1. 声の大人エレベーター「黒ラヂオ」
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2023-04-10 24:20

Session10:周防正行×玉川奈々福(前篇)

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人生の偶然、とは?

深くないようで深い、いい加減なようで意外と真面目なトークセッション。今回は映画監督・周防正行さんと浪曲師・玉川奈々福さんが登場。映画『カツベン!』(2019)を準備する際に、奈々福さんに出会い、その後数ヶ月間は追っかけをしたというほど玉川さんの語りに惚れ込んだと語る周防監督。今回は2人の出会いから、お互いがなぜこの仕事を選んだのか、どういった経緯でのめり込んでいったのか、などをたっぷり語っていただきました。


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ストップ!20歳未満飲酒・飲酒運転。

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もときさんに出会ったので、もときさんでお客さんをいっぱい呼べる映画を作らなきゃダメだという使命を。使命感で。日本映画がこのままだと本当に誰にも相手にされなくなると思い込んでですね。もときさんでヒット映画を作ろうと思ったんですよ。で、目をつけたのは、もときさんを裸にしてやれっていう。
もときさんを裸にしてやれ!だけど、もときさんを裸にするのに、何か良い必然というか、裸にならなければいけない理由を探そう。何かないのかなと思った時に、土俵に上がれば回し一丁だって思ったんですよ。
そういう経路ですか?
そうなんですよ。
おー、びっくりだ。
びっくりですよね。
びっくりだ。
自分でも話しながら、こんな行き当たりばったりで。なんか表現したい自分の中に覚悟があるとかじゃなくて、その時出会ったその世界にどうやってアプローチするのかっていうことが表現なんですよ。
大人とは、幸せとは、人間とは。人生のあれこれが聞けば聞くほどますますわからなくなる。
深くないようで深い。いい加減なようで意外と真面目なトークセッション。声の大人エレベーター。黒ラジオ。
本日は私、映画監督、須尾雅之と。
老極氏、玉川七福の2人でお送りいたします。
七福さんは神奈川県出身の老極氏、極氏。老極氏と極氏って違うんで、この話はきっと後で出てきますね。
1995年7月、2代目玉川福太郎に入門。
三味線の修行をしていたが、氏の勧めにより2001年より老極氏としても活動。
2006年12月、芸名を美穂子から七福に改めなびろめ。
様々な老極イベントをプロデュースするほか、自作の新作老極や長編老極も手掛け、他ジャンルの芸能音楽との交流も多岐にわたる。
平成30年、文化庁文化交流士として、イタリア、スロベニア、オーストリア、ハンガリー、ポーランド、キルギス、ウズベキスタンの7ヶ国で講演を行った。
須藤さんは東京都出身の映画監督。大学在学中、映画評論家の霞重彦氏の講義を受けたのをきっかけに、映画監督を志し、自主映画を制作し始める。
1996年のシャルイーダンスでは、第20回日本アカデミー賞最優秀賞13部門独占受賞し、全世界で公開され、ハリウッドリメイク版も制作された。
2018年、立教大学相撲部名誉監督就任。2019年より最新法改正を目指す市民の会共同代表としても活動。
現在、総監督を務める、1992年公開の映画から30年後の教立大学相撲部を描くドラマ、四孔踏んじゃったが、ディズニープラスにて配信中。
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という、ここのプロフィールにもやっぱり相撲部の名誉監督というのが入るわけですね。短いプロフィールの中にも。
僕はロウキョクに対しては子供の頃から何何話節的なこと言ってんだよみたいにして、それは人を揶揄するために使う道具で。
だけどロウキョクなんか聞いたことないのでそう言ってたんですよ。何話節って言い方もしますよね。
でお涙頂戴的なことはみんな全部何話節的と言ってバカにしてた。
悪い例としてしか僕は使ってなかったんですよ。
でそれがたまたま、それはそんな意識的じゃなくて最近は使ってなかったと思うんですけど、その気持ちのままずっと生きてきて絶対そこはどこかに残っている中で生きている中で、
かつべんという映画を準備するときに語りの芸なんで語り芸を一回さらってみようと思っていろんなことを生で見に行くようになった。
でたまたま講談と落語とロウキョクと一緒にやっている催しがあってそこに講談をメインに聞いてたんですよ。
目的は講談だった?
当時はまだ名前解明する前だから今の講談。
松野城さんの?
松野城さんのチケットが取れたのでその回だった。
で行って松野城さんの前に出てきた玉川大福さんに衝撃を受けてしまった。
これ、これロウキョクって。
新作をやってたんですねきっと。
そうです。公務店の上司と部下のお弁当の交換のやつ。
地べたの二人っていうおかず交換。
俺たまげたんですよ。
それまであったロウキョクのイメージを一気に崩してくれて。
何この人。これロウキョクのニューウェーブなの?
でもニューウェーブだとしても俺元知らないと思う。
でもあの、要するにトラゾーさんとかは聞いてるわけですよ。だってコマーシャルでもやってたじゃないですか。
そうですよねパロディーがいっぱい生まれましたからね。
それは僕のロウキョクのイメージそこなんですよ。
それで分かった気になってたわけですよ。
分かった気になってナニアブ主的だよなんつって人を非難してたんですよ。
でも大福さんのそれを聞いた瞬間にちょっとロウキョク見てみたい聞いてみたいと思って
モクバテっていうところに浅草にある。
日本に唯一残ったロウキョクの定石の養成今もやりますね。
そこで結構1日っていうか長くやってるんですよね。
そうです。12時15分から4時過ぎぐらいまでやってます。
そうそれでやって何回か行ってるうちにそれ終わった後にまた大福さんが夜に単独でやるとかそういうのもあってそういうのを見てて
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でそこに通ってロウキョクってこんなに面白い。新作だけではなくていわゆる昔からあるクラシックですよね。
クラシックの定番を聞いてそれこそ個性ですよね。
一人一人違うあの声語りにハマって通ってる中で七福さん出会って。
で七福さんの声に本当に僕の感覚に何か一番あったんだと思って。
ほんと気持ちよくて。で七福さんの語りをすごい気持ちよく聞いたらこの人はまたとんでもなくまたこの人も新作っていうかいろんなことをやってるって分かって
しばらく追っかけをした。数ヶ月追っかけをしたんですよ。
いやびっくりしました。あの時は。どう見てもスウマサユキさんとしか思えない人が木場邸の客席に座ってらっしゃる。
でその時にスウさんが客席にいらっしゃるみたいですけどどなたかお知らせですか呼ばれましたって誰も答えてくれない。
でその時はたまたまいらっしゃるのかなって思ってその2日後あれまたスウさん。
で木場邸だけじゃなくてその後なんか下北沢かなんかで私が出た時にあれ客席にスウさんいらっしゃる。え?え?え?どうしたの?もしかしてろう曲を聴きにいらっしゃるの?って思って。
でそうするうちにNHKのスイッチインタビューによってスウさんが七福さんと話をしたいって言ってくださってるっていうんで行転ですよね。
なんで?
いやだからあの純粋にあの活弁の取材で出会った世界だったんですけど純粋にろう曲っていう表現の世界に魅力を感じたというかもう本当に楽しい。
いや見ててこんなに素直に楽しいってあここの空間にいたいって思えるものに久々に出会ったと思って。
どうしてろう曲師になられたんですか?
選んでないですよね。あのろう曲師になろうって職業を選ぶ人って本当に世の中に少ないと思うんですけどあのよく子供たちのところに行くんですよろう曲やりに小学校とかにこの間も下谷行って子供たちにろう曲聴いてもらったんですけど
特に小学校に行くときに授業でろう曲師が来てそのろう曲を聴くそれからワークショップをするって子供たちにとっては全くわからないし全く興味がないじゃないですか。
でそれでまずこっちを向いてもらうためにキャリア教育から始めるんですよ。
っていうのは皆さんは今ね小学6年生でこれから中学校に行って高校に行く人も就職する人もいるかもしれないし大学に行く人も就職する人もあるかもしれないけれども実は私も
普通に中学高校大学を出て実は会社員になりました出版社に勤めましたで皆様は国語の教科書とか使ってるかもしれないですけどその教科書とかを作っている本を作る出版社に入りました。
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で本を作る仕事をしていたんですけれどもちょっと三味線に興味があって三味線の教室に入ったらプロになりなさいって言われちゃって今こうやってろう曲師としてプロとしてお金を稼いで生活していますので皆さん人生には何が起こるかわからないから油断しちゃいけませんよっていう風に子供たちに言うと子供たちの表情がちょっと変わるんですよ。
というわけでこの入門する前は会社員をやっておりました出版社で出版の仕事をしておりました。
三味線に興味があったっていうのはどういうところからですかね。
三味線に興味があったっていうよりもはまあ私が世の中に出たのってちょうどバブルの頃だったんですよね。
でなんかこうそれこそなんていうのかなフワフワフワフワしていました世の中が自分も地に足をつけて足踏みしめて歩いてる感じがしなかったんです自分が地上から10センチぐらい浮いて歩いてるような感じがずっとつきまとっていてで本を作る仕事をしていても何か自分に確信が持てない。
で付き合う方々は著者の方だったですから知性の宝庫のような方々でこの方々に私ごときがこうこういう本を作りたいです作ってください書いてくださいって言えないんですよね。
だから自分の中に何かもう少し確かなものが欲しいと思ってこれは仕事だけでは足りないから一生続けられる感覚を養える習い事をしたいって思ったんです。
でその時に当時の会社があの蔵前にありましてで蔵前からほど近い浅草に日本老朽協会というのがありましてそこがシャミセン教室を開くっていうのが朝日新聞のベタ記事で出てたんです。
で和物が好きだから和物の習い事をしたいなと思ったけどシャミセン確かに触ったことないししかもその教室は対応してくれる。
シャミセンを貸してくれる。いきなり買うのはハードルが高いけれども貸してくれるんだったら触ってみようかなっていう動機でシャミセン教室に行ったんです。
でゲッシュ払ってただの習い事として行ったんですけれどもそしたら老朽っていう芸は皆さんご存知かどうかわからないんですが落語や講談は一人の芸なんですね。
でも老朽っていうのは一人ではなくて物語を語る老朽師とその横にシャミセンを弾く曲師2人でやっていく芸なんです。
これがさっきプロフィンでした。老朽師で黒丸で曲師。
老朽のシャミセンを弾く人のことを曲師って言うんですけれどもところが昔は老朽は盛んだったので曲師の成り手はいっぱいいたんですけれども曲師が高齢化して成り手が少なくなって供給される術がないわけですよね。
老朽師の成り手さえ少ないわけで。で優しい顔をしたシャミセン教室を開いておいて意欲なりそうな若い者をピックアップして曲師にしてしまおうというミッションがそのシャミセン教室に隠されているのを知らないでうっかり入ってしまって1年も経たないうちに君はプロになりますかって言われてそれもしかも発表会の舞台の上で言われたので
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この聞いてるこの師匠に恥かかせられないなって思ってうっかりその場ではーって言ったのを現地に取られちゃってそれでうちに遊びにおいでってその師匠に言われて遊びに行ったらその時に遊びに行くって言っても稽古していただくから水菓子持ってたんですね。弟子に入るのにこんな水菓子持ってるなって弟子に入るなって言ってないってそれで強制的に引っ張り込まれちゃったのがきっかけです。
やっぱ油断してたんですね。油断でした。
いやその話を聞いてそういう話を僕も小学生の時に聞いておきたかったなと思ったんです。
今僕よく言うんですけど本当に自分のやりたいことを見つけてそのことに邁進してそれを実現するなんていうのは奇跡中の奇跡なんじゃないか。私もそう思います。
だから何かに偶然見出されて自分の生き方が決まるとかそういうこと当然あるしそれも全然OKだよっていうのをもっと若い時に聞いておきたかったなと。
でも本当そうですね。やりたいことを見つけなさいって残酷なことで。
そうなんですよ。
大学出るまで就職しても私やりたいことなんか全然なかったです。
そうさんからね。なんで文学部に入ったんですかみたいな質問もいただいたんですけども。
別にっていう算数できないし他に語学をやりたいって思わないしただ本読むのは嫌いじゃないからとりあえず文学みたいな。
でも振り返ってみると今の仕事に文学が役立ってるっていうこともありますからなんか出会ったものに対して自分自身がとりあえず開いておくことみたいなことは大事かなと思いますね。
そうですよね。まさに僕もそのことを最近若い人の前で話すときには必ずいうことで。
そうですか。
出会った時にそこにちょっと興味があるっていうそれだけでいいから飛び込んでみると本当にいろんなことが見えてくる可能性があるんだ。
今特にあの情報化社会で全部知ったようなつもりになって望んでもその先のことを調べてこんなもんだったらいいかなって思ってやしないかと思ってすごい心配でやっぱりその世界に1回入ってみないことには何も見えてこないし人それぞれによって感じ方違うんでね。
そうですね。
一般的な情報で何かわかった気になるのは損するよって本当に思って。
奈久さんはやっぱりある意味今の職業は選ばれたっていうか選んだじゃなくて選ばれたんですよね。
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引っ張り込まれちゃったっていう気持ちはそれそうじゃないですかそうさの逆にそのねあの大学生の頃映画にたどり着くまでこれが表現自分でやっていこうとも表現だっていう覚悟するまで決意するまでの気持ちの編成みたいなものを教えてもらえますか。
君は大学で何やってたのって言われたらアルバイトと映画館が良いです。
でたまたま授業でははすみしんひこさんに出会えたので強烈な出会いで今でもよく例に挙げるのがフランス文学の実は映画の授業じゃなくてフランス文学の授業で
業館には何も書いてありません。僕それまで業館を読めってずっと言われてたんですよ高校生の時は特に文学作品は業館をいかに読むか。そしたらはすみ先生は業館には何も書いてないんだから読めないでしょこれがもう僕にとっての衝撃だったんです。
彼は何を言ってるかというとまず書いてあるものを読みなさいと。でこれは彼の映画の見方にも共通していて映ってるものをまず見なさい。僕が映画を一生懸命見てた時に言われてた映画批評の流行りっていうのが裏目読みなんですよ。
映画を政治的に読み解く。いろんな形で映画を読み解くんですよ。だから映画は読み物なんですよ。
はすみさんが言ったのは映画は読むものじゃない。見るものだっていう。この映画は見るものですってことと業館には何も書いてありませんっていうのがそれまで僕が考えていたものを見たり読んだりするってことと180度違う。とんでもないことだったんですよ。
僕はもうその時にはすみ先生信者になっちゃう。映画を本当に信じられないぐらいたくさん見ているうちに、はすみ先生の授業を受けているうちに自分でも映画を撮るっていうことを考えてみてもいいんじゃないか。それまでこんなにハードの高いものなかったんです。
映画監督っていうのはやっぱりなんか哲学的に何かきちんと持ってて、本当に深い知識といろんな経験がある人が作るものだと思ってたのが、はすみさん先生の授業を受けているうちに、いや見たいものを撮ればいいだけなんじゃないっていう。すごい短絡的に思っちゃって。
その当時はまだビデオの世界じゃなくて8ミリフィルムっていうもので、藤川シングルエイトとかね。皆さんが家庭で子供の成長とかを撮るために、8ミリフィルムで8ミリカメラで撮ってた。ああいう時代だった。僕もフィルムを手にして。
とはいえね、その時に明らかに今思えばなんですけど、職業としての映画監督を本当に目指したのかっていうと怪しくて。本当にあの時の正直な気持ちを探ると、そんなに好きな映画の世界だったら一度ぐらい覗いてみたいなぐらいなんですよね。実は今思えばそんなもんだったなと思うんですね。
だからそれでたまたま学生時代に手伝ってた劇団、素人劇団に出てた女優さんが新宿のゴールデン街でアルバイトをしていて、そのアルバイトしてる店には高橋晩明さんという監督がよく来るって聞いたんで、彼女に頼んで一度会わせてほしい。
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晩明さんの映画は僕もピンク映画っていう世界だったんですけど大好きで見てたので、じゃあ晩明さんに一回会って頼んでみようと。それが俺の就職活動だと思って会いに行ったらたまたま後でこれも知るんですけど、晩明さんは自分のプロダクションを作って映画を量産し始めていた時期で人がいなかった。
夏前かな会いに行ったら秋から来なよって言われて女監督になるんです。
で女監督をして27歳、だから女監督4年目か5年目ぐらいでそろそろ一本撮ってみないかって声かけてもらった。
そこで僕初めて、これがだから七福さんの質問の答えになってくる。初めて自分で表現しろって。その時に何撮っていいかわからなかったんです。
あ、俺って映画監督になりたいと思ってきっとその時に何か表現したいことあったのかな。
自分の中でこれを表現したいなんていうものは実はどこにもなかったんじゃないかっていうのをそこで突きつけられるんです。何撮っていいかわかんない。何していいかわかんない。
お前撮っていいぞって言われた瞬間に、そのために僕はずっと女監督をしてたはずなのに撮れって言われた瞬間に何を?って自分でこれは衝撃でした。
だけど映画監督ですからこのチャンス伸ばすわけにいかないじゃないですか。
とりあえず何を撮ったらいいんだって本当に突き詰めて考えた初めてがそこだったんです。
でやっぱり自分が好きな世界についてこう思ってるんだってことを表現する以外何もないなと思ったんですよ。
じゃあ僕一体何が好きなんだろうと思ったら、鈴木誠二を経てその頃はもう小枝素次郎が大好きだったんです。
もうだったら小枝素次郎やってやろう。だけど小枝素次郎をやるっていうことはその時の僕にとっては
僕が感じる小枝素次郎のすべてを僕の映画表現として出す以前にとにかく小枝素次郎のようなものをやってみたいだったんです結局はね。
でその時徹底して真似するっていう。オマージュなんていうものでもなければパロディーもなくて
とにかく小枝素次郎をやってみるっていう。でやってみるために何をするかというと徹底して分析してできることは何でもやろうと。
ただ問題はスクリーンのサイズ。小枝素次郎作品ってスタンダードサイズっていう。
まあ昔のテレビ、これも比喩が全然難しくなってきちゃったけど。割に正方形っていうか正方形に近いサイズなんですよね。
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今はもっと横に長いじゃないですか。でピンク映画は横に長かったんですよね。
スクリーンのサイズ違うんでもうすでにそこでオズじゃないんですよ。
だけどオズさんがやってるスタイルをできうる限り取り入れて一本作ってみる。
ってことをやった。楽しかった。だってそれは大好きなオズさんを徹底的に真似して
毎日それをスタッフと一緒に作り上げていくっていう作業がめちゃくちゃ楽しかった。
で監督するときに決めたことはもう一つあってこれ監督してやってみてつまんなかったらやめようと思ったんですよ。
別にそこまで追い詰められてた。お前撮れって言われて。だって何撮っていいかわかんないんだよ。
撮りようがないじゃないですか。だけどこれやってみて映画監督ってつまんないなと思ったらもうやめようと思って望んだら
結局5日間かかったんですけどこんなに楽しい毎日を過ごしたことがなかった。楽しかったんですよ。
寝なくても嬉しい。今日も僕のために晴れてるなって思いながらできてあんなに今でも思いますけど
一番楽しかった時はいつかって聞かれたら多分初めて映画撮ったあの日々だと思います。
そうですか。
もうね何も怖くないっていうか何も恐れないっていうか。
あのあまり深夜にまで渡ったんで借りていたロケ場所を警察用って言われて追い出されたにも変わらずそれすらが楽しかった。
ここ今追い出されるんだったらじゃあワンカットだけあとここで撮らせてください。
それ撮ったら次の場所どこ行っても大丈夫なにしますとかって言って
現場で数分考えてそこを切り上げるカットを考えて撮ってさあ撤収とか言って逃げるようにして
知り合いの人の稽古場に行ってその続き撮るんですけど
なんかねそういう日々は今こうやって話しててもすごい楽しい。
強烈にそれがあるんですね。
あります。であんなに楽しい映画作りの現場あれ以来ないですよね。
あれを超える楽しさ。
でもそれに支えられてるんですねやっぱり。
ここで前編が終了ということですがいやなんか熱弁っていうか。
かつべん熱弁。
本当になんか自分で唸ってる気分になっちゃう。
それぐらい俺すごい声が高くなったんじゃないかと思うぐらい。
止まらないですね。
熱弁してました。
次回は4月下旬に七福さんとの黒ラジオ後編をリリース予定です。
お楽しみに。
お楽しみに。
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