奈々福さんの大人としての成長
奈々福さんは、ご自分のことを大人だというふうに思われます?
20代の自分のことを思い出すと、その時よりもは、経験値が増えたなって、判断材料が増えたなっていうことと、
あと、やっぱり若い人たちに伸びてほしいっていう気持ちが生まれたっていうのは、大人というよりもは、やっぱりシニアになったなっていうことですよね。
いや、でも今の言葉でそう、腑に落ちるというか、大体大人ってどういうことかよくわからないんで、いろんな意味があると思うんで、
ただ、若い時の自分とどう変わったか考えると、今奈々福さんおっしゃったように、
10代の自分よりは圧倒的に穏やかになってます。
止まってたって。
すごい止まってましたね。人にも厳しいけど自分にも厳しいみたいな。かなり緩くなりましたね。
大人とは、幸せとは、人間とは。
人生のあれこれが聞けば聞くほどますますわからなくなる。
深くないようで深い、いい加減なようで意外と真面目なトークセッション。
声の大人エレベーター。
黒ラジオ。
前回に続いて、映画監督の須尾雅之と、
狼曲師の玉川奈々福がお送りします。
後編もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
若い人への支援と希望
あ、そうそう、奈々福さんおっしゃった通り、
若い人に何とか、
本当にのびのびと生きてほしいだったり、
映画撮りたい人だったら何とか映画撮れるように、
僕が協力できることあれば協力したいとか、
若い人の作った映画を見て応援したいとか、
そういうのは本当に、いつからだろう、すごい芽生えてますね。
自分が頑張るっていうことももちろんそうなんだけれども、
年下だから若いからじゃなくって、
思っても見なかったことが生まれてくる可能性に、
一票っていう感じですね。
自分の考えられることが、
穏やかになり、多少仕事もして、
いろんなことやってきたんだけれども、
でも逆に言えば、私にはできないこともよくわかっていますよね。
でもそれを軽々と乗り越えてくるような才能も、
出てき得るんだっていうことが、下海で思ったときに、
それを見たいし、伸びてほしいし、
表現に関しては、お客さんにとっては、
例えばシニアの人がやろうと若い人がやろうと、
フラットですから評価っていう意味では。
だからどんどんどんどん若い人に可能性を追求してほしいなとは、
でも本当にいつから思うようになったんだろうな。
どこが分かれ目ですかね。
気がついたらそういうふうに思うことが多くて、
だから若い人の前で話してくださいっていう仕事とかに、
何の違和感もないどころか、
そういう機会があればできるだけ、
そういうことをしたいって思ってるよなと思って。
いつからそんなことを思い始めたのか。
公演の仕事なんて大体受けなかったですからね。
なんとなく思ったんですけど、
40代って淡いかなって思いますね。
30代後半からの。
仕事盛りでもあるけれども、
40代後半になって50代を見たときに、
40代辺りでいろんなことを考え始めたのかもしれないなっていうような気がします。
自分のできることの限界見えてきたときなのかなって気もします。
私は大人になってから老局になったので、
そういう意味では小さい頃からやってる人たちに対してコンプレックスがあります。
それなりに一生懸命体の訓練もしてきたつもりなんだけれども、
追いつかないですよね。
小さい頃からやってた。
それこそ老局は化け物みたいな人たちが、
なんでこんな声の体力があるんだ。
それはできない分、他の部分で新作を作るとか、長編両老局やるとか、
コラボレーションとか新しいものを作るっていうところで、
自分はこういう形をやるって作ってきたつもりだけれども、
やっぱり追いつけない。
たぶん一生かかって追いつけないっていうのを、
若いときだったらもしかしたらもうちょっと追いつけるかもしれないけど、
絶対追いつけないっていう自覚をした瞬間ってあった気がしますね。
あの人がすごく好き。
老局の中であの人を目標にするみたいな人がいるけど、
あの人には絶対になれない。
僕があるときから思ったのは、
ロールモデルが、
憧れの人?
例えば今だったら、野球だったら大谷選手に憧れる。
だからこれからの子供たちは、
投手もバッターも両方やるっていうのはきっと目標になるんだろうなって。
いわゆるロールモデル。
それが、近所にロールモデルにできるような大人がいないんじゃないのか。
どんどんそういう大人が少なくなってるんじゃないのか。
親戚のおじさんとかね。
本当に身近にいる人で、こんな素敵な大人っていうか。
そういうロールモデル。
私もそうなってみたい。
今は情報化社会だからそうなのかもしれないけど、
大スターだったりとか。
そういう人になんか行きがちで。
だけどなんか、近所のおじさんで素敵だなって思う大人って、
実は必要なんじゃないか。
もし僕が目指すとする大人は、
近所の子にあんなおじさんになってみたいと思われる人になることが大人になることなのかな。
そういう大人。
そういうふうに見える大人。
結局そうなんだよな。
大人になるって大人に見えるかどうかで、
本人が自覚してる問題じゃないですよね。
一つ自分の中であるのは、
私が34歳だった時に、
22歳くらいの子に、
こんな34歳もありえるんだって言ってもらったことが一回あるんですね。
それを未だに覚えてるっていうことは、
普通はこうだろう。
普通、40過ぎればこうだろう。
普通、50過ぎればこうだろうっていうのに、
はまらない形を見せられたら、
こんなこともあり得るんだよ、こんなことも。
50歳になったらこういうふうにしてた方がいいと思うよ。
60過ぎたらこういうふうにしてた方がいいと思うよっていうのの、
外れる形をいくらでも示せる人たちが、
いっぱいいると、
若い人たちにとってはすごくいいですよね。
そういう大人がいっぱいいてほしい。
なるほど。
まさに多様性ですよね。
本当に同じ人は一人分いないっていうことを、
みんな実感してほしいんですよね。
人と違うことで落ち込むことはなくて、
それ当たり前だっていう。
そう。
異なることはできではない。
本当ですよね。
そうさん、一番幸せな瞬間って何ですか?
幸せなのは、何もやるべきことがなくて、
ただ座ろうぜと試合を、
今日は楽しめるぞって思ってる瞬間。
そうですよね。
明日仕事がない。
今、とりあえず何かしなきゃいけないってことがない。
義務がない状況が幸せ。
100%同感。
仕事終わって、明日は何にも仕事がない日の湯船の中。
湯船に入って干したお布団に寝る。
最高。
でもね、それって、
縛られた日々がないと味わえない幸せじゃないですか。
そうです。
毎日やることないって。
それは地獄のような日々だと思う。
終わった今日の仕事が、
自分で納得がいってないと辛いよね。
そうですよね。
本当ですよね。
そんなに滅多にないけれども、
舞台で、
不尊な言い方になっちゃうな。
だけど、
ちょっと善能感感じる時あるんですよ。
お客さんを手玉に取ってるなっていう時。
本当に私の語りによって、
お客さんが息を飲んだり、
息をついたりっていう。
それは、
幸せなんて浸ける時間ないんですけど、
これすごいっていう緊張感の中で、
やっぱり、
嬉しさ、
幸せなんだろうな、
感じることっていうのはありますね。
だからなんか、
きっと死ぬ間際に思うのかもしれないけど、
トータルな意味での幸せかどうかって、
思うのかもしれないんですけど、
日々は、やっぱりその瞬間瞬間でありますよね。
はい、瞬間です。
その積み重ねが。
大人になることと幸せ
でもそれを幸せと感じられるのは、
きっと嫌な状況があって、
感じるんですよね。
相対的なもんなんですかね。
幸せって、
状態じゃないですね。
確かに。
他との比べての瞬間の環境というか。
これも年取ってきたかもしれないけど、
本当に、よく言うじゃない、
日常の何気ない瞬間が一番、
そういう日常を過ごせることが幸せなんだ、
みたいな言い方をするんですけど、
時々それを実感することがあって、
こんなグダグダしながら、
最近自分で料理してたりするんですけど、
こんな料理作って、
こうやって奥さんと一緒に食べたなっていう、
このきっと時間が後で、
幸せな時だったって感じるんだろうなって。
その時に幸せは感じてないんですけど、
後々これを幸せって思うんだろうなって思う自分がいて、
なんだこれって思うんですよ。
なんだこれですよね。
本当に。
結局日々生きていけるっていうことが、
本当に結局は幸せっていうことなんだろうって、
最後には思うのかなと思って。
だから本当に辛いプレッシャーがかかっていることだって、
それはそれで幸せなんですよね。
振り返ればきっとね、
あれが幸せだったっていう。
そう、辛いんだけど、
それがあるから、
終わった時が幸せだったりするんですね。
っていうのもありますよね。
深輪事件っていう、
冤罪事件で、
無期懲役で捉えられていて、
その後最新請求が通って、
無実を証明できた、
無罪になった桜井翔二さんという方がいるんですね。
彼は、
だから間違えられて捕まったって、
不運じゃないですか。
でも、
僕の人生は不運だったけど、
不幸ではないって言ったんですよ。
その言葉にすごい。
確かに不運だったかもしれないけど、
僕は不幸じゃなかったっていう。
言える。
それが言える人生、
すごいなと思って。
彼は、
結局国家賠償請求まで勝って、
やり直しの裁判から以降、
全部勝ちなんですよ。
こんな事件珍しいんですけど、
今はガンで糖尿されてて、
それでも、
冤罪で苦しむ人たちのために、
全国飛び回ってらっしゃるんですけど、
彼は本当に、
俺は不運だったけど、
不幸じゃなかったっていうのがね、
結構響いてるんですよ。
そう言えるっていうことが、
すごい良い人生を生きた人なんだなって。
人生とは、
人生とは、
そんなこと考えないですね。
考えないですよね。
もう字の通りですよね。
人が生きてるっていう。
っていう命題を振られることもなかなかないですよね。
ないですね。
学生時代はあったかもしれないけど。
そうか。
つまりは、
真ん中生きてる時には考えないことなんだ。
これから生きるぞっていう時と、
一番最後に、
子供の頃の哲学者
缶の蓋を閉められてしまう時ぐらいしか考えない。
だって、
本当に僕の10代は、
まさに言っても、
自分が何者なんだっていうのは、
まさに人生とは何だっていう問いかけをずっとしてたわけですよね。
でも実際にこう、
社会に出て、
生き始め、
要するに生活を自分で何とかしようとしちゃう時から、
もう人生とはなんて考えてる暇なく。
そうですね。
まさに生きてるそれしかないっていう日々を送ってたわけですからね。
だって子供の頃って本当に哲学者ですよね。
人は死んだらどうなるだろうって本当に真剣に考えましたもんね。
今、哲学を深める余裕全くないな。
本当にそうですよね。
ガツガツと生きるだけですね。
本当です。
毎日毎日ガツガツと生きるだけだな。
野球のエピソード
きっとその中からいろんなことを学んで、
死ぬ時にきっと振り返る余裕があれば、
振り返るのかもしれない。
ひゅっと消えちゃうのかもしれないし、
答えなんか出ないし。
僕よく言ってたな、昔から。
僕すごい慎重で、
転ばの先の杖男って自分で自分のこと言ってたんです。
本当にね、野村克也さんに近いんですよ。
最悪のことを想定して生きると、
何が起きても大丈夫だって。
一番悪いことを常に思っとけっていうね。
そういう嫌な性格なんです。
何がいる時でも最悪のことを思っていればがっかりしないです。
だから学生の時も試験でちゃんとできたなと思っても
絶対によくできたと思わない。
今回もダメだったと思っとく。
そうすると帰ってきた答案見て
点数低くてもそんなにショックじゃない。
これ100点満点だと思ってるからがっかりするっていうんで、
それで自分のことは転ばの先の杖男だよなと思って、
最悪のことを想定する。
っていうのは僕の性格にあるんです。
私は正反対かもしれないです。
何も考えないでちょっとツモを死んで、
その階も怪我いっぱいするっていう。
怪我で住んでる位置はいいけどねっていう感じですね。
先を考える頭を持たないで生まれた気がするんですよ。
想像するんですけど先に。
老朽の時もそうですよ。
この先多分やめざるを得ない時が来るだろうって思って。
その状況が来たらばやめればいいやって言って、
こんなに自分が二足の荒地で、
会社も辞めないで老朽でって苦しむってことを想定しないで始めちゃう。
死にそうになって初めて選択をするみたいな。
一つ思い出したんですけど、
子供の頃のエピソードで、
それは未だに教訓として残ってるなってことが、
中学3年生の時の野球の試合で、
僕はホームスチールを成功させるんですけど、
その時に、今、トールイシオートの時に失敗したらどうしようって考えたことなかったと思ったんですよ。
成功する時ってもしかしたら失敗のことを考えてない時なんじゃないかって。
かもしれないですね。
だからこの場の先の強男だったら絶対にこんなところで、
ホームスチールって野球知らない人はよく分かんないかもしれないけど、
とんでもない作戦っていうか、とんでもない試みなんですよ。
それをやる時に僕は、ここで失敗したら監督に怒られるとか、
チームメイトに何バカやってんだって言われるなんて、
みじんも思わずにできると思ったんですよ。
できると思ったから走った。
できたんですよね。
あれが結構その後の教訓で、
時々思い出す。
成功する時ってもしかしたら失敗する自分のことを考えてないや。
正反対じゃないですか、この場の先の強男と。
そうなんです。
だから、もしかして映画監督なんていうとんでもない職業に就いてて、
この場の先の強いってお前何考えてんだって言われるぐらいの選択肢。
確かに。
そもそもフリーランスであることか。
そうですよ。
何がこの場の先の強い男だって言われそうじゃないですか。
つまりは、自分の行動は自分ではコントロールできていないのかということですね。
だから、うまくいく時って、
最悪の事態のことなんて何も思ってないんだな。
だから飛び込めるんだなって気がするしね。
すっごい矛盾したこと言ってるかもしれないけど、
そういうところにその人の考え方って、
結局俺そんなこと言ってたって、
肝心な時には結構平気で飛び込んでるじゃない。
最大の知性って、感だと思いません?
はいはい。直感ですよ。
はい。だと思います。
それって意識、
もちろんバックには経験値とか考えとかあるんでしょうけれども、
それ、ホームスティールが成功するっていうのは、
最大の知性の発揮の瞬間だったんじゃないかな。
多分、考えは本当に、
自分の脳みそで今考えてるぞっていうような考えよりも、
頭の中の本や映画
もっとすごい地が自分の中に埋まってて、
それで思わず選択しちゃってるっていうのが、
いっぱいあるんじゃないかと思いますね。
だから本当に肝心の時にはできると思ったら、
俺ってもう走ってるんだなと思って。
だから、止められないですよね。
もう生きてる限りは。
その知性に、自分の持って生まれた知性に委ねるしかないですね。
そうですね。
でも、頭の中に、
読んでこられた本と見てこられた映画が、
忘れちゃってるけどたまってるんでしょう、きっと。
すごい地だと思いますよ。
そう、信じたいな。
だって本当に、一人説明する時に、あれ?
あのストーリーどうだったっけって思うことが結構多くて、
ちょっとショックなんですよね。
それはもうそうなんだけど、
例えばじゃあ何かを作ろうって思って思う時に、
表現の時に思うんですけど、
いっぱいお芝居見てたこととか、いっぱい本読んでたことって、
自分が表現する時に、
この中のどれを選ぼうなんていうのは全然そういうことじゃなくって、
可能性を自分で考えるもののための糧になってるっていうのはあるんじゃないですかね。
こんなこともあり得るんだ、こんなこともあり得るんだっていうような。
年取ったからだと思うんですけどね。
高校生の時に日々読んでた、
あの本の中身は一体どこに行っちゃったんだろうと思うぐらいみんな忘れてるんで。
え、私も昨日読んだ本忘れますよ。
全然もう、すごい新しいこととして。
七福さん、2回にわたりありがとうございました。
ありがとうございました。
いろんなことが沸き上がってきて、
それを実はどう言葉にしていいかもわからず、
訳わかんないこと言ってると思われちゃったかもしれないなと思って、
ちょっと反省してます。
この対談の間に、宗さん昔のことずいぶん思い出されましたね。
思い出しましたね。
面白かった、面白かった。こんなことあった、こんなことあった。
中学時代のたった一度のホームスティーブの話をここでするとは思ってもいなかった。
もうまたゆっくりどこかで話をしたいし、
その前にまたゆっくりとロー曲を楽しませていただきたいと思っています。
ありがとうございます。
実は私はまだリメイク版の四駆分になった途中なんです。
今日帰ってから見るのを楽しみにしています。
よろしくお願いします。
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