1. 古代の福岡を歩く
  2. S9 7回目も糸島の伝説をお送..
2023-11-12 30:10

S9 7回目も糸島の伝説をお送り致します。

今回は真方という場所にある楠田寺(くすでんじ)の地蔵尊のお話。
楠田寺は小高い林の中にあるお寺で、ここの本尊は1メートル程ある立派な木造の地蔵尊です。
あるとき、集落の一帯で干拓工事が行われるようになります。そこで、唐津藩から領民に工事の手伝いをするよう命令がきます。
しかし、お寺は廃れて住職以外誰もおらず、しかも、お寺は一般の領民とは違い公役免除になっていた為、住職は断って1日寺にいました。
ところが、工事の現場に一人の働き者がいて、お陰で工事がスムーズに進んでしまいます。
そこで、「あの働き者は誰だ」ということになり、関係者が男の後をつけていきますと、男は楠田寺に入ります。
そして、本尊像の前にきて驚きます。
本尊の衣や袖に工事現場と同じ土があちこちについていた、というお話。
つまり、住職の代わりに本尊が働いたということでした。
古代の福岡を歩くリポート 
11月25・26日(土・日)は「まるごとみやま市民まつり」!「“市民まつり”とうたってますが、みやま市民に限らず、近くの方、県内多くの方々に遊びに来ていただきたい」という、みやま市商工観光課の中島舞子さんと坂田充宏さんに注目ポイントを伺いました。
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00:09
古代の福岡を歩くシーズン9
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン9
この番組は三山市の企画協賛、餃子の山鉢、道の駅村方の提供でお送り致します。
こんばんは、阪田収代です。
今週も糸島の伝説を紹介しながら、その伝説地を訪ねる
糸島の伝説地を歩くをお送り致します。
ご案内を、糸島ふるさとガイドの皆さん
水戸真雪代さん、岩田久美子さん、西本誠二さん、そして糸島ふるさとガイド会長の吉丸勝彦さんにお願いしました。
なお、糸島の伝説は、糸島新聞社発行の海底版糸島伝説集を参考にお送り致します。
今週は、親友の出世に発奮した和尚さんのお話です。
話の舞台は龍国寺というお寺です。
そのお寺の本堂の中で、吉丸さんに話を聞きました。
龍国寺というところに来ていますが
この龍国寺という場所的なものなんですけれども
どういうふうに説明してよろしいでしょうか。
福岡の日向峠の方から唐津に行く途中にですね
波路という地名があります。
波という意味に
そうですね。
そこに龍国寺という名冊があるわけです。
そこにお邪魔しております。
実はこの龍国寺さんは工事中ということで
昨年、庭を見ながらですね
お話を伺ったんですが
見事な庭でしたけれども
ちょっとそれが今見えないというのはちょっと残念ですけどね。
そうですね。
ここにはどのような物語があったんでしょうか。
ここはですね
松国というところにですね
光太郎という方がいらっしゃいました。
その親友にですね
幼馴染に
松藤孫四郎という方がいらっしゃったんですね。
03:03
2人は小さい時から仲が良くて
親友同士でですね
青年になって
孫四郎さんがですね
神谷にある王城屋の朗読家に
向こう行きにしたんですね。
それで光太郎青年はですね
発風をして
自分は修行して
瞑想になろうと
決心したんです。
それから物語が始まるんですけどね。
瞑想になろうとして
仏門に入ったんですか。
それで
その決心をして
その足でですね
隆国寺を訪れて
このお寺を訪れて
そうしたら
老将から
文学文房の人は
もう駄目だと
言って断られたんですね。
それから光太郎はですね
数年間お勉強をしましてね。
そして
とうとう老将をですね
説得して
そして弟子になることができたんです。
弟子になったんですね。
弟子にしたんです。
それから数年経ってですね
あまり熱心だもんだから
老将さんになるためにね
熱心だもんだから
お前は
本山に行って修行してこいと
言われたんですね。
もうその時は
35歳になったんですね。
遅い入山ですけれども
その10年間
そこで禅の勉強をして
本山の方ですね。
そしてその時にですね
本山の官庁から
鉄管という
僧の名前をいただいたんです。
そして老将さんのですね
資格を取って
そして寄居することになるんですが
その寄居先がですね
二条の福井というところのですね
大法寺というお寺があります。
福井の大法寺。
これのですね
16代の住職になるわけです。
ところが数年経ってですね
自分の師匠さんである
劉国寺の老将さんがですね
亡くなる前に
自分の劉国寺の後は
大法寺の鉄管が良かろうということで
遺言をされたんですね。
大法寺には5年間ぐらい
いらっしゃったんですけど
その後この劉国寺の
老将さんになるために
神山式なんかを行いましてね。
そして
神山式?
06:02
はい。
神山式というのは
初めてお寺に入るための
一つの問答をですね
大きな授業として問答を
戦わせてですね。
そしてそれに合格したら
その寺の住職になれると。
そういう厳しいあれがあるんですね。
私もかつて一度
立ち会って見たことありますけど
厳しいですよ、なかなか。
面白いですけどね。
そういうことで
兄弟子の大官という人が
一番最後に出てくるんですね。
そして仏道と農業の農ですね。
農道はこれいかにって言うんですね。
懐かしいね。
その時に鉄漢和尚は
農業をやってみらんとわからんと
お前にわかるはずがないと
言ったんですね。
そしたらとうとう大官はですね
この劉国寺を去っていったと。
負けたと。
そういうことなんですね。
それで鉄漢は
この劉国寺の22代目の住職になるわけです。
そして孫志郎のですね。
昔の友達。
喉むきにむこ入りした友達の家に行ってみたら
離宮の設計の名言があるわけですね。
それでそこで鉄漢和尚は
自分の裏山も庭を作ろうと
自ら働いてですね。
そして数年かけて完成した。
これが有名な鉄漢園というお庭なんですね。
そういうお話ですね。
それで鉄漢さんがですね
この住職に座られたことで
門戸さんも松木の皆さんもね
高徳になった鉄漢さんを大変歓迎したと。
そういう話でございます。
そうですか。
親友の出世に発奮した和尚さんの物語ということですね。
そういうことです。
今度はこの劉国寺の近くの
馬形のバス停近くにある
楠田寺というお寺にやってきました。
薄々とした林の中にありました。
ここには素晴らしい地蔵村がありました。
以前私お伺いしたときは
09:00
農家のお家かと思いました。
ところが立派な仏像がありましてね。
びっくりしました。
私も入ってびっくりしたんですけれども。
これは昔ですね。
朱宝山プスデン寺と言いましてね。
伊藤七カ寺の一つなんです。
そうなんですか。
インドから来た聖賀聖人という人の回避で
聖母天皇時代の創建だと言われております。
そう。古いですね。
それで本尊がですね。
地蔵菩薩で。
だいたい高さが1メートルぐらいですね。
そうですね。
物の本には聖徳太子の作と言われておりますが。
今ここで初めて地蔵村の楽って言いますか。
見たら行旗作のようですね。
行旗が作ったんじゃないかと。
昔は聖徳太子が作ったんじゃないかと言われたんですね。
そうです。
ところが、この仏像はですね。
伊藤嶋御仏の一つ。
有名な仏様の像の一つだと言われておりますね。
和な仏様ですね。
後輩もちゃんと掘ってあって。
だいたい4、50センチぐらいの地蔵村。
地蔵村ですね。
その周りに小さい屋根がついてますね。
これは日和田吹きだそうです。
日和田吹きの2メートルくらいの小さな屋根がついておりまして。
辺額に地蔵道とよく見ては地蔵道と書いてますね。
そうですね。
この屋根のお話ですが、
身代れ地蔵さんというお話だということなんですね。
そうですね。
徳川時代の元な年間ですから、
江戸時代の初めになりますね。
その頃ですね、
伊藤軍の西部を領取った唐津の殿様ですね。
寺沢島の神という方が、
神戸の小学校地殻を回収したり勘卓したり、
そういうことをされたんです。
そのときにですね、
村の人たちと一緒に何百人という出方があったんですけど、
その中に幼い顔をした小僧さんがですね、
とても力が強くて、
こうやってまめまめしく働いてですね、
それが役人の目にとまって、
あれは誰だと聞いたところは誰も知らないということなんですね。
12:00
それでその仕事が終わって帰りがけに、
その役人が小僧の後をつけていったら、
楠田寺に入ったと。
楠田寺はですね、
お嬢さんが少し熱があったんでしょう。
床についてありましたけども、
もともとお寺や神社はですね、
村の供役に出る必要はないんだという、
昔からの名だわしがあったようです。
ところが役人はですね、
それとは知らず、ぜひ出れという命令をしたんですけど、
和尚は今までそういう前例はないと。
小僧もいなければお寺に働く人も方向にもおらん。
一人だから熱があるから俺はいかんって寝とったんですね。
その日改修工事が、
神戸小学校の前あたりでありましてね。
そしてそのときにその小僧がまみまみしく働いた。
そういうことですね。
そして寺に入っていったもんだから、
その役人も入っていってみたら、
造理に土がついてると。
和尚に聞いたら、
そういう小僧やら方向には誰もおらんと。
誰もおらん。
俺一人だと。
それで不審に思って本堂に役人と二人で行ったら、
お地蔵様の足元の裾に、
裾と方影ですかね、
土がついてたと。
それでもう二人はびっくりして、
これは奇妙な話だけど、
これはお地蔵様のお示しだろうということで、
それからもうますますですね、
信仰を深くしていって、
そして村の人もその話を聞いて、
もう非常に大事にして、
この須田寺が大変参経者が多くなったと。
そういう話でございます。
和尚さんが行けなくて、
代わりにお地蔵様が、
和尚さんの代わりに働いたというようなことですかね。
そういうことです。
身代わりお地蔵さん。
そのお地蔵さんは私の目の前に今あるんですけども、
なんか凛とした感じです。
そうですね、立派なもんですね。
立派なお地蔵さんですね。
立蔵です、立っていらっしゃるお地蔵様です。
行貴さんという方が作られたそうです。
身代わりお地蔵さんのお話、
屈伝寺というお寺でした。
15:01
素晴らしい地蔵村を拝見した後は、
剣道12号線の本という交差点の近く、
長野川の橋のたもとにやってきました。
お話を西本さんに伺っていきます。
川幅が5、6メートルぐらいの小さな川です。
吉野保がこの川の周りにずっと続いてますね。
5、60メートル下流のほうまで続いている。
なだらかな川ということはできますが、
この橋のたもとですけども、
どういうお話があるんでしょうか。
ここはですね、今から約260年ほど前ですね。
ですから江戸時代のちょうど中頃になりますけれども、
法暦10年、1760年に起こった
ちょっと悲しいお話になるんですけれども、
親子、お母さんと子どもがですね、
この橋を渡ろうとして、
今我々が立っている橋ですね。
この橋を渡ろうとして流されて
亡くなられたというお話になるんですけれども、
当時ですね、ここちょっと離れた上流のところに
せずまるという場所がありまして、
そこにですね、発というお母さん、
貧しい、ゴケさんになるんですけれどもが
いらっしゃったんですね。
おはつさん。
はい、おはつさん。
このおはつさんには3歳になる男の子がいまして、
ある日の夕方その男の子がですね、
すごい高熱を出すんですね。
すぐにでも医者に連れて行きたいところなんですけれども、
このおはつさん、夫に先立たれたばかりで、
たくあいもあまりなくですね、
しかもその夜はですね、すごい嵐だったんですね。
ですからおはつさんも朝まで待てばという思いでですね、
必死の看病を一晩中続けていくんですけれども、
一向に熱は下がることなくですね、
子どもも時折死にそうなうめき声をあげて、
おはつさんはすごく後悔するんですけれども、
とにかく朝まではということで、
祈るような気持ちで看病を続けます。
やがてですね、嵐もおさまってですね、
しらじらと夜が明けてきまして、朝を迎えるんですけれども、
おはつさんはお金のこととか考える余裕もなくですね、
とにかく子どもを医者に見せたいという思いで、
子どもを背負ってですね、家を出るんですね。
当時ですね、この辺りジャイシと呼ばれる地名になるんですけれども、
蛇の石と書いて、ジャイシなんですが、
そこには一軒のお医者さんしかなかったんですね。
お医者さんのところに行くときに、
今我々が立っている橋、今ちょっと橋の名前変わってますが、
当時せずまる橋と、今は犬丸橋という風になってますけれども、
このせずまる橋のところまで来て、はっと立ち止まるんですね。
18:01
昨日からの嵐で、この長野川がすごい濁流を。
せずまる橋という風に聞こえはいいんですけど、
当時は杭を打ってですね、それに板を掛けただけの非常に粗末な橋だったんです。
板の橋。
そうです。
ですから濁流にですね、今にも橋が流されそうになっているんですね。
で、おはつさんそれを見てですね、ちょっと諦めかけるんですけれども、
まあ何せ背負っているお子さんがですね、もう唸っているわけですから。
もうこれは渡らなければということでですね、一歩一歩進めていくんですね。
無理して水の中に入っていく。
そうです。
もうおはつさんの足をですね、川の水がこう洗うかのようにですね、
どんどんどんどん流れていくんですけれども、
ようやく橋の真ん中ぐらいまで来た時にですね、
そこでこう無惨にも濁流に飲まれて流されてしまうということが起こってしまうんですね。
まあ橋の長さといえばここから一番向こうの橋までですね、
30メーターあるいは50メーターあったかもわかりませんね。
そのくらいの橋がここにかかっていたということですね。
で、そのおはつさんとその男の子のご遺体なんですけれども、
この橋からですね、400メートルぐらい下ったところですね。
川流に。
はい。
左の方ですね。
はい。で、そこに打ち上げられるんですね。
はい。
で、その後ですね、特に雨の降る夜なんかはですね、
2つの火の玉がこの川をですね、上ったり下ったりというようなのが目撃されていくんですね。
はい。
ですから村人さんは、もうおはつさん親子が成仏できてないんだということでですね、
盛大に供養をした上でですね、その打ち上げられた場所にですね、
供養の石塔を建てて年頃に弔ったということです。
で、この橋なんですけど、今でこそ立派な橋になってますけれども、
昭和の初め頃まではですね、石造りの橋で、
その前の大正時代は土の橋ですね。
その前は、いわゆる板橋というところで、
特に大正時代ですね、やっぱり風雨が強い日なんですけれども、
楽堂の一人が落ちて流されて亡くなるという事件もあってて、
それ以来かなり犠牲者が多く出ているということでですね、
間の橋と呼ばれていた時代もあったそうです。
この川も少し機嫌が悪いと暴れるという川なんですね。
今は大変穏やかで静かに流れてますけれども、
やっぱり雨が降ったり風が吹いたりすると、
大暴れするという川だったんでしょうね。
21:00
そういう物語、平氏と共に流された母親、流れ天神というお話でした。
この物語に登場した、おはつさんの石像を探しますとありました。
着物を着たおはつさんが子供を背中に背負った1メートルぐらいの石像が、
この橋から4、500メートル下流の川のすぐそばにありました。
「いとしまの伝説」は、
いとしま新聞社発行の海底版「いとしま伝説集」を参考にお送りいたしました。
本は、いとしま地区の書店で販売中です。
そして現在、伊都国歴史博物館の隣のファームパーク伊都国では、
「いとしまの伝説」パネル展も開いています。
来週も、「いとしまの伝説」をお送りいたします。
ご案内は、いとしまふるさとガイドの皆さんでした。
ここで、古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです。
こんばんは。
今日は、宮山市の楽しいイベントをお勧めしたいと思います。
11月25日と26日、土曜日曜に行われます、丸ごと宮山市民まつり。
場所は、宮山市総合市民センター、その名もミヤマックスなんですね。
絶賛準備中の宮山市商工観光課の中島舞子さんと坂田光弘さんに話を聞いてきました。
お二人とも市民まつりと歌っていますが、宮山市民に限らず近くの方、
そして県内多くの方々に遊びに来ていただきたいとおっしゃいます。
さらに坂田さんがこんなふうにおっしゃいました。
宮山市のいいところがぎゅっと集まるようなお祭りなのでですね、
宮山市の魅力っていうのを五感で体感できるような祭りにしたいと思っていますので。
いいですね。
五感ですよ。
例えばステージだとニューヨークで活躍するジャズシンガー、エリカ松尾さんが登場して、
天気良ければ青空の下、宮山の空に歌声が広がるわけですよ。
宮山市ご出身だそうで、宮山市の観光大使もなさっているんですよね。
本気のジャズシンガーも登場するかたわら、お笑いがあったり、ダンスの発表があったり、
あと挨拶の町、宮山なんですが、小学生の挨拶チャンピオン大会。
なかなか気になりますでしょ。
このステージの振興はRKBラジオのパーソナリティが務めますので、
賑わうこと間違いなしなんですよ。
さらに気になるおすすめポイントとして、宮山の秋の味覚が揃うことだと中島さんが言います。
宮山は農業の町でもありますので、そういった宮山の特色を活かしたイベントとなっていますので、
皆さん思い出に残るお祭りにしたいと思っていますので、ぜひいらしてください。
24:05
JA南地区語の農業祭りも同時開催なんですね。
米釣りとか地元野菜のだご汁とか。
米釣り。
いわゆるヨーヨー釣りの米版だと思っていただければいいかと思います。
気になるでしょ。
あと気になると言えば、投票でタカナグルメグランプリを決定ってあるんですね。
タカナおいしいですよね。
これ一体何なんでしょう。
宮山はタカナの産地でもあるんですよ、実は。
美味しいタカナが獲れるところですので、そのタカナを生かしたグルメ、
どうしてもタカナ漬けだけになってしまいがちなのを、
宮山の寮院店組合の方々が志向を凝らして、
美味しいタカナのグルメを作っていただく予定です。
私たちは買って食べてどれが気に入ったか投票するということになっています。
あとね、よそでは絶対ないスペシャルなものがありました。
山川みかん狩りバスツアー。
祭りなのに一緒にするってすごいんですよね。
楽しそうですね。
1日5回やって各回とも20名限定で行われるんですが、ポイントはここなんですね。
当日受付できますので、祭りに来てみかん狩りにもいきなり行けるみたいな。
これ事前じゃないんですか。
事前じゃないです。当日受付予約不可ですので、
囲い込みをしてみなさんをみかんの山に連れて行きます。
気軽でいいですね。
まさにまるごと宮山って感じなんですよね。
1000円で参加できるので早起きしてぜひチャレンジしてほしいと思います。
あと気になっているポイントとしては、伝統工芸品の生地車っていうのが宮山にはあるんですが、
これ木製の郷土玩具なんですね。
806年、殿業大使最長が今の清水寺のある山で道に迷っていたのを、
一羽の生地が道案内したという伝説から作られたおもちゃなんですね。
今作っている人がいなくて継承のための活動をしているところなんです。
この生地車の過去作品を紹介して存在を知ってもらうこと、
そしてもう一つ子どもたちに親しんでもらうため、段ボール素材で製作キットを作ったりして、
こういうのも用意しているんですね。
さらにこんなものも用意されています。
今回九州段ボールさんにお願いして、大きな乗れる生地車っていうのも作ってもらったんですね。
それでイベントとかでこれまで何回か展示してきたんですけど、
実際気軽に乗れて怪我もしないので、子どもたちに大人気で。
揺れるんですよ。揺れるので、
本当に幼稚園生くらいの収穫時のお子さんたちにすごく楽しんでもらっています。
27:06
生地車の大きい段ボールは100キロぐらいまでは耐久性があるので、大人も乗れます。
乗りました。非常に心地よかったですね。
癖になるような体感で。
楽しさいっぱいで、丸ごと宮場過ぎて時間足りないので、詳しいことは宮場市のホームページをご覧になってください。
中島理恵さんでした。
番組のホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くシーズン9のバナーをクリックしてください。
また、ラジオクラウドという無料アプリをダウンロードすれば、スマートフォンやタブレットでもお楽しみいただけます。
この番組は、宮場市の企画協賛、餃子の山八、道の駅村方の提供でお送りいたしました。
ご案内は高田周大でした。
地下鉄祇園駅から徒歩2分、RKBスタービル博多祇園スタジオは、
ポッドキャストなどの音声コンテンツの収録から動画のライブ配信まで、様々なニーズにお答えできるレンタルスタジオです。
お問い合わせご予約は、スタービル博多祇園のホームページからどうぞ。
30:10

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