母はめっちゃ勘がいい人でパワフルですね。
うちの家族の中では絶対的王者に常に君臨しているタイプ。
私は母のこと大好きなんですけど、妹たちも大好きで、いないと困っちゃうんですけど。
もう今ね、私おそ生まれなんで67くらいなんだけど、67には多分見えないね。
若いですよ、うちの母。
iPhoneは16でアップルウォッチつけて、アップルウォッチで新幹線乗って、毎年ハニュー・ユズル君が大好きなので。
今年はね、アイス帳ないみたいなので、家でおとなしくしてますけど。
ある年はね、毎年全公園行くぐらいの勢いで全国を飛び回ってますね。そんな母です。
母の特徴。これはちょっとうちの母には誰も勝てないだろうって、私すごい娘なりに自慢なことがあって。
それは料理がマジでうまい。料理がめっちゃうまいの、本当に。
いまだに、いろいろ私も料理好きだから、いろいろこだわってやってるつもりではあるんだけど、いまだに勝てると思えないもんね。
だから一生勝てないのかなと思ってるんだけど、本当に手料理上手というか、うまくて。
だからね、私の旦那とか妹の旦那とか、まあまあ母の手料理食べることがあるんだけど。
こんなに美味しい手料理は食べたことがないって、みんな口を揃えて言うぐらい。本当に美味しいんですよ、うちの母の手料理。
理由があって、私の祖母、母のお母さんが料理の先生だったんですね。
その祖母に関しては、まあもう亡くなってるんだけど、バリバリに原爆を受けたことがあるみたいな。
もう亡くなったのは80何歳で亡くなったんだけど、っていう年代。だからもう本当戦時中から戦後生きた人だったんだけど。
戦後に料理教室を始めて、私が子供の頃の記憶だと、NHKの料理番組とかに出てるとか、
そういう感じのレベルで、まあ結構ちゃんとしてたんですけど、その祖母に育てられた母はやはり料理がうまくて。
私もいろいろ祖母には鍛えられましたね。7歳とか8歳ぐらいでフレンチのフルコースに連れて行かれて、
フォークとナイフの使い方が違ってブチ切れられるっていう感じの厳しい祖母でした。
めっちゃよくしてくれたんだけどね。可愛がってもらったけど、とても厳しい祖母でした。
ちょっと話がずれましたが、うちの母は料理がとても上手で、感がいいって最初に言ったけど、
私基本的に旦那だったりとか、友達とかにそんな嘘つくほどの話をすることもないから、
特に旦那かな。旦那とかにはちっちゃい嘘はちょこちょこつくんですよ。
今日どこ行ってたの?みたいな。買い物に行ってても、行ったって言ったら何買ったんだ?とか言われるのめんどくさいので、
ゆるゆるゴロゴロしてたよ、みたいな。そういう感じのちっちゃい奴ね。
母には本当に通じない、マジでつけない嘘。バレる。何なんだろうね、あの勘の良さ。
女の勘なのか、母の勘なのか。そんな母ですが、私が子供の頃はめちゃくちゃ厳しかったんですよね。
本当に、いわゆるお受験ママで、それで私、幼稚園も面接的なお受験的なのがあって、
小学校もお受験がありまして、中学校もお受験がありましてっていう感じで、いわゆるお受験人生だったんですけど。
もう本当にね、2歳とか3歳くらいからそういう進学塾みたいなとこに行って、塾が日常みたいなね。
でも別に苦はなくて、今となってはとてもありがたかったなと思うんだけど、
それのベースのおかげで勉強の仕方だったりとか、あんまりその後勉強で苦労しなかったのかなとは思ったりするので、ただ厳しかったね。
教育虐待みたいなことは全然なかったけど、敷いたリールの上から子供が外れるのが結構許せないみたいなタイプだったので、
だから中高生でも私がメンタルを病んで、学校行かないとかね、髪染めましたとかやってる時期はめちゃくちゃ揉めたし、
母も母で結構病んでそれで。私も一時的に家に帰ってない時期とかあったし、
それこそね、おなじみミンチングのツーさんの家に1、2ヶ月ぐらい居候してたりとか、幼馴染の家に数ヶ月居候してたりとかしながらね、
なんか本当に揉めたんですけど。
大学入る前、高3ぐらいかな。だから本当に新学校、中高新学校だったんですけど、
途中でそこを辞めて転校っていう形で、通信の高校に行って高校卒業とって大学に行ったっていう感じなんですけど私は。
その高校を辞めたぐらいから、なんか母も吹っ切れたのか。
なんでもOKになったわけじゃないけど、今までこうしなければ私のレールをってなってたのがなくなったかなとは。
なんか私が髪金髪に染めてきたら、何その色。私その人の隣歩きたくないんだけどみたいなことは言うけど、
それでなんか詰めてくるとか、なんでそれはあなたがみたいな、そんなことはもうなくなったかな。
でもそこからは結構仲良くなって、仲良かった、仲悪かったわけじゃないけどやっぱり反発してたので、
もう今はね本当に仲良しで、孫の面倒もよく見てくれるし、私もよく実家に帰るし、
私含め妹たち合わせて3姉妹全員母大好きで、実家にはよく帰っているっていう感じですね。
妹2人ですね。2子さんなので子供の頃はマジでめっちゃ喧嘩してた。
でもなんか私だけが勝てるわけじゃなくて、双子だからさ、チームを組んできたりとかするのよ。
チーム組んでくると負ける時とかもあったね。
3人いるから女の子が、女の子じゃなくてもいいけど3人いるから、2人は関係性だけど、3人からコミュニケーション、社会が形成されるっていうじゃん。
あれ本当で、子供の頃の記憶で、姉妹ながら双子で固まってるから、羽根にされた気持ちとかあった覚えがある。
当たり前なのに双子だからしょうがないんだけどね。
そんな妹2人、1人は結婚していて、2歳の息子がいて、旦那さんが年上で、仕事は看護師をやってます、その妹は。
妹はね、うちの家では次女になってる。双子なんだけどね。10分くらい生まれた時間の差があるので、次女になってる子ですね。
で、もう子供いて、旦那さんも今ちょっと転勤で、単身赴任してるので、家は基本的に妹と子供のワンオペなんだけど、バリバリ夜勤もして、夜勤の時は実家に預けたりとかしてね。
もうバリバリにフルタイムで働いてる看護師ですね、バリバリの。
いやでもね、看護師さんすごいよね。私なんか妹の話聞いてると、私絶対看護師の仕事できないって思うもん。
でも逆に看護師の妹は、私絶対歯医者できないって言ってるから、やっぱり適材適所なんだろうなって思いますね。
でももうその看護師の妹とは、マジで子供の時から一生喧嘩してた。性格が似てんだよね。
私も結構思ったら言うタイプだし、特に家族になんて気遣いはないじゃない。やっぱり思ったこと言うし、ぶつかるんですけど、めっちゃ喧嘩してたね、本当にね。
高校生ぐらいまで殴り合い犬の喧嘩が時々あった気がするもんだって。
私もちょっと病んでたし、尖ってたので、今思えばごめんって感じなんだけど、ただ今はね、お互い子供がいる母同士、話したりとか、妹は妹なんだけど、いろいろね、うちの子供たちの世話も可愛がってしてくれたりとかね。
本当に大人になってから、女兄弟っていいなーって、姉妹っていいなーって、すっごい思いますね。お兄ちゃん欲しいなーとか思ってる時期もあったけど。
もう一人の妹ですね。今回私が家族の話を撮ろうかなって思ってたんだけど、それの背中を押した大きな要因が、この妹の話になるんですけど。
もう一人の妹はね、二子さん。双子なんで二子さんなんですけど、私とは。
歯科医師を今一応していて、歯科医師歴何年だ?4年ぐらいなのかな。
で、今は個人の保健診療メインの歯医者さんで働いてるっていう感じなんですけど、まあ独身貴族なのよ。
飲みに行ったら深夜3時までは帰りませんみたいなね。実家に住んでるんだけどね。
実家に住んで、母に生活費渡して、悠々時的に暮らしてるんですけど。
母と出かけたりとかね。本当に友達に飲み行こうって言ったらいいよーみたいな感じの、楽しく人生生きてる感じなんですけど。
そんなね、一応うちで言うと3女になるんですけど、最後の取り出感だった。こいつはいつ結婚するんだみたいな。
思ってた妹がね、ある日急に電話をかけてきて、1週間前くらいかな。付き合ってる彼氏がいたのは知ってたんですよ。
でも結構ね、コロコロ彼氏変わるし、なんかなんやかんや全員彼氏合ってるけど、別に悪い人はいないんだけど、
なんかやっぱり考えが違うってなると、パンって別れちゃうんだよね。なんか跡腐れなくっていうか。
そこはなんかね、私もそういう時あんだけど、私よりもすごいサバッとしてるね、とっても。
その妹はね、私ともう一人の次女とはちょっと性格が違って、争いを好まないというか、あんまり思ってても言わないみたいなタイプなので、
またちょっとタイプが違うんだけど、でもそういうところはね、サバッとバツって切っちゃうタイプ。
で結構ちょこちょこ彼氏変わりつつ、こいつ結婚するのかな?どうするのかな?って思ってたんだけど、
だから電話の時に、結婚することになったって言って、
お、お、お!みたいな。付き合って3ヶ月くらいの彼氏だったのかな?
私まだ会ったことないんだけど、お、お!みたいな。おめでとうみたいな。
あとさーって言われて、何?って言ったら、妊娠したわーって言われて、マジ?みたいなね。
いやマジで30越えるまで、30はね、妊娠しないと思ってたから、私。
こいつ大丈夫?ってずっと思ってたから、なんかまあね、ほんとびっくり。
まああとほんとおめでとうっていう感じでね。
まあまだね、安定期までは入ってないので、まあほんとね、それまで何もなく、ただただほんとに、
あのー無事に育ちますようにと願うばかりなんですけど、
まあなんかね、すごい感慨深いものがあって、ついに一番最後のやつが、
まあ順番がね、ちょっと逆っちゃったみたいなんだけど、まあまあ今時ね、そんな珍しいことじゃないし、
なんならね、各々私もね、あの順番逆だったので、全然ね、なんか何とも思ってないんだけど。
なんかまあ幸せそうで。
なんか家であれ、育休3休って、あれって仕事今辞めたら、育休手当出ないの?とかなんか電話で聞いてきたりとか、
出るわけないだろ!っていう話をしたりとかね、あのーすごいバカな質問をしてきたりする、
そんな妹ではあるんですが、まあまあほんとにね、おめでたく、
でもなんかこうまださ、ほんとにリアルの知り合いには言えるような月数というか、
週数じゃないから、私も別に言ってないし、妹も言ってないんだけど、
まあただなんかどこかに、なんかこう話したいなって思って、
まあポッドキャストだったらね、なんか別に、どこの誰って分かんないしね、
私が勝手に喋ってるだけなんで、いいのかなと思いながら、今回ね、ちょっと撮らせてもらいました。
家族で一番の思い出、何かなーと思って考えたんだけど、
やっぱり私子供の時で、家族の思い出で一番覚えてるのは、やっぱり毎年行ってた沖縄旅行ですかね。
いつぐらいから言ってたんだろう、幼稚園、妹が幼稚園、いやでも私も幼稚園だったかな。
幼稚園くらいから、本当にね、年に1回お盆の時期に沖縄旅行に2、3泊。
最初なんかね、2泊くらい行ってたんだけど、足りねえ足りねえってなって、最終的に3泊とか4泊で行ってたのかな。
行くのがもう恒例行事になってて、まあ時々祖父母がついてきたりとか、時々グアムだったり、ハワイだったりとか、何年かに1回ね、そういうことがあったりして。
まあそういうのをね、なんか旅行をけちるなんて、旅行のお金を出さないなんて、そんなのはありえないって、そこは絶対思い入れとして出すべきだっていう。
父がね、私の父がそういう考えの人だったので、そこはもう羽振りよく本当にね、毎年出してくれてたんだろうなぁと、本当に今となっては思います。
まあ父はね、以前ちょっとどこかの回でもお話ししたと思いますが、私の父は3年前くらいかな、ちょうど3年半前くらいにガンで亡くなったんですよ。
なのでちょっと父の話するときにね、過去形みたいになってるんですけど、まあ別にね、今も引きずってるとか、まあそういうことはなく、やっぱりこうふと考えると寂しくはなるし、
なんかこう、歯医者になって、今私6年目とかなんですけど、なんか歯医者になってしばらくして、ある程度こう知識がついたり手がついてきてから、父とやっぱり司会者の話ししたかったなーっていうのはあるんですけど、
まあまあでもね、あの見守ってくれてたらいいかなーみたいな、また違う世界線で会おうぜっていう感じのね、風には思ってるので、そんなに暗くならずって感じではあるんですけど。
そうですね、旅行が一番覚えてるかな。なんかいろんなね、ホテルだったりとか、ルネッサンス、これも私の息子とも言ったんだけど、ルネッサンスっていうのが沖縄にあるんですよ、ホテルは。
そこは、結構そこですべて完結するの。イルカ触れたりとか、まあダイビングもシュノーケリングも、あとサップとかね、なんかあの辺も全部そこでできて、イルカもだからね、飼育してるのよ、そこで。
ちょっとちっちゃい水族館とかフールとかも全部あって、本当にちっちゃい子とか子供連れは結構おすすめ。ルネッサンスでほんとすべてが完結するから、そこはねすごく良かったんですね。
ただまあうちの家族は、沖縄の那覇市っていうのが本島にあるよね、那覇空港。そっから石垣島って、石垣島も結構有名だと思うんだけど、石垣島っていうところに行けるんですよ。
飛行機で行くのかな、確か。ちょっとちっちゃい島。で、そこも結構観光地としてはとても結構まあまあ有名なところで、で、うちの家族はさらにそっから船かな、確か船かな、で、小浜島っていうさらにちっちゃいなんか島に行ってて、そこの島の中にハイムルブシっていうリゾート地があるのね。
なんかこうさ、ゴルフ場で乗るようなさ、バギーじゃないけど、なんかあるじゃん、なんていうのあれ。ゴーカートじゃないけど。あれに基本乗って移動するみたいな。広いから。食事レストラン行くのでもあれで移動するみたいな。
プール行くのもあれで移動するみたいな。一人、一家族一台あれが支給されるんだけど。で、そこのハイムルブシのリゾートの中には、なんか飼育してるんだけど、クジャクとかスイギュウとか、スイギュウはちょっとね話しがいじゃなかったと思うけど、まあでも池の中にいたスイギュウは話しがいだったな。クジャクも話しがいだったな。
そういう感じで、ここなんか本当に自然を残しつつ、だからその朝起きてホテルの部屋バンってカーテン開いたらクジャクいるみたいなね。なんかそういう感じの本当に沖縄らしさもあり、シーサー作ったりとか、そういう体験もできたりとかね。バナナボート乗ったりとかね。
まあ首脳ケーリングとかももちろん申し込んで、何時からできるとかそういう予約もできるし。なんかもう本当にリゾート地。まあ逆にそれ以外は、もうそれこそ石垣島とか本島に戻んないと、お土産とかそういうのはね、紫芋タルト買いたいとかだとないんだけど。