1. 心の砂地#
  2. 第86回『突然炎のごとく』
2024-09-03 46:10

第86回『突然炎のごとく』

「いまこそ、昔の映画を観よう。」

今回も[傑作との出会い]を求めて。昔の映画の話をしていきましょう。テーマとするのはフランソワ・トリュフォー監督作『突然炎のごとく』。

今泉力哉監督の『街の上で』には、熊切和嘉監督の言葉として引用される、こんな台詞があります。

《男2人女1人の映画撮るなら、トリュフォーより面白いもの撮れる気あるのか?」》

本作より面白い映画があるでしょうか。答えは、ぜひ、あなたから。その前後や途中に本エピソードがあれば、嬉しいなと思います。


◇エピソードのゲスト出演者

・野中愛

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・『ぜったい大丈夫だよラジオ』

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◆フランソワ・トリュフォー監督作『突然炎のごとく』 (1962)

・あらすじ

《パリで出会ったオーストリア人のジュールとフランス人のジム。文学青年の彼らは熱く語り合ううちに意気投合する。ある日、アドリア海の島を訪れた二人は、カトリーヌと出会い、二人とも彼女に惹かれる。それからは常に三人で行動を共にするようになるのだが……。》


◆参考文献

『定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(⁠晶文社:⁠81)

山田宏一『トリュフォー、ある映画的人生』(⁠平凡社:02文庫)


◆本エピソードで言及した作品、もしくは本作の影響があると思われる作品

ウディ・アレン『ミッドナイト・イン・パリ』(11)

ルカ・グァダニーノ『チャレンジャーズ』(24)


ジョン・シュレシンジャー『真夜中のカーボーイ』(69)

ジョージ・ロイ・ヒル『明日に向って撃て!』(69)

ジャン=ジャック・ベネックス『ベティ・ブルー』(86)

レオス・カラックス『ポンヌフの恋人』(91)


◇62年の映画

アニエス・ヴァルダ『5時から7時までのクレオ』

ジャン=リュック・ゴダール『女と男のいる舗道』

ロマン・ポランスキー『水の中のナイフ』

スタンリー・キューブリック『ロリータ』

デヴィッド・リーン『アラビアのロレンス』

米英独合作『史上最大の作戦』

黒澤明『椿三十郎』

小津安二郎『秋刀魚の味』

古澤憲吾『ニッポン無責任時代』


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今回紹介する映画は、フランスワ・トリフォー監督作、突然炎のごとく。舞台はパリ。モンパルナスで出会ったオーストリア出身のジュールと、フランス出身のジム。共に文学青年である二人は、すぐに息とおごし、親友になる。
ある日、アドリア海の島を訪れた二人は、ジュールのいとこの友人、カトリーヌと出会い、二人とも彼女に惹かれることとなる。それから常に三人で行動を共にするようになるのだが。
この番組、心の砂地は、様々な文化や日常の築きをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
私シャークくんです。今回は映画の話のエピソード、特に昔の映画の話をするというエピソードシリーズでございます。
2回目パート2でございます。ということで前回と同じくゲストにこちらの方をお招きしております。どうぞ。
はい、ポッドキャスト番組ぜったい大丈夫だよ!ラジオのあいです。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
今回がですね、見る映画というのがフランスの映画ですね。62年のフランスの映画、ヌーベルバーグというムーブメント、新しい映画の流れ、ジャンルみたいなことでヌーベルバーグ、フランス語で新しい波っていうことらしいんですけど、
フランスはトリフォー監督の突然炎の如くという作品について今日はお話ししていきたいなと思います。
はい。ちょっと先に雑貫、今回トリフォーの映画見るっていうのは初めてでいいかな。
うん、初めてです。大人はわかってくれないとかの概要とかタイトルは聞いたことがあったんですけど、映画をちゃんと見るのは初めてだと思います。
あーなるほど。わかりました。ということで、初めてのトリフォー、初めての突然炎の如くということで、
今日の流れを説明すると、この後雑貫喋ってトリフォーってどんな人だったんですかって話をして、その後突然炎の如くの感想線みたいな感じでお話ししていければなっていう感じなんで、
また詳しいのは後でお話しさせていただければと思うんですけど、ざっくり見てどんな印象を持ったかみたいな感じのをお聞かせいただければなと思うんですが。
はい。2回見たんですけど、1回目はもちろん絵が綺麗とか、映像表現として面白いっていうところはもちろんありつつ、最初の方とかは誰が誰みたいな感じだったりとか。
ものすごいスピード感でいくんでね。
そうなんです。その本編とか主要人物の3人になるまで結構いろいろ変化があったりして、おおーっていうのがあったり、ちょっと後でもこの話出てくると思うんですけど、三角関係というか。
03:07
3人のね、メインのキャストが。
そう、なんか男性2人と女性1人の話っていうところで、なかなか自分の感情を載せる場所がなくて。
ああ、なるほどね。
そう。で、そういうままほーって感じで終わったんですけど、2回目見たほうが面白かったですね。
なるほど。だから本当にまずテンポ感がすごくて、この映画。僕が見てきた映画の中で一番早い気がするんやけど。
で、それでちょっと置いてかれちゃうと、まあもちろん面白い映画だと思うんだけど、そのままその人間関係の話とか。
うんうん。
まあ結構ギュッとした関係の話だったりするんで、その辺がどこまで自分ごととして見るのか、映画として映像表現として見るのかみたいなところが難しいところだったのかなっていう感覚かな。
そうですね。
なるほどなるほど。
最近の映画というか、私たちが映画館で見やすい映画って、その1回見ただけでどんだけ理解できるかっていうのをめっちゃ計算された上で作られてると思うんですけど、
その時代背景とか、どういう状況でこの映画が作られたのかとか、監督のもう少しパーソナリティとか、この例えば原作のこととかを調べた上で、もう1回見たらめっちゃ面白いなって思います。
あーなるほどね。
その辺が、前回見たのってもっとさらに前の映画なんだけど、ヒッチコックのハリウッドの映画って54年だから、この映画のまあ言ったらざっくり10年前とかなんだけど、
多分ヒッチコックの映画見た時って、結構普通にもっと楽しかったと思うんですけど。
いやそうなんですよね。
だからあれってやっぱその、ハリウッドのすごくいい時代で、言ったら本当にエンタメとしてめっちゃ遠塾してるものだから、面白かったと思うんだけど、
言ったらこのフルアンサートリフォーってこれが長編3作目なんだけど、具体的に例えば撮影所で下積みをした経験があるかとかいうと、ほとんどない。
2年ぐらいイタリアの監督についてるぐらいで。
だからそういう、まあもちろんエンタメ大好き、それこそヒッチコック大好きっていう人なんだけど、作ってるものはすごくドキュメンタリック。
すごくドキュメンタリックな面とエンタメな面とどっちを持ってて、まあこれは結構僕は楽しくエンタメとしても見てるんだけど、
どっちかというとまだアート寄りというか、そっちの方にも見えるのかなっていうところと、あともちろん60年代のフランスのものだから、ちょっとハードルがヒッチコックの映画見るよりさらにあったのかなっていうのは、僕も見ながら思ったかな。
あとでちょっと話したいのが、私この映画を通してトリフォーとヒッチコックの関係性について、ちょっとあの前回話に出てたと思うんですけどシャークさんの。
映画術の話したね。
映画術、そうそうあの本を読んだんですけど、あれが本当に面白くて。
06:03
今読んでもやっぱ面白いよね。
めちゃめちゃ面白くて、そこ雑貫の後に話したいです。
じゃあちょっとトリフォーのそこの映画術に関わるところぐらいまで行ったら、ちょっとその辺の話もしようかなと思いますね。
お願いします。
じゃあですね、今回の話題にあがってます。監督のフランスはトリフォーというのはどんな人だったのかお話をね、ちょっとさせていただきたいなと思います。
生まれはですね、1932年、フランスのパリ出身。18歳の未婚のお母さんから生まれるっていう執事で。
後々わかるんだけど、実の自分の血が繋がってるお父さんはなかなかどういう人だったのかっていうことすら知らなかったらしいんだよね。
フランスはトリフォーっていう名前なんだけど、そのお母さんがその後結婚した。
その生んだ1年半後に結婚したロラントリフォーというお父さん。血は繋がっていないお父さんと結婚して、その家庭で育つっていうことなんだけど。
ただ、あんまりお母さんもフランスはトリフォーのことをそんなによくは思ってなかったみたいで、関心はなかったというか、育てる余裕がなかったっていうところで。
生まれてからすぐウバに預けられて、その後1回ちょっと戻ったんだけど、またすぐソモに預けて、おばあちゃんに育てられたっていう感じらしいんだよね。
また親元に戻ったんだけど、フランスはトリフォー自身かいうには、あんまり愛されてなかったっていうところがあるらしくて。
両親もそんなに仲良いわけじゃなかったらしいんだけど、登山は共通の趣味でよく行ってたと。
6歳とか7歳とかなのに置いてかれたりとか、そういうこともいっぱいあったみたいで、なかなか難しかったんだろうなっていう幼少期を過ごしたっていうのがフランスはトリフォーの幼少期で。
この辺りの話が、そのままデビュー作の大人はわかってくれないという映画の中に描かれているので、よかったらその辺見てもらったら、
全部が本当のことじゃないけど、この映画は100%真実でできてるみたいなことを、大人はわかってくれないについてフランスはトリフォーは語っていたりするので、そういう幼少期を過ごした男の子だったんですね。
フランスのパリの中でも言ったら不良少年として、まんびりしたりとか悪いことはしてたみたいなんだけど、その中で夢中になったのはやっぱり映画。
当時あったいろんな映画の博物館、シネマテイクっていう映画の博物館があったんだけど、そういうところとか、町の映画館とかで映画を見まくったと。
09:07
なんとかして映画を見る技術を持ってて、トイレの中に隠れてガッと入ったりとか、裏口から入ったりとか、そういうので映画を見まくる日々みたいなのを過ごしてたという感じらしいんだよね。
当時、フランスのシネクラブっていう活動、サークルみたいなものがあって、映画の会社に映画のプリントを借りてきて、それを映画館で描ける。
その後、映画監督だったり自分たちだったりとかで、そのお客さんとかも含めて討論するみたいな。
映画のイベントみたいなのをするサークルみたいなのがそれぞれあったらしいんだけど、そういうことを主催したりとか、そういうこともして。
そんな中で、カイエリューシネマという映画雑誌の初代編集長になるアンドレ・バザンという人に出会うんですね。
当時30歳で、フランスアトルフは16歳です。
そこで、同じ日とかにそういうシネクラブを主催してたっていうところで、なんか同じような映画を描かれてるし、「なんやあいつ!」みたいな感じで会いに行ったら、かまし屋みたいな感じになったんだけど。
まあ、歳ですね。一回りくらい上なんだけど。そんな中で結構、意気投合することになって。
アンドレ・バザンもすごくフランスアトルフのことは気に入って、一個、すごく精神的な父・師匠として、アンドレ・バザンを敬愛するというか、そういうところに支持するっていう形で。
この後、すごくお世話になる。実際にこの映画監督になるキャリアも、このアンドレ・バザンという人が作ったと言ってもいいんですね。
後の、このヌーベルバーグというムーブメントの中で出てくる作家たちは、この時代の時に、言ったらシネマテイクだったり映画館とかで、最前列に座ってる奴らっていうのが、だいたい後の作家の奴らだったらしくて。
そういうところで出会って、映画の話したり、すごく顔なじみだったっていう感じの幼少期・青年期って感じらしいですね。
で、その後、少年、悪かったんで、両親に少年勘別書に送られて。
なんかそういうシネクラブやってる中で、ミババラインの請求書とかが家に来たりとかして、もうこの子はダメだっていうことで、両親から見捨てられて少年勘別書に送られるんだけど。
その引き受け人としても、またアンドレバーさんがトリフォーのことを引き取ったという流れになるということらしいです。
で、そのままアンドレバーさんの家とかに住んで、仕事の手伝いとかをずっとやってたんだけど。
まあ、頑張って過ごしてたんだけど、また18歳くらいになった時に失恋をして、その時にこう、「なんでもいいわ!」みたいな感じになったんでしょう。
それで入隊、軍にね。本当の兵役の年齢まではあと2年、20歳まであったんだけど、自分で入隊して。
ただ、やっぱり、ただの映画少年で、そんな軍に馴染めるような男ではなかったので、何回か脱走というか、パリに帰ってきて、軍服のままフラフラして、戻らないといけないとかで戻って、また脱走して、みたいなことを繰り返している中で、軍の刑務所というのに、また少年時代のように送られるんですね。
12:11
その軍の刑務所時代に、またやっぱりアンドルバさんが、同じように、「トルフォ、何やってんだ! 俺が面倒見てやるよ!」ということで、またアンドルバさんが協力して、20歳の時にやっと除退して。
で、またアンドルバさんとの共同生活が始まって、そこで軍刑務所にいる間にできていた、アンドルバさんが作った雑誌が、カイエデューシュネマという、フランスのヌーベルバーグの動きを作る雑誌なわけですね。
そこの説明があって、フランスのトルフォは映画批評家として、どんどんいろんな映画批評というのを書いていくんですね。
ここで面白いところがですね、アメリカの映画との距離っていうことなんですけど、めっちゃいろんな映画を見てた時期っていうのが、もう幼少期、ほんと10歳の頃ぐらいからずっとあるわけなんだけど。
特にトルフォとか、このヌーベルバーグ、カイエデューシュネマ、批評を書いて、後に映画作家になる人たちの特徴っていうのが、もちろん伝統的なパリの映画っていうのを、ナチス占領期とか、パリが占領されてる時からずっと、フランスの映画しか見るものがないから、そういうものを見て、面白いな、映画って面白いなって思ってたんだけど。
パリが占領から出たら、アメリカの映画が入ってきたと。そうすると、「いや、こっちの方が面白いやん!」みたいな。「ハリウッドの映画、めっちゃ最高やん!」っていう風になって、「今のフランスの映画、もう全然ダメやん! アメリカの映画、ハリウッドの映画の方が面白いよ!」っていうのが、今の感覚で言うとちょっとパンクっていうか、ちょっとズレたものの方がカッコいいみたいな感覚もあったんだと思うんだけど。
そういう中で、「すごくアメリカのものが最高だ!」という流れで、「今のフランス映画、ダメです!」みたいなことを、その後の批評家になったヌーベル・ガーグの作家たちというのは批評家として、「そういうアメリカ最高! ヒッチュ・ゴック・ハワード・フォークス超最高! 今のフランス映画でいい映画を撮ってる監督、ほんと少ないっす!」みたいな批評をバンバン書いて。
特に、フランスはトリフォーが、フランス映画のある種の傾向という論文を54年に出して、そこでも本当に痛烈な批判をしたため、フランス映画の墓掘り人と当時言われてたというくらい、心身器営の批評家、若造でめちゃめちゃ悪口を言うみたいな。
すごく批評も、もちろん映画マニアなんで面白くて、すごくそれを評価した人もいるし、フランスの昔からの映画監督は、トリフォーが割と50歳くらいで亡くなっちゃうんだけど、ホグフォーが亡くなるまでこの時のディスのことを許せなくて、という人もいるくらい、痛烈な批評、そういう文章力があって、ということをやってたという感じですね。
批評家時代というのがあって、その後、アメリカ大好きみたいな感じだけど、もちろん世界の各国の入っている映画をほとんど見てたっていうくらい、もう何百本とは映画を見てる時期ではあるんだけど、このフランス映画に対してすごく怒ったっていうのも、「俺ならこうやって撮るのに!」みたいなのもあって、「俺だったらこう撮るのに!」っていうのが全然違うっていう人はもうダメっていう感じの気持ちで批評を書いてたみたいなことは、後にトリフォーは言っていて。
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何でも映画を撮るということを意識しだして、周りの人たちとかも、そういう16mmのカメラとかを手に入れて、実製作みたいな感じで、家とかで映画撮ったりとかいうのを、トリフォーも自分で実製作で最初の短編映画みたいなのを撮って発表したりするんだけど、本格的に56年にイタリアの監督のロベルト・ロッサリーニという人の女監督にトリフォーはなります。
イタリアも、このトリフォーらがデビューして、ヌーベル・バーグというムーブメントが起きるんだけど。同じく、イタリアでは、それより先に芸術の新しい人たちが来たぞっていうムーブメントが起きていて、ネオレアリズムという運動を牽引した監督がロベルト・ロッサリーニですね。
ロベルト・ロッサリーニは、ハリウッドの映画大っ嫌い。ヒッチコックのこと大っ嫌い。トリフォーは後に、ヒッチコックに全作品をインタビューするっていうくらいヒッチコックのことが大好きなんだけど、この初めのキャリアとしては、もう真反対の人のところに2年間支持してたっていうのが、結構、このトリフォーの面白いところっていう。
ロッサリーニがどういう監督かっていうと、後のストーリーとかがある程度あっても、演出は即興で言う。回すぞっていう前に口で説明して、それでも即興で演技してしまうとかいう方法とかをやったというのが、ヌーベル・バーグの特徴として。
この辺の台本なしの即興演出っていうのは、このロッサリーニ、ロベルト・ロッサリーニがイタリアでやってたっていうことの影響が強いと言われていますね。だから、前回見たウルアマガとかヒッチコックの作品って、今見てもすごい面白い。エンタメ作品。しっかりとしたフィクション。
で、その反対にある即興で、俳優が動くようにやってくれっていうドキュメンタリズムっていうのが、ネオレアリズム。だから、トリフォーは、このフィクションとドキュメンタリズム、ハリウッドとネオレアリズムっていう、どっちものものに影響されたっていうところで、その後、自分の映画を本格的に撮り出すっていうところが、超映画オタクだった彼の、自分が撮る側になる時のキャリアとして、すごく面白いところだなっていうところはあったりしますね。
で、トリフォーのまた面白いところが、本格的な商業映画を撮るぞっていう時に、これも幸運なのか、後に喧嘩別れすることになるゴダーグとかに、一生このことを疲れ続けるんだけど。
フランスの当時の大手配給会社のコシノールっていう会社があるんだけど、そこの社長・礼女とトリフォーは結婚するんですね。
で、その妻のお父さんは、もちろんコシノールの社長なんで、すごく資金援助。結婚するっていうのはいいけど、「うん、じゃあ、お前の1発目の映画はお金は出させてくれ!」っていうことで、大人の分かってくれないっていうのには、お父さん、奥さんのお父さんがすごく資金援助をして、商業映画というものを作れたという感じになりますね。
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お父さんの資金援助って、作った会社が映画製作会社レフィルム・デュ・キャロスでございます。
今回の突然炎の如くも、このもちろんレフィルム・デュ・キャロス製作で公開はされています。
第1作、59年の長編第1作、大人は分かってくれない。そういう風な流れで作るんですけど、いきなりカンヌ国際映画祭に出品されるということになって、フランス代表の映画としてカンヌに出て、
実際、カンヌでは監督賞をトリフォーは受賞する。デビュー作でいきなり一番名誉の監督賞を獲ったという作品として、この時、新しいフランスの映画。
そして、フランスはトリフォーという名前と、この人たち、しかも周りにもいろいろ映画を撮っている若い監督たちがいっぱいいたので、そういう人たちのことを、
ニューベルバーグ、新しい波が来たということで、ニューベルバーグということになって、ここからニューベルバーグの時代として、映画史の歴史。
言ったら、しかも女監督とやったことない人がカンヌの賞を取っちゃうみたいなことが起きたんで、ここで映画史一気に一つ、歴史として変わりますよっていう瞬間を果たしてしまった監督というのが、フランスはトリフォーの初期のキャリアということになります。
ということですね。ざっくり。
すごい。バナーBですね。
さっき言った、ヒチコック・トリフォーの映画術っていう作品、本は、62年にトリフォーがアメリカに行って、バーッと話したっていう本なんですけど、今回、そのアイちゃんを呼んだということで、その辺のお話ちょっと聞きたいんですが。
はい、今日、映画に関して、突然炎の如くに関してとか、それを受けて感じていることももちろん話したいと思いつつ、この2人の関係性についても話したいなと思って楽しみにしてたんですけど、一番大事なところはヒチコックから、その映画全作品に関して、なんでこれを撮ろうと思ったのかとか、これに対して大変でどうやって解決したのかとか、
なんかこう技法みたいなところとかを、すごい事細かに聞いているので、それがメインではあるんですけど、前後にトリフォーのラブレターみたいなヒチコックやの、序章と後書き、しかも日本版に寄せてみたいなのがあって、これいろんな国のあんのかなって思ったんですけど、なんかそういうページがあって、私はもう序章のその10ページ、これA4サイズぐらいですよね、本が。
A4サイズで2つのブロックに分けて1ページに書いてあるので、10ページでもそこそこのボリュームがあるんですけど、そこでもうヒチコックの本当に360度、頭の先からつま先まで褒めるみたいな、愛にあふれたものがあって、で、この本自体が50時間インタビューしたって書いてあって。
21:13
もう、する方もだし受ける方もだしみたいな話だと思うんですけど。で、さっきも話にあった通り、批評家として活躍されてたっていうところで、すごい鋭い目線で見ていた中でもやっぱヒチコック作品ってトリフォーにとってはめっちゃいいというかもう最高みたいな感じだったと思うんですけど、
そもそも私自身がすごいオタク気質っていうのもあって、まあオタク気質っていうのもちょっとおこがましいなって思っているところはあるんですけど。
いいよ、映画オタクですから、トリフォー。
人より一人というか、この人すごいと思った。やっぱその人のことをとことんやっぱり知りたいし、すごい集中しちゃうところがあって、なんかトリフォーにもちょっとそういう面を読みながら感じてて、で、めっちゃ面白かったところをちょっとシャークさんと話したいなと思ったんですけど。
で、さっきそのハリウッドの映画をやっぱり、ハリウッドの映画最高フランスの映画全然ダメじゃんみたいな話があったけれども、やっぱりここではとはいえハリウッドもこんだけ施設が整ってて、なんかこんな感じなんですかって首をかしげるような映画監督もいるみたいな、1ページ半ぐらいディスってて、そこは面白いとこなんですけどディスってて、
まあただ、なんかそれでもやっぱり俳優の新しい魅力を発掘するのが上手い監督もいれば、新人を発掘するのも上手い監督がいるし、こういうすごい監督もいるしみたいな、みんなそれぞれすごいところがあるのは知ってるよみたいな話をして、で、その後に、でもそれらすべての監督をしのぐ素晴らしい才能が私にとってはヒッチコックなのである。
結局そこに落ちるんかいって。 めっちゃ好きやん。そうそうそう。めっちゃ好きで、もう普通にあの文面では丸で書いてあるんですけども、語尾が全部ハートに見えてくるぐらい、もう本当にラブがすごくて。
そうね。 そう。で、なんかその中でもヒッチコックの映画の面白いところってもう本当にいろんなところをトリフォーム目線で書かれてるんですけど、
口に出された言葉はすごい二次的なもので、便宜的なものであって、本質的な人間ドラマはなんかその別のところで行われているっていうことにヒッチコック映画を見てたら気づいてて、それをやってるのはこの時代はヒッチコックだけだみたいなことを書いてあって、
やっぱなんかそういうところにすごいこう最高って思う人だから、今回の突然炎の如くでもなんかそれをちょっと感じる部分。 そうね。 なんかセリフが、やっぱり私1回目の時結構セリフで話を読んじゃってたんですけど、そうなると登場人物のキャラクター像がシグハグになってたりとか、なんかどういうことみたいなのがあったんですけど、
24:04
こういうことを言ってる人なんだって思ってから、映画を見るともうちょっと表情とか目線とか、なんかそのカットでここを見せたいっていうふうに表現されているところとかで、この物語とこの登場人物たちの感情の情景みたいなものがなんか表現されているんだなっていうことに気づいたというのがありました。
あとオタクとしてめっちゃわかるポイント、こうトレフォーにわかるポイントとかっていうのを本当におこなわしすぎるんですけど。 いやいや、ただの映画オタクですからからね。
そうめっちゃわかるポイントが、こんだけいろんなところで、インタビュー中とかもいろんなところでヒッチコックへのラブを綴っているんですけど、序章の一文で、「しかしだからといってもちろんアルフレッド・ヒッチコックの作品を盲目的に崇拝すべきであるとか、ヒッチコックの作品はすべて完璧で欠点一つなく、非難の余地がないのだと一方的に断定しようなどというのではない。」っていう。
そう、その一言を言うのめっちゃわかると思う。私はこの人のことめっちゃ愛しているけど、その盲目的なんじゃなくて、ちゃんと冷静に考えた結果、こんだけのラブがあるんですっていうのとか、あとなんかこれ書いた理由がヒッチコックのその当時の評価が、そのトレフォー的には納得してないと。
こんなすごい人なのにもっとすごいって言われるべきだみたいなのがあって、この人の本当のすごさをちゃんと残すために、この映画術の本にしたっていうところがあって、それが実際、今、現代も読まれている。
ほとんどのね、映画作家が読んだと言われてますから。 そう、それ、この人ほんとすごいなーって思った。それもそうだし、その、批評家っていうところからちゃんと自分で映画、しかも通列な批評してた人が、ちゃんと自分でも映画撮って結果出していて。
ヒッチコックに関しても、そうやって思って実際に行動して、50時間もインタビューして、ちゃんとこういうすごい本にしてるっていうのは、え、すごいトレフォーみたいな感じで。
もうほんとに、この本はほんと面白いからね。反省がでかいし、すごいね。昔の映画青年の部屋には絶対あったみたいな本だったんだけど、今の20代とかの子が読んでるかっていうと、なかなか難しいところは。それこそ、映画の勉強してる子はもしかしたら持ってるかもしれないけど。でも、面白いよね。普通に文章として面白いし。
ほんとに面白いです。序章だけでも読んでほしい。なんかもう、熱がすごい。
そうそうそう。だからなんか、同人誌っぽいつうか、ノリが。なんかそういう感じだから。これを元に抗議がなされたりとかもしてるから、勉強の本っぽい感じがするけど、めちゃめちゃ面白い本なんで、ぜひね、手に取っていただきたいなと思います。
本の宣伝コーナーみたいになりましたけど。
27:03
当時、この時トリフォーが30歳かな。聞きに行った時は30歳っていうところも、結構面白いところだね。20代とかじゃなくて、キャリアとしてね、ちょうど結果も出してきたぞっていうノリノリの頃ではあるんですけど。その辺もすごい面白いとこですね。
いやー、そんなトリフォーの撮った、突然炎のごとくの話が入ってきました。
はい。
今回、突然炎のごとくという作品本編について、これから喋っていこうと思いますけども。
これは62年、長編第3作としてフランスのトリフォーが作った作品ですね。
現代はジュール・エッド・ジム。ジュール・エッド・ジム。フランス語だからあれじゃないけど、ジュールとジムっていう現代なんで。
だからこれ、放題がさ、突然炎のごとくってつけてんの、マジで天才だと僕は思ってて。
ジュールとジムだとちょっとね、っていう感じがするんだよな。
このタイトル、ここからだろうなっていうシーン出てきますよね。
もちろんもちろん。セリフから撮っていて、その辺が後半に来るんで。
日本の字幕で見てる人も、「おー!」という感じはね。
何が突然炎のごとくなのかっていうところも、ちょっと考えながら見ると面白いかなと思うんですが。
脚本もフランスのトリフォーと、同じく日岡時代とかから出会ってるジョン・グリウォーという2人で脚本をやってます。
原作がアンリ・ピエール・ロシェという人で、自分の解剖録みたいなのを小説にしてる作品で。
トリフォーが21歳とかの時に、古本屋でこの本をトリフォーが読んで、「もう映画監督になったら、これを絶対映画化したいなー!」って思いながら、映画監督になったっていう。
1作目にこれやるのはちょっとハードルがあるなと思ったから、自分のことをやろうっていうのがあって、2作。
結構自分に近い作品を撮った後に、やっと映画にしたっていう作品らしいですね。
で、このアンリ・ピエール・ロシェの作品は、やっぱりすごいトリフォーが大好きで。
その後もですね、「恋のエチュード」っていう作品だったり、「恋愛日記」っていう作品で、さらにアンリ・ピエール・ロシェの作品としては2作映画になってるっていう感じですね。
っていう作品でございます。で、舞台としては1910年代。いわゆるフランスの一番文化が盛り上がってた時期ですね。
これは、ウッディ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリー」っていう映画があるんですけど、それの舞台になってるんで、それを見るとすごくわかりやすいかなと思います。
文学だと、ヘミングウェイとか、フィッツ・ジェラルドとか、そういう人もいて、ピカソもいたし、ダリーとかもいたし。
アメリカとか、みんなヨーロッパ中の画家とか、小説家とか、そういう才能ある人がみんなパリに来ていた時代っていうのがあったんですけど、
そのあたりの時代から、第一次世界大戦後ぐらいまでの20年間を描いている作品ですね。
なんで、すごいテンポが速いって言ったんだけど、それは言ったら、この1910年代とかの映画のサイレント時代の映画のテンポ感っていうのをやってるから、ああいう表現らしいんですよね。
30:13
っていう感じの作品でございますね。
この作品はいろんな人出るんだけど、言ったら現代になっている、タイトルになっているジュールとジムっていう、この2人が出会って、本当にバディみたいな感じで過ごしていたところに、
いろんな女の人と出会ったりするんだけど、1人決定的な女性としてカトリーヌという女性と出会いますっていうところで、
そこのカトリーヌとジュールとジムの3人が、どうのこうのいろんなところに一緒に住んだり別れたり、新しい男の人が出てきたりみたいな、
そういうこの3人の中で本当に運命の中に流れながら、カトリーヌという女性の自由意志というものに振り回されながら、
お話が進んでいき、最後この3人の運命というのはどうなるのかというお話なんですが、
カトリーヌを演じている女優さんが、ジャンヌモローっていう女優さんなんですけど、ジャンヌモローとかの演技だったりファッションだったり、
カトリーヌという女性についてみたいなところは、ちょっとあいちゃんに聞いてみたいところがあって、
あの辺どんな印象を持ちましたかね、カトリーヌ。
そうですね、ジャンヌモローはめちゃめちゃ魅力的だなって思ってて、
ジャンヌモローの顔立ちとか表情とか、スタイルとか、佇まいみたいなところって、
映画っぽい人だよね。
そう、本当に映画っぽいし、多分この時代では新しいヒロイン像なのかなって思うんですけど、
まさしくそうです。
強くて、自由奔放で、シーンでいうと、出会ったばっかりの時にダンスをして町に出て行く、
髭をかいたりとかしてて、町に行く男性からタバコの火をもらって、
ムッシューって呼ばれて、ダンス王に成功したことを喜んだりとか、
その後3人で賭けっこするときに、ずるして勝つみたいなのとか、
そういうチャーミングな感じとかは、すごい魅力的だなと思いつつ、
カトリーヌの愛に飢えているというか、愛を求めている。
ヒロインさんも男性からの愛情をすごい求めている、みたいなキャラクターだったと思うんですけど、
その面白さとか可愛らしさもありつつ、そこが私自身の個人的に感情を乗せられない部分。
ああいう3人でいて、すごく先進的でかっこいい女性だなと思うけど、
その後の恋愛のグダグダで、なんなんってなっちゃうみたいな。
そうなんです。
なんでそこなんだよ、みたいなね、いうふうに見えるかな。
そう、ジュールが、多分これシャークさんも話したいところだと思うんですけど、
結構女性をバカにしたような発言を感激した後に結構するところがあって、
33:05
そこでカトリーヌが歩いていくところの横顔のカットがあって、ちょっと笑ってるんですよね、カトリーヌが。
口元がちょっと微笑んでて、ジムはジュールの言葉に対して賛成的じゃない、結構女性を侮辱するようなことを言ってて、
ジムはそれはなんかそれは同意できないな、みたいなことを言ってたら、カトリーヌがじゃあ反論ちゃんとしなさいよ、みたいなことを言って、
西野川に飛び込むシーンがすごい印象的だと思うんですけど、あそことかもうかっこいいですよね、カトリーヌ。
これは後にまたやりたいなと思ってる映画で、これってこっから来てたんだっていう、西野川に飛び込むっていうのは、またいつになるかわかんないですけど、
西野川に飛び込みシーンというのがまた出てくる映画があるし、あの感じ、いきなり本当にワシャーンって西野川に突っ込んで、ジュールもジムも飛び込まないという。
しかもジムはモノローグでキスを送りたい、一緒に泳いでる気持ちだった、みたいなことを言ってて、いや気持ちじゃなくて泳いでや、って感じだったんですけど。
西野川はめっちゃ汚いんですよね、めっちゃ汚くて、やっぱり飛び込めるような川じゃないところに、カトリーヌの気持ちというか、そのジュールに対しての、あれは何て言ったらいいんですかね、反論じゃないけど、それを態度で示すみたいな。
衝撃的なシーンで、なんか見た演劇がすごく影響してるっていう話らしいんだよね、あれも。
北欧の作家の演劇みたいな感じらしいんだけど、当時の北欧ってそれこそ、イプセンの人形の家っていう作品とかが出てる時代とかでもあって、その人形の家って言ったら、女性っていうものはもう人形や、みたいな。
家庭の中で人形みたいな感じで、家にずっと閉じ込められるみたいなことは書いていて、当時としてはすごく衝撃的な作品だったりとかしてて、そういう流れを組んだ劇作家の人の自由意志を持った女性みたいなのが、主人公で出てくる演劇っていうのを見てるっていうことらしいんですよね、あれも。
だから、それにすごく影響を受けてるっていうところもあるし。で、ジュールとジムは、ジムはある程度ちょっと話とかはしてるけども、やっぱそれが全然わかんないっていう。だからすごくフェミニズム的な文脈で捉えられるシーンでもあるかなというところはあるかな。
ジムは手差し伸べてるんやけど、川落ちるんやけど、ジュールは持ってるものを投げてやってるんよね。だからちょっと手伸ばしてるやつの方が、その時優勢みたいな。そういうのも人間がすごい見えるシーンで。名シーンですね、あそこはね。
そうでしたね。そんなカトリーヌだけど、やっぱりその後、私この時にすごい最近の映画だとチャレンジャーズをこうちょっと思い出したり。
チャレンジャーズ、はい。うわぁ萌え兄弟だと思います。
36:00
ねー、ルカ・グアダニーノのチャレンジャーズのヒロインのタシが。
ゼンデイアがやってるね。
そう、それも三角関係の話だったと思うんですけど、一種の。チャレンジャーズもまた全然違うタイプの三角関係ではあるけれども、やっぱりこの男性2人と関わる前のあの勇敢な印象から恋愛になっていくと、途端にこう女性的ないわゆる弱さみたいなのが映画化れ始める感じ。
その、それの面白さとかその可愛らしさとか魅力もありつつ、乗れないところをすごい思い出しました。
あとまあ考えるのは、ジュールとジムが付き合ってたらいい話じゃんとかも思ったりはするんだよね。
そうなんですよね、本当にそう。なんでって言うとこ。この2人最高やんっていうのはね、ありますよね。
実際、これがアメリカで撮られたアメリカン・ニューシネマっていう、すごくアメリカの暗い映画、スターウォーズとかロッキーが出る前のすごい暗い時代があるんだけど、その時の映画っていうのは男2人の話になってくるの。
男2人がそこでバディのような憎しみのような関係をやりながら、2人でこの作品のエンドのような結末を迎えていくっていう映画になっていくんで。
なんかそこがすごく面白いところっていうか、だから同じように、このジュールとジムの関係で映画撮りたいって見て思ったやつはめっちゃいるっていう。
なるほど。
あとフランスにはこのカトリエルのような女性に振り回されまくるっていう映画も1つの型として残っていて、だから男2人の関係で抜いた場合と男女の関係で抜いた場合みたいなんで、
2つ分派して映画がこの映画から影響されて作られたっていうのがめっちゃあって、すごく面白いっていうか、本当にいろんなものの型になった作品というところでもあるんで。
全然あれですけど、僕も今回初めて見たんだけど、これもここからだったんか、これもここからだったんかみたいなのがすごいあるんで、いろんな段階で映画見るたびに戻ってきても面白い作品だなっていうのはすごく思ったりしますね。
あと引き絵の美しさは本当に最高ですよね、後半のところとか、なんか霧が、霧のシーンね、あれは美しすぎましたね、あれ何なんですかね、普通にまあああいう景色ってなくはないじゃないですか、特別な景色じゃないのに、このモノクロ映画で多分光と影みたいなところとか、
光もただのこう明るい場所じゃなくて、ちょっとこうふわっとした光になってる感じとかがすごかったですね。
39:06
この映画すごいテンポ感で、住んでるところが郊外になったり、またパリに戻ったり、なんかまた郊外だったりみたいな感じ、結構ポンポンポンと景色もいっぱい変わるんだけど、
なんかそういう郊外に行った時とかに、まあすごい言ったら、関係としてはもうだんだんグッチャグチャになっていくんだけど、たまにこう言ったらいつもの走っていくシーン、自転車で走っていくシーンとか、
それをこう引きでガッと引いた時に映るショットみたいなのが、めっちゃ美しいコースになってて、すごいギューっとなってる関係の家とかの中で、その後にバッと引いた、
こういう感じなんよ、世界はみたいな感じのバッと引かれるところが、結構ウッとやっぱ来るというかね。
そこはやっぱ、ちょっと言ってなかったんですけど、この映画モノクロで撮影されていて、陰影がね、やっぱすごいくっきりしてるっていうか。
そうですね。
なんかモノクロ映画ってことを忘れる、忘れるわけじゃないんですけど、モノクロだなーって思わないですよね、見てて。
確かに、色が俺らの中で保管されてる感じはあるかな。
うんうん。
これなんか結構ね、人によってはこのカトリーヌ綺麗じゃないっていう批評をされてる方も結構いらっしゃって。
ちょっとその口角下がってる感じみたいなさ、あの不機嫌な演技をされてるから、けどなんかすごくこの味がある感じっていうのが。
あ、そうですよね。
映画らしい身体の女優さんっていうのが、やっぱり映画を見てるなって感じがしてすごく好きなところはあるかな。
そうですね。なんかそこも新しいヒロイン像なのかなと思ってて。
実際にジャンヌモローがいたらめっちゃ綺麗ってなると思うんですけど。
もちろんもちろんね。
映画のスクリーン上で見ると確かにいわゆる美人じゃないかもしれないし、そのセリフの中でも出てくるじゃないですか。
カトリーヌっていわゆる美人じゃないけど、男性がやっぱり求めてしまう女性なんだみたいなことがセリフでも語られるから、
その見た目とかじゃないその振り、振る舞いとか言動とかの魅力、引き込まれて振り回される感じっていうのは、
たぶん近い人、カトリーヌと近い人にとってはもうすごいヒロインだったんだろうなと思います。
結構友達とかと何人かと突然炎ごとの話とかするんだけど、時間が深くなってくるとみんなカトリーヌのような身近な人の話っていうのを知らすっていう。
だから僕らも30代なんですけども、アラサーぐらいになるとカトリーヌジュールジムみたいなこういう関係みたいなものとかを結構見てきたとか、
それこそカトリーヌの振る舞いみたいなのを結構身近で感じたり、自分がジムだったり自分がジュールだったりしたみたいな経験みたいなのを、なんかちょっと経験したことあるっていうのはあって、
そういう話とかをする人とかが多くて、なんか結構語りがいのある映画だなって思ったりとか。
42:01
めっちゃ聞きたい。友達でいますもん、カトリーヌみたいな人。私はもう全然ミリもカトリーヌじゃないんですけど、友達にいますね。
やっぱいるよね。ちょっと誰々みたいだなとか思ったりとか。あとはアイちゃんはなんか語り残したこととか、なんかございますかね。
そうですね。結末ははっきりは言わないんですけど、そんな明るくない終わり方はしているけれども、音楽がオープニングと同じような感じで、結構華やかな音楽で。
音楽で終わるところがめっちゃ映画的だなと思って。
なんていうんですかね、そういう人生の暗いというかなんかややこしい、人間と人間の人生のややこしい部分も、
映画っていうもので一個ラッピングしてリボンかけたみたいな感じ。
そうね、なんかすごく歌い上げてる感じがあるというか。
そうそう、それが見終わって、私はそういう共感みたいなところは全然なかったけれども、映画として見終わったときの明るい気持ちではないんですけど、
手応えみたいな、映画見たなーみたいな感じはありました。
なんかちょっと残る重さというか。
そうそう、でもズーンみたいなんじゃなくて、ちょっとこう、一種心地いい重さみたいな。
あー確かに、それこそ炎のような、消え去った後みたいな感じの、なんか気持ちになるよね。
たぶんそのカトリーヌが過ぎ去っていったような感じというか。
そうですね。
そう、まあ一種ちょっと、一種残酷だけど、ジュールの気持ちなのかな、これがみたいな感じがありました。
うんうん、てなとこですかね。
はい、じゃあ今回はね、突然炎の如くは以上というところで、
はい。
第3回、4回、5回とやっていきたいなとこの記述は思ってるんですけど、
はい。
最後に、次このヒッチコクトリフォーはセットでやりたかったのよ。
うんうんうん。
だからこの映画から影響を与えた、またアメリカの映画とかってあるんだけど、
だからそっち行ってもいいんだけど、なんかこう続きすぎるもんちょっとなーっていう感じはあって、
どんな感じのもん見たいとか、なんかそういうイメージとかなんとかって、なんかあります?
えー、でもどうなんでしょう。でも続いちゃうけど、ゴダールも見たいなって思いつつ、
はい。でもこの時の日本ってどうだったのかな?
いやー、でもそうなんだよなー。やっぱちょっとアメリカ、フランスといったら日本行っといたほうがいいよなー。
そうねー、わかりました。
じゃあ日本の東方なのか小竹なのか東映なのかわかりませんけど、
大映画なのかもしれんけども、ちょっと日本の映画にしましょうか。
45:02
はい、お願いします。
60年代、70年代の日本の映画にしたいなと思いますので。
楽しみ。
はい、今日はじゃあココロの砂地は以上になります。
お便りお待ちしております。
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ということで、今回も聞いていただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
じゃあ締めだけ、ご機嫌ようだけ。
はい。
前回すごい謎なトーンで入ってたんだけど、めっちゃ笑ったんだけど。
前回めっちゃ下手だったんだよ、ご機嫌よう。
さっきちょっと練習しました、だから。
練習しましたか。
はい。
良かったです。
じゃあちょっとご機嫌ようで締めれたらなと思ってます。
はい。
それでは皆様、ご機嫌よう。
46:10

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