1. 無題のなんちゃらキャスト
  2. 005 - 誘う人誘われる人問題
2024-02-07 28:14

005 - 誘う人誘われる人問題

ふと思い立って、そう言えば誘ってばかりの人(俺を想定)と誘われてばかりの人っているよな、って思って軽く喋り始めたんですが、そう簡単に踏み入れてはいけないような領域だったようです。笑って聞いてくれたら本望です。
誘う側、誘われる側、関係性、利益、動機、喜び、楽しみ、社交、交流、リーダーシップ、責任感、柔軟性、オープンさ、個人の時間、自由度、ストレス、寂しさ、自己肯定感、などのキーワードが出てくるっぽい。
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はい、では今回も懲りずにやっていきます。
無題のなんちゃらキャストです。
さて、今回は5回目。
はい、めっちゃやってるんで5回目なんですけども、
前回4回目は、なんかアメリカでグランドギャニオンまで行ったみたいな話をしましたね。
で、今日はちょっと思いついた話があって、それについて喋ってみようかなと思うんですけど、
なんか、世の中には、いつも人のこと誘ってばっかりな人と、いつも誘われてる人の2パターンに分類されるような気がしませんか。
例えば、今聞いてるあなたはどっちだと思います?
でですね、俺は完全に誘う側の人間だと思うんですよね。
だいたい、常に誘ってる。
なんなら、誘われないですよね。
誘われないから誘うのかもしれないし、
例えば集団で10人とかいたら、絶対誘う側ですよね。
で、これ別になんて言うんだろう。
誘う側がいいだとか、誘われる側が悪いだとか、そういった話をしたわけじゃなくて、
これは一体何が違うのかなっていうところですよね。
何を求めて、俺は人のこと誘ってばっかりいるんだろうっていうところをちょっと考えたら面白いかなっていうところと、
あと、何もしないで誘われるっていう人がもしいるんだとしたら、それはもしかしたらいないのかもしれないですよね。
自分は自分のことをすごく誘ってる側だって思い込んでるところがあるから、
もしかしたら周りの人、あの人たちは誘われてばっかりでいいなって勝手に思ってる可能性が非常に高いんじゃないかって思うんですけど、
あくまで俺視点から見ると、何となくいつも誘ってもらってていいなの人みたいな人もいいなの人はちょっとわかんないけど、
でも例えばグループの中だと、なんか俺ばっかり企画してるよなとか、企画されたいなとかっていうことをちらっと思うこともないでもない。
でもこんなことをずっとやっていると別にそれが不満に思ってるわけではなくて、
例えば、これもしかしたら聞いてる人の中には俺のこと知ってる人で思われたことがある人もいるかもしれないんですけれども、
中にはちょっと誘ってばっかりいて、あとは相手に対する関係によると思うんですけど、
ちょっと期待が大きかった場合とかには勝手にがっかりして腹立てちゃうっていうことはもちろんありますよね。
でもそういう話はとりあえず置いといて、何で誘う側と誘われる側みたいな話になるのかなっていうのは結構面白いなと思ってちょっと思ったんで今喋ってるんですけどね。
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例えばさっき言ったように10人いたら絶対次集まろうぜとか言い出すのは俺なんですけど、
もしこの中で10人のグループを5人5人に分けて、いつも声をかける側の人がいない5人っていう集団になったときにはやっぱり誰かが誘う側になるんですかね。
それともその人たちはあんまり活発に次のことを集まろうよとか遊びこよっていうのは企画しないで消滅していくんですかね。
多分そんなことはないと思っていて、ってことはあれかな、これはなんかあるじゃないですか、働き有りみたいな有りんこの集団の中でも働く、働くって言っちゃうと誘うってこと自体が働くっていうことでプラスみたいに取られちゃうと困るんですけど何かアクションを起こす人っていう意味であくまで言ってるんですけど、
その比率が普遍だっていうような話があると思うんだけど、80-20の法則みたいなのがあると思うんですけど、これも知ったかぶりの俺覚えで適当に言っちゃいますけど、それはどういった法則かというと、
例えばある集団とかからもたらされる80%の利益というのは、その集団の中の20%のとこから生まれるみたいな話がありますよね。
例えば、これって別に誰が頑張ってるとかって話以外にも多分当てはめられて、ある会社の売上の80%は上位20%のお客さんからもたらされてるみたいな話にも適用できると思うんですよね。
で、何かこれって同じようなことが当てはまるんじゃないかって気もするんですよね。例えば、ある集団で行われるイベントの8割は20%の人たちから企画されてるみたいな、そういった法則が当てはまるのかなっていうような気もしてて、
今はいつも誘ううるさい奴がいないようになったとして、例えばあるときぱったり誘うのやめちゃったりしたとしても、自然発生的にこの20%っていうのが生まれるのかな、これ結構実験したら面白いなと思うんですが、
何しろ別にこれ嫌いやってるわけじゃなくて、面白いし、またみんなと遊びたいし、それで誘ってるわけで、別に責務でやってるわけじゃないし、重荷でやってるわけでもないから、実験する気にはなんないですよね。
例えばこれでちょっと面白そうだから一切興味がけないのやめてみようとかってやってみて、何にも起きなくてシーンってなったら、俺もつまんないじゃないですか。だから結局そんなことはやんないんですけどね。だからたまに考えてどうなのかなとかって思いながら、またついつい誘っちゃうみたいなのがあるんですけどね。どうなんだろうな。
なんとなく、そうは思っていないし好きでやってるとはいえども、人に声かけるっていうのはある程度エネルギーがいることだったりしますよね。それがグループ内で企画することの方がもしかしたら楽かもしれないし、どうなんだろう。例えば30人に声かけて4人しか返事してこなかったらそこそこへこむと思うので、それはそれでダメか。
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でも1対1もうそこそこ労力いりますよね。労力というかエネルギー。イエスかノーじゃないですか。行くか行かないということで。この話結構あれだな、適当に喋ってるけど深いな。だからある程度当たりをつけて人には声かけるわけですよね。
誘ったら来てくれそうな人にもちろん声かけると。いきなり駅で大声出して遊びに行きましょうって言っても多分誰も返事してこない。これちょっと極端すぎるけど。だからある程度それがだから言い方があれば寝回しみたいなこともあったりして誘ったりするんですけど、それも含めてエネルギーじゃないですか。寝回しするのってやっぱりエネルギーいりますよね。
だからなんでやってるのかなっていうのはあるんだよな。でもさっきから言ってるけど結局好きなんですよね。企画するのが。これなんだろう。仕切りたいのかな。仕切り合っていう面は否定できない。仕切るっていうことを慣れているのもありますし、好きなのももちろんありますし、でも多分得意なのかな。得意っていう表現は難しいけど。
でもこれ何なんだろうな。ここをあまり掘り下げていくと自分に出会っちゃうので難しいところなんだけど、この根本にあるのは寂しさなんですかね。寂しさっていうかこの渇きっていうか渇望なのかな。
これってどんなに家族に恵まれて素敵な仲間に囲まれて満たされた仕事をしていて毎日忙しく過ごしていたとしても、もしかするとこの渇きっていうのは満たされないのかなっていう。そういう性格の問題なのかな。
だから多分それでも結局、はいOK、終わり、おしまい、都合録の上がりです。もう誰も誘わなくてOK、安定した生活が立ち上がりましたみたいなことにはならないんじゃないかなって気もしますね。だから寂しがりが人のことを誘うっていうのは多分一定否定できないような気がします。
なるほど、なるほど。ってことはあれか、一人でいられないタイプの人なんですかね。このヨシア氏の話じゃないんだけれども、全然一人で過ごすことが苦にならないっていうこともありますよね。それ逆に言うと、言い方変えると、俺は今一人で過ごすっていう環境に身を置くことが結構難しくて、そういうところであれなのかな。
分かんないんだけど、試せないんだけど、それが全然苦にならないんだったら自分から人を誘う必要もないですよね。難しいな。でも何というか寂しいとかっていうのは絶対あるな。じゃなかったらこんなランチャルキャストとかやんないですよね。
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ってことは結局誰かを誘うとかっていうのも、俺この言葉あんまり好きじゃないんだけど、承認欲求の一形態なんですかね。難しいな、承認欲求ね。
誘うっていうのは必ずしも誰かに何か施してるつもりはないんですけれども、そこにちょっと期待みたいなものが入ってきちゃうと、いや期待ってはっきり言って盲読じゃないですか。
だから期待なんてしないほうがいいに決まってるんですけど、期待すると絶対セットで何かがっかりするからね。だから期待はしないほうがいいんですけれども、例えばすごく近い相手で特別な相手だと思うような人になるとどうしても期待してしまいますよね。
例えば自分の子供にやっぱり期待しちゃいますよね。期待っていうのは自分よりも出世してほしいとかそういう意味じゃないんだけど、難しいな。
そういうわけで結局何か誘ったりすると全然やめられないしやめないんですけどね。でも何でなんだろうな、この違いはどうして生まれるのかっていうのは面白いな。
誰か、「あ、俺?全然一回も誰も触ったことないですよ。でもそこそこ月3ぐらいで飲み会行ってるし幸せに過ごしてますよ。」みたいな人が万が一いらっしゃいましたら、ぜひ私とお話ししてください。
でもそうしないと世の中回らないのかな。ちょっとわかんないな。
気になるのは、この何て言うんだろう、何十年も何かを企画して人を誘ってとかっていうのをやってることによって、私は一体何かを得ているのか、精神構造に何らかの変化があるのか。
そこは結構気になるな。なのでちょっとこれは誰かに聞いてみたいので、どうしよう、ここはちょっとChatGPTに聞いてみるか。
誘う側の人は何を得ているんでしょうかって聞いてみるか。
誘う側っていうのは変に変換されちゃう。誘う側の人は何を得ているのでしょうか。
さて、なるほど。誰かを誘う人と誘われる人の関係にはお互いに異なる利益や動機が存在します。誘う側の人が得るものにはいくつかの可能性があります。
楽しみや喜び。これさっきからずっと俺が言ってること。他人を誘うことで一緒に活動する喜びや楽しみを共有できる場が得られます。
例えば、友人や家族を誘って一緒に旅行に行ったり美術館や映画館に行ったりすることで、共通の興味や経験を楽しむことができます。
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Yes、そうだな。お前、わかったじゃん、機械のくせに。
で、もう一個ある。関係への構築。他人を誘うことで関係性を深める機会が得られます。共通の活動を通じてお互いに信頼や親近感を築くことができます。
特に新しい友人や知り合いを誘うことで新しい繋がりを作ることができます。
まあ、そうだね。OK、いいよ。
あとは、成長や学び。他人を誘うことで新しい経験や視点を得る機会が得られます。
例えば、他の人と一緒にスポーツや趣味に取り組むことで新しいスキルを学んだり成長したりすることができます。
結果的にそういうことはあるかもしれない。ただし、なんかちゃんとおかしいな、お前。教科書みたいなこと言うんじゃねえよっていうのはちょっと思うな。
あとは、影響力やリーダーシップの発揮。
これはなんか読みたくねえな。
他人を誘うことで自己表現やリーダーシップの機会が得られます。
特にグループやチームのリーダーとして他の人を誘うことで影響力を行使したり方向性を示したりすることができます。
おお、なかなかすごいことしてきてくるな。
これはでもさっき言ったあれか。シキリアみたいなところは裏にこれがあるのかな。
影響力を行使することで何か喜びを得ているのかな。
ここはあまり深く見つめたことがないですね。
といったように、誘う側の人は様々な利益や動機を得ることができます。
いや、お前やっぱり頭いいけど、所詮アルゴリズムじゃねえの?っていうふうに呪りたくなるようなこともちょっと言われてるんだけど。
そうか。そんなシンプルな話?
どっちかというとこの楽しみや喜びの部分が非常に大きいっていうふうに考えたい気がしますね。
そうか、そうなんだ。
で、誘われる側の人は何を得ているんでしょうか。
人を誘わないことで何かを得るんでしょうかって聞いてみるか。
っていうか、俺なんかこんなことをChatGPTに聞いている時点で相当寂しい人間な気がするな。
一人でなんじゃる気がする。できてないですね。
まあいいや。何かを得ますか。
誘われる側の人が得るものだって。
まずは社交や交流の機会。
誘われる側の人は他人から誘われることで社交的な活動や交流の機会を得ることができます。
そりゃそうだ。
例えば、友人や家族から誘いを受けて一緒に。
それはさっき言ってたじゃん。
新しい経験や視点。誘われる側の人は他人から誘われることで新しい経験や視点を得る機会がある。
まあ、そりゃそうだ。
関係性の維持や深くなる。
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誘われる側の人は他人から誘われることで関係性の維持や深化を図ろうができます。
うーん、これただのさっきの鏡写しだな。面白くないね。
で、一方で誘われないことで得られるものもあります。
おっと、お前これどんな洞察するのか教えてくれよ。
個人の時間や自由度。
誘わないことで個人の時間や自由度を確保することができます。
他人から誘いを断ることで自分の時間を自分の趣味や興味に充てることができ、
自己満足やリラックスの時間を取ることができます。
あー、なるほど。
ということは、誘わないということがもっと積極的な選択肢になっているという意味なのかな。
でも、これってなんか、チャットGPDさん、誘わないことで得ることというよりも、
誘いを断ることで得ることのような気もしますね。
ストレスの軽減。
誘われることによって社交的な場合に参加することがストレスでプレッシャーを感じることがあります。
誘わないことで社交的なイベントや集まるに参加しないことで
ストレスを軽減し自分のペースで生活することができます。
なるほど。
ということは、誘う誘わないっていうことは、
誘うというアクションを起こしていくかどうかだけの違いではなくて、
そもそも人と会いたくないっていうことが原因で誘わない人もいらっしゃる。
なるほど。
そんな人を誘っちゃってることっていうのは迷惑だったりするのかな。
でも確かに何だろう、これマジであれですね。
誘うって言うと一対一の話も出てきちゃうんですけれども、
例えば集まりを企画して呼ぶっていうことは、
そこに来てもらう方がその人にとってもプラスになるみたいな押し付けはあるかもしれない。
ただし、会社の部署の飲み会みたいなことを今私はテーマにしていないかな。
もともと同行の市で集まっていて、
それでじゃあ今度山行こうよとか、飲み行こうよとか、
そういう話を今、
そういう意味での、もともと皆がお互い積極的に集まった集団での誘う誘わないみたいな話をしているので、
お前の言っていることよりも、さっきの80-20の法則の方が納得いくな。
あとは、あいつ仕切りたがるからいいや、黙ってやらせておこうみたいなのもあるかもね。
なるほどね。難しい話だな。
別にここで言いたいのは、いつも誘ってばかり悔しいというか、そういうことは全然言いたくない。
何でかというと楽しくてやってるんで、好きでやってるんで、そこは全然いいんですよね。
ただふとした時に、一方的な部分とか、
あとはアンバランサーにふとあれっていうことを思ったので、ちょっとこの話をしようかなっていうのを思ったんですけどね。
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あとは、それによってお互い得ているものが違うっていうのであれば面白いなって思いますよね。
あとなんか、精神構造とか変わってくるのかなっていうような興味もある。
誘う側と誘われる。
例えば、心構造など。
精神構造で自信を防ぐみたいになっちゃった。
精神構造などに何か違いが出てきますかと。
誘う側と誘われる側の間での一般的ないくつかの精神的な違いが見られることがあります。
誘う側の特徴。
これは面白いね。
誘う側の特徴、自己肯定感。
誘う側の人は自分自身や自分の選択に自信を持っている場合があります。
他人を誘うことで自分のアイデンティティや関係性を肯定しようとする傾向があります。
これはなかなか直視したくないところだったけど、否定はできない。
いや、これはあれですよ。
オッケー、俺が考えた飲み会に35人来てくれたぜ。やった、自己肯定マックスとかっていうことは思わないかな。
でも、例えば、もしイベントとか企画して人が集まってきたら、これに近い感覚を得る気はしますね。
だから、これもあるだろうな。
リーダーシップ能力。誘う側の人は他人をリードして方向性を示すことができるリーダーシップ能力を持っていることがあります。
リーダーシップ能力ね。
企画するの慣れてる?みたいな意味をクールな表現するとリーダーシップ能力ってなるのかもしれないな。
でも、それって人生の役に立つの?みたいな気はする。
責任感。誘う側の人は他人を誘うことで責任感を感じることがあります。
彼らは計画を立て、他人の期待に応えようと努力することがあります。
でも、これ好きでやってるってさっきから言ってるけど、もしかしたら責任感みたいなことでストレスを感じることがあったりするのかな。
さっきからちょっとチラチラって言ってる、期待みたいな部分とここがリンクすると、面倒くさくなっちゃうっていうところに繋がることがあるかもしれませんね。
誘われる側の特徴。
需要性。
誘われる側の人は他人からの誘いを受け入れることで、柔軟性や需要性を示す場合があります。
彼らは新しい経験や視点にオープンであり、他人との関係性を大切にすることがあります。
ああ、なるほどね。
まあでもそもそも、すみません、誘われないんですけど、誘われないっていうか、誰かが誘ってくれる前になんか良さそうな人だな、楽しそうな人だなって思ったら、
自分から誘っちゃうっていうところがあるから、もしかすると誘われるチャンスを潰している可能性は十分にあるんだが、これはかなりポジティブな考え方なわけだが。
そうなのか。そういう意味だと、俺は新しい経験や視点にオープンではない可能性があるの?
なるほどね。
そしてもう一つ、独立性。
そうか。
他人の誘いを受け入れるかどうかを自分自身で判断し、事故のニーズや欲求に基づいて行動する傾向がありますので、独立性を保つことが重要であると考えている場合があります。
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なるほどね。
まぁでもせっかくこんな風にきちんと答えてくれて反論しちゃって申し訳ないけど、別に俺だって人を誘う時には自分自身でこの誘いが面白いかどうかっていうことを判断しておりますが。
なるほど。面白いなぁ。
いやぁ、でもこの話はあれですね。
まぁでもまぁ、いいんですけど、どうせこれではまたすぐ誰か誘っちゃうんですけど。
まぁだから、誘うのやめないし新しいこと考えるのやめないんですけど、なんだろうなぁ。
いや、あれなのかなぁ。
なんか自信がないんでしょうね。自信がないってのは自分自身がないんじゃなくて、自分で何か考えてこんな新しいことやろうよって言わなかったら何も起きないって思ってるかもしれないな。
何も起きないと。何も起きなくたっていいじゃん。何も新しいこと起きなくたっていいじゃんっていうのは確かにそうだ。
じゃあ何も起きないことがつまんないと思ってるのかな。
ということで何か新しいことが次々に起きることを人生の楽しみ方だと思っている可能性はあるなぁ。
そうなの?
そういう表現しちゃうとなんとなくつまんないなぁ。
そうかぁ。
そうだよなぁ。でも何かは得てるんでしょうか。
うん、でも誘って人が来てくれて楽しかったら100%何か得てますよね。
だからそういうことだよなぁ。結局何か誰かが誘いに応えてくれてるっていうことが一番大きな報酬なんだろうなぁ。
その報酬が、報酬を得ることがやめられなくなって人を誘わずにいられなくなってるって言い出すとマジ気持ち悪いんや。大丈夫かよ。
やっぱり承認欲求なんじゃないの?みたいな話にはなっちゃうよなぁ。
80-20の報酬ね。
なるほどね。
逆にこれ以上話していくと泣いちゃうかもしれないんだけど、
自分自身がないから人を誘うことをやめられない可能性があるなぁ。
逆にみたいな話なんですけど、
なんていうか、黙ってると何も起きないっていうのは究極的には誰かから何か声をかけられる自信がないのかもしれないなぁ。
そうなの?そんなの見つめたくないなぁ。
でもなんかそれは否定できないかもしれない。
何か楽しいことが勝手に自分に起きるなんて期待できないから、逆に自分から何かを起こしていかないと不安なのかな?不安?不安なのかな?
なんかちょっと泣いちゃうかもしれないからやめようかな、この話。
というわけで、ただこのChatGPTさんがさっき言ってましたけど、
何ていうの?重要性が培われるとかオープンであるとかって言ってますけど、
私も全然100%マックスオープンなんで、
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おいなんかお前寂しそうだなって言って誘ってくれたら尻尾を振って行くっていうところだけはここでちょっと大きな声で言っておこうかなというのはございます。
なるほどね。
そういうわけで、なんだろう、そんな簡単に人生とか性格とか変えられないんで今後も誘っていきますし、
誰に頼まれなくても勝手に何かこういう余計な配信をしていくんですけど、
なるほどね。終わった。
ちょっとこの話題はしばらく考えないようにしとこうと。
そんであと何かあるかな?
最近わーって一昨日やったばっかりなんですけど、雪が降って結構大変でしたね。
結局中央線は朝になっても東地区の影響で高尾より先はずっと昼過ぎまで普通でしたね。
あれは昨日の話ですけど。
高尾までは普通に朝帰ったんですけどね。
雪かきもわかんないじゃないですか。全然雪かきスキル、雪かき経験ゼロなんで、
何て言うんだろう、どこまでかく必要があるかわかんないですよね。
この雪だったら別に溶けるからいいやだとか、
あと何かここ車通るから雪かきしたいなと思うけど、
例えばわたちのとこだけで実際車の役に立つのかもわかんないし、
で、何か5年に1回くらい使うスノーダンプとかあるから、
家の前はすげー綺麗にしたんですけど、何かイマイチわかんないですよね。
あと近所の人で絶対カタグラに10年以上一度も雪かきしない人がいるから、
その人が結局自分の家の前雪かきしないのに、
俺の雪かきしたアスファルトが出てるとこ歩いてるのも若干腹立つし、
雪かきが結構むずいよね。
で、何かうちは公衆街道から50mくらい入ったとこにあるんだけど、
その公衆街道までの50mを全部雪かきで繋げるかみたいなのも悩むところ。
本当に元気だったら全部やっちゃうとこなんだけど、
そこはだって100人以上の人が使うのに何で俺がみたいなところもあるし、難しいですよね。
で、結局雪なんかかいてなくても結局晴れて、
午後には全部見えてましたみたいになるのも切ないから、
実際そうなってたし。
とはいえ日陰は解けなかったりするから、
その辺のスキルが決定的にないですよね、東京とかあんまり雪の降らない地方だと。
だからこの辺に雪が積もっても別にこれはすぐなくなるよとかっていうのは全然なかったりするし、難しいよね。
で、雪はいいとして、あとあれか、
今週末にキリュー堀マラソンっていうマラソン大会があって、
ハーフマラソンなんですけどね、それを走るので、
週末はそのキリューに行こうかなと思ってる感じですかね。
キリューは生まれたとこなんですけど、
小学校低学年の時に夜逃げして、起きたら東京にいたみたいなことがあったんで、
結構成人してちょっとぐらいまではキリュー出身というか、
27:02
田舎があるっていうかって話はしなかったようなことがあって、
もちろん小学校の時とかはその経緯は親に言わない方がいいって口止めされてたし、
だからなんていうか、東京生まれだとは言わないんですけど、
なんとなく出身は東京ですね、ゴニョゴニョみたいな雰囲気であれしてたんですけど、
この話も結構面白いんで、こうやって明らかんと、
いや俺夜逃げしたことあるんだよねとかって言えるようになったのは多分、
10代後半過ぎてからだと思うんですけどね、
この辺もなんかそのうちの親父イカれてたっていう話をちょっとほのめかしたと思うんだけど、
あの親父の面白いエピソードの一つではありますけどね。
まあそういうわけで、
そうだな、なんとなくちょっと胸にモヤモヤっとしたものが残ってしまったな、
やっぱりその誘う誘わないような話で、
なんだろうな、寂しいんじゃんお前みたいなのに直面してしまったあたりで、
なんとなく若干気まずくなってしまったので、
今日はこの辺にしようと思います。
次はバカバカしく誰でも爆笑できるような話があればしたいですけど、
そんなの思いつくかなということで、
それじゃあまた。
28:14

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