ポッドキャストの紹介
ここは、野良の音楽オタクが、どこで喋っていいかわからない話をするために作られたポッドキャスト番組です。
今回はですね、前回の続きになるんですけども、もう配信自体は終わってしまったんですが、6月の13日から・・・
あ、2025年の6月13日から6月27日まで、YouTubeで配信されてました。
1986年に公開された、筒井康隆原作の「ジャズ大名 主演はフリア一行」の感想会を前回やったんですけども、
この映画、舞台が幕末1850年代ぐらいだったりするんですが、タイトルはジャズ大名となってるんですけども、実際のところこの時代ってまだジャズっていう音楽はまだないんですけども、
まああまりそこにね、こういろいろとこう、時代背景がどうのこうののやいのやいの言うのはちょっとヤボかなっていうぐらいには、あの映画内容は大変良かったんだね。
まあそれはそれとして、じゃあ実際のところ1850年代くらいの音楽とかって何があったんですかねなんていう話をちょっと、
曽美さんにざっくりといろいろと話してもらいましたんで、それをお聞きください。
曽美さんちなみにほら年表作ってるじゃないですか。はい。1800年のこの辺のこととかってちょっと調べてたりします?
ああもちろん。ああざっくりと、この本当の音楽史的にはこのぐらいの年って何があったとかってあります?
まず南北戦争があったので。 ああまあまあ歴史的に言うとまあ。
南北戦争は61年から始まっているので、やっぱ軍火が多いです。 ああ軍火か。
その南北戦争の最中は。
で、南北戦争が終わって、奴隷解放宣言、まあ奴隷解放宣言、南北戦争の最中だったね。
あ、あれ終わった後じゃなくて最中なの? 最中に走って黒人を味方につけるっていう戦略だった。
うーん、ああなるほど。 だから南部の黒人兵士を北軍に回すっていう戦略もあった。
そういうことか。 ああ。まあ今は多分。なるほどね、軍火なんだ。今は多分奴隷解放宣言について人道的であるっていう解釈はされてない。
そうなんだけど、奴隷解放宣言前後に、 前後かな後ぐらいに、
黒人の境界音楽について研究が始まって。 ああそれがだいたい同じぐらいの。63年に書物が残ってる。
はあ。
で、その
67年に スレーブソングソブ ザ・ジ・ユナイテッドステイツっていう本が出て
これがスピリチュアルの最初の本かもしれない。 うーん。
というので、そのスピリチュアルの研究が 始まった。
で、黒人向けの大学ができている。 ティスク大学とか。
ここなん、この辺なんだ。 で、そこでコーラスグループがいたの。
へえ。 で、西洋、あの、もともと普通に産部科とかやってたんだけど、
はいはい。 もともとのそのスピリチュアル、その黒人の境界でやってた音楽を
やるようになったよ。 やったら、めちゃくちゃウケて。
はい。 あのヨーロッパツアーまでやるようになった。
あ、そのレベルなんだ。 それがね、67年、
あ、じゃねえ、70年入ってからか。 ティスク大学のコーラスグループが。
1870年。 うーん。
そうね、でもこの時代だとあれだな、やっぱ水戸出る秘書の曲とかが相変わらず出てたぐらいかな。
スティーブ・フォスターとかは50年代なんだけど。 はい。
そうね、60年代ってなるとやっぱ南国戦争が前半にあって、
まああの文化とかそういうなんか戦異洪洋系のやつが
あの、いっぱい出てきて。
まあ南国戦争に入る前に、まあすでにザコザあるじゃん。 まあまあいろいろありますね、発端になる出来事とかはありますね、確かに。
1959年にディキシーができてる。 あー、え、ディキシーランドジャズの、
あ、ディキシーって曲があるんだ。 あの、フォーマート3でもかかってた、あの、
あ、そうなんですね。 あの、なんだろうな、
ミジって感じの、今の解釈だと、 ライトって感じの
曲があって。
ディキシーが南軍の、まあ南軍ってアメリカ連合国だったんだけど、
これが正式な国歌ではないけど、国歌みたいな扱いになってた。
あー。
そうね、ロールジョーダンロールとか、スピリチュアルの有名な曲が、
ここで、南国戦争の最中に出版されたりとかしてる。 ごめんなさい、俺スピリチュアルっていう、あれがあんまりよくわかってないんですけど。
要は国人の曲解音楽です。 あー、やっぱそうなんですね。
で、後にゴスペルになる。 ゴスペルの前のやつなの?
原型みたいなもんです。
これは、大学で研究されたりとかしてるので、
西洋音楽の視点で構築されてるんですよ。
あー、はいはいはい。
デルタブルースみたいに、数の国人の音楽っていう感じではなくて、やっぱ大学の音楽ということで、研究がされてるので、楽譜化されてるのよ。
はいはい。だからちょっとプリミティブなものとは少し違うって感じなんですかね。
だから、わしがよく言ってる、1910年代のブルースに関して。
あー、はい、言ってますね。
西洋音楽の研究のもとにできてるものだから、
純粋に国人音楽っていうものではなく、スピリチュアルの研究とかがあって、国人の音があるっていう研究がされて、それに合わせて出てきた、白人向けのアウトプット。
あー、はいはいはい。なるほど。
なので、西洋音楽を通したアウトプットって、俺が完全に100%純粋に国人音楽だったら、そうでもないんですよ。
あの、19年代、20年代のブルースってのは。
まあ、ざっくりと戦前ブルースみたいな感じで作られてますけどね、あの辺は。
だけど、デルタブルースとかカントリーブルースって呼ばれる部類のものってのは、そんな楽譜とかそういうのでやってたわけじゃないから。
それが録音されたのが、まあ結構前から録音はされているんだけど、
その国家事業として録音されたのが、ニューディール政策です。1933年。
ニューディール政策で音楽をアメリカの文化遺産として残そうと。
音楽以外のジャンルもあったと思う。
文化遺産として残そうという動きがあって、ロマックスさんって人が親子でフィールドレコーディングをしてて。
音楽の録音と一般化
そこで録音されたのが、レッドベリー。
はいはい、出ました。
カントリーの、当時カントリーって名前ないけど、
まあ庶民の音楽みたいなのが録音されるようになって、ブルースっていう解釈だったのかな。
まあフォークでいいと思うんだ。
その頃のフォークとかブルースってあんまりないっていうか。
ブルース自体は都市部のボードビルとかで、ボードビルとかブロードウェイの音楽っていう感じだったから。
あー、そうか。なるほど。
だから、ベッシー・スミスとか。
なんだけど、それがラジオを通して一般に聞かれたりしていたので。
ラジオ個人で持ってる時代ではないけどね。
個人で持ってるのは金持ちグレーだったんだけど。
ブルースとかジャズとかそういう言葉自体は、どの層にも出てたので。
1920年代の録音で、ガスキャノン・アズ・バンジョー・ジョーって人がいるんだけど。
ガスキャノンって名前もかっこいいし、バンジョー・ジョーって言うて。
バンジョー・ジョーって。
かっこいい名前の人がいるんだけど、プワーボイ・ブルースってのをね。
いい、いいゲームですね。
ベッシー・スミスのブラック・ウォーター・ブルースもね、27年とかですね。
はいはい。
だから、ブルースってことは、ブルースってジャンルというよりかは、そういう感じの音楽っていう感じだったかな。
ちゃんと理論的なものはあったと思うんだけど。
なんかちょっと違うかもしれないけど、
僕ら世代で言うと、UKロックってすごいぼやっとしてるじゃないですか。
あんぐらい。
あんな感じですかね。
ジャンルって全部そうだよ。
まあまあまあ、そうなんだよね。
変身楽の部類だと、どんぐらいのBPMで、とかそういうのがあるけど。
1850年頃の音楽とジョシュア・ノートン一世
ブリッドポップとか、あの辺ってすごくなんかぼやっとしてるなーって思ってたから、
たぶんあれに近い感覚なのかなーって思いながら聴いてたんですけど。
Jポップみたいなもんだよ。
そうですね。
わかんないじゃん。
だってイギリスのロック全部UKロックだもん。
そう。
UKロックやからね。
イギリスのロックは全部UKロックだよ。
どんな音楽性だろうって。
UKロックなんですけど、そう。
そうねー。だから、ずっとカントリーブルースの中にあるスキフル。
スキフルも面白いもん、カントリー。
カントリーブルース。カントリーもそうかな。とりあえずスキフル。
ジャグ。
ジャグ、はい。
そういうのが、昔から録音されてるけど本格的に録音されたのが1930年代。
それでも1930年代。
ローマックス親子が頑張ったよって。
ちなみに重要なこととしては、1859年。
ジョシュア・ノートン一世がアメリカ合衆国肯定に即位を宣言したという年ですね。
アメリカ合衆国肯定即位をサンフランシスコ・タイムズが宣言した。
ジョシュア・ノートンさんという、
何だっけな、小豆蕎麦かなんかで一文なしになっちゃって、
ホームレスになっちゃった人がショックでわけわかんなくなっちゃって、
アメリカ合衆国肯定を名乗ったって。
なんか、割とこの時代の変な人みたいな感じの、ですよね。
ただ、この人すごいんだよ。
南北戦争を止めようとしてたんだよ、この人。
頑張ってたんだよ。
一人で?
そうだよ。南北戦争を止めようとしてたんだよ、この人。
で、サンフランシスコ市民からものすごい漁されてたもん。
ああ、そうなんだ。
だから名前残ってるってでもあるんだ。
面白おじさんとして受け入れられてたんだけど、
暴動が起きた時に、
その暴動に割って入って、
聖書の一節を述べて、祈りを捧げてて、
これで暴動を止めたっていうね。
すさまじい伝説のある人なんだよ。
なかなか変人ですね。
すごいですね。
サンフランシスコにある橋の先。
これ渋滞がひどいから、
トンネル作れって直令出してんだよ、元医師生が。
直令をよくサンフランシスコ大学に載せてたのね、校庭だから。
後に本当にそのトンネルができるっていう。
マジで。
本当にトンネルできたっていう。
先を行き過ぎた変態だったんですね。
セガサターン、セガですね。
女子野党とことセガですね。
サンフランシスコ市民にすごい漁されてて、
国際発行してたの、自分で。
手書きで、これでご飯食わして。
それでご飯をあげた人に、
納刀閣下御用足し典っていう看板が出せるの。
そうすると、人気典になってくる。
納刀閣下が来たところになってて。
納刀一世御用足しの看板を掲げて、
人を集められるっていう。
人を昔前にデブヤがお店に来てみたいなさ。
今でも残ってるすげえのは、納刀一世の直令で。
クリスマスもっと明るくしようぜって直令出したの。
クリスマスイルミネーションがそこから始まりました。
伝説の人です。
この方が南北戦争を止めようとしてたのね。
北軍と南軍それぞれに書簡を送ってて、
会合を開こうって言った。
そしたら着ていく服がないって返された。
いい話だね。
戦争中に頑張った人がいるんですよ。
そうなんですね。
ホームレスも一緒だったんだけど。
77年にチコウキイジソンが開発した重要人物がありますね。
1877年ですね。
ジャズ大名の舞台となった時代背景、
本当にあったこととしてはざっくりそんな感じかな。
映画「ジャズ大名」の感想
南北戦争が終わって、
最元気っていう時代になってっていう感じかな。
映画としても85本ってめちゃくちゃ短い映画なんで、
さっと見れる感じですし、
あんまりストーリーを一生懸命書けるような映画でもないので、
いい音楽映画ですよね。
後半の中50何分から見てもいいし。
途中の話とか本当にどうでもいいから。
まあまあざっくりこんな感じかな。
その時の日本ぐらいの感じで。
ざっくりこんな感じかな。
正直ちゃんと描いてないし。
そうそうそうそうそうそう。
そこがメインじゃないんですからね。
最後の楽しい、音楽楽しいっていう。
それにつきます。
それがね、よくわかるんでね。
やっぱいい映画ですよ。
いい映画でした。
とりあえずそんな感じで。
久しぶりにそびそび来てもらいましたよ。よく考えたら。
いやなんかね、たまたまタイミング的に
ちょっとね、二人とも見ようと思ってたっていう。
なんかちょっと奇遇だったんでね。
せっかくだから目立ついでこんな感想会も含めて
久しぶりに一緒に喋りましょうよっていう感じで
実際に撮らせてもらいました。
私は前から見ようとしてた。
ね、よかったよね。
やつだったんでね。
よかったよ。
まあまあそんな感じでございます。
この辺で終わりにしましょうかね。
今回は。
全然関係なく普通に喋ってまた遊びに来てください。
よろしくお願いします。
というわけでじゃあ
今回はこの辺でお開きにしたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。