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2025-04-11 17:05

#53「僕も含めて世界中の人達が釈然として生きていける世の中をつくるために始めた100種類の事③-④」

3種類目は「教育の場に選択肢を作る事」。創造の話と自主性と主体性の違いの話、ジェンダーフリートイレの導入の話

サマリー

このエピソードでは、近藤ナオが教育における自主性と主体性の重要性について語り、佐賀の中高一貫校でのモデル作りの取り組みを紹介しています。また、ジェンダーフリーなトイレ設置プロジェクトを通じて、創造性を育む新たな教育の形について考察しています。日本の教育現場でのジェンダー教育の必要性が語られ、みんなのトイレの設置を通じて生徒が異なるジェンダーを理解する機会を持つことが重要であると強調されています。さらに、性教育の一環として赤ちゃんを抱く体験を通じて、親の役割や人間関係について考える授業の重要性が述べられています。

教育における自主性と主体性
こんにちは、近藤ナオです。今日は近藤ナオという生き物の第53回の話をさせてもらえたらなと思っています。
今は、僕も含めて世界中の人たちが釈然として生きていける世の中を作るために始めたことの100種類の話みたいな感じで、
3個目の話、教育の場に選択肢を作りたいっていうことを、その話をしていて、
今、日本で佐賀にある私立の中高一貫校を舞台に、一つのモデル作りっていうのを進めていて、
公立の学校でも真似していけるようなことをなるべく意識して作っているようなモデル作りの話をしています。
そこの学校教育の現場が掲げる大きいキーワードは、自立自創と相互承認と創造っていうキーワードを掲げていて、
前回までで自立自創と相互承認に関しては、いくつかだけ事例を出させてもらって、取り組んでいる方向性みたいなことを少し感じてもらえるように話したと思うんですけど、
今回は創造っていうことについて話をしたいなと思っていて、創造っていう部分において、大事にしているキーワードというか考え方として、
自主性と主体性っていうものの違いみたいなことをすごい大事にしています。
これは両方ともが同じような感じに聞こえるかもしれないんですけど、かなり大きな意味の違いがあるそうです。
これ本当に普通に検索してもらえれば出てくるものではあるんですけど、でも大事な考え方なので、うちの理事長兼校長もこの話は、
生徒にも先生たちにも保護者にも講演会でも絶対入れるトピックとして、
絶対とは言い切れないですけど、この話はいつも入れて話してるなと思うので、紹介させてもらえたらと思ってるんですけど、
主体性っていうのは本当に今回のコンセプトのように、自分のやりたいことを主体的に自分で考えてやるっていうのが簡単に言えば主体性ですね。
自主性っていうのは、人から教えられたことというか、宿題をやるとかもそうですけど、タスクをこなすとか、
人に言われなくても自主的にやるみたいな感覚らしくて、
だからそこは自分のやりたいことをやってるというよりは、人から与えられたものを人から言われる前に率なくこなしていくみたいな形が自主性っていうらしいんですけど、
日本は自主性の高い人を育むような教育になっちゃったのかなとか、学校でもそうだし、会社とかでも上司とかからしたら自主性の高い人のほうが使いやすいというか、
上司使うっていうとちょっとあれですけど、一緒に仕事しやすい。それはそうですね、自分がやってほしいと思ったことを言わなくてもやってくれるっていうほうがいいって思っちゃう傾向もあると思うんですけど、
僕らはそれが主体的に考えてそれをやっているのかっていう、自分会社で評価されるからこれをやろうとかではなくて、本当に主体的にそれをやりたくてやってくれているのかっていうところをすごい大事にしていて、
だからできればそういう上司の方とかにも、どこまでそこもまた時間をかけられるかわかんないですけど、こんな方向性の案件が来てるけど、あなたのやってみたいやり方で解決をしてくれないみたいな形で振るというか、
だからまず向こうから望まれない限りは最初からヒントを与えないような形とか、ヒントじゃなくて、自分のやりたいことを与えないに近いのかもしれないですけどヒントじゃなくてっていうところを意識を持ったりするだけで、かなり主体的に物事に関われるようになるんじゃないかなと思っていて、
それはそれでまた時間はかかる、少しプロセス的に時間もかかることかもしれないですけど、でも僕はそういうやり方のほうがいいなと思っているのは、やっぱり実行する人が自分で考えたことのほうが理解できてるから、その後うまく進むことが多い気もするんですよね。
だから人から言われたこととか、上司が望まれてることって上司の頭の中は全部わからないと思うし、なので上司が本当に説明がうまい人だったらまた別かもしれないですけど、そうじゃなければ実行者とずれていくことも多々あると思うので、
その意味では実行者側が主体的に考えたことをやるっていうのは、実はリスクが低いというか、成果が出る可能性が高いのかなと思っている部分も僕はあるので、そのような考え方を採用したりもしてます。
ジェンダーフリーなトイレプロジェクト
それが創造っていうところで大事にしているキーワードですかね。こういう形で三つのキーワード、自立自創と相互承認と創造みたいなことをキーワードにすべてのことをそっちの方向に向けていくっていう形で考えていて、
例えばトイレのプロジェクトはどれに入るのかって言われるとちょっと難しい部分があるんですけど、人権っていうものとかに対して考える機会みたいな部分として、トイレをみんなのトイレを、
ジェンダーフリーなトイレみたいなものを学校に設置して、そこを各フロアにまだ一個ずつしか設置はできなかったんですけど、結構トイレを新しく作るってすごい設備の工事がかかるので、そんな簡単に全部のトイレを変えていけなかったですし、
子どもたちにも会議だけで説明して、理解してもらったからOKで、だから全部のトイレをみんなのトイレに一気に変えようみたいなのって、やっぱり頭で考えるだけだとどうしてもわからないことっていうのがあるかなと思うので、なるべく僕らは思いついたこと、
この想像したことをすぐにアウトプットして、見える化して体験できるようにして、小さくてもいいので体験してもらうことで、実際体験してみるとわかることのほうが本当大きいと思うので、なのでいろんなプロジェクトでそういうモックアップというか、模型建築の世界であれば模型を作って検証したりとかしていくんだと思うので、
それで一応すべての学年の人たちが使えるように各フロアに1個ずつだけは設置しようということで、3階建ての校舎なので3つのみんなのトイレを作ってみました。
そこでどういう反応があるかと思いのほか、抵抗がないってことであれば今後すべてのトイレをみんなのトイレに変えていけたらなと思っているんですけど、そんなこともやっています。
たしか北欧とかはみんなのトイレかなり多いですけど、スウェーデンとか空港だったりとか、世界中の人がかなり出入りするようなところっていうのは男女分かれているトイレにしてるらしいんですけど、
そうじゃない生活のほうにあるような生活というか地元の人たちが使うような学校だったりとかレストランでも図書館でも何でもいいんですけど、そういうところのほとんどが今みんなのトイレになってるようです。
こういうのを見聞きすると、いや北欧だからできるんだよねみたいなふうに思う人も多いと思うんですけど、
どうやって国中の人たちに理解させてみんなのトイレを作ったかっていうプロセスを聞いたときに、そういうやり方だったんだっていうのがあったんですけど、それは30年ぐらい前からですかね、みんなのトイレにしていこうっていうプロジェクトが始まって、
何やったかっていうと、学校のトイレを全部みんなのトイレに変えるってところから始めたらしいです。確かに自分の家にいるときってみんなのトイレじゃないですか、たぶんたまにいるかもしれないですけど、たぶんほとんどがみんなのトイレで男女とかジェンダーとか関係なくそのトイレを使ってると思うので、
家から次、社会的な場所というか社会に出るときに多くの人がタッチするのが学校なので、学校のトイレをみんなのトイレであれば特に違和感なくみんなのトイレを使っていけるんじゃないかっていうので、それで小学校中学校とみんなのトイレに変えていきながら、それで高校まで変えて、
北欧におけるトイレの取り組み
20年間とか、例えばやり続けるだけで、当時小学生が小学校中学校で何歳、5歳だった人が20年続けたら25歳とかになっていって、もっと年の上の人たちが年齢的にも35とかなっていって、それを確かに今30年も経ってきて、
そうなると国民の半分以上の人たちがみんなのトイレっていうものに慣れ親しんだ状況になっていくんだなと思っていて、それでだんだん慣れてきた人が多くなってきて、ああいうスウェーデンとかもそうですけど、結構国会議員とかになる人たちの年齢というのがかなり低いので、そういう20,30代の人たちでもかなり中心でいろんなことを進めてたりするので、
そこら辺の人たちが意識を持ってやろうということで、大きく抵抗がない状態を30年とかかけて作り上げて、それでその後一気に帰れるところから順番にみんなのトイレに変えていったっていうようなプロセスを通して、国中がほとんどみんなのトイレになっていくっていうことを成し得たらしいです。
だから聞く話なんで、これはちょっとすいません、聞いた話ですけど、そういう60代とか70代の人には未だにみんなのトイレに抵抗がある人はいるっていうのは言ってました。
でも本当それを聞いたときに、20年か30年かけて一個のことを国として方針を決めてやれば、そういう価値観に人間は変わっていくんだなっていうのは、ある意味で未来を感じるし、ある意味でココアさんも感じるなと思いました。
だからやっぱり教育の大きい方向性も、これを少なくとも20年は続けるんだって言って、続けたら多分大きく国の方向は変えられるんだろうなと思うし、やっぱり20年経つとその前のことをほぼ忘れられるみたいな、
例えばオウム心理教みたいなのとか、日本人に衝撃を与えたようなニュースとかだったとかオウム心理教みたいなものとかでも、
やっぱり20年とかしちゃうと忘れてくる人もいるし、それを知らない世代が2,30代とかになってくると、またオウム心理教とかが20年隠れ続けて、表に出てこないように結束を固め続けてたりとかはする可能性は高いと思うので、
2,30年ぐらいするともう1回少し年齢の低いような人たちからまたメンバー信者を募っていくことによって復活してくるみたいなことっていうのは、悪い意味の方向性でもやっぱり起こり得るなっていうのを意識しますし、
そういう悪徳商法みたいなもので、2,30年前にもあったよなってビジネスモデルがつい最近復活してきたのを見たりとかを聞くと、本当にそういう2,30年っていう周期っていうのは何かを忘れられたり変えられたり変えたりできるんだなと思うので、
本当すごい時間をかけるってことは大事だと思うので、少なくとも僕らは自分たちの学校の教育現場からみんなのトイレを作ることによって、そういう人間の話ですかね、人は人でみんな人間として同じ存在であるみたいなこととかについて、それだけのテーマかと言われるとあれですけど、僕としてはそういうことについて考えるきっかけを、
トイレとかを学校にわざわざ設置することで、何でそれを設置したのかとか、一回使ってみることで、自分のジェンダーと違う人が使ってるトイレを学校っていう場所で、今まで男女完璧に分かれてたものを使うことでどんな気持ちになるのか、そういうのを大事にしている教育みたいなこともやってきてます。
性教育の体験学習
つい最近も、性教育の一環で、性教育の授業っていうので、性教育も正直言葉で伝えられるだけだと本当にわかんないんじゃないかなと思って、例えば高校生とかで妊娠して中絶するような人たちって年間で3万人とか4万人日本でいるんだったかなとかぐらい、
実はいるらしくて、日本ではやっぱり世間体とかも含めて、高校生のまま産むなんてできないみたいな、なんとなくの価値観みたいなものが日本は強いなと思うんですけど、もしも友達が産んだら、
そういう何ていうのかな、ある種下品なことをした人とか言い方難しいですけど、特殊なレッテルを貼られてその人を見ちゃうんじゃないかなと思っていて、なのでこの間は地域のそういう助産師さんだったりとか、子育てママみたいなボランティアの人たちとかにすごい関わってもらって、
赤ちゃんを何人だっけ、15人とか20人ぐらいかな、赤ちゃんを連れてきてもらって、赤ちゃんを全員が抱っこして順番に赤ちゃんを回していったりとか、赤ちゃんっていう存在を多分抱いたこともない子も多いと思うので、ちゃんとそういうものを手に取って赤ちゃんという存在でそれを産む母とか一緒に育てる父みたいな部分っていうのの感覚みたいな、
母と父っていう役割を決定したいわけじゃなくて、性別として埋めない体の人もいると思うので、人間としてどう関わるかみたいなことをちゃんと体感を通して考えるような授業の作り方っていうのをなるべく心をがけています。ちょっとまた長くなってきたので、続きはまた次回に。
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