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古代の福岡を歩く遥かな昔。 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩く。 この番組はJA福岡屋根
道の駅村方 餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
JA福岡屋根の直売所、与蘭野の江頭です。 屋根はキウイの産地です。今はレインボーレッドが真っ盛り。
果肉が黄色と赤で鮮やか。酸味が少なくてとっても甘い。 期間が短いのでお早めにどうぞ。
坂田秀大です。 今回はまず岩井の欄にスポットを当て、1回目から屋根市にある岩戸山古墳とその関連で
関神関場像まで見て歩きました。 今週も
つくしの君岩井関連の古墳を見て歩きます。 屋根郡広川町にあります関神山古墳。
石の人の山の古墳と書いて関神山古墳と言います。 ご案内を屋根の古墳に詳しい屋根市の職員
大塚啓治さんにお願い致しました。 前回ご紹介した岩戸山古墳に近いところに広川町古墳公園資料館
古墳ピア広川があり、その資料館横から坂道を登っていきます。
まっすぐ行くと広川谷古墳に行くと、そして左に行くと関神山古墳に行くということで、左に行きますか。
階段があるんだ、こっから。 この階段が非常に特徴的な階段で、関神山古墳は公園部が3段、
前方部が2段の古墳なんですね。 今私たちが階段の目の前にいますが、その階段が一回斜めに上がって、ちょうど真ん中くらいで一旦水平になって、
また階段を登っていくという段ができているんですが、ちょうどこの階段を見るとですね、
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この古墳が前方部2段で作られているんだなというのがよくわかるところですね。 そういうことですか。
古墳が2段になっているその印真ん中、平らになっているということですか。
1段目プラットとかいうふうに自分たちは呼ぶんですが、とりあえず今から階段を登って、まずこの1段目の斜面を登るような形になります。
ここですか。 登り切ったところが、一旦フラットというか平坦面ができます。
ここがその1段目と2段目の境になるところですね。
平らな石がありますね、2段くらいのね。
これが階段ですね、とりあえずは。
この石自体は後から作られたものなので、もともとあった石ではもちろんないんですけれど、ちょうどこの階段の中段に来るとですね、
この前方部というところが2段に作られていて、ちょうどその1段目と2段目の平たいところに自分がいるんだなというのがですね、よくわかると思いますので、
ぜひ来られた時には注意点として追っていただくといいかなと思います。
その階段をもう一段上がるというところですね。
もう一段上がるといってもそんなに高くないですね。
高くないですね。
そして上り切ったところが前方部の一番端っこになります。
わかりやすいですね。
なので階段のですね、上り口のところが古墳の端っこなんだというのもよくわかりますので。
そうか、そういうことですね。
非常によく理解できました、この階段で。
階段を上ったら一回後ろを振り返っていただいて、
なるほどな、2段になっているなというのを確認して武装石人を見に行こうというふうに思っています。
その武装石人がいるところまではちょっと平らな山道が続いていますね。
ここを下がります。
50メートルぐらい下がったところですかね。
そうですね、50メートルほど歩きながら少しずつ標高が下がっていく感じですね。
なるほど。石人車というふうに看板が出てますが。
はい。
武装石人車という名前がついていますが、もちろん神社とかそういう親城とは少し違うんですが、
締め縄もかけてですね、武装石人を祀っているという形になっています。
締め縄がつけてあって。
言ってしまえば守り神ですね、この地域の一つの守り神みたいな扱い方を今までされていますので、
地域の人にとっては割と大事なものだったんだなというふうには思います。
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思いますね。
その証拠と言ったらおかしいんですけど、今目の前に立っている武装石人ですね。
もともとの形からずいぶん形が変わってしまっているんですね。
そうなんですか。この武装石人は大きさとしてはそんなに背が高くはないですね。
大型の石人なんですよ。
足元少し埋まっているものもあるんですけど、大体大きさとしては1.8メートル以上。
そうなんですか。
岩手山古墳にある石人石馬はですね、大体スタンダードな大きさとしては150センチぐらい、1.5メートルぐらいですね。
なるほど。
それに比べるとずいぶん背が高いというふうには思います。
本当は岩手山古墳の時代の石人石馬というのは等身大というふうに言われているので、
150から160センチぐらいの人たちがいらっしゃったんだろうと。
その大きさに合わせて作っているから、それぐらいの大きさなんだろうなと思うんですが、
この石人山古墳とかですね、5世紀の前半から中頃ぐらいにかけての石製品というのは割と大きく作られるものが多いんですね。
象徴的な意味で作られていると。
そう考えていただけるといいかなと。
胸の厚さなんかも相当厚いですよね。
そうですね。横幅もあり、厚さもあり、高さもありなので。
身につけているものというのは単行と言われるものですか?
そうですね。本当にフルセットなんです。
今頭がちょうど頭部のところがまん丸になってしまっているんですが、
もともとあれは兜をかぶっていたものなんですけど、今は丸くなっちゃっています。
その話はまた裏側を見ていただいたときにしようかなと思いますが、
肩も少し撫で方になっているんですが、本当はちゃんと角張った肩だったんですね。
そうなんですか。人が撫でたと。
そうですね。
かぶとかぶって単行という、今は剣道で言う胴ですよね。
ここに似たような単行というものをつけていて、そこから下、腰から下は草ずりと言いまして、
弓矢とかが太ももに刺さらないような防具がついています。
この石人は、皆さんがここに来られたときに見ていただきたいんですけど、
正面向かって右側の腰のあたりに少し四角形のくぼみがあるんですね。
ありますね。
あのくぼみのところにもともとは石でできた太刀が刺してあったんですけど、
脱落して今はなくなっているという状態ですね。
かけている部分ですね。
なので、かぶとをかぶり、単行をつけ、草ずりをつけて、さらに立ちまで持っていると。
要するに武器のフルセットを持っているような武装石人ですね。
石人ですね。
この石人が目の前にいるのですが、
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ここは、なんて言いますか、蔵みたいなところになっていますね。
それで二重に守ってありますので。
もともとは、もちろん今石人が立っているところにもともと立っていたんだろうと言われていますが、
いつの時代か倒れて、実は埋まっていたんですけれども。
そうですか。
江戸時代に地元の有志の方が見つけて掘り出されて、
もともと立っていたところにまた立てようということで、今のところに立っているわけなんですね。
そうですか。
非常に面白いものなんですけど、岩手間とかですね、
6世紀代の石人と比べると大きさとかも違ったりもするんですが、
何よりも特徴的なのが、一つの古墳に一つもしくは二つしか石人を立てないんです。
そうですか。
そういう意味でも非常に象徴的なものだったというふうには思われます。
大体一つの古墳に一つですね。
いわゆる古古墳の守り神ですね。
守り神ですね、古墳のね。
これと同じような形のものがですね、今の宮間市、福岡県宮間市というところに
石人山というふうに見越す、石の神の山と書きますが、
石人山古墳の方にも同じような武装石人が立っていて、
我々の間では兄弟石人というふうに呼んでいます。
ほぼほぼ作りが一緒なんです。
細かく言うと違いはあるんですが、ほぼ同じ形態で、ほぼ同じ大きさでというところがありますので、
今放送を聞かれている方がですね、もしそこも行ってみようと思われる方がいらっしゃいましたら、
宮間市の石の神の山、石人山古墳ですね。
そちらにもぜひ見ていただきたいと思っています。
この石人はですね、いろんな数奇な流れを持っていて、歴史を持っていて、
この古墳を守るために建てられたんですが、江戸期のあたりが中心だと思うんですが、
この石人がまた再び起こされて、その後どう扱われたのかというのがですね、
実はこの石人の裏側に隠されているんですね。
そうなんですか。
ということで裏側へちょっと覗いてみます。
裏の方へ回ってきました。
ちょっと道路が歩きにくい。
この石人は裏からも見れるんですけど、
裏を見ていただくとですね、
見ていただかないとちょっと分かりにくいんですけど、
背中がもうへこんでいるというかですね、
ちょうど背骨あたりから腰にかけてへこんでしまっているんですよ。
これは何かと言いますと、ちょうど江戸期ですね、農作業を従事されている地元の方が、
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非常に腰が痛い、肩が痛い、頭が痛いという方がたくさんいらっしゃったんだろうと。
この石人はお地蔵さんのような性格を持っていたんだろうなと。
それで撫でて撫でて、業界岸という石は撫でると風化して粉みたいになっちゃうんですね。
撫でて撫でているうちに石の粉ができて、
その石の粉を飲めば痛いところをさすってですね、
そこの粉を飲めば腰の痛みが治るとか頭痛が治るとか、
そういうふうな名神というかですね、があったみたいですね。
いろんなところにありますよね。
でも特に腰の部分がえぐれるようになくなっているので、
その当時腰が非常に痛くて困っている方がたくさんいらっしゃったんだなというふうなところが、
この石人を見てもよくわかるので。
腰痛の方は今でも多いですからね。
そうですね。だから古墳時代の古墳の守り神でもあったんでしょうけれど、
江戸時代にまた再び同じ位置に立った後は地域の守り神として、
そして地域の皆さんの健康を守るというようなところで、
そういう二つの意味合いがあったんだなというふうには思っています。
ここに一体守っているのがいるだけで、いろんなことがわかってくるということですね。
そうですね。やっぱりいろいろ実際のものがあるのでわかること、
ものがないともう本当に永久にわからなくなってしまうというふうな状況なので、
今この石人がこうして立っていて、今建物の中に保管はされていますけれども、
これが未来永劫を残って、後の時代にこの石人が持っていた本当の意味とかを、
また100年後、200年後の人に伝わっていけばいいかなというふうには思います。
そうですね。できればこの姿形というのをそのまま残しておいてほしいなと思いますね。
強く思いますね。ではですね、メインの石館の方に行ってみたいと思います。
すぐ後ろにあるじゃないですか。あれが石館ですか。
石人と石館の位置関係を見ていただくと、なるほどなと思われると思うんですが、
石館に葬られている人を石人が守っているという位置関係にあるというのがよくわかると思います。
そうですね。
石人の真後ろに石館がありますので、守っていたんだなというのはよくわかります。
何メーターぐらいありますかね。
今は石館を保護するために黒いカーテンが敷かれていますが、見学されるときはこのカーテンを敷いてやってください。
現れました、現れました。これが家型、下まであるんですね。
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そうですね。本当は横穴式石室の中にこの石館が入っています。
石室を作る前にまず石館を置いて、そして横穴式石室を作り上げていって、
最後に蓋をするという作りだったと思われます。
石館を実は私が見ているところは、石館と並行したような屋根の部分になりますね。
ちょうど今、石館の入り口のところに立っているような状況なんですが、
この石館、家型石館の最大の特徴は屋根のあたる部分ですね。
これは本当は二石なんですけれども、
二石、家で言えば寄せ棟作りと。
そうですね、本当に寄せ棟ですね。
寄せ棟作りの二石の上面に直鼓門とか銅心円門という文様が彫られているんですね。
この文様がかすかに見えますね。
そうですね。ライトを持ってきていただけるとしっかり見れると思うんですが、
自然光だけでははっきりわかりませんが、
二石にきれいに直鼓門と銅心円門が刻まれています。
これは実は九州は装飾古墳の宝庫というふうに言われています。
中心はどうしても熊本県の中北部というふうなところになるんですけれども、
装飾古墳の始まりはまずは彫刻系というふうに言っている石を彫り込んだもの。
そこから彫刻と絵画というか色をつけたものに変わっていって、
最後にはもう色だけになってしまう。
要するに彩色系というふうなものに変化していくんですが、
この石神山古墳の装飾自体は彫刻でできていますので、
九州の中でも一番古いタイプの装飾古墳ということになります。
そうですか。装飾古墳になるんですね。
今ご説明がありましたように屋根は直鼓門というんですが、
いろんな曲線とか縦の線、斜めの線で構成した模型ですね。
それが屋根についていまして、
この棺の大きさ自体は2メーターちょっとありますか?
3メーター弱ぐらいですね。
屋根の大きさだけでもここから向こう側まで3メーター弱があって、
その下に石棺があって、それは眠っているということですね。
高さとしては3メーターぐらいあるんですか、一番下までは。
一番下というか、この石棺自体、まず下がどこまでかというところは、
正式にはちゃんとわかってはいないんですけど、
だいたいほぼ普通の人が立ってちょうど同じぐらいになるので、
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だいたい1.5メートルとか高さが一番下から一番屋根の上までが
だいたい1.5メートル、6メートルというところですね。
そして途中で口をこちらの方に開けた部分がありますね。
そこが横口といって、そこがいわゆる出入口になるわけなんですが、
出入口があるからそこから亡くなられた方を入れたり出したり
というようなことが行われたのかというと、実はそうではなくて、
もともとはこの石室を作る前に石棺が設置されるんですが、
その石棺が設置された段階で基本お祭りごとをするんですね。
埋納のお祭りごとをする。そして二石をかけて、
この出入口を塞いで、その後石室を作っていって
最後にお墓が完成するというようなものなんですね。
そうですか。
観念的なものというふうに思った方がいいかなというふうには思います。
本当の出入口というよりも、もちろん出入りできるので、
実際に後々石棺の中に入れないといけないものがあった場合は、
そこから出入りもできるようになっているんですが、
実際は観念的なものなので、本当は今口が開いていますが、
もともとはちゃんと板石をはめて出入りができないようにはしてあった。
そうなんですか。
普通は出入り口かなというふうに考えちゃうんですね。
そうでもないんだというようなことですね。
この家型石棺の天井部分、かなり高く取ってあるんですね。
そうですね。実は今非常に高く見えるんですけど、
実際の横穴式石室は石棺ギリギリのところで止めています。
そうなんですか。
なのでこの屋根が今ですね、大い屋根がありますが、
大い屋根の高さまであったわけではなくて、
石棺の天井部から1メートルあるなしぐらいのところにも
すでに屋根があった。屋根というか天井部があったはずなんですね。
今は展示の関係とか保存の関係で、かなり広く取ってあるということなんですね。
もともとこの石棺が見つかったときには、
すでに石室の上半部というのは完全に失われてしまっていて、
実際の高さがどれぐらいかというのは実はわからないんですが、
今それが推定できるというのがですね、
久留米市に浦山古墳という古墳があって、
そこにも家型石棺があるんです。
そこは石室がそのまま残っていますので、
それからの累水ということにはなるんですけれども。
そしてこの古墳が、石銀山古墳ができたのが、5世紀になるんですか。
5世紀の前半から中頃というふうに言われています。
これは5世紀ですので、いわゆる100年近く前のものです。
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おじいさんじゃないかと。
そうですね。世代的に言うと祖父の世代になるんですけど、
岩井さんの直接のおじいさんかと言われると、
そういう確証はないというふうになっています。
世代的には岩井さんの祖父の世代の方が眠っておられるというところは間違いないです。
やめ氏広川町にあります石銀山古墳でした。
ご案内を、やめの古墳に詳しいやめ氏の職員大塚圭司さんにお願いしました。
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです。
石銀山古墳のあるやめ郡広川町って、くるめかすりの産地なんですよ。
くるめかすりって言いますから、くるめっていうイメージがありますが。
違うんです。二重着今折り元があるんだそうですが、そのうち半分は広川町なんです。
実はそうなんですね。
そうなんですよ。くるめかすりって技法は重要無形文化財になっていて、伝統工芸品でもあるんですが、
先日閉幕した大阪関西万博で技術伝統脈々賞というのが、
くるめかすりの取り組みに対して贈られたということもある。
ちょっと盛り上がっている感じがあるんですよ。
そのくるめかすりのいろんな魅力を楽しめる場所がありまして、
広川町産業展示会館という中に藍彩広場、藍色の藍に彩ると書きます。
藍彩市場ですね。ごめんなさい。
藍彩市場に広川の折り元の生地、それから生地を使った商品が一堂に集まっているんです。
その広さというか、デパートの大きな売り場に来たというくらいのところにずらーっと並んでいて、
これはすごいと店長の木下隆さんに案内してもらったんですが、
こんなにくるめかすりが揃っているところ、ありますかとお尋ねしたら、
ないです。
ちょっとびっくりしたんですよ。
なので、県外や外から来るお客様は一度ここに立ち寄られて、各折り元産の生を見られて、
どこどこ行きたいと言われたら、この観光マップでここに行ってくださいという案内をさせていただきながら、
観光のルートじゃないんですけども、そういうのをご紹介させていただいて、
広川を楽しんでいただくような案内をさせていただいております。
観光拠点でもあるわけなんですよ。
ここでお買い物する人は普通やっぱりかわいい小物とか手頃だと思うので、
求めやすいところから。
この辺から出店なんですかって聞いたら、こんな返事が返ってきました。
商品、洋服の方が多いですね。
他にはないカラフルなものであったり、
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本当にこの色いいねって言われて即買いされるお客様もいますので。
くるみ菓子とかもカラフル。
基本は紺色だと思ってるじゃないですか。
そう思うでしょ。全然違うんですよ。
そうなんですか。
例えば今日持ってきたんですけど、イチョウの葉っぱをモチーフにしてベースがグリーンの。
鮮やかというかね。
いい緑色ですねこれね。
そうなんですよ。イチョウの葉っぱの方がちょっと黄緑っぽくて。
それの他にもベースが白いかすり、白かすりっていうらしいんですが、
そこに明るいグリーンとか水色、卵色のイエローが乗っかってるものだとかですね。
あと縦横の組み合わせでくるみ菓子って模様を出していくんですが、
その縦糸だけで模様を描き出すという技法があって、
ドクロマーク1.5センチぐらいの遠くから見ると水玉ぐらいなんだけど、
よく見るとドクロだねっていうのがあったりとか。
例えば水玉でも今日持ってきたんですけど、縦糸だけで赤い濃淡ピンクが水玉模様になるみたいなのが出来上がったりとか。
小豆色ベースにピンクの水玉が。
愛らしいですね。
そうなんですよ。だからおなじみの紅色だけでも濃淡のグラデーションがあったり、
こんなに色んな色があるのかとびっくりしてたら、いやいや、こういう色があるから面白くって。
店長、じゃあ何が一番推し商品なんですかって聞いたら、モンペだっておっしゃるんです。
モンペ、意外。
でもね、モンペ、ただのモンペじゃないんです。
絶対他にはないものがここに揃うんです。
だからモンペとして外で販売されているところはやっぱり皆さんが想像しているようなオーソドックスな色だったり、
それが多いと思うんですけど、ここの場合は常に新しいところに挑戦しておられるので、
その最先端のものがここに展示されて販売されてあるっていうところが魅力と思います。
例えばグリーン系の標柄だったりとかですね。
濃くないんですよ。淡い感じになってとても着やすそうで。
あと、元々のモンペっぽい形もあれば若干太めにしてたりとか、
あとストレートなものだったりとか、ワークパンツ風とか形もいろいろある。
じゃあモンペのイメージはちょっと覆してますよね。
しかも注目がね、子供用、2歳から4歳用のモンペっぺっていうのがあって、
ちっちゃいモンペなんですよ、ミニサイズ。
これが可愛くて大人気らしくて明るい色が即売り切れになるらしいんですよね。
このくるめかすりなんですけど、売ってる段階では完成じゃないと。
洗い進むうちに人それぞれに色の落ち方が変わっていって、
その人のオリジナルになっていく。長く着られるんですって。
だから元は結構なお値段なんだけど、そう考えると。
お買い得です。でも正直高いので高いでしょって。
いつもご案内してます。
特に初めてのお客さんが、観光で来られるお客さんが来られたときは、
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そういうご案内のところからさせていただいております。
作業工程であったり、やっぱり手間暇のところをご紹介させていただいて、
10年も20年も切れますっていうご紹介をさせていただいております。
だから一品物になっていく楽しみもありますので、
もちろん買わなくて見てお話するだけ、私は話が大好きだと店長言ってましたので、
いろんなお話も楽しんでください。
広川愛妻市場、車で行くと九州道の広川インターチェンジから3分ほどで、
あとバスで行くなら、車駅から西鉄バスに乗って、
最寄りのバス停が建設学校前で降りて、歩いて10分ほどで到着します。
中島理恵さんでした。
ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
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またラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、ユーチューブなど各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組はJA福岡屋根、道の駅村方、餃子の山鉢の提供でお送りいたしました。
ご案内は酒田秀大でした。
×少女隊の春野きいなと
青井梨奈です。
RKBラジオでお送りしているガールズパンチ×少女隊の×ラジオ隊はポッドキャストでもお楽しみいただけます。
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