00:05
それでは、放送を始めます。
信仰は私、刺身ちゃんです。
どうもよろしくお願いします。
お疲れ様です、どうもお疲れ。
いちごうさん、どうも。
2024年12月13日、金曜日18時58分。
当直室から生配信です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
ちょっと当直室の布団に移動してきました。
えっと、再びこんばんは、どうもこんばんはです。
特に元気もないので、だらだら。
コメントがたくさんあると助かりますけれども、
だらだらやってきます。
で、8時から、8時半からちょっと病棟を配信してこようかなと思うので、
それまでですね、とりあえず。
1時間半くらい、最大で。
雰囲気が深いですね。
まあね、あんまりメンタルの調子がやっぱりそこまで良くないんだと思う。
気温のせいですかね、皆さんは体調どうですか。
なんとなく、クリスマスシーズンになってきて、
一人でいるっていうことが、なんかすごく。
えっと、さっきスーパーでコーヒー豆が売られていて、
そのブレンドの話を思い出しました。
そうですね、結構しますよね。
150gとか200g単位で、豆の状態で売っていることはよくありますけど、
まあまあしますよね。
大体150g。
で、1杯大体10gで作りますから。
15杯分くらい。
03:31
ナッティーな豆で入れたコーヒー。
ナッティー、オーツミルクで。
マシュマロ3個プレゼント、どうも。
なんかね、体調がイマイチの時は思い切って配信しない方がいいのかな。
なんか体調が悪くなる原因の一つが、配信が盛り上がってないことなんですよね。
で、なんで盛り上がってないかっていうと、体調があんまり良くないから。
だから悪循環になってるんですよね。
体調が悪くて配信をするとまたあんまり盛り上がらず、また体調が崩れて配信をしてっていう。
まあこういう時は思い切って、なんか本読んだり、なんかぼーっとすんのがいいのかもしれないね。
大体11月の中旬くらいから、なんかこのちょっと疲れたな疲れたなっていう、
なんか悪循環に入っていて。
で、なんとなく配信の勢いもその辺りぐらいからまたこう、だんだん落ち着き、
長く憂鬱な感じに。
冒頭の5分で、そうね。
あとはね、もう少し細かい話をすると、最初わーっと人が来るんだけど、
06:01
大体5分そこらぐらいで、最初なんとなく勢いづいてた初見たちがみんなパーッと散るんですよね。
で、フォローもしてないっていう状況になります。
急にハシゴを外されたような感じになるんですよね。
その時に結構配信のペースがガタガタと崩れることはよくあります。
まあ大体時間帯によるんだと思いますけど、まあ誰のせいでもないんだけどね。
こういう弱小配信にありがちなことですね。
ハシゴを外されるっていう。
そこで勢いづいてわーっと一晩で2、30人増える日もあるんですよ。
でもそれは僕にはなんかコントロールできないものだから。
今日は配信多めで嬉しいですが心配でもあります。
そっか。
なんとなくなんかね、勢いづいたらいいなっていうふうにきっかけを探してるんですが、
なんかそういう感じでもなさそうだね。
なんか時間帯によるものではなく、本当になんか体調がやっぱりあんまり良くないんだな。
配信もよくわかんないよね。
かなり冷え込んできましたね。
だいぶ。
寝ていいなら寝たいけど、この後8時半に一回起きないといけないからね。めんどくさ。
ずーっと機嫌が悪いっていうね。
何その配信。
ずーっと悪態をついてめんどくせえな。
マラソンやだな。筋肉痛やだな。だりぃな。
何その配信。誰もそんなことしてないよ。
09:02
お母さんに怒られちゃうね。
他の配信者見てごらん。そんなことやってないよ。
あんただけだよ。そんなのやってるのって。
お母さんに怒られちゃう。
ちゃんと普通の配信者のように話しなさい。
ちゃんと仲良くやりなさい。
誰かに聞いてもらいたい。
ぐちりたいとき。
あんまり調子良い悪いにかかわらず、日常配信していく。
淡々と配信していくっていうのがうちの配信のやり方なんでね。
調子良いときはわーっと盛り上がるし、悪いときはこういう感じになりますね。
みんなそれぞれいい感じで距離感をつかんでいただいて。
あんまりマラソンが良くないんだろうなとは思う。
人によって様々なんでしょうけど、僕の場合は多分あんまりこれが良くないね。
走るっていう行為が。
なんか回避行動とかそういう感じでもなく。
何なんだろうね、この調子の悪さは。
ちょっと今つかめないんですよね。
走るっていうことを通じて体調があんまり良くならないんですよね。
それは一体なぜなのか。
まあやっぱり体力が落ちたとか、昔は走れたのにっていう後悔だったり。
マイナスなイメージが頭の中を駆け巡るんだろうね。
特に自動施工っていうほどきちっと言語化されてはいないんだが。
昔動いてたはずの体が動かないとか重いとか。
そういうネガティブな自動施工とか、この情景が頭の中に浮かんでる。
それはただ老化したとかっていう意味以上のもので。
具体的には交通罪を飲んで体重が増えたとか。
その時に一気に体力が落ちたとか。
だからなんでそんなことが自分に起きたんだっていう。
理不尽さに対する何かモヤモヤですよね。
そんなこと言ってもしょうがないんだけど。
ただそういう不運なことが、普通だったらあんまり起こらないような不運なことが自分の人生に起きてしまった。
交通事故にあって動けなくなる人と同じで。
僕も一定の確率でそういう不運のくじを引いてしまったっていうのが早期されるのかな。
12:11
鍵の束を落としたことも大きいと思う。それも大きいね。
厳密に言えば、あれの前から本当はマラソン大会の準備を始めようと思ってたんですけど、
ぐずぐず言ってて、そこで急に鍵がなくなり、
それとその一件とちょうど重なるように、例の看護師長の突然切れるみたいな事件もあり、
色々重なりましたね。
とはやっぱりね、今ももちろんフリーというかシングルではあるんですけど、
付き合ってた頃の記憶っていうのも、当然クリスマスシーズンになってくると蘇ってくるじゃないですか。
それがあんまり良い記憶ではないんですよね。
なんとなく居心地が悪くなったり、機嫌が悪いのって全然偶然とかでもなく、
クリスマスに影響されてるような気がしてきた。
明確なこの場面でこういう風に起こったとかっていうんじゃなく、
なんか上手くいかなかったなとか、
なんであんなことを言われなければならないんだっていう嫌な記憶も一緒になって何かこう甦ってきてるよね。
でももう一方で自分は医者として精神家デイケアでサンタさんのコスチュームを着てね、
利用者さんには夢を配らなければならない。
それは別に大人だし、仕事で割り切ってやるんですが、
なんかそこの矛盾だよね。
なんか嘘をついてるというか、クリスマスって本当はものすごくむなくそ悪い体験なんだと思いながら、
なんかメリークリスマスとみんなに言ってるっていうなんか、
その行動と頭の中でこう蠢いているものすごい嵐みたいなのが、
なんかものすごい矛盾してる。
っていうのを、なんかここに来てやっぱかなり強くなってきてるんですかね。
マシュマロさん子供、大会に参加するっていうのもやめたけ良かったのになって思ったりしますか。
思ったりします。
というか、まあそうね。
今になって思うと、なんかあの時ね、8月エントリーの時期って実は8月なんですよ。
だいぶ前なんだよね。
で、その8月にそのマラソン好きの先生と異曲で話をした時に、
15:00
なんとなくね、さしみ先生もどうですかみたいなこうおだてられるじゃない。
いや意外といけますよとか言われて。
で、僕もなんかこうね、いやまあ昔サッカーやってたんで体力に自信はあるんですよ的な。
まあなんか多分やれば思い出すと思いますみたいな感じで、なんかこうやめときゃいいのにね。
断れない人間なんでしょうね。
別に先生は命令でもないし、本当に良かったらっていう本当にただ善意で言ってくれてるだけなんですが、
勝手になんかね、先生が言ってくれてるのにちょっとこれ断るのはまずいなって勝手になんか多分気を利かして、
勝手に今ゲロ吐いてる状態なんですよね。
だから音を正すところやっぱ自分の性格とか、なんか変に先回りして考えてやりますみたいなやりたくもないことをやりますといい。
結果直前になって不平不満を垂らしてるっていう状態なのかな。
だから上手く断る術とか、別にそこでね、いやーこういうの自分ダメなんですよねーとかさ、
別になんか適当に言ってあそうなんだで終わってたところをさ、なんか変に引き受けすぎたなと思って。
で自分にこういうね、僕の人生において、そうやってなんか変に引き受けちゃうこと。
別に向こうの先生は別に何の得にもならんし、走らないなら走らないであそっかで終わるってはずなのに、
なんかちょっとこう走ることを頑張って話題を合わせようとかさ。
余計な気遣いをして疲れてるっていうのってなんか僕の人生によく反復されてるなと思ってさ。
すごくなんか余計なことやっちゃったなって後悔してる。
だからこれはその先生に対する怒りではなくて、こう自己嫌悪ですよね。自分に対する怒り。
別にそこを普通に断ればよかったのに、何やってんだ俺っていう。意味ない苦しみですよね。走りたくもないのに走ってさ。
で多分10キロ走り終わって達成感も多分ないと思うんですよ。大した達成感も。
もうなんか全否定だけどさ。僕の場合多分ちょっと走って汗かいたところで何の達成感もないし人生感も変わらないし。
なんなら日曜日ゆっくり家でゴロゴロしてたいんですよね本当は。そんなちょっと走っただけで人生なんか変わんねえよ。
自分の誕生日でそうなるか。なんかねうまくいかなかった思い出がなんかよく蘇ってくるんですよね。
だから人と会えば会うほど辛いんですよこの人生。どんどん嫌な記憶が積み重なっていくから。
18:18
その時はさそういうことあるのも心苦しかったりして。なんかねちょっとこう自由連想的にもう少しこの体験を語るとさ。
その時多分ねそのもう僕もちょっと今は記憶がかすかなんだけど。
8月頃に確かねそのなんか委員長がまあいざとなったらもうあいつ首切ればいいかみたいなことを言ってるんですよ。
つまり僕の首をまあ切ればいいかみたいなことをなんかまた撃で聞いたんですよね。
僕としてはなんかねみみに水でえ?ってなって。
で多分そういうなんかこう心が急に不安定になっているところで、
まあなんか周りの先生とねなんかこうやっぱお近づきになっといた方がいいかなみたいなさ。
やっぱり仲良くなっといた方がなんか困った時に助けてくれるし。
なんか今コーヒー飲んでるのもそのマラソン先生がコーヒー好きでもあるんですよね。
だからなんかこう影響を受けながら、でなんか一緒に名田中の問題とかも解きながら、
まあその先生のなんかを心に取り入ろうとかっていうそんなにいやらしい気持ちはないんだけど、
でもなんかやっぱちょっとこう接点を持っといた方がいいなって気持ちも多分働いてのエントリーなんですよね。
マシュマロどうも。
そうこの病院に居づらくなっちゃうとまずいなとか孤立しちゃうとまずいなって思って、
なんかちょっとでも接点持たなきゃっていう中でコーヒーとか走ることっていうのをなんかこう見つけたんですよね。
後になって何やってんだこりゃーとかそう。
そうするとねやっぱり元を正していくと、僕ってすごくまあ立場はそんなに強くないし、
まあようやくね雇ってもらえた人間っていうわけですし、
そういう弱い立場にある自分っていうのがこう自覚されてくるんですよね。
元を正していくとそうやってまあなんとか雇ってもらったっていう経緯があったりとか、
さらに大元を正していくとまあ結局大学病院をね途中で休むようになっちゃったりとか、
っていう僕の人生そのものに対するこう納得のできなさっていうところに根っこが繋がってくるんですよね。
21:02
本当はこういう人生のはずじゃなかったのにみたいな。
そういうなんかこう寄るべない誰に頼ったらいいのかわからないっていう中で、
まあなんかマラソンとかっていうのが出てきてるんで、
なんかいやそれ自分走るの面倒いんで大丈夫ですみたいにこう断りきれなかったというかね、
なんかそういうふうに自分の本音を伝えるのがはばかられたんですよね。
本当は別にそんなことでその先生は僕のことを嫌わないし、
そっから口聞かなくなるっていうことももちろんないしね、そんな小学生じゃあるまいし。
ああそうなんだ、さしみ先生はあんまり体動かすのそこまでお好きじゃないんですねっていう感じで、
もうさらっと終わったと思うんだけどね。
なんか僕の中にそこに変な過剰に意味を持ち込んでさ、
これはなんか断ったらここで終わっちゃう、こときれちゃうみたいな。
なんか変に焦ったね。
まあそうやって判断をミスる、
結果後々になって自分で自分の首を絞めてるっていうことって、
なんか僕の人生よくあるような気がしてね。
マシュマロ3個プレゼントどうも。
なぜマラソンが嫌なのに、今マラソンの練習をしてるのかっていう話をしてます。
そのさっき言った過剰に意味をね、そこに見出して、
向こうの先生は別に何とも思ってないんですけど、
マラソンが嫌なのに、今マラソンの練習をしてるのかっていう話をしてます。
そのさっき言った過剰に意味をね、そこに見出して、
向こうの先生は別に何とも思ってないのに、
いやなんか嫌われたらまずいとか。
それは僕の解釈の問題ですよね。
そうやってここで断ったらなんかまた追い出されて、
また就活で不安定な生活になるのかとかさ、
ちょっと先読みのしすぎであったり、
ちょっと課題評価というか、
その出来事をあまりにも大きく捉えがちですよね。
認知行動両方的に言えばそれは認知の歪みそのものですね。
その結果自分は判断を誤った。
アーカイブを残してほしい。
まあちょっとね、アーカイブ残すかどうかは結構皆さんにもかかってます。
ちょっと責任を分散したい。
僕だけじゃいい配信にならんのよ。
24:01
なんかそこで2、3いい質問が来た時にバッとこう連想に火がついてね。
これは残したいなとか、
今ここにいない人にも聞いてもらいたいな、
ぜひ聞いてくださいってなったらアーカイブに残しますけど。
いくつかの燃料が投下されないと。
僕だけじゃね、ちょっと配信は成り立たないのよね。
なのでじゃあ9号さんにもね、ちょっといろいろ質問を期待します。
とか言ったりして。
先生としては適応していきたいからって気持ちもあったんだろうけど、
そうですね。
生き残るっていうことを優先するあまり、
自分の幸福感とかそういうものが後回しになる。
っていうのもこれもなんかちっちゃい頃からのね、
幼少期の何かをなぞっているようでもありますし、
自分の人生は二の次で、自分の欲望なんて二の次で、
何食べたいっていうふうに母親に聞かれたら、
それは母親が作りたがってる料理を言わなければならないっていう構造になってるんですよね。
何食べたいって聞かれたときに自分が食べたいものを言っちゃうのは不正解。
先回りして考えないといけない。
平均的な子供だったら何を言うかっていうことと、
あと今この瞬間、この母親の表情とかタイミングから見て、
まあ麺類はなさそうだなとか、
そういうふうに母親の頭の中も読まないといけない。
そうやって二重三重に答えを予測しないといけない。
で、そこにはもう僕の気持ちなんかないし、
僕の願望なんかどこにもないんですよね。
そう、そこの母親の何が食べたいの、
あのすごく怖い質問と、
何かこうマラソンやりませんかっていうお誘いが、
なんかオーバーラップしているように自分には感じられます。
で、その結果僕は食べたくもないものを食わされたり、
してるっていう状態ですよね。
これは間違いなくなんか過去をなぞっている気がするんですよ。
で、その今居心地ともあるさとか、
まあ不快さ、
まあマラソンはそこまでね、不快ではないですよ。
まあ確かに健康にはいいし、
ちょっと納得している部分もありつつ、
でも今日みたいに筋肉痛がひどいとやっぱりなんかやだな、
こんなことしたくないのにっていう気持ちにやっぱりすごいなるよね。
そういうね、
自分っていうものがこう相手と対峙しちゃった時にね、
自分の考えなんていうものが全部なくなっちゃうんです。
27:01
どけて。
で、そういう自分ってすごくやだなって思うんですよね。
ネットだとね、ズケズケいろいろ言ってますけれども、
現実に言っちゃうと僕ほとんど頭が真っ白になっちゃって、
とりあえずね、
こうやってね、
とりあえずやります、みたいな。
これできる?あ、やります、みたいなさ、
2つ返事で引き受けちゃうんですよね、バカみたいに。
看護師長に、
そうやって他の患者さんがやりたいって言ってる仕事まで奪うのはどうなの?
先生の患者さんならまだしも、
他の患者さんに対しても、
先生がなんか言うのは違うと思いますけど、
みたいにこうなんか正面切ってきて、
切れ合えた時に、
頭が真っ白になっちゃう。
確かに、みたいになっちゃうんですよね。
何が確かになのか、自分では全く理解できてないんだけど、
なんかとりあえず相手に圧倒されて、確かにってなっちゃう。
で、そっからなんか次の言葉が出てこない。
あの、MBTIだっけ?
MTIBかなんか忘れたけども、
あのMBITTIの、
あの、
なんか討論者っていうのと僕、多分すごく相性が悪いんですよね。
MBTI。
僕はあの、低症者なんですけど、
あの、討論者っていう人と多分ね、
すこぶる相性が悪いんだと思う。
何かを討論したりね、激戦を繰り広げましょう。バトルしましょう。
その上でなんか、ヘイゲル的に、弁償法的に何かいいものを見つけ出しましょうみたいな。
その拳を突き合わせて、いいものを作りましょうみたいなのがすごい苦手なんだよね。
これはなんか理屈を超えて、頭が真っ白になっちゃうんだよ。
ちっちゃい頃、小学生の頃もディベートが本当に苦手だったし、
口喧嘩も苦手だったしね。
ほぼ100%負けるんですよね。
あまりにも余裕がなさすぎてね。
弁護士にね、なんかそういうのですぐあたふたしちゃう人なんですねって言われたら、
またそれにすぐ食ってかかっていっちゃうような。
ものすごく小物ですよね。
小犬がよく吠えてるみたいな感じで、ちょっとかなり戦闘力が弱すぎるよね。
ちょっと煽られただけでクラクション鳴らすみたいな。
すごくね、そういう体制とかに弱いし、
人と交渉したり、討論するっていうのが下手くそなんですよ。
30:04
で、その時に何食べたいって言ってる時の母親と自分の関係になっちゃってるんですよね。
まるで蛇に睨まれたモルモットみたいにさ、なんか動けなくなってしまう。
思考ではないんですよね。逃げたいとか、危険だなって、これ以上踏み込むとやばいなっていう。
えーと、こんばんはどうもこんばんはです。
自分も回避性パーソナリティ障害かなというふうに思っています。
確かに今の文脈をざっくりまとめるならかなり回避的ですよね。
もう自分は大丈夫、どこにも行かないって。
カラオケにも行かない。飲み会にも出ない。
うん、俺大丈夫、一人でいるの好きだから。
うん、みんな頑張って、楽しんで、じゃあ、みたいな。
まあそれが障害とまで言えるか分からないですけど、
それが本格的にね、引きこもりの方になっていって、社会生活が破綻してたら、
まあ、障害っていうふうに表明として扱うんでしょうけど。
まあ回避的ではありますよね、回避的ではある。
なので人とのコミュニケーションが二重三重に先読みをしなくちゃいけなくなるので、
つまりもうあまりにも複雑な波動関数をね、解かなくちゃいけなくなるんで難しいんですよね。
自分が今思っていることをストレートに言うっていうのが、
まず最初に不正解になるんで、なんか難しいよね。
その結果、ものすごく空気が読めないことを言っちゃったり、
あるいはその場で一番面白い言葉とかワードってあるじゃない。
このノリできたらもうこの三人目でお前はどうって聞かれたらね、
もう天丼でね、これ答えたら絶対バカ受けするみたいなのが、すごく読み違えたりするんですよね。
え?ってなる。
もうそれ今ここ言っときゃ笑えるじゃんって笑いになる場面で、
なんか自分はそれを受け取りはぐれるんですよね。
でもそれを受け取りはぐれてるのは今っていうのも分かってるんで、
なんかただのASDみたいな話ではないんですよね。
今すごく外したなっていうことももうその時分かる。
33:15
嫌なことからついつい逃げちゃいますよ。
まあ僕の場合逃げてないんだけどね。
僕の場合どっちかというと嫌なことを率先して引き受けてしまうっていう方なんで、
回避できた方がまだ楽なんだけどさ。
結果僕は今マラソン大会に参加しようとしてるので、
嫌だなっていう話をしてます。
だからこれはただその現場から回避するのではなく、
自分というものを阻害してやりたくもない自分になるっていう話だね。
回避性ともちょっと違うのかな。
回避の仕方がストレートにその場からいなくなるとか立ちのくっていう感じではなく、
自分じゃない自分を演じるっていう感じでの回避の仕方だね。
だから本当は俺やりたくないのになあ、でもやるって言っちゃったしなあっていう返りが生じるんですよね。
返りというか。
なんか演技してしまった自分と本当は何もやりたくないただの何でもない自分っていうものが
だんだんこう辻褄が合わなくなってくる。
長尻がだんだん合わなくなってくるんですよね。
それを合わせるのにものすごい窮屈とする人生を送っているっていうところなんで、
ちょっと回避性ともちょっと違うね。
なんか義理適応しようと頑張って結果疲れる。
そもそも病気ですらないんでしょうね。
大体の世の中の人がそうであるように。
求め合える自分とそうでない素の自分がどんどん開いていっちゃう。
そこで大事になるのはそんな大規模な精神分析みたいなことではなくて、
さっきの上手いアサーションとかアサーティブなやり取りですよね。
喧嘩を避けたいがあまりに、優しく丸うこを冷めようとするがあまりに、
自分の本音を隠すんじゃなくて、相手のことを認めつつも自分の本音を伝えるっていう技術だよね。
で、それがなんか周りでそういう技術の高い人がいなかったし、
そもそも母親がそういう能力がすごく低かった。
怒りを内側に溜め込む感じだったんです。
36:01
多分それを無意識のうちに見て学んでるんですよね。
母親はすごく外面がいいんですが、家に帰ってくるといろんな人の悪口を言うんですよ、僕に。
で、こういう親って一体何枚舌があるんだろうって。
母親は一体何人いるんだろうっていうのは僕はすごく小さい頃から疑問だったんだけど。
でも気づいたら自分もそうなってる。
母親と同じ機能が自分の中にも備わっていて。
大体模範軍人、模範生徒で。
じゃあ前に出てきてちょっとやってごらんって先生にお手本やってみてってよく言われる生徒だったんですよね。
そもそも小学校の頃生徒会長だったし、中学校の頃も学級委員だったし。
で、その学校で一番いい進学先に行ってね。
で、医者になってるわけで。模範的な生徒ですよね。
少なくとも高校卒業ぐらいまでは。
高校卒業ぐらいまではこうなってるわけ。
家に帰って文句を言うみたいに、家に帰ってきたらパソコンつけて起動してマイクに向かって泊まってるわけ。
いや、あの市長がこうでね、ああでね。知的障害って本当にバカでさ。
これであれで、こうで、ああで。
この間のリスナーがこんなこと書いてきてこうで、ああで、こうで、ああでっていう。
やってることは昔の母親と全く同じですよね。
でもそういう外面の自分と本当になんでもない自分っていうものがどんどん長尻が合わなくなってくるっていうのはね、結構苦しい状態ですよね。
それが破綻した時っていうのが鬱病っていうふうに診断された時ですね。
破綻して本当に良かったなっていうふうに思いましたし、ちょっと楽になったなっていうのはありましたしね。
さすがにこれはもう長尻合わないだろうって。
破綻した時はすごい楽になった。
でも本当に大事なことは破綻する手前のところでちゃんと長尻を合わせるというか、
そもそも自分が吸収して良い顔をするっていうことをちょっとこう別のやり方で回避するというか。
なんか今うまい言葉が降りてこないな。
まあちょっとそれも調子の悪い部分だなと思うけど。
そうやって良い顔をして、分かりました、やりますって言って何でもニコニコ引き受けるんじゃなくて、
まあ嫌なことはちょっとこれは辛いんですよねっていうふうに穏やかに伝える技術というのかな。
本当はそれが大事なんですよね。
鬱病で破綻して良かったじゃなくて、破綻する前に手前でちゃんとガス抜きをするというか。
いやちょっとこれできないものはできないんですよ。すいませんね。他の人に頼んでくださいっていうふうにちゃんと断る技術だったり。
スキルですよね。ソーシャルスキル。
ソーシャルスキル。その長時間合わないタイプ。
39:04
外面のペルソナの部分と本当の自分がどんどんどんどん離れていっちゃって、
もうなんか辻褄が合わなくなってきて破綻するっていうタイプの鬱病を抱えてるんだとしたら、
まあやることは非常に簡単で、辻褄を合わせるように一生懸命努力することではなくて、そもそも引き受けないっていうね。
いい顔しない。ニコニコ仮面を外す。
でもイライラでね、そういう弁護士って珍しいですよねみたいに食ってかかると大喧嘩になっちゃうから。
だからさっき言ったね、相手の批判の中にとか意地悪の中に真実の粒を一粒見つけるっていう。
それをちゃんと褒めるとかリスペクトする。
いやさすがに弁護士の先生なのに内面もなかなかいい目をお持ちですねとかって言って、
まあその点は認める。
いや自己顕示欲の塊って僕もあんまり自分で思わなかったけど、
言われてみるとそういう目もあるかもしれませんねっていう風に、その一粒の真実をちゃんと認める。
そうすることでなんか変に吸収したり変に敵対的にならずに済む。
いやこの技術が僕本当にね、まあ著しく低いんだと思うね。
友達もいなかったしあんまり社交的な人間じゃなかったんで。
本来だったら小学生の頃こういうのって身につけるんでしょうけど、
何も身につけられないまんま現代に至ると。
で出来もしない仕事を引き受けて結局辛くなってる。
当直筆ですそうです。
こんばんはどうも。私もそれができたら楽かと思います。
でもその心とか性格を抜本的に変えるってなると本当に国家プロジェクトになっちゃうから、
まあせいぜいそのね、小手先の技術で乗り切るっていうのでいいと思うんですよね。
でそのためにやっぱりある程度練習量が必要だ。
僕そのソーシャルスキルを鍛えようと。
つまりこういう風に批判されたらこういう風に返そうとか。
あるいはなんかちょっと嫌な先輩から仕事頼まれたらこういう風になそうとかさ。
そういう小手先の技術が意外と大事なんじゃないかっていう風に今年気づけたのは大きかったね。
今までもっと抜本的に人間の中身を入れ替えないとこういうのって厳しいんじゃないかっていう風に
すごく問題を大きく捉えてたんだけど精神分析みたいに。
でもそういう人間の根本を入れ替えたりなんかサインインストールするとかって話ではなくて、
別にその場面になった時にうまくいなすその小手先の技術を
その場面になった時にうまくいなすその小手先の技術でいいんじゃないっていう。
だったら認知行動療法でもいいんじゃないかっていうのが
なんかあの大野豊先生といろいろお話をさせていただいた時にね。
エレベーターに乗った時にちょっと話したんだけど。
まあその深い話はしてないです。ちょっと挨拶して
42:02
ちょっと早く来すぎちゃいましてみたいなちょっとしたご挨拶の時間があったりとか
ちょっとこう質疑応答したりとか
質問させていただいて答えていただいたりとか
本当に些細なやり取りであったんだけど
この些細なちょっとした小手先の技術でも
人の気分ってだいぶ改善するしね。
なんかそれでもいいんじゃないかっていう風に思えたのが結構今年大きかった気がする。
その人間の根本のサインインストールしてOSを入れ替えるとかではなくて
本当にそのその場を凌ぐ一瞬のスキルでも
人生って結構変わるんじゃないかなと思ってね。
もちろん1回でうまくいかないので何回も何回も例えば鏡を見ながらね
自分で何回もロールプレイングゲームをして自分で練習したりとか
場合によってはその嫌な先輩の顔写真を何か壁に貼り付けて
何回もその人がいる体でねイメージトレーニングしたりとか
なんかそういう小手先の技術でも大事なんじゃないかっていう風に思えるようになったんだよね。
だから僕認知行動良好ずっとそんなんじゃ人間は変わらないというにバカにしてきたんだけど
意外とそういうソーシャルスキルも大事なんじゃないかなって思えたのはすごく大きな成果で
それだったらね練習できるじゃん。
上手い言い方をねしてる人をただこうお手本にして自分を真似すればいいわけだから
それだったらいけそうだなって。
KPどうも共感力っていうのかできない人がほとんど
自分軸で生きる。どう生きるかっていうのになるとちょっと問題が大きすぎるんでね。
なるべく問題ちっちゃくして。
だから先輩から仕事を頼まれたりあるいはこれやらないっていう風に
善意で誘われた時にどう答えるかっていうね。
その局面だけに絞って最善の答えを何個か用意しておく。
本当にやりたくない仕事だったらやっぱしっかり断った方がいいし
マラソンぐらいだったらちょっとチャレンジしてもいいかなと思うんだったら
それなりの言い方がありますよね。
善否定でもなく善肯定でもなく。
実際僕マラソンフルマラソンやりませんか先生って言われたんですよね。
僕フルマラソンはやっぱりちょっと本当に無理なんで断ったんですよ。
でも10キロマラソンだったらちょっと探してやってみますっていう風に
ちょっと折れたんですよね。
なので全くそういうソーシャルスキルがなかったわけじゃないので
10キロまである程度値踏みできたというかこう値切りできたっていうね。
42.195キロじゃなくて10キロまで値切りできたっていうのは
これ僕の今年の大きな成果だったんじゃないかなと思う。
多分去年とか一昨年だったら俺フルマラソンにもうエントリーしてたと思うんだよね。
45:00
何も断れずに。
そういう意味ではまあそこそこちょっと自分は変わったなっていう
達成の10キロでもありますねこれは。
30キロ分はちゃんと断れたわけだから。
32.195キロ分はね。
これは大きな成果だと思いますが
ただまだねちょっと余分な10キロが乗っかってきちゃったんで
ここは何か来年の課題かなっていう風に思いますね。
僕のまだ弱い部分というか。
でもそういう先生が好きでここにみんな集まってると思いますけどね。
そうなんかね変に引き受けがちなんですよ。
生まれながらに上手な人が羨ましいね。
これに関してはアドラー心理学とか読んでも
そのなぜそういうソーシャルスキルが高い。
人を不快にせずに自分の思い通りに人に伝えられるかっていう。
あるいはこう女性をくどけるかとかさそういう話。
それがくどくどって言うと
遺伝もあるでしょうしもちろん環境もあるでしょうしね。
その馬鹿像踏んで失敗をして慣れていけばだんだん上手くなっていくとか
いろいろあるんでしょうけど
でも本当のところ何が一番重要なのかとかは全く分かってない。
セックスはねやっぱりある程度セックスの数に比例するような気がするんだけど
どっかにセックスの数があるときに
セックスの数があるときに
セックスはねやっぱりある程度セックスの数に比例するような気がするんだけど
どっかでこうなんかS字カーブを描いてて
どっかで頭打ちになるんですけど
でも善儀の上手さとかセックスの上手さは
ある程度経験回数に比例しているような部分はあるかなと思います。
やっぱ馬鹿像を踏まないとね話に足らない。
きっと女性をくどくとか仕事を断るとか
飲み会を上手に断るとか
そういうのもきっと馬鹿像なんでしょうね。
先生の本音を笑えちゃう。
今日は下ネタを抑え気味にやってます。
っていうか当直筆だしね。
下ネタでわーきゃー言ってる場合じゃないから。
今日のところは抑え気味に。
まあでも今日は言語屋が制限されている中で
そこそこ今自分が思っていることとか分析的なことは言えたかなと思うんで
48:01
そう今日ふうめかしいね。
非常にお化け屋敷みたいな当直筆です。
カーテンの染みがだんだん人の顔に見えてくるんだよね。
恐ろしいや。
前回も当直筆。
今日はちょっともうこれで多分4枠とか5枠やったので
今日はこれで終わりにします。
でこの枠だけをアーカイブでこの後残します。
それなりに意味のあることは伝えられたと思います。
いろいろコメントもくださってね。
この枠はだいぶいい枠になったかなと思いました。
ありがとうございます。
またぜひお越しください。
じゃあちょっといろいろ体力もありますんで
今日は早めにこれで終わります。
お疲れ様でした。
お送りしましたのはさしみちゃんでした。
お疲れ様でした。
どうもありがとうございました。
おやすみなさい。