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2025-04-04 14:40

#52「僕も含めて世界中の人達が釈然として生きていける世の中をつくるために始めた100種類の事③-③」

3種類目は「教育の場に選択肢を作る事」。相互承認の話と平和構築のステップの話、全会一致の話、ヒッピーの意思決定の話

サマリー

第52回のエピソードでは、相互承認の重要性と教育現場での実践モデルについて話されています。特に、平和構築における相互理解のプロセスや、全会一致で校則を変更する取り組みが取り上げられています。ヒッピーたちの集まりであるレインボーギャザリングでは、参加者全員が意見を尊重し、合意形成を目指すプロセスが重視されています。そのプロセスは時間がかかるものの、豊かな人間関係を築くためには欠かせない要素として語られています。

相互承認の重要性
こんにちは、近藤ナオです。今日は、近藤ナオという生き物の第52回の話をさせてもらえたらなと思っています。
前回から、今、日本で一つ、僕が考えるこんな教育の場があったらいいなっていう実践っていうのを仲間とともに始めたっていう話をしていて、
その教育のモデルのキーワードが、自立自操と相互承認と創造ですね。
前回は、自立自操について、一部の取り組みの話をさせてもらったんですけど、
まだまだ、もちろん、全てのことに対して自立自操っていう観点だったりとか、相互承認的な観点だったり、
創造っていう観点を入れながらやっているので、どれが自立自操だみたいなことっていうのは、
完璧に切り分けて話すのは難しいんですけど、それをいくつか前回紹介させていただきました。
今回は、相互承認、お互いを本当の意味で理解し合う力っていうのかな。
理解し合うというか、お互いがお互い違う人間であるっていうことを理解するで全然いいし、
この部分は共通の部分があるねっていうのもあっていいし、そんなような感覚ですかね。
この本当相互承認っていうことができるようになると、僕がまだできて何ていうのかな、
成し得てないので、できると言えないんですが、世界平和につながっていくというか、
平和構築の上では、相互承認の力っていうのはもう絶対に必要なんじゃないかなと僕は思っていて、
ある争いをしている人たちが、例えばある部族とある部族が争いをしていたとして、
その争いを解決していくような、平和構築のステップの1個の考え方みたいなのがあるんですけど、
争いを解決するステップとして、1つ目はミーティングっていうのができてるのかどうかっていうか、
お互いが本当に挨拶するぐらいのことすらできてないことで、
お互いをどんな人かもわかんないからなんとなく怖い人たちだぐらいの感じとかで思い込んでるようなところで、
まずはお互いが挨拶する機会を作るっていうのがミーティングですね。
その後お互いが出会うことで、その後話し合いをすることでお互いを理解し合うっていう、
アンダースタンディングっていうフェーズがあって、ここまでできると少しずつ解決に向かっていきますが、
でも本当は本当に争いをやめさせるには、その後にコラボレーティングっていうステップがあって、
共同するってことですよね。
お互いのメリット、ともに何かをやるっていうことによって、
より深い理解になったり関係性が築かれていくっていうのが、次のコラボレーティングっていうステップらしくて、
確かにそうだなともちろん僕も思いますよね。
人と何か一緒に取り組んでいくと、すごい関係性が深くなってきますし、
それでもまだまだ何かをきっかけに争いがまた始まることがあるらしくて、
最後にディペンディングっていうのかな、依存関係になるっていうところまでいくと、
本当に争いはなくなるようですね。
相手の部族がいるおかげで、うちらはこんなメリットがあるって、
向こうの部族も僕らのこの部分が享受できるから、
お互いに依存する部分があると、その人がいないと生きていけないとか、
その人がいるとより豊かに生きていけるっていうところを理解し合うと、
もうその後ほとんど争いが起こらない状況になっていくっていうような、
平和構築の一個のやり方みたいなのがあるようです。
ミーティングと理解のプロセス
もっとそれを分かりやすく言うと、例えば日本のマンションとかで、
上の階の人の音がうるさいみたいな、音楽ガンガン鳴らされて、
すごいうるさいみたいな苦情がマンションの管理組合とかに来た事例とかがあったんですけど、
その後そのマンションの組合が何したかっていうと、
かなり頻繁にみんなで草刈りをしようよだったりとか、
ちょっとしたご飯会とかお話会みたいな、
そういう住民同士が顔を合わせる機会っていうのを徹底的に作りまくって、
それでそうすると下の階と苦情を出してた人と、
上の階で音楽ガンガンかけてた高校生が出会って話す機会が生まれたらしいんですね。
それで話を聞いたら、その高校生は将来プロのミュージシャンになりたくて、
それで遅い時間でも間でもずっと練習してたっていう事実が分かって、
その熱意を繰り返したら、
その下の人はそれだったらすごい理解できるし応援したいみたいな感じになっていて、
解決に至ったというか、
でも実際様々なそういうお互いがミーティングして、
アンダースタンディングする機会ぐらいまでを作っただけで、
始める前の年と比べると8割方苦情が数が減ったっていう話も聞きました。
本当にそういうミーティングとアンダースタンディングをするだけでも、
平和構築につながっていくと思うので、
全会一致の校則変更
ぜひそういう意識でいろんな争いがあったりとか、
相手が怖いとかムカつくみたいな感情が現れたとき、
そういうスタンスで相手に少し歩み寄ってもらえると、
自分の気持ちが楽になることがあるかなと思ったりしています。
僕はそういうふうに取り組んでいます。
あとは相互承認という中で、今学校とかでやっているのは、
全員一致だったら、学校の校則を何でも変えることができるっていう、
ルールメイキングプロジェクトみたいなふうに言ってるんですけど、
そういうような取り組みをしていて、
全会一致ってかなり難しいけど、できないことはないっていうもので、
例えばどういうのが変更されたかっていうと、
靴がローファーじゃなくてもいいみたいな、
なぜか靴はローファーって決まってる校則とか、
髪の毛は黒じゃなきゃいけないっていうのもそうですけど、
なぜかそういうのが決まっている学校とかも結構あると思うんですけど、
それでローファーじゃなくてもスニーカーとかでも、
自分の好きな靴でいいんじゃないっていうのは、
確かに比較的多くの人の賛同を得れるなっていう感じで、
それを変えたいっていう人たちがいて、
その人たちを中心に全校集会ではなくて全校対話みたいな名前で、
そういう機会でみんなに共有したりとか、
あとは個別で説明会を開いたりしながら、
反対の人がいなくなるまでお互い話し合いながら、
そして全会一致の状態を作っていき、
全会一致した時点で校則が変わるっていうような形でやっているようです。
僕も細かく全部追いかけてるわけじゃないんですけど、
でも一個全会一致であれば校則が変えられるよっていうものによって、
相互承認っていうものに意識を向けたり、
それにチャレンジする機会っていうのを一個作れてる象徴かなと思ってます。
こういう全会一致を今生徒が400何十人とかなので、
なんとか全会一致ができるとか思ってる人もいるかもしれないですけど、
僕が聞いたことがある、2万人とか3万人の人たちが集まる、
ヒッピーの世界の年に1回の、
世界中のヒッピーの人たちが集まるようなお祭りみたいなものがお祭りなのかな。
レインボーギャザリングとかっていう名前がついてたりするらしいんですけど、
毎年アメリカ大陸とかメキシコのあたりとか、
あの辺が開催地になることが多いって聞いてるんですけど、
僕は行ったことがなくて、
友達が30年ぐらい馬で生活して、
レインボーギャザリングのプロセス
現地のヒッピーの人、13年間ヒッピーたちと暮らして、
レインボーギャザリングとかにも何回も参加してるような友達から聞いたものなんですけど、
それでその1ヶ月間とかかなぐらい、もうちょっと長かったかな、
開催するらしくて、そうするとどんどんどんどん人が順番に、
せいので初日に全員は来ないんですけど、
だいたい始まって1週間ぐらいすると、2万人ぐらいの人たちとかが集まってる状況になって、
世界中から集まった2万人の人たちで、
1ヶ月祭りといっても自分たちで暮らしたい暮らしを作りながら、
そこで生活を、日常を過ごしてるんだけど、
日常を一個一個にそれぞれがやりたいことを持ち込んでくるので、
相手からしたら非日常みたいなことを繰り返しながら、
人生の楽しさを知るような機会なんですかね。
そこでレインボーゲザリングも何かを決めるときは、
全界一致っていうことで決めていくっていう、
やっぱり多数決で決めると、
少数派側の人がどうしても自分が選ばれなかった人というか、
そういう少し残念な気持ちというか、
マイナスの気持ちが残る人が多いような気がするので、僕も。
なので、全界一致っていうことを平和構築集団というか、
平和な状態を愛する人たちを僕はヒッピーと呼ぶっていうふうに
感覚があるので、
彼らからすると全界一致を大事にしてるんだろうなと思っていて、
どういうプロセスで2万人の人たちを全界一致させるかというと、
ある一人でもいいしグループがこんなことやりたいっていうこととかを考えたら、
それを定期的に毎週というかもっと頻繁なのかな。
ちょっと毎日か忘れちゃったんですけど、
2日に1回とか何か物事を決めるようなミーティングの場みたいなのが
持たれてるらしくて、
そのミーティングの場に集まる2日前とかに、
こういうことをやりたいんだみたいなのを全員に通達するらしいんですね。
その通達した内容に対して、
賛成の人とどっちでもいいっていう人はそれでいいですみたいな、
これはちょっと反対だなっていう人だけ、
2日後のミーティングに来てくださいみたいな形で、
2日後にミーティングの場で反対の人が、
そんなに多くの人が反対で手は挙げないらしいんですけど、
2,3人の人たちが反対だったとして来ていて、
そうするとやりたいっていう人とその人たちがお互いの意見を交わし合いながら、
それでその日にお互いの意見がすり合わないっていうことっていうのもあるらしいので、
そうするとまた次の日とかその次の日なのかとかに、
もう一度会議の場が持たれて話し合いをして、
反対する人がいなくなったらそれで実行されるし、
逆に反対の人がずっと反対だったときにやりたいと思ってた人たちが、
確かに反対されてる理由もわかるし、
今そこまでのエネルギーかけてこれをやりたかったわけじゃないかもなって思ってきたりすると、
やりたいと思ってた人が次の会議を開くのはもうやめますみたいな形で、
実行しないってことになると、もうそれはやらないっていう形ですね。
だからやりたいっていう人がそれは諦めてるではないと思うんですよね。
なんか自分が本当に思ってる方向が少し違ったかもってことを、
相手のヒントを元にたどり着いただけの話で、
そこもやりたいっていう人たちが力でねじ伏せられたみたいな感覚が残らないように、
やりたい人の気持ちを重要視して、やりたい人が続けられるなら会議をずっとずっと続けて、
反対者もそこまで本気だったらもういいよやったらみたいな形で、
いい意味で折れるみたいなことっていうのがあると、
あると聞いたし、ごめんなさいそこは僕の想像だけど、
僕がそのプロセスに参加してたらそんなような気持ちになって、
実行がされることっていうのもあるんだろうなと思いました。
でもこの全開一のやり方っていうのは非常に非常に時間がかかるので、
僕の人生ですべての物事を決めるときに、
ちょっと全開一で決めれるほど時間をとれてないですが、
いくつかのプロジェクトだったりとか、
そういう人間関係においては全開一っていうのは、
相互承認の意義
僕はすごい大事にしながら人生を生きています。
今回は相互承認という話をさせてもらったんですけど、
次回は想像っていうキーワードでお話をさせてもらいたいと思います。
ではまた次回。
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