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2024-11-19 07:28

2024年国際男性デーに寄せて 著者・河野真太郎さんによる『新しい声を聞くぼくたち』一部朗読

11月19日は国際男性デーです。

男性性の考察と「僕たちの生き方」の新たな道を開く画期的論考『新しい声を聞くぼくたち』の著者・河野真太郎さんに書籍の一部を朗読していただきました。

サマリー

国際男性デーを機に、男性自身の幸福やジェンダー平等についての理解を深める重要性が強調されています。河野真太郎さんの著書『新しい声を聞くぼくたち』を通じて、男性性の複雑さや新しい視点を取り入れる意義が語られています。

国際男性デーの意義
皆さん、こんばんは。余白者の小林えみです。私は普段、フェミニストとして、主に女性のジェンダーのことに関して発言することが多いのですが、
11月19日は国際男性デー、男性の心身の健康と幸福、ジェンダー平等を促す日として定められた日に関して、男性にもジェンダーのことを考えてもらいたいなと思って、
今回、河野真太郎さんのご協力を得て、この音声を配信しております。
河野真太郎さんとは、『新しい声を聞くぼくたち』という本を、2022年に講談社から勧告するお手伝いをさせていただきました。
こちらの本は、男性はどう生きるべきかを読み解く文芸批評になっている本です。
河野さん、この本を出されて、今年も2年経って国際男性デーを迎えるわけですが、何かこの日に関して思うことがありましたら、一言お願いします。
ありがとうございます。皆さんこんにちは。河野真太郎と申します。
国際男性デーということで、男性と男の子の健康に注目し、性の関係を改善し、性の平等を促すような男性のロールモデルに光を当てていこうというような趣旨がよく言われているところですけれども、
やはりこのジェンダー規範というものがあって、ある種の男らしさというものに我々が従っていなくてはならない。
そういうところから自由になっていきましょう。そういうものから解放されていきましょうということが、すごく大きな目的としてあるのかなと思います。
私の新しい声を聞く僕たちという本では、もちろん最近よく有害な男性性みたいなふうに言われる、そういった男性性からいろんな男性が自由になったり離れたりということがとても重要だというつもりで書いてるんですけれども、
そういったところで、例えば今日国際男性デーでこういう男性になりましょうと、こういうふうに解放された男性になりましょうみたいなものを、ひょっとすると逆に息苦しく感じている男性もいるのかなという気もします。
ある規範が駄目なら、別のその規範的な男性性になりましょうというようなことですよね。それが息苦しいというような向きもあるのかなという気がします。
その辺も私の本では視野に入れつつ、そういうものが息苦しい男性はじゃあどうすればいいのかということですね。
そういうことも視野に入れつつ書いたつもりで、いろんな意味でできるだけ多くの男性がこの男性性の規範から自由になっていくと。
それはもちろん男性自身の幸福福祉のためにもなるんですけれども、それが女性も含めたあらゆる人のジェンダー平等と幸せですよね。
これにつながっていくような日になっていくのが最高かなというふうに思いますし、そういうつもりで私の本も書いたところですので、読んでいただけるととても嬉しいと思います。
小野さんありがとうございます。この本にいろいろなロールモデルに対する意表も投げかけられていますし、いろんな作品を取り上げていますので、それらをまた見ていただくだけでもいろいろそれぞれの生活、生き方に関して思うところが出てくるのではないでしょうか。
新しい声を聞く
では今回はこの国際男性デーを記念してと言いますか、改めて新しい声を僕たちを知っていただきたく、小野さんにその一部を朗読していただきたいと思います。小野さんよろしくお願いいたします。
男性性をテーマにすることとはまさにマジョリティ性をテーマにすることに他なりません。
というと出てくるであろう反応は、いや自分は男性かもしれないが、そのようなマジョリティではないというものでしょう。
自分だって様々な苦しみを抱えているんだと、あえて断言するならその反応はまずは正しいと思います。
男性というカテゴリーには様々に階級障害などの他のカテゴリーが横断的に交差しており、それを丁寧に見ていくことは絶対的に必要です。
マジョリティ男性であろうともあらゆる存在は複雑です。その複雑さをまっすぐに見つめることは必要です。
ですがそれは難しい。男性性の複雑さをまっすぐに見つめるなどといえば途端に様々な反応が付随してくるからです。
複雑だといって男性のマジョリティ性をごまかそうというのか、という反応もそうですし、
実際男性自身が自分の部分的なマイノリティ性に逃げ込んで、場合によっては他のマイノリティの主張を抑圧しにかかるということもあるわけです。
きっとそのような様々な反応でさえも男性性の複雑さの一部なのでしょう。
私は本書でそのようなものも含めた複雑さを見つめる努力をしたつもりです。
それは本書のタイトル、新しい声を聞く僕たちが実は抱え持っている複雑さに直接つながっています。
このタイトルは僕たち、すなわち複数の男性からなる均質的な集団がいて、
外からやってくる新しい声、すなわちフェミニズムの声に耳を傾けるということに留まるものではありません。
それが求められていることは確かです。
現在ジェンダーやフェミニズムの問題とされていることのほとんどは実は男性問題であり、
新たなフェミニズムが波となっている現在、男性たちはその新しい声に耳を傾け、
自分の問題としてそれに取り組むことは絶対に必要です。
ですがそのような男性主体は一つのもの、均質的なものではありえません。
男性たちを分断させる複雑な線が走っており、
それが何なのかを安易な解消を拒みながら慎重に見ていく必要があるでしょう。
ですから僕たちというのは最初から与えられた均質的な集団の名前ではないのです。
それに伴って新しい声も複雑なものになります。
それは男性の他者としてのフェミニズムの単一の声ではありません。
この声は複数形なのです。
フェミニズムが複数形であるというだけではなく、
その複数の声の中には何よりも今述べた通り複雑に分断された男性たち自身の声も含まれるでしょう。
その声の中にはフェミニズムに応答しようとする声だけではなく、
それに反発する怒りに満ちた声も含まれるかもしれません。
また社会としか呼びようのないものからやってくる何者のものでもない非認証的な声もあるでしょう。
男性問題の解決はそのような声に耳を塞いで聞こえないふりをすることからは生まれないと信じています。
07:28

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