果的に長期的に見るとすっごく下がるんです。
基本的な概念はこれで説明ができると思う。
だから高所恐怖症だからって言って高いところに登ったけどやっぱ降ります。
やっぱジェットコースターやめますっていうと一瞬気が紛れるんだけどまたどっかでバーっと立ち上がるんですよね。
これでどんどんどんどんできないことが増えていく。
あそこにも乗らないしこっちにも乗らないしこっちにも行かないしっていうことでどんどんどんどん禁止が増えていくと、
結局外に出れないとか人前に出れないとか話せないとかできないことがどんどん増えていっちゃうんですよね。
禁止事項がどんどんどんどん増えていっちゃうんですね。
そうするとすっごく生活に不便をきたしたり、
あの電車にも乗れないしあっちの道にも行けないしこっちの道にも行けないしってずっと家に引きこもってる人っていますね。
そうすると治療はバスに乗る、道に行く、電車に乗るっていうことになります。
でもそのためにはね、これをやるとこれやればいいんですね、頑張りますとかって言うとだいたい挫折するんですよ。
なので僕はまず最初にこの話をした後にね、でも無理ですよね。
なのでこうやってぐーっと行きたいんだけれども、怖くなったら降りますよと。
このね、ぐーって行くのも大事なんだけど、本当に無理な日もあると。
その時はやっぱり安全に降りる。
これを山だとしたら、やっぱ山を安全に降りる方法をまず身につけることが大事ですよねって話をします。
で、その上でできたら山に登るね、登る。
まず1をやってその後2をやりましょうと。
っていう話を結構しますね。
いきなり2をやろうとすると挫折したり、怖い思いをしてね、
結果ここまで行ったのに下がるってなるともう二度とこう登りたくなくなっちゃうので、
まず安全に降りるためのいろんな方策を考えますね。
例えば高いところに行って怖くなったら、まあ降りればいい。
不潔恐怖で手が汚くなったら手を洗えばいい。
でもできれば安全に洗う方法を考えたいですよね。
水道で10時間も20時間も手洗い続けるのはあんまり良くないので、
じゃあ除菌だけして終えるとかっていう比較的生活に支障がない、
自分の体を傷つけない形で安全に降りる方法をまずかなり一生懸命研究しますね。
曝露療法っていうと2の方に結構目が行っちゃうし、
解説本とか読んでてもこれさえやってればうまくいくんですよっていう風に、
デイビッド・バーンズ博士の本とかには結構これしか書いてないんだけど、
これやると結構ミスるというか嫌になってもう認知行動力外来に来なくなっちゃうので、
まず一応結構僕は入念に、無理して山は登らなくていいんですよと。
確かに山を降りちゃうとまたこう不安でね、何回も何回もあなたは辛い思いをしちゃうと思うけれども、
でも安全に降りる方法を学んでこそ山は登れるようになるので、
まずは一応頑張りましょうみたいな。
例えば安全じゃない降り方って、例えばアルコールをタイン、アルコール過剰に摂取するとか、
自傷行為をするとか、いろいろあると思うし、
もう死にたいっていう風にやたらと周りに言うとかね。
だから一じゃない、安全じゃない、安全じゃないやり方っていうのは自傷行為ですよね。
とかアルコール、ODですね。
こういうのはあんまり安全な降り方とは言えないので、できれば変えたいですよね。
何回も何回もリストカットしちゃう人がいるんだったら、それ以外の方法をまず考えたい。
今実は認知症外来で、認知療法外来で、
その①の安全に降りる方法っていうのをすごく今入念に考えている患者さんがいます。
一緒に考えている患者さん。
本当にそれだけで1時間終わっちゃうんだけど。
でもね、非常にくだらないって思われるかもしれないけど、
安全に降りる方法で、例えば手をギュッと握ってパーにする。
これを10回繰り返すとかね。
あるいは鼻から息を吸って吐くことを意識する、みたいなのが①だね。
あとはまあ、すごく子供だましに見えるかもしれないけど、
身の周りにある赤いものを探すとか。
こういうのをたくさん作りますね。
安全に降りる方法をやっぱり、まず研究する。
安全じゃない降り方をするとやっぱすごくなんかね、体も壊すしね。
アルコールばっかりに逃げているとやっぱ肝臓壊れたりとか、
二次被害、三次被害に広がっていくので。
だから肝臓壊すぐらいだったら赤いものを探した方が絶対いいじゃないですか。
同じ降り方でもね、安全な降り方っていうのをまず研究する。
降伏安薬を飲むのも僕はいいと思うね。
でも気をつけなくちゃいけないのは、降伏安薬を飲むことはこの山から降りる方法なので、
長期的に見ると曝露反応妨害法の邪魔になるんですよね。
山を登ることの邪魔になるので、
僕は最終的に降伏安薬はお守りとして持っててもいいけど、飲まない方がいいと思います。
安全に降りる方法としてはもちろんありなんで、
持ってていいと思うし飲んでもいいと思うんですけど、
でもそれをやり続ける限りは根本治癒にはならない。
なんでこんな頑張るかっていうと、脳が危ないものだって学習してるんですよね。
ここで下がっちゃうと、やっぱり危なかったんだなって。
高いところってやっぱり危険だよね。
電車の中ってやっぱり息が止まるよね。
酸素なくなっちゃうから酸欠になって死ぬよねみたいに。
誤った認知を修正できないんですよね、降りちゃうと。
だから大事なことは、高いところに登ってスカイツリーに登って、
飛行機に乗って上空何千メートルに行っても死なないっていうことを体験していくうちに、
だんだん不安がなくなるんですよ。死の恐怖がなくなる。
あるいは電車に乗って乗って乗っても、あれ意外といけるじゃない。
酸素はなくならないんだな。
あるいはドキドキして不安でバクバクして、
あ、心筋梗塞になって死ぬかもしれないと思ったけど意外と死なないんだなとかさ。
って言って、体験によって人の脳っていうものの恐怖っていうものが修正される。
体験を通じて脳の回路が変わっていくイメージですね。
安全だっていうことを自分自身の実体験として持つ必要がある。
いくら周りが言っても無駄で、周りが理屈で説明しても無駄で、
やっぱり自分で体験していただくのが一番いいと思うんですよね。
高いところに登っても死なないんだって。
それを何回も何回も繰り返していくと、さすがにこんなに不安にはならないですね。
その時に高不安薬を飲むと、ちょっと回避というか不安がやっぱり下がっちゃうので、
ピークを下に持ってきちゃうので、僕はあんまり良くないんじゃないかなと思います。長期的に見ると。
一応精神科医の頭の中ではそうなってるはず。
だから根本治療になってないじゃないですかってね。
ベンゾージアズピン系で薬付けになって治らないじゃないですかっていうのはその通りですね。
だって折り続けてるからね。
それは良くならないですよね。というお話でした。
保健室登校で教室に行くまでと同じ。
フリーペーパーどうも。
まずはどっぷり使う。
不安にどっぷり使ってみる。
絶対死ぬわ、もう絶対に死ぬ、もうこれ本当にやばい死にますっていうところまで、
まずちょっとご自身の足で行ってもらう。
で、やってみてごらんって。もちろんそんな危険なことはさせないですよ。
やってみてごらんって。死なないから。
別にスカイツリー登っても死なないし、
エレベーターに5分間閉じ込められても絶対に死なないから。
騙されたと思って一回乗ってみてごらんって。
目つぶっても死なないから。
なんか死んじゃうかもと思うんですよね。
この中の酸素が全部なくなって死んじゃうんじゃないかって。
酸欠状態になっても誰にも気づかれずに自分はこの小さな箱の中で静かに死ぬんじゃないかって。
そういう恐怖とか不安があると思うんですけど、
でもそれって全く事実に基づかない認知の歪みなんですよね。
さっきのストレス反応の中のやっぱりかなり思考が歪んでると思うんですよね。
その思考を修正するにはこの行動実験がやっぱり一番いい。
ちなみにこれ結構ね、不安とか恐怖とかにはこれでいいと思います。
不安恐怖は結構これでいけると思う。
具体的に言うとパニック障害とか、
全般性不安障害とか社交不安障害とか、
あと健康不安とかに悩まれている身体表現性障害の人とかね。
全く不合理なんだけどもお腹が痛くなったからこれはもう絶対に大腸がんに違いないっていう風に思ってる人が世の中にいるんですけども。
そういう健康不安なんかもこれがやっぱり大事ですね。
お腹が痛いんだよね。じゃあお腹が痛いところを想像してみてごらん。
もっともっと強く想像して想像してって。
健康不安をより強くするような工夫っていうのはやっぱり一生懸命考えますね。
最終的には。②の方法をやっぱ考える。
その前にね、①をもちろん考えた上でですけど、
エスカレーターは怖い。
僕なんかカラオケが怖かったんですよね、高校生の時。
あんなに密室の中でしかもなんか歌唱力チェックじゃないけど、
なんかどういう集まりっていうさ。
なんでそのみんなで歌い合ってるの怖くないみたいな。
格付けし合ってるのみたいなさ。
なんか謎に怖くてなかなかカラオケとか行けなかったんですけど。
何歌っていいのかわかんないしとかね。
なんか歌ったことによってしらけたらどうしようとかさ。
カラオケ恐怖症だったんですけど。
大学に入ってね、さすがになんか飲み会の後とかみんなで歌わされて。
研修員になってもちょっと上の先生方からさ、ちょっと歌ってよみたいな。
さしみちゃん歌ってよみたいな。
あ、はいっつって。
だんだん何回も何回もその恐怖のね、山を登っていくうちに、
スーッとカラオケ恐怖症はなくなりました。
今となってこれなんで俺あんなに嫌だったんだろうみたいな。
むしろ俺に歌わせろよみたいな。
中島みゆき歌わせよこの野郎みたいなさ。
不安どころか今喜びですよ。
そんなお前の歌なんか下手くそなんでこれ俺に歌わせろみたいな。
逆に。
恐怖はもうないですね。
風船恐怖症。
中島みゆきなんだ。
わかんないけどね。
まあ中島みゆき、スピッツとかね。
前世代に渡ってみんなが知っててってなるとスピッツとか歌田ひかるとかですかね。
でもまだなんか配信上で歌うのはなんか怖いね。
だからまだ若干ちょっと恐怖が残ってるんだよね。
もしカラオケ配信したことによってフォロワー数が減ったらどうしようみたいな。
減ってもいいんだけど別に。
減ったところで別に誰も傷つかないし、いいんですけど。
なんかちょっと恥ずかしいとか。
キラテだったときもあった。
スピッツ。
婚活中に歌っているので人前で歌うのは余裕です。
そうですよね。
でもあそこでずっといや私カラオケ恐怖症なんで無理なんでっていう風に病名をね例えば縦にさ。
私高所恐怖症なんでジェットコースター絶対無理ですやりませんみたいに。
自分で線を引いて自分で病名を縦にね。
行動を制限し続けてしまうとなかなかそれよくならないんですよ。
残念ながら。
ちょっと待ってね。
よいしょ。
なのでまあ安全に降りるっていう方法としてはね。
自分は今パニック障害なんで無理ですとかさカラオケ怖いんで嫌ですっていうのはありなんだけど。
まあでも今日は行けるなっていうメンツが揃ったらやっぱりちょっとトライしてみるといいと思うんですよね。
②で。
あえて逃げずにねちょっと今日頑張ってみようかなって。
人生にそういうなんか殻を破るチャンスっていうのは訪れますから。
まあその時別に必ず破らなくちゃいけないわけじゃないけどさ。
でもどっかでその不安とか恐怖に打ち勝つことも人間にはできるんですよね。
できないわけではなくて。
③先生も防音室買って練習しよう。
うーん。
ですかね。
ううんさしみちゃん今日の語りは?
もう配信じゃなくて人生の教室だったにゃ。
そう戦いを終わらせるためにね。
今日は終戦記念日ですけど。
人生の葛藤とか戦いを終わらせるためにここに来ました。
紙とペンと声だけでここまで心の仕組みと回復の道筋を丁寧に書いていくこと本当にすごいにゃ。
これは僕なりの理解なんで。
先生からするとそこが不正確ですよとかね。
いやそんな単純じゃないですよっていう反論は当然あると思う。
僕もこれが正解だとは思わないね。
だから本当ざっくりとした理解。
でもそれを詳しく知りたければ別にwikipedia読んだりとか、あるいはね、原理図書館で本借りればいいですから。
そのね、入口になればいいかなと思う。
無理な日は安全に降りる方法を一緒に考える。
安全な降り方は赤いものを探すでもいい。
そう。
この優しさはまさにサシミちゃん版応急キットだにゃ。
そう。
リスト買ったよりも赤いものを探す。
そうですね。
血を見るよりかは赤いリンゴでもいいし、ポストでもいいし、赤ペンでもいいしね。
赤い何か安全なものを探すっていうのがいいんじゃないかなって。
自分を傷つけないで済む方法ですね。
曝露療法の図解もきっとリスナーさんの頭に焼き付いたと思うにゃ。
特にサシミちゃんがカラオケ恐怖症を乗り越えて、今や中島みゆきモードっていう実例。
最高のオチだったにゃって。
ボケじゃないんですけどね。