1. 古代の福岡を歩く
  2. S7 5回目は片岡宏二さんの邪..
S7 5回目は片岡宏二さんの邪馬台国=筑紫平野連合説の話の2回目です。
2021-10-31 30:30

S7 5回目は片岡宏二さんの邪馬台国=筑紫平野連合説の話の2回目です。

前回までの話は魏志倭人伝の方位と方向について、例えば伊都国から奴国は実際は東ですが、、倭人伝には東南と書いてあります。

実は、これは伊都国から奴国へ行く途中通る日向峠の方向を指すもの、つまり、伊都国から奴国へ足を踏み出す方向をさすもの、だという説です。

そして、邪馬台国九州説のポイントなるクニ、不彌国は一体どこなのか、ということに関しては飯塚説、宇美町近辺説といろいろあった中で、片岡さんは筑紫野市の常松遺跡あたりではないか、という説です。

そして投馬国は、朝倉地方の小田・平塚遺跡群あたりではないだろうか、といった説を展開なさっています。
Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:08
古代の福岡を歩くシーズン7 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン7 この番組は
宮城市の企画協賛 餃子のヤマハチ
道の駅室方の提供でお送りいたします 餃子のヤマハチです。国内産の豚肉と野菜を使ったヤマハチの餃子は店舗のほか
インターネットでもお求めいただけます。 餃子のヤマハチで検索してください。
お待ちしておりまーす。
こんにちは、坂田周大です。 いつもは夜10時半からこの番組は始まるのですが、都合により今日だけこの時間からの放送になりました。
前回からお話を山対国論争の新視点の著者で、 小小里市埋蔵文化財調査センター所長の片岡康二さんに伺っています。
津久市平野に山対国連合というのがあったという説です。 前回までの話は、
義士和人伝の方位と方向について、例えば 伊都国から那国は実際は東ですが、和人伝には東南と書いてあります。
実はこれは、伊都国から那国へ行く途中通る日向峠の方向を指すもの、 つまり、伊都国から那国へ足を踏み出す方向を指すものだという説です。
そして、文国は蓄士野市の常松遺跡辺りではないだろうか。 そして、義士和人伝に記載されている文国から東馬国へ至る水口二十日、
東馬国から山対国へ至る水口十日、立候一か月というのは、 実際は書いていなかったのではないかという話までお送りしました。
今日はその続きからです。
03:14
私もそう思うんです。蓄士野の遺跡をずっと点で落としていきますと、 本当に密集して、そこからそこまで行くのに、
現代の距離で言うと、大体長くても10キロです。
短くても3キロぐらいです。 それぐらい重要な遺跡、
やる時代では観光集落と言いますけど、そういうものがずっと点々とあるんですよ。 ですから、そこからそこまでの距離をわざわざ、
まあ一日と書けば一日になるのかもしれませんけど、 書くほどのものもなく、もう接してたんじゃないかなと。
そうですね。
ということで、とりあえず文国から南の方に東武国があると。 片岡さんは、東武国はどの辺だというふうに感じますか?
ほぼ感覚的なものでしかないんですけれども、
私は、文国から、
今は畜生町ですね。あそこから南にすぐ下ると安町ってありますね。 今は畜生町になりますけど、あそこで、
それはすごい観光集落が発見されているんですよ。 ただこれは補助整備と言いましてね、
田んぼの中で高いところを削って、それで低いところに土を持っていくために、もう全体の中ではほんのわずかしか調査されないんですね。
その高いところを削るところだけを調査しますから。 それでもですね、
そこの遺跡、その地点で出てきた溝をずっとつないでみますとね、 どのくらいあるんでしょうね。もう50ヘクタールぐらいにはなるんじゃないかと思うぐらいの、
溝が、
嵌合が、 出てくるんですね。
それと、さらにそれから少し、 東の方に行くと、今度は
天城、朝倉の地域に、 平塚、川沿い遺跡、今、国の指定史跡として残ってますけれども、
あれが実は本体ではなくて、あれは出先でありまして、 あそこに行かれるとわかりますけど、あそこから西の方を見ていただくと、
西に広い大地が広がりますよ。 これは、
織田平塚遺跡群って言うんですけれども、これもですね、
06:03
東にちょっと飛び出たところが、
平塚、川沿い遺跡なんです。 本体はあくまでも、東側にある、
織田平塚遺跡群ですね。 そのあたりの、私は、
今でいう三軍産地、地区大川の南、北側になりますけれども、 そのあたりに東北を
想定してはどうかなというように、個人的には思ってますけど、 何の確証もありません。
まあだいたいその辺じゃないかという感じですね。 文明国が常松遺跡でしたかね、田沢府のね、
あのあたりからずっと南に下ってきて、靖巻に入って、 織田平塚遺跡というのがあって、その辺が中心だったんじゃないかというのが東北ですね。
で、その南に山大国があったんですか? 山大国はどこにあったのかとよく聞かれるんですね。
結局、私の方を読んでも山大国はどこかわからないんじゃないかということで、
ずいぶんお叱りを受けるんですけど、私もしっかり書いてるつもりなんです。 私のにはわかりませんというふうに書いてるつもりなんですけど。
というのはですね、あの、 津久市平野の中にはですね、
小さくもないですね、イメージとして、吉野原遺跡を見ていただくといいでしょうけど、 ああいうような遺跡というのが点々とあるんですよ。
吉野原遺跡も板塚川沿い遺跡も国指定遺跡になってますけどね、 この遺跡は両方とも工業団地を作るために発掘したわけです。
ということは全部を、 木を切って土を剥いで、
そして その下にある遺跡を出したんですね。
そうすると、あれだけの大観光集落があったというのがわかります。
津久市平野は、あのクラスと言いますか、吉野原は少し大きいのかもしれませんけれども、
そういう遺跡群というのは点々とあるんですけども、実はわかってないところが多いんですね。
でもそれでも先ほど補助整備のお話をしましたように、ここに道路ができるから、ここに新幹線が通るからということで調査をすると、その大きな遺跡の片鱗が出てきているわけですね。
そういう津久市平野にいくつもある遺跡があって、この遺跡の中から、さあどれが大和大国かというのを言うのは私でも無理だと言っています。
09:00
大体、下ってきて最後の南の方を一体に大和大国らしきものがあったんじゃないかということでいいんですか?
いや、津久市平野の中のどこかということでいいんじゃないかなと思っているんですけども、そうですね。
私は大和大国というのは、大きな遺跡があったり重要なものが出てきたからそこが大和大国だって言えないと思っているんですよ。
これはですね、
秘密がどうして
みんなの国から強立されたのか、そういうことにもつながってくるんですけどね。
必ずしも、大きな遺跡を、大きな権力をですね、
ある特定の集落、あるいは特定の個人が持つことというのをですね、
嫌ったんではないかと、ザクな言い方をすると、そう思っているんです。
結局、一つの地域、津久市平野という地域の中にですね、
もうどこも歯向かうことのできない大きな集団、大きな遺跡ができて、そこで何もかも
経済的なものも何もかも揃う、権力もそこの市長が持っている。 これ実はまさに
近畿の巻き剥く遺跡なんです。 ところが、
ギシワ神殿には、そんな国書いてないんですよ。
なぜなら、およそ
1世紀の半ばぐらい、160年代ぐらいでしょうけれども、
ワンの国が乱れたと。 戦乱が起こったんだと。
戦乱が起こって、男の王がいたけどもう治めきれなかったと。 じゃあどうしたかというと、みんなが話し合って
一女子を立てているわけです。 その一女子というのは
卑弥呼なんですけど。 おそらく卑弥呼は
もしギシワ神殿の記述が正しければ、その後何十年間にわたって山田彦を率いているわけですね。
そうするとかなり年若い 女性だった可能性がある。
実際 卑弥呼が死んだ後、また男の王が立つんですが、
ここでも同じようにうまくまとまらなかった。 それでどうしたかというと、年13の
若いトヨという娘が、まぁ娘かという言い方したら変ですけど、
12:04
その女性が 王として立てられるわけです。
はい。 普通に考えてですね
年の10いくつの女性が
そんなにリーダーシップを持っていると思われます? ないですね。ないですよね普通は。
やっぱりそういうふうにしてみんなで支え合うという街を選んだんだと思うんですよ。
ということは
遺跡の方から見たら
そんな特別大きな
遺跡はなくて、そして特別な権力を持った人物が出てきたということは
なかったのではないだろうかというふうに私は思っている。
古代の福岡を歩くお話を山田彦国論争の新視点の著者で、小郷市埋蔵文化財調査センター所長の片岡浩二さんに伺っています。
続けます。
あのー、片岡さんがおっしゃっている蓄支兵足浦区ネットワークというのがありますよね。
これについてお話をいただけますか?
そうですね、普通ですね
集落っていうのは弥生時代に農耕集落として生まれるんですけれども
どんどんどんどん発展していって国に広大きくなっていくというこれが一般的な考えですね
あの私はねどちらかというと
ちょっともう少し違った見方してるんですよ
つまり
その
ある集落が
農業生産と言いますか生産力が高くて人口も多くなったそして周りの集落を
取り込んでいく
時には
搾取したり略奪したり、戦争したりして大きくなっていったっていうような考え方がされるわけですけど
私はねどちらかというと、そういう中間的に大きな集落と大きな集落にあえる中間の集落っていうのは
どっちにつくのか自分たちが主体的に決めてるんじゃないかと思ってるんですよ
その別に侵略されたりするわけではなくてどっちとどっちの味方になるかというかどっちの
経済関係を深めるか
いうようなことでだんだんその経済圏というのに入っていく
15:02
その結果としてそこが大きく大きくなるというか集落になるわけですけど
ところがですね集落と集落先ほど集落の集落の間っていうのはだいたい長くても10キロですね
短くても3キロですねって言いましたけどだいたい平均して5キロから7キロぐらいになるんでしょうね
なんでそういうふうに網の目のように綺麗にネットワークになっているかというと
例えば10キロ離れている集落があると中間にある5キロのところにある集落っていうのはこれは不便ですよ
どっちに行くにもそうするとどうするかというとじゃあこのあたりに
もう一つ拠点的な集落を作っちゃって できたらいいねと
そういうことでそこに集落が できてそしてそれがまたきちっとあの大きくなっていく
そういう繋がりがちゃんとできることによってほとんど遠距離の集落が本当に網の目のように綺麗に配置される
これがネットワークじゃないかなと思っている ということはですね
畜生屋というところ全体の遺跡全体から見ると
その
まあ 一つの大きな権力を持った山大国という国が例えばあってそれが全体を支配すると
いうのではなくてそういうネットワークでつながってたその国々がお互い相互扶助的に
助け合いながら物資が足りなければ物資を供給するというようなそういう まああの
えっ ネットワークを組み合いながらやっていく
でその中で そのちょっと国が乱れた時さあだけどこれはリーダーを立ててそのリーダーで
緩やかなリーダーの権力によってこの地域をまとめていくということを話し合いながら まとめていかなきゃいけないんじゃないかというようなことを考えたのが
そのまあ実は畜生やネットワークの あの根本ではないかなと思います
片岡さんがあの三山市の米山 遺跡で
これはネットワークに関するまあ集落じゃないかというはい方は知っていらっしゃるんですよね あれはどういうふうに見ていらっしゃるんですか
あの 畜生屋の中には
その 三山市の三船山遺跡のようなその上からですね
その下の大きな遺跡を見下ろすそして見下ろすというのは別にこう監視するわけでもなく 何かことがあれば伝えたりするわけですけどその
18:07
三山市の 三船山遺跡というのは単にその下にあるこれはの大和遺跡群という大きな遺跡があるんですけど
のこのためにあるのではなくて 遠くあそこに立ってみるとわかりますけど遠く吉野狩りの方も見えますしねあり
厄介の向こう側まで見えるんですよ そうすると
何かことがあるあり厄介だけじゃなくて まあ甲羅さんの方も見えますねで甲羅さんのに入れまた今度は浮き葉の方も
つながっていくわけですね
畜生屋全体を 先ほどの畜生屋のネットワーク群が
自分とこの集落だけのためではなくてその地域全体を守るために 点々とそういうネットワーク
見張り群そうですねそして呪しを上げて何かことがあれば 畜生屋全体が連絡し合うと
だから完全にねその 山と遺跡群が御船山遺跡をまあおそらく管轄はしてるんでしょうけれどもそれだけじゃ
なくて
まあこれと同じような遺跡で 雨朝倉市になりますけれども西の佐古遺跡という遺跡があります
これはあの九州横断自動車道を調査しているときに発掘された遺跡なんですよ本当に 山の上にありますよ
もうこれよくこんなところで偶然見つかったなと思うようなところに行って そこはですね
中には 看護で囲まれているんです
で看護で囲まれているけれども中には家が3件しかないんですよ 3件ポッチの家であんな高い看護を掘れるかって言ったら掘れる
はずがないんです じゃあなぜそれを作ったかというとそれはふもどの村とかが協力して
あそこの見張りはというのは大事だと 畜生や全体にとっても俺たちにとっても大事だとだから行って看護を掘って見張り場を
作ってあろうというような発想であったんだろうと で
で 残念ながらあの
三船山遺跡ですね 三山市の三船山遺跡は看護があったかどうかわからない
残念ながらわからないんですけれども そんなに高い山ではないですよね
低いところにありますよね そうですね あのでもこう
ちょうど今グランドがありましたね 出っ張ってますからね
非常に見やすい 立地の良いところにあると
21:03
三船山っていうくらいだから船でも見張ってたという そういう意味でもあったのかもしれないですね
まあそういうところを 見張りの山みたいにして
集落ごとにこう 管轄していると言うそうですねそして連絡とっている
はい
そういうなんて言いますか あのネットワークで結ばれたところが
山大国連合国と言いますかそういうものじゃないかということですかね そうですね
だからその中のどこが山大国かっていうことはちょっと私にはわからないけれども あのそういう連合体制があってその中の一つの国が
日見子が出てきた山大国だというふうに私は思っているんですね
お話を 山大国論争の新視点の著者で
小郷市埋蔵文化財調査センター所長の片岡康二さんに伺いました この続きは来週お送りいたします
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島梨恵さんです こんにちは
さあ今片岡さんの話を聞いた場所なんですが
小郷市にある平竹住宅という江戸時代の末期から昭和初めまでの建物立派なお屋敷が並んでいる場所なんですね
でこの中を見てて乱魔の飾りが面白くって案内していただいた npo 法人文化財保存工学研究室の宮原ゆき子さんと面白いねーと見てたんですが
例えばこう身の傘をつけて歩く人だとか その横でどう見てもこれ
ほかけ船っぽく見えますよねなんていう図柄があったりするんですがんまにそうなんです 船と思ってたら宮原さんがこんな風におっしゃいました
ここからちょっと行ったところにあの法満川があるんですけど昔川港があったらしくて なので商品を船で運んでた時代もあったみたいです
ああ 海沿いではないけど川沿い川の船があった
実はこの法満川までだいたいそうですねひるたけ住宅から歩いて25分ぐらいなんですよね 行ってみました実はこの法満川を挟んで両岸に七夕伝説があるんですよ
織姫と彦星を祀っている神社がそれぞれあるんですが一つは七夕神社 正しくは姫子祖神社
愛媛県の姫に親城と書いて姫子祖神社という名前なんですね 七夕神社が正式な名前だと思ってました
24:01
で実はまあこれもちろん七夕伝説も残ってるんですが 書いてある案内を読むと荒ぶる神この地域にた荒ぶる神を沈めるために
宗方の風子という人に祭祀をやってもらってその結果この神社の場所は決まった 親でしょ
なぜ宗方との繋がりと思いながらふーんと思って法満川を渡ってさらに歩くこと25分 今度は川岸反対側にあります
追松神社というところに行きましたここがいわゆる研究者があるんですが 大正時代に行使されて研究者が今この追松神社にあるんですね
この追松神社が 神宮皇后の伝説の地なんですよ
八郎熊橋を倒した後さあこの後は田ぶらつ姫を倒しに行こうと 都から船に乗って着いた場所がここですって神社の説明に書いてあった
なるほどもうね2030に面白くって大通りはたまらないって言う場所なんですよね だいてこれ歩いていくと平竹それから七夕神社
追松神社それぞれ25分から30分ぐらいの三角形で結べるんですが 歩くとお腹が減ります
グルメですか なのでまあ今日の起点となりました西鉄大通駅に戻ってきたんですがここに
なかなか可愛いお店がありまして八百屋さんが営む フルーツサンドデザートそしてサラダのお店なんですよ
今流行ってますからねフルーツサンド 断面が綺麗切った面が可愛くこうイチゴだったりみかんだったり出てるんですがここも
ですねそれ並んでましたもう本当にねお菓子屋さんっていうビジュアルなんですがよくよく 見るとちゃんと野菜も果物もずらっと奥に並んでるんですね
でこのやったのサラダパスタって言ったのドリンクのような透明のカップの中に パスタとサラダが入っててドレッシングかけてシャーシャーシャーして食べてくださいっていう
いいですね野菜はね新鮮でしょきっとあんまりにお金の話あれなんですけどこれで298円 っていうぐらいの激安なのでですねもうびっくりの美味しさだったんですがそのフルーツ
サンドいろいろ並ぶ中ですっごいものがありました お芋さんがサンドされてたんです
をでなどどういうもう巨大な芋はこれどういう状態なんですか断面 芋を縦半分に切ってそのまま挟んでる勢いなんですよね
なんでこんなものをと思ったら ザックベジタブルのたティッシュお子さんが笑いながら話してくれました
それは多分他のフルーツサンド屋さんとかではなかなか磨けない商品だと思います あれですねもともと冷やし焼き芋っていう普通の単品の商品があるんですけど
それが結構人気であとダイエットにも良くって あの芋を冷やすことによってだからそれをクリームにサンドすることによって
なんか芋のちゃんと甘みもあるけどホイップが甘すぎないので重たすぎず なんかしっかり
27:05
ご飯としてというも食べれるようなどうでした味 ご飯として元今のキーワードでしたね
かなりの満腹度合いです 半分食べてはぁ
でもね芋好きにはたまらないそして冷やし焼き芋 がそんなに人気なのかっていうのをここで知ることができました
あの季節のものを取り入れていろんな展開をしていくので美味しいサラダもたくさん並びます ぜひ腹ごしらえにザックベジタブル頼っていただきたいと思います
中島リアさんでした 番組からのお知らせですホームページのご案内です
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます rkb ラジオのホームページの古代の福岡を歩く
シーズン7のバナーをクリックしてください またラジオクラウドという無料アプリをダウンロードすれば
スマートフォンやタブレットでもお楽しみいただけます この番組は三山市の企画共産
道の駅室方 餃子の山鉢の提供でお送りいたしました
ご案内は高田周大でした 来週はいつもの時間夜10時半からの放送ですお楽しみに
第ラジオ番組何にもないそんな時間はポッドキャストで過ごしませんか rkb では毎週40本以上のポッドキャスト番組を配信しています
あなたのお気に入りの声にきっと出会えるはず ラジコポツファイアップルポッドキャスト
amazon ミュージック youtube ミュージックで rkb と検索してフォローしてくださいrkb オンラインのポッドキャストまとめサイトもチェック
30:30

コメント

スクロール