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古代の福岡を歩く遥かな昔。 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩く。 この番組はJA福岡屋根
道の駅村方 餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
JA福岡屋根の直売所、魚乱野の江頭です。 屋根はキウイの産地です。今はレインボーレッドが真っ盛り。
果肉が黄色と赤で鮮やか。酸味が少なくてとっても甘い。 期間が短いのでお早めにどうぞ。
こんばんは、坂田周大です。 今週も「つくしの君、いわいの乱」の続きをお送りしていきます。
つくしの君、いわいの墓だと言われる 屋根市の岩戸山古墳を歩いています。
別区と言われる部分から古墳の公園部に入り、 さらに前方部、くびれの部分に入ってきました。
ご案内を屋根の古墳に詳しい屋根市の職員 大塚刑事さんにお願いしています。
ちょうどこのくびれ部分ですね。 北側のくびれになるんですが、北側のくびれ部分から少し上に上がったところ。
ちょうど1段目、2段目ぐらいのところ、前方部のですね。 そこが昭和38年の時に大雨が降って、
墳球の一部がちょっと壊れたんですね。 その折にたくさん石製品が、石人石場の一部が出てきてですね。
今それも岩戸山の歴史文化交流館で展示をしておりますので、
見ていただければと思います。 なので石人石場は別区だけにあったものじゃなくて、
その墳球にもずらっと並んでいたというふうなものですね。 それがもうはっきりわかったという事例ですね。
じゃあそういう雨で流されて、露出してきたという。
そうですね。 もちろん埋め戻したものもあるんです。
どうしてもこれはこのまま放っておいてはいけないというものは、全部発掘調査で出してですね。
これはまだ大丈夫というふうなものは、そのまま埋め戻しているという状況ですので、
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まだ岩戸山古墳の中にはですね、たくさんの石人石場が、まだ残っている状態です。
そうですか。私もね、何かどこまで岩戸山古墳というものが解明されたのか、ちょっとわからなかったんですよね。
そうですね。 その辺ぐらいまでしか、言ってみれば解明できていないという。
例えばその岩戸山古墳が持っている謎が百達するならば、我々が今わかっているところというのは、
まあ10行ったかな、行ってないかなぐらいですね。 そんなもんですか。
もちろんまだこの岩戸山古墳、いろいろいろんなお話があってですね、
なかなか地元の方が直接手を入れるというふうなことがほとんどない古墳だったので、実は未洞窟というふうに言われています。
なので、仮にこの岩戸山古墳の発掘調査がもしあったとするならば、
日本史をひっくり返してしまうような発見がある可能性もあります。
ということは、中はどうなっているかも、まだ全然わからない。
その謎を込めた古墳だけに興味があるんですね。 そうですね。
この辺ですか。 前方部の端っこ。
端部というふうに我々は言うんですが、端っこの部分ですね。
ちょうどその前方部の端の部分に来ているところです。
だいぶ歩いてきました。だいたい130メートルですから、100メートルぐらい歩いてきましたかね。
今はもう別句の端っこに最初に立っていたので、もうあと20メートルほど歩くと、ちょうど本当に端っこに来るので。
分かりました。 170メートル近く歩いてきました。
あっという間ですね。 そうですね。意外にあっという間です。
ここから足元が深くなってまして、
足の半分ぐらいが疲れそうな感じですね。 クルブシぐらいまで来るようには勝手いただいているので。
ここが端っこ。ちょうどここが集定の端っこですね。
北西部になるかな。岩手山古墳から言えば北西部になるんですけども、私が一番好きな岩手山古墳を見るときに一番好きな景色なんです。
ちょうどこの集定の上に今立っているんですが、北西部の集定の上に立って、一番最初に歩き始めた別句の方を見ると、
この古墳が本当に大きな古墳なんだなぁというようなことが目で見てわかるというかですね。
写真、上空から撮った写真を見ても大きさがいまいちよくわからないんですが、現地に来て今お話しているとわかるんですね。
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非常にやっぱり大きいなぁと思います。 私も何回か見学に来たんですけども、ここまで歩いてこないんですね。
そうですね。別句近辺で上下ろして、ああ、でかそうな古墳だなと思っちゃうんですが、ここまで来るとわかりますね。
どうしてもその大大歩とかになると、もう200メートル、300メートルとかですね、すごい大きいので、もうほとんど山にしか見えないんですが、
ちょうど岩手山古墳ぐらいの大きさの古墳はですね、端から端までがちゃんと見れて、しかもその大きさを実感できる古墳でもありますね。
今ここに立って初めてわかりました、その大きさが。ここからよく見えるもんですね。
そうですね。まあもう今綺麗にですね、昭和の50年代ぐらいから綺麗に国指定地席ということで整備をされているので、
ちょうど墳球のですね、上の地位の木は基本このままというふうな状況ではありますが、その周りの宗邸とかですね、別句はもう綺麗に整備をされていますので、
そうですね。よくわかりますね。
よく見れると思います。
よくわかります。これで古墳がどうなっているか。今古墳のどのあたりかというのはよくわかりますね。
前方御苑風の形が一番イメージしやすい、一番大きな、九州で一番大きな古墳だというふうには思いますね。
この前方の一番端っこに来ていますけども、これは端から端までどのぐらいあるんですか?
だいたい横幅ですかね。
この幅。
横幅はですね、100メートルはさすがにないんですけれども、90メートルほどあります。
90メートル。
でもこの風情と同じくらいに綺麗ですね。
そうですね。もうここは綺麗に刈っていただいているので、私もよく言うんですが、日本で一番一年中綺麗な国指定の古墳だというふうには言っているんですけども、
もちろん他の地域にもですね、綺麗に整備された古墳もたくさんありますので、ここが一番というわけではないんですが、それぐらいの岩手の古墳愛が私の中にはあるというような、そんな感じですかね。
そうですか。
大塚さんがいろいろ調べられてですね、この古墳で一番わからない部分で、これがわかればなというような部分はありますか?
そうですね。やっぱり外面的なものというのはある程度わかるので大丈夫なんですけれども、やっぱり内面というかですね、特にこの岩手山古墳にあるいわゆる石室というふうに言われているものなんですが、石室の中がどうなっているのか、どういう構造になっているのか。
一番大きな謎としては、この岩手山古墳の石室の中がいわゆる装飾をされている装飾古墳なのか、そうではないのかというところで、またかなり大きく歴史が変わるんですね。
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それは非常に興味といいますか、知りたいなというふうに思っているところと、あとは石人石場がまだ岩手山古墳にはたくさん眠っているんです。
どういう石製品が、石人石場がどんな配列でどれぐらい並んでいたのかというのがわかるようになると、これは面白いなと。
じゃあ石人石場もこれからもっともっと出てくる可能性はありということですね。
これから100年200年経っていけば、地中の中が実際に直接掘ったりしなくてもわかるような時代が必ず来ますので、
100年200年後に期待しながらというところなんですが、それくらい時代が流れると、この岩手山古墳の謎も先ほど100のうちの10ぐらいでいいと言いましたが、
100のうちの50ぐらいはわかるようになるんじゃないかなというふうには思っています。
そうですか。期待したいと思いますね。
その可能性ありますね、今。
まだまだ進んでいますね。
例えば最近は災害が非常に多いので、人命を救助するための道具機械というものがどんどん進歩していますので、
そのうち本当にボールペンぐらいの大きさの自走掘削機みたいなものができて、
その先端にカメラがついていれば、実際に掘らなくても石質まで到達してそのまま写真が撮れるとか動画が撮れるという世界が
半世紀ぐらいのうちにはある程度できてくるんじゃないのかなというふうには思っているところでした。
ありがとうございました。
まず、やめの古墳に詳しいやめ氏の職員大塚圭司さんのご案内で岩戸山古墳を歩きました。
今度は岩戸山古墳のすぐ隣にあります岩戸山歴史文化交流館岩井の里に入っていきます。
ここには石人石場が展示してあります。
早速展示館の中に入っていきます。
今度はご案内を岩戸山歴史文化交流館岩井の里学芸員のダン・ヨシカツさんにお願いしました。
ダンさんにはまず、つくしの君岩井の乱と言いますが、この岩井の乱について岩井の戦いだという見方もあるという話から伺っていきます。
日本初期とか古時期の中では岩井さんは反逆者として出てきて、今の日本の教科書の中でも正式にはつくしの国の宮津子岩井の乱というのが教科書の中で出てきます。
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ただし、古墳時代という時代は、ちょうど大和の王権が日本という国の形でまとまっていこうとしている時期だったんじゃないかという説が20年前ぐらいから出てきてまして、近畿九州は九州で大きな豪族がいて、日本という国が出来上がってくる頃のお話じゃないかということも考えられています。
その中で、当時まだ天皇制もそこまでしっかりあるわけではなかったと考えられていますので、これは日本という国が出来上がるにあたっての近畿と九州の最後の内戦だったんだろうと、日本で最初の内戦国だったんだろうと考えられています。
そんな中で、20年前ぐらいから、つくしの君岩井の戦争という言葉がちょっと出始めてきています。
九州も天皇に反逆者の集団ではなくて、九州は九州として一つの国としてまとまっていこうとしている姿を表していたんじゃないかということで、
当館を含めて、つくしの君岩井という人は反逆者ではなくて、この辞め地域を含めて九州の英雄であるというふうに言い続けていまして、
その中で岩井の乱と呼ばれているものも、岩井の戦いという言葉で表現をして、日本という国が出来上がるにあたっての最初の内戦だったんじゃないかというふうに捉えています。
岩井の乱、岩井の戦いという言い方もあるということですね。
岩井の戦いという言葉を、岩井さんの1500年を記念して、いろいろイベントを打っていくときに、岩井の戦い1500年ということで、
この岩井の里では、岩井の戦いという言葉を定着化させたいということで取り組んでいきたいと思っています。
岩井の乱から1500年というのが令和9年になりますか。
はい、そうです。
もう間もなくということですが、もうすでにここではいろいろな行事が始まっているんですってね。
昨年度から一つは岩井の1500年を記念して、一つロゴマークとキャラクターを作って、今小岩井ちゃんというキャラクターが出来上がっています。
そのキャラクターを今1500年を皆さんに知っていただこうということでPRをしているのが今の状況です。
それに加えて、昨年度岩井体操という体操を作ったので、そちらも多くの方に踊っていただいて1500年をPRしていこうということで、今体操の普及に取り組んでいます。
小村岩井体操につきましては、また改めてこの番組で紹介していきたいと思います。
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そしてダンさんのご案内で、石神石場のある展示館の中へと入っていきます。
今扉をぱっと開いて、目の前に巨大な石盾ですか。
はい、石製の盾です。
すごいんですね。
そうですね。
2メーターちょっとあるのかなと思いながら。
そうですね。3メーター近くあります。
3メーター近くあるんですか。
あれで一瞬圧倒されますね。
そうですね。製品の中で一番大きい製品になります。
そうですか。一番大きなやつ。
今ここに中に入ってきまして、石神石場を目の前にしてお話を伺っています。
すごい数ですね。
全国、つまり世界でも一番数が多い岩手山古墳の石神になります。
いくつぐらいあるんですか。
今わかっている数だけで150を超えています。
奈良時代の方が書いた「筑後の国ふどき」という文章の中を読み解いていくと、
勘定をしていくと200か300ないと数が合わないので、
岩手山古墳には200か300の石神があったんだと思われます。
すごいですね。その辺は後で一つ一つご紹介していきたいと思います。
その前に岩手山古墳、岩井の里ですけれども、
どんな特色を持った館でしょうか。
辞めしの歴史資料館として、一番全国的に有名な岩手山古墳で、
その中でも一番特徴のある石神を展示のメインに据えて、古墳時代のことを紹介する資料館になっています。
それから外ではベックといわれるものもありますよね。
あれも何の目的でこういう広場があるんだろうなと思って今、
謎だなと思っているんですが、どんな感じですか。
岩手山古墳にあるベックというのは、他の古墳ではあまり見られないようなものなんですけれども、
発掘調査をわずかにやっているんですけれども、
その中でもわかっていることは、とにかく埴輪と石で作った石神石場が出土するというのが特徴です。
土器とかがあまり出てきていないということからも、石神を飾るステージとして作られたものだと思われます。
土器はあまり出土していない。
そうですね。他の古墳では作り出しというのがありますが、そこでは土器がたくさん出てきて、
やはりご先祖様は古墳の中の人に対してお祭りというか、
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儀礼をしているような跡が見られるのですけれども、
ベックに関しては一種の埴輪、その二つが出てくるということで、
埴輪を飾るステージになっているのだろうと思われます。
そうですか。要するに埴輪の代わりに石神石場、像があると。
地元にもある阿蘇の境界岸という石を使って、石で埴輪を作ったというのがこの石神石場になります。
そういった石神石場に囲まれてお話を伺っています。
石神石場ですけれども、いつごろから作られ始めたというのがわかっているのですか。
始まりは古手のもので、5世紀に始まっているみたいだというのが見えてきています。
一点は天草で弓矢の矢の矢尻の形をしたものとか、
大板氏のあたりで鎧だけを表現した石神が出てきています。
そのあたりが石神のスタートになってきていると思います。
早い始めるのが岩手山古墳がある6世紀の前半のころですね。
石神石の埴輪の最盛期になります。
そして、出てこなくなるというのはいつぐらいになるんですか。
岩手山古墳の後、八目市の中でも鶴見山古墳という古墳があります。
それが歴史上で出てくる岩井の乱よりも後の古墳だと思いますが、
前身の鎧を着た石神が一体見つかっています。
その後も道南山古墳という古墳があるんですけれども、
古墳時代の終わりのころの古墳なのですが、そこでも石神が見つかっています。
古墳の最後のころまで石の埴輪、石の石神というのは作られているというのが分かっています。
この石神を作るのが福岡の南、筑後から熊本の北部のあたりの人たちが作っているんですけれども、
そこの地域の特徴の、地域色の一番大きいものだと思われます。
この石神石は一つの墓に大体いくつぐらい入っているような感じなんですか。
岩手山古墳は150を超える数が見つかっているんですけれども、
二番手に多い古墳は熊本の南の方、八千代の近くにある氷川町というところがあるんですけれども、
野津古墳群という古墳群があって、氷川町古墳という古墳があります。
そこで見つかっているのが16個です。
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その16個が二番手で、一番多い岩手山古墳は200か300あるということで、断トツで多いということになります。
それ以外の古墳は1個か2個を古墳に置くのが普通で、
岩手山古墳みたいに莫大な数を置く古墳というのはほんとに他にはないということになります。
石神石場の話を岩手山歴史文化交流館岩井の里学芸員ダン・ヨシカツさんに伺いました。
ここで古代の福岡リポーターの中島理恵さんです。
こんばんは。こういった歴史資料館で楽しいのが、いろんなグッズを売ってあること。
いろいろありますね、今ね。
岩井の里にもあったんですが、館長の石垣俊明さんに話を聞いてきたんですけど、
私が一番びっくりしたのが、手作り物でね、石包丁手作りキットというのを置いてあったんです。
おー珍しい。
でしょ。こうおっしゃってました。
ここで置いているのはちょっと硬い石材なんですけど、やっぱり時間かけて削っていけばちゃんとした石包丁になるからですね。
石包丁って言うけど、まな板で使う包丁とは違って、あれは稲の穂が出ますよね。
で、穂だけを積む道具なんですよ。
なるほどね。
おままごとに使うのもありなんじゃないかってスタッフの話も言ってましたけども。
庭の草むしに使ってみたい。
いけるいける。
私は今年のバケツ稲っていうのを作ってみたんで、このモミをピッて取れるように今、これから磨こうと思ってるんですけどね。
あとディープなとこでいくとやっぱり定番にもなってます。
マガタマ作りのキットとかもあるんですね。
ほかにもオリジナルグッズを作ってるんですが、どんなものがあるのか伊崎館長に聞きました。
一筆線はいいと思いますよ。
耳飾りと、それから石人をあしらってますから中にね。
クリアファイルもいいですけどね。
愛用品はありますか?
愛用品?一筆線ですね。
知り合いというか、人に何か送ったりとか、手紙とか書くときにあれに書いて入れるっていう形してますね。
どっち使ってるんですか?
耳飾りを使ってますね、よく。
これ両方とも展示館に置いてある展示物、文化財なんですけれども、
どちらかと言うと石人の方にみんな行くのかなと、スタッフは石人人気が高かったんですよ。
館長は耳飾り、金でできた下がった形のフルフル揺れるようなとっても豪華な耳飾りがあるんですよ。
そっちの方を使ってますって、男性だし珍しいなと思ったら何のことはない。
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館長ご自身がこの耳飾りの発掘現場にいたという。
そうなんですか。ゆかりの品ですね。
思い出込みでしたね。
他にも先週ご紹介した熊本駒の職人さんが作っている石人駒、小さい親指ぐらいのサイズの駒も置いてあったりとかですね。
あと可愛いのでいくと古墳の石人石馬を並んだデザインになっている手ぬぶいなんかもあったりします。
あと買わなくても自分の努力でもらえる古墳カードっていうのがありましたね。
古墳カード。
2枚あるんです今。武装石人の頭部、頭の部分のカードとさっきも一筆生になっているよといった金星水色付き耳飾りのカードがあるんですが、
石人の方はいろんなイベントがこのいわゆるスタジオで行われているので、歴史講座とかに参加した人がもらえる。
それから耳飾りの方は簡単なアンケートに答えたらもらえるとなってますし、
すぐに出かけられないけどなんか手に入らないかなという人のためにはですね、石人ペーパークラフトっていうのがあって、
ホームページからダウンロードすると、小学1年生とかのふろこについてたような自分で切って貼って組み立てる石人の紙飾りというか、紙の道具というか、
紙で小さな立体を作れるというね。
そういう楽しみもあったりするんですね。
こういったいろんなチャレンジがあっているんですが、2年後の2027年の祝いの戦い1500年に向け、いろんなことが計画されているみたいですが、
館長はどんな気持ちでいらっしゃるのか聞きました。
1500年のこういう周年事業というかイベントをやるということは滅多にないと思うんですね。
古代史上最大の戦いと言われている祝いの戦い、祝いの乱というのがありますので、
それを検証というか取り上げて、もっと知ってもらうことと、
それが今の1500年経った今のやめしにとってどういう意味を持つのかとか含めてですね、展開できたらなと思いますけどね。
間違いなくこれから2年かけてどんどんディープになっていくので、
今とっかかるとかなり2年後にはえへんって感じでいけるんじゃないかと思います。
来週の今度の土曜日と日曜日、10月の18、19日に秋の体験っていうのが行われるんですよ。
古代の手仕事を体験しましょうっていうので、例えばそのマガタマを作ったりとか、
あと焼かない粘土でハニワを作ったり、それからですね、
ヤメヤっていうのも伝統工芸であるんですが、このヤメヤで古代の狩猟を体験してみようということで、
段ボールにイノシシやシカが貼り付けてある絵があるんです。
それに向かって上手に弓矢を射てみました。
これかなり大人でもハマるらしいんですよね。
こういったものもありますし、それから時代は新しくなりますけど、
クルメガスリで小物を作ったりとか、アイズムの染料を使って染色の体験とか、いろいろ考えてくださってます。
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あとミニマルシェなんかもあるんですが、どうも岩添真子夫にちなんだお弁当とか出てくるんじゃないかと言ってますんで、かなり楽しみです。
最寄りのバス停は福島高校前、ぜひ岩井の里をお出かけください。
中嶋理恵さんでした。
餃子のヤマハチです。国内産の豚肉と野菜を使ったヤマハチの餃子は、店舗のほかインターネットでもお求めいただけます。
餃子のヤマハチで検索してください。
お待ちしておりまーす。
番組からのお知らせです。ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの、古代の福岡を歩くのバナーをクリックしてください。
また、ラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、ユーチューブなど、各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組は、JA福岡やめ、道の駅室方、餃子のヤマハチの提供でお送りいたしました。
ご案内は、坂田秀大でした。
落語家の立川翔司です。
1週間のニュースの中から気になる話題を題材に、新作落語をお送りしているポッドキャスト番組、
立川翔司のニュース落語。
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立川翔司ニュース