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はい、今日は2024年8月の20日ですね。火曜日です。
いや、前回のエピソードの音声が悪すぎてびっくりしました。すいません。
前、同じ環境で撮った時の音声は大丈夫だったんで、いけるかなと思ったんですけどね。
ちょっとひどかったですね。申し訳ない。 それでもね、もう出しちゃったんで、
それが、はい、もうそれでいいということで、そのままにしておこうと思います。
えっとですね、今日は何でしょう。 ちょっとね、最近たまに気になることが
何か
する時に、子供にね、例えばこの間、何だったかな、絵を
描いて遊んでたんですよ。 その時に
自分は
子供のね、描いてる絵を、すごい良い絵だと思ったんですよね。
だから、その絵すごい好きだなっていうことを伝えたんですけど、
子供的には、いやー、そんな上手くないから、みたいなことを言うんですよ。
いやあの、パパはその絵が好きだなって言っただけですよ。
別に上手いっていうフレーズを使ってないのに、子供の方からそうやって言ってきたんで、ちょっとびっくりして、
いや、上手いとか関係なくない?って思ったんですけど、どうしてもやっぱり今、
そういう感覚になってしまいやすいんですかね。
環境的に。まあこれはやっぱ親としてのね、自分の至らなさもあるのかなと思って、
あーそっかーって考えさせられましたね。
上手いとか下手とかっていう基準ってわかりやすいじゃないですか、やっぱり。
何にしても。勉強にしたって、勉強上手いって言わないけど、できるかできないかとか。
頭が良い悪い。
足が速い遅い。運動ができるできない。運動神経が良い悪い。
言い方はいろいろあると思うんですよ。絵も絵が上手、絵が下手。
けど下手かどうかなんてことは、見る人によって変わるし、
その描いている自分が、描きながらなんかこう楽しい気持ちになれれば、それでいいんじゃないかと思うんですよ。
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子供の描く絵ってすごい、時に
何描いているかわからないけど、すごいパワーがもらえたりとかするし。
それってきっとやっぱこう、
描いている本人が楽しかったり、ワクワクしたりしながら描いているからだと思うんですよね。
暗い気持ちで描いたら暗い絵になるのは当たり前じゃないですか。
だから別に暗い絵だろうが明るい絵だろうが、その絵が好きな人はいると思うんですよね。
なのになぜか上手いとか下手で区別されるこんな
世の中というか、世間の判断基準がやっぱり主流になっているっていうのが、
少し残念な気持ちになりましたね。
けどそう言いながらね、自分もずっとそういう世界で生きてきているんで、
全然気持ちはわかるんですよね。
まあ今でもそんなん言っててもね、こんな言ってますけど、
同じように何かやってても、いや、けどもっと
うーん、なんか上手い人はいるしなとか。
なんかそういう感覚に陥る時ってあるし。
そうですね。 どうしたらいいんですかね。
まあそれでも、何だろうな、なんか置き換えて
やっていくしかないんじゃないかなって最近は、すぐ、できる限りすぐ
そういうなんかへこんだ気持ちを別の感覚に転換して、
置いとくというか、考え方を変えるというか。
別にそのへこんだ事実は変わらない、なくならないんだけど、
まあだとしても、こういうふうに持っていけば、気持ちを持っていけば、
まあいいかっていうぐらいの、
方向転換をね、うまくできるようにしてます。
それも練習中ですけどね。
本当にちっちゃいことでも、そういうことをちっちゃい練習を繰り返していけば、
結構大きい出来事でもできるようになると思ってるんで、
本当にちっちゃいことですよ、本当に。
なんか、なんでしょう、おやつで買ったお菓子が、思ってた味と違ってすっげーまずかったとか、
そんなことでもね、ちょっと切り替えて、じゃあもう次このお菓子は、
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買わないっていう選択肢ができたなとかさ、例えば。
もう無理、無理やり、無理やりなんか自分にとって、
なんか納得できる方向に変化してますけど、
それをこう、美味しくなかったっていう事実はなくならないけど、こういうふうに考えようみたいなね。
どう、すいません、どうでもいい話でした。
いやー、まあそんな、はい、あんまりそういう、
いいか悪いとか、上手い下手っていう、
二極化で考えるのやめたいよねっていう話ですね。
その、両極にあるけど、両極端な、なんか方向に何でも行きがちな気がしてて、
その間にあるそのグラデーションがなんか、一番面白くないって思うんですけどね、何事も。
そこで何か行ったり来たりして迷ってる様を楽しみたいなっていうふうに思ったりしてます。
はい、そうですね、まあそういうことを考えるとですね、
あのブラインドサッカーっていうのはですね、非常に適してると思います。
なぜならですね、誰しも、ほぼ誰しもが初心者になるんで、
そして目を隠されたらですね、例えば自分が上手くプレーできなかったとしても、
その上手くプレーできてないということを自分自身の目で、視覚で捉えることができないんですよ。
見えてないから。
だから、何かね、恥ずかしさも半減するし、
そもそもできなくて当たり前だよねっていうスタートだから、すごい気が楽なんですよ。
どんどんチャレンジしやすくなるっていう良いところがあります。
なのでね、是非興味のある方はチャレンジしてもらいたいですね。
もう石川県で興味のある人がいたら是非一緒にやりましょう。
まあ、はい、そんな感じで、そんなとこかな。
はい、じゃあ本日はありがとうございました。
これ音声大丈夫かな?ちょっと後で確認してあげたいと思います。
本日も聞いていただいてありがとうございました。
ではまた。