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2025-03-16 13:20

#206 「感謝」のある生活とは 修証義⑦

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【お経の解説】曹洞宗「修証義」第5章(前半)- 行持報恩

本エピソードでは、「お経の解説」シリーズ第7回として、曹洞宗のお経「修証義」の第5章「行持報恩」の前半部分を解説しています。「行持報恩」とは、日々の実践を継続し、感謝の気持ちを行動で表すという考え方です。

現代社会では、常に速さと効率が求められ、SNSでの比較や過剰な情報によって心の余裕を失いがちです。このような時代だからこそ、「行持報恩」の考え方が私たちの生活に重要な意味を持ちます。

人間として生まれた奇跡、学びの機会、人との出会いに感謝し、日常の中に価値を見出す方法について、仏教の視点から考察しています。次回は、この「行持報恩」を日常生活に取り入れる具体的な方法について解説します。

#曹洞宗 #修証義 #仏教の教え #行持報恩 #マインドフルネス #現代社会 #メンタルヘルス #感謝の心 #日常の実践 #蓮城院
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サマリー

このエピソードでは、修証義の第5章「行事奉恩」について、感謝の気持ちを持つ生活がいかに重要であるかが説明されています。また、日常生活を大切にし、与えられた環境に感謝することの価値が述べられています。

00:05
どうも、コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で、副住職をしております。
今日もですね、シリーズものの続きをお送りしたいと思います。
現在お送りしているシリーズは、お経の解説シリーズですね。
そして、今扱っているお経、これは相当集のお経の修証義というものです。
この修証義というお経はですね、内容が一般の方向けなんですよね。
お坊さん向けではなくて、一般の方向けということで、
これを聞いている皆さんも、どちらかといえば、理解しやすい内容なのかなというふうに思うんです。
なので、これを聞いていただいて、そして皆さんの人生に役立てて、
皆さんの人生が少しでも良くなればいいなということをですね、
思いながらこういった取り組みをしているというわけでございます。
というわけで、今日はですね、第5章の前半をお送りしたいと思います。
修証義というものは、全部で5章で構成されている、5つの章で構成されているというわけなんですが、
前回までは4章までお送りさせていただきました。
内容について振り返りをしちゃうと、またそこでだいぶ時間を食っちゃいますので、
そこは省いたとして、詳しくは聞いていただければと思うんですけれども。
行事奉恩の意味
今日お話しする第5章なんですけれども、こちらのタイトルはですね、行事奉恩といいます。
難しい言葉がいきなり出ちゃいましたね。
この行事奉恩、どういう意味かといいますと、まず前半の行事ですね。
行事という言葉を聞くとね、行うに事と書いた行事、皆さん思いつくかなと思いますけれども、
そうじゃなくて、ここで言う行事というのは、行うに持つという字ですね。
どういう意味かといいますと、行いを持続するということで、日々の実践を継続することという意味ですね。
そしてその後に続く奉恩。奉恩は恩に報いるんですね。
恩というのは恩返しとかの恩ですね。その恩に報いるということで、恩返しですね。そのまんまなんですけれども。
感謝の気持ちを行動で表すこと。こういう意味、こういうふうに理解していただければなと思います。
この2つを組み合わせた行事奉恩という考え方は、日常生活そのものを大切にしながら、感謝の気持ちを持って生きることの重要性ということを説いているというわけなんですよね。
はい。ところで、皆さんは最近こういう経験ありませんか。朝起きてすぐにスマホをチェック。
メール、SNS、ニュース、そして出社したら会議の連続。デスクに戻ればタスクが山積み。自宅に帰ってもスマホを手放せない。気がつけば1日が終わっている。
そんな毎日の繰り返しの中で、一体何のために働いているんだろうとか、これでいいのかなとか、そうやってふと立ち止まって考えることってありますよね。
現代社会は速さと効率というものを重視します。
常に結果を求められて、あとSNSでは他人の華やかな一面を見て、そして自分と比較してしまう。
そんな中で、バーンアウト、いわゆる燃え尽き症候群とか、あとは目的意識の喪失に悩む人というのが増えているんです。
厚生労働省の令和5年の調査でこのようなものがあります。
メンタルヘルス不調で連続1ヶ月以上休業した労働者がいた事業所の割合は10.4%。
日本全国の会社の10社に1つは1ヶ月以上休む人がいるということになりますよね。
これは多いのか少ないのかなんとも言えないんですけど、私の肌感覚であれば結構多いのかなと思います。
それくらいメンタルヘルスの課題というのが現代ではあるということですよね。
ここで行事法音の考え方が役に立つんです。
行事奉恩の実践
この考え方というのは特別なことではなくて、今この瞬間の日常を大切にして、そして与えられた環境に感謝しながら生きるということの価値というものを教えてくれるということなんですよね。
成果よりもプロセスを、スピードよりも質を、比較ではなくて自分自身の内側の充実を、そんな視点の転換を行事法音というものは提案しているということなんですよ。
その行事法音の中の主張義の中にはこのような言葉があります。
この発暮大臣、多くは南元部の妊娠に発進すべきになり、という言葉。
はい、難しい言葉出ちゃいましたね。
これを現代語に訳しますと、
真の目覚めを求める心は、この世界の人間として生まれた時に芽生えやすい、という意味なんですけれども、まだ分かりにくいのでもうちょっと言い訳しますと、
人間として生まれたということ自体が、とても貴重で特別な機会だ、ということなんですよね。
ちょっと想像してみてください。
今、私たちがこの世界に存在している確率というのはどれくらいなのかということ。
科学的に考えますと、これを聞いているあなたの両親が出会って、そして特定の生死と乱死が結合して、何世代もの先祖は途切れることなく命を繋いできた結果として、今あなたがいるということ。
その確率というものはもう計算しきれないですよね。天文学的な数字というふうになるのかなと思います。
さらに、今この瞬間に生きている私たちというのは、人類の長い歴史の中でほんの一瞬を生きているということ。歴史上どの時代に生まれるかは私たちの選択ではないということですよね。
あと、世界中のどこに生まれるのか、あとはどんな環境で育つのか、これも私たちがコントロールできることではないということです。
こう考えると、私たちが今ここに存在しているということ自体が無数の偶然と必然が重なってできた奇跡のような出来事なんですよね。
でも、日常の生活に追われる中でこの奇跡に気づく余裕というのはあまりないですよね。朝起きて今日も目覚めることができたと感謝すること、あまりないですよね。
仕事の忙しさでイライラするときに働ける環境があることへの感謝、これも難しいですよね。
実は行事法恩の出発点はこの人生という貴重な機会をもらったという認識なんですよね。これは宗教的な考えというよりかは科学的とか確立的とか哲学的というような考え方に近いということですよね。
皆さんも一度、通勤電車の中とかコーヒーを飲む一時の時間に、私はなぜここにいるのかなとか、この人生で何を実現したいのかなと考えてみるといいかもしれません。それが行事法恩の第一歩になるのかなと思います。
主張義は他にもこんな言葉があるんです。
静かに思うべし、生亡世に留風せざらん時は。
この意味はじっくりと考えてみよう。正しい教えが世に広まっていなかったらというものなんです。
もうちょっとわかりやすく言えば、もし私たちに学びや成長の機会がなかったらということなんですよね。
例えば、読書や学習の機会がない環境だったら、インターネットで世界中の知識にアクセスできなかったら、尊敬できる上司や先輩、メンターと出会う機会がなかったら。
私たちは当たり前のように書店に行けば何万冊もの本があって、スマホ一つで世界中の知識にアクセスできて、ワークショップとかセミナーとか、オンライン講座で学べる環境にいるんですよね。
これは歴史的に見ればとても恵まれた状況なんですよね。
昔の人々は一冊の本に出会うために何日も歩いて旅をしたりとか、あとは一人の師匠から学ぶために何年間も弟子入りしたりとかしていたということなんですよね。
師匠技ではまたこういう言葉もあります。
一句の女を放したすべしという言葉。
これは一つの言葉や教えに対しても感謝の気持ちを持つべきだという意味なんです。
現代だと情報があふれすぎて一つの言葉とかあとは教えの価値というのが薄れてしまっているかもしれません。
でも本当に自分の人生を変える言葉、あとは教えというものの出会いは今も昔も貴重なものなんですよね。
また師匠技では、「師匠を感ずることなかれ、妖眼を見ることなかれ。」とも言っています。
これは人の外見や背景で判断するなという教えなんですよね。
現代社会でもSNSのフォロワー数や肩書きで人を判断したり、表面的な情報だけで価値を決めてしまうことというのがありますよね。
でも本当の知恵とか学びというものはそういった表面的なものを超えたところにあるということなんです。
皆さんも人生でどんな言葉や出会いが転機となったでしょうか。
それが有名な人から学んだものだったでしょうか。それとも意外なところ、身近なところからの気づきだったでしょうか。
ぜひそういった学びとの出会いというものを意識してみてほしいなと思います。
勤中に聴く音楽とか、昼休みに読む本とか、同僚との何気ない会話とか、そういったところの中にももしかしたら新しい気づきがあるかもしれません。
今回は行事法音という考え方の基本と、なぜ現代の私たちにとってその行事法音が大切なのかというお話をしました。
後半ではこの行事法音を実際の日常生活にどう取り入れるか、具体的な方法についてのお話となります。
仕事での行事、家庭での法音、そして日々の小さな実践について一緒に考えていきたいと思います。
今日の話を聞いていいなと思った方、どうかいいねボタンよろしくお願いいたします。
またお悩み相談、リクエストなどあったらお悩み相談リクエストボックスの方に投稿していただければそれに私がお答えします。
どうぞご検討ください。
では、連常院副住職の幸文でした。
ではではまたね。
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