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岐阜新聞ポッドキャスト▼ききかぢ、報道部山田俊介です。
日曜日の配信は、岐阜新聞の社員が一人でも語りたいことを語りたいだけ語る、日曜ひとり語りをお送りします。
さて前回はドラマ、銀河の一票についてお話ししましたが、
地方紙の記者として、社会福祉士として、 あと宮沢賢治が好きな一人として、
これはもう極上の福祉ドラマだぞと、 厚めに語らせていただきましたが、
若干ねちょっと熱くなりすぎたところもあったかもしれないんですけど、 まあでもね本当にねいいドラマなんですよ。
明日あの最終回ということなんで、 まあ全部終わったところでまたね、あのどっかで喋りたいなぁなんて思ってはいるんですが、
そんな中でX見てたらですね、こんなポストをね、いくつか見かけたんですよね。
銀河の一票と、映画のあの最近公開が始まった、急に具合が悪くなる、似てるっていうポストをね、結構見かけまして、
まあ題材は違うんですよ。銀河の一票は選挙をテーマにしたドラマで、
急に具合が悪くなるは介護ですとかね、いわゆるケアを描いた映画でして、
でもまあなんか似てるなと言われているので、なんかこうちょっと気になっちゃってですね、
似てるって言われると、どの辺がっていうのをね、ちょっと確かめたくもなりまして、
それでまあこの間、カラフルタウンの東宝シネマズで見てきたんですけど、確かにね、似てるなと思ったんですよね。
なので、今日はなんで似てるなと思ったのか、その辺りの理由を示しながら、
急に具合が悪くなるについて話をしていきたいなと思います。
でね、最初にお伝えしておこうと思いますが、今回はネタバレなしでいこうと思います。
この映画ね、できれば予備知識をあんまり入れすぎずに見てもらいたい作品だなと思ったんですよね。
なので、今回はこういう場面がありますとか、最後はこうなりますというような話はしませんで、
こんな視点で見ると、この映画より面白くなるかもしれませんというか、
そんな私なりのガイド的なお話をしたいなと思っています。
これから映画館に行こうかなと思っている方も、なので安心して最後まで聞いていただければ嬉しいなと思います。
逆に、もう見たよという方は、自分はそこが印象に残ったなとか、
あ、そういう見方をしたんだなとかね、そんな風にして一緒に振り返る時間になればなと思います。
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簡単に映画についてご紹介しますと、急に具合が悪くなるは浜口龍介さん、浜口龍介監督の作品です。
ドライブマイカーとかでね、ご存知の方も多いかもしれません。
原作は哲学者の宮野真希子さんと人類学者の磯野真帆さんによる往復書館が原作になっているんですね。
ただそれをそのまま映画化したというわけではなくて、舞台をフランス、パリに移しています。
介護施設でマネージャー的な仕事をしているフランス人のマリー・ルーと、
病を抱えながら創作活動を続ける日本人のマリーが出会って対話を重ねていく物語です。
この2人のマリーが出会うというところもね、銀河のピューの主人公もマリーと書いて祭りですから、
そのあたりもね、なんとなく共通点を感じるところなのかなと思ったりもいたします。
でね、見終わった後に私の中に残ったのは、人と向き合うってどういうことなんだろうっていう問いなんですよね。
病気のある人、介護する人、認知症の人。
私たちって相手を説明するときに、どうしても肩書きだとか属性だとか、
この間もそういう話しましたけど、ラベルを使って説明をすると思うんですけど、
それは必要なことでもあるんですけど、
ただその人って本当にその一言、ラベルだけで語れる存在なんだろうかっていうことなんですよね。
この映画ってそういうことを問いかけてくる作品だなというのをなんとなく思ったんですよね。
で、私がその銀河のピューと似ているなというふうに感じた理由も実はそのあたりにあって、
偶然出会った人と人が少しずつ影響を与えあって、
その変化が2人の中だけでは終わらなくって、
2人の周りに少しずつ広がっていく。
銀河の一票の魅力もそういうところにあるなというふうに思ってたんですけど、
この映画もその辺が同じだなと思ったんですよね。
要するにその人と人がつながることの希望が描かれていると。
で、その希望を支えているのって全然派手な出来事とかではなくって、
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むしろ地味というか、誰かの言葉だったりとか、誰かの眼差しだったりとか、
あるいはまたその誰かを理解しようとする姿勢だったりとか、
本当に小さな積み重ねなんだよなということなんですよね。
その辺の描き方が銀河の一票とどこか通じているように思ったんですよね。
急に具合が悪くなるには、結構その医療とか福祉の専門的な言葉っていうのがちょくちょく出てきまして、
例えばユマニチュードという言葉が出てきますよ。
ユマニチュード。聞いたことありますかね。
私この言葉を聞いた瞬間、映画館を出てまずやることは、
社会福祉士の教科書を読み返すことだなと思いましたね。
あれ?と思って、これ習ったっけなと思って。
っていうのがちょっと恥ずかしながら、正直なところだったんですけど、
この映画を見ていると、別にその言葉がわからなくても、
大体意味は理解できるんでしょうけど、
ただやっぱりちょっと不安になりますよね。
ガッツリ習ってたんだとしたら、完全にもう忘れちゃってるじゃんっていう。
あれ?と思って。
どっかで触れてるはずなんやけどなーっていうのは思って。
なので映画を見終わって家に帰るなり、私本棚の前に直行してますね。
社会福祉士の養成課程って20科目ぐらいから構成されてて、
高齢者福祉だとか、障害者福祉だとか、貧困に対する支援とかね、
刑事司法と福祉とか、その科目ごとに教科書があって、
いっぱい教科書を読むんですよ。
その教科書を読み返してみたんですけど、ちょっとほっとしました。
あんまり触れられてない。
さらっと触れてたのが、例えばソーシャルワークの理論と方法っていうね、
これ共通科目と言われていて、社会福祉士のほうでも学ぶし、
精神保険福祉士って、ちょっと精神障害だとか精神疾患に特化したお仕事のほうでも学ぶ。
共通の科目、そういう重なってる科目がいくつかあるんですけど、
そういううちのひとつで、ほんとにさらっと今に中途、触れられていました。
そうなるとたぶんこっちなんだろうなと思って、介護福祉士の教科書。
図書館行って借りてきたんですよ。
そしたらこっちはね、結構がっつり触れてて、
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同じ介護福祉士養成講座の教科書で、認知症の理解っていう科目の教科書があるんですけど、
その教科書の中では、そこそこページ数を割いて紹介してるんですけど、
どう書いてあったかというと、
イマニチュードとは、人間らしさを取り戻すという意味を持つフランス語の造語だと。
合わせて紹介されているのが、介護の4つの柱なんですね。
4つの柱、何かというと、
その4つの柱というのは、見る、話す、触れる、立つという4つなんだと。
で、その柱何のために立っているかというと、
それはあなたを大切に思ってますよということを、相手にわかるように伝えるための技術なんだ。
そんなようなことが書いてあったんですね。
私この教科書の一文読んだ瞬間に、
この映画ってこれを描いてるんじゃないかなと思ったんですよね。
若干ネタバレになってしまうかもしれないんですけど、
要はこのイマニチュードを実践するかどうかっていうので、
マリー・ルーの職場に分断が生まれてしまうんですよね。
そんなようなことが映画の最初の方で描かれるんですけど、
この一文を知っていると、
登場人物たちが何でイマニチュードにこだわるのか、
逆に何でそれを取り入れるのが難しいのかというのが、よりわかるなという感じがしましたね。
あともう一つね。介護福祉士の教科書を読んどって、
印象に残った言葉がもう一つあって、
それが、その人の能力を奪わないという考え方なんですね。
介護って言っても何でもやってあげるみたいなイメージもしかしたらあるかもしれないんですけど、
そうじゃなくて、できることはやってもらおうよと。
残存能力を生かそうみたいなことですよね。
私これを読んで、社会福祉士の勉強で学んだ、
ストレングスモデルっていう言葉があるんですけど、
それを思い出したんですよね。
ストレングスっていうのは強みっていう意味じゃないですか。
私たちって人を見るときにね、
ついつい何ができないんだろうとか、なんでできないんだろうとか、
そういうところに目が向きがちだなと思うんですけど、
でも福祉って全般考え方として、
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そういうマイナスのことをなるべくしないように設計されてるところがあるなと思ったんですよね。
逆に何ができるんだろうとか、どんな力を持ってるんだろうとか、
そういう見方を大切にしてるんですよね。
介護福祉士の教科書にあった能力を奪わないっていう考え方も、
社会福祉士が学ぶ強みに目を向けるっていう考え方も、
結局向いている方角は同じなんだなと思うんですよ。
誰か対象、その人をできない人っていうふうに見るんじゃなくて、
その人らしさを見る。
その人が持っている力を見るっていうことですね。
この言葉自体は映画には出てこなかったと思うんですけど、
出てきたのかな?ちょっと見つけられなかったんですけど、
やっていること、多分これだなと思ったのがもう一つ言葉としてあって、
それがバリデーションっていう言葉なんですね。
こっちは社会福祉士の養成課程でも結構触れてると思うんですけど、
バリデーション。
簡単に言えば、相手が感じている世界を尊重するという考え方なんですね。
例えば、認知症の方がいるとしますね。
その方が、お母さんが迎えに来るみたいなことを話したとしますよね。
その時に、あれ、お母さんはもう亡くなられてますよ、みたいな。
本当のこと、事実を伝えても、
その人の不安だとか寂しさみたいなものがなくなるわけではないんですよね。
なので、そうじゃなくって、
その言葉の受け止めとしては、
あ、お母さんに会いたいんですね、だとか、
どんなお母さんだったんですか、とか、
そんな風にして、その人が今感じている世界を受け止めようとする、
それがバリデーションって言われている技法の一つなんですね。
教科書には、それを実践するための14の技法なんていうのも紹介されてたりなんかするんですけど、
全部これ紹介していくと、それだけで1本番組できてしまいますんで、
今日は、例えばっていうのをいくつかあげようと思うんですけど、
真心を込めて視線を合わせるとかね。
これ映画にも出てくるんですけど、
この視線を合わせるっていうことに結構こだわってるシーンが出てきたりするんですよ。
あと相手の動きとか感情を観察、よく観察して、
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そこに合わせていく、ミラーリングなんて言われたりしますけどね。
あと穏やかな声で話すとかね。
いろいろあるんですよ。
で、これってどれも特別な技術っていうよりも、
人と人が向き合う姿勢みたいなものなんですよね。
なんというか、この映画にはそういう姿勢というか、
空気というか、そういうものが作品全体に流れてるなというふうに感じたんですよね。
映画の中ではとにかく対話なんですよ。
対話対話対話。対話劇なんですね。
そんな中でも特に印象的な対話をしているシーンっていうのがあって、
まあでもね、今回ネタバレ厳禁、あんまりネタバレしない方向でということで、
今回は詳しくは話しません。
ぜひ劇場で受け止めていただきたいですし、
たぶんね、これ見る人によって、
この一番好きな対話がどこかっていうのがね、結構分かれるような気がするんですよね。
ただごめんなさい、一つだけ挙げると、
マリがマリールーに問いかけるシーンがあるんですけど、
この今自分たちが戦っているものの正体を突き詰めてみないっていうふうにね、
いろんな考えを膨らませながらホワイトボードにどんどん図とともに考えを書き入れていくみたいなシーンがありまして、
このシーン見たときに、
もういよいよこの映画って介護だけを描いている作品ではないんだなっていうのを感じたんですよね。
なんかもっと、より大きなものを見ようとしている。
そんな気がしたんですよね。
自戒を込めて言うんですけど、
人ってこう、なんかこううまくいかんことがあると、
ついつい目の前の相手に原因を求めてまうっていうところがあるじゃないですか。
あの人が分かってくれればとか、
あの人が変わればいいんだとか、
あの人が理解が足りなさすぎるとかね。
要するに多析思考ってやつですよね。
でも本当にそうなのかってことですよね。
本当に戦っている相手は目の前の人なのかと。
そうじゃなくて、もっと大きな、個人だけではどうにもならん構造の問題。
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これがあるんじゃないかと。
そんな問いをこの映画投げかけているように感じたんですよね。
社会福祉士って目の前の人だけを見ないんですよね。
もちろん一生懸命話聞くんです。
でもその人だけじゃなくて、その人を取り巻く環境も見るんですね。
制度も見ますし、その人が置かれている地域も見ますし、
いわゆるソーシャルワークでは、人と環境の相互作用という考え方を学ぶんですけど、
要するにその人が抱えている困りごとって、その人だけに原因があるんじゃなくて、
その人を取り巻く環境との関係の中で生まれていることもあるんじゃないかということですね。
だからその人だけじゃなくて、その人の置かれている環境、構造を見るんだということで、
この映画見ながらそういう考え方についてちょっと思い出したりなんかもしたんですよね。
あとこんなのも出てきましたね。
バザーリア法についても紹介されてますね。
バザーリア法。
バザーリアカタカナ法律の法。
初めて耳にする方っていうのも少なくないと思うんですけど、
何かと言いますと、精神医療に関係するイタリアの法律で成立が1978年。
イタリアの精神科医のフランコ・バザーリアっていう人がいるんですけど、
その人が勧めた医療改革で、
それまでって精神障害のある方っていうのは、
長い期間病院で暮らすことが当たり前っていうふうにされてきてたと。
でもバザーリアは精神障害があっても、
一人の市民として地域で生きる権利があるっていうふうに訴えるわけなんですね。
結果その考え方がイタリアの精神医療っていうのを大きく変えていって、
今イタリアには単価の精神科病院ってないんですよね。
総合病院とかには病床自体はあるみたいなんですけど、
その法律ができて、
新しく単価の精神科病院に新規患者を受け入れていくっていうのはやめましょうみたいなふうになって、
どんどんその単価の精神科病院の数を減らしていったっていう歴史があって、
あるシーンでそういうところに触れていたりなんかするんですけど、
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日本でも近年はいわゆる社会的入院って言われますけど、
そういうところを解消してこうだとか、
地域での生活に移行する、定着するためのサポートをしようですとか、
精神障害にも対応した地域包括ケアシステムだとかね、
精神障害のある人を地域全体で支えていこうっていう、
そういう方向へ、少しずつですけど進んできているという流れにはなりつつあると。
そんな話がこの映画のあるシーンで象徴的に語られるんですけど、
なのでケアっていうのはいわゆる専門職だけが担うものなんだろうかと。
施設の中だけで完結させてしまっていいものなんだろうかっていうことですよね。
地域にはもっとできることがあるんじゃないかっていうね、
そんな問いを投げかけているんですよね。
ここでも思い出されるのは前回お話しした銀河の一票のことなんですよね。
あのドラマも誰か一人のヒーローが社会を変えるみたいな話じゃないじゃないですか。
誰かと誰かが出会って対話を重ねて少しずつ周りが変わっていく。
急に具合が悪くなる、そんな映画に見えたんですよね。
なのでこれは介護とか認知症ケアだとかを描いた映画ではあるんですけど、
ただそれだけではなくて、社会の構造を見つめる映画でもあるなというふうに思ったんですよね。
そんな問いから考えていった先にあるのって、
社会がどうだとか、そういう大きな話だけじゃなくて、
もっと身近なところなのかなと思ったんですよね。
それがね、相手のことをどんな線引きで見てるんだろうっていう、
自分自身への問いとしても捉えたりなんかしたんですよね。
映画見終わって最後に自分の中に残ったのって結構シンプルな問いで、
私は一人の人を一人の人として見ることができてるんかなっていうことなんですよね。
先ほどお伝えした精神科医バザーリアの言葉で、
映画の中でも出てくる印象的な言葉があるんですけど、
それが、近づいてみれば誰もまともな者はいないっていう言葉なんですね。
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私ね、この言葉を聞いたとき、
まともな人とまともではない人という線引きそのものを問い直しているように感じたんですよね。
そういうことを考えたら、私たちが日頃何気なく使っている言葉のことも思い浮かんだわけですよ。
患者とか高齢者、障害のある人、もっと言うと若者とか中堅とかベテランとか、
そういうこともね、どこかとどこかの間に線を引く言葉っていうのを結構安易に使っちゃってるなっていうふうに思ったんですよね。
繰り返しになりますけど、やっぱりこういう言葉も確かに必要は必要なんですよね。
例えば新聞記事書くときも、相手に伝えるためには必要な言葉なんですよ。
どんな人なのかっていう伝えるための言葉ではある。
けど、その言葉だけでその人をわかった気になってしまうことってないだろうかなというふうに思ったんですよね。
結構そんなわけで、この映画を見てから自分自身のこともちょっと変えりみたりなんかしたんですけど、
最近ね、職場でよくあれですよ、世代間ギャップの話とかになるんですよね。
やっぱり最近の若い子はさ、みたいなことをよく耳にするわけですよ。
どうですかね、そんな会話の皆さんの職場でもありませんか。
でもね、この映画を見てちょっと思ったんですよね。
若い子っていう言葉も一つの線引きなんじゃないかなと思ったんですよ。
報道部には今年、新人さんが2人入ってきまして、
前回153回目の配信で初めてポトキャストにも出てもらってお話ししていただいてるんですけど、
一緒に仕事してて思うんですけど、やっぱりほんと2人とも違うんです。
興味のあることも違うし、考え方も違うし、仕事への向き合い方も違うし、
いいとか悪いとかそういう話じゃなくてですよ。
違いがあるし、確かに同じ年に入社したっていう共通点はあって。
でも言ってみればもうそこだけなんですよ。
それぞれ違う人生歩んできた人だし。
なんだけども、私ついね、若い人、若い子なんてね、
人くくりにしてしまいそうになることってやっぱあるよなと思っちゃったんですよね。
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ただよくよく考えれば不思議な話で、私も来年40歳になりますけど、
40代ってこうですよねとか言われたら、
いやまあ人によるっしょみたいなことを言いたくなるわけですよ。
なんだけども、一方で自分は平気で若い子なんて言ってしまうときがある。
なんかこうね、自分も無意識のうちに人を鮮美期してみてしまってたんじゃないかなって。
なんかそんな反省もしたんですよね。
社会福祉士の勉強してたときに学んだこう、
ストレングスモデルっていうのは、例えば何ができないかじゃなくて、
その人にはどんな強みがあるかっていう視点を大切にしてますし、
今回偶然その作品を通じて手に取った介護福祉士の教科書でも、
ユマニチュードについて書かれてたところでは、
あなたを大切に思ってますっていうことを相手に分かるように伝える技法だ、技術だっていうふうに書いてあったりするわけですし。
バリエーション。
相手が感じている世界を尊重する考え方ですね。
で、あとバザーリア法。
精神障害のある人を社会から切り離すんじゃなくて、
地域で一緒に生きていこうという発想から生まれた法律だったわけですけど、
振り返ってみると、今回こうやってお話ししたことって全部向いてる方向一緒なんですよね。
一人の人を一人の人、大切な人として見る、そのことなんですよね。
なんてね、ちょっと偉そうに話してますけど、
実際ね、言うはやすしというか、やっぱね、実践難しいなっていうのは結構思うんですよね。
結構ね、肩書きでビビっちゃうみたいなこともあるし、世代で見てしまうみたいなこともあるし、
実践盛り上がりますしね、そういう話ってね。
あと第一印象で見てしまう、ルッキズムっていうことに対する批判というかね、
世の中の流れもあったので、ちょっとそういうところはね、
あんまりそこで見ちゃいけないよねっていうふうにだんだんなってきてると思うんですけど、
なんかこう、この映画って、見るものにすごく問いかけてくる作品だなっていうのをね、
いろんな問いをぶつけてくる映画だなと思ったんですよ。
なんでね、そんな問いを経て、私もちょっとこう、
自分と相手の間にある壁みたいなものを一回取り払って、もっと近づいてみてみようというか、
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もっと話し聞いてみようだとか、もっとその人自身を知ろうだとか、
そういうことを考えた作品だったですね。
で、前回銀河の一風についてお話ししたとき、
あのドラマって福祉のドラマっていうふうに言ったんですけど、
今回この映画見て思ったのは、やっぱ福祉って制度とか支援の話だけじゃないんだなっていうことを改めて感じたっていうことなんですよね。
目の前の人を一人の人として見ようとすること。
で、その姿勢そのものが福祉なんだろうなと思ったんですよね。
似てるなと思ったのは本当その辺なんです。
どっちもこう、人と人との繋がりを信じてストーリーが前に進んでいく。
そんな作品だからなんですよね。
さて急に具合が悪くなる。
あのまだ公開始まったばっかりなんでね。
これから見てみようかなという人も多いと思うんですけど、
一つハードルになりそうなこととして最後にちょっとご紹介しておきたいのが、
この映画3時間超えてるんですよね、上映時間ね。
3時間16分だったかな。
あの告報より長いんですね。
ただね、結構あっという間っていうか、
なんかもうずっと見てたくなる映画だったんですよね。
いろんな対話が重なって、
なんかこう、皆さんにとって、
それぞれにとって心に刺さってくるシーンっていうのがね、
きっとあるんじゃないかなと思ったんですよね。
なんでまたこうね、誰かと見ましたっていう方とね、
感想を語り合えたらいいのかななんて思ったりしてます。
もう見たよっていう方、ぜひね感想をお寄せください。
スポーティファイのコメント欄でもいいですし、
概要欄にはメッセージフォームのリンク貼っておきますんでね。
ぜひまたお寄せください。
というわけで最後までお聞きいただき、本当にありがとうございました。
ここまでのお相手は、岐阜新聞社報道部記者で社会福祉士の山田俊介でした。
そしてまた。