1. 空中公演 - Art & Culture and more -
  2. 「読んだ」を考える | 狂気と..
「読んだ」を考える | 狂気と神秘体験 | カメラと身体性
2026-05-30 1:17:02

「読んだ」を考える | 狂気と神秘体験 | カメラと身体性

[語り手]

▼ 松田 翔吾

X: https://x.com/ZhogoW

Instagram: https://www.instagram.com/zhogo_watzuba/


▼ 立花 宗之

X: https://x.com/muneyuki_tachib

Instagram: https://www.instagram.com/muneyuki_tachibana/

Logistics(website): https://logistics.tachibana.muneyuki.org?utm_source=podcast&utm_medium=audio_description&utm_campaign=5cSbGN962Yg


【空中公演メンバー】

▼ 髙橋 良輔

Instagram(Personal): https://www.instagram.com/takhs_works/

Instagram(Shop): https://www.instagram.com/chapter_1_gallery/

Chapter1 Shop HP: https://chapter1-halfway.studio.site/




[チャプター]

久しぶりの「空中公演」とマイク環境の改善

最近の読書生活:本と「100分de名著」の活用

朗読で再発見する宮沢賢治の世界とリアリティ

「読む」行為の身体性と内的な読書体験

ガルシア=マルケス『族長の秋』の構造的な読みにくさと面白さ

AIと現代の事件、そして検索のプロセスについて

AIへの擬人化と依存、対話の手段としての側面

テクノロジーの変遷と失われる人間的な能力への懸念

手触りと無駄な行為が持つ価値

「ググり力」の変遷と、ノートに書くことの重要性

フロイトの研究と脳の認知メカニズム、記号論の話

フィリップ・K・ディックと神秘体験、他者性について

写真撮影における構図と身体的な感覚の合流

写真というメディアへの眼差しと現代写真の課題

デジタル写真における「体験」のレイヤーと履かなさ

現代アートとしての写真と、絵画が持つポテンシャル


#読書 #AI #写真論 #現代アート #哲学 #対談 #ポッドキャスト #宮沢賢治 #ガルシアマルケス #身体性 #メディア論

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

今回の「空中公演」では、マイク環境の改善を機に、松田さんと立花さんが最近の読書体験やテクノロジー、そして写真について語り合いました。松田さんは仕事を辞めてから読書に没頭し、小説の技巧や知的生活に関する書籍、さらにはNHKの「100分de名著」などを活用して知識を深めています。朗読で宮沢賢治の作品に触れたことで、その独特なリアリティや言葉の力を再発見したと語りました。一方、立花さんはガルシア=マルケスの『族長の秋』のような構造的に読みにくい作品に触れつつ、「読む」という行為自体の身体性や内的な体験の重要性について考察を深めています。 AIの進化についても議論が及び、AIへの擬人化や依存、そしてテクノロジーの変遷が人間の能力に与える影響への懸念が示されました。特に、AIが現代の事件の捜査に急速に関与する事例に触れ、AIを「道具」ではなく「生物」として捉えることの危険性や、人間が自ら考えることの重要性が強調されました。また、手触りのある無駄な行為や、ノートに書くといったアナログな作業の価値も見出されています。 後半では、写真というメディアに焦点を当て、構図と身体感覚の合流、現代写真の課題、そしてデジタル写真における「体験」のレイヤーの薄さについて議論が展開されました。絵画と比較しながら、写真における物語性や、作家の生き方、物質性が持つ強度について考察し、現代アートとしての写真のあり方についても言論が交わされました。神秘体験や狂気といったテーマにも触れ、フィリップ・K・ディックの作品や空海の事例を挙げながら、人間の認識の深淵を探求しました。

久しぶりの「空中公演」とマイク環境の改善
始まりましたか?
始まってしまいました。
久しぶりの空中公演でございます。
すっごい久しぶりだね。
いや、もう2ヶ月ぐらい経ったんじゃね?
そうだね。
最後の時から。
あれからですね。
あれからですね。
ちょっといろいろ2人で考えて、
休めでもいいからマイクを導入しようと。
あまりにも。
みなさんのお耳に耐えうる環境にまずしようかなと。
そうですね、ほんとに。
ワイヤレスイヤホンのマイクで戦ってたからずっと俺。
いや、俺もよ。
俺もなんかずっと有線イヤホンのなんか変な音ずっと吐いてたから。
はい。
大変みなさん失礼しました。
失礼いたしました。
やっとこそはまともな。
はい。
なんかポッドキャストとかもやっていこうかなみたいな感じで。
はい。
ということで、今日はもう何も考えずにふんわりと雑談をするっていう、
まあ伸びないでしょうねっていうやつで。
そうですね。
モチベーションはマイクの環境、やっとできたぜやったーのノリでそのまま撮ってます。
やっとね。
そのモチベーションです。
そうそう。
最近の読書生活:本と「100分de名著」の活用
どうなんだ?やっぱあれか?
最近何してた?みたいなそういう話からなんかな。
ああ、そっか。
僕はですね。
はい。
2ヶ月前に仕事を辞めましてですね。
もうひたすら家にいて、なんか本読んだり散歩したり、酒に酔いつぶれたりみたいな。
もうわけのわからん生活を。
急に書いたような。
何とは言わんけど。
生活をしております僕は。
結構ね、本読むのはね、はかどってて。
なんか、はかどってるといろんな本を買い漁ってる。
マジで。
買い漁りまくってるね。
それは何?どんな本買ったの?もう本当に雑食?
雑食やね。
はいはいはい。
まず、小説の技巧っていう。
いろんな作家がどういう導入をしてんのかみたいな。
小説のね。
なんかね、こんな感じ。
書き出しとか、もう本当にレトリック的なやつだね、文章として。
そうそうそうそう。
とか、ハマトの知的生活。
なんか、いわゆる俺とかムネとか、
創作に携わりながら知的なメディアというか、
そこに楽しみを覚える人間みたいなものを知的生活みたいな感じで言ってるんやけど。
なるほどね。
そういうのとか、セザンヌロン。
これ300円で書いたのよ。
お得。
バージニアウルフとか。
バージニアウルフ。
石室レトコさんやったっけな。
向尾田久二子とか。
向尾田久二子。
それこそ柳曽越、夏銘とか。
めっちゃ買ってんな。
中古しか買ってないみたいな。
はいはい。
なんかあれだね、ドキュメンタリーというか、本当に幅広いね。
今なんか横断したね、ジャンルを。
なんかいろいろ買ってるね。
なんかやっぱり、小説だけ読むっていう感じでもないというか、
なんか小説ってやっぱ物語って疲れるじゃん。
まあね。
うん。
なんていうか。
だからなんかいろんなエッセイ集とかも読んだりするんやけど、
なんかそれこそ最近思ったのが、読むって何よっていう。
なるほど。
そのことについて結構なんか考えてて、
なんか最後まで痛感して全て読むっていうことが、読むっていうことになるのかどうかみたいな。
多分そもそもそこからの定義を考えてみるみたいな。
まあそうよね。
ことを考えてて。
まあなんか読むっていう行為というか、そのものっていうのは主観的なものなのよね。
とても。
最後まで読んだかどうかみたいなことっていうのは。
ただそれも非常に大事というか、
まあそこがそもそもの、なんか読むっていう行為の起点になると思うんやけど、
なんかその人生で、というかこの自分の短い1年とかのスケールの間で、
そのいろんなものを知りたいとか、なんか全然そのそっちまで行けないなみたいな、その読めないなみたいなものって、
数多くあるじゃん。
数多くある。
だから、なんかNHKパックとか、なんかUNEXTとかいろいろAmazonとかであるんやけど、
なんかそれで100分で名著みたいなのがあるじゃん。
あれを買って、1ヶ月間なんか暇なとき見てたりするんやけど、
やっぱああいうのもいいなって思ったりとか、なんかブッダの言葉とかね。
なんか結構なんかね、いいのよ、あれ。
NHK強いよね、その辺は。宝の山やで、あそこは。
なんか専門家がみたいなのもあるし、ただそういうのも使いながらみたいな、
もういろんな、1日に3、4冊閉読してるみたいな感じ。
ええね、楽しい。楽しい。贅沢。そんな千人みたいな生活してる。
そう。
いいな。
寝るときとかは、久保田明さんっていう情熱大陸とかのナレーションの人。
多分聞いたら一発でわかるんやけど。
声、いい声の人や。
そう。その人が宮沢賢治とか芥川とか、そういう名作文学的なものを朗読してるのよ。
たぶんまあ、100年とか著作権的なあれで、たぶんそういうことなんやと思うんやけど。
朗読で再発見する宮沢賢治の世界とリアリティ
いやー、宮沢賢治エグいよ。
贅沢や。
なんか朗読で聞いたら、いや、宮沢賢治のエグさをやっぱ痛感したね。
すごい、ほんとにすごい。
やっぱ体験としてだいぶ違うと思うよね。その朗読でかつその美声というか。
どちらかというと、演劇とかそういうのを鑑賞するのと近いような感覚というか。
そういうふうにちょっとやっぱ、その人の朗読って俺は感じとるんだけど、なんかどういうふうに違うとかある?
自分で言うのと。
例えば、なんかどんぐりと山猫っていう。
これも久保田明さんが朗読してるやつなんやけど。
おかしなはがきがある土曜日の夕方、一郎のうちに来ました。
かねた一郎さま、9月19日。あなたはごきげんよろしいほで、けっこです。みたいな。
最初のね。
そうそう。
わかるわかる。
あの、いわゆる山猫が日本の、日本というか人間の言葉を使って、一郎くんに手紙を送ってるんやけど、
一郎、その山猫の書く言葉が、文章が下手なんだと。
で、なんかこういうのも妙なそのうまさを感じるというか。
あー、なるほどね。
なんか、本来、俺がこう普通に読むときって、
この時代のバイアスもかかり、これが日本語的なのかとか、
これはただ単純に下手っていう認識でいいのかな、みたいな。
なんか、そのまま素通りしてしまう文章なのよ、たぶん俺は。
ただ、こう朗読で聞いたら、あ、そうよね、みたいな。
その下手さえだよね、みたいな感じがあったりとか。
確かに。
頭の中でこう流して、意味だけで、これは下手な文章だ、みたいな風にはっつけて、
そうそう。
次に進んじゃってるみたいなね。
そうそうそうそう。
そうなのよ、とかね。
結構、宮沢賢治の本って、なんか構造的に見てみたら、
割とその化け物が出てきたりとかするのよ、宮沢賢治って、急に。
そういうのが、なんかすごい、なんかこういう、やっぱり化け物なんやなというか。
あー、リアリティがね。
朗読で聞いてたら、そのリアリティがグッとくるみたいな。
うん。
宮沢賢治はたぶんすごい相性がいいと思う。
なんか、宮沢賢治の文章って、俺が思うには、そのイメージをする必要がない文章なのよ。
あー。
なんというか、俺もあんまり本読んでるときに、その文章の中で、
どういう、その人がどんな顔をしていて、みたいなイメージができんタイプの人間で。
なるほどね。
なんか、そういうイメージを求める、もう言葉だけで、その読ませるみたいな。
がすごくて。
はい。
なんか、その、いわゆる言ってみたら、その映像化できないやつみたいな感じなのよ。
そうだね。映像の向こう側の職者というか、写実というか。
うん。
なんか、もうすごいよ。なんか、もう全然普通にどんぐりと話してたりするからね。
なんか、どんぐりというか、その、リスとかモミの木とかと普通に喋ってるみたいなところがあるから。
うん。
あの、ありえないことを担保してるのは、そのイチロー君っていう子供であるっていうことので、それを担保させてるみたいな。
のがあったりとか。
構造的にね。
構造的にするのよね。
なるほど。
ぜひ、読んでみてください。
はい。
どんぐりと山猫。
そうね。
めちゃくちゃいいから、YouTubeで見れるし、読めるし。
そうだね。たぶん名前と、その、あの、タイトルで出てくるだろうし。
確かにね。
まあ、だから、そのリアリティだよね。そこの部分のさ。
「読む」行為の身体性と内的な読書体験
うん。
その、声にさ、自分でさ、音読というか、まあ、頭の中でもいいけど。
うん。
出した時の、その、身体性を伴う、自分の中の身体性を伴う、その、リアリティと。
うん。
うん。
その、読み上げられた時のリアリティと。
うん。
たぶん、向かってる先は違うけど、その生き方が違うみたいなさ、ところがすごくあるなと思って。
で、たぶんこれをこう、さっきのしょうごの、文字をそのまま文字としてっていうところ。
ビジュアルとしてじゃなくて、みたいな話ともさ、関係あると思うんだけど。
うんうん。
やっぱりその、ビジュアル、俺は逆だから、あの、ほんとに。
あの、いちいち、その、文字を、その、図にしたりして、なんとか無理矢理こう、理解するみたいなタイプだからさ。
うんうんうん。
まあ、その。
たぶんそれはすごい、なんか、読み方としては、あの、いわゆる欧米的というか。
うん、だと思う。非常に。
本来、本来のっていう。
そうそうそう。
うん。
いわゆるその、ガタガタするというかね。
いわゆるその、本来文字として、意味として、それこそ意味の奥にある、その、言語化不可能なふわふわしたものを、言語でなんとか表現しようとしたものを、もっとガタガタにする作業だから。
うんうんうん。
そう、すごくこう、直接的ではないんだけど。
うん。
うん。
まあ、ただその中で語読とか、その中で発生する、自分の中だけで発生するリアリティみたいなものっていうのを、まあ、誤作動させるみたいな狙いはあるんやけど。
うん。
ね、ただね、それって結構自分の中だけで収まっちゃうから、外に行けないんだよね。
うん。
でも、なんか、そういう読み方はもう全然ありやなーってなんか、最近俺は、なんか思い出したね。
はいはい。
これ、本って一つの世界じゃん。
で、本とつながるのも自分の世界っていうところもあるから。
うん。
なんか、いちいちこれを、その、ちゃんと追っていく、追っていくっていうか、事実を確認していくみたいな読み方とも、もあるし。
うん。
まあ、よりその、なんていうか、内的な読書体験としては、なんか別に、その、読み間違えてるみたいな世界は全然あっていいと思う。
確かに。
うん。
読み間違えたいし。
ガルシアマルケスの、何やったっけ、俗調の秋。
ガルシア=マルケス『族長の秋』の構造的な読みにくさと面白さ
俗調の秋。
なんか、ガルシアマルケスが、まあ、何年もかかって書き上げたみたいな本なんやけど、いわゆる独裁国家、もうその大統領がいてて。
ほう。
で、その大統領が、まあ、の、その、生まれてからのこの方を、ただただ書いていくっていう本なんやけど。
ほう。
この本って、その一人称じゃないのよ。
ほう。
独白的なスタイルではないのよね、まず。
うんうんうん。
なんか、この本の文章の中で、急に割れ割れててきたりとか、折れててきたりとか、なんか、そういういろんな、その自認称が出てくるわけよ。
へえ。
いわゆるこれは、その、大統領というか、国全体としての集合意識みたいな風に書かれてて。
なるほど。
うん。
だから、なんか、その、国自体が生き物としてあったときに、みたいな感じなのよ。
うん。
だから、急に割れ割れててきたりとか、で、そこに段落もないからさ。
うんうんうん。
え、これマジでどういう意味、どういう意味、どっから戻らないとダメなの?みたいな。
なるほど。
そればっかりで、非常に、俺的には読みにくい。
うん。
この、族長の秋の空気に、自分を、こう、下ろしていくには非常に難しい。
うんうんうん。
だから、もう、諦めて、あ、こうなんだな、みたいな。
その、前後関係もよく分かってないけど、みたいな感じで、読んでたりとかするんやけど。
うんうんうんうんうん。
とかね、そういう本もあるから。
まあ、面白いね、それもね。
うん。
なんか、まあ、それこそ、自分の体の中だけで起こらないし、一気にこう論理も破綻するじゃん、頭の中で。
そういうもののさ、こう、リアリティって難しいよね。獲得するのがさ。
うん。
難しい。
難しいよね。
AIと現代の事件、そして検索のプロセスについて
で、また、そうじゃないものもあるしね。なんか、数式みたいな文っていうかさ。
うん。
はいはいはい。
すごく、こう、ロジックである。
論理的なものっていうことなのかな。
なんか、まあ、ちょっと、あんまり具体的な例は、なかなか挙げられないけど、そういう文章もあり、なのかなとも、ちょっと思ったりするんだよね。
あの、ある意味参照地獄を作った上で、その参照する、その参照までの中継点の文章で、なんか読ませるみたいな、そういう変な読み物もあってもおかしくなさそうっていうか。
うん。
現代の文学って、なんかその辺までやってそうだなとか。
うんうんうん。
まあ、なんかすごく。
楽しく、楽しくないでしょ、そんな。
絶対に。
そんな、楽しくない。
読みて地獄だけどね。
そうね。まあまあまあ。
まあでも思ったりとか。
まあでも、なんか読むっていうことにフォーカスをすると、やっぱり、最近だとさ、なんか、まあAIとかでさ、騒がれてさ、
まあこんな感じで雑談感じであんま上げるのも失礼かもしれないけど、
巨人軍の監督さんがさ、退任させられちゃった話があるんやけど、
えっとね、巨人軍の監督さんがいて、その監督さんのご家族の方、姉妹の方がいて、
その姉妹の喧嘩をお父さんである監督の人が仲裁するために話に入ったね。
で、その、お姉さんが、お父さんに対して、今まであんまり反抗しなかったんだけど、すごい言い返したみたいで。
で、それに変わっとなってお父さんが、まあ手を挙げてしまったっていう事件で、
で、ポイントが、その後お姉さんがどう反応したかっていうと、
AIに、その話を、すごく重要な決定の部分をAIに質問して、
で、そのまま児童署にですね、問い合わせをして、
で、児童署から警察の方にまで行って、で、速攻で逮捕。原稿犯。
っていう速度で話が進んだっていう事件があったんですよ。
で、まあ、ね、あえてそのさ、この流れの話を、
まあAIっていう部分で話そうと思えば話せるし、
ね、その子育ての話っていうことでもあるし、
あと、球団側の対応。
で、その後、事件の後、もう数時間で巨人軍の監督さんも、首ってなっちゃった。
っていう話があるよね。
で、まあその監督の、その巨人軍の対応の話にもすることもできるだろうし、
結局その今ね、AIっていうところがさ、すごい騒がれてるから、
すごくその部分がフォーカス当たって、
俺もあんまりこういうニュース普段見ないんだけど、
ちょっとそのね、追ったりとか。
なんか時系列とかも、その本当にこういう時系列で話してたのかとか、
いろんな人が言ってることを精査するようなことを、
なんかあんまりしないことをして。
いわゆる事件を、事件を読んだんだけど。
久々に。
そう、なるほどね。
まあ、なんか基本もう、なんだろう、正しい動きというか、
方向性みたいなところってもうだいぶAIが、
もう今の時代ね、関わってくる、
もう普通日常、だってもう全然、何やろ、
俺この前、母親と話したらさ、電話で、
チャッピー、チャッピー言ってんのよ。
嘘やろ?みたいな。
嘘やろ?悲しいなんか。
その、チャッピーがここまで来たの?みたいな。
それはないかも。
AIへの擬人化と依存、対話の手段としての側面
もうびっくりして、チャッピー、チャッピー言ってるから。
でもなんか、まあ一種のなんか、あれやね、
まあなんか、そのAIって悪いだけじゃない、
まあそれはもちろんそうなんやけど、
いわゆるその自分、
基本的にその人と話すことで自分の思考が、
ある種回転していくみたいな、
その、まあ外部とのつながりで、みたいなところで、
AIって多分すごいそういう、
あの、自分でその、このモヤモヤを解決できない時とかに、
まあ結構使われてるっていうか、
使ってるものでもあると思うから、
まあそれが一概に悪いとは言う気はないんやけど、
でもなんか、このチャッピーという、
なんか一つのなんか、なんやろな、
生き物としてというか、
あ、そう、その問題ね。
うん。
なんかそういうのがあるよねっていう。
そう。
なんか、
ね、その、AIっていうものを導入されていったとして、
まあ今後ずっとその、
チャッピー的な存在と自分たちが関われるかどうかも正直わからんのあるじゃん。
ある。
その、電力えぐいよっていう話がすごい。
まあまあまあ、そういう話ね。
あるしね、なんか。
本当に持続可能なのか的な話ね。
そうそう。
まあやっぱりテクノロジー自体は今後も発展していくし、
すべきものやとは思うけど、
テクノロジーの変遷と失われる人間的な能力への懸念
うん。
その事故のなんかクリエーションというか、
なんかそういうとこにAIが関わってくるのは、
うん。
なんか全然乗れんなーみたいな。
はい。
気持ちはすごい。
あるね。
具体的にはあったりするね。
うん。
いやもうほんとそうで、なんかね、やっぱね、
これはこのさっきのさ、事件を追ってる中でも思ったんだけど、
うん。
その、
やっぱりそのお姉さんが、
うん。
その、相談してから、
うん。
その、警察の人が来るまでものすごい短い時間だったの。
うん。
調べたら。
うん。
で、思ったんだけど、それに対してさ、
うん。
多分そんな正常な判断できない状態だったと思うんだよね。
そのタイミングで。
で、つまりその、もう百刀番じゃないけどさ、
うん。
その、それこそググって調べてトップヒットしたものがそれだったから飛びついたみたいな。
なんかそういう反応のようにも感じるのよね。
だから、俺はその事件を、なんかAIの問題というよりは、
うん。
単純にググって上に出てきたものを、まあつまり今AIがググるだから、
うん。
ただそれに飛びついただけなのでは?という見方を俺はしたいよね。
うん。
つまりその、AIっていうのを外部に置いたがゆえに、なんかこんなもの珍しく。
うん。
しているだけなのでは?ともちょっと思って。
うん。
その自分。
確かに。
そう、道具じゃなくて、AIっていうのを生物として。
うん。
つまりその、人格を人間が勝手に憑依させたがゆえに発生してるだけなんじゃないかなともね、ちょっと。
うん。
まあ楽観的かもしれないけど、ある意味。
うん。
まあなんか。
うん。
あるよね。
基本的にその自分の選択というか、選択肢の範囲を広げたいがために。
うん。
AIを使ったみたいなところではあるとは思うけど。
うん。
いわゆるその他者に置いたときの、いわゆる競争としてのシャッピーとして自分たちが認識をするのか、
それともただの大規模言語モデルとして、ロジックとしてそのAIっていうものを認識するのかみたいな。
まあでもなんか、そこむずいよね。
そこむずいなって。
うん。
まあ、うん。
でも少なからずその。
うん。
資本、資本主義的なところにだいぶ入っていってる世界はあるよね。
まあそりゃあそう。
うん。
まあなんか。
うん。
あれやな。
その。
手触りと無駄な行為が持つ価値
まあね、自分で考えるのも大事ですよっていう話。
まあそうなんですよね。
うん。
そう、自分で大事だし。
まあでも本当にでも壁当てにはなるけど、人ではないからさ、やっぱり今俺がしょうごと喋ってるみたいなこの体験を別に俺はAIとやりたくはないし。
うん。
うん。
単純に手段として俺は今のところ使ってる感覚なのよね。
人格だと思ったことが一回もない。
うん。
正直。
俺もないね。
うん。
うん。
それはそうよね。
ただその一種人格として認識するがゆえに。
うん。
救われてる心も。
ある。
少なからずあるからね。
うん。
そこはちょっと難しいんやけどね。
そう。
だからそれを他人に強要できにするのはね、またちょっと違うだろうし。
それこそ。
多分全然違うと思う。
宗教の問題になっちゃう。
うん。
本当に。
八百代塚一神教かみたいなレベルまで。
うん。
本当に。
だってさ、例えば一人暮らしの40歳男性が、その下に何でもかんでもパワハラとかセクハラとか言われ。
うん。
で、上司は上司でなんか不条理なことを言ってきみたいな中間管理職の人がさ。
はい。
もうどこにもなんか自分の心を受け入れてくれるようなところがないと、みたいな、そういう世界にいたときに。
「ググり力」の変遷と、ノートに書くことの重要性
やっぱりその、いわゆるチャッピー的存在っていうのは、いわ、まあ少なからず救いではあるとは思うから。
うん。
だからまあね、そこは何とか言えんけど。
うん。
まあある程度その制限は必要よね。
うん。
なんかAIっていうもの自体は。
だってなんかすごく昔からさ、その人間の能力みたいなところがさ、いろんなテクノロジーとかによって、まあ落ちていくんではないかという危惧みたいなのってずっと昔からあってさ。
うん。
例えばその文字文化とかもさ、いわゆる超古代ギリシャ的なところって、まあ朗読というか読むっていう世界じゃん。
うん。
言葉にして。
うん。
読むっていう文化。
うん。
でもそこに文字が入ってくると、文字っていうのは人の記憶力みたいなところにも関与してるから。
はい。
人間の記憶力がなくなっていくぞみたいな、能力落ちていくよみたいな話とかがずっと昔にあってみたいな。
うんうん。
まあ映像とかも多分そういう世界でもあるし。
なるほどね。
うん。
だからそういうその転換期にはおるよねっていう。
いますね。
うん。
あのAIっていう映画があるじゃん。
うん。
知ってる?あるんやけど。
はい。
スティーブンキングやったっけな。
なんかその。
うん。
うんうんうん。
なんかAIの逆襲みたいな、ロボットの逆襲みたいなやつがあるんやけど。
古典的なSFのね。
そう。
その子供としてのAI。
まあいわゆる最近コレーダー監督がやってるみたいな映画のやつであるんやけど。
はいはいはい。
まああれのもともとみたいな。
うん。
最初あの死んだ子供の復活としてその子供をまあ飼ってみたいな。
そうだよね。
うん。
で、その子供も多分どっかなんか壊れてしまって、なんか新しい子みたいな話やったと思うけど。
うん。
で、そのロボットのゴミ捨て場みたいなところに行ったら、
まあそのいわゆる捨てられたセックスワーカーにロボットがいたりとか。
いろんなのに会うんだよね。世界を知るじゃないけどさ。
そうそうそうそう。
なんかいわゆる冒険的な映画なんやけど。
うんうんうんうん。
全然その世界来るなーみたいな。
来るね。
感じでもあるしね。
うん。
うん。
そこまで行くと、なんだろうね。
多分その人間の人が有機体だからっていうので、もう分けるしか他ないよね。
なんか有機体と無機体でしか区別できないっていうか。
でもそれってそんなにみたいな、てんてんてんみたいな話になってしまって。
そうね。
うん。
そうなんだよね。
まあね、なんかいろんなSFとかいろんなアニメで、なんかその後の世界とか描くような作品いっぱいあるけどさ。
うんうん。
作られたもの。
だけどもう今もう完全にこう同じようなレベルまで人権というか権利がもう保証されててみたいな。
うん。
その過程もすっ飛ばしちゃって。
だからまあそういうものを学ぶ機会はいっぱいあるけど、でもみんながみんなそういうものを読んでて聞いたことがあるわけでもないから。
うんうんうん。
なんかもう資本主義的な世界でいくと誰がAIの権威を取るのかみたいなところにみんななんかヤッキーなってる感じあるじゃん。
あるね。
だから中国がちょっとAI強いですよとか。
なんかAIの映像を頑張ってますみたいなやつとか。
うんうんうん。
いろいろおるけど全然乗れんのよね俺。
なんかAIの映像に対して何も乗れん。
何も乗れんね。
でなんか今のYouTubeのサムネイルとかもさ、ゴリッゴリAIで作ってますよみたいなさ。
うんうんうん。
もう金メッキの文字とかみたいな。
はいはいはい。
こういう構図でしょみたいな。
はいはい。
なんかもう見てすぐ思うじゃん。
うん。
すぐ終わるよそのムーブみたいな。
うん。
なんかやっぱり手触りが大事だと思うのよね。
そうね。
うん。
だからどんどんその思考的にAI使ってますよ賢いですよみたいなノリの人とかも。
うん。
多分どんどん終わっていくやろうなって思ってたりとか。
そう。
逆にこの本読むとかのマジでいわゆる無意な行為、無駄な行為みたいな。
うんうん。
ことの方は結局俺意味を持っていくのではって結構思ったりしてるね。
うん。
なんかそのゼロから何かを作るっていうことが出来になるような気がする。
うん。
まあうん。
出来にくなるね。
つまりゼロっていうのは体っていうレベルだよね。
身体を使ったレベルっていうことだよね。
つまずくっていうことがないとやっぱり展開することもないから。
ないね。
小説を書くにしたってどういう入り口で書いたらいいんやろうみたいなことを最初に悩んで勉強してみたいな世界とか。
うん。
なんかそういうのを思ったりはするんやろうね。
そうね。
なんかその自分の結局さあやりたいことをやれてるみたいなさあ実体験みたいなものがさあどんどん失われるに決まってるわけじゃん。
うん。
で、記憶にも残らないしさあ作ったものも。
うん。
単純になんかそこって人生楽しくなくなっちゃうから。
うん。
うん。
シンプルにね。
それは本当にそうだし。
あと何だろうなあ。
まあ結局道徳の話とかになっちゃうけど、人としてこう磨かれていかない感覚っていうかね。
うん。
うんうん。
それはすごいあるから。
うん。
で、そのためにね使うみたいな第一前提みたいなのがあった上で使わんとやばいみたいなのはすごい花瓶にあるけどね。
なるほどね。
だってそれこそさっきのさあ事件を調べるのももう全力でAI使ってるし、
あのリサーチするの全部ネット上から得られる情報全部洗ってそのリソースも全部並べて時系列中に全て洗い出して事実だけを並べろみたいなそういう命令でリサーチするみたいな。
で、それを熟読するみたいな。
そういう感じで読んだんだけど。
うんうん。
まあでもこれはやっぱりリサーチする能力が減るし。
うん。
その文章を読み取ってそのいろんな情報を自分で収集して選択するみたいな能力を圧倒的に使わないからさ。
うん。
そこをどこまで理解してね。
でも確かにね。
やるかっていうか。
なんかそれこそさ、まあ俺らこの32、3とかさ、まあいわゆる40、今40手前の人から29くらいの人までくらいはさ、
Googleの調べ方みたいなその古着とかバンドとか。
はいはいはいはい。
カルチャーを調べるのもGoogleの調べ方でみたいな世界があったのよ。
あるよね。
いやもう全然あるし。
そう。
エンジニアとかGoogle力とか数値化される。
そうそう。
本当に。
そうそうそうそう。
どういうそのサイトとかそこでどういうそのインプットができるかみたいなのって多分すごいあったんやけど。
それがすごいあれになってるよね。
今のAIのプロトコルがそれよね。
そうだね。
何この事実だけとか、リンクはちゃんと読めるリンクにしてくださいとか、そういう世界とかあるじゃん。
Google力は無駄じゃなかったみたいな。
無駄ではないしね。
そのGoogle力って、昔でいうところのさ、知らない街でどうやってマップ作るかみたいなさ、多分絶対今できんし俺。
昔の人はもう圧倒的にそういうのをたけてただろうし、そういうことだと思うしね。
昔の人と比べて普通にみんな字下手になってきてるとか。
いやもうやばいよ。お見せできる字ではございませんので。
今も多分、小学校とかの教育とかってだいぶあれなんやろ。
なんかタブレット使ってたりとかが普通みたいな世界らしいし、
なんかノートに書くっていうこと自体が、いかに効率が悪いかみたいな。
まだ速度の問題だよね。かなりその辺の速度とか。
あとその日本の狭い土地にマッチしちゃうから、
場所がなくてもウェブ上でみたいなのが一気に加速するだろうし、
大事なところがそっちに移行させる速度っていうか。
まあね、自分の脳とか自分の体にやっぱ染み込ませる必要があるものは、
いまだにノートで書いたほうが効率いいのは裸であるしね。
でもそれマジでそうらしいね。科学的に。
そうだよね。
なんかキーボードで打つ文字の量とノートに書く文字の量って多分全然違うけど、
人間の脳速度的なところでいくと、
このノートで書くぐらいの文字速度のほうが都合いいらしい。
まあそうですよ。
実際にデジタルのほうが遅い。出すときやっぱり。
なんかやっぱちょっと工場で働いたから、
デジタルって遅いんだって。アノログのほうが早いわっていう。
いわゆる自分が目の前の事象に対して出力をしなきゃいけない。
なんかやらなきゃいけない。アクションをしなきゃいけないってときは、
自分のアナログの体じゃないと全く持ってスピードが追いつかないから。
例えばそれはどういうこと?
例えば、そうだよね。なんか割り振んなきゃいけないとか単純に。
で、そのいちいちデジタルで調べててさ、
頭の中に無かったりとか覚えてなかったりして、
その割り振るのをいちいち調べてやってたら、
もうめっちゃ遅いけど、もう全部体の中で覚えてて、
あと割り振るときの指の動きとか道順とかが体に染み付いてたら、
ものすごい速い。結局最終的に人がやるし。
たしかにね。
これは何?全部ロボットが物理的にやるとかの話はちょっと置いといてるけど、
自分の体の中でデジタルも使った上でやんなきゃいけないっていうのって、
ものすごく単純で当たり前の話だけど、
なんかこう実際に仕事にしてやっと腹落ちするみたいなことが最近あったから。
それはそうだ。
なるほどね。そっか。
フロイトの研究と脳の認知メカニズム、記号論の話
やっぱりその脳というか体って意外とバカにならんというか、
例えばひらがなのアを書くときにさ、アっていうものをそう季節とも書けるじゃん。
ムでアを書くことできるじゃん。
それはアっていうものを記号化して認識してるから自動的に出てくる。
なんかアっていうものに記号化というか、
自分の身体の中に入ってきてないと、
まあそのアっていうことを書くのって難しいよなって思ったりする。
難しいのか。
だからそう考えるのも、
俺は絵描いてるんやけど、
漫画家的にその人をそのスラスラ書けるのって、
あれはもう完全に記号化してるデータだからこそ書けるっていう。
でも、人っていうものをいちいちその早期して、
まあ早期もうまくいかんから結局うまく書けみたいな世界がほとんどやと思うんやけど、
そのスケールというか、物事で見たときに、
やっぱりこういうAIとかデジタルっていうものがどんどん行きすぎると、
まあやっぱりどんどん人間的な能力っていうのは落ちていくよなみたいなのも思ったりはするね。
するね。
今の時代さ、絵とかもさ、
油絵っぽく、油絵っぽいそのペンタブのメディウムというか、
そういうふうに書くことができるとか、そういう世界だからさ、
実際にその油の調合とか、なんかそういうものがもうなくなってきて、
結局もうアナログで油絵描いてるのか、デジタルでそういうふうに見えるように描いてるのかみたいなところにもなっていくから、
なんかそうなるとねみたいな、つまらないよなみたいなのも結構感じるね、すごい俺は。
そうね。
本来的な喜びみたいなものがどんどん失っていくなみたいな感じは思ったりする。
すごい。
誰が喜ぶねんってね。
そうね、それは思うよね。
その直線描くのもさ、今の時代勝手にその直線ツールみたいなものがあるからさ、
デジタルってこうしたらみたいな感じで言ってるけどさ、
そもそもなんかハッチングっていう漫画的な斜線とかもさ、
あれとかもなんか知ってんの?みたいな、その斜線を均等に引くとか、
斜線の中でのその、こう手があるとして、これを全部斜めに描くだけとかの方法だけじゃなくて、
よりこの体のラインに合わせるように斜めっぽく描くとか、
なんかそういう描き方とかもいろいろあるし、
なんかそれはすごいルネサンスからずっとあるような技法なんやけど、
なんかそういう細やかな技術っていうのはどんどん失っていく世界ではあると思う。
確かに。
消すの簡単とかね。
まあメリットもあるとは思うんやけど。
まあまあ、練習とかだったらね、いいんだけどね。
身体制の練習みたいな。
そう、なんかそんな、昔さあ、あったさ、ボタンを押すと全部消えて、
描いた字がこうまた消せるやつあるじゃん。
あのブギーボード。
マジック。
今、そのボードでさ、こうひたすら今さ、まっすぐ描く練習してんだけど、
斜線を消してみたいな。
そういうのはなんか、まあ便利だとは思うけど、
身体制が前提にあった上でデジタル使うと、
まあこんな便利なことはないなとはちょっと思うけど、
まあ微妙なね、ニュアンスは消えますけどね、もちろん。
結果も違うし。
そうね、なんかその、それこそブギーボード、マジックボード的なやつって、
なんかフロイトがもともとこれがなんか脳の知覚とすごく似てるんだよみたいな。
面白い。
うん。
なんかもう、それは今もうスマホとかに置き換わってるんだがみたいな。
うんうんうん。
なんかね、その脳の記憶してることとインプット、アウトプットすることのその構造が、
すごいマジックボードと似てるらしいのよ。
あーでもすごい、うん、わかるよ。
なんか書き換えられてしまうみたいな全部が。
うんうんうん。
なんかそういうこととかもね、言ってて。
うん。
すごい面白い。
それがこれ、これなんですけど。
おー、新規ゴーロン。
すごいフロイトについて書いてるんだけど。
あ、フロイトも書いてあるんだ。
そう、面白いですよ。
面白い。
ジガーとSとかね。
あー、わかりやすそう。
うん。
うん。
いや、むずいよ。
めっちゃむずい。
まあそうですよね、哲学書だよね。
脳の、その近くから入ってくる脳の記憶作用みたいな、これフロイトが書いてるんやけど。
あー、なるほど。
本来、ここの線が、なんか昔の本とかでも、みんなこう、何やろ、最後のところまで敷かれてたんやって、ここ。
これね。
まだなんか頭の中でイメージできてないぞ、まだ。
これは?
これ、この、これなんやけど、これは、もともとフロイトが手書きで書いてるやつは、
まあここの線とかもちょっと微妙やったから、ただの誤植やろ、みたいな。
この下までついてないのはただの誤植だよね、みたいな感じで今までの文献、その欧米諸国、全部そんな感じやったんやけど。
図の文献の話してるのね、なるほどね。
そう、この石田さんが割とこのフロイト研究の中で見つけたのが、東大の書物のところでフロイトの初版本があって、初版本は全部ちゃんとこうなってるみたいな。
あー、なるほどね。
で、これが脳の知覚と触覚と認知と前頭腰の認知とみたいなものを、これを記号化してるのがこれなんやけど。
本来、これで合ってるんだよ、みたいな。新発見なんです、みたいなことを言ってたりとか。
ごめん、なんか全然まとまってはないんだが、なんかそういうマジックボード的なものがすごい脳の仕組みと近いんですっていう話。
どんどん書き換えられてる。そのレイヤーが縦の線なのかな、今の。
そうやね。
その都度その、いわゆるその腕が今、骨符を持っているっていうのを、今、俺が言葉に言語化するまで、つまり前頭腰に届いて、こう統合されるまでの段階をその図で表してるってことだよね。
そうそうそうそう。
で、その順番の流れのニュアンスの波が、そのぐにゃっと曲がったその線で。
脳っていうのは一気通貫で、一つの視点と終着点があってなってるっていうわけじゃなくて、
それらは反復的になってて、この循環の中で一つの像を作ってるみたいなことを言ってるみたいなのがあって、それが夢の話とかになっていくんやけど。
なるほどね。そっから始めるんだ。
記号論的な、記号論っていわゆるスマホのメディアとか映像とか文字とか、もろもろを含めてるものなんやけど、これはね、ぜひちょっとね、こういう空中講演とかこういう話が好きな人は、もうドハマリするやつ。
人間のその脳のプロ説として、なんかこういう例えというかあれがあるんやけど、
人間っていうそのものは、国関係なく文字文化は全部同じその出発点から行ってるんだみたいな話があって、
動物とかは言語を持ってないから、なんかその視覚対象として見たときに、こういう辺で見てるんやって。
ここがこう丸みがあってとか、なんかこういう風に見てるんやって。
寮って言うよりは仙だね。
そう、仙なのよ。
言い方だと。
で、この仙っていうのが本来的に文字文化のところで、これがそのいわゆる原住民族での風景、住んでるところとかを撮った風景と、いわゆるニューヨークとか東京とかで何気なく撮った風景のこの辺の比率がほぼ一緒なんやって。
はー、きも。
そう、なんかこれがこんな風な感じなのよ。
きもいな。さすが研究者。
えぐいっしょ。なんかこんなんとかあるんやけど。
さすがだね。
で、この辺がその日本、その日本語とか中国語とか英語とかの辺の比率とほぼほぼマッチングしてるっていうのがこの図なのよ。
あ、発見したとき気持ちよさそう。
すごいよね。だから、日本語も英語もほぼほぼ全部同じあれなんですよっていう。
ここにね、なんかこういう辺の種類みたいなのがあって、その分布がこうですよみたいな。
なるほどねー。
っていう話とか、まあまあ面白いので。
面白そう。
まあ結局何も入ってきてはないよね。
そうよな。なんかでも純粋に好奇心というかさ、これおもろみたいなものもさ、なんか覚えようと思って覚えてなかったりするじゃん。
でもそういうものの方がなんかやっぱ腹落ちしてて、人の前で喋ってたりするし、なんか何が正しい読み方なのかみたいなのはマジでわからん。
もうバカだからほんとその辺は。
ほんとに、ほんとね一回だけでなんか全部腹落ちできますみたいな。
まあもちろん研鑽の結果だと思うけど、枝がね幹が太くてみたいな話だと思うけど。
まあでもね、それでいいとは思うけどね。
そう、それでいいと思ってしまって、私も。
フィリップ・K・ディックと神秘体験、他者性について
忘れていくしね、人は。
最近俺何読んだかな、読んだっていうかまあずっと同じで読んでるな。
なんか、おもろい、おもろいものがいっぱいあるね。
なんか密教とかさ、言葉足すと重たいからもう全然そんなに本格的なことやってないけど、やっぱり昔のその人が考えたそのことで残ってるもの系ってさ、ちゃんとこうロジックがあるからさ、引くよね。
もちろんその実証可能とかそういうことではないんだけど、そういうことじゃないんだけど、全部一個があって、そこの出発点から全部矛盾なくロジックが出来上がってるのが引く、ほんとに。
なるほどね。
やっぱりそれが個人の単位の、自分の中の宗教じゃなくて、ちゃんと外部にあるちゃんとした宗教になってるっていうこと自体がね。
結局、結局と言ってもあれなんだが、たぶん昔の人の方が狂気っていうものをちゃんと理解してるっていう感じがあるよね。
確かに。
なんか狂気ってヒステリックとは違うじゃん。
うん、違う。
なんていうか。
違う違う。
だから空海とかも俺狂気だと思うのよね、シンプルに。
そういうふうにしか捉えられん、私たちは。
そう、宇宙が見えるとかさ。
宇宙論だね、あれは完全に。
そう、なんか俺もさ、ちょっとこの間さ、お酒一人で飲んでて、もう自我を失うぐらいに飲んだ時があって、やばかったのよ。
もうみんなに怒られるみたいな、本当に申し訳ございませんっていう世界なんやけど。
でも、なんかそこでね、なんか面白い体験をして、なんかもう俺が完全にこの宇宙の中で一人みたいな、なんか宇宙の、なんか自分一人その宇宙船に乗ってるような感じ。
で、誰かのその信号というか、更新が来ることが、なんかもうすごい嬉しいみたいな。
何言ってるかよく分からないけど、本当にもう絶快の孤独みたいな感情になったのよ。
で、それがすごいなんか、すごい新しい発見というか、なんかその俯瞰してみたら面白かった事象で、こういう多分感覚なんやなという感じ。
体験というもの自体が。
へー、貴重な体験とか。
すごい面白かった。
なんか、そう考えていくと、なんか小説の中のいわゆる出来事、物事、小説って俺リアリズムがないと、なんかあんまり乗っていけんなっていう世界が俺の中ではあって、
なんかそんなわけないじゃんみたいなこととか、結構今まで思ってきたんやけど、
そういうなんか一種の他者性。
はい。
その、そんなわけないじゃんっていう他者性を、その出来事というか体験をしてから、なんか需要できるようになったみたいな。
おー。
なんかできて。
へー、めっちゃ面白いじゃん。
いや、でもそれすごく感じる。
俺もその、俺もうざっくり言うと、主観の果てに客観あるっていうタイプの人間だから、その。
いや、もうすごいよくわかるね。その変化もなんか、あーそうだよなって納得。
うん。
なんかあれだね、そういうのとさ、やっぱ真逆にいるイメージだったから、俺、しょうごの中。
そうやろ。
うん。
いや、俺もほんと真逆やったからさ。
うん。
いや、でも他者性大事やな。
うん。
他者性と言っていいのかわからんけど。
うん。
その、とっぴな、ありえんやろ、そんなことを受け入れられるというか。
うん。
なんかバリスっていうフィリップ系ディックの小説の中にも、なんかそういうあれがあるのよ。
うん。
なんかドラッグ決めて。
うんうん。
で、急にその宇宙人からピンク色の照射みたいな。
うん。
なんかピンクでなんか線香当てられてみたいなので、その宇宙人からの何かやみたいなっていうのをディックが気づいて。
うんうん。
ディックが二重人格になって。
で、その古代の言語が話せるようになるみたいな。
そういうとんでもない小説が。
とんでもね、とんでも小説ね、はい。
でも、あながちそれも嘘なんじゃないなみたいな。
はい。
のを感じたりとか。
で、実際にそれはフィリップ系ディックが体験した物事でもあるらしくて。
へー。
もうザ・神秘体験だね。
そう、ぶっ壊れてんのよ。
でも多分そういう空海とかもそういう神秘体験を経て、多分そういう風になってるとか。
うん、まあそう、逸話いっぱいあるね。
そういうことをすることを業としてやってたみたいな。
神秘体験ってそうよね。
なんか極限状態っていうのがまず一個乗っかってるもんね。
乗っかってる。
うん。
どういうね、経緯かどうかみたいなところは置いといて。
うんうん。
もう。
そうよね。
植物の力を使うか、自分の行でやるかみたいな。
そういう場所だから。
確かに。
そうそう。
でもなんか、ブッダ、シッタールタは、なんかそれこそ100分で明治でいたんやけど。
うん。
なんかそういう苦行っていうのをもう無意味なんだなみたいなことを思い、
その山の修行はするが、飯は食いみたいな感じだったらしい。
うんうんうん。
最初苦行からだよね。
まぁなぁ苦行。
まぁどう、なんかやっぱあれって安直じゃないよね。
なんかいわゆるその時代が変われば苦行がいる場合もあるしね。
なんかそういう話でもあるとも思うよね。
その、いわゆるその苦行も内容にもよるし。
うん。
なんか、いわゆるその方言じゃないけど、その人によってその言い方全部変えてたみたいな話とかもだし、
多分なんか絶対的なことないのが前提の話みたいな感じだからさ。
うんうんうん。
だから厄介だよね。その辺、理解が。
陶芸と自然物との対峙、記号論的な視点
まぁ俺も全然知らんからそれ以上は言えんの。
いやいやいや、でもほんとそれは。
でもなんか思うけど、ものすごいこうさ、やっぱそういう人らの話聞いてるとスケールがさ全然違うからさ、
あのー、あるし俯瞰できるし、なんか今までの自分の生活とか悩みみたいな。
うんうんうん。
で、なんか1個それを1個持ち込むと、なんかめっちゃおもろいことになるっていうか、世界が一気にバグり出すっていうか。
はいはいはい。
そうそうそう。
うん。
まぁそういうのあるね。
うん。
どんだけバグりを生ませれるかみたいな、世界も少なからずあるよね。
あるだろうね。どこまで持ち込めるかとか。
うんうん。
いやでもほんとそうだね。陶芸家の方々とか絶対そっち側に行くしね。その、もちろん。
あー、陶芸ね。
陶芸とか、まぁその、いわゆる自然物とかとさ、ずっと対峙するような方々とか、想像できるしね、簡単に。
うん。
うん。
陶芸、陶芸ってなんか、むずいよね。
いや。
なんか、どこまで行ってもなんかその、自分の能力だけじゃないところが、絶対的に入ってくる。
入ってくるね。
うん。
この、土のとか。
そうね。
うん。
寝かせてるとか。
焼け具合が、みたいな。
そうそうそう。
その辺とかもね、体験してみたいけどね。なんかいろいろね。
うん。
まぁ、なんか多分本で読んでも、別に多分その辺は何も理解してきんというか、腹に落ちんだろうなとか。
そうね。
うん。
うん。
なんか、記号論的なところで行くとさ、
写真撮影における構図と身体的な感覚の合流
はい。
まぁ最初、洞窟の絵があって、そっから、記号として文字っていうものが、派生して、みたいな感じなんだけど、だと思うんやけど。
うん。
その、例えばメディアとして、カメラを今も選び続けてるわけじゃん。
うん。
その、カメラって、その楽しさを覚えるのって、どのあたりなの?
あー、カメラ、面白さか。
うん。
なんか、一個飛び出てるわけじゃん、多分。
あー。
こう、いい絵を撮る的なところからさ、
はい。
また一個出て、出てしまってるというか。
うーん、そうね。
まぁ、いい絵を撮る、まぁ構図とか、いわゆるその、ルネサンスとかの、そのいわゆる構図的な、絵画的な部分からはい、まぁ、はい。
で、出てるっていう表現があれかもしれないけど、そもそもそこに向かってないのはある。
あー。
まぁ、いわゆるその、合流するとしたら、体とか目が喜ぶ構図っていうのが、まぁある程度決まってるから、そこに構図は合うし、体で撮ってるからみたいなのはあって、
うん。
まぁ、いわゆるその、うーん、なんかしっくりくる写真とか。
あー。
いわゆるその、強度の話になっちゃうけど、その一個気持ちよさみたいなのは、どうしてもあの後で、そのタイミングから時系列がずれて後で認識するから、その時にやっぱりいいものってなるし、
で、その構図が撮れ、いい写真っていうのは、だいたいその時も気持ちいい。
あー、そうね。
うん。なぜか。認識してないけどね。
うん。ほぼ。
うんうん。
不思議なことで。
なんか、好きな構図とかあるの?
好きな構図?
結局こんな感じで撮っちゃってるなーみたいな。
あー、でもあるし、あるね。あるある。あるね。なんかやっぱりこう、俺は、あの対象物が真ん中に来ないから、その。
はいはいはいはい。
多分。
意図的にそうしてんの?
引っ張られてる感じっていうか。
なるほどね。
ダメ?ダメかな?やっぱりな、これ。
なんかね、変に言う。本当にナチュラルにそう思うんだよね。変に錯覚ってるってわけじゃなくて。
うん。
なんて言うんだろうな。多分、今、目の前にしょうごと俺の今の写ってる姿を見ながら喋ってるけど、
多分写真を撮ろうってなったら、その2人のどっちかを中心に持ってくるわけじゃなくて、
どことも認識できないところを探すっていうか、勝手に認識した人。
なるほど。
そういう気持ちよさを体が求めちゃっているから、そうなんだろうね。
なるほど。
まあね。で、それを、もちろんその写真を撮るっていう時に勝手にやってるだろうし、
あと、編集のタイミングでもそれを作り出そうとしてる。
うん。
なんとか。その時の感覚みたいなものをリアルタイムの場所以外でも発生させられるような装置というか構造みたいなものをずっと探してて、
その中に、いわゆる自分の作る理由じゃないけど、それこそさっきちょろっと言った主観の果てに客観じゃないけどさ、
自分の中を読み解く1個の手段になるとは思ってはいるけどね。
なるほどね。
だからこそ他人に絶対伝わるみたいな変な核心みたいな。
なるほど。カメラっていうものを媒介してるからこそ、純粋性的なところ、純粋性って言ったらいいのか、
自分に入ってきてるその構図と言っていいのか、身体性みたいなところが担保されてないと結構難しいよなって思って。
難しい。
なんかさっきはしたね。で、なんかもうちょっと簡単に言語化すると、
なんか自分がその、まあなんかサイトとか見て、こういう構図がいいなって思って、そういう構図だけを探して撮ったとしても、面白みが生まれにくいよなみたいな世界というか。
身体の多分、それこそ身体の筋肉の収縮がもう全体違う、どっか。そういうレベル。
なるほどね。
より微細な感覚に向かっていくんやね。
なるほどね。
なんか芸術ってすごい、自由で何でもみたいな感じに思われがちやけど、
最初にちゃんとその構図とか、その人を描くにしてもどういうその比率で目が合ってとか、
そういういわゆるアカデミックな認識を自分が体得してないと自由っていうものが生まれにくいわけで、
やっぱり技術っていうのはすごい大事なものというかね、そんな感じはあるよね。
ある。
だからこそ、そう、だからなんかこういう順番で言うと、俺もやってるよみたいな感じに聞こえちゃうけど、
構図のやっぱ勉強って大事で、やっぱいい写真とかって昔の古典の写真とかってね、
全部踏んでるからね、そういう構図とか目の視線の誘導とかね。
そうね、いや本当にそうやね、なんかもう今漫画的な構図と絵画的な構図ってやっぱ全然違うもんね。
なんか絵があって、映画があって、で、漫画みたいな時系列なんやけど、
はいはい、しっくりくるね、全然その事実は知らんかったけど、はい、確かに。
そうそう、やっぱり絵ってそもそもがカメラっていうものと違うじゃん、いわゆる2つの目を1つにしてるっていう構図だから、
カメラ的な映像とは全然違うというか、こう、なんか見え方が全然違うっていうのまずあるし、
なんか絵はもう完全にその止まってる状態で、
まあどういう含みがあってこういう絵でみたいなのがないと、やっぱり楽しめないというかね、そういうのもあるけど、
映画とか常に動いていくものやからっていうのもあったりとか、
漫画になってくるとね、もっとより分かりやすく遠近法がありみたいな世界でもあったりとかね。
だからね、本当にその構図のさ、部分って、技術でどこまでさ、その体験として無意識を作れるかみたいなところだと思うんだよね。
そこの部分を多分やり出すとどうしても心理学とかにも行くだろうし、必然的にね。
もう果てないよね。
まあ読書の話になっちゃうけど、本当にいろんなことを踏まえて、自分でどこをピックアップするかみたいなところのさ、選択。
そうね。
その写真っていうものにも、いわゆる物語があるわけ。
物語。
物語ってさ、ここが始まりでここが終わりっていうこの切り取り用物語やと思うんだよね、俺は。
面白い。
だからその終わりがどこにするかとか、始まりをどこにするかみたいな。
物自体が物語としての一番最初の基盤というか。
そうだね。物語るってそうだもんね。
ただ写真にも何か、何が言いたいのかちょっとよくわからなくなってきたけど。
まあでもすごくそうだね。物語として綴れるかどうかは自分のなんか結構外側にあるから、そこまで編集するとどうなんだろうっていう気持ちもあるけど、
現代写真の課題と「体験」のレイヤーの薄さ
いわゆるその今のさ、その写真界隈って結構物として出力しないとみたいな強迫観念が結構あるんじゃねえか?みたいなことよく言われるんだよね。
いわゆるその写真、いわゆるそのビジュアルとしての写真じゃなくて、それをどういう物に出力するか、それを物としてまたどういうスケールでみたいな。
いわゆる体験のレイヤーの方まで行けばいいんだけど、体験まで行かずにただ物として出力して終わりみたいな作品。
で、それが起こってる理由ってやっぱりその結局自分の制作過程とかを見せるとか、それ自体を物語として捉えるみたいなところに共通すると、
まあいわゆる伝わんないというか、まあ罠じゃないけど、結局体験まで、その見た側の体験まで届かないみたいな状況になっちゃうのかなみたいなね。
まあ言ってて自分がそうなりかねえんから、もう言いたくないけど。
たしかにね。ちょっとやっぱり俺写真家のそれさ目た目で見ちゃうところ正直あるもんな。
いやむずいむずい。
ごめんもうね、言ってしまうけど写真じゃんってなるのよね。
そうそうそうそう。
言ってしまったな。結構今のあった気を作った。もう断定するわ。
写真じゃんってなるのよね。
写真のそのドキュメンタリーをされてもさみたいな、機械っていうものを買いしてるからなって思っちゃうところが正直ある。
だからもう本当に超その頭のいいというか、なんかそういうものが欲しいのに、欲しいというかあれやのに、
写真家のドキュメンタリーっているのかなみたいなのを思ったりするね。
完全にそのいわゆる写真って外部のものを撮るわけじゃん。
はい。
だからなんか、いやわからん。なんかあんまりわからんけど。
いやでも漠然とするし直感的にそう思うと思うよ。
単純に絵画の努力量と一枚に蓄積される強度と写真の強度ってやっぱり、直感的にそうでしょ。
わかるでしょう。わかるというか、もちろんね、フィルムとか黄板とか、もうフィルム時代の物質性が伴っているときは、なんかそれに追従するような、いわゆるオーラみたいなものはあるかもしれないけど。
フィルムとかなら、なんか全部があれやね、なんか水墨画的なノリで全部をやっていかないといけないっていう一発的な感じやろう、あれですね。
だってね、写真にする、なんかその一気につかすとかもさ、あれも完全に技術なわけや。
本当に職人技。
アナログはまたちょっと違ってくる世界もあるね。
どうしてもテクノロジーとすごい緊密した関係にもあるよね。
まあ絵画にも全然それは言えるんやけど、油絵の露光とか。
持ち込んだね、iPadの絵は。
絵の具の作りとかもさ、かなりテクノロジーと近接してるから。
とかなんかキャンバスとか木枠とか、そこの下地材をどう塗るかとか、なんかそういうもろもろもテクノロジーとしてあるから、
そんなに俺も絵描きとして大げに写真を批判できるわけではないとは思ってるんやけど。
でもなんかあるなーみたいなところは思ったりとか。
まああるでしょうね、あるだろうし。
まあ何て言うんだろう、複雑になればなるほどゲスタル、何によりその相対としか見えなくなっちゃうしね、その。
漠然とするし。
で、それをこの複雑になったものって厚さが分かんなかったりするから。
まあでもいわゆる作家がすごいのか、写真カメラ機作ったやつがすごいのかみたいな話にもなるしね。
確かにね。
まあね、企業努力ですよ本当に。
確かにそれはね。
ありますし、まあでも何て言うんだろう、それを言われていわゆる写真撮ってる側としての反論としてはね、ありますよ。
あのやっぱり、そもそもの多分ところみたいな出発点のところがやっぱりこうあると思うよね。
結局その、どういうところまでその見た側を持っていきたいのかとか、体験、その結果、その見た側がどういうところまでを感じ取ることを目的にするのかとか、
あとそのもの自体を目的にするのかとか、
でもものがあって体験もちゃんと引っ付いてくるのがいい作品だとは思うけどね、それはそうだけど。
でその、やっぱり写真の特にデジタルの写真って本体はビットだから、ゼロイチの集まりですからね。
そのゼロイチの、いわゆるその紙一枚なんかよりも本当に信号ですよ。
最小、いわゆるその最小限のエネルギーで区別ができるものの集合体なわけじゃないですか、デジタル写真って。
それに対して、やっぱりこう人間がそれを、いつもデジタルなものを触れている我々は見て、それに対してこう体験をしているわけで、
そこにやっぱり体験自体にこう直接、これは行きやすいなとは思うよね。
そのもの自体に注釈させるんじゃなくて、体験に直に行くにあたってはすごく扱いがしやすいものなのかなってやっぱり思う。
あとこれはもう俺の持論だけど、やっぱりこう仏教の世界観じゃないけどさ、すごくその移り変わるものだし、すぐ忘れ去られるし消えるしみたいなものともすごくリンクすると思うよね。
ものよりもっと儚いっていうか、増やせるし。
たしかにね。
価値みたいなものね。
もう絵はマジで主観の産物でしかないからね。
本当に。
芸術的な写真と商業的な写真と、その切り分けがすごい難しい。
難しいね。
一時はさ、エビレストーンの写真みたいなものがさ、すごいその、いわゆるドキュメンタリーとしての消化と、人類が見れない景色を撮ってきましたっていう担保がある時代とかさ。
ストレートフォトの時代だね。
ストレートフォトっていうやん。
いわゆる事件とかをそのままの状態で、その時にそこにいたみたいなところに価値がある時代。
いわゆるマグナムフォト的な。
原流。
人たちの原流。
なるほどね。
その辺を掘れば。
今の心身経営的な写真家っていうのは割と、なんか俺の印象、なんかその芸術、いわゆる写真を撮る機器をいじったりとか、
最終的なメディア、その写真そのものの見え方というか、例えば紫をめっちゃ強くして、これ自体が一つのコンセプトとしてあって、外部に何かその写真じゃなくて、写真もそうやけど、外部にコンセプトとして持ってて、みたいな。
そういう風に結構、やっぱり現代アートやからそういう風に向かいがちではあるとは思うけど。
うん。
そうね。
シンプルに写真っていうものの見方がわからんみたいなところも結構、現代写真っていうところで。
現代写真の問題だと思いますよ。
見方がわからんみたいなところもあるよ。
やっぱ強いもん、古典の1枚の絵でさ、なんかもうものすごいぞっていうのが直感できる絵って。
単純にね。
確かにね。
それはそうなんですよね。
どこかしらやっぱり憧れるしね、憧れるっていう構図になるしね、体験としてね。
その物質にやっぱ焼き付けることによって、その物質がね、希望的価値を超えて、物質的なものとしてね、消化されるみたいなものはあるし。
そうね。だから、絵のそのものすごいエネルギー感じるところって、やっぱそういう既成事実というか、前提としてある事実みたいなものから来るものってすごいあるよね。
確かにね。
だからこそ物語としてものすごい強度が、その作家の生き方みたいなものがすごい強度を持つというかね。
アチエールっていう絵肌、語法的な絵肌もあればみたいな、ラファエロみたいな絵肌もあるし、でもまたハイブリッドのようなレンブラントのような絵肌もあるし。
絵画の強度と作家の生き方、キュレーションの役割
あれってなんか、もう第二言語みたいな感じの感あるもんね。
なるほどね。
作家がどういう人間なのかみたいな。
とかも結構、そういうところで人は情報として受け取ってる感じもあったりとかね。
そうね。生の絵はほんとそうだよね。
やっぱキュレーションの方々優秀やから、その辺を見せてくれるしね。
そういう順番とかさ、あと版画もやってましたとか。
その版画の要素のこの部分が絵画だと今こうなってるんだろうなみたいなのがさ、分かりやすくなってるから。
確かにね。
まとめと今後の展望
はい、結構喋ったね。
喋ったね。意外と。
意外と。
意外と喋りましたと。
喋りましたと。なんかやっぱ意外と喋れるね、時間経ってるからね。
喋れるというか、いろいろ生きてるわけですよね。ちゃんと生きてます、一応。
次からはちゃんとね、テーマ決めて話そうかなと思います。
はい、またまた。
またいつか。
またいつか。
お会いしましょう。
よろしくどうぞ。
さよなら。
バイバイ。
バイバイ。
01:17:02

コメント

スクロール