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プロジェクトの秘訣を探る Project Design Roomです。
プロジェクトデザインルームへようこそ。この番組は、企業家や科学者、クリエイター、新時代を導く先駆者たちと未来を対話するインタビューシリーズです。
プロジェクトデザインの視点で、プロフェッショナルの原動力に迫っていきましょう。
ナビゲーターは、Konel 知財図鑑代表で、プロジェクトデザイナーの出村光世です。
本日は、緑層爆力山をスタジオとしてお送りしております。
早いもので、2024年も3月に突入しておりまして、ひな祭りが終わった頃かなということなんですが、年明けて私ごとなんですけれども、1月はほとんど秋田県の五条目町というところで過ごしていました。
というのも、この番組の第4回のゲストで来てくれたシェアーの仕掛け人、牛田俊介さんが作られた森山ヴィレッジという、いわば令和の長屋みたいなところができたわけなんですけれども、
そこに家族ごとプチ移住しつつ、子どもは教育留学に行くみたいな、そんな暮らしをしてめっちゃ寒かったなというのが、今年の年明けの印象でございました。
完全にこの番組がきっかけで、出会って気づいたら秋田で暮らしているという、すごく電撃だなというふうに思ったんですけれども、雪に囲まれるような最高の日々を送っていました。
この感想だけでも結構1時間ぐらい話せちゃいそうなので、秋田の話はこの辺にしておきつつ、体験記録は地財図鑑とか僕のノートでも発信してますので、よかったら見ていただければと思います。
やっと東京に帰ってきて、気づいたら2月が終わってたみたいな感じでして、あっという間に3月に入ったわけなんですが、昨晩の気温が3度とかでまだ全然寒いと。
まだまだ寒いとですね、銭湯のありがたみみたいなのが身に染みて、僕も結構今週末も行ってたんですけれども、そんな中今日はタイミングよく素晴らしいゲストに来ていただいております。
それではお呼びしましょう。小8年創業、高円寺の銭湯、小杉湯COOの関根えり子さんです。ようこそ。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
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やっと会えました。久しぶりに。
ようやく。
お疲れ様です。
ありがとうございます。
めっちゃ寒くないですか、最近まだ。
寒い。あさって雪降るらしいですよ。
雪降るんですか。
2回目の雪らしいです。
ちょっと嬉しいですね。
嬉しい派の人なんですね。
嬉しい派。逆ですか。
私ももうダメです。慣れちゃいます。
普段結構最近は外出て動き回ることが多いですか。
そうですね。移動が多くて、雪の日はただただ移動が大変なだけになっちゃって。
実はこの収録も怒りつけしたのは雪のせいでしたね。
そうです。私の小杉湯が原宿に移るので、私も今原宿に引っ越しを先月していて、大雪の日で。
大雪だったね、あの日。
びっくりしました。
確かにそういう意味では結構ね、都会のインフラ雪に対して弱気すぎやろうみたいなところすっごいありますけどね。
本当ですよね。
いろいろ思うところはありますが、では始めていきたいと思います。
はい。
じゃあまずですね、簡単に小杉といえばですね、銭湯が好きな人でいえば知らない人はいないんじゃないかぐらい、本当に精緻かなと思いますし、
僕も魅了されてしまった一人なわけですけれども、あまりまだ小杉のこと知らないよっていう人とか、
関根さんのこと知らないよっていう人もいると思うので、ちょっと簡単にですね、自己紹介から入っていただければなと思っています。
はい。
じゃあお願いします。
はい。
私が今小杉湯に入ってもうすぐ丸2年になるんですけど、私自身の話からすると、95年生まれで今28歳の歳になります。
2年前まではずっとPayMeっていうフィンテックのスタートアップで働いていたんですけど、人生をかけて事業に向き合うんだとしたら、私には銭湯しかないっていう。
ここの理由とかは全くうまく話せないんですけど。
急に天命が下った感じ。
そうなんです。急に降ってきたみたいなぐらいの。
銭湯だってなって、銭湯でバイトしたいとか、銭湯好きだなみたいな感情を通り抜けて、銭湯経営するんだっていう気持ちで独立をして、小杉湯に入ることになるんですけど、
小杉湯っていう銭湯は今年で91年目になって、もともと小山さんが杉並区に作った銭湯で小杉湯っていう。
小山さん、杉並で小杉なんですね。
そうなんですよ。たまに武蔵小山とか武蔵小杉の方と今日関係あるんですかとか言われるんですけど、本当に全然なくて、小山さんの子から取っていて、
それを平松家の今の3代目のおじいちゃんが買って、平松3代にわたって経営をして、今ではすごいありがたいことに人気の銭湯になっているんですけど、
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毎日入れるミルク風呂が人気で、地下水から掛け流しにしている水風呂と厚湯の温泪交互浴が、サウナで言うと整うで銭湯で言うと緩まるような感覚がすごく人気で、温泪交互浴の聖地って言われたりすることもあるような銭湯です。
いやー、めっちゃいいですよね、あそこ。
嬉しい。
語彙力低すぎてちょっとびっくりしてるんですけど。
僕も、これ聞いていただいている方も結構経営者の方が多かったりするので、おのずとサウナが多かったりみたいなこともあるんですけども、やっぱり好きで、自分に向き合う時間も非常に気持ちいいわけなんですけれども、
でも、小杉湯に何度か行っている中で結構交互浴派にたなびいた感じがあって。
ありがとうございます。
だからやっぱりちょっとつらいのが、すごい厚いお湯があるのに水風呂がない銭湯のちょっともったいなさとかを余計最近は感じながら生きることも多いなと思ってて。
すごいわかります。
本当に整うより緩まるみたいな感覚もすごく、言葉の互換とかも含めて共感するなというところがありますね。
嬉しい。
本当、まず行ってない方はここで一回停止していただいて、移動して行っていただきたいというところがあるんですけれども、
まずはそんな小杉湯の発端というか、そういった話は今お伺いしたんですけども、改めて関根さん自身のこれまでというか、
フィンテックから急に小杉湯というのは相当なジャンプだとは思うんですけども、そもそももうちょっと遡ってどんな10代を過ごしてましたかとか、ちょっとご自身のことを教えていただいてもいいですか。
はい、私生まれは上海で。
そうなんですね。
そうなんですよ。
隠れ上海ハーフなんですけど、母が上海の人で、
もともと40歳の時の娘なので、母って文化大革命経験した世代なんですよ。
大学に行けなくなってしまって、でも結構勉強も運動もできて、母曰く養子丹麗だったと。
主観なので自由に。
その中でいろいろ道半ばでキャリアを閉ざされちゃって、教員になりたかったらしいんですね。
それができなくなって、上海の地元の何でもない会社に勤めて、出会った旦那さんがいたんですけど離婚してしまって、自分の人生こんなもんだったんだっけって思って出てきたのが東京で。
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急に東京来たんだ。
当時といえば日本に行って出稼ぎをして、中国戻ってビジネスを始めて財を成すっていうのが結構母の周りも多かったので、東京出てきて。
その中で始めたのが清掃のお仕事で、そこの上司が父。
職場恋愛だ。
そうです。
オーソドックスなやつで。
で、父は20個上の世代だったんですけど、当時中学の留学生たちとか出稼ぎの子にやっぱり差別が全然強かった時代だったので、
大体中国人ってバレるだけで汚いとこやらされたりとか、残業させられたりとか。
多かった時代に、私の父だけは一番汚いところは自分がやって、中国人のみんなは出稼ぎで何個もバイト掛け持ちしてるから、先帰っていいよってやっとくから、打刻もしとくからみたいな。
打刻しとくからは、ちょっとクールすぎます。
ちょっとかっこよすぎて、何だったら自分をその時間に切り上げて、みんなが残業してる手にして帰って、みんなにお給料が入るようにとか、やっちゃう人だったんですよ。
映画のパーフェクトデイズご覧になりました?
見てない。
あれです。役所工事、私の父みたいな。
そうなんだ。
そうなんですよ。
そっかそっか。
その二人の元に生まれたのが私で、父が60の時の子供なので、父の趣味がギャンブル、タバコ、銭湯。
唯一、母に許された趣味が銭湯だったので、一緒に行って、自分のルーツの中に銭湯がずっとありながらも、
もちろん家業でもなんでもないので、そんなに頻繁に通うわけでも、職業として志すわけでもなく、なんとなくルーツにあったっていうのが自分の幼少期ですね。
そこでまだ先頭にたどり着くとは思ってないかと思うんですけども、そっかそっか。
結婚されて生まれる時には上海にいたんですね。
日本に帰ってきたというか、こっちに来たのはいつなんですか?
3歳の時ですね。
幼稚園は全部日本なので、結構ルーツは中国なんですけど、育ちがずっと日本なので、なんかどっちの感覚もあるというか、
今コスギュウで働いてたり、今やってるプロジェクトでディベロッパーの方とお話しすると、すごいみんな日本人的だなとか、
やっぱり日本人的だなって思っちゃうので、多分どこかで中国の考え方も結構強い家庭だったんだろうなって思いますね。
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結構じゃあ年の差がそれこそ20歳40歳離れて一つの家族になってたって感じなんですね。
じゃあそこから学校通って就職してという流れだと思うんですけど、
結構この間少し軽くお話し聞いたときに、だいぶ学生時代の濃い時間を過ごしているのが、ぱらっと記憶に残っていて、
学生時代、高校大学とかその辺ってどんな感じの生活だったんですか?
その時は父と母が自分たちの学歴がなくて苦労したっていうのが、すごい強い感情としてあって、
私に学歴を与えることが一番の愛情っていうのが教育方針というか、もう家庭の方針だったんですよ。
だから運動会とか文化祭とかには足は運ばないけど、塾は行かせるみたいな。
運動会も別に来てもよかったかもしれないですけどね。
そうなんですよ。来てほしかったんですけど、そういうPTAとかも絶対やらないですし、
愛情の込め方が学歴につながることのみみたいな。
で、東大行きたいとか言うとすごい嬉しそうなんですよ。
なるほどみたいな。多分、総計以下には行ってはいけないんだろうなみたいな空気感がずっとあって。
なんですけど、高校入る時とかは私結構頭悪くて、ずっと偏差値48ぐらいだったんですよ。
で、結構頭悪いらしいみたいなのは親も理解してて、結構頭悪いっぽいなみたいな。
テストで数字が出るからね。
そうですそうです。
なるほどと、現在地が分かって。
結構伸びないなみたいな。なんですけど、学歴っていうものを期待されていたことは分かってたので、
高校入る時に、私は最初都立国際高校っていう高校に行きたくて、留学もできるしいいなと思ったんですけど、
母はやっぱり大学どこ行くかがすごい大切だったので、都立に行きたいっていうことは、スカートを短くしたいはずだみたいな。
論理が結構飛躍してる過程なんですよ。
すごいステップだですね。
なるほど。都立とスカートの短さが直結してたんだ。
そうなんです。で、だったら私立に行けばいいんじゃないって言われて、うーんみたいな。
まあ強いて言うんだったら、都立日比谷高校って一番全国で頭いい都立高校なんですよ。
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偏差値多分70半ばぐらいで、そこだったらいいよってふっかけられたんです。
で、私も昔から負けず嫌いなので、じゃあ日比谷でいいですって言って、中学校の時から受験が始まり、毎日15時間勉強して。
ちょっと待って待って。だいたい飯食ったりなんだりで、2,3時間ぐらいかかるから、起きてる間ほぼ勉強。
そうです。それで日比谷高校に受かってしまったんですよ。
で、都立日比谷高校に通って、そこから慶応大学に行くんですけど、
実際入ってみると、努力して無事に入れたのはめでたいことだったんですけど、やっぱりいい高校とかいい大学に行くと周りが全員お坊ちゃまお嬢ちゃまで、
都立だったとしてもご両親お医者さんとか、私のような家庭環境の子っていうのが本当にいなくて、
社会って結構、都立とか見せかけてても、やっぱり頭のいい子の家庭はいい家庭っていう、その方程式は何も変わらないんだなっていうのを、当時すごい理解をしたんですけど、
大学に入ったら、両親的には学歴のない自分たちが池袋でターンマーションを買えるくらいに財を成せたから、慶応の冠を持っているこの子は、
大学1年生の時から私たちを養えるぐらい、稼げるはずだって、これもまた、
飛んだね。
ずっとね、飛ぶんですよ。ロジックとかじゃないんで、会話ができなくて。
それすごい私もめげちゃって、じゃあなんかもうあれです、日比谷高校でいいですと一緒で、じゃあそれでいいですって思って、
大学1年の終わりくらいからインターンシップを始めて、学費だったり生活費だったり、家のローンを稼ぎ始めるっていうのが、私の社会人デビューみたいな。
負けず嫌い係数高すぎる。
すごいね。
でもなんか、ある意味そういう親子さんの期待値がぶっ飛んじゃってて、たまたま負けず嫌いだったから、ラリーが続いちゃった感じで。
よく言えば相乗効果を起こせたみたいな感じで。
そうなんだ。でもそれは、そのあらましだけ聞くと苦労に感じてしまうこともあるかもしれないですけど、やってる本人としてはどんな気分だったんですか?
でも、運が良かったのが、仕事がすっごい好きで、あまり家庭環境が、色々喋るとあまり良くない家庭環境だったので、
社会に自分が必要だなとか、大げさに言うと、なんで生きてるんだろうみたいなことが感じたことが人生でなくて、それもね。
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3歳までも、私、上海でベビーシッターさんに育てられてて、お父さんとお母さんが誰かも知らなかったんですよ。
それぐらい、親二人もハードワーカーだった。
そうです。
3歳までの間に、私の小学校、中学校の費用を稼ぎ切ろうみたいな。
なるほど。
両親日本にいて、上海に私だけいるみたいな。
そうなんだ。
そうなんですよ。
すごい。
あんまり3歳までの愛情があるじゃないですか。真逆を言って生きてきたんで。
今でも、なんで自分は生まれたんだろうとかも、ずっとちゃんと疑問に思っちゃうんですよ。
ですけど、仕事始めて、わかりやすく社会に自分が何か貢献できてるっていうのが、面白くてたまらなくて。
だから、いろいろお金の面は大変でしたし、社会とのギャップを感じるときも多かったんですけど、
なんせ仕事が面白かったので、キャリアとか仕事を人生かけてやっていこうみたいなモードに入って、仕事が楽しくて仕方なかったみたいな感じですね。
一番最初にやったインターンシップは何だったんですか?
人材紹介なんですけど、そんなに学歴キャリアのない方に派遣会社を紹介して、制約すると1件30万っていう。
なんて言うんですかね、そういうのをやってますから。
あるよね、そういうサービスね。
古い人材紹介会社みたいな。そこのマーケティングからスタートしました。
やっぱり、より成果が可視化されやすいフードの会社で最初スタートしたんだね。
そうです。
その会社の年収が記憶正しければ多分2億ちょっとだったんですよ。
月2000万とかで、その従業員の9割が大学生インターンで、学歴があって器用で口が達者な学生を雇って、
5、60代の方を派遣会社に抜選して、1件30万みたいな。
学生はインセンティブもらえて、普通のアルバイトよりもずっと良いお給料もらえますし、会社としても雇用のリスクがないっていう場所なんですよ。
今思うとめちゃくちゃ社会だなみたいな。
振り返った時に、すごい勉強というか考えさせられるものが多かった職場だったと思いました。
分かります。全く大変にならないかもしれないですけども、
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Kオースもね、僕は世田谷で、大学1年の頃から初めてやったアルバイトが渋谷で居酒屋の客引きをやってきて、
あれもほぼフルインセンティブで、口が達者でそれなりにコミュニケーションが取れると、あと気合があれば言える。
ある時から人が500円玉に見えてくるみたいなことを話したんですけど、やっぱりいろいろ考えるところありますよね。
ありますよね。振り返るとめっちゃ社会だなって。
その仕事を批判する必要もないのかなと思いますし、やっぱり全部がつながって経済が動いてるなっていうのを俯瞰して思ったんですけど、
そこからスタートして仕事めっちゃ楽しいやんってなったところからね。
そうなんです。
でも学校も行きながらかっつり働いてたんですか?
そうです。大学3,4年の時とかは朝一で会社出社して、途中授業とテストで抜けて、夕方会社戻って残業して終電ぐらいで帰るみたいな感じでしたね。
家にお金も入れ、達成感もあり、そろそろ就職かみたいなところで、就活もしたんですか?
もう何だったら新卒エージェントでインターンするくらいには、もうあれですよ、意識高い系就活生のゴンゲみたいな感じで。
やってたんですね。
やってました。
そこからベイビーに。
最初のキャリアは、それこそ実は内定はDNAだったんですよ。
結局DNAの方が卒業して役員やってるNext Beatっていうベンチャーに入るんですけど、就活している時とかに、育ってきた環境が崖から突き落とされるタイプの環境だったので、
基本まず追い込まれたいんですよ。
なので、大企業とか入ったらもう無理だろうなと思っちゃって、事業会社でベンチャーっぽいところっていうのを突き詰めていった時に、
さらにベンチャーな環境ってなって、最初はそこの会社に入ったんですけど、ペインに入るきっかけは親の介護ですね。
それでちょっと環境を変えようってなって。
ホワイトな会社でスタートアップでっていう。
でもそこでもめっちゃガッツリ働いてたんじゃないですか。
結局そうです。ペインに入って3ヶ月で代表が辞めるってなって、引き継ぐになるので、当初計画の真逆ですね。
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そういう星の下だったのかもしれない。
でも完全にそうだと思います。いつもそういう星の下だと思います。
働くの好きですよね、ほんと。
楽しいですよね。
この間、僕も楽しいと思いますけど、久々、自分より働いてる人いたわってなったっていうので、すごいポジティブに見てますけど、
普通にちょっと健康が心配とかね、いろんな人から心配もされてると思うんですけど、元気にはやってます?
先週点滴打ってました。
マジか。
ちょっと今年はキャパをちょっと超えちゃうというか。
でもキャパみたいなものが一応感じられはしたんですね。
ギリギリ。
この冬8回くらい体調壊して、ちょっとやりすぎてるなと思って、どっかでバランスを取りたいなと思ってます。
そうですね。
1日なら1週間でもいいんですけど、キャパ内でガッツリ働いてる時の時間の過ごし方ってどんな感じなんですか?
とりあえず朝は起きる?
朝起きます。どんなに遅くてもたぶん9時には絶対起きます。
9時台から活動を始めて、一旦でもやっぱり18時。
うちのコスギュウの3代目が18時から20時半が家族タイムなんですよ。
コスギュウの徒歩10歩のとこに住んでるので、家に2時間半戻るんですけど、
私も18時くらいなので、1個大きい会議とかが終わるタイミングなので、
18時までは外に出たり、日中の普通の会社さんとの打ち合わせをしたりして過ごして、
20時くらいから面接1本あったりとか面談やったりとかして、
21時か22時に手が空くので、次の日の朝9時以降の商談資料をそこから作るみたいな感じで、
もう倒れるように寝るみたいな感じです。
詰めてるなぁ。
あいまいまにお風呂があったりとかしながらリブートしてるってことなんですね。
そこにお風呂がなかったとしたら、それはなんか逆に超辛そうな感じ。
今原宿に引っ越しちゃったんで、夜終電とかを考慮すると、一旦家に帰っちゃった方がいいんですよ。
そうするとお風呂がないってことに、大きい湯船がないんですよ、銭湯ごと。
で、まだ原宿店オープンしてないんで、今銭湯ない生活してて。
そのせいもあるんじゃない?
そうなんですよ。結構ガチでそうだと思います。
それはそうだと思いますよ。そっかそっか。
じゃあちょっと話で進めていきたいんですけども、さっきは急に天明がみたいな話で、
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すごい雷みたいな、そんなものが落ちたのかっていうような感覚もあったんですけど、
何があったんですか?その頃。もうちょっと聞いてみたいなと思って。
その頃はスタートアップっていうのがすごい大きかったんですけど、スタートアップ引き継いで、
言ってしまえば、当時の代表が辞めたいとか事業を畳みたいというくらいには、ちょっと事業が苦しかったんですよ。
それを引き継いで、今思えば引き継げたのは、私があんまり事業のこととか経営のこととかを何も分かってなかったから引き継げたっていうのが、
私の振り返りで、当時の財務状況とか、それこそ向こう5年のファイナンス計画とかを、
今考えちゃってたら多分引き継げなかっただろうなと思ってて。
私ともう一人で会社を引き継いだんですけど、やっぱり組織も事業もお金も全部うまくいってない状態で引き継いだので、
結構代表が早々に心折れちゃって、会社に来ない週とかすごい増えてたんですよ。
ただ、引き継いだからにはやっぱりV字回復もさせなきゃいけないですし、
向こう5年以内にどういうエグジットできるのかも決めなきゃいけないときに、
本当に社会に価値のあることをやっているスタートアップと、自分たちみたいに向こう何年でいくらで売却しなきゃいけないに対してやってるスタートアップとで、
本当にいいものと、当時の私の時代はあんまりいいものを作れてなかったっていう、両側面スタートアップってあるんだなと思って。
本当にやるんだとしたら、自分が人生かけて社会に必要だと思うものを作りたいなって毎日思って。
だから次のエグジットなのか誰かに引き継ぐタイミングで、自分は何かをやろうって、ちょっと不死身をつけようっていうのは考えてたんですよ。
毎月取締役会がある中で、当時の代表が2回目かな、飛んじゃって役会来なかったんですね。
当時の投資家といろいろ喋っている中で、いろいろ当時の授業を振り返ったりもしていて、
社会に本当に必要なものを作るよりも、やっぱり売却学に向き合っちゃってるなって、自分も思いながら疲れて帰り銭湯に行ったんですよ。
それが初代の第二カネキユっていう、厚湯しかなくて壊れたサウナが一生普及しない銭湯なんですけど、
そのカネキユでおばあちゃんに話しかけられて、何でもない話を20分したんです。
でもそれがあんまりにも自分にとってリフレッシュになったというか、
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久々に全ての肩書きを脱いで何でもない時間を過ごせたっていう。
多分デムさんとかもそうだと思うんですけど、常に意味のある話とか何かの文脈とか目的とかに情報に囲まれちゃうじゃないですか。
それから脱ごうと思っても脱げなかったのに、自然と脱げた20分間があって、
それを経験した時に、私が社会に残したいのはこういう場所なんだろうなって思ったその瞬間に、
私は銭湯を経営するって決めて、次の節目には絶対に銭湯をやろうって思ってた節目が来た時に、
VCに私は引き継ぎたいですって。申し訳ないんですが、私は銭湯をやりますっていう話をしに行ったっていうのが、
当時詳しい経営みたいなところですね。
ホットな話やなって思うし、やっぱり最後、DNAを感じたというか、結構ジャンプしたよね。
20分経ってこれやって。
そうなんですよ。
すごい、でもなんかそれぐらい純粋でストレートな話なんだなっていうのはやっぱり、
そういう人がやってるお風呂に入れてるって今思い直すと、すごくありがたみもまた出てくるなと思います。
嬉しいです。
すごい面白い。ある意味、自身が当初会社を引っ張っていく立場にもあったっていう、
そういう時代も経験していたり、それこそインターシップで長現場をやってたみたいなところの経験がある中で、
今ってCOO、あとなんかバントみたいな方がいるんだと思うんですけど、
いわゆるCOOがいて、自分がCOOっていう立場を持ってるっていう関係だと思うんですけども、
どうですか、コスギユってその2人の関係性とか役回りみたいなことって、
いわゆるスタートアップの経験からしてみた時に、ちょっとなんか違いとかってあります?
コスギユってありがたいことにすごい人気なんですけど、とはいえ結構ニッチでローカルなんですよ。
なので、あのお風呂に入ったことがある人じゃないと説明が結構難しくて、
一緒にやらせていただいたネオチェルハウスのチェルアウトさんのイベントの時もそうですけど、
イベントやってるが説明の先に出てきちゃったりとか、コラボやってる先頭ですよねっていう捉え方もされちゃってて、
結構伝えるのが難しいなって日々思ってて、
で、そのど真ん中にうちの3代目っているので、なんかよく説明する時に、
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大気圏の中にいるのが3代目のゆうすけさんで、大気圏の外にいるのが私って話してて、
ゆうすけさんはあのコスギユの中に入ったことがある人にコスギユを伝えて引っ張る天才なんですよ。
なので逆を言うと、コスギユって何?とか、先頭?俺なんかサウナしか行かないわ、みたいな会話をしちゃうような人にはなかなか届けられないんですよ。
私はどちらかというと入ったことのない人にコスギユを説明する方が得意で、
なのでよく私がぐわっと大気圏の中に入ってもらった瞬間に、次はゆうすけさんが大気圏の中心部に引っ張るみたいな、そういう分担だよねってよく話してます。
面白い。なんか自分も会社の代表をやってると、なんとなくこう、うちも細かい部署とかないけど、
広報とかPRってことって結構社長マターになることが多かったりとか、
手目でビジョンをちゃんと語って、世の中からそういうストライクゾーンでやってるのね、みたいなことをちゃんと認識させることがやっぱり舵取りみたいに言い換えられることも多いかなと思うんですけど、
ここが大気圏と大気圏外みたいな話で、ちょっとだから一般の理解からすると珍しいのかもしれないですね。
すごい珍しいです。なんかたぶんうちは3代目の在り方もコスギユ的というか、よく設計師とも戦闘的な場所の作り方とか、戦闘的な組織の作り方っていう話をよくするんですけど、
なんか強く社会に何かのメッセージを発するというよりも、冷蔵庫の中のラインナップにちゃんと経営方針が現れてる。
それはコンビニのものを置くんじゃなくて、こんな商品あるんだって出会ってワクワクしちゃうような、そういうものを置くことで、戦闘って日常とまた違う幸せを感じられる場所だよねっていうのが冷蔵庫一個で伝えられたりするんですよ。
うちの3代目とかはそういうメッセージを強く発することよりも、コスギユ的な冷蔵庫って何だろうなとか、コスギユで出すべきタオルってどういうタオルだろうなとか、なんか存在することで遠回しに伝えるのがすごい得意な人で、それってすごい戦闘っぽいなって思うんですよ。
なんか別に社会に戦闘がどう必要かを言うわけでもなく、ただ毎日営業していることが気づけば誰かの救いになってたりとか、誰かに戦闘の価値を伝えることにつながってるっていう。
だから3代目は割と、何だろうな、体現する人って感覚で伝えるっていうことをしないからこそ、来てくれた人にちゃんと深く刺さるんだろうなって思ってますね。
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スタートアップ的な言い方であえて形容してみると、体験とかユーザーエクスペリエンス開発責任者的なことをかっつり選べてくれて、
きっと顧客の心理も分かっているだろうし、あと自分が欲しいものをめちゃくちゃ作ってるのかなっていうのを感じましたね。
そうです、まさにです。
逆にゆり子ちゃんがいなかったらどうしてたんだろうねとかもすごい思うけど、そこの出会いはどんな感じだったんですか?
出会いは、私が東京で営業できる銭湯をずっと探していて、東京中の銭湯を回ってたんですよ。
でもなかなか軽業先が見つからないなっていうことと、私の世代の子が銭湯をやりたいって言うと、
もう銭湯は社会に必要ないからってオーナーさんに言われちゃうんですよ。
なるほど。もうじゃあ閉じよっかなって思ってたオーナーさんみたいな。
そうです、そうです。なんでこんなに社会に必要のない場所をやりたいのって言われちゃうんですよ。
で、それの時に私はなるべく未経験だからこそ、あんまりダラダラ喋るよりも好きだからとか、
結構感情論で伝えた方がいいかなって最初思ってたんですけど、
なんかこれ感情論だとダメなんだなって。
なんで社会に銭湯が必要なのかを語れるようにならないと伝わらないんだなって思った時に、それをツイートしたんですよ。
そのツイートを見つけてくれたのが3代目で、連絡をくれて、
ちょうどコスゲーが原宿に2店舗目を出すっていうプロジェクトが徐々に走り出した時だったんで。
もうその頃からやや見えてたんですね。
そうです、そうです。デベロッパーになんで銭湯は社会に必要なのかをうまく伝えられなかった時だったので、
同じこと考えてる子がいるってなって連絡をくれて、ツイッターのDMで出会いました。
おもろ。しかもお互い言語化に苦戦してたところの共感から入ったんだ。
そうなんですよ。言葉の相性がいいんだと思います。
それはすごくいいとかもかけがえのないとか、なかなか見つかんないよね。
めっちゃ大切ですよね。
2人の打ち合わせとかも覗いてみたいですね。ずっと喋ってそう。
哲学みたいな話、ずっとしてますね。
普通企業家的な人たちはアジェンダ命だとか、60分やるんだよねとか、
ワンスロットを30分で切ってこいよみたいな、どんどんそういう方向に行くけど、ずっと喋ってそうなイメージ。
だから、PayMe時代とか、私ミーティング始まってアジェンダ用意されてなかったら退出してましたもん。
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でもそうだよね。
普通そうじゃないですか。
でも今は真逆でゴールもない会話をし続けるっていう感じなので、すごいびっくりされます。
そういうの平気だったんだみたいな。
いいなあ、そういうことも含めてすごくギャップが伺える。
し、愛子ちゃんがどんな人だったのか、どんな出会いだったのかみたいなのがすごくよく聞けた前半だったかなというふうに思います。
もしかしたらいつもより長く喋ってるかもしれないですけども、前半はここまでとさせていただきます。