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  2. 【対談】1つのリンゴが紡ぐ奇..
2025-02-10 47:40

【対談】1つのリンゴが紡ぐ奇跡の物語。アップル吉田さんを深掘り!

~放送内容のタイムスタンプ~
 📝アップルさん自己紹介
 📝りんご農家になった経緯
 📝震災を経て
 📝打ちのめされた経験
 📝開業に至った経緯
 📝農業始めてから起こった変化
 📝ビジネスに転用できる気付き
 📝りんごがある生活が当たり前じゃなくなろうとしている
 📝アップルさんを救った一本の電話
 📝「縁」を感じる話
 📝クラファンを通して確かめたいこと
 😂1/25、熱狂の裏で。
 🗓️3/7(金)からアップルさんクラファンを応援しましょう(詳細は概要欄に)
===
📝真面目な内容
😂ネタ部分
🙌感謝!
🗓️告知関連
===

🔹なぜリンゴ農家になったのか?(11分)
https://youtu.be/I3NV5qJRgn8?si=_0w1tZ-CiRcID07P

🔹アップル吉田さんのスタエフ💁‍♀️
https://stand.fm/channels/67382e1369bc2015d07ffb31

🔹アップルよしさんのFacebookは💁‍♀️
https://www.facebook.com/tsukasa.yoshida.3597/

🔹アップル吉田さんの𝕏(旧:Twitter)は💁
https://x.com/appleyoshida


🔹───
2025/5/31(土)
 「樋口舞と天井桟敷アンサンブル 」
  ×「マミヨバンド] 2MAN LIVE SHOW
◇───
会場:青山 月見ル君想フ
開場:/開演:
前売り:4,000円+1D
当 日:4,500円+1D
◇───
チケットはこちら💁‍♀️
Peatixより発売開始しております!
https://peatix.com/event/4277495
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上記はすべて、あべゆさんが考えて作ってくれました😭✨👏
マジで神です(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

▶︎あべゆさんのスタエフはこちら💁‍♀️
火〜土の朝ごろスタエフライブ!
https://stand.fm/channels/62b12f780984f586c21e6d50
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5fe90c401f63b1cf684da6f4
00:00
はい、皆さん今日もよろしくお願い致します。今日は対談形式になりますので、皆さんお昼の間に来て頂いたら本当に嬉しく思います。
あ、また達成率、染まらなかったな。まあいいや。ちょっと待ってくださいね。
各所にリンク貼っていくので、ちょっと待ちください。
一応12時からの予定にはなってるんですが、それまでアイスブレーキング的なところで少しずつ話ができればなと思ってますので、よろしくお願いいたします。
ちょっとこの辺ぐらいに貼っておけばいいかな。
アップルさん来ていただいてありがとうございます。僕は招待するので、受けていただいたらそれでスタートできるかなと思います。
いかがですかね。それか、右下の手のマークがあると思います。そこ押していただけると僕に通知が来るので、そこから入っていただいても大丈夫ですね。
はい、ラジタラソフト極さん、村上さん、シスコさん来ていただいてありがとうございます。
村上さん、シスコさん、こんにちは。とてもとても嬉しいです。今日もよろしくね。
アップルさんがリクエストを受け付けはするので、してるから、あれかな。
ちょっと待って、ゲストを押し込みます。
まだ入り方わからない感じですかね。
アップルさんの方で、もしもすることがあれば、右下のところに手を挙げるマーク、話すよみたいなマークがあると思うので、そこでスタートみたいな感じにしていただければOKですね。
じゃあまずちょっと軽く話をさせていただこうかな。
レターちょっと貼っておくので見ていただきたいんですけど。
正直ね、アップルさんめっちゃすごい方だなっていうところなんですよ。
ちゃんと終えてなくて、本当に申し訳なかったんですけど。
アップルさんこんにちは。よろしくお願いいたします。
大丈夫ですかね。
マイク取っちゃったことです。
喋れますか。大丈夫ですか。
聞こえてますか。
バッチリです。僕の声聞こえます。
バッチリです。
よかったです。ということで皆さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
アップルさんはどんな方か知らない方が多分多いと思うので、最初にまず自己紹介をお願いしてもいいですか。
ありがとうございます。
私、岩手県陸前高田市でリンゴ農舎をしながら音楽活動をしたり、農副連携の事業をしたり、サービスのお手伝いなどをしているリンゴ農家やってます。
アップル吉田と申します。よろしくお願いいたします。
アップルさんよろしくお願いいたします。
アップルさんと対談をするきっかけになったのは、1月25日のマミオバンドと森坂バンドの2マンライブでコラスターとして入っていただいたんですね、アップルさんが。
03:01
そこで初めて僕もフェイスブックライブでアップルさんと話をさせていただいたり、リアルでお会いしたことがあったりという流れが直近での流れですね。
結構前まで遡ると、1回アップルさんがクラファーしてた時に支援させて応援させていただいたっていうところが、多分一番最初だったかなと思うんですけど。
それから繋がりが濃くなって、今回対談するまでになって本当にありがたいなと思います。
濃くなりましたね、本当に。
そうですね。
対談するにあたって、初めてというかアップルさんのことを少し調べてみたんですけど、すごい人だなと思って。
アップルさんは最近の放送は結構聞いてたんですよ。
最近の放送とか聞いてて、過去のこういうことやってますとか、まかもさん会話の動きとかこうですとかっていう放送とかもいろいろされてて、
なるほどなーとかって思ってたんですけど、あんまりご自身の今までの経験だとかって話されてなかったじゃないですか。
まあまあ、ちょっと恥ずかしくなってきたぞ。
本当は事前に見とけばよかったんですけど、先日バタバタしてて、娘が応援とかもあって、あんまり時間が取れなくて。
で、今日ちょっと見たんですよ、アップルさんの。
僕、レターに今貼ってあるものがあると思うんですけど、なぜリンゴ農家になったのかって過去11分でこのYouTube動画を見させてもらいました。
これめちゃくちゃ暑いですね。
YouTube動画ってあれですか、絵のやつ?
絵のやつです、絵のやつ。
アップルさんがスタイフのプロフィールのところに貼ってあるものですね。
ああ、自分で貼ってて忘れてた。
ありがとうございます。
今回3月7日にクラファーに挑戦されるということで、その話もちょっとしたいんですけど。
そもそもアップルさんって、なんでリンゴ農家になったのかっていうところをちょっと今回深く聞きたいなと思います。
今回は僕の放送を聞いていて、アーカイブで聞かれる方もそうなんですけど、知らない方が多分多いと思うんですね。
はいはいはい、初めまして皆さん。
12時からって言うとこれから皆さん来られると思うので、その辺りをむしろ聞きたいっていうところがあって。
人となりをね、知っていきたいなと改めて思います。
そうですよね。僕最近どちらかというと、エンタメ関連の活動が多いから、
そうなんですよ。
農業のこと話さないのと、どうしてもリンゴのシーズンがもうほぼほぼ終わりなんで、ただ話題にもしないっていうようなこともありますからね。
ありがとうございます。
アップルさんは鴨山界隈でもちゃんと活躍をされてて、ボラスターもされてて、クラファーもやってて、自分の農家の授業もされてる。
結構昔からちゃんとされてる方なんだなって思ってたんですよ、僕。
全然そんなことなくて、めっちゃウィル曲説あって、ドラマがあるような方だなっていうのを、
06:04
10分だけのYouTube見て、ちょっともっと深く知りたいなっていうのが僕の今の状況ですね。
アップルさん、もともと農業にそもそも関わりがあったわけじゃないんですよね。
おっしゃる通りです。
一番最初の仕事って何をされてたんですか?
僕はもうずっとホテルマンでしたね。
飲食関係、全部ひっくるめると飲食関係の仕事で、その中でもホテルが一番長かったです。
なるほど、なるほど。
それってあれですか、大学卒業してからずっとって感じなんですね。
ありがとうございます。
僕はですね、大学行ってまで勉強したくないっていう人だったので、
はいはいはい。
今ちょっと後悔はしてます。
大学行った時の後っていうのを一応イメージしたら、言っとけばよかったなって思うんですけど、
僕高校卒業して、実は僕も上京したい人で、
うんうん、なるほど。
音楽の専門学校とかに行きたかったんですよ、ずっと。
今ね、ドラムで叩かれたり、ボーカロもされるっていうことでしたもんね、昔から。
なるほどね、はいはい。
ただやっぱり親から文反対を受けて、
はいはい。
じゃあどうしようかなと思った時に、高校の担任の先生が、
ホテルとか行けばいいんじゃないって言われて、
はい。
僕高校時代に応援団でちょっと目立ってた方だったので、
はいはい。
で、じゃあどうせ就職の試験をしても何回か落ちるんだろうなと思ったから、
岩手で一番トップのホテル業の試験を受けて、
うんうん。
まさかの一発採用が。
すごいですね、そこでもそれすごいですね。
うんうんうんうん。
があったんですよ。
だから最初はもうホテルでいろいろサービスの勉強してました。
なるほどなるほど。
でもそのホテルの中でも結構こううよくよく伝わったんですよね。
結構大変な時期を経てたんですよね。
そうそうそうそう。
話すと長くなるけど。
全然いいですよ。
簡単に言えばやっぱり部活の感覚で仕事をしてたので、
それがやっぱり当時のマネージャーから、
僕らはサービスのプロですっていうようなのをミーティングに受けて、
で初めてお客様が払ってくれたお金が僕らの給料になってるんだ、
僕はそれでサービスで飯を食ってるんだっていう意識が始まったのがその時なんですよね。
なるほど。
それからですね、あとはやっぱりやればやるほど
サービスの世界ってすごい深いなと思って、
09:01
でやっぱりバーテンダーとかギャルソンっていうフレンチのサービスの給仕をやってたんで、
そこから自分の店を持ちたいっていう風になって、
で地元でお店を開きたいと思って帰ってきたっていうのがそこまでのストーリーです。
そうだったんですね。
でもう一回帰るっていうときに、
もうお店を持つっていうのが前提だったんですね。
もうそうです。
そこでお店も一回開かれたんですか、帰ったときって。
帰ってきたときに地元のホテルが経営破綻をして、
そして民間から第三セクターの管理になった。
そこで一応声をかけられて、2つ返事でそこに入りました。
なるほど。まずはそちらで勤めてってことですね。
そうですね。だからなんというかやっぱりこっちの、
僕が勤めてたホテルは岩手県の内陸のホテルで、
僕が住んでるのは岩手県の沿岸なんですけど、
やっぱり人の気質が全然違うんですよ。
そうなんですね。
ちょっと帰ってきていろいろなお店に行ったりとか、
何かに呼ばれて行ったりしたときに、
ちょっとお客さんここでお店を開くとしたら、
森岡の感覚じゃあちょっとお客さんをつかめそうにないなと思って、
思ってたときに声をかけられて、
じゃあ地域の唯一のホテルの経営の巻き返しに
尽力させてもらって、そして頑張ったほうが後々のプラスになると思ったので、
そこのホテルの経営の回復というかそういうのに加わることにしたんです。
なるほど。
全然ここから農業に行く気配が全くないんですけど、
ないですね。
なんでここから農業に行こうとしてたんですか?
まだ農業のノッテージ一切出てこないですよね、今の段階だと。
お店を持とうとかなっていうその気持ちだけだと思うんですけど。
それで、今陸前高田市のお話をしてるんですけど、
お隣の大門市というところが、
国の公安拠点都市で大きな港があるんですよ。
そこにコンテナ船も入ってきたり大学もあるということで、
港町で夜の町が華やかだったんですね。
なるほどね。
ラスならこの町かなと思って、
そこで飲食関係のお店をいろいろ手広く展開してる企業に入って、
独立の準備をここで始めようと思ってやってたんです。
はいはいはい。
そこで30代でお店出せそうだなと思って来たときに、
12:00
実は東日本大震災があって。
なるほど、その時だったんですね。
そうですそうですそうです。
その震災を通じて、やっぱり生き方とか考え方、家族の在り方、
みたいなのを根底から作られた。
頭の中全部変わりますもんね、あれな体験をすると。
やっぱり好きなことで生きていけばいいみたいなチャラっとした目的で、
僕は人生を歩んでいたんですけど、
あの震災で考え方が変わったのが、
自分が死んだら何を残せるかっていうのを真剣に考えるようになったんですよ。
子供もいますもんね、確かにそうですよね。
そういうときに支援物資を全世界からいただいたりしたんですけど、
はいはい、そのときはそうだったですね。
その中にリンゴもあって、リンゴは世界のじゃないんですよ。
青森とか長野のたくさん採れているところのリンゴがあって、
食べたらやっぱりすごいおいしかったんですよ。
これうまいなと思ってたら、隣にいた母親が、
それ地元のリンゴだよって言ってびっくりしたっていう。
地元からも届いてたんですね。
まあ、多分誰かしらからいただいたんでしょうね。
なるほど。
結局地元のリンゴ農家さんだって、
リンゴは採れるけど売るところがないっていう状態でした。
なるほど、そういうことだ。
象頭用はとりあえずは売れるんだけども、
市場はやっぱり傷がついたものを買い取ってくれる、
農協さんがもう流されてしまったので、
だからもうどうしようかということで、
結構その当時に来た支援団体の方がそのリンゴを購入して、
例えばジャムとかジュースとかお料理に使い、
そして復興に協力をっていう流れができてあったんですよ。
自分の住んでるところはもう完全な漁師町なので、
海産物はすごく有名なんです。
例えば目の前の海で採れる海の柿がありました。
それ豊洲市場で7年連続最高値を更新し続けている柿が、
僕の町では採れるんですよ。
すごい場所だったんですね。
すごいですよね、これは。
連続はすごいですね。
更新し続けているんですよ。
そういうところだったので、
全然農産物は全く意識していなかったんですけど、
海の町でこんなにおいしいリンゴが採れるんだと、
青森と目の前にして全然損失がない、
劣らないものが採れるんだということにまずびっくりしたんです。
確かに僕もアップルさんであるまで知らなかったですね。
正直言うと。
そうです。
15:02
そんなに有名な町でもないので。
そしてもう一つのきっかけが、
やっぱりそうしたら素人であっても農業が衰退してる
というのは裸でわかるじゃないですか。
はい、そうですね。
そういうふうで地元のリンゴ産業のことを調べたときに、
農家さんが80件から100件くらいあったと。
これすごい多いんですよ。
こんなにあるのって思ったんですけど、
でも1件あたりのリンゴ農家さんの規模がめちゃめちゃ小さいところが
密集している地域というのがわかったんです。
なるほど。
その中で30代以下、要は39歳以下の担い手が
決まっている担い手ですよ。
生計が決まっている30代以下の担い手が1人しかいないという事実が
本当にびっくりしました。
農家はあるあるですよね、それは。
こんなクオリティ高いのに無くなんだという感じになって、
ただそこはやっぱりすぐ農業を始められない状況でもあったんですね。
地震災の時期だったので、やりたいことよりも
やらなきゃいけないことがたくさんあったわけですよ。
そういうことですよね。
例えばガレージの撤去とか、ライフ復旧でしょ。
お仕事を被災された方々のお仕事の支援とか、
圧戦。
市役所さえもないというような状態だったので、
まず目の前のことをやらなきゃいけないという状態で。
そうですよね。
新しく建設されるホテルのオープニングスタイルだったので。
決まってたんですね。
そうそうそうそう。
というところだったんですけど、
40歳になった時に、地域の農産物を盛り上げていこうという
NPO法人が求人を出していて、
それの重たる産物がインゴだったので、
なるほど。
いないて育成、販路拡大、生産拡大みたいなことをやってたんですよ。
求人を出していたので、40歳になった時に僕はそこに新規収納して、
そして約3年間から丸3年そこで経験積んで、
4年目の44歳になった時に開業したんです。
そういう流れだったんですね。
最初は戻って、震災あっていろいろ考えた時に、
リンゴのこのおいしさを知って、
最初ホテルマンをまだ続けてたってことですよね。
そうです。
一時して収納のNPOが来たからそこで飛びついたってことだ。
でもNPOがこのリンゴに着目するってすごいですね。
海産物の方で何かするのかなって思ってたんですけど、
そうじゃないんですね。
そうですね。
18:00
なぜNPOに入ったかっていうと、
一つは震災の後にいろんな地域の方、地域外の方がたくさんたくさん入ってきて、
その方々はもうガチでこの街を良くしようと、
自分の身を犠牲にして、この街の復興を手伝いたいっていう人ばっかりだから。
なるほど。NPOってそうですね。
一切存在がない方々ばっかりだったんですよ。
はいはいはい。
この地域のしがらみを突破して、
地域の方と、そして外部から来た方が、
一つのものをずっとチームビルディングしていくっていう姿が、
すごい美しいなと思ったので、
だから地域と移住者っていうコミュニティに僕は結構惹かれてたんです。
いや面白いな。NPOっていうとこがいいですね。
僕も実は地元でNPO法人の学生ボランティアから社会人ボランティアまで、
ずっと3,4年ぐらいやってたことがあって、
その時のコミュニティが、
多分今の僕がやってるKojiki Projectのコミュニティ運営にも、
少し関係することが多いんですね。
そこでのやり方って、結構無償でというか、
時間を使うっていうところで、無償でみんなで集まって、
何かのために、目標のために全力でやろうって、
できるスキルとか時間とかを投下して、
作り上げていくっていうそういうチームだったので、
年代も60代の方から、僕たち学生の方から幅広くて、
でも同じ境遇と同じ意見で、
みんなが対等な扱いで動いてたので、
あの環境すごかったんですよね。
パプリさんもNPOに入った時にその環境があったってことですよね。
そうですね、その前からNPOに関わらず、
いろんなお店の再建とかに、
結構名前のある方、もうすでに書籍とか出したりとか、
数社で描けているような、すごい経営者の方とかが来て、
いろんなアドバイスをしていただいたりとか、
そういうのがあったんですよ、陸前の方は。
すごい、そうですよね。なるほどな。
ここで一回打ち止めされます、僕も。
あ、そうなんですか。
ある程度僕、一応できる方だと思ってたら、
全然話がついていけなくて。
なるほど、はいはい。
例えばパソコンのスキルもそうだし、
メールの文章もそうだし、
試合で、例えばなぜこれをやっているのかとか、
そういう考え方が今までなかったんですよ、それまで。
なるほどね、はいはい。
毎日へこみました。
今まで、新しい外からのコンサルみたいな活動たちの
意見というのが本当になかったんですね、
Appleさんの中に。
そうです、そうです。
要はやっぱり雇われだったのと、
その前の飲食企業の方では、
No.2までは行って、旅行代理店を回ったりとか、
営業をやりながら現場もやってたんですけど、
その時はやっぱり思ったのが、
家と職場の往復だけじゃ全然ダメだなって思ったんです。
21:02
はいはいはい。
例えば東京とか大阪に行って、
旅行代理店の方々と会って、
いろいろお話をして、
うわ、面白いなって帰ってくると、
やっぱり会話が合わなかったりとか、
ということが出し始めた時に、
このままでいいのかなって思った時に審査に行って、
それで審査以降に、
本当に助けてくれる方々を退治した時に、
考え方の視野が全く違っていて、
いつからか、俺感想しか言ってねえってことに気がついて、
そしたら実はAmazonで結構本をごぞっと買って、
時間だけはあったから。
なるほど。
懐かしいな。
それが今のアップルさんに繋がってるんですね。
繋がりましたね。
多分繋がってると思う。
なるほどな。
結構その時、衝撃だったっていう経験を経て、
毎日凹んだっていう経験を経て、
自分が変わろうとして行動されたわけですよね。
本読んでとか。
自分の今のマインドを全部捨てて、
もう一回生まれ変わる感覚ですよね、本当に。
確かにそうだったかもしれない。
すごいですね。
なかなかでもできることじゃないけど、
震災っていうワードが変えないといけないとか、
家族のためにとかっていう。
多分今まで普通に生きてたら切り替わらなかったことを、
それが切り替えてくれたっていうのは大きかったのかもしれないですね。
おっしゃる通りです。
最初に思ったのが、やっぱり人って死ぬんだっていうこと。
はいはい。
なんか漠然としてましたけど、
だってね、3日前に喋ってた方が亡くなったりとかしたんで普通に。
そうですよね。
あーそうなんだって。
だからずっとフワフワしてましたね、あの時は。
あー。
うん。
すごいそうですよね。
そこでリンゴ、なるほどなー。
10分の動画を見て、
アプラ相当大変な思いをされたんだなと思ったんですけど、
それ以上ですね。
話を聞いてると。
やっぱりやってみた時に、
リンゴ1本で食べるのがすっごい難しいっていうのが分かりましたし、
はいはい。
これをどうしようかなっていうのを、
正直なところ人体実験を繰り返しているような感じですね。
クラファーも通して、今までの活動も通してってことですよね。
そうですね。
ちなみにアップルさんがリンゴ農家として開業するじゃないですか。
それまでは学びの期間ってあると思うんですけど、
開業をするっていう決断に至ったのは、
学びの時から何年後にやるっていうのを決めたんですか?
これ実はですね、ありがとうございます。
NPOに入った時に、
入って入社して半月後に、
24:00
僕6月に入社したんで半月後、
もう年明けたんですけど、
年明けた時の最初のフィードバックで、
当時のNPO法人の代表から、
僕本名を吉田司っていうんですけど、
司さん独立しませんか?って言われて、
は?って言ったんです。
一年で独立しませんか?って言われて、
は?って言ったんですよ。
独立は確かに考えてなんかないけど、
それ早すぎないですか?って言ったら、
そのNPOのやっていた施策がすごく今思っても、
あまり類を見ないもので、
自分のところで担い手を育成して、
そして畑付きで独立をさせて、
これを続けていきたいっていう流れになっていたんです。
すごい流れですね。
やっぱり工作法基地とか、
もう手が及ばないような林檎畑はどんどん借りていって、
どんどん借りていって、
どんどん借りていって、
どんどん借りていって、
そして担い手になりたい人をどんどん雇って、
何年か育成をさせて、
畑ごと独立させようというスキームを作ろうとしたんですよ。
すごい代表ですね。
で、それを話を聞いた時に、
ということは自分がそれのモデルとなって、
第1号として独立した方が、
このNPOのためになるんだと。
それから続く人のために、
僕は独立した方が、
ここのNPOを勝たせることができるんだなって思って、
妻にそれをその日に相談して、
そしていいんじゃないって言われたんで、
軽い返事がね。
その話を承諾して、
独立したんです。
すごいですよね。軽く話してるんですけど、
まず奥さんがいいんじゃないっていうのも、
いろいろ一緒に生活されて、
あるからこそ出た言葉だと思うんですけど、
その前のNPO法人を勝たせるっていう、
このマインドって、
たぶん今までのアップルさん、
ホテルマンのままだったらなかったですよね。
そうですね。やっぱり、
自分一人じゃ何もできないというところ。
やっぱり誰かのためにやって、
それが回って循環する世の中の方がいいよねって感じ始めて、
って感じかな。
やっぱり偏在の時はいいこともありましたけど、
感情論がすごく多くて、
それってあなたの感想ですよねみたいなことがいっぱいあって、
ちょっと疲れてた時期でもあったから、
なるほど。
そして、
27:00
久しぶりにね、
畑に出て、外で太陽の下でやれる仕事じゃないですか。
そうですね。
農業始めてから、
シンプルに諦めることを覚えたんですよ。
諦めることを覚えた。はいはい。
だって、夜って作業できないでしょ?
できないですね。
台風来たら祈るしかないんですよ。
確かに。
リンゴ落ちたら疲労しかないんですよ。
だから、それが何かというと、
ホテル自体は飲食機やった時は、
どうやったら集客できるだろうってずっと考えていて、
何かをやっていても、誰かお客さんが来たらすぐそっちに行かなきゃいけないでしょ。
何かフェアをやって、
そして売上が上がったとしても、
果たしてこのフェアが売上がった原因なのかっていうのを、
またそこを分析しなきゃいけないでしょ?
そうですね。
つまり、僕はずっと人の都合のために働いてたんですよ。
なるほど。
それが、今度は相手が自然になって、
もう抗えないものが相手なので、
何かあったらもう諦めて、
次のことを考えるっていう、
考え方に至って削ぎ落とされたシンプルなものになったなっていうのが、
なるほど。
確かにそうですよね。
ホテルマンの時は、どうにかして何かしないといけない。
もう力技でもやらないといけないっていうところなんですけど、
農業だと無理ですもんね、結局。
そうなんですよ。
うちも実家農家だったので、すごくそれを分かってて、
みかんとかキウイとかお米とかビワとか作ってたんですけど、
子供ながらに祖父祖母の手伝いをしてて、
雨の日の時にできる。
次の年の日は袋をかけたんです。
袋のたたんだりとか綺麗にした準備とかでやってたりとか、
倉庫の中でやるとか、
諦めるしかないんです。
選択肢がもう限られてしまうっていうところですもんね。
抗わないっていう。
明確だったっていうところもあって、晴れだったらちゃんと晴れで、
その時にできることをやるっていう。
自分のマインドって会社員だと身につかなさそうですね。
やって当たり前で、行動して当たり前で、
できてなかったら怒られるっていうところなんですけど、
確かに農業はまたガラッと違いますね、そう考えると。
そうですね。
なんだかんだ言って、
その時々の受け取り方によっては、
ビジネスにすごい転用できることによって、
例えばリンゴの木1本あるじゃないですか、
これにたくさんリンゴの木をならせようとすると、
リンゴは大きくならないんですよ。
ちっちゃいものがいっぱいで。
でも収穫料は取れるから、
業で責める人はそうやるんですけど、
でも確認結果といって、
たくさんリンゴをならせすぎると木が疲れちゃって、
30:01
翌年には成りが悪いっていう。
あるあるなんですね。
リンゴもあるんですね、そういうの。
それでさらにちょっと枝がすごく伸びすぎてるなと思って、
この枝を整理しようとすると切るじゃないですか。
切りすぎると今度リンゴの木が起こって、
リンゴの実に養分を送るのをやめて、
枝を生やすんです。
へー。
だから改めて生き物と対峙するって、
たかがリンゴの木だといえど、
管理が悪いとすぐ枯れちゃうし、
管理が悪いと木が暴れちゃうし、
暴れるというのは枝をすごい伸ばすのね。
管理が悪いとリンゴをならせてくれないんですよ。
すごいな。
そうなんですね。
植物って感情がないようで、
めちゃくちゃ素直ですもんね、そう考えると。
それで、
この異常気象が3年くらい前になっていて、
ベテラン農家さんの経験が通常しなくなっているから、
なるほど。
リンゴ農家はどんどんやめているし、
リンゴ自体が当たり前じゃなくなってきている世の中が
落ち着けようとしていて、
そうなんですね。
価値は上がるんですけど、
厳しい時代がまだまだ続くんだ。
という未来予測ですね。
だって暑いもん。
そうですよね。どんどん気温は上がっていますもんね。
気温がね、確か20年前と比べて
8℃なんですね。
そんなに違うんですか?
それはすごいな。
2年前は夏がすごく暑かったんですよ。
夏が暑くて、
9月の末あたりまで30℃近い日が続いて、
そうなんですね。
それで今度はリンゴに赤い色が付かない状態になった。
あれって、
暑いと付かないんですね。
20℃前後で付くので、
真っ青なまま美味しいリンゴができちゃって、
でもリンゴの市場価値って、
どうしても見た目なんですよ。
赤くしないといけないんですね。
ちなみに知ってます?
リンゴって赤い色あるじゃないですか。
お日様に当たっているところは赤いんですよ。
でも裏側って葉っぱがあるでしょ?
そこはまだ真っ青なんです。
そうなんですか?
その時期が来たら、
後ろの葉っぱを除去して、
リンゴを少しずつ太陽の方に向ける作業があるんです。
回すってことですよね?
33:01
はい。つまり何が言いたいかというと、
あの赤色は全部手作業なんです。
マジですか?えぐいな。
すごい手間かかりますね。
そうなのよ。
手作業だったんですか?
手作業だったんですよ。
手作業をやっていたりするのね。
その赤色がつかなくて、
コンテナ瓶も、
二台が40℃超えると言われたので、
3年まで、
熱中症にもなるし、
初めてリンゴを送るのが怖くなって、
全部、
10月上旬までクールビンにしたんですよ。
そういうことですよね。
お金を出して安心買ったんです。
プラファンで売れてるから、
送らなきゃいけないし、
追加料金なんか取れないし、
出した時に、
さすがに手作業だったんですけど、
リンゴのほうが本当に続けられるのかなって、
疑心暗鬼になって起こって。
そうなんですね。
9月の話だから、
目の前にまだまだこれからのリンゴがあるわけじゃないですか。
たくさんありますよね。
でも、熱いんですよ。
どうなんだろう、このままって思ってたんです。
一本のお客様からの電話が、
どんな電話だったんですか?
リンゴ届きました、これから家族で食べます、
みたいな連絡が来たんですね。
どうぞどうぞ、みたいな。
1時間くらい経ってからまた連絡が来たんです。
朝食で、
リンゴを食べた長男が学校に行きましたと。
その子、不登校だったんです。
それにすごい感動して、
その話を聞いて、
もう涙止まらなくて。
そこで、
自分が選んだ道を正解にしなきゃいけないなと思ったんです。
去年のクラウドファンディングの
トップ画像を作ってくれたのは、
実はその長男のお母さん。
宮崎出身のデザイナーです。
すごいなぁ。
36:00
つまり、
リンゴを食べて学校に行った長男のお母さんが
ふみちゃんだった。
そういうことですね。
そういう繋がりだったんだ。
事務局をお願いして、
でもその後、まさかカモファンディングに入社するとは思ってなかった。
うわぁ、そうなんだ。
すごいなぁ。
その話のもっと前に、
うちに農業体験に来てくれた東京の親子がいて、
娘さんが
15歳の中学生の女の子だったんです。
その子が
参院地方の農業高校の体験入学も済ませていて、
夏休みの時点で内定ほぼ決まっている。
すごいなぁと思って聞いたんですよ。
東京の女の子ですよ。
なんで農業をやろうと思ったら、
帰ってきた言葉が
人の命を作る仕事ってめっちゃかっこよくないですか?
キラキラさせて言われた。
すごい嬉しいですね、それ。
そこで独立に関して不安だったことが
その言葉に救われた。
このエピソードはクラファーに毎年出てくる。
へぇ、そうなんだ。
これが去年の文雄さんの息子さんで
回収できたから、
誰かの人生の一部にも俺のリンゴになってんだって
回収されたから、
だからやれるんですよ。
熱い話ですね。
泣きそうだなぁ、聞いてて。
リンゴ1個でこんなに
人の行動って変わるんだなって
すごいですね。
もう一つエピソード言うと、
そのリンゴを
長男が食べたリンゴというのが
実は
ある若手収納者が
機体に入った
夢を膨らませて畑をやったんだけども
やっぱりちょっと体に病気がちになって
辞めちゃった畑がある。
その畑で取れたリンゴが
長男が食べたリンゴなんですけど
その病気でちょっと辞めちゃった
若手リンゴ農家の
おばさんが実はカモさんコミュニティに
いたっていう。
すごくないですか。
繋がってますね。
その方が焚火の会の社長オーディションの
パーティー会場で隣になった女性に
39:00
アップル吉田さんという方と
初めてお話ししたんですけどって言ったら
私その人知ってます、畑にも行きましたって言って
その話は聞いたことあるけどそこで繋がるんですね。
すごいな。
いろんなところに
ライブもそうですけど
震災当時の陸前の方で
いろいろ人力の人にお会いすることができたりとかして
すごく奇跡的なことが
すごい続いてるなって僕は感じてるんですよね。
会えないですよね、普通は。
本当本当本当。
その日のありがとうで、あとは
支度が手伝ってくれたボランティアの成果で
繋がるだけというか。
会えるって運命ですね、そう考えると。
なので震災以降は
縁っていうものを真剣に信じるようになりました。
なるほど。
多分必然だったんだろうなと。
すごいなあ、そうですよね。
いい言葉だなあ。
アップルさんが言う縁は本当に深いですね。
そう感じると。
だからやっぱり、されどブラスタとは言えね。
うんうん。
曲でやったほうがみんなで楽しめるじゃないですか。
何だろうな。
泣きそうなんだけどな。
ブラスタにアップルさんが来てくれたのも本当に嬉しいし
村上さんとか他の方の縁なんですけど
僕とこうやって話してくれるっていうのも
めちゃくちゃ嬉しいですし
実際1月25日にお会いして
馬鹿騒ぎしましたけど
でもやっぱり
そこで終わらなかった、で終われないっていう
それってアップルさんが縁を大切にしてくれてるからだと思うし
僕も個人プロに関わってる人とか
僕を応援してくれてる人はなんとかして
僕に関わってよかったって将来ずっと思ってもらえるような
活動をずっとしていきたいと思ってるんですけど
その辺のアップルさんの思いは本当に心にきますね。
いやいやいや。だから結局は
これは審査員のコールに3ヶ月かかった
マインドから変わってなくて
結局恩返しなんですよ。
ありがとうっていう切り抜きがありましたもんね。
あれの切り抜きがもう1回見ると意味が変わってくるんだよな。
なるほどな。
こっちこそありがとうですね。
いや本当に嬉しいな。
だから
あそこはね、たぶん23年のカロファンで
支援していただいたんですけど、ただただ支援だったじゃないですか。
そうですね。
ちょっと一番安いところだったんですけど
でもその思いが
その3000円が今
42:01
とんでもない価値になって僕らを
つないでくれたじゃないですか。
えぐつないですよね。3000円で申し訳ないです本当に。
考えるとやっぱりクラウドファンディングって
夢の実現装置になってはいるんですよ。
きっと。
ちょっとしたきっかけじゃないですか、最初って。
アップさんとも本当に知り合えてなかったし
知らなかったですし
行動されてるんだったら何かできないかなと思って
ポチッと押したわけですよ。
それが対談して
泣きそうになるまで来るとは思わなかったですけどね。
何か送ってください。
いやすごいな。めちゃくちゃ熱いな。
本心だから。
たくさんリンゴ買ってもらって
ほしいって言われて
ようやく本心言えるようになったから。
そこまで長かったですよね本当に。
確かにね。
今回アップルさんの対談を
もうすぐ終わっちゃってもっと話したいんですけど
アップルさんの人となりを知りたいなって思って
話を聞いてて
まじで縁って本当にすごいなって感じてます。
なかなかこういう人に出会えないっていうのが
思ってて
出会えたことが多分奇跡だし
ありがたいことなんだなっていうのを
コジプロに入って感じることが多いので
それは本当にありがたいなと。
ありがとうございます本当に。
この間の1月25日まで
はい。
いろんな活動の中で
もっとこれ伸ばせたら楽しくなるんじゃないか
面白くなりそうなことがたくさんあったんで
僕はそれをクラウドファンディングで
次のクラウドファンディングで
それをちょっと試したいんですよ。
金曜塾っていう名前で
僕もみんなのスキルとか
学ぶことに対して
自分のデータを全部公開しますっていうようなことをやってるんですね。
昨日言われてましたもんね。
それでも既にZonoさんには声をかけていて
お金を払うのでまず切り抜き動画をしようと。
切り抜き動画をまず繰り返していって
僕いろんな人とこれから対談していくんですよ。
僕だけじゃなくてその方も喜んでくれるじゃないですか。
その連鎖があった時に
何が生まれるかっていうのを確かめたいんです。
僕のクラウドファンディングは毎回毎回
テストマーケティングなんです。
なので今日対談をZonoさんに申し込んだのは
ぜひ僕の仲間になってほしいです。
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なるほど。スカウトだったんですね。
そして漏れなくそこに入らなくても
まずその企業塾っていうのに入っていれば
リンゴはもらえます。
僕ら全部それを何かにつけてリンゴつけられるんですよ。
そうですね。リンゴ農家さんですからね。
いやー入りますよ。
こんな話聞かされたら
もうはいかイエスか
何か爪痕残してさ
それがカモファンディングのデータになるわけだから
喜んでデータを提供したい。
だってカモファンディングで
生駒さんに会ってなかったら
今の俺ないから
そうそうそうそう
暑いなー
この行動すべてが
誰かのために
みんなのためにっていうところから来てるじゃないですか。
そうですね。
野田ゼロさん最後に落ち着けていいですか?
いいですよ。あと1分なので落ち着いてお願いします。
みんなのためにをやりすぎたら
僕ね1月25日実はバスに乗り遅れたんですよ。
ありがとうございます。
びっくりした。
自転で乗り遅れる怖さっていうのを初めて知って
ホテル開いてて新宿でどこにも移動できないと思って
どうしたんですか?
運良く新宿のカプセルホテルが開いてて
行ったらめっちゃ外人ばっかりで
非常に厳しい思いをしました。
こちらこそ本当に辛い思いが
すごいなぁ
皆さんコメントもめちゃくちゃたくさんいただいてて
全部一応目を通してたんですが拾えなくて申し訳ないんですけど
アプリさん本当に今日熱い話
本当にありがとうございます。
仕事に戻らないといけないので終わっちゃうんですけど
またどこかで話したいなと思って
今度はアプリさんの枠で
どこかでまた対談できたらなと思いますので
またよろしくお願いします。
アプリさんも3月7日からクラウドファンディングを開始しますので
概要欄にレターの全て貼っておくので
なぜリンゴ農家になったのか
これだけでも見てください。
皆さんよろしくお願いいたします。
今日はリンゴ農家のアプリさんでした。
ありがとうございました。
またねー。
47:40

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