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4月8日の「お釈迦様の誕生日(花まつり)」をテーマに、元エンジニアの副住職が誕生エピソードに込められた真意を独自の視点で紐解きます。
クリスマスほど知られていない仏教の行事「花まつり」。
お釈迦様が生まれた時の不思議な物語には、実は現代の私たちにも通じる大切なメッセージが隠されています。
「なぜ生まれた直後に七歩歩いたのか?」
「『天上天下唯我独尊』の本当の意味とは?」
元自動車エンジニアの視点で、物語の設計思想や背景にある「命の等しい尊さ」を深掘りしました。
栃木県の蓮城院で行っている花まつりの様子や、SNS社会の中で自分を肯定するヒントもお話ししています。
この配信が、あなたの存在をそっと肯定するきっかけになれば幸いです。
#副住職 #蓮城院 #禅 #花まつり #お釈迦様
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クリスマスほど知られていない仏教の行事「花まつり」。
お釈迦様が生まれた時の不思議な物語には、実は現代の私たちにも通じる大切なメッセージが隠されています。
「なぜ生まれた直後に七歩歩いたのか?」
「『天上天下唯我独尊』の本当の意味とは?」
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サマリー
栃木県の蓮城院副住職であるコウブンさんが、4月8日の花まつり(お釈迦様の誕生日)をテーマに、誕生エピソードに込められた深いメッセージを元エンジニアの視点から解説します。お釈迦様が生まれた時の七歩歩きや「天上天下唯我独尊」という言葉の意味を、現代社会やカースト制度といった背景を踏まえて紐解き、命の尊さと自己肯定の重要性を説きます。また、蓮城院での花祭りの様子や、クリスマスとの比較を通して、花祭りが持つ本来の意味と、自分自身を肯定するきっかけとなる日であることを伝えています。
花まつりの紹介と誕生エピソードの概要
どうも、コウブンです。 栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺で、副住職をしております。
今日はですね、明日、4月8日のお話をしていきたいと思います。
4月8日、何の日か皆さん知ってますか?
実はですね、お釈迦様の誕生日、仏教にとってはとても大事な日の一つなんですよね。
そうなんです。クリスマスは有名ですよね。これはイエス・キリストさんの誕生日という風に伝えられておりますが、
ところがね、4月8日、お釈迦様の誕生日、あまり有名じゃありません。
ちょっとね、僧侶としては残念なところではあるんですけど、
この4月8日、お釈迦様の誕生日、実は花祭りという名前で、
仏教としてもね、そういった花祭りとして、各種催し、儀式みたいなものをやったりしてるんですよ、実は。
なので今日はそのお話をぜひしていきたいなという風に思っております。
さらに花祭りというもの、うちの寺でもね、花祭りをやってるんですが、
お釈迦様の誕生エピソードの詳細
そういったところのお話と、またお釈迦様が花祭りの中でお釈迦様の誕生エピソードがあるんですが、
それについて少しね、エンジニア的な視点で詳しく深掘りしていきたいなと、そんな風に思っております。
ということで、まずはお釈迦様の誕生エピソードからご紹介していきたいなと思います。
お釈迦様、この方は今から約2500年ほど前の方ですね。
そして現在のネパールというところの、ネパールという国か、国のルンビニーという地域で生まれたとされております。
ルンビニーのお花がたくさんあふれているような、公園みたいなところなのかな、ごめんなさい。
よくその辺はよくわかってないんですけど、とにかくルンビニーという地域の花がいっぱい咲き誇っているところで生まれたんだよという風にされております。
そしてお釈迦様のお母さん、お母さんの名前はマヤさんといいますね。
マヤ夫人とも言われたりいたしますね。そのマヤ夫人からお釈迦様が生まれたんです。
どういう風に生まれたかというとね、これがまたすごいんですが、右の脇腹から生まれたと言われております。
脇腹からってちょっとびっくりしますよね。どんな風に生まれたのかな。
ちょっと想像もつかないんですけど、まともかくね、右脇腹から生まれたとされております。
そして生まれたお釈迦様、生まれてすぐ7歩歩いて、そしてピタッと止まって、その場で右手を天、空に向けて指さして、
エンジニア視点での誕生エピソードの解釈
そして左手を地面を指さして、天上天下唯我独尊、天上天下唯我独尊、そんな風に言ったんだという風に伝えられております。
すると天から寒露の雨が降り注いだと言われて、寒露というのは甘い露と書いてある寒露ですね。
甘い雨が降り注いだ。お祝いですよね。お祝いの雨が降ったんだよとされております。
これがお釈迦様の誕生エピソードです。すごいお話ですよね。
どこから突っ込んでいいのかという。突っ込むってお坊さんがそういうこと言っちゃいけないんですけど。
当然、私たち現代の情報がいっぱい溢れた時代で、また科学技術がいっぱい溢れた時代においては、
これはお釈迦様のこの誕生エピソード、当然ながらフィクションだなって思いますよね。私もそれは思います。
でも、このお話というものを大切に受け継がれてきたわけです。仏教としてはね。
受け継いできたのには理由もあるし、最初にこういったお話を作った人が、なぜそういうお話を作ったのか、
なぜそういうお話の設計をしたのかという、その裏側にある思いを考えていきたいなというふうに思っているんですね。
私は実は、このお坊さんとなる前は、とある自動車会社のエンジニアをやっておりました。
サラリーマンですね。サラリーマンをやっていまして、そのエンジニアという、何て言うのかな、ものづくりですよね。
やっぱりものづくりをするとなると、どうしても物の構造、仕組み、設計、そういったものに非常に興味が出ちゃうんです。
そういうふうに考える癖があるというところですね。
なので、このお釈迦様の誕生エピソード、これも当然ながら、当然ながらって言うとおかしいか。
これを聞いたときに、やっぱり僧侶としての立場としてはもちろん、この方便として伝えるわけですから、
当然ながらこういうお話もするんですけれども、同時に、何でこういう物語になったのかなというところも考えるわけです。
どういう意図があって、どういう考えがあって、こういう物語になったのかなというところですよね。
お釈迦様のたくさんのお弟子さんがいるわけなんですけれども、
お弟子さんたちがお釈迦様の教えのどこに感動して、そしてどうしても後世に伝えたかったのかというところ。
これがきっとこの物語の中に込められているんじゃないかなというふうに思うわけです。
まず、いろいろ気になるエピソードはあるんですけれども、その中でもちょっとインパクトのあるところ。
七歩を歩きましたよというところ。これはどういう意味があるのかというところですね。
ちょっと深掘りすみますと、まずよく言われるのは、仏教には六道という考え方があるんです。六道輪廻という考え方ですね。
地獄、崖、畜生、修羅、人間、天、この六つの世界を私たちはぐるぐると生まれ変わってはなくなって、生まれ変わってはなくなって、そういった繰り返すんだというふうに伝えられております。
つまりこれは迷いの世界なんですね。人間とか天も今入ってましたけど、これも迷いの世界だというふうに仏教は説いております。
この迷いの世界をぐるぐるぐるぐる循環する、繰り返す、これが基本的な私たちの世界なんですが、ところが、この迷いの世界を抜け出す、これを下脱というんですが、この下脱というところを表現するために七歩目、六つの世界を越えるんだというところ、これが教えの確信なんじゃないかなというふうに思います。
この教えの、仏教の大切なところ、下脱というところが仏教にとってはとても大事なんですけど、これを教えの確信というところを誕生の瞬間に織り込んだというところなんじゃないかなと思うんですよね。
つまり、お釈迦様は下脱の象徴である。下脱イコール仏陀ですから、仏陀という象徴である。象徴というか、お釈迦様イコール仏陀ですから、仏陀は六つの世界を越えるんだというところを表現したんだろうというふうに私は思いました。
まあすごいですよね。もちろんこれは私の解釈ですから、あっているというわけではないんですが、そのように私は受け止めております。
偉大な人、仏陀として誕生したわけですから、六つの世界を乗り越えるんだ、それを七歩という数字で表現したんじゃないかな、そんなふうに思います。
そして天上天下唯我独尊という言葉を言ったんだよというふうに私は言いましたけど、この言葉は皆さんもどこかで聞いたことがあるんじゃないかなと思うんですよね。
イメージするのは、やんちゃな人たちの、夜中バイクを少し大きめな音で走っている人たちの背中に、服の刺繍が入っている、そんなイメージですよね。
私の勝手なイメージかもしれませんが、天上天下唯我独尊という。
これはどういう意味かというと、天の上にも天の下にも私たちが唯一の存在である、そしてその唯一の私が最も尊いんだということを言っているんですよね。
天の上にも天の下にも私は一人であって、その私はとても尊いんだ、そんなふうに言っているんですよ。
聞き方によっては、私が一番偉いんだみたいにも聞こえちゃうんですけど、実はそうではないんですよ。
これの意味するところというのは、私が尊いと同じようにあなたもまた尊いんだと。
私たちの命というものは、命がある、それだけで尊いということなんですよね。
だから生まれた瞬間に偉いとか偉くないとか、そういったことはないんだと。
命というものにその上も下もないということを、この言葉によって表現しているのではないかなと思うんです。
そして何でそんな言葉をわざわざ物語の中に入れたのかというと、当時、お茶彩花様が生まれた2500年ほど前のインドでは、
カースト制度というものが非常に強力な社会的に実装されていたわけですよね、カースト制度。
カースト制度というのは生まれながらにして身分が確定しますよという、そういう世界観ですね。
つまり生まれた家柄で人間の価値が決められてしまう、そういう世界だったんです。
でもそういったカースト制度というのがしっかりと根付いている世界において、その世界に向かって一人一人が尊いということを宣言する。
つまりカースト制度に対して、私はカースト制度というものに対して賛成はしていないんだというものを
そういう態度を示したということですよね。
言い方によってはアンチテーゼというのも言われると思います。
否定をしたというとちょっと言葉は強いかもしれませんが、ともかく私たちは違う考えであるというのを宣言したのは間違いないというところですね。
これはきっと後のお弟子さんたちがとても伝えたいことだったんだと思います。
カースト制度というものに対して私たちはその考え方に従っているわけではないんだと、そういったところを伝えたかったんだとそういうふうに思います。
わかりませんよ。もう全然違う理由かもしれません。私はそんなふうに受け取っているということなんですが。
そして次に気になるところ、観露の雨。
蓮城院の花祭りの様子と作法
天から観露、観露というのは甘い梅雨ですけれども、甘い雨が降ったんだよというところ。
これは要するに天が祝福している。世界中が祝福している。世界中どころか宇宙が祝福している。
そんなふうに捉えられるんじゃないかなと思うんですけれども。
これはお釈迦様という一人の人間の誕生というわけではなくて、世界全体にとってとても喜ばしいことなんだということを演出したんじゃないかなと思うんですよね。
当時インドではバラモン教というものが主流でした。
そのバラモン教の神々、日本で有名なのは大釈天とかですね。
そういった方ですらお釈迦様の誕生を祝ったんだという形にすることで、
お釈迦様の教えというものがあらゆる権威を超えたものだというものを表現したんじゃないかなと思うんですよね。
最も優れているというまでは言いませんが、ともかくバラモン教の人ですらお祝いするぐらいすごい人だよということを表現したんじゃないかなというふうに思うんですね。
つまりお釈迦様の誕生を宇宙そのものが喜んだ、そういったふうにしたんだろうと思います。
それぐらい偉大な人ということですよね。
つまりまとめますと、この誕生エピソードというものは、
お釈迦様の弟子さんたちがこの教えというものはどれほど尊いのか、そしてどうしても伝えたい、
そういう思いの結晶なんじゃないかなというふうに思うんですよね。
やっぱりそれぐらい熱意が込められている、そんなふうに私は感じました。
そして2500年ほど経った現在においても、今も花祭りとして残っているということは、
その願いが確かに届き続けているということなんじゃないかなというふうに思ったりもしております。
以上が私のお釈迦様の誕生エピソードの考察なんですが、
そんな花祭りを受け継いでいる私のお寺も受け継いでいるわけです。
クリスマスと花祭りの比較と現代へのメッセージ
私のお寺ではどういうことをしているかと言いますと、
私のお寺は小さな本堂ですけど、その本堂の前に机を置きまして、
その机の上に花見堂という小さなお堂を作っております。
花見堂、小さいお堂ですね。高さで言うと50センチぐらいかな。
両脇で言うと幅で言うと30センチ、縦30センチ、横30センチ、高さ50センチぐらいの小さなお堂がありまして、
その中に桶、わかりやすいように言うと、
寿司の寿司飯でありますよね。寿司飯を作るときに桶に、
オフィスみたいに米を入れて酢を入れてパタパタしますけど、花をかき混ぜながらパタパタします。
あのイメージです。オフィスみたいな小さな桶を用意しまして、
その中に甘茶、甘茶というのを満たしまして、
その中にさらに小さなお釈迦様の誕生物と言われる、さっき言った天上天下の時の姿、
右手を左手を地面を指したそういった小さな像があるんですけど、
それを安置させていただいております。
そのような形で花見堂という形でそういったものを設置しまして、
そしてその両脇には今の時期は桜ですよね。桜というものを少々拝借させていただきまして、
天上院の桜を拝借して、それを手作りの花瓶にさせて飾っているというような形で、
そしてその花見堂の前には昇降するための航路と、
あとは小さなお祭せん箱というのを設置させていただいております。
そういう形で花祭りという形ですよね。
やっぱり華やかだし、見ているだけでも心がながむような雰囲気となっております。
ぜひともお近くに来た方は天上院に来ていただいてご昇降していただければなと、
そんなふうに思ったりもしております。
はい。
そうですね、他話すことあったかな。
そうそう、この花祭りのお作法、皆さんご存知でしょうか。
あんまり知らないと思うんですけども、そのさっき言った花見堂の中に桶を置いて、
その中に天茶を張って、そして誕生物を安置すると言いましたけども、
その誕生物に対して天茶をかけるんですね。
そういうお作法があるんです。
何であれかというと、それは観露の雨の再現ということですよね。
そういう行為を行うことで、お釈迦様の生まれた瞬間を再現しているんだよということですよね。
はい。
これを天茶をかけるということ、そして手を合わせるということ、
そういった所作自体が一生離れて祈りの時間というものになっているんじゃないかなと思います。
難しいお経を唱えるんじゃなくて、ただ手を合わせて天茶をかけるという。
そういったことで仏教に触れていただこうと。
そういうわけなんですよね。
最後にクリスマスと花祭りの比較というと変かな。
どう違うのかというところを少し私の考察をお話ししたいと思うんですが、
クリスマスというものはどちらかというと商業イベント化して広まったという側面がありますよね。
ケーキだったり、あとはプレゼントだったり、イルミネーションだったり、そういった楽しいコンテンツ、
そういう形で広げているという部分はありますよね。
一方で花祭りはそこまでのいろんな商業イベント化として発展したかというとそうではないんですよね。
これはどちらかというと仏教として、お寺として地域にあまり積極的に開いてこなかったというところがあったんじゃないかなと思います。
実際そういった歴史はあるんだと思います。
そしてお寺は敷居が高いと感じさせてしまっている部分。
そういったのもあってなかなかクリスマスほど根付かなかったのかなと思いますね。
でも現在は各地で花祭りイベントというのが増えてきているみたいです。
小さなイベントだと思うんですけど、大々的ではないんですけども、お寺で小さな花祭りイベント、そういうのもどんどんやってますよという情報が、
現在はインターネットの場合でいろいろ知ることもできます。
蓮城院でもそういった花見堂というものを置いて、どなたでもお参りできるようにできております。
知らなかったで終わらせたくないというところですよね。
なので今日この配信を聞いた方、ぜひとも花祭りとの最初の出会いになってくれれば嬉しいなというふうに思っております。
最後にですね、天上天下ユイが独尊のメッセージ。
これはもう少し皆さんに届けていきたいなと思います。
SNSを開けばもっとすごい人、自分よりすごい人というのがいくらでも見れてしまうような時代ですよね。
そういったすごい人と比較して自分はなんか情けないなとか、自分は何やってるんだろうみたいな、そういうふうに思う気持ちというのはどうしても出てきてしまいますよね。
でもお釈迦様は2500年前に最初に伝えたのは難しい教えでも修行法でもなくて、あなたであるだけで尊い、そういう教えなんですよね。
なので4月8日という日はぜひとも自分の存在をそっと肯定してあげてほしいなというふうに思っております。
つまり生まれて生きてくれてありがとう。
花祭りとはそういう日ですので、どうぞ自分に優しい日、そういうふうにしていただきたいなと、そんなふうに思います。
というわけで今日の話はここで終わりたいと思います。
蓮女院の方ではまた花祭りをやっておりますので、ぜひとも近くに来てくれた方は訪れてくれればと思います。
またそれは難しいという方は近くのお寺でもしかしたら花祭りやってるかもしれませんので
どうぞ少し探してみるというのもいいのかもしれません。
ということで以上でお話は終わりたいと思います。
では蓮女院副住職の古文でした。ではまたね。
22:47
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