突然だけど、坂出くんにクイズです。ラビットとバニーの違いは何でしょう? 3秒以内に回答してください。3、2、1
答えは、ラビットは一般的に飼育されているウサギの意味で、バニーはウサギの相性だったり、子ウサギっていう意味だ。 わかったかい、もろもろちゃん?
なるほどね。 一つ賢くなったね。 勉強になった。
秋津秘密基地。この番組は、坂出プラス、泉水井、白水の3人による、ゆるく適当に皆様の時間を浪費する
ファミレス系雑談ポッドキャストプログラムです。 ということでですね、今回は自転車会以来、ご招待しております
日本インドア協会認定上級インドアニスト、一級インドアインストラクター、また東京インドアライフクラブ常任理事でもあり、先月発売されました
インドアで始めるアウトドアも大変好評のリーストリー三陰さんをお招きいたしまして、黒歴史の一つ、IS及びTCTについてお話を伺いたいと思います。
本日はどうぞよろしくお願いいたします。 どうもインドアラーの三陰です。
いやちょっとインドアライフに大変な危機が訪れていたんですが、まあそれは無事回避しまして。
無事?無事なのか。 あれ自転車そんなものに乗っていた時期もありましたねー、という結果になっております。
おかえりインドア派。 本来の形に戻ったってことだよね。
まあね、TTTのほかにISに関しては途中までしかいなかったんで、最後までどうなったのかも知らないという部分もあるので、黒歴史を語ってもらいつつ思い出話に来たのではないかと。
これは誰と組むんですかね、この企画。 いやもうほらリスナーに元TTTメンバーが組まれたので、TTTメンバーに送る思い出話なんで。
思い出回だね。 それは意義深いですね。 ここまで覚えてるって恐らしさだけどね。
そもそも前回のゴークン回は三陰先生は聞いてもらいました? 大体聞きました。
バキュンバキュン入ってたの分かりました?誰だか全員。 まあまあおおむね。三陰先生も知ってる人たちでして。
その存在はイメージは浮かぶんだけど、もう名前は忘れてたりするキャラも含まれる感じですね。
そんな名前だったっけみたいな。 中でもバキュンバキュンって覚えてる?
はいはいはい。 重要なキャラ。 エピソードもらいたいんだけど。
でも彼はTTTとかっていうよりは後期ISの時に身近にいらっしゃったような感じなので。
そうなんだ。 立川時代ではないですね。立川よりさらに後かな。 立川より後?
そうですね。 これぐらいの時なんだ。
TTTとの絡みは?
バシ君の友達だから。来たことあったかもしれないね。
何回か来てたよ。多分TTT内でギャザーがちょっと幅を利かせてたあたりにちょこちょこ来てたかな。
あんまりTTTとしてTRPGに参加はあんまりしてなかったと思うよ。
TRPGやってなかったのか。
ちょろっとやった記憶はあるんだけど。
まあだからゲスト的な感じで。
そんな感じだったかな。
というかもうねその時期って我々ももうだいぶTTTに参加してるかどうか怪しい。
怪しいっていうか、でもちょっとあれだな。記憶が合わないな。
多分なんだけどバシ君が彼をTTTに紹介したタイミングではちょっとゲストで1,2回顔出したかなぐらいで、そのまま合流はせずに、
その後立川時代後期からさらにIS後期時代にかけて絡んでたっていう感じかなという。
じゃあ立川オフィスには出入りしてる?
あんまりしてないと思う。
ほとんどしてないんだよな。
でも立川オフィスにもゲスト的に数回来たことはある気はするんだけど。
ほんと立川オフィスにいたって印象があんまりないんだよね。
じゃあむしろIS後期さらに鎌田時代に入ってくるわけだ。
僕がIS後期と言ってるのは鎌田時代のことですね。
むしろIS後期に関しては俺もあんまりよく知らないんだけど、主要メンバーとしてはハゲタカ?
俺もハゲタカと一緒に住んでなかったっけ?
でも彼はいつも通りのポジションで、特に制作には参加してないですね。
ハゲタカとサンジーがIS後期、鎌田時代のイメージなんだ。
いやいや、サンジーも立川までだから全然。
あ、そうなんだ。
ここでお話しして思い出深い感じになるような構成ではないんですよね。
バッシー君がだいぶウルトラシーな動きをしてるってことか。むしろ鎌田キャラだと思う。
バッシー君が中心だから、後期ISは。
てかISじゃないっていう話もある、そもそも。
バッシーのやつはだって自分でアイマスク立ち上げちゃってるから。
これは常に楽戦しない限りISと合体だったので、ほぼ同一サークルみたいな。
へーそうなんだ。
前夜は常にうちでシュラバをやってましたしね。
シュラバモードね、懐かしい。
なるほどね。
そうか、いやいや、でもこの間のゴー君の話を聞いたらさ、
いろいろ過去の記憶が閉じたり開いたりですね。
懐かしいですね。
そもそもTTからISにシフトした時っていうのは、どこか線引きはあったんだっけ?
もともと西国時代に三陰京でコミケやまわりか何か話したときに、
コミケ行こうぜってなったのがきっかけで、
でそっからサークル出展しようよって話になって、
その時にそのDNF用のゲームを出そうっていうので、
その時にTCTの名前を出してやったんだよね。
TTDコミケットチーム、略して。
そうだよね、TCT。
この時はまだTTDのメンバーのうち有志を募って、
コミケにサークル参加してみませんかっていうことで、
全員ってわけじゃないから、
TTDって名前そのままっていうのもゲーがないので、
ちょっとTTDの中の一部もみたいな感じでやろうかってなって、
やってコミケ楽しいねってなって、
その後、電源不要じゃなくて電源必要な方もやってみたいなって僕が言い出して。
そうだね、その中に盛り上がって、じゃあやろうぜって。
ゲーム制作とテーブルトーク両立ちょっと時間的なあれもあるし、
みたいな話もあって、徐々にシフトしていって、
TTDの一部門っていう感じのもう活動形態じゃ全然ないんだけどってなったので、
じゃあわかりました、名前をきっぱり変えて別のサークルとしてやっていきましょうみたいに。
そのタイミングがフィニッシュ国分寺から立川に移動したタイミングという感じですね。
TCTのメンバーとしては、塩水はTCTに入ってTTDからは抜けたの?
TCTのときはまだ両方やってた。
徐々にクロスフェードしたのは立川に越したあたりなので。
ISになってからでしょ、塩が。
じゃあTCTの塩メンバー誰になるんだ?TCT時代の。
TCTとISはほぼ同じですよ。名前が変わっただけだから。
紙かデジタルかっていう違いなんだよね。
紙のときは、デッタラーのやつはアモと三人化なんかで作ってたよね。
三化具合でいけば、アモに関しては当時どちらにも行けない状態だったから、
TCTのメンバーではないと言っても過言ではない活動形態としては。
企画を提供してくれたという感じです。
イコールそれは影のプロデューサーであって、それは主要メンバーであるという話もあるんだけど、
その場にはいなかった。西国分寺の家にはいなかった。
なんか長老がすごいガップリ打つなイメージだったけど、そういうわけじゃないんだ。
長老がガッツリなのは後期ISです。彼がしないライターだったかね。
ISの政策にはほとんど絡んでないけど、TCTの政策にガッツリ絡んでいるのはイリゲン先生です。
デッドラーをやるときのバランス調整とかをやってたんで。
イリゲンだったね。
夏の暑い日にエアコンが壊れかけて、西国が暑いみたいなときに出てた。
そんなのあったっけね。
そうか、じゃあイリゲンはそのときTTDからも抜けてんの?
半分から分かるんだい?
TCTのときは並行だったと言ってるじゃないか。TTDは今も存続してるんだから。
そうなんだよ。それがびっくりでさ。
みずいはどこまで絡んだ?
ISまで絡んでたよ。
どちらかっていうと、TCTでもそうだけど、俺は俺でやってたみたいな感じだったから。
そのときTTDには?
いたよ。
じゃあ本当にTTDから抜けたのって、俺と三陰ぐらいだったってこと?
うん。だから抜けたっていうか。
制作の都合でフェードアウトしてる。
あ、ていうか、そもそも立川オフィスでの制作というのは、金曜の夜集合し、日曜の夜解散するという超絶スマホスタイルだったので。
止まってたよね。
そう。だからそうするとTTDに参加できないなっていう感じで、抜けたっていうよりは制作の都合で参加できなかったという感じです。
メインの場がそっちに移ったっていう印象だよね。
TTDに在籍はしたまま、とりあえずISとして動いてるって感じかな。
そういう感じですね。
じゃあ水井は本当にIS立川オフィスのときにはいて…。
そう、途中までいたんだよ。
リスペクトとかも知ってるの?
知ってる知ってる。
16番目の月の作品をもらったからね。
はいはいはい。じゃあいるね。
そうね。
だからそこから先を俺は知らないので。
そっか。そこから先はじゃあ…。
鎌田に移動した時期とかも知らないからさ、後になってそれを知って、あ、そうなんだっていう。
でも立川オフィスのほとんどの時期、水井はいたね。
あ、そうなんだ。
全体の95%ぐらいはいたと思う。
あ、そうなんだ。
じゃあ俺がいなくなってから早々に鎌田に移動したってことなんだね。
ちょっと記憶がだいぶ怪しいけど、間1年は確実にないと思う。
減らしたら3、4ヶ月ぐらいかもしれない。
何きっかけだったの?鎌田に移動したの。
スネを100%かじっていたのを70%ぐらいにしなさいってなって。
なるほど。
というかあれですよ。僕の父がマンションを買って、そのローンがあるので、
ちょっとかじらせるスネが薄くなってきたので、こっちに合流して住みなさいっていうことになり。
そうだね。
スネをめちゃくちゃかじっている身としては、父上の命令には絶対なので。
じゃあ立川から引き上げますってなって、東洋町に僕が収容され、
でも僕がそのタイミングで一人暮らしはなくなったので、距離的にも遠いし、
週末みんなで集まるという感じでは当然なくなって。
その間が約1年かな。1年その状態が続いて、
その間は今でこそ珍しくもないかもしれないんですけど、オンライン政策をちょこっとやっていて、
東洋町の公民館に集まったりしたことも1回か2回はあったような気がする。
それこそに集まったメンバーは橋くんとかってこと?
でもそのときはまだ中期ISというか、立川からの流れの延長戦だったので、
まだから塩水さんとかですね。
塩水行ったんだ、それに。
そこに坂瀬いなかったっけ?
俺覚えないなぁ。
全然覚えてないんだよな。
塩水も怪しいぞ。
でも東洋町のマンションには何度かは行ってるのは覚えてる。
当時そのマンションの近くに働いてた先の得意先があったから、それですごく覚えてるっていうのはある。
立川オフィスはもうみんな寝袋並べて寝たよね。
寝た寝た。
寝た寝た。
パソコンが何台あった?あのとき。
当時にしては結構台数だと思いますよ。
4、5台なかった?
あったあったあった。
塩水が持ち込んでいたものを含めれば、5、6、7、8台は少なくともあったかな。
8台もあったっけ?
ただディスプレイは6台かな。
あ、そうね。
他はノートメーター十数台はあったかな。
あの間取りで十数台のパソコンを使ってさ、みんなひしめいてやってたんだよね。
すごいよね。
もうあれですよ、スペックまで全部覚えてますよ。
タワゴトテキストがあったパソコンしか覚えてないな。
それは西国文字です。立川じゃない。
あ、西国なんだこの記憶。
そう、タワゴトは西国から言ってるから。
タワゴトテキストがあったマシンはもう涙なしでは語れないマシンですよ。
立川にはなかった?
立川時代にもあったでしょ。
あったよね。
立川のときはなかったです。捨てていきました。
寝袋が並んでたところで、なんか時代。
MDとか何だっけ?記録枚ってあったのかな。
立川オフィスのときにあったPCというのは、タワゴトテキストを編集していたPCとは比べ物にならない性能です。
違うマシンなんだ。
そういうことね。
僕が人生で使ってきたWindowsマシンの中で唯一486を搭載したマシンだったので、
つまりWindowsが動くのも不思議っていうレベルのものすごい低スペックなマシンでタワゴトテキストが編集されてました。
確かあれだよね。IBMのPCだったよね。
ほんと素振り。
懐かしい。
メモリが8メガしかないから。8メガですよ。
8メガしかないから。
もう一代だよね。
95がもう超ギリギリ。
あ、そうなんだ。
私も父親のスネを駆使したりがありましたね。
そうか。塩水はパソコンをISに持ち込んだの?
持ち込んだというか、最初に身影に作ってもらったパソコンが、そもそもISにあったし。
デジタルでやろうということになって。
だってその前はコピックだったんだから。
そうよね。
コピックだし、4コマの服の柄とか書いてたのもあれだけど、全部オフライン原稿だもんね。
そう。スクリーントーンとかも当時は使ってたから。
そうだよ。スクリーントーン使ってたよ。
使ってた使ってた。
そこからデジタルに移行するんだったら、もうPCでフォトショップじゃないとっていう話になって。
まず集まって作業するから、ノートPCにしようって言って。
その時、塩水は仕事を始めていて、いいノートPCが買えるくらいの財力があって。
もう心底、羨ましいって感じだったけど、僕がめちゃくちゃ欲しかったメビウスを。
そうだよね、メビウスだよね。
あれだね、素晴らしいマシンですね。今もうちにありますね。
メビウス買ったんだけど、さすがに当時のノートPCではフォトショップで最速。
厳しくて、さすがにノートPC厳しいわってなって。
メモリックからね、本当に。
一層このノートPCは塩水が自宅でPCが必要な時に使うようにして、もうここにディスクトップ組んじゃおうぜってなって。
僕のマシンよりもさらにいい、この立川オフィスの中で一番いいマシンを。
ほんとに?
Pentium IIIの1GHzですね、組んで。
Pentiumだったか。
そう、Pentium IIIの1GHz。
電圧でクロックアップしてたのとかってのはまた別の時代?
それは西国に戻ります。
あ、それ西国時代なのか。
西国は西国で。
西国で坂瀬が、よくわからないけど、PCを調達する金ができたと突然言い出して。
気のくせいな、なんか。悪い匂いがするけど。
まあまあ、当時こそ欲しかった。
対象がその金みたいな感じで。
完全にヤブヘビじゃねえか。
間違います。伝説のCeleron Over 500です。
あ、そう、Celeron Over 500だ。
あれシール貼ったよね。
Celeron 300MHzのベースクロックを66MHzから100MHzにクロックアップして、なぜか動いちゃうっていうね。
やってたね、そんなことをね。
悲しいなあ。
その時僕のマシンはPentium IIの233MHzだったんで、もう超早いよね。
うわ、超早い、超裏マヤーって感じで。
ああ、そんな時代だったか。
水とか自分で汲んでんの?
一番初めからPC持ってたのはハゲタカなんだよね。
ハゲタカがPC-9820XA7という素晴らしい伝説の名機を持っていて、これでTC-T機の原稿とかも編集されてたんですよ。
その時僕も水井もワープロしか持ってなくて、ワープロで原稿を書いて、それをいろんな方法で何とかしてハゲタカのXA7に読み込まして、ハゲタカが編集して、それをアキスコ民間のリスクグラフでガンガン吸ってたっていう感じだったんだけど。
キューブはそうやって作られてたってこと?
キューブは別にXA7じゃなくて、水井がワープロで直接作ってたよね。
そうそう。
紙で原稿をもらって、それを製法元の原稿にして、コピーで作ってたから。
アナログだったわけだな。
ハゲタカとは、僕もハゲタカ、パソコン持ってる、うらまやしい、常々になっていたので、
そのハゲタカが僕に、今だったら考えられないですよ、パソコンが安いっていう新聞広告を紹介してくれて、
紙媒体なんだ、すごいって感じなんだけど。
確かに安いのにはわけがあったんだけど、一応安いパソコンがあって、
これだったらギリギリ買えるかもって言って、それで買ったのが僕の初代のWindowsマシンなんだけど。
そこから1年後に、同じメーカーからまた安いノートパソコンが出たので、
ノートパソコンも欲しいってなって、ノートパソコンね、そこで買ったんですよね。
そしたら、その時買ったマシンっていうのは、AMDモバイルK62300MHzっていうマシンなんだけど、メモリは32MBなんですね。
買ったんだけど、64MBのマシンが届いたんですよ。
俺、32MBで頼んだのに、64MBってもっと高いぞってなって、でもなんかこれ、もういいや、ラッキーってことにしちゃおうって言って。
あったね、あったね。
だいぶダメなんだけど、ラッキーってことにしちゃって、そのまま使ってたら、数日後に32MBのマシンが届いた。
こっちが俺のだわ、みたいな。
え、どういうこと?
俺、全然知らんな。
だから、PCを買ったら5杯で2台届いたんですよ。
そうそうそうそう。
しかも64MBってこと?
そう。
えー、そんなことあったんだね。
当時、学校にはほとんど行ってないけど、学生のみだった僕は、それをリチギに問い合わせて返品すると言ったような行儀の良いことはせずに、
2台届いた、ラッキー、2台とも俺のにしちゃおうってなって、僕は64MBのマシンを使ってた。
で、もう1台32MBのマシンあるなと思って、でもさすがにメーカーからね、逆に問い合わせが入って、間違って届いちゃってるはずなんで返せって言われたら、それは返すつもりだったので、しばらく置いてたんですよ、箱から出さずに、新品状態で。
ほとぼりが冷めるまでな。
ほとぼりが冷めるまで。
なんだけど、半年くらいだったかな、経っても、全然なしの粒で何も言ってこないから、これ大丈夫なんじゃね?ってなって、この32MBのマシン、誰か使わない?安くしとくよ?
ただでゲットしたものだけど安くしとくよ?
それを俺が買ったんで。
それをみずいが買った。
なんか4万円とかで。
そうそうそうそう。
それが何?みずいの初パソコン。
家には親のWindows95のやつがあったぐらいで、個人でペキロコでしかなかったんだよ。
あとはワープロしかなかったんで、初マイPCとして三陰から買ったやつ。
へー、そんなことが。
坂田さん、この界隈でパソコンって言ったら物議を醸しますから、正確に言ったほうがいいですよ。パソコンの定義がってなっちゃうからね。
なんて言わなきゃいけない。
この場合は初のWindows機っていうのが正しいですかね。
そうなったね。
ペキロコもパソコンだし、MSXだってパソコンだろ?みたいな。
いや、MSXパソコンじゃない。
パソコンですよ。
パーソナルなコンピューターだからあってことですよ。
マイコンではないっていうだけね。
初めてのパソコンだと違うってなっちゃうから。
Windows機って言わないとややこしくなる。
でもそういう意味ではペキロッパーを持ってたからあれか。
ペキロコはね、家でワープロで使ってたぐらいだから。
いやでも四国でペキロコで遊んだ覚えはあるよ。
四国といえばペキロコのイメージ。
それはちょっと言い過ぎだね。結構一時期だけだった。
四国って言ったらもうタワゴトテキストになっちゃうからな。
みんなで都会非会触って。
いつから始まったものなの、あれって。
タワゴトテキストのルーツはもともともともと遥か昔の話でしょ。
どっから来たの?
アモさんがいた高校が、たぶんそれも確か大本じゃないですよ。
そこに受け継がれて、そこからさらに我々が勝手に受け継いだつもりになってたみたいな。
そんなわけわからんルーツなんだ。
あれはすごい大元わからんみたいなネタだった気がするよ。
大元のテキストのデータがその中に残ってたってこと?
いや、ないです。
あれはうちらバージョンのタワゴトテキストであって、受け継いでるのは名前だけだから。
内容はね。
魂だけね。
面白そうだからっていう感じだったけどさ。
自由に書いてるやつだからね。
要は交換日記みたいなもんだよね、パソコン版のさ。
実際タワゴトはそんな感じでやってたじゃん。
好きに書いて。
そこから生まれたものもあるわけでしょ?
いや、ないくないか。
生まれたっていうか、うちはネタとして生まれたものはあるけど、そこが元で作品化になったものはないよ、さすがに。
あれ、ジールンルンとかタワゴト由来じゃないの?
違う、キューブから。
それはキューブからなのか。
ジンルンルンは元々キューブでやってた恋愛物のリプレイのやつで、ハゲタカがそれにGガンダムのネタをプラスして1ページで書いたネタがきっかけなんだよ。
恋愛物のルールをやってたの?
俺がリプレイするために恋愛物のシステムを作ったんだよ。
え?
あの当時、ラジカセ持って録音しながらプレイしてたんだよ。
それを文字に書き起こすのに、再生してたんびにすごいローリングしながら。
もだいながらね。
うわ、恥ずかしいって思いながら文字起こししたやつだからね。
それが大元で、そこからハゲタカがネタでGガンダムと合わせたやつがジンルンルンだったんだよ。
システムをゼロから作ったの?
作ったよ。
もうその頃からそういうことやってたんだ。
だからピーカリーの時初めてじゃないって言ってたんだから、それもあったからね。
なるほどね。
名前はシステムの中に入ってないんですけど、それは聞いてもいいですか?
えっとね、もう覚えてねえんだわ。
そんなことある?
いや本当にそれだけのためにしか作ってないんで。
恋愛専用とかじゃなかったっけ?
なんかその名前だったね。
そんなのあったね。
確かその名前だわ。
すごいね。
懐かしい。
ちなみにローリングついでにどういうシステムだったの?
確かね、この頃はね、ときめぼとトゥルラブストーリーの要素を掛け合わせたようなやつ。
トゥルラブストーリーの要素が入ってんだ。
GMとプレイヤーは何になるの?
マスターは当然俺出ないとできないわけで、プレイヤーはあの当時だから。
覚えてるのは塩とアモとハゲタカとイリゲンの4人が奥口ルンルン高校の美術部の2年生か。
それを舞台にして、美術部の上から下までから3年生から1年生までのNPCと同じ2年生の攻略対象のヒロインたち。
攻略対象がいたんだ。
極端な話、美術部にいる上から下までの女の子全員も攻略対象なわけでさ。
プレイヤーは男の子なの?
男4人。
さすがにプレイヤーは女の子やらねえだろ。
GM一人で女の子やってたの?
美術部は男の子もいるから。
NPCは全部水曜やってた?
そうやってたよ。
スネークって言葉が生まれたのも、塩がスネークスネーク言うから。
オリジナルのシステムっていう話をすると、わりと自分でも首を絞めてるっていう気がしないこともないんだけど。
そうなの?
何の話ですかね。
Jから始まるやつだね。
あれオリジナルではない。
でもあれはシャドーラを利用したオリジナルでしょ。
正確に説明しますと、あれはまず僕がシャドーラがやりたかったです。
なんですが、シャドーラは当時メジャーだった他のタイトルに比べてちょっと独特なシステムがあるので、
いきなりシャドーラにやるのはカードルがあるかなと思って、
シャドーラをもうちょっとわかりやすくしたシステムを作って、オレオレルールでやりましょう。
世界観はこの後サイバーパンクのSFやるから、全然違う感じのやつで味変しましょうってなって、
古代の日本っぽい何かみたいな世界観で、システムはシャドーラを簡易化したものっていう感じですね。
魔法なんかすごい、その世界独特のものに書き換えたりしてたけど、主にクスシ。
そこまでは覚えてないな。
クスシ覚えてないの?
クスシのキャラは覚えてるよ。
ふうかふうか。
クスシをやってたのは私だ。
チュウミズ女性キャラやるのも結構珍しかった?もしかして。
そうね、珍しくはあるね。ただね、みずいの作った何かのゲームで、半魚人の女性をやっていたことがある。
半魚人なんだけど、顔は人間なんだけど。
女性?覚えてねえぞ。
俺がやってて覚えてるのって、死をギアアンティークの時にやった戦お母さんぐらいしか覚えてないんだよね。
結構女性キャラ多いんだじゃん。
いや、多いっていうか、そのなんかこのゲームやるよーってなったときに、ふと思いついたのがたまたまギアアンティークの時は戦お母さん。
そうじゃなくて、俺が女性キャラをプレイしたDRPGで、なんかみずいがマスターやったゲームだった、システム覚えてねえんだよな。
半魚人あれかな、あれだ、フィックスの剣じゃないかな。
フィックスの剣。
あれは俺が作った。
やっぱりオリジナル。
やっぱりオリジナルだね。
すごいね。
フィックスのやつだったら海州の人魚が。
人魚があって。
えーもういろいろあれなんだよ、自分でやってんだね。
フィックスは結構キャンペーンやってたから。
リーリュウ、リーリュウだリーリュウ。
あ、懐かしい。
名前出てきた。
すごいね、出てくるね。
俺が女性キャラ最初かな、ほとんどやってない。それリーリュウと、あれか、クスシ、フーカちゃんだね。
各有自分も女性キャラばっかりだったんだよね。だいたい猫耳ついてたね。
猫耳をつけて違和感ないのが女性キャラっていう。
あーまあ確かにそうかもね。
猫耳をつけるために女性キャラを選んでたのか。
で、ハルバードをだいたい持ってるっていうね。
ジャパエシェは、坂瀬の部屋で作っていた記憶があります。
あー、作ってたね。
懐かしいなあ。
四国分治時代よりもさらに前ですね。
そうだね。あれか、一時期俺の家にいたのか。
そうですね。
でも家にいたときはやってないよね。やってたっけ?
いやいや、やってたやってた。
あ、あそこでジャパエシェをやってたんだ。
やってたんだ。作ってた。
作ってたんだ。
坂瀬の部屋でジャパエシェを作り、それをキツコ民家に持ってって遊んでた。
坂瀬市から来てたんだ。
そうそうそう。
そうだっけか。
で、ジャパエシェで初のダブルマスターでタクに分かれてやったっていう。
タクに分かれたっけかね。
そうそう。三陰マスターと坂瀬マスターに分かれて。
同僚でやってたときもあったような気もするし、ルート別れみたいな感じで。
そう、一個一個分かれて。タク王と分かれて、戻ってみたいな。
面白い。面白い取り組みだったなと思う。
いつもシステム計算周りを任せて、一生懸命ベラベラ喋ってた覚えがある。
GMやっぱり一人でやるのは大変だよね。
いや、大変だよね。
二人じゃないとあれはできなかったと思うな。
あのときそれなりにプレイヤーも数もいたからね。
二タクに分けても全然人数いったもんね。
そうそう。問題なかったくらいだったから。
12から13くらいいたよね。
でも今でもそれが残ってんだからさ。
愛したもんだよ。どこでやってるんだっけ今?
慶応生。
慶応生か。
慶応生でやってるらしいよ。
だってTTG自体は自分が小学生の頃から始まってるから。
35周年とかですよね。
うん。30年後。
すごいね。ほんと35とかだよね。
恐ろしいな。
完全に死にせい。めちゃくちゃ勇者正しいな。
勇者正しいかどうかわからんけどさ。
名前が変わっててもおかしくはないわけですよ。
そうだよね。
そうそう。
初期メンバーが誰もいない状態でその名前がずっと続いてるっていうのが。
革命が起きて一気に人が入れ替わったとかではないから、
特に変える理由もない。
だんだん増えてきてっていう。
TTD自体が名前もね、実は変わってるっていうのはあるからね。
TTDのときは毎週やってたん?
毎週じゃなかったと思う。
だって感じだったよね。
ほぼ毎週仕込んで、でもないのは結構珍しいっていう感じで。
予約取れるときに取っちゃうみたいな感じだったから。
初期は公民館取れないときに、それこそイリゲンの家やったりとかっていう記憶はある。
それもほんとかなり初期だった記憶あるけど。
公民館優勝で使うようになって、オープンサークル登録してから予約取れるときは毎週。
毎週やってたよね。
毎週は来れない人もいたけど、でも会自体は毎週やってたよね。
日曜日だっけ?
日曜日。
なんもやることなかったな、日曜日。
あの頃は学校も土曜日半ドンとかだったじゃん。
レクリエーション室でやったり和室でやった記憶もある。
懐かしいー。
和室しか取れないっていうことがね、和室と木工作業室みたいな。
独特のインストール以外だったらどこでもできるから、取れるところでやったり。
異常に広い部屋でやったりしたからね。
異常に広い部屋は会議室みたいな。
2階にあったよね。1階もそこそこ広かったよ。木工室がね。
2階の会議室でも比較的狭めのやつと広めのやつがあって。
空いてるのが第何室しかない。
隣が空いてるから連結できますみたいな。
懐かしいなー。
秋津秘密基地。
ISの方に戻るけどさ、ISとしてコミケで活動してたのってどのぐらいの日から結局やってたの?
参加申し込み自体をしてない時期が一時期あるんだけども、
それを除いたら、この記憶がたしかなら、
僕が18のときから、たしか36ぐらいだった気がするんで、
23年間かな、全体としては。
これもすごいな。
ただその間、何年も申し込んでない。3分の1ぐらいは申し込んでないんです。
ISの作品として最終的に何本ぐらい出せてたの?
そもそも後期IS以降、ISの参加の出展物ってアルテミスエンジンそのものなので、
作品ではないっていう感じだったんですよね。
だいたいそのスタイルになってからは100%合体なんですよ。
アルテミスエンジン採用サークルが隣にくっついて、合体で出るっていう。
採用作品はこちらです。
元のエンジンゲーム制作ツールはこっちですみたいな感じで並べて出していた期間がめちゃくちゃ長い。
23年間の6割7割ぐらいはそのスタイル。
かまたに移動してっていう感じですね。
元の、そうなる前のISでは、一応完成品というにはあれだけども、
一応完成ということにしたものは2本かな。
いわゆるよくある体験版で解散みたいなやつが、細かいのも入れれば、
なんだかんだ4本ぐらいはあったかなっていうのと。
後期で別サークル、バシ君がリーダーやってたサークルとか含めてやってた頃の
お隣の採用作品という意味では、バシ君とかまず5本かな。
結構出してたよね。
こっちは一応全部完成品扱いなので、結構ちゃんとやってた感じで。
その後のところも一応出るときは大体毎回完成品だったので、
数本って感じかな、みたいな流れでしたね。
その方はとある日本の有名ゲームメーカーに入り、そこにはもう日本のゲームサウンドの中ではカリスマ的存在である方がいて、その人に指示を受けてメキメキと力をつけ、
その人は独立して、今も全然活躍してるんだけど、
残った彼はその大手ゲームメーカーのトップサウンドクリエイターであり、大変売上の良い様々なシリーズにガンガン曲を提供しており、
そのうちの一つの作品が全世界的な注目を浴び、アワードを出場されるに至る。
俺ジャケットデザインしたことあるもん。
超自慢。
なんかメキメキだったら今ドヤ顔した。
いやでもこうやってプロとしてさ、見かけももちろんプロなんだけどさ、ずっと続けてる人間がいるってのはやっぱ嬉しいよね。
でもそれで言ったら、バシ君のとこなんて同じより結構すごいですよ。
でもバシ君本人いないよね。
いや、そこがちょっとそういう感じなんだけど。
なるほどね。
売れずれえな。
周りのメンツは大手エロゲームメーカーのイラストレーターとしてデビューしてみたり、小説家デビューしてみたり、
それこそ今の話とは別の人だけど、大手ゲームメーカーのサウンドクリエイターになってみたり。
別の人なんだ。
なんでここはみんな育ってそんなすごいところに行っていくんだみたいな感じでしたね。
なんかそれで食っていくのも悪くないというか、羨ましいな。
あの頃のバシは輝いてたな。
すごい切ない感じになってるな。
なんかことある度にこっち来てさ、同人を世界にっていうすごい大旗を振り出してた。
若干、「おお、頑張れよ!」みたいな感じ。
だからこっち側のその界隈の人たちとも繋がってたりとか。
そうなんだ。
というか彼が果たした功績は非常に大きいと思うんですよ。
本人がちょっと残念になっちゃっただけで。
一度の失敗で大きく挫けてしまったという感じなんだけど。
でも彼が仕掛けた企画の中で一番すごいのが、
同人24っていう2日間ぶっ通しで徹夜で謎のイベントをやるっていうやつがあるんですけど。
全くご存知なかったです。
同人24っていうイベントがあったんだけど。
そこで今となっては名だたるクリエイターがその場で知り合って、
大手のゲームメーカーを設立するまで至ったみたいな繋がりの元を作ったイベントなので。
同人24がなかったら、これはなかった、あれはなかった、この会社はなかった、あそこはなかったみたいな感じだったんですよ。
イベンターだったんだよね、彼はね。
そうね。
その雰囲気はあったね。
君の人力はすげえな、よく駆け集めたなみたいな感じだったから。
こっちでその当時やってた梅田とかで、同人絡みのイベントのためにこっちに来てみたりとか。
そうなんだ。
そういうのもあって、結構彼とは今度行くんで会いましょうよみたいな感じで長い間会ってたぐらいだったので。
そうなんだ。
そうそうそう。
で、彼経由でこっちの同人活動してる人と俺自身も知り合うことになって、今すっかりそういうのになっちゃったけど。
そうやっていろんな人を僕にも繋げてくれて、それが元でアルテミスエンジンが界隈で広まったという。
そこにも貢献してるの?
アバシ君なしで今のアルテミスエンジンはないですね。
もうすでにプロとして、結構メジャーな作品を書いてるイラストレーターの人と繋いでくれて、たまたまそのイラストレーターの人がスマホでリビューゲーム作りたいと思ってたんだっていう話で、
じゃあぜひこれどうすかって使ってもらって、そうするとその人がアプリ作ったってなると、結構まだ他に似たようなものもあんまなかった時代だから、
逆にそこ掴んだらもうだいぶ大きいよね。
もうレッドオーシャンとまでは言わないけど、もうみんなそうしてるので、掴んだらどうというよりもうすでにある市場ですね。
当時はなかったけどね。
同人会話って日本独自的な範疇だったから、それを海外に向けようっていう先見の目はすげえなあと思いながら。
元気してるのかね。
あとどうですか?これ時期レースに何か足りないパーツはないですか?
だいぶかまた時代が見えてきたな。
微妙とか入んないの?
微妙!微妙大事じゃないですか。微妙大事ですよ。微妙を入れときましょう。
微妙入ってない。
微妙ってなんだっけ?
微妙ラーメン。
このラーメンは微妙だなと思いながらも思いながらも何度も食べてたらめちゃくちゃ美味しくて、もう微妙食いてーってなるっていう。
中毒性がある。
どこの店?
立川オフィスからすぐ近く。徒歩2分、2、3分ぐらいの。
よく歩いてね。
サンジーが卵の殻を食った。
卵の殻を食ったって?
卵の殻を食った。
食ったのは覚えてる。あれ微妙だったか?
微妙。
立川ではなかった?立川に卵ないもんね。
立川ではないね。サンジー立川に行ってねえもん。
行ってない。
オフィスだとあれか。塩とかゾーンとか行ってみたり、エクッとか行ってみたりしてたでしょ。オフィス内で。
オフィス内で?
なんか話の盛り上がりで、行くたびにって言いがおかしいけど、なんか新しい流行語独特、ゾーンとかエクスとかなんかよく言ってたけど。
なんだ記憶にないんだよな。ゾーンはまだほら多分集中してる時に入ったっていう?入ってもいないのに言ってた可能性はあるけど、エクスとか。
エクスってなんだ?
エクスとか言ってたよ。
なんだエクスって。
片手で何言ってんだろうと思いながら、意味わからず聞いてたから。なんだエクスって。
エクスってこっちも意味わかってねえんだから。
いっぱい言ってたんで、大丈夫っすよ。
いろいろ言ってて、覚えてるのはゾーンとエクスの。
あーもう微妙ラーメンないね。
微妙ラーメンない。
もうないね、さすがにね。
調べても出てくるのそれ?
いつの間に亡くなったのか、十何年前に調べたときにもなかったね。
立川から離れたらいかなくなるわな。
立川の駅がたぶん知らない世界だからな。
すごいことになってるね、なんか。
すごいよね。
佐賀で曲作ったの、Pじゃないですかね、P。
あの一晩でPVができたやつか。
そう。
いいね、リストに入れとくわ。
グランツーリスモのオープニングの一部をパクったやつ。
それは音源とかまだあるの?
いや、Pはもういいだろう。
言うすんなよ。
ちゃんと作ったやつにしようよ。
それこそ、ゆきぐれ結構頑張って作ったっけ?
あのね、あの辺のやつはあれっすね、ダブルデンシティCDRドライブがないと読み出せないかもしれないですね。
あーもうね、こういうことね。
読めないんだ。
何も知らないよね。
DDCDって知ってる?
ん?何それ?
そうするとググってるよね。
ググればさすがに出てくるよね。
さすがに歴史からも間違ってないよね。
DDRに保存されているプロジェクトデータが結構あるので、これはもう読めないですね。
なんかSSDとかそういうのに入れてなかったんだ。
ん?君は何を言っているんだ。
SSDって超新しいじゃん。
当時はまだあれですよ、ハードディスクは容量が少ないから、ディスクに焼いて保存するしかなかった時代ですよ。
そうだよね。
プルレイあたりじゃない?BDRに書くかハードディスクを積むかどっちだろうみたいなぐらいになってきた。
まあね、失われた歴史を懐かしむぐらいでちょうどいいんじゃないですか?
ハードディスクは結構10年も20年もほっとらかしてたら読めるかとかだいぶ怪しいんでね。
そうだね。
ディスクはちゃんとしたディスクだったら割と読めるので、プリンコはダメでしたけどね、プリンコは。
プリンコは読めないけどミスターデータは読める、これです。
プリンコは昔からダメだったもんね。
プリンコとミスターデータって同じくらいのダメさで認識されてたと思うんだけど、ミスターデータは全然ダメじゃなかったっていう、20年経ってわかる技術。
CDRも結構ばらつきあるよね。
時が経てば経つほど、CDR整理するときに読めるやつ読めないやつが出ても、外周剥げてるけどきっちり読めるのもあればTDKだけで読めなかったりとか。
TDKダメなのあった?
さすがに20年ぐらい経ってるから、焼いてから。
外周が少しだけぺろんと剥げてるやつで、ノンブランドのやつは読めたんだけどTDKは読めないやつが出たりとか。
うちはTDKのAzo色素系はだいたい大丈夫で、怪しいのがノキナミダメだったね。ミスターデータ以外の怪しいやつが。
だいたい三井カセルとかだいたい大丈夫なんだよね。
太陽雄伝とかね。
太陽雄伝。
めっちゃ懐かしい。
黒いCDRでプレスティーディスクだって言いながら。
あったねー。
あれいろんな色あったよな。
あれも焼いたやつは読めたわ。
あ、そうなんだ。すごいな。
意外と剥げてなかったからほとんど焼いたやつは。
そうなんだよねー。CD整理しなきゃいけないんだけど枚数ありすぎてちょっと忍ばねーできる気がしないよな。
いや結構時間かかるよ。
いやだってめちゃくちゃな量あるし、あとまともに読めないっていうかさ。
救出はできても軌道がうまくいかないとか、なんだっけこのDLLとかそんな感じで古すぎちゃって探そうが大変。
なかなかいい時間になってきましたね。
テックキューブって思われましたけど。
テックキューブ。
テックキューブあったねー。
テックキューブかー。
テックキューブはやろうとして結局やらなかったんじゃなかったっけ。
フロッピーディスクだよテックキューブって。
全然覚えてないそれを。
じゃあ今度はブラッドアルバムについて。
俺も全然覚えてないんだよなー。
西国ですね、西国でDNMLですね。乱数が使えなくて困った思い出がありますね。
なんだ好きブラッドアルバムって。
よく覚えてたな。
ホワイトアルバムの絡みか?全然違うか?
いや大変なことに合うゲームでしょ。
そうそうそうそう。
マルチバッドエンドシステム搭載で。
あーなんかおぼろげながら少し損なのがあったかっていう。
少しの選択肢下を選ぶと交通事故で死にます。
ひでえ。即死ゲーだ。
はいはいはいはいはい。
ティオクロックタワーは関係あるのかTCTと。