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2025-08-14 21:18

#280 お盆って、結局なんの日? 人生を見つめ直すための本当の意味

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この時期のど真ん中テーマ「お盆」について語ります!

「お盆って、実は人気のないテーマかも…」と前置きしつつも、僧侶として本当に伝えたいお盆の本質に迫ります。

私たちがお盆を過ごす本当の意味とは?コウブンさんが導き出した結論は「人生の振り返り期間」でした。

インドの「ウランバナ」という儀式がルーツだったお盆 。それがなぜ日本では「先祖供養」になったのか? 20代遡ると100万人にもなるご先祖様の数や、お茶碗一杯のご飯に込められた無数の「ご縁」から、その意味を紐解きます。

この放送を聞けば、お盆があなた自身の人生を見つめ直し、より良く再スタートするための特別な期間に変わるかもしれません。

後半では、お寺で開催する怪談ワークショップ「百鬼夜行」のお知らせもありますので、ぜひ最後までお聴きください。

#お盆 #仏教 #僧侶 #先祖供養 #人生を振り返る #感謝 #ご縁 #お寺 #蓮城院 #スタエフ
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サマリー

お盆は人生を振り返る重要な期間で、仏教の伝統行事としてインドのウランバナに由来します。日本のお盆は先祖供養を中心に行われ、1500年の歴史があります。お盆の時期は、先祖や多くの人々に支えられていることを振り返る機会です。食べ物の背後にある多くの過程を考えることが、人生を見つめ直すきっかけとなります。

00:05
どうも、コウブンです。
栃木県の片田舎にある念状院というお寺で、副住職をしております。
お盆の意義
今日はですね、今お盆の期間中ということで、お盆についてのお話をしたいと思います。
とはいってもね、なかなかこういう話題というのは、もしかしたらあまり人気がないのかもしれません。
というのはね、なかなか自分の人生に直接役立つ、そういう情報とは言いがたい。
そういうものってなかなかね、皆さんの興味を持っていただくのは難しいというところを感じてはいるんですが、
でもですよ、やっぱり私一応お坊さんです。
しかも今そのお盆の時期ですし、毎日毎日ここのところね、いろんなご自宅に行ってお盆の供養をしたりしてるんですね。
いわゆる棚養って言うんですけども、そういったことを行って、いろんな人にお話をする。
そういう経験から、やっぱりね、このど真ん中、お盆のど真ん中といえば、お盆って何なんだというお話ですよ。
お盆とは何ぞや、これをやっぱり避けてはいけないなというふうに思いました。
たとえ興味がある人がそんなにいなかったとしても、やっぱり僧侶としての境地というものをきちんと示すのは大事かなと勝手に思ってたんですけども、
ともかく言い訳はともかく、今日はお盆についてのお話をしたいと思います。
もしご興味がある方は最後まで聞いていただければと思います。
結論を申しまして、お盆とは何なのかという結論としましては、人生の振り返り期間じゃないかなというふうに言えると思うんです。
人生の振り返り期間、だいぶ大きい結論ですので、ちょっとわかりにくいと思うんですが、順を追ってお話をしていきたいと思います。
まず、そもそもお盆とは何ぞやという部分ですね。
お盆の歴史
お盆には実は正式な名称があるんですね。お盆、盆って言いますけども。
人持ちだけのものではないんですよ。
実はウラボンエというのがお盆の正式な名前ですね。
そしてこのウラボンエというのは、もともとインドの言葉、ウランバナというところから来ていると言われております。
ウランバナあるいはウランボンですね。
いろんな説があるんで、ちょっと一概には言えないところがあるんですけども、ウランボン、ウランバナ。
もともととにかくインドの言葉であるというのが肝ですね。
そしてこのウランバナという儀式は、お釈迦様が居た頃から行われていたんだということになっております。
ということは、仏教が始まったのは約2500年前ですね。
お釈迦様が居た頃が2500年前。
なので仏教の伝統行事、2500年間続く仏教の伝統行事、これがお盆なんですよね。
お釈迦様が居た頃のお盆と、現代のお盆だとだいぶ様子が違うそうです。
というのは、日本だと専属用というのが一般的ですよね、お盆といえば。
ところがインドの頃は、どういう儀式かというと、お坊さんに対して食べ物を施す儀式をウランバナ、あるいはウランボンと言ってたんですよね。
どういうことかと言いますと、インドにはウキとカンキというのがあります。
そしてウキというのは毎年5月から8月くらいだそうです。
昔のお坊さんというのは、お釈迦様の頃はお寺というのはなかったんですね、基本的にはなかったんです。
常駐はしてないんです。
いつも外にいて、そしていろんなところを歩き回っていたというのがお坊さんのスタイルだったんですが、
雨が降っちゃうと当然ながら歩きにくいですよね。
あと雨が体に当たると当然ながら病気の可能性も出てきます。
そして多くの生物、例えば虫とか、そういったものが活発に活動しますから踏み殺してしまうかもしれません。
そういった諸々の理由により、そのウキの時期というのは洞窟あるいは、
建物の曲がりして、そういったところで3ヶ月間そこにこもって修行していたそうです。
つまり3ヶ月間の集中修行をしていたということですね。
ウキが終わるのが、だいたい8月の中頃です。
8月の15日頃と覚えていただければよろしいでしょう。
8月の15日といえばちょうどお盆の時期ですよね。
その頃にウキが終わると。
なので集中修行もあげるということなんです。
集中修行があげたお坊様たちに対して、
仏教の信者の方たちがお坊さんに対して、
お疲れ様でしたという値切らいの食事を施したんだと。
それをウランバラあるいはウランボンと言ったんだよということなんです。
お坊様たちに食事を施す儀式が、つまりウランボンと言ったんです。
それが日本に伝わってくる過程で、
専属用に変わったんですよね。
どういった理由でそういうふうに変容したのか、
いろんな説はあると思います。
なので、これからは、
ウキが終わるときに、
ウキが終わるときに、
ウキが終わるときに、
いろんな説はあると思います。
なので、これが絶対に正しいんだというのは、正直なところ分かりません。
なぜなら、いろんな人がいろんなことを言うから、
分かんないんですね、正直。
なので、こういったことは、
自分がこうであったらいいなというようなお話をね、
理解すればいいんじゃないかなって私は思っています。
受け止め方。
各々の受け止め方でよろしいんじゃないかなと思います。
とっても正確な情報を知りたければ、
それは学者さんに聞いていただくのが一番ですが、
私はお坊さんですので、
そこまでの正確性というよりかは、
やはりお話を聞いて、
そのようなお話だったら納得いくよねと、
そういったところで、
皆さんに伝えていきたい。
本当かどうかというのは、
正確じゃないといけないところはありますよ、もちろん。
でもですよ、
皆さんがすっと受け入れていただけるようなものというのは大事だと思うんですよね。
これは方便と言いますが、
やっぱり難しいことよりも受け入れやすいようなお話にして、
少しでも興味を持ってもらって、
そこから本当のところを探っていただくというのが、
個人がそういうのがいいのかなというところがありますので、
ありくどい言い方をしました。
とにかく私が思う、
インドのお盆と日本のお盆、
違う理由としましては、
日本の考え方だと、
日本の考え方というか全部の考え方かもしれませんが、
仏教というのは、
仏になるための教えですね。
成仏するため、最終的には仏になる、
仏を目指すものでございます。
日本のお葬式と言いますと、
お葬式のときに仏様のお弟子になる、
そして79日を経て仏になるんだ、
そんな解き方をするんですよね。
なぜなら、それが仏教の最高の弔いの仕方だからなんですね。
そのような最高の弔いをすることによって、
遺族の方、あるいは御縁のある方が安心をするというわけですね。
生きている私たちが心穏やかにいられるというところで、
そのようなスタイルをとっております。
言わばこれも方便ですね。
それはさておき、
仏になるんです。
私たちの存在というのは、仏教を通して仏になるんです。
ということで、ご先祖様たちはみんな仏なんですよね。
生きているときは、今まで食べ物を施す側でした。
どちらかと言えば信者ですから。
ところがみんな仏になるから、
仏と言えば食べ物を施される側なんですよね。
インドの話によると、インドの場合はお坊さんですが、
お坊さんと仏様を同じように捉えたとすれば、
やっぱり仏様は施される側の立場ですよね。
そのような考え方はきっと、どこかで成立したんだと思います。
なので、だんだんお坊様たちに対しての食べ物の施しから、
だんだんと先祖父様という方がメインになっていった、
主になっていったということなんじゃないかなと思うんですよね。
というわけで、日本では先祖父様がお坊の主流になったというわけでございます。
日本に仏教が入ってきたのは約1500年前ですね。
その1500年間、ずっとお坊というのは続いているわけです。
先祖供養として。
ということは、先祖供養って大切だよねって、
私たちのご先祖様たちもきっと感じていたはずです。
だからこそ大切に守ってきたんだということですね。
だって、これそんなに意味ないでしょうって思ったら、
続かないですよ、1500年も。
明確な根拠はあるわけではありませんが、
その歴史的な事実、今現在も伝統的に続いている事実から鑑みますと、
おそらくそうじゃないのかなって想像するところでございます。
そのようにして先祖供養というものを大事にしてきました。
先祖供養の重要性
じゃあ先祖供養って何が大事なの?という部分ですよね。
そこで先祖供養が何が大事なのかということを少し掘り下げてみましょう。
私たち今命がある、生きているということは必ず親の世代がおりますね。
これは例えば親が離婚していて片親ですうちは、
なんて言ったとしても生物的には2人なんですよね。
もう亡くなっちゃいましたとか、私は孤児なんで親なんて言いません。
いろんな事情があるでしょう。
しかしながら確かに生物として親世代は2人なんです。
これは事実としてのお話です。
あくまでも心情としては、あとは法律としてはもしかしたらいないかもしれませんが、
生物的に見て親というのは2人なんですよね。
親というのは2人なんですよね、基本的には。
最後ちょっと人間の言葉を入れましたけど、続けますね。
親の世代は2人、そして親の親、おじいちゃんおばあちゃんの世代は4人。
そういう形でどんどんどんどんどん遡っていきます。
ご先祖様とのつながり
そうすると10世代前、10代前はなんと1000人超えます。
1000ちょっとですね。ちょっと計算してみていただくとわかるんですが、
ご先祖様10代前は1000人ほどということですね。
さらにもう10代遡ってみます。
自分から数えて20代前、どれくらいの数かというとなんと100万人を超えるんですね。
すごい数ですよね。100万人といったら、年のレベルでいったらかなり大きい年ですよ、100万人年。
それくらい多くのご先祖様というのが、たった20代前のご先祖様、それくらい多くの数の人たちがいるんです、私たちそれぞれに。
すごいですよね。すごい繋がりですよね。
一方で私たち生きているということは、何かしら何かしらを食べています、毎日。
何にも食べないで生きている人、多分いないでしょう。
点滴をして命を繋いでいる人もおりますけれども。
とはいえ、それでもエネルギーを相当から摂取しているという事実はありますよね。
ともかくそういったイレギュラーというか、少ないパターンのことを言ってもしょうがないので、
一般的には食事を食べながら私たちは生きています。
ご飯一杯、お茶碗一杯のご飯をね、どういう過程があるのかなということを考えてみますと、
種もみがまず苗になりますよね、発芽して苗になります。
苗になったものを田んぼに植えますよね、農家さんたちが一生懸命植えてくださります。
そしてその苗がね、田んぼに植えられた苗が太陽、雨、風、土の栄養、そんな様々な力が合わさって成長します。
成長した苗は稲となり稲穂となり、お米ができるわけです。
そのお米ができた稲穂を収穫しますよね。
収穫したものをまず最初に脱穀しますよね。脱穀したものは次に何をやるかというと、生米します。
生米したものをどうするか、袋詰めしますよね。
袋詰めしたものをどうするか、店頭に並びます。
店頭に並んだものを買ってくる人がいますよね、購入する人がいます。
購入したものを調理する人がいます。
そうしてやっとお茶碗いっぱいのご飯ができあがるというわけですね。
ご飯いっぱい食べるだけでも、ご飯いっぱいだけでもそれだけ様々な人が関わっている。
多くの労力があって、たくさんの時間がかかってお茶碗いっぱいのご飯ができているんだよという事実ってありますよね。
これはご飯に限らず様々な食材そうですよね。
ある日突然この食材ができましたということはないんです。
必ずいろんな力が働いて、私たちの食べるものというのが現れてくるというわけですよね。
一体何が一体なのかというと、たくさんのご先祖様もいる。
食べ物一つでも様々な過程がある。
つまり私たちはいろんな御縁の中に生きているという事実があるということなんですよね。
たくさんの御縁がある。
だからこのお盆の時期というのは、その御縁の中にいるんだという事実に対して、少しだけそこに目を向けてみるんだというのが、やはり正しい態度じゃないかなと私は思います。
人生を見つめ直すきっかけ
私たちはたくさんの御先祖様たちがいるんだ。
私たちはたくさんの人たちが支えてくれて、今食べ物を食べることができるんだ。
そういったことに思いを馳せることができるのであれば、自分は誰かのために何ができるんだろうみたいな考え方も芽生えてくることがあるんじゃないかなと思います。
どんな人生を過ごせば、いろんな私たちに対して命をつないでくれた人たちに報いることができるのか。
あるいは食べ物を提供してくださるたくさんの人たちに対して恩返しすることができるのか。
そういったことを考えるきっかけになるのかなと思います。
つまり、自分の人生を振り返る。
そんなきっかけになるんじゃないかなと思うんですよね。
果たして今の生き方は御先祖様たちに対して顔向けできるのかなとかね。
そこまで深くは考えなくてもいいと思うんですが、
自宅で御先祖様を奨励団人に迎えて手を合わせたときに、
自分はいろんな人に支えられているな、だから一生懸命もうちょっと生きてみようかな。
もうちょっと頑張ってみようかな。
そんなふうに思うだけでも十分かなと思います。
もう少し余裕があるんだったら、
自分の人生を振り返って、ここが良くなかったなという部分は直してみようかな。
そんなことを考えるきっかけにお盆というのをしていただければと思います。
より良い人生をそこから再スタートする。
そんなイメージでお盆というのをしていただければと思います。
最後ちょっとだけごちゃついたような感じもしますが、
これを聞いている方、もしも役に立った面白かったという方は、
いいねボタンをよろしくお願いいたします。
それとこういったお話、あるいはこの動画を見ていただいて、
この動画をご視聴いただくという方もいらっしゃいますので、
ぜひご視聴いただきたいと思っていただければと、
はいそれとですねこういったお話あるいは人生相談などあれば
あの概要欄の方に貼ってあるフォームの方から私の方までご連絡いただければ必ずお答えいたします
それとまだお知らせがあるんですね
はい毎日毎日しつこいんですが
8月の24日私のお寺にて階段のワークショップ百鬼夜行というものを行います
この百鬼夜行というのは一部二部の二部制で一部第一部はワークショップです
お化けの格好をお化けを作ってねそのお化けの格好をしながら私のお寺の墓地並びに近くの神社まで練り歩く
ちょっとした肝試しです
それを行って第二部はプロの階段のお話しする方にね
お話を聞くと階段話を聞くと
そういった模様書を計画しております
ご興味がある方はどうぞ公式ページの方からねアクセスしてみてください
こちらも概要欄に貼っておきます
はいというわけで蓮城院副住職の公文でした
ではではまたね
21:18

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