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2026-03-05 13:06

#356 仏教が2500年続いてきた理由とは?

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ラオス研修旅行での気づきをもとに、物事を継続させるための「仕組み」と「入り口(方便)」の大切さについてお話しします。

栃木県・蓮城院の副住職コウブンです。
今回は、先日訪れたラオスでの体験をシェアします。現地で目にしたのは、生活や教育のために修行に励む多くの若きお坊さんたちの姿でした。

そこから見えてきたのは、純粋な志だけではなく、継続のための「土台」や「仕組み」がいかに重要かということ。仏教用語の「方便(ほうべん)」をキーワードに、お寺のマルシェやカフェといった「入り口づくり」の重要性を深掘りします。

物事を長く続けたい方、自分の想いを誰かに届けたい方は必見の内容です。

【今日の問いかけ】
「あなたは、届けたいものが届く形(入り口)を作れていますか?」
皆様の感想や、続けたいことをぜひコメントで教えてください!

#副住職 #蓮城院 #禅 #ラオス #習慣化
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サマリー

ラオスでの研修旅行をきっかけに、仏教が2500年も続いてきた理由を「仕組み」と「入り口(方便)」の重要性から解説。純粋な志だけでは継続が難しく、人々が集まるための工夫やメリット、そしてそれを支える土台が必要だと説く。お寺のマルシェやカフェのような取り組みは、仏教に触れてもらうための効果的な「入り口」となり得ることを示唆している。

ラオス研修旅行の報告
どうも、コウブンです。 栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺屋で福住職をしております。
はい、久しぶりの放送となっております。 何をしていたかと言いますと、実は先週ですね、
ラオスという国に海外旅行に行っておりました。 はい、海外旅行です。
ラオスという国、皆さん知ってますかね、どこにあるか。 ラオスという国は中国の南側にあるんです。
位置で言うと、中国の東海岸、上海とかその辺りを南下していくと、ベトナムになるんですよ。
中国のすぐ南側にベトナムがあって、そのベトナムのすぐ西側がラオスですね。
ちなみにですが、そのラオスを挟んでベトナムの反対側はタイですね。 だから、北は中国、東はベトナム、西はタイ。
南もずっとタイですね。四方を国に囲まれているんです。 海がないんですね、内陸の国というわけなんです。
そこに何しに行ったかというと、ラオスは仏教国なので、仏教国というのは仏教が生活の中心にある国ですね。
文化的にも、皆さんの心の支え的にも中心にある、それが仏教が中心にあるということで仏教国なんですね。
それを、向こうのお寺とかお坊さんを見に行こうということで、研修旅行として行ってきました。
私一人だけじゃなくて、お坊さんの仲間であったり、お坊さんのご家族であったり、あとはお団子さんであったり、そういった24人で行ってきました。
そこで感じたことを今日はお話をしたいということなんです。
今日のテーマ、続けるための仕組み、そういうお話をしたいと思います。
ラオスのお話と全然違うようなテーマなんですけれども、自分のやりたいこと、あとは自分の届けたいこと、
それ自体というのはすごく大事なことだし、尊いことなんですけれども、でもそれだけだと続けるのは難しいということ。
続けるには入り口、あとは土台、そして仕組みというのがいる。
それをラオス旅行で感じたんです。
その話をしたいと思います。
ラオスのお坊さんと教育システム
ラオスの旅行に行って、ラオスのお坊さん。
ラオスというのはジョウザブ仏教という、日本とちょっと違う仏教の国なんですけれども、
ジョウザブ仏教のお坊さんというのも、仏教で自分の人生を苦しみから救われるためにお坊さんをしているというよりかは、
自分の生活のためにお坊さんをしているという方が多いというふうに思ったんです。
思ったというか、ガイドさんに聞きました。
どういうことかと言いますと、ラオスでお坊さんになる方というのは、実は田舎の出身の方が多いということなんです。
なぜかと言いますと、ラオスという国はどちらかというとそんなに経済的に豊かな国ではないんですが、
田舎の方になると学校がないそうです。
だから勉強したい方は、ちょっと都市部に移動するしかないらしいんですよね。
お金がいっぱいあれば寮みたいなところに入ったりもできるんでしょうけど、そういう方ばかりじゃないですか。
そういう方はどうするかというと、大きいお寺に修行僧として入るんですよね。
修行生活をしながら雨風をしのいで、また食べ物をいただいて、またお金も少しいただいて、それで学校に通うということなんですよね。
そういう方が多いんだというふうにガイドさんに聞いたんですが、
なので向こうのお坊さん、ラオスのお坊さんというのは、8歳ぐらいからあとは20歳ぐらいまでの方が多いんですね、非常に多いです。
そのぐらいの年齢が多いと。
20歳過ぎぐらいの方になってくると、純粋にお坊さんをやっている方であったりとかという方が多いんですけれども、
だいたい20歳ぐらいになったらお坊さんを辞めて一般の生活をするということらしいんですよ。
そういう方が多いらしいです。
そういう仕組みになっているんですね。
そうやって仏教というものが、お寺というものが守られているんですね。
修行僧がたくさんいて、そしてそのたくさんの修行僧を皆さん、信者の方が支えてくださる。
そういうふうにして回っているということなんですよね。
だからお坊さん、向こうのラオスのお坊さんは、自分の人生を良くするために、自分の生活をしていくために修行しているということなんですよね。
なので日本のお坊さん、お葬式とかご供養とかそういったことをやりますから、どちらかというと自分の生活のためにやっているところが多いんですけれども、
そういった部分では、本質的なところでは日本のお坊さんとあまり差がないんじゃないかなと思いました。
継続のための仕組みと方便
つまり、お寺や仏教を維持するために、純粋な仏教者、純粋な志を持った人たちだけではない、そういう人たちだけでは続けられないということを感じたということなんです。
宗教団体、仏教ですよね。そういったものとかお寺などを継続して続けるためには、必ず人を集めるための仕組み、あるいは得点ですね、メリットの部分、利益の部分が必要であるというふうに思ったんです。
そしてその先に、純粋に教えを学ぶ人が少しでも現れれば良い。それが仏教というものが2500年も継続するための秘訣なのかなというふうに思いました。
でもこれは別に仏教に限りない、仏教とかお寺だけの話というわけではないですよね。どんな活動でも、自分の届けたいもの、理想とするものだけで続けるというのは難しいですよね。
仏教では法弁という言葉があります。法弁といったことはあるでしょうか。法弁というのは簡単に言うと、相手に届く形に整える工夫ということなんです。
よく誤解されがちなんですけれども、法弁、嘘も法弁という言葉があるように、誤魔化しみたいな、そんなふうに捉えやすいんですけれども、そうではないんです。
実はこれは本質の部分に出会うための入り口ということなんですよね。これはお寺で行うイベントで考えるとわかりやすいかなと思うんですが、
例えばお寺で行う座禅会、最初から座禅会をしましょう、座禅をしましょうとか、仏教の教えを学びましょうと言っても、来る人というのはほとんどいないですよね。
でも、例えばマルシェをやります、カフェをやります、ワークショップをやります、みたいにそういったイベントという形になると、来る方、ふらっと来る方は結構増えるんですよね。
そしてそこでお寺の雰囲気に、お寺の境内の景色とかに触れたり、あとはお坊さんのお話を聞いたりとか、お坊さんとちょっと親しくなったり、そういったところから心が少しずつ緩んできて、
その中からまた来たいとか、座禅って何ですか、みたいな、そういう人が現れてくる。そういうところ、これがまさに方便なんですよね。
つまり、仏教というものをごまかしているわけではなくて、仏教というものに触れてもらうための入り口を作ったというところなんですよね。
これはラオスのお坊さんの話も同じ構造なんじゃないかなと思いました。仏教というものを続けるために、お坊さんに少しでも来ていただく。
そういう集まる人というのは、お寺になぜ行くかというと、お寺でなぜ修行するかというと、自分の生活のためです。
その生活をしながら、仏教というものを触れながら生活をしているうちに、仏教というものの本当に良いところ、教えのところ、そういったところに目覚めて、
そして、やがては仏教を指導する立場になる。みんながみんなそういうわけではないんですけれども、そういうため。
そして、そういった人たちが生活できるための仕組みですよね。
例えば、お寺に対しては信者の方がいろんな寄付をしてくれます。お伏せですよね。食べ物であったり、お金であったり。
そういったことで、お寺というのは回る仕組みなんですよね。
お寺を回すための、仏教というものを維持するための土台というものがあるんですよね。
そして、その土台があって初めて、仏教というものを続けるための志というものが続く。
そして、その志が誰かに届くということなんですよね。
小さなお寺の場合だと、マルシェとかお寺のカフェ的な取り組みによって、
仏教というものに出会ってもらうための架け橋になるということなんです。
そのようなことをマラオスの旅行に行って思ったということなんです。
今日の問いかけとまとめ
では、今日から新しい取り組みとして、今日の問いかけというところをお話をしたいと思います。
皆さんも今日のお話を聞いて、自分にこう問いかけてみてください。
私は入り口を作れているかなとか、届けたいものが届く形になっているかなということですよね。
そういったことをちょっと自分に問いかけてみてください。
自分の理想を変える必要はないんですけれども、でも入り口の設計は変えたほうがいいということですね。
それだけで自分の届けたいもの、それを続ける確率、続く確率ですね。
そういったものが上がるんじゃないかなと思います。
仏教は約2500年続いております。
その仏教がそれだけ長く続いたのは、純粋な人だけで回っていたというわけではなくて、
続く仕組みがあって、入り口があって、つまり方便があって、それで仏教というものは続いてきたということですよね。
仏教の教えを届けるために、そういった土台作りというものがしっかりしてきたということなんです。
よかったら、これを聞いている皆さん、続けたいことと、それを続けるための作りたい入り口というものをコメントで教えてください。
では、今日のお話はここで終わりたいと思います。
このようなお話をまた聞きたい方は、ぜひともいいねボタン、またフォローしていない方はフォローをよろしくお願いいたします。
では、霊長院副住職の幸文でした。ではでは、またね。
13:06

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