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2024-03-31 10:50

声日記・何におけるも感覚の調整だと思った日。

今日も声日記。これからも声日記かも。感覚の調整ができると、いろんな物事がうまくいったりするんだけれどな、と思った日の話です。

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はい、こんにちは。くじもぐらのひとみです。小学校受験の経営をしたり、くじもぐらというバンドで音楽活動をしたりしております。
今日は、何におけるも感覚の調整という話をしたいと思いますが、感覚の調整みたいなことを、今日めちゃくちゃ強く思ったんですよ。
これ、なんか思いすぎると、なんか物作りとかちょっと進まなくなって、いい傾向ではないんだけど、
けど、なんか常に考えとか、なきゃいけないことかなっていう内容。
例えば、小学校受験のね、教材を作っている時にね、なんかこう、生徒さんがこんなもの欲しいだろうなっていう、
いわゆる需要ですかね、っていうのと、自分が作りたいものの距離感みたいなやつですね。
なんかこう需要とアート、なんか作りたいものって結局、英語じゃないけれど、アートだったり自分表現だったりするもんだから、そういうバランスっていうんでしょうかね。
そう、でもなんか全部需要でね、売れるもの売れるものみたいに考えたら、もう一個もつまんない。
だって一個も面白くなくって。
で、なんかもうデータだったら、そんなものAIにやってもらえばいいわけで、そうじゃなくって、これはもう自己表現だから、本当に。
教材がもしね、AIでバーンって作れるようになってしまったら、なんかどこまで任せるからかな。
なんかこう、やっぱりそこは自己表現なんですよね。
しないといけない部分で。
こういうの人間だからかなって思うんだけど。
そう。
だけどね、自己表現の塊ばっかりになったら、もうエゴな教材なんですよね。
漫画描いてた時もそうで、もうなんか芸術志向みたいに走っちゃったら、もうそれはね、なんか巨匠がやれる位置なんですよ、そのあたりってね。
やっぱりエンタメっていうのをわかりやすく提供しなきゃいけないのに、昔はそうじゃなかったんですよね。
じゃあ、昔は芸術志向だったんですねって言うと、そうじゃなくって。
昔ほんと私ね、面白くない漫画があったんですよ。
あのね、道徳の教科書みたいになっちゃうのね。
どうしてもね、なんかね、なんか今講師やってて、めちゃくちゃ合ってるのかなって思うんですよ。
何かをすぐ教えようとしてしまって、そんなのあまり面白くないじゃないですか。
でね、今なんかボーカルの教室行ってるんですけど。
先生2人習っててね。
これちょっと理由があって、お一人の先生もすごくよくて、ずっと長い間習っているんですけど。
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もう一人、ちょっとね、その一人の先生が月に1回になっちゃったんですよね、東京行かれて。
そう、なのでもうちょっと見てほしいなとかいう思いとかもあって、グループレッスンだったらいいかなと思って。
で、グループレッスンの、しかもオンラインだから、ちょっとこう、もう一人の先生申し訳ないんだけど、ちょっとお手軽感みたいなところもあって。
入らせていただいて、でもかなりしっかり見ていただけてるんですけどね。
でもね、これね、もう分かってたんだけど、全然違うこと言うんですよ、お二人とも。
だよね、っていうね。
これだから、もちろん一人の先生にもう一人の先生のことを言わないですよ。
なんだけど、自分でうまく調整していいとこ取っていかなきゃな、どっちもできるようにならなきゃなっていう風な学びが今あるわけですけど。
なんかね、それも自分自身の調整みたいなとこですよね。
それも感覚の調整すごくいるなって思うんですよ。
誰にも聞けないし、誰にも答えがないっていうやつですね。
で、昔ね、差し出し方の教室っていう本を読んで、これもうすごい学びになったんだけれども、動物の展示方法とかね、
なんかそういうのもなんでも差し出し方間違えたらうまくいかないみたいなね。
それめっちゃ面白くて本当に。
例えば動物がジャングルになって、
動物っていうものが自然の中でね、どう生きているのかっていうのを見てほしい。
だけどそれがもうめちゃくちゃそっちに寄っちゃったら、
もう完全にエンタメ要素なくって、ジャングルになるじゃないですか。
かといって、じゃあもうエンタメ要素ばっかりだったら、
なんかもうサーカス寄りになっていくのかな。
なんか不自然な感じにはなるのかなって思うしね。
で、なんか子育てでもそれ思うんですよね。
どこで怒るかとか、どこで褒めるかみたいな。
子供との距離感。
子供大きくなってきて、それはね、昔はね、もうゲームの時間とかいろいろ決めてましたよ。
でもそんなの、もう中高生になったらもう自分の自己管理じゃないですか。
だからもう言わないですけど、そういう調整みたいなとかって、
距離感じゃないですか、感覚を調整しなきゃいけない。
そこまではいいよって、そこまではちょっとダメだよねっていう感覚の調整。
もうなんか全部ひっくるめて、そういうのなんかすごく感覚の調整がいるんだなって。
それをね、今日はね、もうなんかね、考えすぎた。
考えすぎると結構しんどくなるんですよね、ものづくりがね。
そういうのって結局ですよね、いろんな世界覗いたり。
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なんかね、私カフェ行くの好きなんですよ。むっちゃくちゃ好きで。
コーヒー飲みに行くんですけど。
そのもう、空間含めてすごく好きで。
やっぱりカフェなんて、距離感を考え詰めた究極の形だと思ってて。
だって空間でしょ。音楽の大きさだったりとか、
何だろう、机の素材だったり、もちろんコーヒーの温度だったり。
なんかもう全てじゃないですか、そういうのセンス身が枯れているものだから、
そういうところに行くとすごく研ぎ澄まされたような感じになるんだけどね。
まあ今日はね、ちょっとものづくり結構しんどくなっちゃったかなと思って。
そんな時にね、私坂口強平さん、ゼロエンハウスとかの、
あの方のツイッターをフォローしてるんですけど、
なんかすごいね、尊敬するんですよね。本当に。
もう羨ましくなっちゃう。もう淡々とものづくりするんですよ。
で、多分なんでそんな距離感に悩むかっていうと、やっぱり人を気にするからだと思うのね。
自分の、もちろん自己表現なんだけど、
まあどっか相手のことを考えなきゃいけないし、
いやでもね、人を気にしないと完全にね、エゴなものになっちゃうし。
いやー難しいんだけど、坂口さんは本当に自分が作りたいものを作ってる。
それでいいって思っていいのかなとかね、まあそれも悩みの一つなんだけど。
いや本当に羨ましくって、すぐね、私その対策作ろうとかやっちゃうわけですよ。
だからこんな距離感じゃないんだけどなーみたいな感じでもの作るじゃないですか。
ああなんか違うんだよなーとか思って。
なんかそういうことをずっと思っちゃうよりは、
もうなんか自分がアウトプットした今日もやりましたっていう、そういう日もあるんだけど、
なんかそうでありたいなって思いますね。
なんか現代社会っていうのは、すごいやっぱりね、距離感近いですよね。
ツイッターであったり、フェイスブックであったり、いろいろね。
私、小学校受験の会社は自分で結構ピタッと当てはまって、
それなりに個人的に本当に小さいですけど、うまくいってて。
でそれは、一つは理由はあって、あの競合相手がいないんですよね。
今のところ。あの小学校受験って言うと塾があって教材もあるんだけど、
私は小学校受験の絵画の分野なんですよね。で絵画だってありますよ。
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けどオンラインになったらずっと少なくって、
オンラインで動画で毎日返すってなったら多分うちしかないんじゃないかと私は思ってて、
そうなるとなんかオンリーワンだから相手がいない。
そうだから結構なんだろうな気持ち楽にこれでいいっていう何かがあるのかなって思うんだけど、
いや距離感っていうのはすごく本当にいろんなことで大事だなって思います。
まあ本当にね自分との実力になんかねギャップに悩んじゃうから、
また淡々と作っていけるっていうところをね目指していきたいなと。
まあ何でもねやっぱりその心地いい場所を目指すっていうのはすごく難しくて、
でも本当はそれが楽しいんですよね。
ものづくりの醍醐味のはずなのに。
だからそこにねいいものを作るっていうかなんか人に認めてもらえるようなものを作らなきゃって思ったら
崩壊するんだろうねきっとね。
そうだから心地いいものを目指すんだけど、
それはあくまで自分が納得する幸せかどうか。
自分が心地いい距離感を目指していけるか。
まあそれがね本当に私の課題だなっていうふうにね思います。
本当坂口さんすごいわってまたあの学ばせてもらったなっていう1日でした。
はいということで、なんかもう声日記ずっと続いてますけど、
ちょっとあの気楽に撮れるのでいいなって思ってます。
また遊びに来てください。
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