鏡との対話
教室の隅にある椅子に、私は腰掛け、ずいぶん長い間、鏡とにらめっこをしていた。
まず、口をぎゅっと結び、目をできるだけ細めてみる。
うーん、なんだか頼りない顔である。
次に、少し顔を横に向け、目だけを正面に向けたまま、にこっと笑ってみた。
けれど、これはこれでよそよそしい顔である。
そこで、今度は少しうつむき、上見遣いで正面を見ながらにんまりしてみた。
だめである。どう見ても怖そうな顔である。
最後に、とっておきの笑顔を作ってみた。
子供の頃から、これだけは自分の自慢だと思っていた笑顔である。
けれど、鏡に映った顔は、やはりどこかぎこちなく、思わずため息が出た。
だめだなあ、これではどうしようもない。
そう言って、私はしばらく天井を見上げた。
それは、私が初めて担任を受け持つことになり、
明日が入学式という前日の午後であった。
朝から、まだ会ったことない生徒の名札を張り、黒板を拭き、床をピカピカに磨いた。
けれど、気持ちは少し落ち着かなかった。
明日から一緒に過ごす生徒たちに少しでも親しんでもらいたい。
そう思って、私は鏡の前で様々な顔を作っていたのである。
しかし、良い顔は見つからなかった。
入学式当日、私はいつもより早く目が覚めた。
入学式の日
胸がドキドキして朝ごはんもあまり食べられなかった。
良い先生になろう。
そう何度も心の中で言いながら、私は家を出た。
通りはまだ静かだった。
通りから少し入った道を見ると、
黒い塀の上から桜の枝が伸びていた。
つぼみはふっくらとしており、今にも花が開きそうである。
そのきわらかで優しい美しさに、私は思わず見入ってしまった。
この花と一緒に生徒たちを迎えよう。
そう思ってお願いすると、家の人はにこにこしながら枝を一本分けてくれた。
まだ誰もいない学校は、しんと静まり返っていた。
私は急いで教室へ行き、黒板の前に桜の枝を飾った。
やがて新入生たちがやってきた。
少し大きな制服を着て、きらきらした目で教室に入ってくる。
その日から、この生徒たちとの毎日は、私にとってもとても大切な時間となった。
気づけば3年間ずっと一緒であった。
どうやら生徒たちも、おうちの人たちも、私の顔のことなどあまり気にしていなかったようである。