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岐阜新聞ポッドキャスト▼ききかぢ、日曜日の配信は時には一人で語りたい岐阜新聞の社員がもんで混じりに語りたいだけ語る日曜ひとり語り略して日取りをお送りします。
報道部山田俊介です。唐突に始めますひとり語りのコーナーです。
一発目はドラマの話をしようかなと思います。
今回取り上げるのは富士テレビ系列で毎週月曜に放送中のドラマ「銀河の一票」このドラマについてお話ししたいと思います。
関西テレビ製作のいわゆるある月中の枠ですけども、政界を追い出された主人公が選挙参謀として政治素人のスナックのままをスカウトし、都知事選に挑む異色のバディーがお届けする新たな選挙エンターテインメントが開幕というなかなかぶっ飛んだ設定のドラマなんですが、
ドラマとか映画とかって単純な好みとかそういうので選ぶこともある一方で、仕事柄を見とこうかなというか、そういう動機で見始めるものも結構あると思うんですけど、
選挙エンタメなんて言われるとね、記者としては一応見とこうかなってことをね、思ったもので、今週の月曜日からネットフリで一気見したんですけど、これがめちゃくちゃ良くて、というのもね、選挙エンタメって言ってますけど、これ完全に福祉のドラマだなと思ったんですよね。
このポッドキャストでも度々お伝えしてきましたけど、私は地方市の記者をしながら社会福祉士の資格を取りまして、諸々の登録の手続きとかも済ませたので、最近ちょいちょい社会福祉士を名乗るようにしながら記者やってるんですけど、
資格を取るまでの過程で学んだ福祉の視点というんですかね、そういうものが結構ドラマの中にふんだんに織り込まれてて、見るたび見るたび引き込まれて、結果9話まで一気見したんですけど。
でね、もう一つ見始めた理由があって、私は宮沢賢治が大好きなんですね。銀河鉄道の夜とかの人ですね。銀河の一片の銀河ってその銀河なんかと思って知らずに見始めたんですけど、もう全編通して宮沢賢治見がすごいんですよね、このドラマね。
引き込まれて引き込まれて、結果9話まで一気見するということだったんですけど、なのでこれ普通の選挙ドラマじゃないよっていうのをね、ちょっとお伝えしたいなと思って、なので今回は記者かつ社会福祉士かつ宮沢賢治の視点から、このドラマのここまでを語ってみたいなと思います。
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で、ちょうどドラマがあともう残り2回とかになってるんですかね。なのでちょっと最終回予想的なものもしながらお届けしていこうかなと思います。
でね、まずこのドラマが特徴的だなと思ったのが、このドラマほんとあんまり人物紹介をしないんですよね。
私はこういう人ですとか、こういう経歴ですよとか、こういう価値観持ってますとかっていう説明って割とあるもんだと思うんですけど、このドラマ違うんですよね。
そういった説明の前に、まずその関係性が描かれていくんですよね。
ご覧になってない方のために、一応簡単に説明しておきますと、
主人公は黒木春さん演じる星野祭。
父は与党民政党幹事長の星野高尾。
バンド親十郎さんが演じてますね。
で、野郎かよさん演じる明。
後に都知事選に立候補することになるスナックとしこのままなんですが。
あとは祭りが信頼を寄せている民政党議会の候補、劉青とか。
あと秘書とかスナックの常連とか、いろいろ出てくるんですけど、あんまり詳しくは紹介しないんですよね。
人物の描き方が、例えば祭りと父、祭りと劉青、祭りと明といったようなやりとりを見ているうちに、
この人こういう感じの人なんだなみたいな、人物像がだんだん立ち上ってくるっていう作りになってるんですね。
私、こういう描き方になんとなく福祉っぽさみたいなのを感じて。
なんでかっていうと、私社会福祉士の資格を取るときに、放課後等デイサービスで1ヶ月ぐらい実習したんですよね。
放デイとかって呼ばれてたりしますけど、学校が終わった後とかに子どもたちが集まってきて、一緒に遊んだりだとか、勉強したり宿題したりする場所なんですけど、
そこにはいわゆる発達障害のある子もいれば、学校生活の中でいろんな困りごとを抱えている子もいたりだとか、
そんな子どもたちと1ヶ月ぐらい関わっていたんですよね。
そこで印象的だったのが、例えば実習なのできちっとやらないといけないじゃないですか。
最初の日とかに、ある程度子どもについての説明をされるのかなと思ったんですよね。
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子どもと関わる上でちょっとここは気をつけておいてほしいだとかね。
もっといえばその診断名とか。
この子はADHDですとか、この子はASDですとかっていうな、説明がある程度あるものなのかなと思ってたんですけど、
でもね、職員さんたち、ほとんどそういう話しなかったんですよね。
事前に説明を受けたことって、今日は何人の子どもが来て、こういう名前の子が来ます。
で、山田さんはこの子に気をついてください。
ぐらいなんですね。
とにかくまず一緒に遊んでくださいって言うんですよ。
で、遊ぶんですよ。
鬼ごっこしたりだとか、ボードゲームしたりだとかね。
そうしてるうちに、だんだんわかってくるというか、その子のことについて。
この子は絵を描くのが好きなんだなとか、この子すっごい友達のことをよく見とるなとか、
この子急な予定変更とかそういうのちょっと苦手なんだなとか、そういうことがだんだん少しずつ見えてくるんですよね。
で、後から職員さんに聞いたんです。
どうして診断名を教えてくれるのですかって聞いたんですよ。
そしたらね、診断名ありきで見てほしくないからですみたいなことを言われたんですね。
まず人を見てほしいと。
で、その子が何を好きで、何が得意で、どんなことに困りごとを抱えとるのかっていうことですよね。
そこを見てほしいと。
つまり、なんていうんですかね。診断名の前にまずは人がおるんだよとかね。
そういうことを学びとして大きく感じたんですよね。
で、銀河の一票にもちょっとどこかね、同じような空気を感じたんですよね。
例えば主人公の祭りがそうですよ。
正直この一番見始めたときから感じたんですけど、
祭りっていう人もずっとどっかで生きづらさを抱えてきた人なんじゃないかなっていうことなんですよね。
幼少期の描写なんかを見とると、この周囲とのずれというかね。
そういうすれ違いみたいなことをいっぱい繰り返してきとったんじゃないかなっていうことですよね。
なのでそういう描写から、例えば発達障害の特性みたいなものを連想した人も中にはいるんじゃないかなと思ったんですよね。
私も少しそう感じたんですよね。
でもドラマではそこを説明はしないんですよ。
診断名も出さないんですね。
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なんなら障害って言葉も出さない。
私ね、そこが面白いなと思ったんですよね。
診断名つけると、なんとなくそれだけでその人を理解したような気になっちゃうじゃないですか。
でもこのドラマは、この祭りという主人公、その人、そのものと向き合わせてる感じがしたんですよね。
そこにすごくね、引き込むものがあるなと思ったんですよね。
で、第一話の終盤ですよね。
祭りは父との関係が、お父さんとの関係が決定的にこじれて、信頼しとった流星にも裏切られて、
居場所を失っちゃうんですよね。
もう家出てけって話になってまうわけです。
で、そんな中で明と出会って、スナックに入れてもらって、泣きながらサンドイッチを食べるみたいなシーンがあって。
あれがすごく印象に残って。
政治ドラマの主人公っていうよりも、傷ついた一人の人間として描かれてるっていうんですかね。
そこにそっと明が寄り添って、バディになっていく。
このドラマが描こうとしてるもんって、選挙にどう勝つかみたいな、そういう正解のドロドロみたいな、そういう話じゃなくて。
かといって政治家の成長物語みたいなことでもない。
そういうことじゃなくて、もっと根っこにある人と人との繋がりの話なんじゃないかなと思ったんですよね。
で、その流れの中で出てくるのが宮沢賢治の言葉なんですよね。
世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。
っていうのがもう何回も何回も出てくるんですけど。
私はもう宮沢賢治大好きなので、この言葉が出てきた時点でもう絶対最後まで見ようっていうのは、もうその辺の決意は最初出てきた時から固めるわけなんですけど。
出てくるためにグッとしてるっていう次第なんですけど。
でね、実はこの言葉こそが、私がこの銀河の一票を福祉ドラマだなと思って見ていく理由に繋がっていったんですよね。
で、その理由っていくつかあって、その中で一番大きかったなと思うのは、第2話に出てきた上じゃなくて前ですっていう言葉なんですよね。
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明かりに、都知事選に出てもらうために、祭りがリーダーっていうのがどういう存在なのかっていうのを語るみたいな場面が出てきて。
で、その時に流れてきた言葉だったと思うんですけど。
リーダーって上に立って人を導く人じゃなくて、同じ目線で一歩前を歩く人なんだよみたいな、そういう意味合いだったと思うんですけどね。
で、その場面を見ながら、福祉の現場で実習したときに感じたことを思い出したんですよね。
ややもすると支援者が上で利用者が下みたいなね、そういう形になってしまうことも時にあるんでしょうけど。
ただそういう関係ではないんですよね。
もちろん専門職としての役割はあるんでしょうけど。
でも本質的には同じ地面に立っていて、ただ少し前を歩いてるというか、あるいは一緒に横について歩いてる、そういう感覚なんですよね。
なので、この上じゃなくて前っていう言葉を聞いたときに、このドラマが描こうとしてるものがいよいよ見えてきたなっていう感じがしたんですよね。
なんか政治の話をしてるようで、実はもう人と人との関係の話をしてるんじゃないかなと。そんな気がしたんですよね。
そういう印象ってもう回を追うごとにどんどん強くなっていったんですけど。
例えば、祭りが好きなことを語り始めると急に早口になるみたいな描写があったと思うんですけど。
これ普通のドラマだと、なんかちょっと変わった人だなみたいな。祭りってちょっと変わってるよね、みたいな。そういうふうに描くこともできちゃうと思うんですよね。
もっと言うと、落ち着いてられないだとか、こだわりが強すぎて視野が狭くなるだとか、障害特性みたいな描き方をすることだってあり得ると思うんですよ。
でもこのドラマってそうしないんですよね。むしろその熱量、祭りが持ってる本気度っていうのが本物なんだよっていうことの証みたいな形で、その人の特性の部分を描いてるんですよね。
そこがいいなと思ったんですよ。なんかできないとかそういうことじゃなくて、その人らしさとしてあくまでも描くっていう。そんな印象を受けたんですよね。
で、そういう話が出てたのは確か6話だったと思うんですけど、これも6話だったと思うんですが、いわゆる無敵の人と呼ばれる人物のやり取りですよ。
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YouTuberと結託してバズらせる動画を撮ろうとして駅に出たら、刃物を持った人が出てきちゃうシーンですね。
で、その刃物が祭りにも向けられてしまうんですけど、その刃物を持ってる人、今にも自分に襲いかかってこようとしてる人に対して、祭りが言ったのは、「あなたは何に困ってるんですか?」っていう問いかけなんですよね。
ちょっとフィクションだから異なり立つシーンなのかなとも思いつつなんですけど、ただね、あの局面でさえ、「何に困ってるんですか?」って聞けてしまうことの意味ですよね。
あの刃物を持って襲いかかってきた人、この無敵の人って言葉自体がそうなんですけど、やっぱりいろんなレッテルを貼られてしまっている人っているんだと思うんですよね。
近寄りがたい人、やばい人。だからも関わらんようにしようっていうな。でも祭りは違うんですよね。レッテルとかラベルで見とらんっていうことですね。あくまでも人を見とるということですよね。
このドラマを見ていると、今世間で社会的弱者とされてしまいがちな人の姿っていうのが、ところどころに映し出されるんですよね。
あの、クモイホタルが出てくるシーンもそうですよね。クモイホタルは元市長で、ぶっ飛ばしホタルっていう愛称で知られた人物というふうに出てくるんですけど、クモイホタルはもう市長は辞めていて、その後、その障害のある人たちが働くパン屋さんを運営していると。
あのクモイホタルの登場シーン。ここでも出てくる人の障害について詳しい説明はしないんですよね。まずそこで働いている人がいて、パンを焼いています。接着をしております。笑っております。
で、その中に自然にダウン症のある人もいます。シワを使う人がおります。ドラマーなので、この障害者がいますみたいな見せ方を全然しないんですよね。まず人がいて、で、その関係性の中から背景事情みたいなものが見えてくると。
なんかそこにもこのドラマらしさみたいなのをね、すごく感じたんですよね。で、そういうらしさみたいなのが一番ただ見かけるようにして出てきたなと思うのが、7話ですね。
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出馬に動いた祭りとばかりがいろんな場所に出かけて、現場の声を聞くみたいな場面がありますよね。そうすると、不登校の子どもを抱える親がいたり、フリースクールの費用負担に悩む人がいて、病時保育の予約が取れないっていう声があったりとか。
あと、小1の壁に直面しとる家庭があったりとか、障害福祉の人手不足を訴える人がいたりとか。確かにあの場面見ながら、なんかほんと相談支援の現場みたいだなと思ったんですよね。
ああして当事者とかご家族さんとかから困りごとを一つ一つ聞いていくんですよね。記者として見てると、あの場面はまた別の意味では印象的だなと思ってて、あそこで語られとったことって普段なかなか大きなニュースにはならないんですよね。
主流というよりは、あまたあるニュースの中で暴流に置かれてしまいがちというか、メインの流れじゃなくて、あくまでも片荒々を流れていくっていうことを強いられているような感じになる。
でも実際には、そういう声になりにくい困りごとってたくさんあるわけじゃないですか。むしろ社会ってそういう声でできている側面がありますよね。
新聞って選挙を伝えるときにどっちが優勢なのかとか、どのくらい評査つきそうなのかとか、その陣営にはどういう人たちがついていて、どんなバックアップを受けていて、組織票どんだけ入りそうかとか、そういう政局の話にフォーカスが当たりがちなんですけど。
ただそれだけじゃなくて、あわせて地域の課題とか、今次のリーダーを選ぼうとしている地域にはどんな問題が起きているのかとか、そういうことも伝えるんです。
私は割とそういう政局とかよりもそういう地域課題みたいなのを持ってるほうが割と好きで、なんか選挙をテコにして、地域課題を伝えるだしに使ってるようなところもありますよ。
ただこれもなかなか福祉だけを書くわけにもいかないわけですよね。
街づくりとか地域経済活性化とか、いろんなジャンルを網羅的に書いていかないといけないので、地域課題って福祉だけじゃないですからね。
福祉だけでも幅広いのに、なかなかその福祉のことって、そういう選挙っていうね、ある意味地域課題が可視化できるチャンスになる、そういうときでもなかなか書き切れなかったりするんですよね。
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あとはそうですね、自己責任論の話も出てきましたよね。
4話でしたかね。
いがらしさんっていう、いわゆるおじさんが出てきて、そのおじさんのモノローグから始まる回なんですけど、もともといがらしさん、がらさんって言われてるんですけど、がらさんはもともと幹事長の事務所で働い取った秘書で、
この人もいろいろあって、まつりと同じような感じで切られちゃった人なんですよね。
その事務所にいられなくなっちゃったっていう人なんですけど。
で、よく説を経て、今は日雇い労働をしている人に仕事を紹介したりだとか、困って駆け込んできた人に、行政サービスでこんな寄付金があるよみたいなことをね、紹介したりする人になっとるっていうことなんですけど、
あの4話の冒頭モノローグがね、また何とも言えず重たいというか、えっと何でしたっけね。
穴に落ちる。準備も覚悟も待ってはくれず、人は不意に穴に落ちる。
空いてる穴なら避けられる。落ちない努力でできるだろう。でも違う。穴は突然現れる。みたいな独白が流れるんですけど、
確かこのモノローグ聞きながら、貧困の現場とかで、貧困の取材の現場とかで出会った人たちのことを思い出してたんですよね。
病気だったりとか、介護だったりとか、家庭内でのいざこざだったりとかね、失業しただとか。
結構その原因が、本人ではどうしようもなかったみたいな出来事が重なって、生活が立ちゆかんくなってまうみたいなことってあると思うんですけど。
もちろんその人自身の選択が全く関係ないっていうふうには言えないんでしょうけど、ただ、なかなかそれだけでは説明できないことって多いわけですよ。
人生には自分の努力だけでは避けられないことってあるよねっていう。そんなことをモノローグから伝えたかったのかなというふうに思ったんですけどね。
で、同じ話であかりの言葉も出てくるわけですよ。失敗じゃない。穴に落ちちゃっただけなんだよねっていうのはね。
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まっすぐ前向いて下向かないで歩いてきたんだよね。だから落ちちゃっただけなんだよねってやつですね。
で、前向いて歩いてきたからこそ見えなかった穴もあるんだよみたいな、そういう話が出てくるんですけど。
皆さんどうですかね。穴に落ちちゃったことってありますかね。私が穴に落ちちゃったことっていうと、大学受験の失敗があって浪人してたんですよね。
しかも二浪ね。私は現役の時も一浪の時も大学に受かるっていう経験が全くできなかったんですよね。
もうちょっとなんとかならんかったかなって、今思えばではあるんですけど。
でもやっぱその時思ってたことって、自分が勉強しとらんかったで悪いんやんっていう、みんなが勉強しとる時に自分は遊んでおったわけですよ。
まあ自己責任やんっていうね。
なので、そういう自責の面みたいなのがすごくその時期って大きかったなって思って。
誰かにすがるとか、助けてほしいとかってとても言えるような状況じゃなかったなみたいなね。
結構その頃はきつい時期だったんで、きつい時期のことって未だによく思い返すんですけど。
病気とか介護とか失業とか、そういうこととはまたちょっと違う話なのかもしれんですけど。
ただね、自分に起きたことを全部自己責任として引き受けてしまうみたいな感覚には、どっか通ずるものがあるようにも思ったんですよね。
で、そんな自己責任論みたいな話の延長線上にあるのが、もう一つ好きなセリフで出てきたのが、このきれいごとじゃないです。きれいなことです。
っていうことですよね。
これドラマの最初の方に出てきたと思うんですけど、福祉の話って、どうしてもきれいごとじゃんみたいなふうに言われてしまいがちなところがあると思うんですけど。
きれいなことですって、これ祭りのセリフなんですけど、きれいなことですって言ってくれることで、実現したいこと、きれいごとに聞こえるかもしれないけど、やっぱそれってやった方がいいよねっていうふうに、目指す理由がこういう言葉に置き換えてもらえることでできると思ったんですよね。
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だからすごく重要なフレーズだったと思うんですよね。このドラマを前に進めていく上で重要なセリフだったなと思うんですよ。
で、このセリフを見たときに思ったのが、やっぱり宮沢賢治だったんですよね。
で、宮沢賢治って、いろんな理想作品の中に込めてたりはするわけですけど、ただ、現実を知らない理想主義者だったわけでもないと思うんですよね。
むしろ現実をよく知ってたというか、ああいう貧困とか貴賃とか例外に苦しむ農民を、なんとかその苦しみから解放させてあげたいっていうことで、農地改良に取り組んだりだとか。
そういう現実と向き合ってその厳しさを知ってるからこそ、理想を掲げてみんなで頑張ろうみたいなね、そういう方向に走っていく人だったと思うんですよね。
だからこのセリフもどこかね、ちょっと宮沢賢治みがあるなみたいなふうに感じたんですよね。
で、ここまで話してきて、ようやく宮沢賢治の話に入れるんですけど、本当ね、このドラマ、宮沢賢治みとかって言っちゃっていいのかわかんないですけど、宮沢賢治みを感じさせる表紙とか、もうあまりにも頻繁に出てくるんです。
このもう第一話から、世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありえないっていうのから入るわけですし、これは農民芸術概論公表っていう作品に出てくる言葉なんですけど、もうね、この言葉が出てきた時点で、もうかなり身を乗り出して見てましたよ。
ただ面白いのは、この言葉が単なる引用として置かれてないことなんですよね。
ここまで見てきたように、このドラマってずっと、たった一人の幸福っていうだけでは解決できない社会問題っていうのを散りばめているんですよね。
不登校だったり、小一の壁だったり、幼児保育とか障害福祉とか、離島の医療だったりとかね。
だから全部この、そうなんですけど、この言葉が一話から出てきたことっていうのに強い意味があるなって感じたんですよね。
あともう一つ気になってたのが、マリブロンですよ。
マリブロン。
このドラマの中だと、幹事長、文字の高尾美が、他の政治家とか関係者とそこで会って、絶対に表に出せんような話をするときに使う古書店、古本屋さんの名前なんですけど、マリブロンね。
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密談する場所になってたわけですよ。
これも宮沢賢治の作品から撮られてますよね。
マリブロンと少女っていう短編があるんですけど、これどんな話かって言いますと、少女ギルダが憧れの歌手マリブロンに会いに行きますと。
で、マリブロンこう語ります。
正しく清く働く人は一つの大きな芸術を時間の後ろに作るのです。
なんだかよくわからないですけど、そこに続くのが、私どもは皆その後に一つの世界を作ってきます。
それがあらゆる人々の一番高い芸術ですというフレーズを残してるんですね。
で、なんかこの考え方、ちょっとわかるようなわかんないようなんですけど、なんとなくリンガンの一票の世界観にちょっと通ずるようなところがあるなと思ってて。
政治家も福祉のお仕事されてる方だとか、新聞記者だとか、お仕事に関わらずというか、お仕事してなくたってですけど、みんなどっか自分の後ろに世界を残していくんだと。
なので、その少女ディルダはすごくその歌手マリブロンのことを尊敬しているんですけど、マリブロンはそれをやめてやめてっていうふうに言うわけですよね。
別にその人に優劣はないようだとか、上下とかないんだよって、みんなその後に世界を作っていくんだよっていうような話をするみたいなことで。
なんかちょっとこのドラマの世界観との接続が見られるなーなんていうふうにも思ったりしたんですけどね。
で、これ先に話すべきだったかもしれないですけど、検事ネタもう一つ。
ニーザー・アキトシさんですね。
奈良のキーカー大学の学部長。
劇中では知見に関わって、その後転落死した人物として描かれてるんですけど、
これ名前がね、ニーザーは埼玉県ニーザ市のニーザ。
で、アキトシは値段の値、利点の利。
なので、新しいっていう字は入りますけど、その後3文字はザ・ネリと読めるわけですよ。
私ね、この名前見た瞬間、あ、もうザ・ネリやんって思ったんですよ。
ザ・ネリってね、銀河鉄道の夜で主人公のジョバンニをからかう少年なんですけど、
ザ・ネリって、善悪で言ったら悪役の方の登場人物なんですけど、
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この善悪だけじゃなくて、多数派と少数派みたいな分け方もできるなと思って、
ジョバンニって主人公ですね。
ジョバンニは変わり者だし、からかったとかみたいな感じで、少数派に追いやられてしまっていて、
それをみんなでからかっていじめているザ・ネリが多数派みたいな分け方もできるわけですよね。
あと8話ね。声優の日高範子さんが出てくる回ですね。
AIに自分の声が取って変わられてしまって、自分のこだわりを持ってやってきた仕事がAIに取られちゃうっていう、
その期間から声が出にくくなってしまうみたいな話が出てくるんですけど、
そのAIの朗読動画のタイトルとして映り込むのがグスコーブドリの電気。
これも気になりましたよね。
グスコーブドリの電気、もうこれ宮沢賢治の作品なんですけど、
主人公のブドリが貴賓だとか貧困だとかを経験しながら、みんなで生き抜く術を探す話なんですね。
どうしたら例外で苦しむ人たちを減らせるかっていうところを考えていくんですけど、そのブドリがね。
つまりあれですよ。自分だけの幸せじゃなくて、社会全体がどうすればより良くなるかっていうのを考え続ける物語なんですよね。
宮沢賢治と言えば自己犠牲。
自己犠牲と言えば宮沢賢治みたいな、もう切っても切れない関係にある自己犠牲という言葉なんですけど、その代表作みたいな感じなんですよね。
なのでこのタイトルが出てきたことも何らかの伏線というかね、すごく暗示的だなーなんて思ってますよ。
で、いよいよ最終回まであと2回なんですけど、いろいろね、宮沢賢治味が散りばめられてはいるんですけど、ここまで出してきたんなら、これがまだ出てないよなーっていうのが一つあるんですよね。
で、それが銀河鉄道のような有名な一節ですよ。
何が幸せかわからないですっていう言葉から始まるやつですね。
何が幸せかわからないです。
確かここに続く下りが好きで、この後こう続くんですよね。
本当にどんな辛いことでも、それが正しい道を進む中での出来事なら、峠の上り下りもみんな本当の幸福に近づく一足ずつですから。
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これなんかね、ちょっとこれ多分出てくると思うんですよ。
残り2回のうちで。
出たかなー。
いやでも、ここまで散りばめたんなら、やっぱこのセリフは、この一節は外せんよなって、宮沢賢治好きとしては思うんですよね。
で、このセリフが出てくるとするなら、このドラマの結末ってやっぱ選挙の勝敗じゃないと思うんですよ。
つまり、何て言うんですかね、誰が当選するかっていうことよりも、誰と誰が繋がるのか。
で、最後どんな風な形で幸せ幸福っていうのが描かれるのか。
そこに関心があるんですよね。
で、その一節出てくるならどんなタイミングで吹っ込んでくるのかなっていうことを考えながら、それはちょっと答えがよくわからず出てこなかったんですけど。
まあでもね、どっかでは出てくるでしょう。
って、勝手に予想してます。
もし外れたら笑ってください。
で、なかなか喋ってまいりましたが、
まあね、ほんとこの選挙ドラマだと思って見始めたんですけど、
でも今ちょっとね、やっぱもう違うなーと思って。
もう完全にこれ福祉のドラマです。
なんで、このドラマが伝えたいメッセージというか、
この人をラベルじゃなくて、
人そのものを見る。
だとか、
あとは助けてと言えない人の声を聞こうとするとかね、そういうくだりもあったと思うんですけど。
で、上ではなく前を向こうとか。
で、一人の幸福とみんなの幸福をちり離さない。
そんな物語なんじゃないかなーなんて風に見てるんですけどね。
どんな結末になるんかなーっていうのはね、ちょっと楽しみに見届けたいなーと思ってるんですけど。
これね、最終回終わってからまた誰かと話したいなーとかね、ちょっと思ってるんですけどね。
いや、これ一人語りしようと思ったのも、ちょっとね、車内で見とる人をね、見つけれんかったっていうのもあるんですよ。
ただもうね、車内じゃなくてもいいっす。
チポーレンで誰か見てる人いないですか?とかね。
なんでね、ちょっとこれはね、また完結したところでね、
喋りたいなーなんて思ってますよ。
ということで、なんだか幸せとか幸福とか、まさに今メッセージ募集しているテーマと重なってしまったという、ちょっとそんな偶然もありつつなんですが、
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たまにこうして日曜日ね、一人で喋りたいことを喋っていこうかなーと思いますし、
車内的にもなんかね、一人でも喋りたいっていうテーマを持ってる方、ぜひ企画持ち込んでみてください。
全然私だけじゃなくていいと思うんです、こうやって一人で喋るのって。
なので、ちょっとね、しばらく週2で配信していこうかなーと思ってるんですけど、
週2の中で時折こういうちょっと一人語り会があったりもしますということで、
またなんか取り上げてほしい作品ですとかね、こんなふうにちょっと解説めいたこともやってほしいみたいな、そんなリクエストもお待ちしています。
概要欄にメッセージフォームのリンク貼っておきますので、もしよろしければメッセージお寄せください。
ということで、ここまでのお相手は、岐阜新聞社報道部記者で社会福祉士の山田俊介でした。
そしたらまた。