1. 声の大人エレベーター「黒ラヂオ」
  2. Session14:鈴木おさむ×糸井重..
2023-12-27 20:02

Session14:鈴木おさむ×糸井重里(前篇)

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40代とは? 50代とは?

深くないようで深い、いい加減なようで意外と真面目なトークセッション。今回は放送作家の鈴木おさむさんとほぼ日代表の糸井重里さんが登場。メディアは違っても、長年文筆の世界で注目を集めてきた2人。2024年3月31日をもって放送作家と脚本家の仕事をやめることを宣言している鈴木さん。今回は、仕事人生の節目や次のステージで考えた事なすべきことについて、仕事と人生の先輩でもある糸井さんに様々な話を聞く機会になりました。


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ストップ!20歳未満飲酒・飲酒運転

サマリー

若い方々が褒められることは、作品が一番大切な要素です。大人たちや幸せ、人間や人生の意味についてはますます理解が深まらなくなります。それは浅いようでもあり、いい加減なようでも真面目なトークセッションです。鈴木おさむさんと糸井重里さんの対談です。インターネットとの出会いから生まれることがひとつあります。

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自分とこの若い人とかが褒められるのって、一番の何か作品ですよね。
大人とは、幸せとは、人間とは、人生のあれこれが聞けば聞くほど、ますますわからなくなる。
深くないようで深い、いい加減なようで意外と真面目なトークセッション。
声の大人エレベーター、黒ラジオ。
鈴木おさむと糸井重里の対談
本日は、私、放送作家の鈴木おさむと、
ほぼ日の糸井重里の2人でお送りいたします。
糸井重里さんは、1948年、昭和23年、群馬県生まれ、ほぼ日代表、コピーライターとして一世を風靡し、作詞や文筆、ゲーム制作など多岐にわたる分野で活躍。
1998年にスタートしたウェブサイト、ほぼ日刊糸井新聞では、
ほぼ日手帳をはじめ、
AR地球儀、
ほぼ日のアースボール、
人に会おう、話を聞こう、
おテーマにアプリ、ウェブでお届けする、
ほぼ日の学校など、
さまざまなコンテンツ開発、企画を手掛ける。
鈴木おさむさんは、
放送作家、1972年生まれ、
多数の人気番組の企画、構成、演出を手掛けるほか、
エッセイ、小説や漫画原作、
映画、ドラマの脚本の出筆、
映画監督、
ドラマ演出、
ラジオ、
ラジオパーソナリティ、
舞台の作演出など、
多岐にわたり活躍。
40代の人生
伊藤さん、今日お願いします。
よろしくお願いします。
伊藤さん、今いきなりお年を聞くのはあれですが、
僕は51歳なんですが、
伊藤さんはいくつでしょうか。
75歳です。
75歳。
僕、2024年の3月31日で、
放送作家を辞めるということを宣言したんですけども、
伊藤さんがすごく影響してまして、
僕はやっぱり40代に入るときに、
40代しんどいんじゃないですか。
40代しんどいんじゃないかなと思ってたんですよ。
やっぱり20代、30代は、
勢いがあったりすると、
大人が面白がったり、
大きなチャンスが来るんですけど、
40代はできて当たり前。
だけど、世の中を結構動かしているのは、
60代とか70代だったりとかすると、
40代って中途半端な年代になるんじゃないかな、
なんて思っていて、
結構いろんな人に、
40代しんどかったですか、
アンケートしてたら、
意外とみんなやっぱり40代しんどいねっていう、
大人なのに大人になりきれないみたいなのがあって、
でも40代をどう生きるかで、
50代って違うなと思っていて、
僕が注目している、
自分の先輩が4人いるんですよ。
それが、まず秋元さんが47歳でAKBがデビューして、
AKBデビューしてから結構ブレイクするまで、
3、4年かかってるんで、
秋元さんはAKBが本当にブレイクし始めていたら、
50代くらいですよね。
で、鶴部さんは、
50代、
50歳から落語を始めてるんですね、
また改めて落語を始めてて、
で、
伊丹十三さん、
僕お会いしたことはないですけど、
伊丹十三さんが51歳から映画を撮られて、
そして伊藤さん、
ほぼ日を始めたのが、
そうですね、50歳ですね、
49ですけどね。
その4人とも、
人生2回目生きてるっていう、
意識ないかもしれないですけど、
50代になって、
まあ、秋元さん、なんですかね、
自分がやってきたことと同じように見えて、
ちょっとずらしてるっていう感じがあってですね、
50代の生き方がすごい面白いなって思ってて、
自分の中で50代をどう生きるかっていうのが、
テーマだったんですよ。
はいはい。
で、前回伊丹さんにお会いしたときは、
まだ完全に決めきってなかったんですけど、
でも50になったらやめたいなと思って、
48歳の時に、
思ったんですけど、
コロナ禍があって、
そんなこと言ってる場合じゃなくなっちゃって、
でもちょっと落ち着いてきて、
今年の春ぐらいに、
自分の胸の奥にしまっていたものが、
わーって湧いてきて、
で、やりたいこと分のよりも、
まずやめようっていうのが先だったんですよね。
テレビもだんだん見え方も位置も変わってきた中で、
自分がまずやめようっていう風に思ったんですけど、
伊藤さんはほぼ日を、
あの年で始めたきっかけは何だったんですかね。
そうですね。
そうですね。
確かに僕も似たようなところがあって、
やめようの方が先にあったんじゃないでしょうかね。
それは、
広告の世界、
コピーライター、
コピーライター、
コピーライターを、
だから思うようにいかないっていうのはいつもそうなんですけど、
30代になると一回、
自分が力があるような気がするじゃないですか。
いや本当に自由にやれてるって思いがちですよね。
思いがちですよね。
一回思うんだけど、
でもそれが幻であることに気づく。
そうね。
幻、
というか、
大きい輪の中の輪ですよね。
外の輪の方が広いって思うわけですよね。
で、
それ若い時だと、
自分の見えてる輪の外側の輪について、
バカにしたり戦ったりしているだけで元気になれるんですよ。
みんな分かってないって言えるわけですよね。
でも、
30になると本当に力が出ちゃうんで、
自分の見えてる輪も相当広くなるんですよね。
で、
こんなところで遊んでるっていうのが、
ある種の全能感があって、
それはもう小説書いてる人とかもそうだと思うんだけど、
登場人物全部思うように動かして、
世界も動作したっていいわけだから。
この全能感は漫画家でも映画監督でもみんな持ってると思うんですけど、
でも、
それ作る予算はどうするの?みたいな。
あるいは、
お前なんか言ってるけど、
それ見たことないんだよ俺はっていうやつとか、
え、
あんちゃんどっから来たの?っていう人だらけで、
実際の数はそっちから来る。
そういう人たちが多いわけですね。
で、
通用しねーっていうのに思い知らされるのが多分、
30代から40代の。
そうですよね。
仕事と認知度の反面
で、40代になってよりそれを通列に感じてきて。
それ、
役年と重なってるんですよ。
40。
ああ。
で、
男たちは大体、
確か41で明けるのかな。
はい。
で、
そういえばあの時怪我したとか苦しんだとか、
病気になったとか、
まあ、
その全能感のある時期に、
思いっきり無茶してますから、
病気にもなりますよね。
寝ないで働いたり。
そうですね。
そういうバカな無茶をしてるから。
で、
ボロボロっとなって、
気がついてみたら、
案外俺って通用しないなっていうことを感じるわけで。
40代何されてましたか?
40代はだから本当に今、
鈴木さんがおっしゃったような気分が、
やめようかなっていう気分の前触れがあって、
はい。
それこそ、
木村拓哉君と釣りをしてたのが、
40代の半ばです。
だから20代でとんでもないのが出てきたな、
みたいのがそのくらい。
マザー2とか。
マザー2は大体その頃なんですけどね。
でも、
あんまり仕事をしたからって言って、
自分が、
俺はできるって思うこともあんまりなくて、
うん。
その、
産んだ子供ってやっぱり、
ゲームにせよ、広告にせよ、
産んだ途端に離れちゃうんですよ。
そうですね。
だから、あれやった俺だよっていうつもりもあんまりなくて、
うん。
そしたら嬉しいなぐらいで、
逆に意識はなかったんで、
うん。
次のことを考えるときに、
あれ?
うまくいくとは限らないなっていう。
うん。
それが、
なんかだんだん感じるようになってきて、
うん。
40代はだから、
もう一回モラトリアムに近くなったんじゃないでしょうかね。
なるほど。
うん。で、
勉強したくなったですね、やっぱり。
うん。
ですから、
後に、
それは仕事にもなるけど、
うん。
今まで遠ざけてたような、
会社の勤めてる人が読むような本っていうのを、
はい。
読んでみようかなって思ったり、
うん。
あるいはその、
釣りにしてもね、あれ、
全部ノウハウとマニュアルと、
うん。
そう、知識と技術のものだから、
学び直しを自分が果たしてできるだろうかっていうのが、
うん。
40代をずっと自分に課してたことですね。
作詞?
はい。
その辺がもう20代です。
あれは30になったかならないかぐらい。
そうですか。
はい。
僕がすごく共感するところでもあるんですけど、
はい。
仕事をして、
ブレイクしたことによって、
うん。
認知度が出て、
はい。
例えばその顔が世間に分かるっていう部分が、
はい。
糸井さんも、
僕はもう子供の頃に、
糸井さんって顔も分かったんで、
はい。
で、僕もありがたいことに、
そういう存在ではあったんですけど、
はい。
やっぱこういう作り手が、
うん。
認知度が出ることによって、
うん。
得する部分もあるんですけど、
うん。
厄介な部分ってすごくあるじゃないですか。
それはそうですよね。
すごいありますよね。
うん。
得することも多いけど、
うん。
なんか逆に嫉妬も多いだろうし、
うん。
あいつちゃんとやってんのかって思う、
うん。
ちゃんとやってんのに、
うん。
必要以上にそれを疑われたりとか、
はい。
そういう部分ってあるじゃないですか。
はいはい。
そういう部分で苦しいんだというか、
思い悩むことはありましたか。
それはもう苦しむのも、
うん。
意識はしなかったですね。
うん。
その苦しいに決まってるみたいなとこがあるんで、
うん。
うん。
うん。
うん。
だから意識はしなかったですけど、
うん。
だから意識はしなかったですけど、
実際にはそのときに、
うん。
ほとんどの嫌な思いは、
うん。
その知られたことによって起こりますから、
うん。
うん。
だからそれはよかったことがはっきりあって、
うん。
表面に出てる人たちの気持ちが分かるんですよ。
うんうん。
そうですね。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
そのおかげで、
うん。
僕は出てる側の人間じゃないんですけど、
うん。
もしかしたら通訳ができるんですよね。
うんうんうん。
で、
出ない側で一生懸命やってる人たちのやってることや苦労してることとか全部わかるんで
両側の貿易ができるっていう意味では
自分が出たことっていうのは後のことを考えると良かったと思うんですね
今はその良かったことのなんか要因みたいなものを
もう一回焚き付けで火をつけて燃やしてる気がしますね
でその40代でモヤモヤしてる自分がいて
そっから正直ほぼ日を始めた時に
これは伊藤さんが何をしようとしてるんだろうっていう
僕は全貌がまだあの頃多分伊藤さんがやってることが早すぎて
わからなかったんですけど
なんであれをやろうと思ったんですか
一つの出会い
僕はわからなかったんです
そうなんですか
僕は大体やり始める時はわからないんです
先の見えてることはあんまりしたことがないんです
何をしようと思ったんですか
あの自分が面白いと思ってるものを人に伝えると喜ばれるっていうことが
インターネットってものと出会ってできるなっていうことが一つ
だからほぼ日の原型中の原型は年に1回出してた年賀状ですね
年賀状に例えば協業と実業って言うけど
星空を見てる時に秘釈の形につなげられるよねって考えるのって
勝手につなげてるだけで星は全部バラバラにあるわけで
それを秘釈だって思ったり大熊座だと思ったりするのは虚ですよね
でも空に熊が現れるじゃないですか
それはいいじゃないそれっていうような文章を
お正月の願いに書くわけですよ
すごいメッセージ性がある
今自分はこれを面白いと思ってるっていうこと
そうそうそうそう
自分がやってることも巨業なんだけど
そういうことなんじゃないのかなっていうのを出すと
僕と知り合いの人が読むわけだから
あれ良かったですねとか言ってくれるわけです
雑誌にそんなものを書く場所ないんですよ
好き勝手にただもう一度ことだけ書きたいときに書くようなんてないんです
当時はねツイッターも何もないときに
だからその年賀状でやってるのがそういえばウケてるなとか思ってたんで
このインターネットっていうので
書き放題なんだって思って
でそういう場所を作りたかった
若手応援
で高校から離れてそれを作る倉屈みたいなものを作ろうとして
一軒家に引っ越しして3階建ての民家があって
そこでほぼ日を始めるっていうのをスタートさせたんで
何で食えるかも分かんなかったし
どうなりたいのも分かんなくて
目処は一つあって
野球場に行ってることが僕は
多いんで
あそこに4万人が入ってるんですね
4万人の人が集まってる場所っていうのは
ビール売ってても仕事になるし
プログラム売ってても仕事になるし
野球やってるボール披露やってても仕事になる
あんなに大勢の人を4万人って食わせていけるんだと思って
すごいな4万人になったら俺は何にも考えなくても何でもできるよと思って
メディアをノックしなくても
勝手に
4万人が毎日来る場所を作ろうと思って
それがすごいよな
4万人ってすごいじゃないですか
でもメディアやってると
例えばテレビだと何百万人何千万人
たかたか4万人って言うんですけど
今はもう本当に
1000人コアなフォロワーがいれば
ご飯が食べれるじゃないですか
でもまだその4万人というものに対しての
4万人の熱狂っていうものが
すごい自分にとってやりたいことができて
ビジネスになるっていうのが
まだ世の中
そんなになかったんですよね
そうかもしれないですね
だから何するかっていうのを
いろんな人が心配しているのことを言ってくれたけど
やっぱりやる気をそがれるんですよね
リアリズムで聞くと
だから僕が
ここ数年
特に40代になってからより
テレビの人と
ご飯に行かなくなったんですよ
行かなくなって
それで知り合いのお相撲の人がいたり
何人がいたりとか
気づくと結局僕
30代の時は芸人さんの
若い人と飲んでて
40代になるとお相撲だったり
いろんな若い人たちと
飲んでる
無理してないんですよ
だけどまさに
普段仕事してる人は別に会議で
話せばいいんですけど
テレビの人と話してたらついつい
愚痴が多くなったり
まさにやる気をそがれてしまう
っていうことが
多くなってしまうことが
なったんで
それは良くないなと思って
だからやる気をそがれないような
飲み方とか
ご飯を食べようって思ったんですよね
それがすごい意識して
でもそうですよね
そうですね
だから目的があって
そこにたどり着くために
いろんなことをするのは
これはこれでやらなきゃいけないこと
いっぱいあるんですけど
でも全部が枠が決まってて
その枠に合わせて人が動くっていうのは
自分じゃなくてもいいことが
どんどん増やしていく
いかなきゃいけないわけですよ
いや僕ね
仕事を辞めるということの一個の
着火点の一個は
糸井さんがあって
その糸井さんの生き方もそうなんですけど
僕ほぼ日で退団させてもらったじゃないですか
ってもらった時に
アースボールを
社員の人たちがずらっといましたよね
アースボールをうちの子供がね
買ってって話をした時に
アースボール作ったの誰だっけ
って手を挙げてそのチームがいて
めちゃくちゃキラキラしてたんですよ
目が
あそこにいた人たちが20代とか30代とかですよね
すんごいキラキラしてて
そのキラキラしてる人たちの環境と
あとそこと繋がっている糸井さんの関係が
僕はすっごい羨ましくて
だから自分もこの後若手応援するっていうことを
やろうかなと思ってるんですけど
やっぱこういう関係を作るっていうのが
ものすごい羨ましいなと思ったんですよ
すごいですもんキラキラしてて
嬉しいですね
そういうその自分とこの若い人とかが褒められるのって
一番のなんか作品ですよね
あのゲームが良かったとか
あのコピーがいいとかっていうのよりも
例えばビルがうち今2つに分かれてるんだけど
間違ってこっちに行った人が
キョロキョロしてたら
あれを探しですかって聞かれて
でその人に案内してもらいました
っていう話があって
でうちの子がこっちのビルの子が
あっちのビルに案内した歩いて
それ本当に嬉しかったですって言われると
作り手の選択
みんなこと教えてないじゃないですか
教えてないことで喜ばれてるってことが
嬉しいんですよねやっぱりね
40代で始めて
その時はその前の仕事はフェイドアウトしてたんですか
基本的に辞めましたね
そうなんですか
引き受けなくなった
それは覚悟もあって
あのね一回一回
経験があって
作詞を辞めるときは同じだったんですよ
作詞を辞めるときも
俺辞めたって言ったら
だいたい1ヶ月ぐらいで
注文来なくなったんですよ
で結構売れてたんですよ
それなりにね
でもみんな言ってくることは
同じような望みなんで
当たりたいに決まってるじゃないですか
紅白でレコード大賞
そういう歌い手と
俺と作曲家と
その組み合わせで
そんな1位いかないよっていうのを
みんな1位1位っていう
そこにもうなんかめんどくさいなと思って
辞めたって言って
みんなに伝えておいてくださいって言ったら
本当に来なくなって
そんなもんなんだなって思った
でコピーライターについても
そんな風に来なければ別にしなければいいんだし
来ても今やってないんですよって言えばいいんで
だから何にも宣言するとかっていう
コピーライターについても
落とした覚えもないかも
でも周りの人にはもう辞めるみたいなことで
伝わりますもんね
逃げたとか言われましたよやっぱり
僕も結構言われてます
テレビのこういう状況になって
いい時に逃げたなみたいな
いやいい時に逃げたんじゃないよっていう
本当に僕は思ってるのが
やっぱこう50代の
作り手とかしんどくなってくると思うんですけど
テレビの人ってテレビに非常にこだわったりとか
するんで
器用じゃないですかみんな
だから僕みたいな人間が
他の畑で何かを
ザ放送作家ザテレビな感じだと思うんで
別のことをやりましたって言えば
なんかこう選択肢が
あまりにもみんな少なすぎるんで
特に日本だと
それをなんか与えられないかな
と思ってるところがあるんですけど
伊藤さんがほぼ日作って
そのほぼ日というものも
そうなんですけど組織ですね
組織っていうかチーム
チームを作ったということが
僕にとっては一番羨ましい
それは一番苦手なこと
ですね
そうですよね
苦手なはずですよ
僕もめっちゃ苦手ですもん
フリーってそれが嫌だから
嫌だからフリーやってるんですよ
そうなんですよ
じゃなかったらちゃんと会社で働いてますもんね
そうです
クロラジオは
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