この世はタタリそのもの。。。
サマリー
このエピソードでは、セネカの怒りに関する考え方を深く掘り下げ、怒りがどのように判断から始まり、感情にどのように影響を与えるかを考察します。また、ストア哲学の視点を通じて、現代のアンガーマネジメントについても言及します。セネカの洞察を取り入れ、怒りを抑える方法やその本質について議論が展開され、特に判断が感情に与える影響や、理性による怒りの制御の可能性について深く考察されます。さらに、セネカの教えを通じて怒りの抑え方や発達障害について語り、人間の本能、心の病、孤独についても触れられます。特に、寛容さや友情の重要性が強調され、他者に対して優しくなるべき理由について考えられます。このエピソードでは、セネカの哲学を基に怒りの管理方法と人間の本性について考察し、怒り克服のために必要な訓練や心の持ち方を探ります。さらに、日本文化における無常観についても言及されます。セネカの教えに基づいた怒りの抑え方についての議論があり、ジコボウの影響も考えられます。
セネカ流の怒りの抑え方
それでは放送を始めます。進行は私、刺身ちゃんです。
こんばんは、いちごさんどうも。ナイスもありがとうございます。
2025年11月16日、日曜日23時13分。
自宅から生配信と。
ちょっと待ってね。まず乳首は映ってないよね。OK。一応毎回確認します。
OKとか言って。何がOKなんだ。
ナイスありがとうございます。OK。
こんばんは、いちごさんどうも。コメントも一応見てます。
コメント見てる。コメント見てる。見ながら読書。
OKではありません。カメラの角度が間違っています。
見えるべきものが見えていない。心の目で見てください。
というわけで、セネカの続きですね。
あんまりね、ちょっと今日は面白い話ができないということで、初めから読書枠です。
セネカの怒りについて、ちょっと続きからやっていきたいと思います。
下いらないよな。下ちょっと切ろう。多少写ってなくてもOK。
というわけで、ちなみに焼肉食ってきた。急に。
急に塩分控えてたのに塩分爆入れしたら面白いんじゃないかなと思って焼肉食べてきた。
ナイスどうも。今ちょっと頭が痛いです。
そしてそんなに面白くもない。
じゃあ今日は118ページ17の1から。
一人焼肉ですね。
アリストテレスはある種の常念を人はそれを上手に用いるなら武器の役を果たすと言っている。
基本的に音読はあんまりしません。
ゴニョゴニョ言いながらなんか読んできます。たまに要約します。
理性が怒りに不動のものが不確かなものに、誠実なものが不実なものに、健全なものが病弱なものに防護を求めることほど愚かしいことはあるだろうか。
行為こそ怒りの働きが必要と思われる唯一のことだが、これに対しても理性はそれ自身でははるかに強力ではないか。
ネットコメントにも書いてある通り、セネカの怒りについてだいたい西暦49年ぐらいに出版された本です。本というかエッセイですね。
しばしば哀れみが怒りを引き出す。そこにあるのはしっかりした健後さを書いた虚ろな傍聴でしかなく、最初の激しい勢いに乗っているだけである。
怒りと理性の関係
基本あの難しいです。難しいというか言い回しが難しいね。わかりやすく書いてくれてない。昔の人はこれを読んでどう思ったんだろうね。ローマ帝国の人は。
話が逸れて申し訳ありません。本のカバーを取る派なんですか?
そうですね。本のカバーはその日に捨てます。何か派閥があるんですかね。分かんない。僕はどの派閥に今いるのか分かんないけど。とりあえずカバーは捨てちゃいますね。
僕がカバーを取っておくときっていうのは売るときですね。読みながら、この本絶対につまらないな。すぐブックオフに持ってこうっていうときにカバーをつけます。
というかカバーを残しておく。もう読みながらこれ絶対面白い本だなと思ったらすぐ捨てる。だって絶対に売らないから。
だから裸で本棚に置いてあるってことは非常に名誉なことなんですよ。本にとって。ぽんぽんどん。あらゆる本はカバーを取りたがってるんです。
全部は読まなくていいや。
僕が最近興味ある怒りについてどこが関係してるかなって結構流し読みしてます。
理性は時間を与え、怒りは急ぐ。面白い表現だね。
理性は実際に公正な判定を下すことを欲する。怒りは下した判定が公正に見えることを欲する。
理性は扱われる論点以外、どこにも目をやらない。怒りは計層外のつまらぬことに動かされる。
怒りと理性を比較して。
自信にみなぎる顔つきが、大きすぎる声が、率直すぎる話し方が、優美すぎる服装が、受けを狙いすぎる弁護が、民衆の人気が怒りをかきたてる。
誤りを宣告されることを嫌い、以前の間違いについて後悔するより固執する方がかっこいいと思っている。
ぽんぽんさんこども。たまにちらちらコメント欄も一応見てます。
カバーしないと日焼けしません。
日焼けしてもいいんじゃないかって気もするけどね。
本をね、僕そんなに多分大事に思ってないんだと思う。
だからカバーが外れて、なんかコーヒーのシミがくっついちゃったり、なんか変な体液がね、汁がくっついちゃっても別にあんまり気にしない。
ここらへんはちょっと読み飛ばす。
やっぱり罰を下すとき、処罰をするときに、
怒りを一緒にすべきではないんだっていうことを結構手を返し名を変えてありますね。
人を罰するときも怒りはなくね。
場合によっては罰を免除することもあったり、罰を軽くすることも必要なんだとか。
それが繰り返し書いてあるね。
怒りが何かの役に立つんだなんていうことは考えてはならないと。繰り返してるね。
結構ざっくりと読んでます。
それゆえ怒りには、たとえそれが激烈で神々と人々を見下ろすように移りはしても、
偉大なものは何もない。高貴なものも何もない。
怒りが偉大な精神をもたらすと思う人がいるのなら、贅沢もそう見えるだろう。
欲望もまた偉大な精神の証と思えるだろう。
こうしたものはどれも、どれだけ進もうが、広がろうが関係がない。
いやしい、狭く、惨めでいやしい。ただ徳だけが崇高で気高い。
そして、何であれ偉大なものは同時に穏やかなものに他ならむ。
うん。第一巻終了。何巻あるんだろうね。
こんばんは。初めて字を見ました。
なんか筆跡鑑定できる方だったらぜひしてください。書きます。
あとなんかおしっこ臭いな。全然関係ないけど。
なんでおしっこ臭いんだろう。仮におしっこがかかってたとしても、
別に本は汚れててもいいんじゃないかって思う。
ナイスボタンありがとうございます。
第一巻にはノワーテスずいぶん豊かな材料があった。
悪徳の傾斜面を硬化するのは簡単だからである。
今度はかなり細かい問題に向かわねばならない。
我々の探求は果たして怒りは判断によって始まるのか、
それとも衝動から始まるのかということである。
つまり怒りは自ずと発動されるのか、
それともちょうど我々の内側で起きている、
我々が自覚しない多くのことと同様なのだろうか。
ここからですね、僕が読みたかったのは。
我々の探求は果たして怒りは判断によって始まるのか、
それとも衝動から始まるのかということである。
これは結構ストア派の考え方で、
実際は判断から始まるんですけどもね。
怒りっていうのはある種の判断に基づいて行われているので、
結論を先取りすると判断が結構重要で、
認知行動療法はこの判断の是非を改めて検証しようっていうやり方ですね。
ストア派の視点
神に書き出して。
自分自身が例えば他者に下している
罰せられるべきだとかこうするべきだ、ああするべきだっていう処罰感情とか判断っていうものが
果たして本当に妥当なものかどうかっていうのを検証しようと。
そうすると怒りっていうものが行き過ぎたところから
だんだんだんだんちょうどいい塩梅に収まってくるっていう。
読みやすい字ですよ、どうも。
怒りそのものが表情に直接続き心が働きかけることなく
直ちに外に現れるのか、
それとも心が同意してから発動されるのかどうかを検討してみようと。
我々の見解では、我々って誰なんだろうね。
セネカ以外の我々っていうのは誰を指すんだろうね。
我々の見解では怒りは決してそれ自身で発するものではない。
つまり怒りの原因っていうのは
それ自身が発するものではないだから、
何か外部に客観的に存在するものではないってことだね。
不正をこむったという表彰を受け取ること、
それに対する復讐を熱望すること、
さらに二つのこと、
自分は害されてはならなかったということと
報復が果たされなければならないということとを結びつけるのは
我々の意思なしに弱気される類の衝動に属してはいないからである。
ちょっとまどろっこしい方だけど、
ここが現在そのまま認知行動療法につながってますね。
だから実は2000年を経て
精神科臨床とか心理学の世界で実は行われている、
というか今も教科書に書かれている考え方だね。
そういう考え方を2000年ぐらい前の人が
到達してるっていうのがかなり驚きだけどね。
だからみんな世の中はあいつが悪いんだ、こいつが悪いんだ
というふうにさも客観的に悪い人がいる
っていうような見方をするのが普通ですと。
もう少し言うとバカですね。
あんまり勉強してない人は怒りの原因はこいつだ、あいつだ、
これであれだというふうにまさしく実在に
みたいに言うけれども、そうじゃないと。
我々の見解では多分ストア哲学の考え方では
怒りは決してそれ自身で発するものではないんだと。
心の作用なんですよ。
だから自分は何か不正を、この人たちは何か不正をしているんだとか、
あるいはその人たちによって私は今被害を受けたんだ
といったイメージとか解釈によって
怒りっていうものが立ち上がるんですよと。
もう少し言うと自分が被害を受けたという考え方と
それに対して報復しなければならないんだという考え方、
この二つが合わさって怒りというものが立ち上がるんだ。
もう認知行動療法そのままですよね。
今のアンガーマネジメントそのまま。
無意識のうちに判断をして喜怒哀楽が表出しているということですか。
そういうことですね。
考え方としてはもうまさにその通り。
つまり現実にその悪い人がいるというよりか
悪いという判断を下している心の側に
心の判断の方に感情を生み出す
何か元々の原因があるんだということだね。
この判断というものは結構揺らぐんですよ。
例えば裁判で物を盗んでるんですこの人は
って言ったらみんな怒りを持ったりね。
この人は不正を働いているんだから処罰すべきである
っていうふうに感情が怒りが湧いてきますよね。
でも後々警察がいろいろ調べていくと
次のことが分かりました。
この人はただ無断で物を持ち出そうとしたのではなくて
実は病気で死にかかっているお母さんのために
何とかうまい物を食わせてやろうと思って
やむにやまれず食べ物を盗んだんです。
こういう判断が追加されると
今度は怒りというよりかはちょっと憐れみの気持ちが出てきますよね。
それだったら物を盗むっていうことは
よくはないけど分からなくもないねっていうふうに
判断によって感情っていうものがそうやってまた変わってきますよね。
私たちが下している判断が感情を作り出している
っていうのがこのストア派の考え方だね。
らしい認知行動療法で一番考えられている
一番中核にある認知のモデルですね。
ここでは判断って書いてあるけど
認知行動療法ではそれを認知と呼んでるんですよね。
世界の捉え方とか世界の解釈
それを認知と言うんですけど
怒りの本質
情状釈量っていうのもある意味人間側の認知の力ですよね。
だから客観的に悪人がいるのではなくて
私たちは様々な情報に基づいて判断を下し
その判断が感情を作り出しているってことだね。
だから客観的に悪い人がいるわけではないんだし
客観的に怒りの本体になるような
怒りを生み出すような実在が存在するわけではない。
これは言われてみるとその通りなんですけど
なかなかそうやってメタでね
自分を含めて世界をちょっと上側から見下ろすことっていうのは
多分普通の人にはあんまりできないんだよね。
ある程度IQが高かったり
ある程度こうやって手ほどけを受けないと
人間ってやっぱり悪者がどっかにいるんだって考えちゃうんですよ。
教養がないとここら辺はすごく読み解けないですね。
だから教養のない人っていうのは
陰謀論みたいなものに簡単にはまっちゃうわけですよ。
どっかに悪い奴がいてそいつをやっつければ幸せになるんだって。
自分の下している判断の方にまで普通は目が行かないんだよね。
なるほど、その時の受け手側の心身の状態によっても変わりそうだよ。
実際は空腹だったりとか、あるいは女性だったら生理だったりとか
様々な身体的な条件によってもこの判断は結構揺らぎますよね。
常にストレスにさらされている人はやっぱり他人に対してあんまり寛容になれないから
こいつはやっぱり罰するべきだっていうふうに
怒りの方が強く出ちゃうかもしれないし。
同じ人間でもね。
今日の判断と明日の判断、あるいは半年後の判断はまた全然違ってくるかもしれないしね。
判断っていうのは意外と曖昧でフワフワしているものなんですよ。
でも人間ってのはなぜかわかんないけどその判断を絶対し従うんですよね。
その判断を疑うっていうことをなぜか人間はあんまりやりたくない。
そこら辺に対してカッパしてるんですよね、このセネカは。
怒りの反射と理性
怒りをね。
怒りは正当なもので、自分は正しいんだって言ってる人はちょっと冷静になってくださいっていうふうに諌めて書いてるんですよね。
我々の意思によらず生じる行動はどれも克服不可能で不可避である。
例えば冷水を浴びせられた時に立つ鳥肌。
ある種の接触に対する忌避。
悪い知らせに怪我逆立ち、いやらしい言葉に赤面が広がる。
絶壁から見下ろすと目前に襲われる。
こういったことはどれも我々の権限のうちにない。
権能って書いてあるね。
権利の権利、能力の能。
我々の権能のうちにないから、それが起きないよう理性が説得することができないと。
だから、火にかけた夜間に手を突っ込んだら、それは火傷するし熱いってなるし。
それは我々の意思によらないもので、それを克服することはできない。
ただ怒りっていうのはそうじゃないよね。
そうやって熱々の夜間とか、キンキンに冷えた冷水とは違いますよね。
それにはある程度我々の意思とか理性っていうものが介在してますよね。
鋭い発見だよね。
怒りは心の意思に関わる欠陥である。
怒りは人間の宿命につきまとうある種の条件から発生し、
それゆえ最高の賢者にも起きることには属さない。
加えて心に生じるある最初の打撃、不正を受けたという思念の後に、
我々を動かす者もこれに含めなければならない。
ちょっと言い回しはめんどくさいけどね。
やたらとハンニバルが出てくるね。
ハンニバル好きです。
カルタゴのハンニバル。
怒りは単に動くのではない。暴走するのだ。
ある人が自分は害されたと信じた。復讐を欲した。
だが何らかの理由が止めると直ちに収まる。
これは怒りを、私はこれを怒りとは呼ばず理性に従う心の運動という。
なるほど。さっきの例だよね。
物を盗んだ。こいつ悪い人だ。
でも新たな情報が出てきました。この人はお母さんのために盗んだのです。
病気で苦しんでいる母親のことを思ってやむにやまれずやったのです。
という理由が急に出てきた瞬間に怒りが収まってきたりしますよね。
だからこれ自体が理性に従うことの証明ですよね。
多分そういうことを言ってますね。
復讐とか懲罰に関わるこの復讐心というものは、
自分が害されたとかね。
あるいは自分が守っているルールをこいつが破ったと言った瞬間にバッと立ち上がるんだけど、
それは理性によって収めることができますよね。
受け手側のある程度の裁量権によって抑えられますよね。
実際はね、そういう上場の借料の余地が出てくるかわからないけれども、
でも我々は想像することができるよね。
この人は悪い人だという触れ込みだけれども、
でも実際なんか理由があったんじゃないかとかね。
この人が悪事を働いたのって、
なんか我々がまだ知らない何か物語が裏側にあるんじゃないかとか。
そうやって想像すると怒りってちょっと収まりそうですよね。
完全にゼロにはならないかもしれないけど。
割とだからこれは僕が今やっている方法に近いですよね。
弟は就活をしない。自分からやるって言ったのにやらない。
男らしくない。
親の金を、あるいは俺の金を吸い尽くしてヘラヘラ笑って何もやってないじゃないかと。
そう考えると怒りが湧いてくるんだけど。
でも待てよと。
本人の立場に立った時に、
まあやむにやまれずっていうのもあるんじゃないか。
困らせてやろうとかふざけてやろうっていう風にやってるんじゃなくて、
本人なりには頑張ってるけれども、
すごく長い人生で捉え直すとなかなか難しいよね。
だって何秒で苦しんだりさ、
自分の努力ではどうにもならない事態に人生何度も見舞われて、
圧倒的な無力感の中で他者に頼って依存して生きてきたわけだよね。
それを今急にここで生き方を変えて自立しなさいっていうのは結構難しい話ですよね。
そうやって何かこう自分の中で判断をある程度揺さぶると、
怒りっていうものがちょっとだけ収まるっていう。
判断を揺さぶる。
ここには書いてないけどね。
セネカの言葉を一言で僕なりに要約するなら、
判断を揺さぶれ。
判断を揺さぶれ。
ということなのでは。
レッテルを張るっていうのはだから一番愚かですよね。
判断を確定させちゃうことだから。
こいつは馬鹿です、こいつはやる気ないんですよっていうレッテルを張った瞬間に判断が確定してしまうんで。
感情もそこで確定しちゃうんで。
その怒りが解決不能なものになっちゃいますよね。
コメントも見てます。
何でも書いてね、何でも書いてね。
って書いとこう。
応援コメントでもいいし、石黒さんの感想でもいいし、
石黒秀明さんのザ・ノンフィクション見たらその感想でもいいし、
なんか適当に書いてくれたら適当に読みます。
人生相談でもいいし。
これは面白いね。
常年、怒りに対していくつか分節化してるね。
我々はあの心が最初に受ける打撃を理性によって逃れることはできない。
先ほど述べた体に生じる事態を逃れられないのと同様である。
他人のあくびが我々のあくびを支わないでいることもできない。
あとは突然指が突き出されたときに目を塞がずにいることもできない。
理性はそうしたことを打ちまかすことはできない。反射だから。
2番目の判断によって生じる運動は判断により取り除かれると。
ここですね。
怒りをちょっと読みますか。
どんどんメモを更新していくね。
あとコメントも読みますね。
セネカは怒りを反射と…
反射の射が間違ったね。
消しゴムも買ってこよう。消すやつ。
反射と判断に分けてるね。
これがいわゆる6秒ルールってやつだね。
例えば目の前にめちゃめちゃ嫌な奴がいてさ、
いきなり怒鳴ってきたり、いきなり列に並んでたところに割り込んできたりして、
お前がどけこの野郎みたいにつかがってくるとき、
我々はガッと怒りが立ち上がりますよね。
セネカによればこれは反射によるものですと。
突然目の中に指突っ込まれたら目潰るのと同じで、
ガッと言われたらガッと怒るじゃないですか。
それは反射の怒りで、これは抑えられませんって言ってるね。
でもまあ、最も場合によっては慣れと絶えざる訓練の結果、
軽減はできるかもしれないって書いてるけど、
基本的に反射で怒っちゃうのはしょうがないって言ってますね。
で、この①の反射の方はもう何か扱わないみたい。
だけどその後のね、
判断の方は結構判断によってまた修正できる可能性があるって書いてるね。
だからセネカが扱うのはこの②の方ですね。
怒りの管理法
こいつはクソな人間だとか、こいつは人間のカスだっていう判断の方は結構疑えるし、
判断を揺さぶることはできるね。
でも反射を揺さぶることはできないね。
えーと、⑦⑤③。
この人苦手と感じるのはなぜでしょうか。
あー、苦手って感じるのは、
まあ⑦⑤③の人生の中で得た知見なんじゃない。
なんとなく嗅覚から、あこいつヤバいなって。
⑦⑤さんがそういう風に、
まあそういう色んな経験から導き出した判断ですよね。
こうやってネチネチネチネチニコニコしながら言ってくる人って結構ヤバいやつが多いんだよね、みたいな。
ご自身の中にある経験則がそういう風に判断を下してんじゃないですか。
私にもね、そういう判断ありますね。
私結構ね、発達障害の人苦手なんだよね。
患者さんで発達障害の人見るけれども、
でもその、
自分の病院の同僚とか、
あるいはお医者さんの先輩に発達障害の方がいると結構苦手意識がありますね。
すごく嫌だなって。
ナイスありがとうございます。
弟さんも短期のバイトから始めて社会復帰すればいいですよと。
って思うじゃない。
それはね、僕らも多分10年前ぐらいに最初思いついたんですよ。
でも今そうなってないんです。
弟のプライドがそれを許さないんでしょうね。
さて、反射については、
まあね、訓練によって多少落ち着くかもしれないけどって。
なんか、
よく言われてんのが6秒ルールですよね。
こいつぶん殴りてえな、殺してえなっていう風に殺意が湧いた瞬間に、
頭に血が昇る瞬間に、
深呼吸しましょうとりあえずみたいな。
とりあえず6秒間耐えてください。
反射の怒りって6秒ぐらいでピークアウトするっていう説があって。
これもかなり諸説あるけども。
一応自己啓発本とかね。
怒りの抑え方
漫画マネジメント系の本には6秒って書いてる。
とりあえず6秒耐えてください。
そうしたら殺さずに済みますから。
いや別に殺さないけどね。
あとは、深呼吸とかタイムアウト法っていってね。
ちょっと一旦席を外しますって言って物理的に部屋を変えるとか、
一旦物理的に距離を置くとちょっと冷静になれるっていう。
大体この2つじゃないかね。
呼吸法とタイムアウト法。
だからあとはそれ訓練次第だし。
そこに関してはもうしょうがないよね。
反射だからね。生理的な反応だからね。
おっぱいを見たらムラムラするのと同じでさ。
イライラするやつになんかイライラすること言われたらそれはもうガッとなるよね。
ある種の本能だからね。
身を守る本能だと思うんだよね、反射って。
例えば目の前にクマがいてさ、
で隣に自分の子供がいてさ、自分の子供を守らなきゃって思ったらさ、
やっぱクマにガッて立ち向かうじゃないですか。
いくら無防備の人間でもね。
自分の子供を守らなきゃってなって。
クマに多分素手で立ち向かうと思うんですよ。
それがだからこの反射の怒りだよね。
それはまあ必要なことだからね。
抑えられるわけがない。
発達障害の理解
発達障害苦手だなぁと思うのはどの辺ですかと。
うーんとね、
全部言葉で説明させようとしてくるところですね。
なんかあの、発達障害じゃない人だったらまあいろいろあるよね。
なかなか人には言えないことって結構あるよね。
分かる分かるって言って多分スーッと流してくれるんだけど、
発達障害の人って全部チャットGPTみたいにテキストで、
テキストっていうか自然言語で入力しないと納得してくれないんだよね。
なんで遅れたのとか、なんで提出しないのとか。
俺今苦手だなと思うのはその何が面白いのっていう風に、
面白さを説明しろって言われたときにすごく嫌な気持ちがしましたね。
最近体調崩してて、なんか豆腐食べ過ぎちゃったからですかねーって僕がちょっと冗談で言ったんですよ。
そしたらなんで豆腐を食べ過ぎたら体調悪くなるの?教えてって言われて、
え?ってなった。
私よく豆腐食べるんですけどって言われて、
おーそうですか?みたいになった。
すごく嫌な気持ちになりません?
ハンニバルまた出てくるね。
ハンニバルは堀が人欠で満たされている様子を目にして、
おーなんと美しい光景だと声を放ったという言葉が強いよね。
とにかく血なまぐさいね。やっぱりローマ帝国だから。
全部エピソードが強すぎる。
すみません、発達障害の診断は何を基準に?と。
発達障害の基準はICDかもしくはDSMですね。
診断基準は別に医者じゃなくてもネットで調べれば出てくると思います。
徳は高潔な事柄に好意を抱く。
ぽんぽん3個プレゼントどうも。
専業配信者たちに発達障害多いよね。
3号さん。
えーそうかもしれないね。
発達障害とか、軽度知的障害とかも確かにいるかもしれないね。
僕はそれよりもっと普遍的によく見られている特徴が孤独だと思うね。
基本的に配信者はやっぱり孤独ですよ。
どういう理由があるかわかんない。
知的発達の問題なのか、あるいは幼少期の頃のトラウマ体験なのか、
あるいは単純に田舎暮らしであんまり地域のコミュニティにコミットしてないのか、理由はわからないけれども。
とにかく孤独であるっていうのは必要条件なんじゃないですかね。配信者の。
人間の本質と寛容さ
孤独でないならば配信者は続けていられないんじゃない?
僕は別に配信者なんて続けてなくていいと思うんで。
孤独であるってのは結構問題が大きいと思うんで。
どうやったら配信生活から抜け出せるかってことを真剣に考えてみるのもありですね。
ポンポンを3個プレゼントどうも。
リアルぼっちの人多い。
そうですね。
普通に考えてさ、友達が多かったら絶対友達と話すよね。
なんでさ、誰が好き好んで友達の約束を断ってわざわざ配信する?
しかもどのぐらい自分のことを好いてくれてるのかよくわからない狐たちに囲まれてさ。
誰がそんな状況を喜ぶんだろう。
俺なんか普通に自分のことを何でも言える友達が2人とか3人とかいて、
あるいは好きな人、好きなパートナーと十分に暮らせたら、
なんかもう配信する理由ってほぼなくなるんじゃないかなって思うんですけどね。
パートナーがいても心にぼっかり穴がいたりね、
何か不満がある人が僕は配信をするものだと思うんで、
その不満がそんなにないんだったら別に配信はそんなしないよね。
やっても半年に1回とかさ、3月に1回ぐらいじゃないですかね。
たまにちょっと久々にやってみるかぐらいで、
普通は多分済んじゃう話だと思うんだよね。
普通というかそのある程度満たされてる人だったらね。
3個プレゼントと。
配信者にも何かいくつか種類はあると思いますけどね。
そのもう完全にその職業的に、
もう配信だけで食っていくっていう人はまたちょっと別だと思うけど、
でも配信で食っていきもしない、
つまり僕みたいなブロンズレベルでね、
それで専業で食っていけないような人たちが、
ほぼ毎晩のように配信してるっていうのは、
やっぱなんかおかしいことが起きてると思いますけどね。
これは僕も含めてね。
なんか普通じゃないことが起きてるよね。
ぽんぽん3個プレゼントどうも。
ある配信者にママ友やその子供たちも家に遊びに来たりするって聞いただけで、
ブロックされたことがあります。
なぜだか先生は分かりますか?
分からないです。
どういう流れだったのかちょっと情報がないんで分かんない。
あなたはね、なんか、
その発言のせいかなと思うかもしれないけど、
その発言じゃないところに原因があるかもしれないし、
ちょっとなんとも言えないですね。その場にいなかった。
でも今の流れでね、無理矢理つなげるんだったらなんかこう、
ちょっと孤立状況というかね、
ママ友とかお子さんとか、
そのママ友つながりでうまくいってないのかもしれないし、
分かんないけどね。相当今適当なこと言ってるけど。
今何時だ?
あ、もう0時超えてんだ。
いやー明日は仕事行きたくないな。
なんか現実逃避してますね。
配信者のお子さんの話をした流れで、
ママ友やその子供たちを家に遊びに来たりする、
っていう風に聞いただけでブロックされた。
いや分かんない。やっぱりちょっとその理由がよく分からないね。
情報が足りない。
乏しい情報からね、
くださ判断っていうのは大体間違いますからね。
謝りに対して怒るべきではない。
と思いたまえ。
もし誰かが暗闇の中におぼつかな足取りで謝る人に怒るとしたらどうだ?
耳の聞こえない人が命令を聞いていないのならどうだ?
病気の人、高齢の人、疲労困憊する人に怒るとしたら、
したならどうだ?
一人一人に怒らないために全ての人を許し、
人類に友情を与えるべきである。
友情ってまたこれ難しいね。どういう意味なんだろうね。
遊ぶ女の方じゃなくて、
ほらあんまり俺も意味がよく分かんないね。
なんかね、慰めるかな。
なだめるか。
友情って書いてあるね。
人類に友情を与えるべきである。
友情。
友情とは。
友情とは、相手の過ちや失敗を責めずに許し、
寛大に受け入れる態度を指す言葉です。
目に見てあげようとか、
事情があったなら仕方ないよねとか、
といった心のゆとり、寛容さを表すと。
寛容であると。
人の失敗とか至らなさに対して寛容であるべきだと。
寛容になろうっていうところになんか話が進んでますね。
セネカ。
ポンポン3個ありがとうございます。
ルキウス・アンナヨス・セネカの
怒りについてを読んでます。
僕も眠いし皆さんも眠いでしょう。
寝る前に読むにはうってつけの本なんじゃないかって思います。
一人一人に怒らないために全ての人を許し、
人類に友情を与えるべきである。
謝りを犯しているという理由で
若者や年配者に怒るのなら
幼児にも怒らねばならない。
やがて謝りを犯すものだから。
けれども一体誰が
まだ何も見分けられない年頃の子に怒ったりするのか。
子供であることよりも人間であることの方が
より広くより正当な理由である。
我々はこんな条件のもとに生まれている。
身体の病に数で劣らぬ心の病にかかりやすい動物。
心の病っていう言葉が
もうこの2000年前からあるんだね。
身体の病に数で劣らぬ心の病にかかりやすい動物であると。
私たちは。
呪くも、あ、鈍くも呪くもないが
己の才智を悪用する動物であると。
お互いがお互いの悪徳の手本でしかない動物である。
誰でも先に間違った道を進んだ者の後をついていっているのだから
過ちに対する弁解を書くことなどどうしてあり得るだろう。
行動そのものが間違っているのだ。
我々はこんな条件のもとで生まれている。
誰でも先に間違った道を進んだ者の後をついていっているのだから。
しょうがないよね。
馬鹿の後をついていって私たちは生きている馬鹿なんだからしょうがないよね。
ここではね、上品に馬鹿って書いてないけど要するに動物って書いてある。
現代語訳で言うと馬鹿ですよね。
我々は心の病にかかりやすい馬鹿ですと。
自分の才能を悪用する馬鹿です。
お互いがお互いの悪徳の手本でしかない馬鹿です。
これもこれも誰も彼も先に道を間違えて進んだ人の道についていっているだけなんだから。
馬鹿でもしょうがないよね。
だから我々はみんな馬鹿であるって書いてあるね。
だんだんこれちょっと処方箋に近づいてきましたね、セネカの。
もう終わりに近いかもしかして。
あと何ページあるのかわかんないけど。
こんばんはどうも。我々みんな馬鹿だからお互いに寛容になろうと。
読めるよね。ちょっと文字雑だけど。
ポンポン3個ありがとうございます。
人類みんな馬鹿なんだからもうちょっと優しくなろうよっていう話です。
お届けありがとうございます。
結構ここ重要だね。
144ページ。
弟も馬鹿だけど俺も馬鹿だしね。
母親も馬鹿だし。
父親も馬鹿だしね。
誰一人100点満点の人はいない。
体の病の数に劣らぬ心の病にかかりやすい動物であり。
鈍くも呪くもないが己の最中を悪用する動物であり。
お互いがお互いの悪徳の手本でしかない動物である。
みんな馬鹿だから。
お互いを許し合おうよっていう話に何か進んでるね。
これがだからその判断の揺らし方だ。
その背中なりの。
こいつクソだから馬鹿だから処罰しちゃえってみんな言って。
で簡単に毒殺したりとか、撲殺したりね。
毒殺毒殺。
みんな自分の手を汚して人を殺してた時代ですけれども。
しかも結構あっけなく殺してたみたいね。
もうムカつくからあいつの子供を引きずり回して殺そうみたいな。
そういう強力な殺意みたいなものに対して、
判断を揺さぶる一つの方便として、
我々みんな馬鹿じゃないって思い出そうよって。
馬鹿は馬鹿なりにさ、
誰もがみんなミスを犯すというか、分かんなくてやってんだから。
みんなだからそれなりに何か法を犯したりとか、
知らず知らずのうちに何かわけわかんないことやってるんだから、
寛容になりましょうよっていう話かな。
そういう浅い話なのかな。
どうなんだろうね。
こんばんはどうも。
読書の続き。
もうそろそろ寝ようかなと思いますね。
セネカの怒りの哲学
人は言う、心から怒りを完全に取り除くことはできない。
それは人間本性が許すことではないと。
ここからその反論論者に対するセネカの反論ね。
しかしいかに困難で過酷であっても、
人間の精神が克服できず、
絶えざる考察で熟知に至ることができないようなものなどは何もない。
さらにいかなる常念といえども訓練によって慣らすことができないほど、
野蛮でもなければ独りよがりでもない。
心は自分に命じたものことを守り抜く。
いかに困難で過酷でも人は絶えざる考察で至ることができると。
人間の精神というものもそうやって克服できるんだと。
判断というものを揺さぶることができるんだと。
一旦下した判断を揺さぶる理性の力によってね。
読むスピード早いの?
本を読む意味
いや結構読み飛ばしてます。
結構適当です。
結局なんか俺思うんだけど読書って全部読まなくていいよね。
なんか自分が欲しいなと思う答えが書いてあるようなところを中心に読んで、
あとは適当でいいんじゃないかなって思う。
実際なんか教科書を端から端まで読む人とかもいないじゃん。
なんか過去文から約算してこの辺りテストに出やすいよって言って山を張って読むじゃないですか。
そういう読み方でいいんじゃないかって思いますね。
小説とかは別だけどね。
小説は山張って読んでると本当に意味がわかんなくなるんで。
1からやっぱり全部、始めから最後まで読み通しておいた方がいいんだろうけど。
たくさんポンポンが流れてきたね。
何が起きたんだろう。
今日はそんなに元気がないので、とりあえず本読みながらコメント読んでます。
全部読む派です。
それも素晴らしいね。
全部読むと見落としもないし、
あと意外と本筋からちょっと脇道に反れたような話が心に残ったりもしますよね。
映画もそうだよね。
本筋を追わないとラストシーンの意味がわかんないだろうけど。
でもそういう本筋と関係ないところに心に残るものがあったりするね。
例えばなんだろう。例えばっていうのでパッと出てきたらかっこいいんだけどね。
例えば、もののけ姫で田舎侍の小競り合いから自己暴を救って、
その晩、そなたの米だ、どんどん食え、みたいなシーンがあるんですけど、
あれも別にそんなに、米に関してはそんな重要じゃないけど、
なんかあれが妙に心に残りますよね。
戦、生き倒れ、病に飢え。
だもんじゃがなんたらかんたらというが。
たたりというのは。
何にも出てこない。なんだっけ。
ほほう猪がたたり神になったか。
足跡を辿ってきたのですが、里に降りた途端にわからなくなりました。
そりゃそうだろう。そこらを見なさい。
この前来た時にはここにもそれなりの村があったんだがな。
洪水か地滑りか、里たくさん死んだろうに。
戦、生き倒れ、病に飢え。
神界は恨みを飲んで死んだ亡者でひしめいておる。
たたりというなら、この世はたたりそのもの。
うまい。里へ降りたのは間違いでした。
二人もあやめてしまった。
いやあ、おかげで節操は助かった。
腕を出しなさい。まずは食わねば。
人はいずれ死ぬ。遅いか早いかだけだ。
ほう、みやびな腕だな。
そなたを見ていると古い書に伝わる古の民を思い出す。
東の果てに明石にまたがり。
石の矢尻を使う雄壮なる恵美氏の一族ありとな。
結構この自己暴のシーン僕好きなんですよね。
すごく地味だけどね。
前回は恨みを飲んで死んだ亡者でひしめいておる。
たたりというなら、この世はたたりそのもの。
そう、もののけ姫もね、定期的に復習しないと忘れちゃう。
もののけ姫はほんと隅々まで読み尽くしてますね。
ボンボン3個プレゼントどうも。
そういうね、全部読まないと浮かび上がってこないセリフもありますよね。
おお、いいですね。そう、これね。
これおすすめですよ。
シネマコミック、もののけ姫ね。
僕もののけ姫が好きで、やっぱりセリフを覚えたいなと思ってさ。
そうするとこの、これがいいんですよね。
全部セリフが書いてあるんで。
もののけ姫特集をやってもいいけどね、いずれ。
まあいいか。
それはまたいずれやりましょう。
わかりやすそうです。
さて、まあちょっとそろそろ終わるか。
DVDも持ってます。
あ、DVD持ってない。
この間、金曜ロードショーを録画したからね。
でも最近これ買ったんですよね。
もののけ姫はこうして生まれた。
これはね、地味ですよ。
これを買って見てる人は相当少ないと思う。
最近、もののけ姫のリバイバル配信、リバイバル放送、上映か。
見た時に石田由里子とかの舞台挨拶がね、
28年ぶりかにあって。
その当時のアフレコシーンとかも一応このDVDに収まってるんですよね。
それが急に見たくなって買ったんですよね、この間。
切り抜きが結構YouTubeに上がってたりするけど、
ちょっとやっぱちゃんと見たいなと思って。
もののけ姫のサンの声をやってるんですよね、石田由里子って。
20代の頃に。
で、そこでなんか、
撃たれたのか、死ぬのかっていうセリフがあるんだけど、
それを何百回とやったと。
その時に宮崎駿がね、どのシーンかっていうと、
ここら辺だね。
ここをこう来て、ここですね。
お前撃たれたのか、死ぬのか。
なぜ私の邪魔をした。死ぬ前に答えろ。
ここら辺のやりとりもすごい印象深いけどね。
でもこのお前撃たれたのか、死ぬのかっていうのが何百回もあって。
最終的に宮崎駿が石田さんに対して、
男性のパンツを見た時みたいなリアクションで言ってくれっていう風に。
お前脱ぐのかみたいな感じで言ってくれと。
どういうこと?みたいな。
っていう風に宮崎駿さんに言われたのが印象的でしたとかって言ってて。
何そのエピソードって。
脱ぐのか、やるのかみたいな。
どういうオーダーだったのかもよく分からないけど。
要するに、さんにとっては生きることも死ぬことも別に怖くはないと。
別に死ぬことなんか全然ヘッチャラで怖くはないんで。
これからあんた死ぬんだ、死ぬのかっていう風に。
大丈夫か、死ぬのかっていう風に心配をかけて声をかけるんじゃなくて、
ただの確認作業みたいな。
何パンツ履いてんの?みたいな。
っていう風に言ってくださいっていう指示があったみたいで。
それはなんか面白いです。
脱ぐのかパンツ履いてんのか確認作業だね。
堀田…なんとかさんだ。
堀田芳恵さん。
宮崎駿さん堀田芳恵さんから本当を受けたんでしたっけ。
ちょっとそこらへんごめんなさい、僕ちょっとあんま詳しくない。
なんの感情もなくね。
ゴムつけんのかつけないのかどっちにすんだって。
なんの感情もなくね。
生き死になんて怖いものかって。
とりあえずそろそろ終わるか。
ありがとうございます、解説を。
日本の無常観
日本の問題は無常観で、
人災も自然災害も受け入れてしまうところだと法上規式で批判したが、
宮崎の示すのも無常の性質で住みきった境地というよりは、
もっとわいざつな生命力とエネルギーに満ちたものであるらしいです。
ありがとうございます、面白いね。
確かに日本人というか、でも日本人的な感じなのかね。
太平洋戦争も敗戦と言わないで終戦と言いますもんね。
まるでそれが何か台風のね、台風が熱帯低気圧に変わったみたいな
非常になんか、人災なんだけども天災みたいに言いますよね、日本人って。
それはなんか僕もすごく感じてます。
割とすんなりとそこら辺って受け入れちゃうんだなって。
だからまあ悪く言えば反省がないですよね。
あの時はしょうがなかったんだよって言って一言言って終わりというか。
なんかこうアメリカ人みたいに調査チームが来て原因究明して再発防止しようみたいな文化が、
まあもともと日本にはないですよね。
あの時はあの時でこの時はこの時だよって。
割とそうやって諦めてきた民族なのかもしれないですね。
もう地震とか津波について考えてもしょうがないからね。
日本は常に地震とかと共にあると。
関東大震災もそうだったし、一応なんかペリーが来航したその翌年ぐらいでしたっけ。
なんか大地震がありましたよ。
あの、そう、江戸で大地震があったんですよね。
それ何でしたっけ。
天保だっけ。
そうやって、えっと天保じゃねえや。
安政江戸地震、安政大地震ですね。
そう、そっからの安政の大国か。
そうだ、安政だ。
だからペリー来航で日本は急に揺れたんじゃなくて、
その後の実は地震によってもう江戸幕府がガタガタになっちゃったんですよね。
地震対応でもうどうにもならなくなって。
そうやって常に日本は、なんか国を揺るがす事態の時に、
メタファーではなくて本当に地震が起きてきたっていうことですね。
戦時中も何回トラフがありましたけれどもね。
戦争下だったんで完全に情報統制されちゃったけど。
かなり大打撃を受けたんだと思います。
そうやって何となく他人事にしてね、
涼しい顔して生きてきたのが日本人かもしれない。
さて、じゃあお疲れ様でした。
お送りしましたのはサシミちゃんでした。
はい、失礼します。
ナイスボタンをどうも。
6つありがとうございました。
ポンポンもどうも。
なんか大量にこんな久々にもらった。
7つありがとうございました。
またじゃあ1週間ね。
まあちょっと本当に月曜嫌なんだけど。
こんな夜更かしして明日ね、朝起きていくの嫌なんだけど。
まあ、なんとかね。
気持ちを起きらせて。
01:22:10
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