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おはようございます。コウブンです。
栃木県の片田川にある伝城院というお寺で、福住職をしております。
本日はですね、縁起ということについてお話をしたいと思います。
みなさん、縁起という言葉、聞くと何を思い浮かべますか?
多くの方は、縁起が良いという言葉とか、縁起が悪いという言葉、そういったことを思い出すかもしれないですよね。
お正月に縁起物を買ったりとか、新しいことを始めるときに縁起を買つ、こういった使い方もよくしますよね。
でも、実はこの縁起という言葉、もともとは仏教の言葉なんですよ。
知ってましたかね。
今日はですね、この縁起の本来の意味について、じっくりお話をしていきたいなというふうに思っております。
仏教での縁起の本来の意味は、全ての物事には必ず原因があって、そこには様々な条件が重なることで存在するという、そういうものなんですね。
ちょっとわかりづらいですかね。もしかしたら難しく聞こえたかもしれません。
簡単な例でお話をしますと、仏教ではこの縁起というのは、次のようなこれから話す言葉で公式で表すこと、表現することができるんですけども、
縁起というのは、原因×条件イコール存在という形で表現することができるんですよね。
これでもまだちょっとわかりづらいですよね。なので具体的な例で言うと、例えばチューリックの花というものを想像してみてください。
すごくきれいなお花ですよね。今の季節とはちょっとずれてるんですけども、
私がぱっと思いついたのがチューリップなので、そのチューリップを例えます。
このチューリップ、花が咲くまでの過程を縁起の考え方で見てみますと、まずチューリップの球根がありますよね、根っこの種ですよね。
言ってみれば種。種と球根は厳密に言うと違うんですが、それはさておき、とにかく球根があって、それが原因になって、そして美しい花が咲いた状態。
それが存在、結果ということですよね。
でもですね、球根があるだけで花は咲かないですよね。
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そこには様々な条件、つまり縁が必要になるんですよね。
例えば適切な温度、良質な土、十分な水分、適量の肥料、十分な日光、そして人間による綺麗な手入れ。
これらの条件が全て揃って初めて綺麗なチューリップ、美しい花が咲かせることができるということなんですよね。
つまりチューリップの花、一輪が咲くためにはたくさんの要素が関わっているということなんです。
これが縁起の考え方なんですよね。
仏教ではこの縁起の考え方を全ての存在に当てはめるということなんです。
要するに私たち人間も同じなんだよということですね。
私たちが今ここに存在しているということは、良心という原因があってですね、
そこに食べ物であったり、空気であったり、水とか太陽の光、そして周りの人々の支え、
数え切れないほどの条件があって、それが重なっているから私たちが存在できるということなんですよね。
この縁起の考え方というのは仏教の根本的な教えの一つなんです。
すべてのものは互いにつながって影響し合っている。
私たちは決して一人では生きていられない。
多くのものの力や恵みのおかげで生かされている。
そういうふうに教えてくれるものが縁起なんですよね。
この縁起を理解すると、周りすべてのものに感謝の気持ちというのは自然と湧いてくるのかなと思います。
そして自分の行動とかが他の人や物事にどんな影響を与えるのかということをよくよく考えることができるようになってくると思います。
今日の縁起の話、どうだったでしょうか。
普段何気なく使っている言葉の中にこんなに深い意味が隠れていたというのは驚きなんじゃないでしょうか。
明日もまた何か新しい仏教のお話をお届けしていきたいと思います。
では本日のお話はここまでとしたいと思います。
今日のお話を聞いてご意見・ご感想等ありましたらどうぞコメント欄の方へよろしくお願いいたします。
また人生相談・お悩み相談等ありましたら、サンドFMのデータ機能を使って私の方まで直接届けていただければ
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この放送を通じてお答えできますのでどうぞご検討ください。
では、蓮城院副住職の幸文でした。ではでは、またね。