▼お悩み相談・リクエストボックス
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昨日に引き続き「自分語り」の後編をお送りします。
今回のテーマは「変化する心」。
かつて仏教が嫌いだった私が、なぜ人生の軸を仏教に置くようになったのか。
整備士として働き、大企業のエンジニアとして充実した日々を送っていた私が、再び修行の道を選んだ理由とは。
永平寺での厳しい修行中に直面した祖母との別れ、そして修行の締めくくりとして行った「福井から栃木まで700km徒歩帰宅」の旅についてもお話しします。
人生の苦しみや悩みも、時が経てば必ず変化していく。
そんな希望を感じていただければ幸いです。
#仏教 #お坊さん #永平寺 #修行 #人生の転機 #整備士 #エンジニア #心の変化 #悩み相談 #自分語り #栃木県 #蓮城院 #徒歩の旅
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永平寺での厳しい修行中に直面した祖母との別れ、そして修行の締めくくりとして行った「福井から栃木まで700km徒歩帰宅」の旅についてもお話しします。
人生の苦しみや悩みも、時が経てば必ず変化していく。
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サマリー
整備士から僧侶に転身したコウブンが、自らの経験を通じて心の変化について語ります。整備士としての学びを通じて、コミュニケーションやトラブルシューティングの重要性を実感し、新たな職場で自動車開発のエンジニアとしての道を歩んでいます。コウブンの物語は、0歳から700kmの旅を経て心理的変化を記録しています。父の病気をきっかけにお寺を守る決意をし、永平寺で修行を行うことで自身の仏教への理解を深め、最終的には歩いて帰る体験をしています。このエピソードでは、コウブンが永平寺から約700キロを歩いて帰った経験について詳しく語ります。そして、歩くことを通じて感じた仏教の重要性と心の変化にも触れています。
自分語りの始まり
どうも、コウブンです。
栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺で、副住職をしております。
今日はですね、昨日の通記をお送りしたいと思います。
昨日の通記、昨日はね、自分語りをお送りしました。
なので今日はね、その自分語りの後編ということでございます。
でね、なんで自分語りをしているかというと、
私という人間、コウブンという人間をね、皆さんによく知ってもらいたいなというふうに思ったというところですね。
お坊さんのね、お話、仏教の話ね。
これを伝えるというのはとても大事なんですが、
言ってみればありきたりですよね。
それを上手に伝えるかどうかというのは、その技量に関わるところだと思うんですが、
それもあるんですが、私という人間をね、もうちょっと皆さんに知っていただきたいなという。
知っていただくことで、もしかしたら親しみが湧いてくれるかもしれません。
というところをね、期待しながらお話をするというところでございます。
昨日は、その前にテーマですね。
今回のこの自分語り、テーマを決めております。
それは変化する心というのがテーマですね。
いろんな考え方。
皆さんもご存知の通り、考え方というのは変化するんですよね。
そういったところを改めて、自分の、私の場合ですけど、思い出を振り返りながら、
変化したんだなというところをきちんと認識するというのが大事かなと思いました。
ですので、そういった変化する心というのをテーマにしながら、お話をしていきたいというところですね。
昨日のお話では、1回目の修行というのは終わった後に就職しましたという、そんなところまでなんですが、
1回目の修行の時はね、1回目の修行はどこに行ったかというと、
東京にある、東京の西朝部ですね、港区の西朝部にある愛保山永平寺町、東京別院町国寺ですね。
長いね、名前が。そんなお寺があるんです。
そこで修行に行きました。それは20歳の時ですね。20歳の時に修行に行った。
その修行で何を得たかというと、仏教ってすごいんだなっていうところですね。
雑に説明するとそういうことです。
それまで仏教は私にとってはすごく嫌なものでした。
マイナスな材料が多かったというかな。
家がお寺であるという形で、それでいじられることがあったんですね、友達にね。
それが嫌だった。
あとはなんか古臭いとか、そんな風に思ってたんですよね。
だから好きじゃなかったんです。
ただそれはなぜかというと知らなかったんですよね。
あまりにも仏教のことに無知だったから、結局そういうことだったんですけども。
そういった仏教に対するマイナスなイメージが、修行に行くことによってプラスに転じたというところですね。
ただまだ本気で仏教に取り込もうとまでは思っていません。
仏教というものは偉大な教えであって、きっと人生に役立つものだ。
それは一生をかけて身につけるものだ。
そこまではなんとなく分かりました、修行して。
でも自分事までにはいかなかったですね。
なんとなく他人事、こんなのあるんだなぐらいの程度にしか思っていなかった。
それよりも自分のやりたいこと、車好き、バイク好きだったので、それをもっと乗りたい、いじりたい、触りたい、触れたい、知りたい、そんな風に思っていたわけです。
だから仏教は仏教、そういう素晴らしいものがあるのは分かった。
けど私は私のやりたいことをやるんだと思っていたんです。
で就職をしたわけですね。
私は整備士の資格、国家資格を取得しております。
それを生かしてあがら就職をしました。
それは自動車の整備工場ですね。
そこで2年ほど仕事をしたわけですが、その整備工場で学んだことは何かというと、人との接し方という部分ですね。
コミュニケーション、そういったことを学んだかなというのがあるかなと思います。
というのは整備士の仕事というのは整備ができるだけじゃダメなんですよ。
やっぱりお客さんとの対話、お客様との対話をしながらどういう風に納得していただくかというのが大事なんですよね。
整備士としては車を良くするのはもちろんなんですけど、お客さんは予算に限りがあります。
こうしたいというリクエストがあります。それに答えながら、最大限に答えながらも、
ちゃんと妥協点というか納得する場所、そこに落とし込んでいくというところ。
これはコミュニケーション、非常に大切です。
お客さんと対話をしながら決めていくということですよね。
それを整備士の仕事をしながら、いろんなお客さんとお話をする中で学ぶことができたということですね。
やみこもに、これはこうだからこうしなきゃダメですと言うんじゃダメなんですよね。
やっぱりお客さんがこうしたいんだという希望を聞きながらも、この状態だとやはり難しいな、こうしたらどうですかという話みたいなところですよ。
あとは予算をオーバーしちゃうんですけど、こういうこともできますよとか、いろんなことをその人となりを見ながら決めていく。
そういうことで、こちらもハッピーだし、お客さんもハッピーだしというような関係性を築くことができるんだということを学んだ。
それが整備士の時代です。
整備士としての学び
ちなみに車のいじり方、車の整備の仕方についても、教科書だけでは学べないことをたくさん学びました。
特にトラブルシューティングというところですね。
あまり皆さんトラブルシューティングという言葉を普段は使わないから分かりにくいと思うんですが、
いわゆる車が故障したときにどうやって直すかというところ、もちろんマニュアルに沿ったものもあるんですよ。
こういう時はこうしましょうみたいな、それもあるんですが、それに当てはまらないことがたくさんありますよね、実際の現場はね。
そういう時にどうやって直していくか。
やみこもにパーツを外してということもできるんですけども、
そんなことをやっていたら余計な時間もかかるし、もしかしたら余計なコストもかかるかもしれないということを考えたら、
少しでもどうやったらトラブルを直せるかというところを考える。
そういう力って大事だなというところですね。
それは整備の仕事をやりながらすごく学びました。
当たりをつけると言った方がいいかな。
いろんな車の構造というものを頭の中にいろんなことを描きながら、
この時はこうだからこうじゃないかということを考えながらやるというのがとても大事なんだなということですね。
当たり前っちゃ当たり前なんですけど、それが学生の頃はよく分かっていなかったですね。
現場を踏んでいないから。教科書を見れば書いてあることを学ぶだけでしたから。
実際の現場はそんなにシンプルではなかったというところですね。
そのトラブルシューティングをするという技術というものは、
普段の生活でもいろんなところで応用が効くことでしたね。
やっぱり生活の中でもトラブルってあるじゃないですか。家庭の中でね。
例えば水漏れをする。なんで水漏れするのかな。
単純にネジが緩んでいるのか、それとも穴が開いているのかとかね。
この治すためにはどういう手段が一番有効なのか。
そういったことを考える力。
慌てて修理業者に頼むんじゃなくて、自分はどこまでできるのかとか、そういうことを考える。
これは結構楽しいし、また実際の生活の中でも役立つことが多いのかなと思いました。
そういったことも学ぶことができたのが整備士時代ですね。
2年ほど仕事をした後、私の就職していた会社の業績が悪化してしまったんですね。
店舗を畳むことになった。
そうしたら人員が余ることになったということですね。
そのタイミングで、もしかしたら人を切るとまで言ってなかったんですけど、給与は下がるみたいな話になったんです。
どうしてもそのピンチを切り抜けるためには必要だというように社長は言ってましたね。
私は正直ね、だったら別の仕事を作ろうかなと思ったのが正直なところです。
というのは、2年間の仕事はとても楽しかったんですけど、ずっとその仕事にしがみついてやろうとまでは思ってなかったんですよね。
いろんなことをもっと学びたいな、チャレンジしたいなって思ってたんです。
永平寺での修行
だからこれはいい機会だなって逆に思いました。
なので仕事を辞めて、そして私の地元にあるとある大企業の工場の機関契約社員を使って就職することになったんですね。
機関契約。知ってますか、そういう機関契約社員というのがあるのは。
要は年数が決まっていて、契約更新するまでの年数が決まっていて、1年契約だったんですけど、その1年ごとに次はどうするかどうか、契約継続するのかそれとも辞めるのか、そういったことが決められるような仕事だったんですね。
行ってみればアルバイトより社員より、けど正社員というわけではないから首をいつでも切られる可能性はありますよ、みたいな感じの就職形態ですね。
そこは工場ということもあって、夜勤があったんですね。
そのせいもあってか給料はものすごく良かったです。
当時の私にとっては整備士の仕事の1.5倍、2倍までいかなかったけど1.5倍はありましたね。
嬉しかったですね。しかも工場なので時間がきっちり決まっていました。
8時間ほど休憩もあって、ちゃんと食堂も食事もついていてね。
あと制服も支給されて、福利構成がしっかりしていた。
そこは驚きでしたね。やっぱり大企業ってすごいなって、その時よく思いました。
そんな仕事をしていて、その仕事をしているうちに、大きい企業のメーカーの開発部門というところがあって、そこが今募集をしているよという話を聞きつけたんですね。
そこでこれは面白そうだなと思って、すぐ飛びつきました。就職活動をしたんですね。期間契約をしながらも。
そしたらちょうど期間契約が切れるぐらいのタイミングで就職できることになったんですよ。
ラッキーでした。非常にラッキーだった。タイミングが良く。
そして私は自動車開発の仕事、エンジニアですね。エンジニアになることができたんですよね。
本当にすごく嬉しかったです。大好きな自動車を整備するのも好きだったんですけど、その車を開発する。自分たちで作り上げる。
もちろん全部を作るわけではありませんが、その一部でも自分で作ることができるんだと。
そういった商品が世の中に出回るんだということを考えたらすごく嬉しかったですよね。
そういう仕事をしている方もたくさんいらっしゃいますが、私にとってはすごく…
新たな職場環境
こう言っちゃうともうちょっと語弊があるかもしれませんが、自動車の整備の仕事からずいぶんアップグレードしたような感覚がありましたね。
自動車整備の仕事がダメだと言っているわけではないんですが、やれることというか、車というものを扱う上で、より深いところまで携えるというのがすごく幸せに思ったんですよね。
大好きな車、研究レベルまでその仕事として携われるわけですから、こんな幸せなことはないなと思いながら仕事をやっていました。
そこでは学んだことももちろんたくさんあります。
まず一番大きいのは、大企業であるがゆえに、組織。組織の中での人間関係というのをよく学びました。
やっぱり人間は一筋縄じゃいかないんですよ。いい人だったらいい人なりに、そうじゃない人もいろんな人間関係があって、自分がやりたいことを必ずできるわけでもないし。
嫌な部分も、人の嫌な部分も見たりするし、逆にこんな嬉しいことがあるのかと思うようなこともあったし、いろんな経験をしました。
その細かいところはまた時間があるときに譲るとして。
その大企業での、自動車の開発の仕事での学んだことというのは、人間関係。
そうした組織での人間関係というものの重要さ、大切さ、立ち回り、そういったいろんなことを学んだから。
自分語りが長くなっちゃいましたけど、自動車開発の仕事をしていて、気づけば35歳を過ぎて、もういい年になってきた。
いわゆる中年になってきた感じなんですよね。
そのときに、そのぐらいのタイミングで私の父親が心臓の疾患で倒れたんですよね。
急性の疾患。入院することになったんです。
幸いにも大したことはありませんでした。2、3日の入院で無事に退院して。
私の父も当時仕事をしていましたから、また仕事に復帰することができた。
そんなことがあったんです。
そのときにすごく感じたことがあったんです。それは、お寺。お寺のこと。
今後どうしたらいいんだろうって思ったんですよ。
正確に言うと住職ではなかったんですけど、住職の代わりとしてお寺を守ってきました。
いろんなことをお寺に関することをやってたんですね。
それが父がいなくなると誰がいるんだろうかと思ったら、私か私の兄かしかいないんですよ。
小さいお寺ですから、お坊さんが外からやってくるってことはあんまりないです。
どこのお寺だって人がいなくていっぱいいっぱいであるんだから、お寺はわざわざ大変だからって手伝ってくれる人はおりません。
自分たちでどうにかするしかないんですよね。
どうにかするっていうことに関して、私か兄かなったんですけど、兄も仕事をしてました。
兄は当時埼玉県の方に住んでまして、全然違うところに住んでたわけです。
だから物理的にお寺のことをやるっていうのは無理だったんですよね。
じゃあ私がやるしかないなって思ったんです。
お寺をそのまま放っておくわけにはいかないって思ってたんですよね。
なぜなら仏教に対して良い印象があったからですよね、それは。
仏教が嫌いだったら多分そこまでは思ってなかったと思うんです。
お寺が嫌いだったらね。
でも私の中で20歳の時の修行の経験っていうのは、このままお寺を放っておいていいんだろうか。
誰かが守んなければ、誰かが守らなければ、誰かが守らなければ、誰かが守らなければ、
誰かが守らなければ、誰かが守らなければならないんじゃないだろうかと。
そんなふうに思ったんですね。
そう思った時に、じゃあ私がやろうと思ったんです。
で、そのことがきっかけで、うちの父が倒れたことがきっかけで、
車の自動車の開発の仕事をやめてもう一回修行に行くっていうことに なったんですよね。
普通は一般的に我々の業界、お寺の業界でも修行を2回行くという人はあまりいないです。
1回で十分なんですよね。十分というのは何が十分かというと、資格を得るためには十分だったんですね。
住職になるためには一応ね、総統宗の中の規定があって、修行をどれくらいやりましょうというのがあるんです。
それをやれば住職としての資格を得ることができますよというのがあって、私はもうそれはすでに満たしていたんですね。
つまり修行する必要はなかったんですね、資格的にはね。
ただそれでも修行に行くことに決めたんですね。
それはなぜかというと、一つは憧れがあったんですね。
何が憧れかというと、私が1回目の修行に行ったところは大本山永平寺東京別院彫刻寺というところです。
それはいわば東京出張所みたいな話をしましたけれども、まさに東京の出張所。
福井県にある大本山永平寺の、それをスケールダウンしたかのような場所なんですよね。
やってることは基本的には一緒なんですけども、いろいろ縮小している。人数も少ないですし。
あと、何だろうな。
これは説明するのは非常に難しいんですけど、とにかくスケールダウンをしているというところで、
いつか大本山永平寺というところに行ってみたいなという思いは心のどこかであったんですよね。
ちゃんとしたいなというふうに思ったんです。
もう一つはちゃんとしたいなと思ったんです。
自分がお坊さんとしてやっていくというところを覚悟を決めたときに、
それまで1回目の修行をした後はほとんどお坊さんをやっていませんでしたから、
忘れていることもほとんどでしたし、何より仏教の勉強が足りないなと思ったんです。
そういう意味でも、自分をより仏教に対して100%身を置ける、そちらの方に方向性を向かせるという、
集中すると言ったらほぼいいかな、そういう意味では修行に行くというのが最適かなと思ったんです。
そういった憧れがあったことと、そしてこれからのお坊さんとしていく覚悟を確かのものにするためにも、
それで修行に行ったと。福井県の大本山AHというところに行きました。
修行に行って2回目だったので、やはり1回目と違いました。
1回目は何も訳が分からない状態で行ったので、いろんなことが起こられて、
辛いなというのがほとんどだったんですけど、ただ2回目となると、今回はしかも主体的に自分の意思で行ったわけですから、
全てがありがたいなという気持ちで修行することができたんですよね。ありがたい。
なんていうか、その修行するという、厳しいですよ、そのAHでやっていることは。厳しいですけど、
そういった厳しさに身を置けるというありがたさ、家族の理解のありがたさ、いろんなありがたさがあるなと思いました。
そこで修行生活をしながら仏教の勉強をして、これからどうするかそこまではまだ考えていませんでしたが、
とにかくその修行というものを通じて仏教に対してすごく真剣に向けられることができたというところでございます。
でね、実はですよ、また大変なことがあったんです。
それはね、今度は、AHで修行している時ですよ。今度はね、おばあちゃんが亡くなったというお知らせが届いたんですよ。
届きました。1回目の修行の時はおじいちゃん、2回目の修行の時はおばあちゃんだったんですね。
おばあちゃんが亡くなったという話もね、聞いた時にやっぱりね、
それはその時は私から家に電話したんです。
それはね、ことずれかあって、ことずれではない、電報があったんですね、電報。
電報が届いて、祖母が亡くなったという電報が私のところに届いたんです。
それはね、父が、AHの修行中には電話することができないという決まりでしたから、
だからせめてね、とにかく知らせたい、一刻でも早く知らせたいということで電報だったんでしょう。
で、電報を受けて、私は許可を得てすぐに父のところに電話しました。
で、おばあちゃんが亡くなったと。
私はやっぱりね、その時も呆然としてね、涙思わず出ました。
父が一生懸命いろんな事情を説明してくれたんです、その状況をね。
それを聞きながらね、ただただ泣いていました。
まあどこかで確保はしてたんですけどね、全然でもやっぱり実際に目の当たりにすると非常に苦しい、そんな思いがあったんです。
で、ただ今回は前回のね、そのおじいちゃんが亡くなった時と違ってて帰らなかったんです。
で、何でかというと、まず最初に永平寺という修行道場に入った時に先輩のお嬢さんからこんなことを言われたんですね。
この修行は決して中断してはならない。永平寺の修行というのはずっと続けることが大事なんだというふうに言われたんです。
たとえ肉親を失ったって帰ってならない。それぐらい厳しいところだ。そんな覚悟がお前はあるのかって最初に問われるんですね。
で、その問いに対して、はいと、覚悟がありますと、そういうふうに答えたわけです。
そういう答えたこともありますし、そして永平寺で修行するという行いはきっとおばあちゃんの供養につながるはずだというふうに自分を言い聞かせて、そして帰らずに修行を続けました。
やっぱりそれでも悲しかったですよ、正直。
でもね、おばあちゃんの元に駆けつけてね、ありがとうとかお疲れ様でしたとか、そういうセリフを言うのも大事なんですけど、
そうじゃなく、行いでね、自分の気持ちを表現する。そういうことだって大事だよなと思ったんですね。
もちろん心の中ではモヤモヤはありましたけど、そんなふうに思いながら修行を続けて、
そして永平寺の修行も1年ぐらいで区切りをつけて帰ることにしたんです。
歩いて帰る旅
帰ってからおばあちゃんの供養をするんですが、その話はちょっと一旦置いておきまして、帰る際に私一つのやりたいことがあったんです。
それは何かというとね、歩いて帰るということをやりたかったんですね。
別にね、修行を終わってから自分のお寺まで歩いて帰るのって義務じゃないんですよ。
むしろやらなくていいし、やらない人の方が圧倒的に多いんですけど、でもそれをやりたかったんです。
なぜかというと、1回目の修行をした時に、私普通にお寺に出てみんなに魅惑してもらって、
駅に向かう途中でタクシーに乗って普通に電車で帰ったんです。何の苦労もなく。
そういった帰った思い出もあって、そして私の1回目の修行の時の仲間が歩いて帰ったんだよという話を聞いて、
そしたら、いろんな人に泣かれたんだと聞かれたんですね。
ああ、そうなんだって。泣かれたって。何でって聞いたら、いや、分かんないけど。
なんか、俺が歩いているのを見たら、すごく感動したんじゃないの?みたいなことを言ってて。
当時ね、私もよく意味は分かってなかったんですけど、歩いて帰るという行為、それが人にとってどのような影響を与えるか、そこまでは考えてなかったんですが、
ただ、それを聞いたときに私もやってみたいなって思ったんです。
別に誰かを感動させたいとかそういうことじゃないんですけど、ただ歩いて帰るということをやってみたいなと思って、
永平寺の修行の使命は歩いて帰るということだったんですね。
なので永平寺を出て、修行の永平寺を降りますという許可を得て、みんなに見送ってもらって、
そして永平寺から栃木まで歩いて帰ってきました。約700キロ。
かかった日数はおおよそ25日くらいかな。3週間弱ですね。
その間、寝るところはどうするのかというと、お寺に泊まったのが大体半分くらい。半分もいかないかな。
十何か時、お寺さんに泊めていただきました。
アポ無しで突然行ってね。こういう事情なので泊めていただけませんかと。
前はなかなかチャレンジングなことをしたんですけど、その時しかできないと思って。
唯一できる、それが堂々とできるのがその時だけだと思ったのでやりました。
成功率は7割くらいかな。あとの3割は迷惑そうに追い出されましたけど。
それは織り込み済みです。私の中で。そういったこともあるんだろうなと思いつつ。
お金も一応準備しておきましたので、ダメだった場合はどこか泊まる。
ビジネスホテルとか泊まればいいかなと思いつつ。そんなことを考えながら帰ったというわけです。
3週間かけて帰って、現在にいたというわけですね。
仏教への理解の変化
長いこと語っちゃいましたね。これ何分語ってるの?20分?30分ですね。
びっくりするくらい長編になってますけど。この辺で今日は終わりたいなと思います。
あ、そうそう。肝心なことでまた言うのを忘れていました。
仏教に対してどのような思いが変わったかというところですね。私の今回のテーマですが。
子供の頃は嫌いだった。1回目の修行で少し良い方向に向かった。
2回目の修行で完全に仏教というものが自分の生きる軸になったというところですね。
もう仏教なしでは私の人生はありえないというところですね。そのように変化しました。
なんで子供の頃嫌いだったのかなと思うと、やっぱり今思うとあまりにも知らなかったからですね。
それはなぜかというと、きっといろんな生活が豊かだったから学ぶ必要がなかったんですよね。
お寺のことをお手伝いする必要もなかった。だから知らなかったんです。仏教のことを触れなかったから。
そういった環境のせいもあって、知らなかったがゆえに仏教のことを食わず嫌いというと変かな。
仏教の大事なところというのを気づかなかったというところですね。
ところが人生をだんだん年を取るにつれてその重要性というのはだんだん増していって、
今はもう仏教なしでは私の生活はありえないというところまで来ております。
そのように考え方というのは変化するんですよね。
これを聞いている皆さんもきっといろんな考え方が変化する。
そういったことが思い出したのかなと思います。
それは何も悪いことではないんです。
自分の人生をどう生きていくかという中でいろんなものに触れる時間というのが経過したから、
だから変化していったんだというふうに私は思うんですね。
だから変化するというのは当たり前なんです。
もちろん良くない変化もあったと思います。
人間関係もそうですけど、何かが嫌になったとかそういったこともあると思います。
今とても苦しい状況の人もいるかもしれません。
でもそういった苦しい思いというのもいつか変わっていくんだというところは、
そういったことがあるということだけは覚えていただきたいなと思います。
苦しみはいつまでも続くわけではない。
いつかはいつか楽になるタイミングが来る。
そういうときにそうなるんだということを信じながら、
もし大変であれば希望があるんだということだけは忘れずに、
皆さんの人生を過ごしていただければなというふうに思います。
というところで、今日はだいぶ長くなりましたが、
ここでお話は終わりたいと思います。
というわけで蓮城裕福住宿の幸文でした。
ではではまたね。
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